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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 15:09:41 ID:KW5filkU0
荀彧(163年 - 212年)は中国東漢末期に曹操に仕えた政治家。字は文若で、諡は敬。
曹操の下で数々の献策を行い、曹操の覇業の基を作った。


関連記事【曹操覇業の功臣】荀彧について語る







305: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/10(木) 13:00:34 ID:Y25qMgW00
曹操みたいに異常に感情の起伏が激しい奴に仕えるのはきついんだろうなあ

307: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/11(金) 19:11:13 ID:ZZj2CNltO
しかし最近の流れを見ると、荀イクのようなのを部下に持った曹操の方もきつかったんじゃないかと思うな

もし荀イクが、曹操自身以上に曹操を皇帝にしたかったとすれば、彼にそうまで思わせたものは何だったんだろうか、とか考えてた

実は誰よりも後漢を憎んでたのが荀イクだった、なんて言ったら小説的だね

308: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/12(土) 14:34:36 ID:Hsuohe9N0
・曹操を天子にして腹心の俺がキングメーカーとして権力の頂点に立ってやるぜ(野望説)
・漢?何それまだいたの?それより早く新しい天子で世の中をまとめないとさー(魯粛の同類説)
・殿こそまさにヒーローっスよ!殿以外に天子に相応しい奴なんかおらんのですよ!(曹操ラブ説)
・基盤固めなんてとんでもねーよさっさと統一して死んでもらってその後の権力は俺/漢帝国が…(策士説)

こんぐらいしか思いつかんかったよ

314: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/29(火) 12:25:22 ID:M3XmwrX1O
結局、この時代はまだ王朝に対する忠誠が絶対的なものじゃあないんだよ
暴虐な天子がいれば打倒も辞さないし、より天子に相応しい人物がいればその人物をもり立てる
長年続いた漢に対する思慕みたいな感情もあっただろうが、我々が一般に考えているほどには強くなかったと思う
ジュンイクもそう
大体ジュンイクは当時の過激派何ギョウから「次の時代の王を助ける逸材」と評価されてるくらいで、乱世を救う新たな天子の補佐役なんだ、という自負を持っていたんじゃないだろうか
つまり漢のことは早くも見限っていたということだ

332: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/07(木) 00:30:06 ID:I+iTBrKI0
荀文若が清流であるとか儒教的な正当性に可な男だとかいう先入観で考えるから見えてこないんだ。 むしろ逆なんだと。
そう考えれば彼という男が見えてくる そして納得がいかなかった彼の行動にも納得がいく。曹操と対立したのはあくまで彼にとってのメリット
つまり利害問題に過ぎなかったのだ。

333: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/07(木) 00:45:04 ID:PvzO+rln0
「漢の皇帝を傀儡にして馬鹿どもをコントロールして天下取っちゃおうぜ!」
っていうのが荀彧の策だったからな
魏公・九錫が禅譲の前段→漢の皇帝がいなくなる→傀儡に出来なくなる
というわけで、自分の策の否定である以上、素直に賛成は出来ないわな

334: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/07(木) 02:49:16 ID:XdHsft320
>>333
別に傀儡いなくたって荀彧には問題ないだろ
問題なのは魏公になる事による批判の出現

337: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/07(木) 20:57:31 ID:Pslr0Kv30
>>334
なぜ批判の出現があるとまずいの?
荀彧が天下を狙っていたという説に従えば、むしろ批判があった方が荀彧にとっては好都合のはず。
だって曹操を陥れることができると思うんだけどな。

そもそも、荀彧がもし天下を狙っていたらどんな風に手に入れたかったんだ?
帝になりたっかのか?それとも実権を持つ存在になりたかったのか?
自分が帝になりたいなら話は別だが、権力者になりたかったら、風前の灯火のような献帝なんかとっくに廃してしまうと思うよ。
だって実際問題、№2の座に君臨して許の政治のほとんどを掌握してたわけで・・・
さっさと曹操を帝にして毒殺→息子の摂政として実権握るの方が手っ取り早いじゃないか・・・!

342: 332 2008/02/08(金) 01:45:56 ID:+mDeu2B20
念のために言っておくが荀文若が天下を取るために曹操と競いたいとかそういう意味は全くない。後漢荀氏の成り立ち、そして荀文若は彼一人のための荀文若にあらず 彼の発言内容と時期、そして彼が発言しなかった(記述がない)時期と環境。
そういう観点から見るのだ。

俺の持論は割愛するが荀文若が天下がどうこうという事を考える男というのは絶対に有り得ない。


347: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/08(金) 10:53:33 ID:xTcFktzd0
スタンダードに曹操と「名士」の対立と見る論が一番納得しやすいんだがなあ。
荀彧を「漢の忠臣」と見る必要も無くなるし。

348: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/08(金) 12:17:14 ID:aGqb7JOdO
曹操と名士というよりは名士間の争いという感じかなあ
曹操に従っているという意味では味方だけど、その中で派閥争いがあるわけだ

郵政族=ジュンイクたち豫州族
みたいなもんで、魏公問題の時にジュンイクが抵抗勢力の親玉として切られたということだな

349: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/08(金) 15:45:50 ID:lOrHzeQx0
>>348
でも荀彧をぶった切る直前に人材登用では求賢令出して荀彧路線を強調してるけどな
荀彧は切るけどもそれ以外は大丈夫だよ、って感じで

350: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/08(金) 19:38:22 ID:fnksy44M0
求賢令が荀彧路線というのは良く解らんけど、荀彧が能力の無い者は親族でも用いなかった、から?
まあ、
>荀彧は切るけどもそれ以外は大丈夫だよ
まさにその通りなんじゃないか。荀彧の周囲まで根こそぎするわけにはいかないわけだから。

とはいえ、>>348「名士間の争い」と言うなら荀彧らと対立する側にいた面子って誰だ?
董昭はエン州の出だが… 他に思いつかないな

351: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/08(金) 22:24:03 ID:Cha0C1KI0
>>350
元から居た穎川閥とも言えるような曹操軍閥初期からの豪族勢力
徐州を併合する時に同盟に近い形で参加した徐州の豪族勢力(曹操生前はまだ半分独立勢力みたいなもの)
袁紹を打ち倒して冀州を制圧して組み込んだ冀州の豪族勢力(立場が滅茶苦茶弱い)
後漢の元々の主流派だった長安とその近辺の豪族勢力

352: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/08(金) 22:37:51 ID:fnksy44M0
>>351
で、当の荀彧が豫州穎川じゃあ対立するほどの閥が存在しないじゃないか?
曹操と荀彧の対立を閥や勢力の構図で見るのが正しいとするなら、曹操(曹家の長として)と名士の対立と見るのが素直じゃないかと思うんだけどね。

353: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/08(金) 23:45:16 ID:Cha0C1KI0
>>352
有力なのが後漢主流派だった司~雍辺りの豪族
有力なんだけど遅くに曹操に付いたので、穎川豪族に占められた美味しいポジションを曹操を魏公に押し上げて自分達にも回してもらおうと考えた可能性あり

358: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/09(土) 09:32:51 ID:iqtvsLi80
>人材登用では求賢令出して荀彧路線を強調

むしろ逆だと思うんだが
それまでの曹操陣営って荀彧の絡みで同じ潁川の面子が幅を利かせてた感じなんだし、荀彧を牽制するって意味合いの方が大きい様な

359: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/09(土) 11:17:56 ID:5SGBn8kp0
名士論で言えば求賢例は荀彧路線ではないよな。
荀彧もれっきとした名士であって、名士的名声による人材登用を行う方針なんだから。

360: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/09(土) 12:23:08 ID:QB79mGMY0
郭嘉は潁川の人間で、まさに豪閥政治なんだよね。
戯志才、陳羣、遅れるが鍾ヨウと政治の中核にいた人間は多く潁川人で占められている。
この登用の偏りは非難されるべきものではなく、むしろ、弱小の時期に信頼に値する強固な文武の補佐が得られるか否かが、大成の要件と言ってもいいと思う。
次に多いのは多分エン州人だけど、東郡の陳宮・程イク、済陰の董昭。
陳宮の叛乱を豫州閥との絡みで見るのは面白いけれど、同郡の程イクがそれを防ぎとめた功労者だったりと、纏まりが無い。

救賢令は、そういう「群雄・曹操」の時代から脱却して、中原を支配する政治の構造を作り直すものだったと言える。荊州で敗退するまで毎年戦争続きだったしね。
となると、潁川閥の領袖である荀彧との対立は、そういう意識のずれが背景にあったと見ることも出来るかもしれないなあ。主因と見るのは厳しいが。

362: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/09(土) 13:00:09 ID:nH5HoTtp0
求賢令によって拾い上げられたのって誰がいるんだろうな

内容的には、「宦官の孫」曹操一族、「宦官の婿」荀彧、「佞人」董昭、「人肉」程昱、「酒乱」郭嘉といった、早くからいる曹操の中核に該当者が多い

364: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/09(土) 17:04:38 ID:dR0icvKjO
>>362
武官だが、于禁や満寵なんかも裴松之は非難してたな

誰がどこ出身でいつ登用されたかをまとめてる論文があった気がする…

365: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/17(日) 13:26:18 ID:x/2az9Y00
>>364
「漢代の豪族社会と国家」曹操政権の性格について

367: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/18(月) 00:46:52 ID:riecm7ji0
>>365
著者は?

368: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/18(月) 07:53:22 ID:623n8z7vO
>>367
五井直弘

コピーしてあると思いきやページ数が多くて諦めたのを思い出した…

370: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/27(水) 12:15:19 ID:mzHEKyBWO
九品中正って求賢令の延長上みたいによく位置付けられるけど、九品中正の理念に「徳行や人格が悪くくても能力があれば取り上げる」って部分が含まれていたっけ?

371: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/27(水) 12:27:32 ID:7guLuHNQ0
>>370
渡邉氏とかの名士論からすれば真逆
「名声よりも才能」が求賢令 名士層に不利
名声に応じて品を定めるのが九品 名士層に有利

372: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/27(水) 23:53:16 ID:gf6D7or/0
陳羣自体、名士中の名士だしな。

373: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/29(金) 16:09:20 ID:6AEoTT3f0
九品は親の功績とかを考慮するシステムだったからね

求賢は制度そのものより「能力重視」のニュアンスに意味がある気がする
これがなきゃ科挙とかも違う形になってたろうからな

曹操が布告するまでは劉備や孫権も家柄でリクルートしてたからね

374: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/29(金) 17:33:47 ID:2puYo1K/0
>>373
どこが

劉備はもっと早くから能力重視だったろ

375: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/29(金) 17:43:52 ID:6AEoTT3f0
>>374
劉備はべつに能力重視じゃねーだろ
ていうか、えり好みするほど人いねーよ

383: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/01(土) 02:01:25 ID:RofOMZy/0
>>375
劉備ほどガッチガチの能力主義者もいないぞ
それが為に前半生は豪族達と折り合いが悪かったんだし
張飛が1回失敗したら20年経っても許してくれなかった程にえり好みしてるし

384: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/01(土) 13:26:35 ID:vXG4NBjR0
>>383
ここでいってる能力重視っていうのは官僚の雇用体制のことだ
最初の宿無しの先頭集団だった頃とはニュアンスがちがう
国を持ってからとってた人材は荊州出身の名士や土着豪族がほとんどだもの

だいたい劉備陣宮に人材がいなかったのなんて明らかじゃないか

385: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/01(土) 15:47:24 ID:RofOMZy/0
>>384
劉ショウの政治基盤をそっくりそのまま受け継ぎつつ政権上層部に劉備の幕僚が入り込む形なんだから当たり前だろ
劉備陣営に人材はいただろ、徐州からの連中とか、豫州からの連中とかいくらでも

386: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/01(土) 18:12:33 ID:vXG4NBjR0
>>385
人材がいたなら荊州に信頼できる部下が関羽一人って状況にはならんかったでしょ

それまでの雇用体制っていうのは儒教的理念にそぐわない連中は官僚の推薦に引っかかることすらなかったんだって
それを求賢令っていう具体的な形にしてそういう弊害は無くしてどんどんリクルートしていきましょうっていうベクトルに持ってったから偉かったんでしょ

蜀や呉の雇用体系だってそれ以前はまず儒教ありきだったんだから。

388: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/01(土) 18:38:20 ID:uq4vm9Fs0
>>386
俺は最近思ってるんだが、「求賢令」は過大視すべきでないと思うんだよね
あれはどっちかっていうと、実力はあるから乱世でのしあがったが後ろ指さされそうな者への批判を封じるような効果の方が大きかったと思う
つまり曹操自身やその一族、高官・腹心といった連中だね
袁氏を打倒するなど世の中を安定に近づければ近づけるほど、実力がものをいう乱世は遠ざかり、かつてのように人格や家柄がものを言う時代が近づく
そうなると乱世の申し子である曹操や腹心たちが低く見られる恐れが出てくるわけだ
それを封じ、「乱世が終息に向かってるけどあくまでも能力に重きを置く任用をつづけるよ」という宣言が求賢令

しかし、曹操のおひざ元である丞相府や魏国で人事をつかさどった毛カイたちの任用基準は人格に重きを置くものだった
求賢令がどこまで機能したのかは不明だね
あるいは軍や地方官などでは求賢令基準で、政府高官などのエリートコースでは実質人格優先だったのかもしれないな

389: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/01(土) 18:47:21 ID:vXG4NBjR0
>>388
前述したが俺は制度そのものより「能力重視」のニュアンスに意味があると思う

実際の機能はともかく雇用体系のベクトルを決めたものの基礎として無視は出来ないと思うんだよね
とにかく後漢ってのは儒教でガチガチの時代だったらしいから

378: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/29(金) 23:21:12 ID:x1Ri411K0
晋では、九品中正の反対者は反対理由として「九品中正は戦時の臨時的な任用法だ」と言ってるんだよな

392: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/01(土) 21:30:36 ID:xC8FSMUU0
後漢のガチガチな登用制度、豪族の利益誘導的な推薦の中からでも、後漢末期を彩った数々の英雄・官僚が輩出された。中には無能な者も居たが、エリートコースに乗った人物達は、概ねは一角の人物だ。それは乱世という時代の潮流そのものが、無能者を推薦させない風潮を作り上げたからだと思う。
支援する相手が無能だったら、道連れにされてしまうしね。

そうした時、求賢令というのは、能力をもって人物を集めるという事への批判を交わし、強いては低い身分・声望から抜擢された者の信用を担保する結果を生み出したんだろうね。鄧艾や石ホウなんかが高位に上り詰める事ができたのが良い例だろうな。

毛カイらが声望を重視したのは、人材を登用する機関にある側からすれば、声望くらいしか採用基準が無かったからじゃない?
毛カイらがイチイチ各地に赴いて働きぶりを見るわけにも行かない訳だし。

394: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/01(土) 21:51:35 ID:RofOMZy/0
>>392
求賢令の上手く働いた例として鄧艾を挙げるのは何か違うんじゃないか?
全く別ルートの司馬氏の子飼いとしてたまたま司馬氏の台頭に合わせて出世出来た面が大きい
能力云々、品格云々とはまた別問題の魏の政権構造と司馬懿の立場が存在してて、そのお陰で付録としての出世だし
(鄧艾に能力がないと言ってるわけではないぞ)

求賢令は魏晋における人材登用のエポックメイキングな事件かもしれないが決定的とまでは言い難い
九品官人法の登場を以って中世中国的人材登用の開始と考えるべきだな
とは言え九品官人法も司馬懿の変法によって後々有名無実化し、貴族社会を形成する下地となってしまうし
本格的な科挙の始まるもっと後世までは本格的な中世とは言い難いんだがね

396: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/11(火) 21:13:48 ID:CacCRYi70
「中世中国的人材登用」というのは「貴族社会を形成する下地としての九品官人法」のことではないかな。
「(実務的な能力の上での)実力主義の人材登用」というのは結局、近代に至るまで中国には登場しなかったと思う。
曹操はその意味で異端だったと思うが、論衡とか王安石と同じように異端であることを過大評価しすぎ。
異端であるということはつまりは賛同者がいないということで、賛同者がいないということは政治の場では何ら意味を持たないということに他ならないわけで。

410: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/23(日) 22:52:05 ID:mqzbfWN/O
イヤ、曹操も人材は大事にしたけど、言われてるほど能力至上主義者じゃないよ。敗者に対しての寛容さを表すエピソードが、能力主義者であることの宣伝に使われたりしてる。
曹操の価値観が、能力だけに向いていたわけじゃなく、切るべきと判断したら、能力があろうと切り捨ててる。その辺は天下に志がある者に共通している。

現状の曹操評を考えたら、むしろ儒学に傾倒してるって言った方が、バランスがとれるかもしれない。

そのぐらい曹操の実像からズレている。

411: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/23(日) 23:08:45 ID:UORLbb0L0
うーん。俺はむしろ逆かな。
敗者に対しての寛容さを表すエピソードが曹操のヒューマニズムを表してると思うんだよね。張遼とか徐晃とか、ついこの間まで敵だった人間をどしどし重要な局面に使うのはやっぱり凄いと思うのよね。

賊軍であり教義とかもろもろの面で異端である青州兵を自軍の中核に組み込んだ所とか五斗米道に寛大だったところとか考えるとやっぱりそこらへんは他の人間より抜きん出てたと思うんだよな。

412: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/23(日) 23:30:34 ID:dbWAZ/HS0
ヒューマニズムかねえ
寛容だから使ったのか、そういう裏切り者でも使っていかないと勝てなさそうだから使ったのか
使いこなしたのだから優れていたのは確かだと思うんだけど、敵だった勢力を取り込むのはそんなに珍しい話でもない
(曹操を褒めるべきは、青州兵に好き勝手されても自由に怒れないという状況でありながら使いこなしたことだ)
五斗米道の本拠漢中を全面的に強制移住させたり、そんなに寛大だったのだろうか、という疑問もあるなあ

414: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/24(月) 21:06:09 ID:XpKW+4UV0
俺はそこは切り離して考えられないと思うんだ

裏切り者も使っていかなきゃならないほど切羽詰ってた事情ってのは確かにあったと思う。でもそういう連中に降伏させてすぐに重要なポジションを任せて能力を発揮させる機会を与えるってのは並じゃ出来ない人事だと思うんだよね。

五斗米道に関しては宗教の自由を認めたって点で寛大だったと思う。強制移住は今にしてみりゃ大問題だけど当事なら国家事業の一環として考えられると思うだけどどう?


415: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/24(月) 23:08:57 ID:QKuzTxhk0
ふと思ったんだが、張魯が厚遇されたのは間違いないけど、五斗米道を信じていた住民が「宗教の自由」を与えられたって証拠はどこにあるんだろう

418: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/25(火) 12:16:23 ID:heE4Xy7sO
張魯やその家系は後の道教の源流になったかもしれんが、当時五斗米を信奉した民に信仰の自由が与えられたかどうかは分からないのではないの?
まあ教祖様だけでも保護したんだから、積極的な保護ではなくても五斗米信者を特に弾圧はしなかったのかもしれんが
若い頃の曹操とは逆のことをしたことになるのが面白いな

419: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/25(火) 19:04:55 ID:P05cKhjLO
基本的に淫祠邪教は取り締まる。
個人の範疇に収まり、公共良俗に反しない限り、自由は認める。
そんなの統治の大原則。曹操だってその例にもれない。

自身は信じてなくても、実害がない限り取り締まらない。
そんなの取り締まる方が無理がある。そんな非現実的な事はしないし、してない。

根本的に誤解してると思う。

420: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/26(水) 08:46:42 ID:OaY8mO3g0
済南で取り締まったのを邪教と言い切るのはどうなんだ。(確かにそう記録されてるが)
五斗米道を実害が無いと言い切るのはどうなんだ。(道教系の叛乱は起きてないっぽいが)

単なる地方長官と、統一を視野にいれた君主という立場の差
ただの一地方の城陽景王信仰と、漢中を自治するほど巨大な五斗米道の規模の差
そこらへんのほうが大きな要因じゃないのかね。

422: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/12(土) 14:07:17 ID:3LUXcmqK0
>>420
論旨は分かるが城陽王信仰を軽く見すぎじゃないかと思った。

423: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/13(日) 18:55:37 ID:ZBqaSf7f0
城陽景王はなんであんなに信仰されたのやら

424: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/13(日) 20:29:51 ID:ehiR5w2e0
中国では悲劇的な最期を迎えた人物が信仰の対象になるのはよくあること。
伍子胥や項羽等も信仰の対象とされたことがあるらしいし。

城陽景王信仰は新末の反乱集団の赤眉軍に利用されたこともあるし、政府の側としては厳しく取り締まろうとするのも当然だろうね。

425: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/13(日) 20:30:34 ID:Vfph2g6V0
>>424
城陽景王の最期って悲劇的だったんか?

427: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/13(日) 20:46:06 ID:XQ81li0O0
>>425
呂氏誅滅の功労者で大国に封じられることが確実視さりながら、文帝と帝位を争った斉王の弟だったことから冷遇され、小国の王に追いやられて不遇の死を遂げた。

429: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/13(日) 22:35:00 ID:Vfph2g6V0
>>427
その程度で悲劇的?って気がするけどな
文帝に暗殺されたという風説でもあったのかもしれないな

451: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/06(火) 19:56:01 ID:8uZlHXKH0
本題に戻とりあえず荀攸とのスタンスの違いでも語ってみるか。

452: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/06(火) 20:09:25 ID:UQAArG840
荀彧
数多くの人材を推挙。
ぶっちゃけ、曹操の政治機構は彼が作ったと言っても良いぐらい。
曹操が遠征する時は本拠地の留守を担当。
皇帝や朝臣の監視も行っていたと思われる。
名実ともに曹操陣営のナンバー2.

荀攸
智略に優れた参謀。
大局的な計画よりは、局面を打開する局地的な策略を得意とする。
政治への関与は荀彧と比べると少なかったと思われる。

453: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/07(水) 08:06:08 ID:A9VtwPVU0
>>452
なるほどなー。

荀イクは晩年に曹操と意見対立してる訳だが、荀攸は曹操に九錫を受けろと進言してるよな。魏国の尚書令になったしな。
何というか二人の国家観にも違いがあるような気がするんだがどう思う?
荀粲の批評もその事に関係してるんじゃないかと思うんだが。

455: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/07(水) 20:16:19 ID:blONDOec0
『通典』監軍軍師祭酒・理曹掾屬附
「・・・魏荀攸為軍師,軍国選挙及刑獄法制皆使決焉。」
荀攸は国政のあらゆる分野に参画してるんじゃないの

456: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/09(金) 03:14:37 ID:5l1OY9d10
荀攸は董卓暗殺計画を練ってたり、捕まって投獄されても動じなかったりとしてけっこうカッコイイ。

459: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/09(金) 19:52:51 ID:HiFdKwto0
>>455-456
そうすると荀攸の方が活躍し過ぎというか、荀イクの出る幕がないというか、ぶっちゃけ荀イク何してたん?みたいな感じになってくるな。
本当は荀イクより荀攸の方がばりばり働いてて役に立ってたんじゃないの?

460: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/09(金) 20:09:40 ID:zDwH7pKR0
>>459
荀彧は多くの人材を推挙し、本拠地の留守を守っている。
これは常に曹操に随行していた荀攸には出来ない仕事だ。

461: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/09(金) 20:39:27 ID:3yLaxJyf0
わが子房と言われてたけど蕭何っぽいよね
荀攸が張良で陳平はいっぱいいるw

462: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/09(金) 20:46:48 ID:Sw0Qbmux0
>>461
いや張良で合ってるよ
荀彧がやったのは国家のグランドデザイン、大まかな戦略策定で同じ
荀攸がやったのは現実の目の前にある問題解決で陳平の類

引用元: ・【曹操覇業の功臣】荀彧について語る




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