1: 世界@名無史さん 2006/10/30(月) 01:19:40 0
古今東西、食文化の歴史について語りましょう。 







729: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 00:52:28 0
アイヌは卵を産んだ後の、脂が抜けてバサバサになった鮭をとらえて保存食にした。
脂がないほうが保存性が高いのだ。

730: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 01:00:12 0
鱈なんかも油が少ないから長い事保存食に使われていたというね

731: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 01:04:14 0
ああ、棒鱈か。
それと海老芋を一緒に煮たのが、京のおばんさい、「芋ぼう」。
芋は鱈のゼラチン質に囲まれて煮崩れせず、鱈は芋のアクのおかげで柔らかく煮えるんだと。

732: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 01:04:55 0
近世以前でビール純粋令のような加工食品に関する法律はどんなものがあったんだろう?

733: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 01:07:27 0
チーズに関しては結構歴史が古いと聞いた

736: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 02:34:16 0
>>732-733
フランスのチーズについては、15世紀シャルル6世、シャルル7世の時代に、ロックフォールチーズの生産に関する保護、指定を行ったのが最初だと思う。
カマンベールチーズはノルマンディで作っても、北海道で作ってもカマンベールだけど、ロックフォールチーズはRoquefort-sur-Soulzon村で作ったもの以外はロックフォールと呼んではいけない。
というのはよく知られているね。

739: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 02:45:54 0
ロックフォールチーズは、フランスのロックフォール山の洞窟で熟成させたチーズのみ。

734: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 01:09:05 0
パンの大きさ、重さをきっちり決めた法律があったはず。

737: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 02:37:26 0
シャンパンはシャンパーニュ地方だっけか。
でも、いずれにしても、商売上手な日本企業には関係なしw

738: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 02:43:05 0
似た流れで赤玉ポートワインつうのがありました>過去形
呑んだことある人はオッサンです。

761: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 12:54:20 0
>>738
赤玉ポートワインは今でもありますよ

788: 世界@名無史さん 2006/12/03(日) 02:29:55 0
>>761
今は赤玉スイートワインとか改名したんじゃなかったっけ

789: 世界@名無史さん 2006/12/03(日) 20:20:38 0
>>788
あ、本当だ
明治40(1907)年発売か
ttp://www.suntory.co.jp/news/2006/9336.html

795: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 02:26:43 0
>>788
しかし、日本酒は辛口が好まれるのにワインは甘口じゃないと人気が出なかったんだね。そういう俺も白は甘めのが好みだけど。

797: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 10:08:08 0
>>795
結構日本も甘口の日本酒が好きだったらしいよ
こないだ読んだ開高健の対談で「最近日本人は海外の辛口の酒を好んでるのに日本酒はいつまでたっても甘口ばっかりつくる」
と書いてあった。つまり当時の最近より以前は甘口が主流だったのでは
自分はこれを「史」といえるほど若いので、当時を知ってる人の意見を
801: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 13:27:32 0
昭和以降はともかく、なんで明治や大正の酒の品質が判るんだろう? 
化学知識・技術の乏しい時期に、有機酸や糖類の種類・比率なにんか正確には判らないだろう。 
仮に現物が残っていたとしても、品質の劣化しやすい日本酒では往時の成分を知りえないだろう。

802: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 14:50:16 0
江戸時代の蘭学者はすでに酸性・アルカリ性を知っていたはず。

804: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 21:04:21 0
>>802 
あのなぁ……酸性アルカリ性が判ったところで、それが琥珀酸なのか酒石酸なのか乳酸なのか 枸櫞酸なのか酢酸なのか、どういう割合で入っているか、そこまで判るのとはえれえ技術力が違うでよ。 

805: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 21:38:01 0
>>804 
辛口かどうかすら再現できないのか?

803: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 17:35:07 0
当時と同じ作り方をしている酒を調べたり、当時の製法が分かっていれば問題ない。

804: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 21:04:21 0
>>803 
同じ作り方をしようにも、できないんだよ。 
麹も酛(酵母)も少なくとも2回は菌株がまるっきり入れ替わっているし、古式で継続してつくっていないものだから蔵つきの乳酸菌も絶えてしまっている。 
同じ米、同じ水、同じ温度が、たとえ再現できたとしても、同じ酒を作ることは絶望的だ。

807: 世界@名無史さん 2006/12/06(水) 01:52:15 0
港町は甘口を好む。 
醤油もわりと最近まで地元産があったしね。

809: 世界@名無史さん 2006/12/06(水) 10:11:54 0
>>807 
そういえば、九州の醤油はっきりと甘みが感じられるぐらい甘口で原材料に甘味料使ってるな。 

810: 世界@名無史さん 2006/12/06(水) 10:24:14 0
高知もだったかも。田舎は味付けを異様に甘いか、辛いか、あるいは甘辛く作るところが多い。

747: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 10:03:47 0
食べ物の好みは育った環境に大きく影響されるものだから、「時代によって味覚が変わる」は「世相によって食べ物の好みが変わる」「時代によって環境が変われば食べ物の好みも変わる」と言ったところだろう。
ローマ時代、デザートに胡椒を振っていたのは見栄や奢侈だというけれども、その時代にその環境で育った人に美味に感じられたというこを簡単に否定するのは愚かなことだ。
現代にももベルギーやイタリアに胡椒を風味付に使ったチョコレートが生産・販売されている。ローマ時代にチョコレートは無かったが、砂糖も胡椒も安価な時代に商業ベースでやっているということからも、甘いものに胡椒を使うことがあながち変な組み合わせでもない証拠だろう。

751: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 10:55:27 0
日本も、一昔前は生姜菓子が子供のおやつだった。
今食べると、甘くも美味くもない、菓子というより薬味みたいなものだが昔の子供はそれを喜んで食べてた。

デザートに香辛料ってのも、ミエだけじゃないだろうね。

767: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 14:50:39 0
ローマといえば、セスタスの漫画の中で
「ローマ人は肉を調理するとき、最初にゆでてお湯を捨てていた。もったいなくね?味落ちね?」

みたいなことが書かれていたな。
これも味覚嗜好の違いから来る疑問に過ぎないのだろうか

778: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 15:35:32 0
>>767
とりあえず茹でておけば、生肉よりは若干長持ちするし(とは言っても夏なら一日が限度だろうが)、塩漬の肉を塩抜き代わりに茹でておけば、即、食べられるし。
大きな塊のままゆでて、売るときに切り分けるのならば、そんなに味は落ちないだろう。

もともと豚肉をよく食べていた沖縄では、戦後しばらくまで、豚肉は塩水で茹でた塊で売られていたが茹でた肉の食味に慣れていたので、他地方では殆ど人気の無い、米軍の持ち込んだ缶詰のランチョンミートが受け入れられた。

779: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 15:37:57 0
そういえば、沖縄のラフテーは豚の塊肉を一度茹で、茹で汁を捨ててアク汁を洗い流してから改めて煮込んでいたな。

740: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 04:14:51 0
江戸時代は火事対策のため、油を使った料理は野外でしか調理することが許可されていなかったそうだ。

つまり油モノは一般家庭で食べられていたものじゃなくて、屋台でつまむファーストフード的なものだったらしい。

741: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 04:53:45 0
火事対策は西洋も似たような事情抱えてそうだけど
どうなんだろう

764: 世界@名無史さん 2006/12/02(土) 13:02:16 0
江戸の文化年間、芝の車町から出火して新橋から日本橋、浅草まで焼き尽くした大火があったが、このときの火元は天ぷら屋だったそうな。

明暦の大火の出火原因は、本郷の本妙寺で呪われた振袖を供養して焼いたところが、風にあおられて燃え広がったことから。もっとも、本妙寺は大火後も取り潰しになっていないことから、「本当の火元は隣の大名屋敷で、本妙寺は罪を被った」という説も有力。

明和年間の目黒行人坂の大火は、行人坂大円寺のドキュソ僧による放火。

文政年間の神田佐久間町(現在の秋葉原)の大火は、材木置き場の焚き火の不始末。

ロンドン大火は、パン焼き窯の不始末が原因らしい。

シカゴ大火は、牛乳屋の乳搾り女がランプを倒したのが原因。


818: 世界@名無史さん 2006/12/07(木) 00:08:45 0
さて質問であります。
あの天明の大飢饉のさなか、紀行家の菅江真澄が出羽の国から陸奥の国を旅し、飢饉の惨状を書き残しています。

ここで気になるのは、よそ者である菅江真澄自身は食糧をどうしていたのか、ということ。
何万も餓死者が出る状況で、よそ者が食事にありつけるとは思えない。
真澄が食糧を用意して旅をした、とも思えない。
あるいは、餓死者は低層民のみで、路銀さえ出せば食糧を買うことが出来たのでしょうか。

822: 世界@名無史さん 2006/12/07(木) 03:13:44 0
>>818
ひとくちに天明の大飢饉といっても、藩によって対応がまちまちで、対策に失敗して餓死者を大量に出した藩もあれば、会津藩、白河藩のように餓死者を一人も出さなかった藩もある。また東日本に比べて西日本は比較的に軽かった。
(西日本は、その前の享保の飢饉で大被害を受けていたが天明の頃には回復していた。)
というわけで米価は高騰したが、全国的に食料が不足したわけではないので出すものを出せば手に入れる方法は、いくらでもあったかと。

829: 世界@名無史さん 2006/12/07(木) 17:30:35 0
>>822
しかも、天明の飢饉時の西日本は、小氷河期による海面の下降で海岸線が後退して自然と干拓地が広がり、米の収穫量がアップしてる。全国規模で見ると、食糧供給率はどっこいどっこい。南部藩は悲惨だったけど、逆に言えば奥羽地方だけ。

827: 世界@名無史さん 2006/12/07(木) 16:55:28 0
南部領から、大量の流民が出羽の国に流入した、という話がある。
出羽の国は山脈にさえぎられ、ヤマセ風が来ないからね。

844: 世界@名無史さん 2006/12/07(木) 21:13:07 O
ずいぶん昔に聞いた話なのでソースは出せないが、南部藩では天明の飢饉の時、武士の俸禄は「禄高に関わらず一日玄米二合」に切り下げられたと聞いた事がある。家族持ちでは到底食っていけないだろうし、餓死もあり得なくはないが。藩内では「領地を返上して藩解散」が本気で議論されたとか。

849: 世界@名無史さん 2006/12/07(木) 21:39:41 0
南部はもともと稲作の不適地だったのに、無理やり米で年貢を納めさせていたから悪いんだよ。馬か、牛か、鉄で年貢を納めればよかったんだ。

あとは馬鈴薯がもっと早く普及していれば・・・

852: 世界@名無史さん 2006/12/07(木) 22:10:37 0
>>849
ロシアのようにビートがあればよかった。

855: 世界@名無史さん 2006/12/07(木) 22:47:02 0
>>849
ライ麦、大豆、ソバ、ヒマワリ、ベリー類・・・
あとは酪農が根付いてくれたらな。江戸時代じゃ無理か。

869: 世界@名無史さん 2006/12/08(金) 14:52:54 0
トチ餅は有名だけど、クヌギとかのドングリの類も良く灰汁抜きして、団子なりにすれば食べられるね。

870: 世界@名無史さん 2006/12/08(金) 15:10:18 0
つうか、岩手の山村ではドングリはシダミといって、大事な食糧だったが。

888: 世界@名無史さん 2006/12/09(土) 16:13:57 0
>>870
ほとんど主食ですね。
トチのみはドングリと比べるとアク抜きが難しくてよくないらしい、ドングリのほうが食べやすいし、主食らしいね。

875: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 2006/12/08(金) 21:56:20 0
過去スレでも書いたが奄美諸島や沖縄の救荒食、ソテツ。
ソテツの実も彼岸花と同じように何度も水に晒し澱粉だけを取って食用にする。
毒性が強いので晒し方が足りないとサイカシン、マクロザミンという毒で中毒死する。そのため「ソテツ地獄」と言う言葉があるほど。

876: 世界@名無史さん 2006/12/08(金) 22:32:03 0
ソテツ地獄はよく左かかった人が日本の圧制の象徴として語るけど、琉球王国時代はソテツ食ったことなどなかったのかな。

ただ、沖縄って併合後、人口増えているよね。
南部藩のように圧政していたのなら、人口激減していると思うんだ。

878: 世界@名無史さん 2006/12/08(金) 23:23:47 0
 ソテツは琉球王府時代に救荒食として王府が推奨して植え付けさせた植物です。蔡温によって出された「農務帳」によって各地にその栽培方法と調理方法が広められ、凶作時の救荒植物として荒地に栽培するよう奨励されました。
慶良間や久米島では17世紀頃の文献にすでに食していたことが書かれていますが、「八重山島年来記」によれば、宮古・八重山でソテツが食用化されたのは 18世紀半ば以降、異常気象による大飢饉が全国的に頻発した頃で、有毒植物のソテツの食用化はこうした切羽詰った状況下で生み出され、その後の農村ではほとんど常食化されました。
 「ソテツ地獄」という言葉が生まれた大正期から昭和期の大恐慌の時や、沖縄戦による食糧難の時も、沖縄住民はソテツに助けられました。やっと平静に戻りつつあった1948年の夏、人々は波照間島におけるソテツ発祥のソテツの前で祭りを開き、命を救ってくれたソテツに感謝しました。
なお、「ソテツ地獄」によって押し出された沖縄からの海外移民は年間四千人を超え、本土への出稼ぎは年間二万人を超えました。

だそうです。
つまり、ソテツ地獄とは、食べたソテツに当って、苦しむことを言うのではなくソテツを食べねばならないような情勢の悪化と、それに対応する為の地域全体の苦闘をさす言葉かと。


889: 世界@名無史さん 2006/12/09(土) 16:22:19 0
東北の山村では、甘い栗の実よりも、不味いシダミのほうが重要だったとか。
理由は、「甘いと飽きてしまい、主食としてたくさん食えない」からだとさ。

韓国には今でも、ドングリの澱粉を固めた食品、「トトリムック」がある。
トトリとは、ドングリのこと。
以前朝日新聞の投書欄に、「となりのトトロ」の「トトロ」は、トトリが起源だ!
作者の韓国に対する愛を感じたニダ!なる独りよがりな文が載ったことがあったな。

トトロの語源は、西洋の妖怪であるトロルらしいのだが。

894: 世界@名無史さん 2006/12/09(土) 21:01:39 0
ブナやシイの実などは、厄介なアク抜きの必要がないので、生食や乾煎りだけでもおいしく食べられる。
アーモンドやクリのようにナッツの一種として食用に栽培されたりはしないのだろうか?

895: 世界@名無史さん 2006/12/09(土) 21:04:33 0
ブナや椎の実は粒が小さすぎ、実の量も少ないので栽培しても採算が取れないだろうよ。 

896: 世界@名無史さん 2006/12/09(土) 21:41:25 0
実が小さいよりも何よりも収獲が大変ではないかい?

897: 世界@名無史さん 2006/12/09(土) 22:03:04 0
畜獣にせよ栽培作物にせよ
無数の自然種から選びぬかれて産業化されている種ってのはやっぱり、選ばれるだけの要素を持ってるものだからねぇ。

898: 世界@名無史さん 2006/12/09(土) 22:39:48 0
ブナは高い山にあるし、樹高30mはあるし、落ちた実は小さくて落ち葉にまぎれてしまう。
せめて栗や栃くらいの大きさがないと。

904: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 00:47:01 0
ジャガイモがヨーロッパの飢餓を救ったという話は有名で、アイルランドのジャガイモ飢饉の話が良く出てくるが、近代の作付け比率はどのくらいだったの?

日本でも救荒用としてイモを植えたよね。

905: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 00:48:49 0
日本はなぜか明治期までジャガイモはないも同然の扱い。

909: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 01:01:58 O
原爆の後、被爆者でもジャガイモを刷りおろした汁を飲んだ人は長生きしたという話

928: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 11:16:41 0
救荒食については「ああ、野麦峠」で有名な熊笹の実があるな。
野麦峠の辺りでは今でも熊笹が多く茂っている。
熊笹は10年ぐらいに一度花を咲かせ稲穂のような実をつける。
これを飛騨では「野麦」と呼んだ。
不思議なことに穀物の不作のときに実をつけるらしい。
人々はこの実を粉にして団子を作り飢えを凌いだという。
野麦峠の由来はこの熊笹の実であると言われている。

932: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 13:53:16 0
>>928
だいぶ前の年にWWFがパンダ絶滅の危機!と訴えていたが、その理由として笹が周期的に枯死する 不作シーズンがあるらしく、大量餓死するとか主張していたの思い出した。

933: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 15:34:43 0
戦時中、笹の実の粉末を配給の品として配ったところ、あちこちで流産騒ぎが起こったという。

これは笹の実が原因ではなく、付着していた麦角菌が原因だという。

935: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 23:03:50 0
麦角菌に冒された穀物、特にライ麦を食えば、精神が錯乱したり四肢が壊死したり流産したりと、いろいろ恐ろしい障害が出るんだよ。西洋人はこの病を聖アンソニーの火、と呼んで恐れた。特に994年のフランスで大流行し、4万もの死者が出た。
聖アンソニーは西暦300年ころのエジプト生まれの聖人で、この病で片足を失いながらも114歳まで生きたために病の守護聖人とされ、病を得た者は聖地まで巡礼に出た。
すると不思議なことに、道中で病が快方に向かうのだ。転地療法とともに、旅行中はライ麦を食わないので食事療法になっていたのだ。

16世紀になって、ようやく「聖アンソニーの火」という病が麦角菌に冒された穀物によって起こされる、とわかった。しかし無数の穀粒の中から菌に冒された黒い穀粒を取り除くのは至難の業。人々は毒入りの穀物を知りながら食うほかは無く、人々は苦しめられ続けた。

919: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 01:39:15 0
アイヌ人社会に豚いたの?

921: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 02:24:12 0
アイヌ文化は13世紀に成立する。その主な源流は擦文文化と和人の文化だが、いまひとつのルーツがオホーツク文化。オホーツク文化人はサハリンから4世紀ごろ北海道に渡ってきて、オホーツク海岸と日本海岸で多角形の住居に住み、漁労と海獣狩猟を行っていた。イオマンテ(熊送り)などのアイヌの慣習はオホーツク文化からもたらされたという説が有力だ。
オホーツク文化人は9世紀頃サハリンに引き上げるが、道東地方では擦文文化と入り混じってトビニタイ文化を形成し、12世紀頃まで続く。

オホーツク文化人は豚と犬を飼い、食べていた。解体痕がある豚骨と犬骨が遺跡から出土している。しかし、アイヌはそれを受け継がなかった。ちなみに、極東シベリアではナナイ人が養豚を行っていたし、サハリンのニヴフ人は犬を食べる。

922: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 02:45:05 0
受け継がなかった理由は何だろうねと問いかけてみたいが、スレの趣旨とずれてしまう機がする。
文化人類板あるいは民俗板で別スレたてて考察した方がいいような気もする。

引用元: ・食物と酒、嗜好品の歴史 21皿目@世界史板




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