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1: 日本@名無史さん 2006/04/02(日) 09:20:07
他の四職家のスレがあるのに、赤松家のスレがないのは解せない。
そんなわけで、スレ立てました。








3: 日本@名無史さん 2006/04/02(日) 09:41:31
赤松円心はすき

5: 日本@名無史さん 2006/04/13(木) 09:08:30
赤松で残れたのは有馬系ぐらいだったかな

7: 日本@名無史さん 2006/04/19(水) 03:23:40
赤松⇒浦上⇒宇喜多のトリプルコンボ

赤松⇒小寺⇒黒田のトリプルコンボ


この2つは熱すぎ

12: 日本@名無史さん 2006/04/21(金) 09:56:01
義教に殺られそうだったから先に殺っちまうという発想が素敵

13: 日本@名無史さん 2006/04/21(金) 12:06:32
赤松の英雄は円心と満祐

15: 日本@名無史さん 2006/05/05(金) 09:16:47
小寺氏って赤松一族だっけ?

16: 日本@名無史さん 2006/05/07(日) 05:10:17
小寺は赤松一族ではないですが、円心以来の重臣として姫路平野を治めていましたし、代を重ねるうちに、おそらく赤松家から小寺家へ嫁いだ姫もいたかもしれませんし、小寺家から赤松家に嫁いだ(この場合は側室としかも?)姫もいたかもしれません。
赤松一族並みの待遇だったことは確かですよね。

17: 日本@名無史さん 2006/05/08(月) 04:23:33
>>16
小寺は普通に赤松一族だったと思うが。

43: 日本@名無史さん 2006/05/16(火) 05:45:11
>>15 >>16 >>17

◆御一家衆・・・本家に次ぐ地位で、足利将軍の直臣になっていたのもいる
七条家、伊豆守家、播磨守家、有馬家、上野守家、在田家、本郷家、
広岡家、永良家

◆御一族衆・・・前者よりはワンランク下扱いの赤松一族
別所家は16世紀後半に台頭したことは周知のとおり。
下野守家、遠江守家、能登守家、宇野家、間島家、上月家、別所家、佐用家、豊福家、得平家

◆年寄衆・・・赤松一族以外の重臣
御一家衆、御一族衆の分家もある
浦上家、喜多野家、富田家、小寺家、中村家、上原家、堀家、櫛橋家、依藤家、明石家、薬師寺家、城所家、後藤家、衣笠家

上記は33家ですが、他の3家を加えて「赤松三十六家」と表現している資料もあります。

45: 日本@名無史さん 2006/05/21(日) 01:20:52
後南朝の皇族を殺して御家再興する執念が素敵。

47: 日本@名無史さん 2006/05/22(月) 02:16:38
>>45
赤松って南北朝分裂後も北畠とは親しいのにね。

46: 日本@名無史さん 2006/05/21(日) 19:48:01
赤松の遺臣たちが吉野の後南朝に召使いとして入り込んで、長年勤めて信用させて、それなりに昇進して、偉い人たちと会える身分になったところで謀反を起こして後南朝の皇族を皆殺しにして、首と神器を京都の北朝に持っていったんだよね。

55: 日本@名無史さん 2006/05/24(水) 18:30:52
しっかし、将軍暗殺の汚名を着てしまった、満祐は悲惨だね。
義持の男色相手に惣領家を挿げ替えられそうになったんだっけ?
満祐は怒って、京の屋敷を焼き払い、自領へ・・・

そして、義教にも・・・弟の領地を取り上げて庶流の貞村に与えたんだよな・・・そして惣領家の地位も・・・

57: 50 2006/05/24(水) 22:15:33
>>55
もともと赤松が播磨一帯で勢力を広げられたのは婚姻もありますが「親戚の親戚はみな親戚だ」作戦で全て同祖同族として取り込んだことが一番大きいですから悪党(正規の守護認可されていない意味)として親楠木の太平記で悪人にされているのは悔しいことですね
そして応仁の乱
衰退しても盛り返して戦国、江戸期を生き延びた赤松一党はえらい
小寺なんて池田姫路藩でちゃっかり仕官してますし姫路市長もだしましたし

60: 日本@名無史さん 2006/05/24(水) 23:42:29
>>57
>悪党(正規の守護認可されていない意味)として

鎌倉期の赤松は確かに得体の知れない悪党だけど、建武3年以降は、室町幕府が任命した正式な守護なのでは?

62: 50 2006/05/25(木) 20:38:06
>>60
太平記での話ですよ
後醍醐天皇が播磨をお気に入りの新田義貞に与えようとしたので武力で追放し後醍醐帝と反目していた足利尊氏に播磨守護認可のみかえりとして後醍醐帝の後背を脅かすと密約を結んだとされてて楠木正成候が帝の命令なのに裏切行為だと非難する
なんてシーンがありますから

63: 日本@名無史さん 2006/05/25(木) 23:20:23
>>57
姫路市長てのは戦前の話?

95: 日本@名無史さん 2006/10/29(日) 18:38:28
小寺家から出た市長って、神戸市長じゃなかったっけ?↓
第11代神戸市長・小寺謙吉氏(昭和22~24年在職・初代公選市長)
姫路市長も出たの?後小寺本家は現在天川姓を名乗っておられるようですが。

64: 日本@名無史さん 2006/05/27(土) 23:27:10
まあ、今では赤松の子孫だなんて人間がいても、地元の播州ではふうんで済まされるだろうな。黒田の子孫のほうが一目おかれる。

69: 日本@名無史さん 2006/06/18(日) 01:56:41
というか 赤松にしても黒田にしても山名にしても本当の子孫は少ない。

殆どが明治の新姓。
播磨に住んでるから「赤松」にしようとか、昔黒田の殿様の領地だったから「黒田」にしようとかそんなノリ。

だから、殆どの人は子孫でも何でもないよ。

70: 日本@名無史さん 2006/06/22(木) 20:16:56
特に赤松氏は嫡流が関が原で途絶えたから。
置塩城の総領家は、子供なしで切腹して断絶。

血筋的には嫡流と言える龍野赤松家は、子供はいたが女子のみで切腹して断絶。

哀れに思った赤松一族である有馬豊氏が、龍野赤松家の女児を自分が懇意にしている但馬の庄屋に嫁に貰ってもらうよう依頼して、生活苦にならないように配慮したらしいが。
その家系もはっきりとは残っていないから、正当な子孫は途絶えたまま。

93: 日本@名無史さん 2006/10/17(火) 04:00:33
別所家を守るために周辺の土豪が一斉に荷担したのに対して
赤松を守ろうとしたものなどほとんどいない件について

94: 日本@名無史さん 2006/10/20(金) 08:17:24
置塩城の赤松総領家は力を無くしていたからな。
龍野赤松家は戦わずに降伏したし・・・・・・

佐用赤松家には多くの土豪が味方したぞ。

99: 日本@名無史さん 2006/12/08(金) 10:16:40
別所の場合は、秀吉の無礼な態度に憤慨。
柴田との喧嘩とか、秀吉が天狗になっていた時代。

102: 日本@名無史さん 2006/12/17(日) 21:38:44
足利将軍・義教を暗殺しなかったら男色相手の貞村に惣領の地位は奪われたのかなぁ~?
それとも播磨守護職を貞村に挿げ替えられだけだったのか・・・?

山名惣領・持豊に対する因幡家・山名熙貴、細川京兆家持之に対する阿波家・細川持常
一色惣領・義貫に対する一色持信(義貫の弟)など
一色義貫は成敗されて持信の子に継承されたしね。。。同様の成敗劇で細川持常も三河守護を拝領したし

惣領家に対する弱体化を狙うのは将軍家の権威拡大には当然の人事ではあると思うけど・・・

103: 日本@名無史さん 2006/12/23(土) 20:57:05
勢力が大きく、京からも近い位置にあったから、いつかは他の守護大名と同じ末路を辿ったかもね。

104: 日本@名無史さん 2007/01/30(火) 02:52:05
義教は武家諸法度もないくせに大名を滅ぼしすぎ。

105: 日本@名無史さん 2007/01/31(水) 19:49:18
http://www.geocities.jp/kawabemasatake/norisuke.html

の系図だと赤松持貞、貞村、満政などの方が直系になるのですね・・・
満祐の時代に持貞、貞村と将軍家の男色関係?の側近に挿げ替えられる事があったが、この系図からすれば、直系なので惣領を相続してもおかしくはないのだね。

106: 日本@名無史さん 2007/01/31(水) 19:53:46
まさに嘉吉の乱後の赤松討伐戦で、則村系・幕府方(赤松貞村、満政、有馬持家、持彦)VS範資系・反幕府方(赤松満祐、教康、義雅、祐尚、孝橋則繁)
の対立構図になっているのだね。。。

126: 日本@名無史さん 2007/04/01(日) 18:48:28
赤松範資って、赤松則村の長男ではなくて、従兄弟だという説があるんだけど
どうよ?

132: 日本@名無史さん 2007/04/02(月) 05:23:44
>>126
そのことは、わかるように書いてある系図もあります。
範資は、則村の兄だったか弟だったかの子で、則村の養子になったという説が有力です。
範資の没後に、則村の実子(三男)・則祐が赤松家総領になって、範資の子・光範が北摂の守護代になったのは、そのためと思われます。
しかし、範資の次男・朝範は則祐の楢子(ゆうし=養子に次ぐ地位)になって朝則とも名乗っていますので、則祐はそれなりに範資の子たちに気を配っていたのではないかと思います。

133: 日本@名無史さん 2007/04/02(月) 10:27:31
範資と則祐って、読みはどちらも「のりすけ」ですか?

134: 日本@名無史さん 2007/04/03(火) 02:40:18
>>133
どちらも「のりすけ」です。
しかし、則祐は「そくゆう」と読むこともあるようです。

136: 日本@名無史さん 2007/04/03(火) 20:57:51
>>134
則祐は法名ではないのですよね?
確か法名は別にあったと思うし。

137: 日本@名無史さん 2007/04/06(金) 01:31:56
>>134
則祐は本名です。法名ではありません。
父の則村の場合は、本名よりも法名の「円心」の方が有名ですね。
則祐も僧姿の坐像が残っていて、出家してからも活躍していたようですから、当然、法名があるでしょう。

139: 日本@名無史さん 2007/04/07(土) 16:43:53
則祐の法名は妙善。

引用元: ・播磨赤松氏について語るスレッド




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