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1: 日本@名無史さん 2005/09/19(月) 19:04:09
高貴な方から庶民まで大いに語ろう。
関連記事【1】日本女性の名前について







185: 日本@名無史さん 2007/09/19(水) 20:37:03
柳原愛子

ただし「なるこ」と読んだ

186: 日本@名無史さん 2007/09/19(水) 20:38:18
>>185
親父が柳原光愛(みつなる)だから、女官が親父の名前を一字もらうのは普通だな。

198: 日本@名無史さん 2007/10/07(日) 22:08:31
とりあえず歴史上の女性の名前(訓読み)を知りたければ、日本語の口語発音の時代的な変化については、当然知っておく必要がある。

橋本進吉博士の「古代国語の音韻に就いて」は必読。

220: 日本@名無史さん 2007/10/19(金) 00:46:32
>>198
その本、ネット上で全文読めるみたいだね。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000061/card510.html

226: 日本@名無史さん 2007/10/21(日) 09:57:38
古代は○○子という女性名はなかったよね。
子がつくようになるのは平安初期だけど、皇族は少し遅かったのかな?

228: 日本@名無史さん 2007/10/22(月) 04:37:32
>>226
「~こ」と読める女性名ならそれ以前から普通にあるだろ。
聖徳太子の妃の刀自古(とじこ)とか。
ただ古代の人名の漢字は、基本的に当て字だから、漢字表記が一定しないだけ。
女性名の「~こ」という発音の漢字表記が「~子」に一本化され始めるのが、平安初期くらい。

229: 日本@名無史さん 2007/10/22(月) 08:54:15
>>226
文武天皇夫人藤原宮子
聖武天皇皇后藤原光明子

充分奈良時代だが・・・・
最古では、たしか、雄略天皇の愛妾に「子」がつく女性がいたはず。
飛鳥時代にも「子」がつく女性がいたが、「古」と表記されるもあり、統一されていなかった。
奈良時代の宮子や光明子の時代には概ね「子」に統一。
貴族女性の名前がほぼ「~子」に統一されるのは仁明天皇の頃?
それ以前は「こ」がつかない女性名も多かった。

231: 日本@名無史さん 2007/10/22(月) 15:47:41
なんでまだ「子」を名前の一部だと思い込むかなあ。すでに回答が出てるのに。

617 名前:日本@名無しさん[sage] 投稿日:2006/09/29(金) 00:05:34
>>612
「子」を女性の名の一定形と考えるよりも、××号や○○丸のような漢文体の書に用いる女性名の接尾語のように考えるべきです。

元々は、検索されているページにある大名兒(おおなこ)のように、「△△コ」という呼び方があって、それが△△子に変わっていったのでしょう。平安時代の唐風文化の普及と共に頻用されたことに注目してください。

でも、そんな彼女たちでも和文体の手紙ではしばしば「△△」と書きますし、口語では目上からは「△△」、他人からは「お△△さん」と呼ばれる。宮城(きゅうじょう)では「△△子」と呼ばれることもありえはしますが、まず以って称号や通称で呼ばれる人たち。

元々は、あくまで中国式の書の中での名前だったということです。

ですから、「子」をつける区分けの本質的なところは、身分によるわけではない。
(漢文体であった)公文書に名が記される人たち、(漢文体の)書をしたためる人たち、そういった人たちが書の中で「△△子」と残しているというだけです。極端に言えば。
ですから、農民や平民でも漢文なんて書かない女性は「子」がつかない。
使わないからです。

庶民にも広まるのは、宮廷文化が市井に広まる江戸時代以降。
維新後、姓名が一人一形式に定められ、さらに皇民意識が高められていく明治後半、后妃にあやかった一種の流行として「△△子」は爆発的に普及していくことになるのです。

232: 日本@名無史さん 2007/10/22(月) 15:56:23
つまり歴史上の「・・子」という名前は、たまたま和語で「コ」という発音になる名前の当て字か、「孔子」や「老子」と同じ敬称。
「お言葉ですが」で高嶋俊男も子は敬称であるという話を書いている。

233: 日本@名無史さん 2007/10/22(月) 21:15:25
平城天皇以前の娘の内親王は子がつかないけど嵯峨天皇以降の娘の内親王は子がつくよ

235: 日本@名無史さん 2007/10/23(火) 00:21:47
>>233
公式な文書において「女性の名前」に敬称として「子」を付けるようにある時期からなったというだけのこと。

237: 日本@名無史さん 2007/10/23(火) 12:21:04
>>235
子が敬称なのはともかく、命名の傾向そのものもはっきり違わないか?
詳しくは知らないけど、古代は皇子女の養育に関係した氏族名がそのまま皇子女の名前になったと聞いたような。でも嵯峨天皇以降は、むしろ今に近い命名感覚のように見える。

ところで時代下るけど時姫とか祐姫とか正妃とかって、あれは「ひめ」 まで含めて名前と思っていいの?

236: 日本@名無史さん 2007/10/23(火) 00:33:44
幸田文=幸田文子
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/honmonji_bosho.html
「幸田文子之墓」とあるのは露伴の次女で作家・随筆家幸田文(あや)の墓です。

露伴の姉妹である幸田延、幸田(安藤)幸もそれぞれ延子、幸子とも書かれる。

津田梅=津田梅子

238: 日本@名無史さん 2007/10/23(火) 14:22:35
嵯峨天皇が皇子皇女の命名に際して、中国風の諱を初めて導入した。
但しそのまま音読みをしても趣がないので、人名訓と呼ばれる訓読みを編み出した。

239: 日本@名無史さん 2007/10/23(火) 14:58:45
天皇の后妃たちには嵯峨天皇以前から~子というものが 何人もいたのだから、嵯峨天皇が考案したというものでもないだろう
あるいは皇子女の養育者である部の制度が廃れ、宮中に仕える女官が乳母に任命されるようになるに伴い、臣下の者たちのような諱を名乗ることに変更したのかも

240: 日本@名無史さん 2007/10/23(火) 15:44:15
嵯峨天皇の命名法は、
皇族身分に残す皇子・・・漢字2文字(うち1字は兄弟間の通字)
皇族身分に残す皇女・・・漢字1文字+子
臣籍降下させる皇子・・・漢字1文字
臣籍降下させる皇女・・・漢字1文字+姫

そして使用する漢字は、これまでの慣習ではなく、漢字の意味を考えて 良い字をつけるという方針にした。

また特に兄弟間で2文字のうち1字を通字にするという命名法は、中国において同じ一族の同じ世代の男子に共通の1字をつけるという命名法と発想が同じであり、以後院政期頃まで皇室や多くの公家の家に見られる命名法。

294: 日本@名無史さん 2007/10/27(土) 04:13:54
>>240
>臣籍降下させる皇女・・・漢字1文字+姫

藤原良房室の源潔姫(嵯峨天皇皇女)なんかこのパターンだな。


242: 日本@名無史さん 2007/10/23(火) 21:00:48
投下しとく
『華族家の女性たち』小田部雄次著p249より

明治18年1月1日 「華族の婦人名には必ず子をつけよ」との命令が出される。

244: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 00:29:10
皇族身分に残す皇女・・・漢字1文字+子
臣籍降下させる皇女・・・漢字1文字+姫

これが事実なら、明らかに「子」は敬称だな。
「姫」を名前の一部だと思っている奴なんているのか?

248: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 09:08:13
もともと日本には「~こ」という女性名があったんだよ。
これに、「古」や「子」があてられたけれども、次第に「子」に統一されただけ。
藤原彰子の本名は藤原彰だとか、藤原定子の本名が藤原定だとかいうはずがない。
明治~戦前には高貴な名前(=~子)が義務付けられたかもしれないが、それ以前は義務でもなんでもない。

250: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 09:25:19
>>248
おいおい、彰子(しょうし)定子(ていし)が普通だろ。
実際に彼女らが「あきこ」とか「さだこ」と近親から呼ばれたと思ってるのか?

「北条政子」などはWIKIによれば
「政子」の名は建保6年(1218年)に朝廷から従三位に叙された際に、父・時政の名から一字取って命名されたものであり、それ以前は何という名であったかは不明。

というくらいだ。

251: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 10:03:46
>>250
飛鳥時代や奈良時代から、「~こ」という名前はあって、平安時代になっても、名前の読み方は日本古来の伝統を踏襲していましたよ。
それから、名前は訓読みですよ。現代ではなんと呼ばれていたか分からないから音読みしているだけ。
実際に呼ばれていたのは「中宮」とか「女御」でしょうね。しかし、勿論、正式な名前を決めるときには正式な読み方があったわけで。
近衛・二条天皇の后藤原多子の読みが「まさるこ」であったとか、記録に残っているものもあります。

252: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 10:43:46
>>251
だから「身分の高い女性の文献上の名前(とその呼び方)」と、「実際の呼び名」は全然別。

古事記で「コ」がつく名前で最初に思い浮かぶのは「ヒルコ」(水蛭子)だな。
で、どうして「コ」がつく名前は貴人以外には廃れたと思うの?

254: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 11:39:37
>>252
庶民でもあったでしょ。
庶民の名前が「まつ」とか「ねね」とか二文字になったのは随分あとの時代です。
公家のほうが、昔の名前を踏襲していたのでしょうね。
「ねね」が官位を貰うとき「豊臣寧子」と名乗ったのは公家のまねっこでしょうが。

255: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 11:46:29
>>250
貴族社会では男も女も名では呼ばれない。
実際になんと呼ばれたかにこだわれば、名前など必要なくなる。
女性ならば、
少女時代「大君(長女の意味)」→結婚後「北の方(奥様ぐらいの意味)」
少女時代「中の君(次女の意味)」→入内後「女御」
男ならば、
少年時代「太郎(長男の意味)→元服後「左中将(以後は官職で呼ばれる)」

平安時代に書かれた源氏物語に、光源氏や夕霧の名前も、葵上や紫上の名前も、藤壺や明石中宮の名前も現れないのを見れば一目瞭然。
姓は分かるが、下の名前などで呼ばれることはまずない。

258: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 17:18:09
となるとむしろ、晴れの儀式でもなければ出番のない正装みたいなものか。
ところで成人後はともかく、幼名の時はどうだったんだろう?

259: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 20:49:38
>>258
ググると平凡社の百科事典にはこんなふうに出ているらしい。

上流社会の女性名は、公式には「○子」型の諱(実名・名乗)でしたが、叙位・任官の場合を除く日常生活では通称が用いられ、鎌倉期には「薬師女、千手女、如来女、伊王女、夜沙女、袈裟女」等の仏教的な名も多く見られましたが、室町期に至って「千代女、若鶴女、松女」等の旧型も残るものの「阿茶、阿茶々、ちやち、あかか、あこ、とら、かめ、わか、いち」等の新しい名が見られ、貴族・庶民の別なく通称には「女」字の脱落と仮名書き化が相当進んだようです。
 
安土桃山時代には「女」字の脱落と仮名書き化が益々進行しましたが、豊臣秀吉の正妻「木下ねね」は、その名では叙位対象にならないとされる事から、公式の名を「平朝臣【たいらのあそん】寧子」と定めて従一位に叙されたのでした。
続いて江戸時代の庶民の女性名は「はつ、せん、せい、かめ、とら」等大部分が2文字で、これらはしばしば接頭語に「御【お】」を付けて呼ばれたようです。

260: 日本@名無史さん 2007/10/25(木) 00:42:13
だから「ねね」の本当の名前は「寧子」であり、日本女性の名には昔から子が付いている!
といった主張はまったく見当外れなわけ。

261: 日本@名無史さん 2007/10/25(木) 01:28:48
叙勲の時のねねの名は豊臣吉子じゃない?

266: 日本@名無史さん 2007/10/25(木) 09:55:07
>>261
寧子は寧々の実家(兄の子孫)の家の文書に載ってた名前だったはず。
朝廷に従一位を貰ったのときに使用したのが吉子で北政所になって公家や寺社との付き合いも増えてから元々の寧々から寧子を使用するようになったのかも。

267: 日本@名無史さん 2007/10/25(木) 19:08:54
なるほどね。まとめると、

身分の高い女性に中国風の諱を付ける習慣があり、実際の呼び名(名前)とは別にごく限定された場合に使用した。これが「〇子」「〇姫」という名前。

江戸時代には「はつ、せん、せい」といった日本人女性らしい美しい名前が多かったのに、明治から大正の教養のない人が中国風の諱に過ぎない「〇子」という名前をかっこいいと思い込んで実際の呼び名=実名として使うようになってしまった。

ってことだな。

268: 日本@名無史さん 2007/10/25(木) 19:24:14
実資が娘を「千古」と呼んだり、道長が御堂関白記の中で娘(六女嬉子)を「千子」と記しているのを見ると、これは実際に呼ばれた名前では?
ちなみに、「千古」や「千子」はいずれも未婚時、嬉子については出仕前に使われており、幼名だと思われる。

270: 日本@名無史さん 2007/10/25(木) 20:13:01
>>268

千古だと「ちふる(→大江千古)」か「ちご(稚児?)」かもしれない。
千子も「ちご」かもしれない。


http://www.kitamura.co.jp/express/column/1999/news9944.html
※リンク切れ

観音堂から津島神社までの渡御の儀式としてみこしや千子(稚児)行列が出ます。
道中の途中と拝殿の前で千子舞が奉納されます。行列が津島神社に到着すると、
本格的な祭典となります。

269: 日本@名無史さん 2007/10/25(木) 19:54:59
伊達政宗の姉か妹に「千子姫」がいるから、この場合の「千子」は「〇子」型の子ではなく単に「コ」という発音の当て字じゃないかな?

273: 日本@名無史さん 2007/10/25(木) 20:59:52
江戸時代までは日本人は女性にかなで名付けるという素晴らしい習慣があったのに、

「庶民に皇室女性の諱っぽい名前を付けるのが流行した」

という実に馬鹿馬鹿しい理由で実際には皇室でも呼び名としては使っていなかったであろう「〇子」という諱形式で漢字で名前を付けるようになったわけだな。

279: 日本@名無史さん 2007/10/26(金) 07:14:04
>>273
かな名前が素晴らしいかどうかは個人の好みにもよると思うけど、「○子」型の名前が減った今もカナ名前は少数派のままだな。子のあるなしも漢字かカナかも自分はこだわらないが、ただなるべく読みやすい名前をつけてやってほしいなと(お節介ながら)思う今日この頃…

ちなみに死んだうちのばーちゃん(大正生まれ)は、まだ子なしカナ名前だった。

280: 日本@名無史さん 2007/10/26(金) 10:59:24
>>279
台所に火の神がいるという信心があった時代には、女の子にはナベ・カマといった炊事関係のモノの名前を付けるという習慣もあったね。

いま結構多いひらがなの名前は「さくら」。

287: 日本@名無史さん 2007/10/27(土) 01:20:59
整理するとこんな感じか。

・嵯峨天皇以前
自然発生的に成立した和語の名前が男女ともつけられた。

・嵯峨天皇以降
遣唐使の菅原清公の進言で貴人は先進国である中国風の名前(男子の名前は漢字で二文字か一字、女子の名前は「○子」)を付けることになった。

これは今の感覚で言えば、「鈴木トーマス」「福田ビクトリア」といった名前を付けろと上から強制されたようなものだ。

少なくとも女性の場合は、この中国風の名前(いみな)は生涯何度かしか使わない 公式記録上の名前となり、実際の呼び名はまったく別のものを使用した(1つとは限らないが)。
庶民の女性はあいかわらず和語として自然な名前を付け、江戸から明治時代にかけては かなの2文字の名前が主流となった。

・明治以降
日清・日露戦争勝利以降の皇室崇拝熱とともに、「〇子」型のいみなが「カッコイイ」という意識が強まり、庶民が娘に「〇子」型のいみなを(それが中国風の名前であり、実際の呼び名として使われたわけでもないことを理解せずに)付けるようになった。

294: 日本@名無史さん 2007/10/27(土) 04:13:54
>>287
嵯峨天皇以降でも、女子の正式な諱で「○子」ではないタイプも存在する。
前述の源潔姫を始め、親戚降下した嵯峨天皇の皇女は基本的に「源○姫」という名前になっている。
またそれ以降でも、例えば藤原兼家室(道長母)の藤原時姫など、「○姫」というタイプの名前はあるにはある。
ただ男子の名前の漢字1文字タイプと同様に、「○姫」タイプの名前は後世にあまり流行らなかったということだろう。

引用元: ・日本女性の名前について




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