1: 日本@名無史さん 2007/09/29(土) 12:18:20
関白太政大臣 豊臣秀吉が最強だな








2: 日本@名無史さん 2007/09/29(土) 12:22:26
太政大臣

平清盛・足利義満・豊臣秀吉・徳川家康・徳川秀忠・徳川家斉

3: 日本@名無史さん 2007/09/29(土) 12:26:01
極官 左大臣

足利義教・足利義政・豊臣秀次・徳川家光・徳川家慶

4: 日本@名無史さん 2007/09/29(土) 12:30:27
極官 右大臣

源実朝・織田信長・豊臣秀頼・徳川家綱・徳川綱吉・
徳川吉宗・徳川家重・徳川家治・徳川家茂

16: 日本@名無史さん 2007/10/06(土) 19:09:59
極官 内大臣

平重盛・平宗盛・足利義持・足利義尚・織田信雄
徳川家宣・徳川家継・徳川家定・徳川慶喜

5: 日本@名無史さん 2007/09/29(土) 12:31:29
足利義栄・・従五位の下・左馬の頭・征夷大将軍

並の守護大名より官位が低い

7: 日本@名無史さん 2007/09/29(土) 12:39:24
>>5
義栄は入京できなかったからね。
足利将軍は夭折さえしなければ大納言には昇進している。

11: 日本@名無史さん 2007/10/04(木) 17:31:19
靭負佐ってどんな官位なんでしょうか?
調べてもわかりません。

13: 日本@名無史さん 2007/10/04(木) 18:33:41
>>11

左右衛門府か検非違使だね
官制大観
ttp://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/
で衛門府と検非違使のところを読んでくれ

14: 日本@名無史さん 2007/10/04(木) 22:14:31
靭負は本来は衛門府の別名というか雅称。
なので、靭負佐は>>13氏が言われるように衛門佐ということになる。
ただしどうやらただの衛門佐ではなく検非違使の佐の意味で使われているらしい。
なお検非違使の佐は最初期のまだ制度が固まらない時を除くと、ほぼ例外なく衛門佐ではなく衛門権佐、逆に衛門権佐もほとんどが検非違使。
従って靭負佐=検非違使佐=衛門権佐と考えて良い。
そんなわけで衛門佐と衛門権佐は家柄が違う。
なお兵衛佐と兵衛権佐はそこまでの差はない。

17: 日本@名無史さん 2007/10/06(土) 19:36:38
大納言

平頼盛・源頼朝・足利尊氏・足利義詮・足利満詮
足利義嗣・足利義視・足利義稙・足利義晴・足利義昭
羽柴秀長・前田利家・徳川忠長・徳川義直・徳川頼宣
徳川光友・徳川光貞・徳川宗直・徳川宗睦・徳川治宝
徳川治済・徳川斉匡・徳川斉朝・徳川斉順・徳川斉温
徳川斉荘・徳川斉彊・徳川慶勝・徳川慶頼・徳川茂徳

間違っていたら訂正宜しく。
尚、徳川慶頼は後に中納言への降格処分を受けている。

18: 日本@名無史さん 2007/10/06(土) 19:49:20
極官 大納言 (訂正)

平頼盛・源頼朝・足利尊氏・足利義詮・足利満詮
足利義嗣・足利義視・足利義稙・足利義晴・足利義昭
羽柴秀長・前田利家・徳川忠長・徳川義直・徳川頼宣
徳川光友・徳川光貞・徳川宗直・徳川宗睦・徳川家基
徳川治宝・徳川治済・徳川斉匡・徳川斉朝・徳川斉順
徳川斉温・徳川斉荘・徳川斉彊・徳川慶勝・徳川慶頼
徳川茂徳

将軍世子家基を追加。

20: 武陽陰士 ◆ATDF4vFZys 2007/10/06(土) 22:20:50
東照大権現は正一位贈位。勅使の奉幣も受ける神だ。

25: 日本@名無史さん 2007/10/07(日) 11:57:03
>>20
足利義満は贈太上天皇、つまり上皇になっている

27: 武陽陰士 ◆ATDF4vFZys 2007/10/07(日) 19:53:50
>>25
太上天皇に義満はなっていない。
朝廷が贈位しようとしたら息子の義持(張本人は家臣の義将ね)が辞退したんだよ。
だから太上天皇じゃない(位牌にはその尊号があるが)。
この逸話に関しては、朝廷の、幕府が辞退することを見越した幕府に対する嫌がらせ説(河内祥輔氏の説)、旧来の説を発展させた(この尊号問題に関してだけね)今谷説(これが妥当と私は思う)などがある。

23: 日本@名無史さん 2007/10/07(日) 01:43:13
豊臣の時代はかなりの武将が公卿になっているな。

五大老は全員中納言以上だし

24: 日本@名無史さん 2007/10/07(日) 04:31:42
他は伊達政宗、島津義久、細川忠興、京極高次あたり?

26: 日本@名無史さん 2007/10/07(日) 19:47:38
>>24
伊達政宗は、権中納言。島津義久・細川忠興・京極高次は参議。
なお、島津家久は権中納言。

29: 日本@名無史さん 2007/10/07(日) 20:36:44
織田家

右大臣・・・信長
内大臣・・・信雄
中納言・・・秀信
参議・・・・信包・秀雄

30: 日本@名無史さん 2007/10/07(日) 20:44:50
島津家

中納言・・・家久
参議・・・・義弘・斉興

義久って参議になったっけ?
義弘じゃね。

33: 日本@名無史さん 2007/10/08(月) 20:46:37
大内義隆は不思議な存在。
足利一族でも室町幕府管領でもないのに従二位兵部卿。

38: 日本@名無史さん 2007/10/08(月) 22:22:34
>>33
朝廷や公卿に寄付しまくったり恩義を売りまくったからね
一番の恩義は生活に困った公卿を山口に招いて養ったことだろうが
その結果、陶隆房の変に巻き込まれて断絶した公家も多かったとか

34: 日本@名無史さん 2007/10/08(月) 20:57:46
突然話は変わるんだけど、清和源氏の祖経基王(源経基?)って、武蔵介から将門を密告して従五位下に叙されている。つまり初叙は六位(王なので七位以下ではないだろう)と言うことになる。
父親が通説の清和皇子貞純親王にしても、陽成皇子元平親王にしても、経基王は二世王と言うことになり、律令の規定だと初叙従四位下のはず。親王自身が賜姓されていれば、皇孫でも五位や六位もあるようだけど。この人って本当に二世王なのだろうか?待遇が悪すぎるような。もしかして清和源氏も陽成源氏も嘘っぱちでというか仮帽で、本当はもう皇統から相当離れた端の端の皇族じゃないのだろうか?
でなければ実は貞純親王の子でなくて孫ではないのだろうか、伝えられる経基王の年齢だとそれもありそう。

35: 日本@名無史さん 2007/10/08(月) 21:13:53
貞純親王の六番目の孫の王だから六孫王とか?
通説は清和天皇六男貞純親王の子で清和の天皇の孫だから六孫王だっけ。

37: 日本@名無史さん 2007/10/08(月) 21:46:42
本当は三世王(親王の孫)でも従五位下初叙のはずなんだけど、こういう規定って権力の中枢からはずれるとなかなか守られなかったのかな。平将門も父が五位だから規定だと無位じゃなくて八位にはなれたはず。
正式に子と認められず田舎にくすぶったままならともかく一応忠平に仕えてるし、官職の方はともかく規定の位階くらいは貰えそうな物だけど。もうこの時点で蔭位制度は崩壊ないし崩壊しかかっていたのだろうか?

36: 日本@名無史さん 2007/10/08(月) 21:17:49
平安時代の初期には桓武天皇がひいきの家臣の子に蔭位制に反した叙位を行ったような

39: 日本@名無史さん 2007/10/08(月) 22:36:56
桓武の寵臣藤原緒嗣(功臣百川の子)は規定の二一歳より前に位階を貰った。
それ以前でも規定より高い位階を貰った例はある。
但し規定より若年とか高い位階とか有利な場合は別勅によるものであり、最初から例外規定として別勅による場合は除くとなっているのわけで、実体としてはえこひいきだとは思うが合法的。
反対に規定より不利な場合は不満があったとは思うけど・・・・・・
ただ王の場合は規定の二一歳になっても位階を貰えないことが多かったらしい。
蔭位については野村忠夫氏はじめいろいろ研究があるけど、蔭位の崩壊過程はやはりよく分からないのかな?

40: 日本@名無史さん 2007/10/09(火) 20:32:44
極官の方は別として、なんで家光でいきなり初任官がとてつもなく高くなったんだろう?

41: 日本@名無史さん 2007/10/09(火) 22:46:47
>>40

家康は当然として、秀忠にしても初任官の時は一大名の子の立場にいたわけで、将軍家の世子と同じであるほうが変だと思いますが。

42: 日本@名無史さん 2007/10/09(火) 23:03:17
足利以前の将軍の初任との比較で言ってるんですが。
いきなり大納言なんて前代未聞じゃないですか。

43: 日本@名無史さん 2007/10/10(水) 00:24:17
>>42
そうだね。例えば、徳川家継はいきなり従二位権大納言から叙任しているからね。

45: 日本@名無史さん 2007/10/10(水) 10:31:04
関係ありそうな話だと、秀頼を意識して、それ以上にしたとかいう事はないかな?

44: 日本@名無史さん 2007/10/10(水) 09:22:15
甲府の徳川綱重と館林の徳川綱吉兄弟は
正三位参議左近衛権中将左馬頭
正三位参議右近衛権中将右馬頭
というように、左右で同じ官途を分けた。
こんな事例は珍しい。
しかも正三位で参議というのも武家では他に浮かばない。

47: 日本@名無史さん 2007/10/10(水) 23:15:27
江戸時代はまさに官位崩壊。
将軍家の庶子如きが大納言・中納言。
譜代家臣の輩が正四位、旗本でさえ諸大夫。

48: 日本@名無史さん 2007/10/10(水) 23:37:51
鎌倉時代の北条得宗家執権貞時は従四位上。
武家の官位は足利義満以降変になったんじゃね?
そもそも軍事貴族は諸大夫。
「さむらい」は六位の身分。

49: 日本@名無史さん 2007/10/11(木) 00:17:49
>>48
武力を背景にして官位の底上げを図るのは当然の成り行き。
そもそも等といっているのは、勢力が弱体化した公家の考えそうな話。

56: 日本@名無史さん 2007/10/11(木) 08:08:11
うがった見方、昇進するたびに一々披露したり礼金払うのが面倒くさかったんじゃないの。
足利家の将軍ですでに従四位下参議から従三位大納言に一挙昇進って例がある。
しかし実質的支配者であった将軍家はまだしも、一世源氏でも二世王でもないたかが国持
大名が四位直叙って、僭越の極みだな。

61: 日本@名無史さん 2007/10/11(木) 10:13:09
武家伝奏ルートの官位(将軍家が貰ってやる官位)はムチャクチャ。
町人の娘が生存中に従一位とは・・・
桂昌院のことだよ。

70: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 17:35:49
大名クラスは幕府なり武家伝奏なりを通して正式な官位をもらってたにしても、旗本・御家人とか、大石内蔵助みたいな大名家の家臣の官位も正式に与えられたものなのかな?
勝手に名乗ってるってことないですか?
柳沢吉保が出羽守を名乗った時、出羽守を名乗る旗本が11人いて、みんな柳沢に遠慮して官名を変えたとどっかで読んだきがする。
武家の官職の重複は正式に認められてたのかな?それとも勝手に名乗ってるだけ?

71: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 17:56:48
>>70
大名の家臣は家老クラスは届け出
大名・旗本で同じ官位が重複ってのは珍しくもない
武家の官位は権官扱いってことらしい

72: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 18:02:29
>>71
禁中並公家諸法度の第七条に武家の官位は別って書いてあるね。

73: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 18:08:26
>>72
そそ、でもこのスレは江戸時代限定じゃないから
平清盛の頃から官途名の重複はあったし

74: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 18:15:17
江戸時代限定で言えば、同じ役職同士で同じ官職は称しないというのが不文律。
例えば、町奉行に大岡能登守忠相がなったとき、先任の町奉行に坪内能登守定鑑がいたため、大岡は越前守にかわった。
また、上司と同じ官職にはならないというのも内規律。

76: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 18:58:26
付け加えると同じ名字で同じ官職と言うこともないです。
松平姓だと大変だったと思う。

77: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 20:47:42
戦国時代など武家の官位が自称だらけの場合
主君より格上の官位を名乗ってしまうこともあるのでは?
侍大将クラスが○×守とか名乗っている

78: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 21:51:39
自称って言っても、主君持ちの場合は本当の意味の自称じゃなくて、主君が勝手に与えることが多いから、普通はその辺考慮すると思う。
まあ主君が小国守をなのって、家臣が大国守とかはあったかも。

79: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 22:26:13
就任したての将軍よりも管領のほうが官位が上、って時期は何度かあったような

ってこれは自称ではないな

80: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 23:11:33
将軍家御一家よりも家臣格の管領の方が官位が高いというのも不思議だ
別格の斯波家は別として

82: 日本@名無史さん 2007/10/14(日) 00:21:11
若くして亡くなった足利義勝と管領を務めた畠山持国。
前者は従四位下左近衛権中将。後者は、従三位左衛門督。
将軍と管領家との官位逆転現象の例。

尤も、近衛少将や中将は将軍家の専売特許とも言えそうだ。
官位相当が同じ中将と衛門督でも序列上は、中将の方が上位ということになる。
因みに、戦国時代、信濃国の戦国大名たる村上義清は従二位左近衛権少将だったがこれは例外ということか。

また、大内義隆にせよ大内義興にせよ、従三位以上の位階は有していたがさすがに近衛少将や中将にはなれなかった。だから、大内義隆は、大宰大弐や兵部卿になるしかなかった。

84: 日本@名無史さん 2007/10/14(日) 02:52:21
>>82
大内氏の太宰大弐は九州戦略上
少弐氏牽制の為ではないのか?
>なるしかなかった。  のではなく  あえてなった。 が正解。

85: 日本@名無史さん 2007/10/14(日) 09:35:09
>>84
そのようなことは自明の理。
むしろ、よくもまあ、大内義隆が兵部卿に任官できたことか。
また、義隆は、当時、他の戦国大名が任官できなかった侍従には任官している。

83: 日本@名無史さん 2007/10/14(日) 02:40:55
村上義清が従二位というのは本当なの?
母が管領斯波氏の出、妻が守護小笠原の出
田舎地侍にしては血筋は良いが

86: 日本@名無史さん 2007/10/14(日) 13:12:14
村上義清レベルなんか5位行くか行かないかだろう。
最悪無位無冠

87: 日本@名無史さん 2007/10/14(日) 14:49:54
村上義清
永正13年(1516)、元服して従五位下佐渡守
その後、左衛門少尉、右京権亮、左馬頭、周防守などを歴任し
正四位下左近衛権少将兵部大輔まで昇進したことはつかんでいる。

88: 日本@名無史さん 2007/10/14(日) 20:13:23
守護でもなく、敗北者の田舎豪族にしては高位高官だな
氏康より上、義元と同格なのか?

89: 日本@名無史さん 2007/10/14(日) 20:55:08
足利氏にとっては左馬頭は非常に重みのある官職、将軍候補者かそれに準ずる人物か鎌倉公方(官等管領)だけに許された。

93: 日本@名無史さん 2007/10/15(月) 06:23:28
左馬頭は足利直義ももらっていたな

94: 日本@名無史さん 2007/10/15(月) 06:29:19
というか直義がもらってたからこそ
足利氏にとって重要な官職になったとか

95: 日本@名無史さん 2007/10/15(月) 06:47:30
足利尊氏以前の足利氏でも左馬頭に任ぜられていた人はいた。
例えば、足利義氏。
一方、執権北條氏の内、貞時や高時は左馬権頭になっており、左馬頭にはなっていない。
今川義元は、従四位下治部大輔。桶狭間の戦いの時、三河守にかわっている。

101: 日本@名無史さん 2007/10/15(月) 22:44:46
確か義満の弟も左馬頭だったはず。極官は権大納言だったかな。

103: 日本@名無史さん 2007/10/16(火) 18:02:38
足利氏の左馬頭、実は元から嫡男だった人は必ずしもなってない。
逆に兄弟継承とか、従兄弟とか、どっちかって言うと継承権が危うげな場合はほぼ漏れなくなっている。
将軍後継者・候補者としての権威付けが必要に時に使われた官かもしれない。

104: 日本@名無史さん 2007/10/21(日) 11:01:15
官位の序列は
大将>>>>>兵衛、衛門、馬督>中将>少将>兵衛、衛門佐
と思っていたけど江戸時代の大名で左衛門督から少将へ昇進があるが
江戸時代あ衛門督より少将が上という認識だったのだろうか?

105: 日本@名無史さん 2007/10/21(日) 16:44:38
>>104
左衛門督から少将への昇進というよりは兼任。
江戸時代の基本的な官位昇進の次第は例外はあるものの
従五位下国守或いは寮頭或いは職亮或いは符佐など→
従四位下国守或いは八省大輔或いは寮頭など→
侍従兼任→少将兼任→
従四位上少将兼国守或いは八省大輔或いは寮頭など→
従四位上中将兼国守或いは八省大輔或いは寮頭など→
正四位下中将兼国守或いは八省大輔或いは寮頭など。

106: 日本@名無史さん 2007/10/21(日) 19:44:35
公家的概念の序列では、
左大将>右大将>左衛門督>右衛門督>左兵衛督>右兵衛督>中将>少将>
衛門佐・兵衛佐・兵衛権佐>衛門権佐、の順になるようです。
馬頭は少将程度に相当するようです。
但し摂家の中納言兼中将等は中納言や参議が兼ねたりする督より格上かもしれません。
下級の方は、衛門大尉>衛門少尉>兵衛大尉・兵衛少尉>馬允、となります。
楽人補任の12世紀前半頃の例では、
五位近衛将監>近衛将監>兵衛尉>近衛将曹>衛門志>兵衛志>兵庫属>隼人令史>
内舎人>近衛府生>衛門府生>兵衛府生、の序列があるようです。
北条一門の初任の序列は、左近衛将監>右近衛将監>衛門尉(おそらく少尉)です。
足利将軍の場合はどちらも初任官である中将と左馬頭がほぼ同格のように思われます。

江戸時代は、参議以上>中将>少将>侍従>四品(四位)>諸大夫(従五位下)の序列でその他の官職は衛門督も含めて官職名自体には全く意味がないもので、単なる名乗りと考えてください。
但し名乗りの中にも序列は有り、四品用の官職名と諸大夫用の官職名があります。
四品は、職大夫・省大輔
諸大夫は、職亮・省少輔・司正・衛門尉等
国守や寮頭・衛門佐・兵衛佐は両者兼用だったと思います。
衛門督や兵衛督は四品以上の中でも特別に家だけに許される官職名です。
侍従や少将は兼務というよりそちらが本質だと考えるべきだと思います

引用元: ・武家の官位について語れ