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1: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 16:31:12
よく分からないのだが・・・









2: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 16:32:43
天皇家に決まってるだろ

3: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 16:36:00
徳川家は腕っ節で天下を取ったのかそれとも天皇家から任されてたのか

24: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 17:40:27
>>3
家康に限らず、尊氏や頼朝も腕っ節で天下を取り、天皇から「任される」というカッコウを採ってきた。
あ、秀吉や清盛も文官系だけど同じ事だな。
当然「任す」方が格上。

4: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 19:50:03
天皇の喪、将軍の喪
では、圧倒的に将軍のほうが長いのよん。

将軍の方が日本では重要であるということを天下に知らしめる目的。

5: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 20:21:09
徳川歴代将軍の官位は従一位~正二位で、官職は太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣。
征夷大将軍として大政を委任されていた。大政を委任されていたから慶喜は大政奉還を行った。天皇の政(まつりごと)であるから「大政」といい、それを委任されていた将軍が天皇に還し奉るから「奉還」という。
大政奉還は大政委任なくしてはありようがない。大政奉還はあった。
ゆえに、大政委任があった。

6: 日本@名無史さん 2006/12/10(日) 20:36:12
「江戸幕府初代将軍である徳川家康が、東照大権現という神号をもち日光東照宮にまつられていることは、日本人の常識である。『権現様』『神君』『東照宮』と称されて、徳川将軍家、旗本、譜代大名、さらには外様大名まで、カリスマとしてその精神的な拠り所、精神的支柱として重要なイデオロギー面での役割を果たし続けた。だが、東照大権現の神号をおくり、神としてまつったのは、将軍ではなく天皇であった。将軍には絶対まねのできない機能なのである。

そして、神格を与えられた家康をまつる神社は、当初は日光東照社であったが、それに一段高い格を 与えて日光東照宮としたのも、幕府が勝手にやったのではなく、天皇であった。徳川家康を神にまつり、その社に宮号をおくったのは天皇なのである。天皇なしに日光東照宮も東照大権現もこの世になかった。」

藤田覚(東京大学文学部教授)「幕末の天皇」(講談社選書メチエ)

因みに藤田は東大でも有名なマルキスト教授の左派でもある。

17: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 00:40:14
将軍補佐役であった松平定信は、15ヶ条からなる「御心得箇条」を将軍に
提出した。その中にこうある。

古人も天下は天下の天下、1人の天下にあらずと申候、まして60余州は、禁廷より御預り遊ばされ候御事に候へば、仮初にも御自身のものと思召すまじき御事に御座候。

征夷大将軍は天皇の統治権(大政)を委任されているだけであることを、幕閣の重職にあった松平定信自身が将軍への諭しとしている。

18: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 02:02:57
>1
格は天皇が上。そんなの当たり前。我が国で天皇より上などない。
天皇の父が上皇で院であっても、格は子供の現天皇のほうが上。
問題は実質。院は誰を天皇にするかに容喙したが、その逆はない。
幕府は誰を天皇にするか容喙するが、朝廷が誰を将軍にするかに容喙はしない。

22: 日本@名無史さん 2006/12/11(月) 17:10:35
大政委任論は幕府の政策
定信の政治施策

綱吉くらいから出てきた文治政策の一環
そこを読み違えると歴史観は誤る
藤田もそこは押さえている。
幕末にこれを利用したのが薩長

35: 日本@名無史さん 2006/12/13(水) 16:06:41
大政委任論は幕府の政策なんだけど。何か?

37: 日本@名無史さん 2006/12/13(水) 23:34:42
>>35
大政委任論は、近世初期の浅見絅斎や山鹿素行が既に唱えており、本居宣長がそれを発展させたんだよ。
幕府自体も、大政委任論を権威付けの根拠にしていたよ。天皇から大政を委任された征夷大将軍であることが、幕府の統治の拠り所。

38: 日本@名無史さん 2006/12/13(水) 23:56:49
まあ、武家権力に反感を持ってる奴らには朝廷をちらつかせ、一般向け・対外向けには武家が日本国の統治権の主体であったと。
この点から、どっちが上かは明白。

実質的にも、武家は朝廷をコントロールできたけど朝廷は武家の言い成り・あるいは武家権力の範疇でしか行動の自由を許されなかったわけで。

41: 日本@名無史さん 2006/12/14(木) 04:49:46
格式の上下を問うならば、権威の頂点である天皇が上に決まってるじゃん!

42: 日本@名無史さん 2006/12/14(木) 05:42:44
天皇 統治者・神道教皇
徳川 大統領

43: 日本@名無史さん 2006/12/14(木) 17:25:58
はい基本中の基本
武家の憲法 御成敗式目
ここにね、
「これから、武家は直接天皇より官位をもらっちゃだめだよ。将軍が天皇から官位をもらう窓口だから君たちは将軍からもらうんだよ。」
って事になった。 結果、日本中の武家が全部将軍の下に集まる事となった。
でもその権威の根本は、朝廷からの官位

朝廷が直接官位を将軍以外にも出したら、将軍が統率できなくなるっていう理由

即ち、将軍が天皇より上ってのは全くありえない。

53: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 03:01:28
日本の場合、形式的に言えば「将軍は天皇の弟」だ。

55: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 03:28:28
>>53   
ちがう

将軍は天皇の臣下「朝廷内の征夷大将軍と言う一役職名」
朝廷の長が「天皇」だから将軍は正二位クラスの低い身分でしかない。

57: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 12:56:34
将軍家の方が格上とかいう奴、大丈夫か??
権威と権力の違い分かる?
将軍家は言ってみれば世襲している軍人首相みたいなもの。
内政・外交の権限を任されているだけ。
「じゃなぜ開国の時に朝廷を相手じゃなく幕府を~」っていうのも、各国要人が日本に来た際、交渉するのは首相でしょ?

62: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 20:45:17
疑問なのだが京の朝廷を攻めて天皇の権威を力ずくで奪う事とかできなかったの?

64: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 22:34:17
>>62
そんなことをすれば全国の大名、特に西国諸大名を敵に回すことになる。
幕府は西国大名が参勤交代の際に入京することを禁じていたのは、朝廷と結びつくことをおそれたから。

63: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 21:30:53
力ずくで奪うことが出来るのは「権力」。「権威」の方は国や時代で違う。
この国の最高の権威の必要条件は、アマテラスの直系であることなので力で奪うことはムツカシイ。
やろうと思えば出来たかもしれないが、温存する方が楽だったんだろう。

65: 日本@名無史さん 2006/12/16(土) 23:39:28
朝廷にそこまでの「値打ち」があったかちょっと疑問だな。
諸大名をまとめる権威があったのなら、そもそも戦国時代にならないと思ふ。

75: 日本@名無史さん 2006/12/17(日) 08:45:25
権威はあるけど権力は無いってのが生き延びてこられた要因だと思うな
実際天皇に権力まで備わってたら今までづいてたか怪しい
その時々の権力者の良い様に天皇の権威を利用しながら共存できた

86: 日本@名無史さん 2007/01/03(水) 02:27:57
黒田なんとかって学者が中世の天皇家・武士・寺社の相関関係を表現した学説あったよね。あ~記憶力の低下がもどかしい。

戦国大名はなぜあれだけ官位を欲しがったのか。既存の権威を悉く破壊した織田信長も官位をもらい右大臣にまでなっている。幕府を開くには征夷大将軍という官職を天皇家から賜らないといけない。しかし天皇家には武力がない。よって日本を統治する能力もない。武士には権力があるけど権威がない。天皇家は権威があるけど権力がない。お互いが対立する関係ではなく補完する関係であるみたいな。

87: 日本@名無史さん 2007/01/04(木) 14:39:10
あー、そういうのほぼ定説だよね。

ただ井沢氏じゃないが、何で日本では「権力→権威」にならなかったかは説明出来てないよな。
中国では劉邦や朱元璋みたいな人でもいったん天下を取ると、「天命が下った」ってことで皇帝になれるけどココじゃ無理。
「天壌無窮の神勅」信じてた訳じゃないよな?

92: 日本@名無史さん 2007/01/15(月) 11:59:29
>>87
天皇が神の直系子孫なんだから「天命が下った」なんて無効にきまってるだろ。

93: 日本@名無史さん 2007/01/15(月) 12:10:28
権力を握った者はその正当性を権威に保障してもらいたい
欧州やイスラム諸国では宗教がそれを行っていた
中国では勝ったものが天命を受けた、負けた者は失ったという後出しの正当化を行った。
日本の天皇は天命を代行するもの、その意味では現人神

97: 日本@名無史さん 2007/02/18(日) 21:38:02
実は「名目的な君主」と「事実上の君主である世襲軍人首相」が鼎立した例というのは、日本だけじゃない。
アッバース朝イスラム帝国の君主(カリフ)も、中期以降ブワイフ朝・セルジュク朝(・ファティマ朝)のトップに、将軍(スルタン)の位を与えていた。実質的権力ゼロのアッバース朝を誰も倒せなかった(倒したのはモンゴル)のは、アッバース家がマホメットの血筋だったから。

というわけで「権力は無くても血筋か良い」人というのは倒しにくいのだよ。
日本の天皇家も同じようなものだったのではないかな。

104: 日本@名無史さん 2007/02/19(月) 19:38:34
ウガンダ共和国にも伝統的部族王だったブガンダ王というのが、政治的実権のない文化的な王として公的に認められてる。

106: 日本@名無史さん 2007/02/19(月) 20:25:39
トンガの場合本来の王が祭祀王になって分家が政務を執っていたけど、
そのうちそれも形式化してそのまた分家が実権を握ったそうだ。
その後その実権を持っていた又分家が正式に王となり、それが今の王家。

ベトナムも最後の皇帝のご先祖は先王朝の権臣。その死後娘婿に実権をとられてしまい南に逃げて半独立王朝、ところが叛乱で滅ぼされて甥だけ逃亡。
その後傀儡皇帝共々北の政権も反乱軍に滅ぼされるが、フランス人神父の援助を得たりして皇帝に即位。
叛乱がなければまだしばらく傀儡皇帝の元で南北鼎立が続いたんだろう。

117: 日本@名無史さん 2007/02/21(水) 08:59:44
結局積み重ねだから、一度権威がかたまってしまえば、外から別の権威を持ってくるか、大失敗で権威が失墜椎名限り、取り替えるのは難しいんだよね。元々ころころかわって権威が安定しない時は簡単だけど。
英仏だって王朝は変わっても、初期を除けば一応前王朝・前々王朝との繋がりを権威付けに使っているし。大義名分があると反抗しにくいし、力は正義がいつも有効じゃあないんだよね。
島国とか宗教関係は権威が確立しやすいってことはあるな。

125: 日本@名無史さん 2007/02/21(水) 20:50:05
格って話になればどう考えても天皇。
現実世界で権力を有していたかとかそういった話は別。

139: 日本@名無史さん 2007/02/22(木) 04:46:26
>1
格は、つまり形式上は、くさっても、どこまで行っても天皇が上。
しかし江戸時代には(幕末より前)、実質は逆転してた。
いや、室町後期ぐらいからかな。いや、もっと前からかな。

169: 日本@名無史さん 2007/02/25(日) 13:38:40
天皇の存在は有史以来ほとんどが権威の象徴みたいなモンだからな。

179: 日本@名無史さん 2007/02/25(日) 18:07:11
>>169
「有史以来」はちと言い過ぎ。
壬申の乱の頃までは、普通に国家君主として軍事力をもち、それを行使していた。

180: 日本@名無史さん 2007/02/25(日) 21:31:12
院政期も「治天の君」=譲位した前天皇が国家の最高権力者。
院政は天皇制の一バリエーションにすぎない。普通に天皇家に権力があった。

引用元: ・天皇家と将軍家はどちらが格上だった?




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