61fc6D42AkL (1)



1: 世界@名無史さん 2012/01/09(月) 20:12:28.63 0
贈与・相続と婚姻制度の関係史について語るスレです。

例えば、
・ある民族は、なぜ長子相続、末子相続というルールを選んでそれを続けているのか?
・家長の財産は、どのような範囲に、どのタイミングで、どのような方法で相続されるのか?
・相続によって引き継がれるのは、財産以外に何があるのか?
・未開社会で行われる、(近親結婚を防ぐためでもある)女性交換による婚姻制度
・各民族ごとの、近親結婚とされる範囲
・なぜある民族は、一族から成功者が出ると、みんながその一人にたかって生活するのか。
・プレゼント、お年玉、お歳暮、年賀状、賄賂、相続などの意味・役割の比較
・家族制度と共同体と社会保障の関係
・家族形態と住居形態との関係の変遷
・そもそも、なぜ結婚という制度がどの民族にも一般化し、今後もそれは継続するのか?

など、自由に語ってください。








4: 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 !kab 水 ◆TCygujgOWY 2012/01/09(月) 21:26:15.45 0 
詳しく知らなくて悪いがアステカの場合は基本的に正妻の子供しか相続できなかったらしい。
やっぱり例外があってテノチティトランの王イツコアトルだったか?この王の母親は野菜売りだったが子供のイツコアトルは王になれた。
ただ、テノチティトランの場合はクィトラワクやクワゥテモクの例にもあるように優秀な者が選ばれることがあったためイツコアトルの例外も起きやすかったんだと思う。

6: 世界@名無史さん 2012/01/09(月) 22:15:16.35 0
>・なぜある民族は、一族から成功者が出ると、みんながその一人にたかって生活するのか。

中国人のことか
(他にもそういうことする国民いたかも)

家族の単位が違うんだよね、日本とか欧米とは。
日本でも、次男が芸能人になって収入がっぽがっぽ状態になったら、長男も親も、あんまり働かなくなって生活費たかったり、事業資金を出してもらって店出したりするような感覚だろうと思う。

7: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/09(月) 22:20:56.72 0
>>6
一族全員で秀才を支援し、科挙に受かったら皆でたかったと言いますね。
家族の範囲が広く、一族の誰かが困ったら支援するが、支援しあって皆低水準という話は、沖縄についての話でも聞かれますが。

中国でも地域によるのでしょうが、海外で成功した人がたまに帰国すると、数十人の親族に一度に食事をおごらないといけないので大変だとか。ただ、老いた親を中国に残して世話してもらっている人もいるので、お互い様という面もある。

10: 世界@名無史さん 2012/01/09(月) 22:30:06.09 0
>家族の範囲が広く、一族の誰かが困ったら支援するが、支援しあって皆低水準という話は、

こういうのって、前近代社会において保険だったり、社会保障だったりの機能を果たすものとも言えるかも。
日本だと、頼母子講は似た機能を果たしたのかもしれない。

12: 世界@名無史さん 2012/01/09(月) 22:45:10.54 0
半可通なので突っ込み希望だが……

トッドによると相続には、自由に決められる相続(イギリス・アメリカなど)、子供に平等(フランス)、長子単独相続(ドイツ・日本・ユダヤ)、大家族を構成して財産をプール(ローマ・中国、イスラム)に分かれる。
ローマ・中国やイスラムの相続形態は「進んだ」形態で、民族を平等に扱う古代・中世の
大帝国を成立を可能にした。
しかし、「遅れた(進歩から取り残された)」イギリス型の相続形態が、私有財産の絶対性を成立させ、近代資本主義を生み出した。

とまあこんな感じです。

37: 世界@名無史さん 2012/01/10(火) 23:24:17.60 0
イギリスは長子相続制でアメリカは均等相続制なのか。

147: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 18:54:01.16 0
>>37
トッドは法的には長子相続だけど実際には親が決めていたと書いてる
北フランスでも慣習は自由な相続を認めているけれども実際には平等な相続が行われていたと書いてる
トッドはジェローム・リュテル・ヴィレやフレデレック・ル・プレイの著作などを参照してるみたい
あとトッドの方法論には歴史学、アンシャンレジーム学の基本として明示的な法と実際の法を区別するってのがあるから

15: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/09(月) 23:01:12.61 0
日本ですと

①姪との結婚(天武天皇と持統天皇、長谷川平蔵の父と義母)
②未亡人となった兄嫁との結婚(戦後までよくありましたね)
③いとこ婚(いとこ同士は鴨の味)

の内、②は比較的近年まで見られましたし、③は菅総理がそうでしたが、タブー視されるところもありますね。
③のいとこ婚は、嫌うところもあれば逆に推奨するところもある。
トッドの分類した「直系家族」の中では、日本人とユダヤ人の間でのみ可。

日本の場合、中韓と比較して近親間での婚姻にはおおらか。
武則天や楊貴妃の様に、父や息子の嫁と結婚したのもどうかと思いますが。
家康の場合、父の義母が母の実母でした。

日本で父と娘が結婚した例は、平安後期の僧侶の例しか憶えが御座いません。高徳で知られた人物で、「世の中の者に差別をつけるものではない」と言い、遂には娘を妻にして証明したというもの。僧侶の婚姻は、当時でも一部で既成事実化していました。
なお、ここでいう差別は外形上の違いを指した仏教用語です。

18: 世界@名無史さん 2012/01/09(月) 23:58:36.49 0
韓国の場合、現在のように族外婚が当然視されるようになったのは、歴史的には意外に新しいもんなんですよ、実のところ。
朱子学の規範が社会の隅々にまで浸透して以後のことなんで、時代としてはだいたいのところ李氏朝鮮王朝中期ってことになります。


特に高麗王朝以前には、近親婚も全く珍しくありませんでした。
高麗王朝の家系図を見ると一目瞭然なんですが、いとこ婚とか兄妹婚とかもまったく珍しくなくて、ものすごく複雑なんです。

また、高麗時代には婿入り婚も全く珍しくなかったうえ、嫁入り婚の場合であっても、しばらく妻の実家で夫がマスオさん生活をするという習慣が一般的に行われていたので、生まれた子供はまず初めに母の実家で育つ、というのがごく普通だったんだそうです。
夫婦の離婚や、離婚者の再婚も珍しくありませんでした。高麗王朝には、きさきにも再婚者がいるほどです。

また、高麗時代には、男女を問わず兄弟姉妹の均分相続が普通の習慣となっていたうえ、この均分相続は、すでに婿入り・嫁入りした者にも適用されていたんだそうです。
先祖を祀るのも、兄弟姉妹の間での輪番制が一般的でした。

また、こういった習慣ゆえ、なかば当然のことながら、高麗時代の族譜は、男女混成で生まれ順どおりに記載されていたそうです。

19: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/10(火) 00:47:14.17 0
>>18
成る程。やはりというか、高麗以前とは文化が違いますね。
どうもありがとうございました。
「伝統」の新しさに驚くことは、よくある事。そして何度も経験する事ですね。

33: 世界@名無史さん 2012/01/10(火) 22:13:14.83 0
>>18を書いた者ですが、
李氏朝鮮時代に編纂された史書の「高麗史」には、非常に興味深い逸話が載ってるんですよ。

高麗時代は、契丹やモンゴルなど、北方の狩猟・遊牧系民族が攻めてくることが多かった時代でもありますが、あるとき、高麗朝廷の高官が、人口増化策と戦争寡婦対策のためと称して、「夫が妻以外のおめかけさんを持つことを認める」という法案を提出してきたんだそうです。
ところが、この法案提出が世間に知れた途端、高麗の女性世論から、「女性を何だと思っとる!!」と、猛烈な火柱が上がりました。法案を提出した高官は、町の市場で、一般人のお婆さんに、面と向かって罵倒されるというはめになり、ついには、時の宰相が、自分の妻と同じ寝室で就寝することに命の危険を感ずる、という事態にまで発展、朝廷を揺るがすほどの騒ぎの火種と化した「おめかけさん公認法案」は、白紙撤回に追い込まれたんだそうです・・・。

34: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/10(火) 22:28:01.87 0
>>33
なんという女性の地位の高さ。
「自分の妻と同じ寝室で就寝することに命の危険を感ずる」というのは、もう単に言うことを訊かせるというのではなく、社会的な常識・倫理に反する発想と見做されたのでしょうね。

128: 世界@名無史さん 2012/05/20(日) 18:20:02.20 0
>>33の「おめかけさん公認法案をぶっ潰した高麗女性世論」についての、「高麗史」に載っている原文です。


高麗史 巻一百六  四十 四十一
列伝 巻第十九
朴褕

朴褕忠烈朝拝大府卿 嘗云 東方屬木 木之生數三而成數八 奇者陽偶者陰也 我國之人男寡女衆 理數然也
遂上[足㐬]曰 我國本男少女多 今尊卑皆止一妻無子者亦不敢畜妾 異國人之來者則娶無定限 恐人物皆將北流
請許大小臣僚娶庶妻 隨品降殺以至庶人得娶一妻一妾 其庶妻所生子亦得比適子從仕 如是則怨曠以淯戸口以增矣
婦女聞之莫不怨懼 會燈夕褕扈駕行 有一嫗指之曰 請畜庶妻者彼老乞兒也 聞者傳相指之 巷陌之閒紅指如束
時宰相有畏其室者寝 其議不行

(朴褕は忠烈王の時代に大府卿となった。朴褕は、
「高麗では男が少なく女が多いのは、五行思想から観ても妥当なことだ」
と考え、忠烈王の元年二月、このように奏上した。
「我が国は、男が少なく女が多うござりまする。現在、我が国では、身分高きも低きもみな、一人の妻を娶るだけで、子が生まれずとも妾を囲ったりしておりませぬ。然るに、我が国に入ってくる異国の者は、我が国の女を、数に限りなく連れ帰ったりしておりまする。我が国の人口と資産が、北方の国外へ流出する恐れがありまする。
何とぞ、あらゆる臣下に多妻制をご許可くださいますることを。 妾の数は身分に応じて減らすこととし、一般庶民には一妻一妾までといたしまする。妾の子の身分も、嫡子と同等といたしまする。
斯くして、夫無き女の嘆きは減り、戸数と人口は増えまする」
しかし、この奏上の噂を伝え聞いた女性たちの反発は極めて大きかった。
そして同月、国家的仏教行事「燃灯会」が催された夜のこと、忠烈王のお出ましに朴褕が随行していると、一人の老婆が朴褕を指差し、
「『妾を囲わせろ』なんぞとぬかしよった、あの恥知らずめが」
と罵るや、それを聞いた人々が次々に朴を指差し始め、ちまたは大騒ぎとなった。
そしてついには、時の宰相が妻と同室での就寝に恐れを為すにまで至り、妾の公認の案件は、撤回に追い込まれたのである。)

129: 世界@名無史さん 2012/05/20(日) 18:24:20.93 0
>>128の逸話については、
「高麗史節要」の「巻十九  忠烈王 一」の、乙亥の元年(宋 孝恭帝 德祐元年  元 至元十二年)二月の箇所にも、要約が載っています。

17: 世界@名無史さん 2012/01/09(月) 23:08:17.30 0
>>1
>どのタイミングで、どのような方法で相続されるのか?

息子が独立して親元を離れるタイミング、親が隠居するタイミング、のどちらが普通なんだろうか?

31: 世界@名無史さん 2012/01/10(火) 21:02:18.63 0
>>17
現代日本では、どちらでもなく、親が死去したとき。
ただ、親元を離れるタイミングである程度財産を分け与える方が合理的に思える気もする。
特に今の日本では。

53: 世界@名無史さん 2012/01/12(木) 22:25:23.81 0
>>31
>親元を離れるタイミングで

末子相続の民族(遊牧民)が、そんな感じなんだよね。
子供は大人になると、親から財産をある程度分けてもらい、次々と独立していく。
で、最後に独立する末子が、一番たくさん貰えることになる。

28: 世界@名無史さん 2012/01/10(火) 19:12:24.72 i
イギリスは第一次大戦まで基本は長子相続制。
これを嫌った人がアメリカで均等相続制を作った。

29: 世界@名無史さん 2012/01/10(火) 20:48:42.05 0
>これを嫌った人がアメリカで均等相続制を作った。

田分けだな

34: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/10(火) 22:28:01.87 0
>>29
たわけの語源は中世後期に長子相続制が定着した時代に均等相続を否定して言われた「田分け」だという説がありますが、実は古代からあった言葉です。
『古事記』に神の嫌う「罪」として、秩序を乱した罪が挙げられているのですが、上通下通婚(おやこたわけ)、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚が中にあります。
婚=たわけで、要するに秩序紊乱(特に性的なもの)の意でした。

32: 世界@名無史さん 2012/01/10(火) 21:45:17.93 0
欧州の場合、一般的には、
ゲルマン系は長子相続、
ラテン系は均分相続、
っていう傾向があるみたいですね。

45: 世界@名無史さん 2012/01/11(水) 17:23:05.03 0
>>32
フランク族は、分割につぐ分割でメロヴィング朝が倒れ、とうとうフランク王国時代も3つに分かれてしまい、フランス、ドイツ、イタリアの素になりました、とさ。

39: 世界@名無史さん 2012/01/11(水) 00:00:24.05 0
イギリスの長子相続は徐々に崩れてはいた。でも公式には1920年頃まで法的にあった。

40: 世界@名無史さん 2012/01/11(水) 00:06:27.34 0
欧州貴族って
長男は領地経営
次男は神職か国王の役人・軍人
3男以下は兄貴から金貰って事業、植民地の代官あるいは勉強好きなら学者
こんな感じだったらしい

48: 世界@名無史さん 2012/01/12(木) 00:03:04.35 0
>・ある民族は、なぜ長子相続、末子相続というルールを選んでそれを続けているのか?

末子相続って、モンゴル以外どこがあったっけ?

49: 世界@名無史さん 2012/01/12(木) 02:16:58.55 0
>>48
記紀の時代の日本とか?

54: 世界@名無史さん 2012/01/13(金) 11:49:03.13 0
なんか、師匠と弟子の関係に似てるね。
晩年の弟子が一番深いところの教えを受け継いでいて、正統とされる、みたいな。

59: 世界@名無史さん 2012/01/18(水) 22:26:51.82 0
近世から近代にかけても、一部の地域では末子相続が行われていた。
西日本の漁村に多く、いずれも経済的な問題と密接に関係していた。
ある地域では、どこの家も末子相続をしているのに、住人の誰もが正統な後継ぎは長男であると考えており、「結果的に」末子しか家に残らなかったと認識していたという。
別の地域では、隠れキリシタンの家に末子相続が多く、これも貧しさが背景にあるらしい。

60: 世界@名無史さん 2012/01/18(水) 22:39:02.39 0
貧しさが原因ってどういう意味?

61: 世界@名無史さん 2012/01/18(水) 22:57:06.59 0
成長したら順に出稼ぎで家を出てしまうので、末子だけが残るということ?

57: 世界@名無史さん 2012/01/18(水) 07:18:14.54 0
俺欧州の貴族を調べるのが好きなんだけど
ドイツや北イタリアだと3流の無名貴族ですら
800年とか1000年とか同じ地所に割拠してるのがいるんだよね
やっぱ長子相続って社会の安定に寄与するんだろうな

63: 世界@名無史さん 2012/01/19(木) 09:55:06.38 0
>>57
ウェーバーも「支配の社会学」で、長子相続は社会を安定させる
だが、それを貫徹できたのは中世西ヨーロッパと、日本だけだといってる

64: 世界@名無史さん 2012/01/19(木) 10:11:07.72 0
日本は江戸時代は長子相続や中絶によって人口増加を抑えたらしい

http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html

一方の中国は儒教の伝統によって分割相続が行われ、未来の世代になる程貧しくなっていった

89: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 01:05:14.79 0
>>64
日本の農家では、長男の単独相続が主流で、兄弟で田畑を分割することは「たわけ」と言って愚かな行為の代表例とされていたという。小さくなった面積の農地では家の存続が不可能だからだ。

しかし、漢民族では、農地は男性子息の均分相続が原則であったという。
だとすると、相続の代を経るごとに、農地はどんどん小さくなると思うのだが、漢民族では、どうやってその点を克服していたのだろうか。
総ての世代で新規開拓地が確保でき、つねに耕地が拡大していたとは思えないのだが。

101: 世界@名無史さん 2012/02/10(金) 12:22:08.20 0
>>34
> たわけの語源は中世後期に長子相続制が定着した時代に均等相続を否定して言われた「田分け」だという説がありますが、実は古代からあった言葉です。
『古事記』に神の嫌う「罪」として、秩序を乱した罪が挙げられているのですが、上通下通婚(おやこたわけ)、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚が中にあります。
婚=たわけで、要するに秩序紊乱(特に性的なもの)の意でした。

少し前のレスぐらい読んで

90: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 01:21:27.80 0
>>89
そんなに単純じゃない。
江戸時代の農村にも最初から貧富の差があって裕福な家は次男も分家できる。
逆に貧しいと長男でも小作に「落ちる」。

91: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 01:38:08.29 0
>>90
それは、知っています。
関東では、最低5反の田といくらかの里山(雑木林)が、確保できれば分家(分割)もあり得た。

でも、俺が聞きたいのは、漢民族の方で、農地を含む総ての財産が、均分相続されると聞いた。
この原則が数百年にわたって維持できるのは、ほぼどの世代でも、農地の拡大再生産が前提となると思うのだが、そんなことが、可能かどうかをお尋ねしているのですが。

92: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 01:43:09.53 0
>>91
中国に特に詳しくないが新大陸の作物で生産性が増し1600年頃に1億だった人口が1900年頃には4億にまで増えた。しかし一人あたりの農民は貧しくなったので太平天国の乱など農民反乱が19世紀に入って起き始めた。
移住を禁止されていた満州にも多数移住するようになった。

94: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 02:18:07.94 0
>>92
新大陸由来の作物と満州移住のお陰で、300年間、分割相続の原則が維持できたという説ですか。納得できるような、できなようなw。

日本でもサツマイモや唐黍が伝来し、食料増産に繋がった言われてますが、それでも、分割相続に移行することなく、単独相続が主流でしたでしょう。

日本と漢民族の、その違いを説明できる理由がほしいのですが。

でも、日本でも、16世紀から19世紀の間に人口が3倍、増加しているわけですから、単独相続が「原則」の社会でも、実際には分家は相当あったのでしょうね。

95: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 02:22:56.48 0
>>94
サツマイモ(唐芋)はもちろん日本より先に南米から入って現在では世界の9割近くを中国で生産している。
ヨーロッパで人口が増えたのもジャガイモのおかげで、新大陸の作物は世界史に凄い影響を与えてるよ。

96: 世界@名無史さん 2012/02/09(木) 02:37:32.94 0
>>95
日本も中国も、新大陸の作物の伝来で食料生産が増えた。
しかし、日本では、引き続き、単独相続の理念が大切にされたのはなぜか?

もう一つは、新作物伝来のお陰で均分相続が維持可能となったのなら、伝来以前の漢民族の間では、均分相続が行われていなかったのか、どうか。

この二点に疑問が残ります。

136: 世界@名無史さん 2012/08/04(土) 22:38:48.84 0
>>96
http://www.suntory.co.jp/sfnd/research/detail/200740.html
>韓国・日本とも土地の分割による経済的基盤の零細化を防ぐためと考えられる。 但し、中国でも耕作の対象となる耕地は狭いため、分割が進むと土地は細分化するが、実際には「小作料」を分割するため、分割が可能である。
あるいは、生産力の乏しい地域では、被相続人に未開墾地を与える場合もある。


だそうだ


79: 世界@名無史さん 2012/02/01(水) 08:33:19.65 0
とりあえずwikipediaの長子相続から。
最近の制度を昔からあったと思い込むことはよくある。

江戸時代まで

江戸時代までの相続はさまざまであった。明確に定まった相続法というものはなく、たびたびお家騒動が起こった。

明治維新から第二次世界大戦まで

明治政府が始まった頃華族や士族には長男相続制が規定され、その地位も長男によって世襲された[1]。さらに、平民にも長男の家督相続制が規定された[2]。明治31年の民法制定により家制度が確立すると、家督に当たる戸主権の制度が成立した。

80: 世界@名無史さん 2012/02/01(水) 09:14:01.15 0
だから法制度は無かったんだろ。
習俗としては明治期以前からいろいろなものがあって、その実態を簡単に要約できるようなものではなかったから、川島武宜を始め法学者達が家を定義するのに非常に苦労した(で、結局成功していない)。

81: 世界@名無史さん 2012/02/01(水) 14:41:33.20 0
簡単に言うと、下級武士団の軍事独裁政権として興った明治政府が武士道の理念から導出された重農主義政策を全社会に浸透させるために儒教の家父長権やドイツ近代法の家族原理を利用した。

で、このような伝統による裏付けを欠いたイデオロギーの起源を過去に求めても当然のことながら有効な“事実”はでてこない。

ただ、マルクス主義法学の隠れ蓑として発達した法社会学では小作や人民の権利一般を弁護するに有効な歴史的事実を発掘しなければならない。でなければ、権利なるものが権力によって付与された(そして最収奪可能な)限定的なものであることを認めざるを得ないからだ。

こうなったら学問ではなく、政治そのものですけどね。

82: 世界@名無史さん 2012/02/01(水) 16:53:04.74 0
制度という言葉から、話が法学の方に偏りすぎていない?
家は江戸時代から当然あったよ。

83: 世界@名無史さん 2012/02/01(水) 17:45:35.37 0
あったけど一部なわけよ。

84: 世界@名無史さん 2012/02/01(水) 18:07:48.69 0
明治になってドイツの模倣で制度を作っただけだったら、話は簡単だったわけだが、それ以前の時代から続いていたから、複雑すぎて未だに学問的にちゃんとした家の定義が無いわけだが。

>あったけど一部なわけよ。

一部ってどういう意味?
対人口比?
一部の身分?
一部の地域?
短期間ってこと?

85: 世界@名無史さん 2012/02/01(水) 18:23:40.29 0
複雑だから一例に留めるけど西日本の農村では地侍のような優越した家系があって次男三男も分家していけるとかね。

87: 世界@名無史さん 2012/02/02(木) 13:27:42.37 0
村方三役や新開地領主といった上層部ならともかく、実際の耕作者である下層民の土地に対する定住性はそれほど高く無いでしょう。だからこそ、人返し令を発布したり、漁民や塩田の作業従事者にまで田畑を与えて、最後には各藩の職にあぶれた御家人層を対象にして帰農を進めた訳だから。
一応は近代化が達成され、耕作地や土地に対して人口が増えすぎた現在からみれば土地や家に対する帰属や相続は個人の“権利”として考えられるが、昔の労働者一般にとっては“義務”的側面が強いでしょう。

まあ、これは中世ヨーロッパでも似たようなもので、特に麦は連作障害が起こりやすく、土壌によって収穫高が違うので一つの農家が継続的に同じ土地を耕すという訳ではない。
地域や階層にもよるけれど、耕作権を中心とした相続の判定権は確か教会の管理下にあった筈だ

107: 世界@名無史さん 2012/02/11(土) 02:05:07.71 0
トッドが指摘している日本の長子相続の伝統というのも実は明治以降になって初めて一般に普及したものだったのか。

まぁ、社会史じゃそもそも普通に食ってける状況とそうでない状況では相続も婚姻も全く異なるという説明になる。村の中の稼ぎが家族が食べていけないなら、長男だけ残して次男以降は奉公に出すし、長男から順に奉公に出して、最後に親元に残った子(娘婿もありうる)が田畑を継ぐこともある。

「イエ」の伝統や格に拘ることが出来る人たちとそうでない人たちがいた訳だ。
そして伝統を作るのはえてして「イエ」を維持してきた層だけど、全体からみれば少数派なのかも知れない。

108: 世界@名無史さん 2012/02/11(土) 07:26:07.83 0
>そして伝統を作るのはえてして「イエ」を維持してきた層だけど、全体からみれば少数派なのかも知れない。

ただ日本のイエというのは、 下男のような単なる使用人もすべて構成員だからね。
大企業と中小企業の数の比較のようなもので、数は少ないけど、構成員の人数自体が多いので、本当に少数なのかどうか。

116: 世界@名無史さん 2012/02/12(日) 01:46:46.24 0
トッドとかあやしすぎてコメントしようがない。重商主義または開墾余地ありで豊かなら均等相続しやすいし重農主義で開墾余地がなく貧しいなら単独相続するしかない。

134: 世界@名無史さん 2012/07/15(日) 21:18:24.47 0
>>116
トッドは相続制を兄弟の平等に対する態度の指標として活用してるだけで家族制度と相続制が必ず一致するとは言ってねーよ
生産力が上がれば単独相続制は消え去るとも言っていた
イングランドはアメリカよりも階級が強いとも言っていたしな

121: 世界@名無史さん 2012/05/19(土) 14:14:51.12 0
日本で従兄弟婚が近親結婚とされるようになったのって、明治になってから?

122: 世界@名無史さん 2012/05/19(土) 15:33:57.46 0
>>121
日本では合法だな。

123: 世界@名無史さん 2012/05/19(土) 16:04:51.06 0
合法とか違法とかの問題じゃないんだが

124: 世界@名無史さん 2012/05/19(土) 19:34:11.08 0
昔の農村なんて、いとこ婚が悪いなんて考え、まったく無かったんだろうな。

引用元: ・【財産】贈与と結婚【長子相続】




相続の日本史 (日経プレミアシリーズ)
安藤 優一郎
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 510,204