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1: 世界@名無史さん 2005/06/24(金) 21:12:36 0
一千年におよぶビザンツ帝国の歴史をいろどった周辺諸民族との関係についてかたりませう。
サーサーン朝、スラヴ人、ブルガリア人、アヴァール人、西突厥、ヴァンダル人、ゴート人、アラブ人、ノルマン人、ヴェネツィア人、ジェノヴァ人、セルジューク朝、アルメニア人、カタルーニャ人、 オスマン朝…
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321: 世界@名無史さん 2006/11/30(木) 02:06:29 O
わずか数千の兵から決起し、虚栄心のかたまりの暴君ユスティニアヌスの過酷な重税から多くのローマ人を解放した若き東ゴート王トティラに幸あれ

322: 勝利者ユスティニアヌス 2006/12/04(月) 23:22:55 O
>>321
氏ね、バルバロイどもめ!

324: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 15:57:43 0
ビザンツの英雄を3人ほど教えてください

325: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 23:24:28 O
ベリサリウス
ヘラクレイオス
バシレイオス2世


ベリサリウスとヘラクレイオスは晩年がな…

327: 世界@名無史さん 2006/12/26(火) 00:18:00 O
>>325さんに基本的に同意だが
前に書いたような気がするが、バシレイオス2世というより彼の配下のマニアケス将軍が英雄の名にふさわしいのでは?
皇帝死後も彼の活躍で領土を維持できたのだから(謀反の疑いかけられ謀殺されるが)
あとアレクシオス1世、ヨアネス2世父子も英雄候補ではないかな
ビザンティンの始まりをコンスタンティヌス大帝まで遡らせるなら、もちろん彼も文句なしに英雄だろう

335: 世界@名無史さん 2007/02/07(水) 08:21:37 0
やはりイスタンブールを取り返さないとビザンツの復活はありえないな

336: 世界@名無史さん 2007/02/07(水) 11:07:01 0
復活する必要は無いでしょう

339: 世界@名無史さん 2007/02/07(水) 20:56:23 0
誰が皇帝になるんだ?ギリシャ人?

340: 世界@名無史さん 2007/02/07(水) 22:08:44 O
>>339
少なくとも、東方正教会の信者でギリシャ語がわからないと駄目だな。
ただ、イギリスとイタリアにバレオロゴス朝の末裔がいるから、それを担ぐのもありか。

341: 世界@名無史さん 2007/02/07(水) 22:16:13 0
>>340
そんな人がいるんだ
東方正教は絶対だなw

344: 世界@名無史さん 2007/02/08(木) 15:09:49 0
今なら王族の人がマルタ騎士団のように建国できるんじゃないかい?
西洋ならわりとやりそうな気がしそうだが

345: 世界@名無史さん 2007/02/08(木) 15:26:07 0
市民と軍と元老院の承認はどうする?

346: 世界@名無史さん 2007/02/08(木) 16:03:58 0
>>345
シーランドを見ればそれほど大した問題ではないだろ

347: 世界@名無史さん 2007/02/08(木) 18:00:11 0
自分の周り人のビザンツに対する評価が
「鍵のかけ忘れで滅亡した情けない帝国」「文化だけ認める」「弱腰外交国家」
とかばっかりで悲しくなる・・・

348: 世界@名無史さん 2007/02/08(木) 18:50:44 O
外交は弱腰じゃなくて「狡猾」なんだけどね。「戦わずして勝つ」が基本方針だし、あの立地条件で四方の敵にいちいち兵を出してたら、国が持たない。

まあ、外交下手な島国の国民には理解されにくいよな。

349: 世界@名無史さん 2007/02/08(木) 20:37:47 0
西欧にも理解されにくかったわけで。
けっきょく苦労なんて当人にしかわからんてか・・・

352: 世界@名無史さん 2007/02/08(木) 22:30:40 O
>>349
西欧諸国も、後には悪く言えばずる賢い外交を覚えたけどな。

350: 世界@名無史さん 2007/02/08(木) 20:38:48 0
鍵のかけ忘れで滅亡したのはラテン帝国じゃなかったか

352: 世界@名無史さん 2007/02/08(木) 22:30:40 O
>>350
ビザンツだよ。5月29日の夜に、大城壁のケルコポルタ門という門の通用口に閂をかけ忘れた。まあ、仮に閂がかかっていても、遅かれ早かれオスマン軍に城壁突破されていただろうが。

363: 世界@名無史さん 2007/02/11(日) 23:34:54 0
全然関係ないんだけどビザンツ料理ってのはどんな感じだったんだろう?

ローマ料理→ビザンツ料理→ギリシャ料理
こんな進化してったんだろうか?
個人的には宮廷料理は発達したのかが気になる!

昔読んだ本には魚のフライとかがでて、豪華だったと書いてあった。(今からすれば大した事無いけど)

あと、教皇の使いの坊さんが料理に魚臭くてまずいソースばっかかけるから最低だと言ってたが、このソースってもしかしてガルム?!

367: 世界@名無史さん 2007/02/12(月) 18:22:05 0
現代ギリシャ料理はテュルク(トルコとはあえて書かない)の影響をモロに受けてる希ガス。

369: 世界@名無史さん 2007/02/12(月) 19:19:13 0
トルコ料理といってもケバブぐらいしか知らない俺ガイル
ギリシア料理ってイメージ薄いよな~
イタリアの隣みたいなもんだけどさ

370: 世界@名無史さん 2007/02/12(月) 21:13:09 0
ギリシャ料理って書いたげど実際に食ったこは無い・・
トルコの影響受けてんだ、

トルコ料理に魚を使うのはビザンツの影響かな?

371: 世界@名無史さん 2007/02/12(月) 21:27:15 0
海のそばにやってきたからでしょう

373: 世界@名無史さん 2007/02/12(月) 23:51:18 0
>>371
普通に考えればそうだが、もともと遊牧民だから調理技術とかは影響を受けたのでわ?


372: 世界@名無史さん 2007/02/12(月) 22:08:59 0
ギリシアでもバクラヴァが食されていると知って驚いた。
トルコでもイランでもシリアでも大人気だが、ギリシアもなんだ。

376: 世界@名無史さん 2007/02/13(火) 07:50:17 O
今のトルコ料理も、ギリシャ料理も、トマト入ってるし、タラモはジャガイモ入
ってるからなぁ…。
377: 世界@名無史さん 2007/02/13(火) 18:42:57 0
新大陸の食材は偉大だな

パンとかの方が伝統的なものが残ってそうな気がする
正教会のミサとかで使うだろうから

378: 世界@名無史さん 2007/02/13(火) 19:28:54 0
正教の聖体拝領のパンはイーストが入ってない。
平べったい硬くてパサパサで酸っぱい。

379: 世界@名無史さん 2007/02/13(火) 19:51:01 0
現代にビザンツ帝国が残っていたら

人口:1700万人
首都:コンスタンチノープル (人口970万人) 
政治:立憲君主制
宗教:国教はギリシャ正教
領土:コンスタンチノープル、トラキア・マケドニア、エーゲ海諸島、エフェソス周辺
言語:ギリシャ語。英語、イタリア語、トルコ語も広く通用する。
主要な産業:観光業、手工業、出稼ぎ
経済レベル: GDPは香港をやや下回り、一人あたりGDPでは香港の3分の1程度。
国内の政治問題:マケドニア分離独立運動
EU:そんな西側の作った組織には乗らない。



381: 世界@名無史さん 2007/02/13(火) 22:11:11 0
実に弱そうなビザンツ帝国(いまなら共和国か?)だが、地域的には世界で一番住んでみたい国かもしれない。

382: 世界@名無史さん 2007/02/13(火) 22:15:37 0
>>380のような領地になると、半月の本土と点在する星のような形になるな。
エーゲ海諸島のうち、どこまでをビザンツ領にできるかによって観光立国としてのパワーが変わる。
東エーゲ海だけか、ミコノスやサントニーニが含まれるのかでエラい差だ。

383: 世界@名無史さん 2007/02/13(火) 22:44:08 0
そういや、ギリシャはトルコから独立する際、コンスタンティノープルを組み込めなかったことを今でもうらんでいるらしいね。

コンスタンティノープルがギリシャのものになっていたら、アヤソフィアでの荘厳なミサが見られたのになぁ。

385: 世界@名無史さん 2007/02/13(火) 23:18:58 0
アヤソフィアで泣いて、俺らのもんだって言ってたギリシャ人の人がテレビに出てた。どっかの民族と被ったなぁ

ギリシャってトルコに攻め込んだよね、負けたけど・・・
もし勝って、アナトリア併合出来てたら皇帝としてギリシャ王は即位したのだろうか?

まあ、その後、悲劇が待ってるんだろうけどw

388: 世界@名無史さん 2007/02/13(火) 23:54:41 0
アテネとコンスタンチノープルの両方が新生ギリシャ共和国(または王国)の領土になったとしたら、首都はどっちになるんだ?
結構国内の地域対立に発展しそうな気もするが。

390: 世界@名無史さん 2007/02/14(水) 00:10:33 0
確かにどっちかな?

ウィキのメガリ・イデアの項にはコンスタンティノープルを首都にしようとしていたとあるが揉めそうだなw
アナトリア取れたら統治にはコンスタンティノープルの方が便利そう。
そして、コンスタンティノポリス総主教とアテネ大主教が激しく喧嘩するwww

391: 世界@名無史さん 2007/02/14(水) 06:11:15 0
列強が国際管理するコンスタンチノープル自由市(または自由国)なんてのも考えられていたらしいな

396: 世界@名無史さん 2007/02/14(水) 10:01:02 0
ボスポラス海峡って今でも戦略的に重要な地点なんでしょうか?

398: 世界@名無史さん 2007/02/14(水) 12:39:26 0
>>396
中世に比べれば重要度下がってるにしても、今でもたいした要衝だよ。

397: 世界@名無史さん 2007/02/14(水) 10:15:02 0
やはり、コンスタンティノポリスだろ。
なにせ、ビザンチンの都、正教の都だからな。
ギリシャ人にとってはアテネより重要な地だろう。

411: 世界@名無史さん 2007/02/15(木) 21:43:22 0
しかし、ビザンツは古代ギリシアとは相当隔絶した存在。
古典古代のギリシア叩きとは無関係だと思うが

412: 世界@名無史さん 2007/02/16(金) 04:39:12 0
でもないと思うよ。
ロゴスを重視し、ギリシャ哲学を重視し、哲人王を理想とし、ギリシャ語を話し、市民兵に近い農民兵をもち、商業に活路を見出し、なんと言っても地中海文明の体現者と言える。そもそも古典文化を温存しイスラームや西欧に伝えたのはビザンチン人、つまりギリシャ人のインテリだよ。

また西欧、特に内陸部、より地中海沿海部に関心が高かったのも似ている。そして古代ギリシャの先進地域は元々小アジア近辺の植民地だよ。半島周辺は寧ろ後になって発展した地域だ。

更には都市国家の一つアテネの全盛期は32年間のペリクレス独裁時代だし、アテナイ人はペルシャの皇帝制度に憧れてもいた。ビザンチンでその理想を現実化したとも解釈できる。

413: 世界@名無史さん 2007/02/17(土) 21:23:29 O
>>412
ビザンツというと、古代ギリシャ・ローマとの断絶を強調したがる奴がいるからな。
ホントは古代から受け継がれた面と、変化した面の両方を見ないといけないのだが。

415: 世界@名無史さん 2007/02/21(水) 06:33:30 0
栄光の再征服の時代は過ぎ、煽りや釣りが横行し、帝国は再び長き停滞の時代へと進んでいきます、そして、ゆっくりと、しかし、確実にこのスレは滅んでいきます。
だって、そういう国でしたから

416: 世界@名無史さん 2007/02/21(水) 15:45:51 0
トルコの軍旗が翻ったコンスタンティノープルを船の上から万感の思いで見届けるのも悪くは無いジャマイカ

417: 世界@名無史さん 2007/02/21(水) 22:06:34 0
滅びるから美しい。
むしろよく1000年以上続いたと褒めたたえてもいい。

427: 世界@名無史さん 2007/02/26(月) 02:10:35 0
ここを見てるとバシレイオス2世は名君だと考えられているようだが、本当にそうなのか?

彼の大土地所有抑制政策は時代をみて無かったし、緊縮財政は経済発展を阻害した、そして彼の領土拡張政策はすでに限界点に達していた。後継者問題も彼の失策の一つと言えるだろう。さらに彼の政策のいくつかはは前任者たちの模倣である。

バルカンに直接勢力を伸ばしたことはそれまでアナトリアが帝国対してに持っていた突出した地位を喪失させ、内戦でそれまでのイスラームとの戦いで重要だったアナトリア軍事貴族の力を削いだことは後の首都の文治派の台頭とマンツィケルト後の悲劇を生み出す遠因となった。

このように彼の時代は多くの問題を含んでいた、これこそが後の急激な衰退の原因の一つではないだろうか?

彼は教科書でのユスティニアヌスのように良い面だけ語られている人物の一人では無いのだろうか

428: 世界@名無史さん 2007/02/26(月) 12:52:19 O
>>427
ビザンツの場合、誰を取っても他国のように手放しで称賛できる名君はいないからねぇ…後継者対策は明らかに失敗だと思うけど。

430: 世界@名無史さん 2007/03/01(木) 00:19:15 O
>>427
どの国でも最盛期=限界点なんだから、繁栄を支えてたシステムが崩れる兆候が出て当然。政策が前代の模倣だというが、成功している路線をわざわざあそこで転換する必要がどこにあったのだ?
バシレイオスの失敗は緊縮財政で経済を停滞させたことと、何より自分が独身で弟にも息子がいなかったのに、まともな後継者を用意しなかったことだな。


とにかくビザンツの歴代皇帝は手放しで褒められる人が少ない。ヨハネス2世けらいか?

431: 世界@名無史さん 2007/03/03(土) 01:21:50 0
>>430
ヨハネス2世は優秀だと思う、ただ彼の治世は情報が少ない・・・
それゆえ実態が掴みにくいのが難点(もちろん彼のせいでは無い


最近モンゴルの映画が公開されるけど、コンスタンティノープルはなんでモンゴル帝国に攻撃されなかったんだろうね?帝国伝統の贈り物戦術で乗り切ったのか?

コンスタンティノープル=財宝→(゚д゚)ウマー
てな感じで攻めてこんかったのだろうか
まあそんなに財宝はなかっただろうが・・・

432: 世界@名無史さん 2007/03/03(土) 13:28:47 0
フラグの嫁さんがキリスト教徒で、ビザンツと組んでイスラム諸国を挟撃しようとしていたから。
そんで地中海に出た辺りでマムルーク軍に大敗して勢力拡大する余力が無くなった。

434: 世界@名無史さん 2007/03/03(土) 18:29:42 0
モンゴル諸ハン国の親ビザンツ的姿勢はキリスト教徒に親しんできたことが理由なんだろうなぁ
でも、イルハン国はビザンツを攻めなかったか? キプチャク=マルムーク=ビザンツ三国同盟を崩壊させるために。

あと、モンゴルがコンスタンティノープルを攻めると言ってきたことがあったらしい、その時は、お祈りしなきゃ! (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
てな感じだったらしい。

ソースはギボンだが・・・・・ 

647: 世界@名無史さん 2007/04/07(土) 00:22:37 0
>>434
諸ハンの支配下にはイスラム教徒の方が多かったからキリスト云々というよりも「敵の敵は味方」というやつでは?
それとテサロニキやコンスタンティノープルの防備を見て攻め取るより味方に付けた方が徳と思ったとか

435: 世界@名無史さん 2007/03/03(土) 23:32:31 0
ビザンツはモンゴルの恩情で助かりました
ビザンツ軍が優秀なモンゴル騎兵勝てるわけないよ!!
バイバルスのおかげで征服されなかっただけ!

436: 世界@名無史さん 2007/03/04(日) 06:40:14 0
>>435
地形的にちょうど攻めにくいところだったんだと思う

437: 世界@名無史さん 2007/03/04(日) 13:05:52 0
当時の国際情勢が複雑だったからな、うまく乗りきれたのはミカエル8世のおかげだろ
しかし、あの時代は英雄が多かったなぁ

もしコンスタンティノープルにモンゴル軍が攻めてきてたら落ちたのだろうか?

440: 世界@名無史さん 2007/03/04(日) 20:49:38 0
海軍が無いからモンゴルじゃ無理だろ

441: 世界@名無史さん 2007/03/04(日) 22:20:32 0
襄陽は長江に面していて水路から補給を受けられるので、モンゴルが大艦隊を組織して制江権を奪うまで難攻不落を誇った。
コンスタンティノープルも海路から西ヨーロッパが真面目に支援していたら、かなり持ちこたえたかと。

443: 世界@名無史さん 2007/03/06(火) 12:34:32 0
>西ヨーロッパが真面目に支援していたら
そのころの西欧は、まじめに支援したくても、イギリス、フランス、神聖ローマの勢力が拮抗していてオスマンへの有効な対抗策が見出せない状況だったから支援は無理だったのではないでしょうか。

444: 世界@名無史さん 2007/03/07(水) 20:21:41 0
モンゴルがポーランドに攻めて来た時は支援して欲しいとローマ法王に依頼したらしいが
各国はあんま動いてないな

446: 世界@名無史さん 2007/03/15(木) 04:23:49 0
ビザンチンの人間って、いつごろラテン語を捨ててギリシア語を喋るようになったのでしょうか?

447: 世界@名無史さん 2007/03/15(木) 05:42:26 0
7世紀には公用語もラテン語からギリシア語へと変わった。
こうして東ローマ帝国は「ローマ帝国」と称しながらもギリシア人・東方正教会・ギリシア文化を中心とした国家となった。

450: 世界@名無史さん 2007/03/15(木) 07:05:09 0
>>447
ありがとうございます。7世紀と言うとイスラムが勃興して東ローマが中東やアフリカを地域を完全に失った頃ですね。
言語の変化は、その辺も少しは係わってくるのかな?

451: 世界@名無史さん 2007/03/15(木) 07:33:17 0
>>450
たぶん地元のギリシャ系が権力を握りたかった
西欧文明とは違う東方正教文明に飲み込まれたのではないかな

452: 世界@名無史さん 2007/03/15(木) 23:48:10 0
>>451
7世紀に東方正教文明なんてあるか?
カトリックが分裂したのは11世紀だろ。


453: 世界@名無史さん 2007/03/16(金) 00:20:25 O
>>452
すでに5世紀の「アカキオスの分離」の頃から東西教会対立の傾向はある。

あと、ローマ帝国以前のヘレニズム時代から東地中海ではギリシャ語が広まって
たでしょ。

457: 世界@名無史さん 2007/03/20(火) 04:23:23 0
>>453
文明と言えるほど明確な差異は少なくとも8世紀のイコン論争以後と見るべきだろうな。
神話にしても哲学にしても言語にしてもギリシャ文化の影響なんてものは古代ローマからある。
正教はもともと異端の集合と言われ、単なる一過性の異端論争で分裂と言うのは無理がある。
まだまだ融合が進んでいたからこそ異端が勃興していたと見るべきで、
それが飽和状態になったのがイコン論争だろうな。

引用元: ・★ビザンツ・周辺諸民族関係史★




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