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1: 有馬豊氏 2006/06/27(火) 16:13:42 ID:eORHitTx
有馬豊氏は、久留米藩を創った方です
     
キリシタン大名の有馬晴信とかとは違いますが、関係なく語りましょう(=^O^=)
実は、競馬の有馬記念も戦後の有馬家に関係あります!
九州男児というだけでも歓迎です♪








15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/01(土) 20:49:31 ID:MZzWvl9W
有馬にしろ、別所にしろ、赤松姓に戻すことは考えなかったのだろうか?
赤松の方が由緒ある苗字だが。
もしかしたら、「赤松記念」と名前も違ったかもしれん。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/06(木) 14:16:05 ID:KojK1AQ9
>>15
赤松の本家的な家はあるから=石野・・ 三千石余→五千石余の旗本

有馬記念の有馬頼寧伯爵は、革新華族の代表格
近衛文麿のブレーン
貧しい子供への援助、ハンセン病患者救済などに尽力
衆議院議員、貴族院議員、農相などを歴任
ちなみの彼は中央競馬会二代理事長
中山グランプリ創設→急逝後二回以降有馬記念に

こりゃ現代の話か、ここらでやめとく

20: 有馬豊氏 ◆vUV/BCDyjk 2006/07/17(月) 00:47:52 ID:y81awebR
>>19
現代に近い話でも大丈夫にしましょう(^O^)
最近、白洲次郎の本を2~3冊見かけますが、近衛文麿と同じく登場しますよね。
たしか白洲さんの勤めていた水産会社の社長を務めてもいた…うる覚えですが。

いろいろな時代に様々な有馬が登場するので、ネタ切れの心配はありません。

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/06(日) 23:26:38 ID:XcfI9gia
>>19
石野家は、別所家の分家で血筋的には赤松の本家とは言えない。
まだ有馬家のほうが赤松本家と名乗る資格はある。

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/08(火) 16:27:39 ID:uFIsn5e+
>>47
有馬、石野とも則佑の子の流れ

有馬は義祐
石野は持則(別所の別れ)

有馬の方が本家に近いちゃ、近い

128: 人間七七四年 2007/10/09(火) 03:19:18 ID:rh08+7OK
>>51
超亀レスだが

石野家は赤松円心の長男範資(七条)の流れで、赤松政則の養子になった義村の兄弟の流れ。義村の又甥の氏貞から石野を名乗り始めた。本格的に名乗ったのはさらにその孫らしいが。

有馬家は円心の三男則祐の甥から名乗り、赤松政則の時に一時重臣から担ぎ出される所までいったけど、その後嫡流が途絶えてる事から、則頼系は宗家からは意識的にもかなり遠くなってたのかもしれない。

宗家も元々範資の後は則祐が継いだり、その範資系の義村が後々継いだりしてるから、どっちが宗家に近いかは何とも言えないが、石野が赤松姓に復している所を見ると、意識としては石野のほうが近かったのかもね。一時的に名乗ってる感が強いしね。
有馬は則頼親子の処世術と運の強さで生き残っていった感じか。
その後も転封なしに明治まで行ったのはこの一族の強運を物語っている。
今の有馬家の人々が、太平記や円心などにどれだけ意識があるかは興味深いね。

121: 人間七七四年 2007/08/20(月) 23:49:49 ID:XySJkal4
さっき立ち読みした『江戸300藩 殿様のその後』という新書に有馬豊氏のことが書いてあった。大坂の陣の時に領地の福知山から大坂まで近道で行こうとしたら、家老が伏兵に奇襲されるかもしれない、どうしても行くならワシを殺して通れと諫言したそうだ。
この話を聞いた家康は大いにこの家老をほめたと言う。
この本には載ってなかったけど、この話って家老が諌めたのも家康がほめたのも杭瀬川の戦いを意識しているよね。

最初に運が開けたのは渡瀬詮繁の改易だろうが、大坂の陣後の大加増も戦功というより運良く筑後一国32万石の田中忠政が改易されてその領土を立花宗茂とわけあったって感じだよね。
こんな運の良い大名他にいないので競馬ファンにとっても縁起が良い。 
25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/20(木) 14:20:49 ID:9OYjOJEo
豊氏さんちょっと整理してください

・藤原純友の後裔を名乗る肥前の有馬氏
・村上源氏赤松氏流で秀吉に仕えた有馬氏

で北畠流は江戸に入ってからの有馬名乗りましたよね

26: 有馬豊氏 ◆vUV/BCDyjk 2006/07/20(木) 21:10:12 ID:Qz6IvqHz
>>25
其の通りだと思います。
北畠流は確か2番目の赤松出身の有馬(久留米)を本家としているものの、血縁関係ではなかった。と記憶しています。

27: 有馬豊氏 ◆vUV/BCDyjk 2006/07/20(木) 21:12:28 ID:Qz6IvqHz
>>26
血縁関係でなかった証拠に北畠流は譜代大名。赤松流は外様大名。
であったかと……。

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/20(木) 21:50:58 ID:djycgZPs
北畠流って大名なの?

29: 有馬豊氏 ◆vUV/BCDyjk 2006/07/21(金) 21:43:15 ID:KjqP5+n/
北畠流の有馬氏が幕末に消滅する際、全く関係ない者がたくさん「有馬」を名乗ったともあります。

>>28
「武闘派公卿」と書いてありました。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/24(月) 16:26:52 ID:aCMKNkm0
豊氏さん

>北畠流は譜代大名
>武闘派公卿

これって関連するんですか?

31: 有馬豊氏 ◆vUV/BCDyjk 2006/07/26(水) 15:58:03 ID:6gsUlC4Z
北畠流が武闘派公卿でした。

1万石ですが上総吹上藩にも有馬家があります。
将軍:徳川吉宗に紀伊から取り立てられた家ですが、久留米の有馬を宗家としているそうです。よって、こちらが譜代らしいです。

・赤松流(久留米藩)
・藤原純友流(有馬晴信)
・北畠流(武闘派公卿)
・紀伊陪臣流(吉宗による登用)
現時点での確認で4つに増えました。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/27(木) 13:34:24 ID:JKIBdTxE
豊氏の家って、父則頼の時、宗家滅亡で台頭しるんだね
則頼の祖父則景は、宗家の持家の四代後裔とされるみたいだね

34: 有馬豊氏 ◆vUV/BCDyjk 2006/07/28(金) 23:36:12 ID:Px16JSYe
>>32
そうですね。
赤松義祐が摂津有馬郡の地頭に任ぜられた時に有馬を称してますね。

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/02(水) 11:50:17 ID:CYl+4rJu
有馬豊氏ってついてるよね
渡瀬詮繁(豊氏は詮繁の家老)が、秀次事件に連座して改易~所領三万石が何故か豊氏のものに
関ヶ原+親父則頼の所領を併せて、八万石
大坂の陣で活躍し、久留米十一万石

38: 有馬豊氏 ◆vUV/BCDyjk 2006/08/02(水) 23:43:16 ID:Fn8f/Cwi
>>37
渡瀬詮繁の秀次事件は運が良過ぎですよね(笑)
ちなみに渡瀬詮繁の家臣も引き受けてます。
有馬豊氏は秀次関連武将なのに、秀吉に直仕してます。

運が良いと言いますか、先見の明があったと言いますか……
とにかく面白い歴史を持ってます(笑)

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 11:02:36 ID:EPr7+mWz
運がいいのは、旧主の所領をそのまま安堵されてること

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/06(金) 01:42:49 ID:Gtdh4N/3
有馬みてると戦国時代にコツコツと戦功をたてて石高を増やしていった大名たちが可哀想になる。
3万石だったのに関が原で6万石に倍増。
大坂の陣で一気に20万石を超える大大名。

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/06(金) 23:58:47 ID:u76jlwdg
傍で見てるとまさにありま~って感じ>豊氏の出世

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/25(水) 17:52:03 ID:s90xtKET
何気に紀州藩経由でもう一度おいしい思いをしてるよな

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 14:25:48 ID:F5YQ8O5P
御側御用取次の有馬氏倫、伊勢西条一万石のことか
この人の先祖は豊氏の子で、徳川忠長に仕えた頼次でいいのかな?

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 15:04:53 ID:N4eDnktx
暴れん坊将軍の爺、有馬彦右衛門のモデルの人か。

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 15:44:57 ID:F5YQ8O5P
加納五郎左衛門なら知ってるが・・・
そういえば有馬一郎・・・

と古くて、しかも大脱線して申し訳なーい

64: 有馬豊氏 ◆vUV/BCDyjk 2006/10/31(火) 21:12:52 ID:rCxqM+SJ

暴れん坊将軍の爺って有馬彦右衛門って言うんですか!?
へぇ~(^O^)知らんかったです。
マツケンさん「爺」でしか呼ばないからなぁ~(笑)

氏久(紀伊有馬2代目)の正室が、堀親賢(飯田堀4代目)の娘。
氏恒(紀伊有馬3代目)は堀親蔵(飯田堀6代目)を父としてます。
どうやら紀伊有馬は、飯田藩堀家と深い繋がりがあったようです。

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 01:47:24 ID:gHq1yuOW
暴れん坊将軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/暴れん坊将軍

初代:加納五郎左衛門
次代:田之倉孫兵衛
三代:宍戸官兵衛
四代:有馬彦右衛門

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/02(木) 10:54:56 ID:ZIBqnL/H
>>67
そう、オレが見てたのは初代です
加納と有馬は御側御用取次として有名ですね

116: 人間七七四年 2007/05/16(水) 13:35:42 ID:/Won5qyq
晴信系の話になるけど、直純の室は家康の曾孫ということだが、誰の孫だろか?

117: 人間七七四年 2007/05/18(金) 14:11:28 ID:RKsBLI8T
家康ー信康ー熊姫(本多忠政室)ー国姫(直純室)だな

127: 人間七七四年 2007/09/28(金) 15:04:10 ID:JzvaUG9B
豊氏の家は 久留米に入ってから転封もなく明治に至ったのは立派。

130: 人間七七四年 2007/11/01(木) 13:54:44 ID:j1E7J5mS
この有馬氏は有馬温泉の有馬が由来なんだ。
一方晴信の方は肥前国高来郡有馬庄が由来。

131: 人間七七四年 2007/11/10(土) 12:52:23 ID:XhFapVo6
そういや6代目の有馬則維は石野家からの養子だってね。
その石野は有馬の親戚だし、どっちが本家に近いも何もなくなってきてるなw
1つの血統だけで数百年維持するのがいかに難しいかわかるね。

132: 人間七七四年 2007/11/10(土) 14:41:54 ID:P5g0EIJm
ホントだね
>旗本300石石野則員の二男で、初代豊氏の弟有馬豊長の子有馬則故3千石の養子となっていたが、宗家に後継がなく急遽養子となる。

宝永三年(1706)襲封か

133: 人間七七四年 2007/11/10(土) 17:09:02 ID:hTdiy4G6
>>132
300石の旗本から一躍20万石の太守か。すごいな。
江戸中期以降、おしろいなどや閨の制度のおかげで、大名が血統を維持するのが難しくなってきているんだなあ。

134: 人間七七四年 2007/11/10(土) 20:49:19 ID:XhFapVo6
300石の旗本の次男坊だとさらに少なくなるんだろうな。
親父の石野則員も3000石くらいの赤松の二男か何かだしね。
他にも意外な旗本が大大名の嗣子になってそう。
旗本が旗本の養子くらいだといくらでもありそう。

137: 人間七七四年 2007/12/02(日) 09:06:26 ID:ViB6ZJdl
途中で一揆起こされてるのに存続したのもすごいな
あと一介の大名に宮様が降嫁したのとか

138: 人間七七四年 2007/12/06(木) 09:59:17 ID:v/Ulh/IF
幕末まで続いた家って一悶着あるよな。
それがまた面白いんだけど。

161: 人間七七四年 2008/02/04(月) 13:43:12 ID:Pt4ud8i2
有馬といえば、とりあえず有馬記念があるだけですごい名前だ。
汚さないでくれよ。

162: 人間七七四年 2008/02/18(月) 16:57:42 ID:QQoFmhHK
有馬頼寧って華族の中では名物男だね。

169: 人間七七四年 2008/04/03(木) 15:50:37 ID:CqKpUeA4
豊氏の評価はどうなん?ラッキーボーイの感があるけど。

173: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/02(月) 16:03:50 ID:dUhBsu4Q
>>169
運は確かにいいわな。

170: 人間七七四年 2008/04/17(木) 15:25:57 ID:gGd03Ms2
有馬則頼の活躍もあります

172: 人間七七四年 2008/05/16(金) 14:01:57 ID:VwxIsYmM
則頼は秀吉にくっ付いて離れなかった印象が。

引用元: ・【ありま?】有馬家綜合スレ【競馬ですか~?】




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