1: 世界@名無史さん 04/11/19 23:09:58
アルファベットの歴史でもポエニ戦争でもミイラの製法でも何でもいいので語っちゃってください
関連記事■■■ フェニキア人を語るスッドレ ■■■ ① ②
フェニキア
フェニキアは、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。
フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。
フェニキア人の建設した主な主要都市には、ティルス(現在のスール)、シドン、ビュブロス、アラドゥスなどがあり、海上交易に活躍し、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃に繁栄を極めた。さらに、カルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。船材にレバノン杉を主に使用した。
しかし紀元前9世紀から紀元前8世紀に、内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な独立を失っていった。アッシリアの滅亡後は新バビロニア、次いでアケメネス朝(ペルシア帝国)に服属するが、海上交易では繁栄を続けた。しかし、アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王によってティルスが征服されると、マケドニア系の勢力に取り込まれてヘレニズム世界の一部となった。
一方、紀元前9世紀に北アフリカに建設された植民都市カルタゴは、フェニキア本土の衰退をよそに繁栄を続けていたが、3度にわたるポエニ戦争の結果、共和政ローマに併合されて滅んだ。
フェニキアは、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。
フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。
フェニキア人の建設した主な主要都市には、ティルス(現在のスール)、シドン、ビュブロス、アラドゥスなどがあり、海上交易に活躍し、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃に繁栄を極めた。さらに、カルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。船材にレバノン杉を主に使用した。
しかし紀元前9世紀から紀元前8世紀に、内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な独立を失っていった。アッシリアの滅亡後は新バビロニア、次いでアケメネス朝(ペルシア帝国)に服属するが、海上交易では繁栄を続けた。しかし、アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王によってティルスが征服されると、マケドニア系の勢力に取り込まれてヘレニズム世界の一部となった。
一方、紀元前9世紀に北アフリカに建設された植民都市カルタゴは、フェニキア本土の衰退をよそに繁栄を続けていたが、3度にわたるポエニ戦争の結果、共和政ローマに併合されて滅んだ。
241: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 00:01:15 0
ttp://www.asyura.com/sora/nihon1/msg/147.html
>カルタゴは第三次ポエニ戦争で滅亡しましたが、「マゴ家」を始めとする国際金融家=国際商人たちは、厖大な資産を伴って脱出しています
と書いてありますが初耳。徹底抗戦の末に全滅の印象があるカルタゴ上層部ですが、実際にこんなことがあったんでしょうか?
>カルタゴは第三次ポエニ戦争で滅亡しましたが、「マゴ家」を始めとする国際金融家=国際商人たちは、厖大な資産を伴って脱出しています
と書いてありますが初耳。徹底抗戦の末に全滅の印象があるカルタゴ上層部ですが、実際にこんなことがあったんでしょうか?
242: 世界@名無史さん 2006/08/24(木) 15:37:15 0
しかし当時、かくまってくれる地域なんてあったろうか?
ローマの版図外でもないと難しそう。
ローマの版図外でもないと難しそう。
244: 世界@名無史さん 2006/09/10(日) 14:16:03 0
ウティカのような、先にローマへ帰順した他のフェニキア系都市はどう?
270: 世界@名無史さん 2006/10/14(土) 12:22:47 0
個々の有名な都市国家は滅んでも、他の都市国家は、名より実を取って生き延びたようだな
271: 世界@名無史さん 2006/10/14(土) 12:24:54 0
>名より実を取って生き延びた
ローマに降伏・帰順したってことですかね。
ローマに降伏・帰順したってことですかね。
272: 世界@名無史さん 2006/10/14(土) 17:31:24 0
西方都市でポエニ戦争後も残ってたフェニキア都市は取るに足らない規模に成り下がってる
後背地の土着経済同士を港湾通して結びつける
仲介業みたいな役割を果たしてたフェニキアの地方都市はカルタゴの交易網が崩壊しローマに制海権を奪われてまで独自に生計立てれるほどのものではないから意地になってポエニ文化を継承するよりはさっさとローマ化したみたい
(にもかかわらずエシュムンやらタニットやらフェニキアの神はローマ文化に根付いたけどw)
東方都市なんかだとアレクサンドロスの遠征以降さっさとディアドコイの諸王国に帰順してちゃっかり将軍職に修まってる連中もいたし転身上手い連中だw
後背地の土着経済同士を港湾通して結びつける
仲介業みたいな役割を果たしてたフェニキアの地方都市はカルタゴの交易網が崩壊しローマに制海権を奪われてまで独自に生計立てれるほどのものではないから意地になってポエニ文化を継承するよりはさっさとローマ化したみたい
(にもかかわらずエシュムンやらタニットやらフェニキアの神はローマ文化に根付いたけどw)
東方都市なんかだとアレクサンドロスの遠征以降さっさとディアドコイの諸王国に帰順してちゃっかり将軍職に修まってる連中もいたし転身上手い連中だw
320: 314 2006/11/08(水) 15:44:09 0
み…皆さん、地中海西岸(エジプトから左ぐらいの)フェニキアの都市がいつぐらい建てられたかってオオヨソ教えてくれません?
特にカルタゴが建国する前のカルタゴ周辺都市とシシリー島が…。なんで自分の周辺図書館はこんなに資料が少ねぇんだorz
特にカルタゴが建国する前のカルタゴ周辺都市とシシリー島が…。なんで自分の周辺図書館はこんなに資料が少ねぇんだorz
321: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 19:56:23 O
時系列順に主だったところを並べると
リクソスはプリニウスがガデスより古い最古の植民市と論じており12CBC
ガデスが1110BC、次いでウティカ1101BC、タルテッソスが10C、
キプロスのキティオンとクレタ中部に950-900BC、
サルディニアのノラやビュティアが9C初頭、若干遅れてタロスやサルキスが9C、
カルタゴ814BC、マルタや南シケリアが8C末、
タプソスやサブラタ、ヘルマコンなどの北アフリカ諸市が800BC前後
モテュアは8-7C、パレルモとソレントは若干遅く7C初頭
バレアレス諸島はさらに遅くイビサが654/3BC
最初期の植民市(タルテッソスまで)は考古学的には証拠が確認されておらず現実的には7C頃からの遺物しかない
これらイベリア南部の伝説的な都市を除けば植民はキプロス・クレタ→南仏・南西・地中海西部の島々→北アフリカ
と北回りで順々に進展したと考えればいいんでない
リクソスはプリニウスがガデスより古い最古の植民市と論じており12CBC
ガデスが1110BC、次いでウティカ1101BC、タルテッソスが10C、
キプロスのキティオンとクレタ中部に950-900BC、
サルディニアのノラやビュティアが9C初頭、若干遅れてタロスやサルキスが9C、
カルタゴ814BC、マルタや南シケリアが8C末、
タプソスやサブラタ、ヘルマコンなどの北アフリカ諸市が800BC前後
モテュアは8-7C、パレルモとソレントは若干遅く7C初頭
バレアレス諸島はさらに遅くイビサが654/3BC
最初期の植民市(タルテッソスまで)は考古学的には証拠が確認されておらず現実的には7C頃からの遺物しかない
これらイベリア南部の伝説的な都市を除けば植民はキプロス・クレタ→南仏・南西・地中海西部の島々→北アフリカ
と北回りで順々に進展したと考えればいいんでない
322: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 21:36:57 O
スマソ
時系列と言っときながらマルタと北アフリカの順序が逆だったな
アフリカ諸市が多少落ち着くのと前後してマルタ・シケリアに移ったみたい
時系列と言っときながらマルタと北アフリカの順序が逆だったな
アフリカ諸市が多少落ち着くのと前後してマルタ・シケリアに移ったみたい
323: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 21:41:22 0
>>321
リクソス、ガデス・・・と、
故地から遠いところほど古く建設されていっているんですね。面白いな。
ジブラルタルの外へは何を求めて行ったのでしょうね。
当時の大西洋岸は未開の土地でしたよね。コーンウォールの錫かギニアの金か?
リクソス、ガデス・・・と、
故地から遠いところほど古く建設されていっているんですね。面白いな。
ジブラルタルの外へは何を求めて行ったのでしょうね。
当時の大西洋岸は未開の土地でしたよね。コーンウォールの錫かギニアの金か?
325: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 23:28:40 0
>>323
元々はスペイン(タルテッソス)と東方フェニキアとの交易ルートを繋ぐ中継地点が必要になって北アフリカ沿岸に数多くの町が建てられ、中でも特にチュニジアの地域は緑豊かだったためこの辺りの街が特に栄えて大きくなったという話らしいです。
アフリカ西岸探検は黄金貿易のための植民地作り、ブリタニアには青銅工業に必要な錫を得ることが目的だったらしいです。
ところで、ヒミルコの北方探検はどうやらいまいち不首尾だったらしいとの噂を小耳に挟んだんですが…マジ?
それとカルタゴの属州になった北アフリカの都市はウティカ以外城壁を無くさせたっていうのもちらと見かけたのですが、さすがに鵜呑みにしていいものやら?
元々はスペイン(タルテッソス)と東方フェニキアとの交易ルートを繋ぐ中継地点が必要になって北アフリカ沿岸に数多くの町が建てられ、中でも特にチュニジアの地域は緑豊かだったためこの辺りの街が特に栄えて大きくなったという話らしいです。
アフリカ西岸探検は黄金貿易のための植民地作り、ブリタニアには青銅工業に必要な錫を得ることが目的だったらしいです。
ところで、ヒミルコの北方探検はどうやらいまいち不首尾だったらしいとの噂を小耳に挟んだんですが…マジ?
それとカルタゴの属州になった北アフリカの都市はウティカ以外城壁を無くさせたっていうのもちらと見かけたのですが、さすがに鵜呑みにしていいものやら?
324: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 23:17:30 O
最初はイベリアの鉱山拡大が目当てだったんだろうね
で日毎にどんどん先に進んでたらコーンウォールまで行っちゃったと
実際大西洋沿岸の植民市は後背地に鉱山持ってるところが少なくないし
昔から航海に慣れた開拓精神旺盛なフェニキア人にとっては自然の摂理だったんだろう
で日毎にどんどん先に進んでたらコーンウォールまで行っちゃったと
実際大西洋沿岸の植民市は後背地に鉱山持ってるところが少なくないし
昔から航海に慣れた開拓精神旺盛なフェニキア人にとっては自然の摂理だったんだろう
330: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 22:53:52 0
ケルト人の助けは借りなかったのでしょうか。
沿岸航海での航海ならば小規模ながらケルト人も大西洋岸で続けていたようですが。
どんな船を操っていたんだろう?
沿岸航海での航海ならば小規模ながらケルト人も大西洋岸で続けていたようですが。
どんな船を操っていたんだろう?
337: 325 2006/11/29(水) 18:18:14 0
>>330
ヒミルコはタルシシ人やジブラルタル地方の者達と一緒にブリテンに航行していたらしですが、ケルトは…どうなんだろうね?海岸に沿って航行したのなら、なんらかの関わりがあっても不思議じゃないね
ヒミルコはタルシシ人やジブラルタル地方の者達と一緒にブリテンに航行していたらしですが、ケルトは…どうなんだろうね?海岸に沿って航行したのなら、なんらかの関わりがあっても不思議じゃないね
331: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 23:44:02 0
革舟カラハは馬鹿にしちゃいけない。
あれでなかなか荒海の航海に耐える代物らしいよ。
あれでなかなか荒海の航海に耐える代物らしいよ。
332: 世界@名無史さん 2006/11/11(土) 08:35:59 O
フェニキアの舟形模型ってティルスあたりでいくつも残ってるけどどれも初期のラウンドシップを更に小型化したみたいなボートであんまし外洋向きに見えん(それでもキールはしっかり付いてるが)
337: 325 2006/11/29(水) 18:18:14 0
>>332
実物見たいなぁ(´・ω・`)ウラヤマシス
昔のアフリカは緑がまだまだいっぱいで水無し川も新鮮な水を海に運んでいたっていうし外洋の風波が地中海のものよりしんどくてもそのたび岸で休めばいいだけで、今みたいな長期間海を航行するような技術はそれほど必要に迫られなかったのかも……知らんけど(´・ω・`)実物テラウラヤマシス
ポエニ戦争って映画化すれば面白そうだと思うけど、作らないのかなぁ?
実物見たいなぁ(´・ω・`)ウラヤマシス
昔のアフリカは緑がまだまだいっぱいで水無し川も新鮮な水を海に運んでいたっていうし外洋の風波が地中海のものよりしんどくてもそのたび岸で休めばいいだけで、今みたいな長期間海を航行するような技術はそれほど必要に迫られなかったのかも……知らんけど(´・ω・`)実物テラウラヤマシス
ポエニ戦争って映画化すれば面白そうだと思うけど、作らないのかなぁ?
351: 世界@名無史さん 2006/12/03(日) 05:14:39 0
フェニキア人男性は逞しい青年との男色関係を好んだというけれど、その典拠となった文献は何でしょうか?
ドイツ人の書いた『フェニキア人」という本に書いてあったかと記憶して居りますが・・・
ドイツ人の書いた『フェニキア人」という本に書いてあったかと記憶して居りますが・・・
355: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 15:09:30 0
>>351
ゲルハルト・ヘルムの邦訳題『フェニキア人 古代海洋民族の謎』のことかな
ざっと見直してみたけどそんな記述なかったよ
どこで読んだかページ数までわかれば原文(ドイツ語版)も見てみるから出典示してみて
基本的なとこだけどヘルムおじさんは専門の研究者じゃなくて物書きだからね
モンタネッリや塩野七生みたいなもんで個々の事例について参照するには値しない
ハーデンやモスカティ以下の概説を下敷きにモノの本にあるような俗説ごちゃ混ぜにして
通史っぽく書いただけだから史料的根拠も糞もないことが多々ある点注意
で性愛に関する史料をまとめなおしてみると、ギリシア世界と違ってフェニキア側に伝わる
どんな叙述史料にもインタリオ等にも男色の存在した痕跡はまったく見当たらない
神殿売春についてはヘルム本でも若干触れられていたけどフェニキアの聖娼が女ってのは確実
神殿売春に関する碑文史料には「(アスタルテの)神殿で犠牲的行為を払った女性たち」
と若い女('LMT)であることが明記されており、男娼が売春行為を行っていた事実は一切ない
アドニス信仰もファロス崇拝につながるものはあるがこれを男色と結びつけるのは恣意的過ぎる
根拠のないものは無いとしか言いようがないので
フェニキアが男色好きという俗説(そんなんあるのか知らんが)は史学的にはダウトでFA
ゲルハルト・ヘルムの邦訳題『フェニキア人 古代海洋民族の謎』のことかな
ざっと見直してみたけどそんな記述なかったよ
どこで読んだかページ数までわかれば原文(ドイツ語版)も見てみるから出典示してみて
基本的なとこだけどヘルムおじさんは専門の研究者じゃなくて物書きだからね
モンタネッリや塩野七生みたいなもんで個々の事例について参照するには値しない
ハーデンやモスカティ以下の概説を下敷きにモノの本にあるような俗説ごちゃ混ぜにして
通史っぽく書いただけだから史料的根拠も糞もないことが多々ある点注意
で性愛に関する史料をまとめなおしてみると、ギリシア世界と違ってフェニキア側に伝わる
どんな叙述史料にもインタリオ等にも男色の存在した痕跡はまったく見当たらない
神殿売春についてはヘルム本でも若干触れられていたけどフェニキアの聖娼が女ってのは確実
神殿売春に関する碑文史料には「(アスタルテの)神殿で犠牲的行為を払った女性たち」
と若い女('LMT)であることが明記されており、男娼が売春行為を行っていた事実は一切ない
アドニス信仰もファロス崇拝につながるものはあるがこれを男色と結びつけるのは恣意的過ぎる
根拠のないものは無いとしか言いようがないので
フェニキアが男色好きという俗説(そんなんあるのか知らんが)は史学的にはダウトでFA
352: 世界@名無史さん 2006/12/03(日) 14:41:01 0
フェニキア語の碑文で「シェケル」「タレント」などの単位が登場しますが、通貨や度量衡は独自のものを使っていたんでしょうか。
シェケルはセム系共通の単位かもしれませんが、ギリシアやローマの貨幣や度量衡の単位系も用いていたのでしょうか。
シェケルはセム系共通の単位かもしれませんが、ギリシアやローマの貨幣や度量衡の単位系も用いていたのでしょうか。
356: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 15:10:16 0
>>352
通貨に関してはギリシアポリス同様、各都市国家で自前のを発行していた(特に前5世紀は鋳造ラッシュ)
通貨単位についてはQP’(読みがはっきり定まっていないがクァパ?)、QR(クァル?)などがあり
重さについてはQS.R(クァシル?)、T.B'(ティバ?)などが知られている
(いずれもどれくらいの価値であったか詳細不明。ただしQP’やQRなどは人夫への月のお給料だったのでそんなに高くはないだろうと推測される)
シドンやティルスなどヘブライの諸王国と交流があった地域では一部でキカル、ホメル、バテ、キュビトなど聖書でもよく知られた単位が用いられていたことが分かっている
通貨に関してはギリシアポリス同様、各都市国家で自前のを発行していた(特に前5世紀は鋳造ラッシュ)
通貨単位についてはQP’(読みがはっきり定まっていないがクァパ?)、QR(クァル?)などがあり
重さについてはQS.R(クァシル?)、T.B'(ティバ?)などが知られている
(いずれもどれくらいの価値であったか詳細不明。ただしQP’やQRなどは人夫への月のお給料だったのでそんなに高くはないだろうと推測される)
シドンやティルスなどヘブライの諸王国と交流があった地域では一部でキカル、ホメル、バテ、キュビトなど聖書でもよく知られた単位が用いられていたことが分かっている
357: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 15:29:31 O
タレスってギリシャ人じゃなくてフェニキア人なの?
358: 世界@名無史さん 2006/12/05(火) 15:36:44 0
ヘロドトスはそう伝えてるようだが(1.170)疑問説もあるみたいだね
362: 世界@名無史さん 2006/12/07(木) 16:37:15 O
ところでフェニキアについての専門書て日本じゃあまり見かけない気がするけどみんなどんな本読んでそんなに詳しく勉強したん
364: 世界@名無史さん 2006/12/08(金) 10:09:34 0
・カルタゴ 古代帝国の滅亡【河出書房新社】アラン・ロイド[著] 木本彰子[訳]
・ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて【講談社学術文庫】長谷川博隆[著]
・ポエニ戦争【白水社】ベルナール コンベ=ファルヌー[著]石川 勝二[訳]
ぐらいしか実はまともに読んだことがないんだよねorz
あとは図書館で地中海歴史本や古代ローマ史にチラチラと載ってるのを見るぐらい
アマゾンでめぼしいのを買うべきかなあ…やっぱり
・ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて【講談社学術文庫】長谷川博隆[著]
・ポエニ戦争【白水社】ベルナール コンベ=ファルヌー[著]石川 勝二[訳]
ぐらいしか実はまともに読んだことがないんだよねorz
あとは図書館で地中海歴史本や古代ローマ史にチラチラと載ってるのを見るぐらい
アマゾンでめぼしいのを買うべきかなあ…やっぱり
365: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 01:19:24 0
ハンノのアフリカ航海では、寄港地ごとに入植者を下ろして住まわせていたんですね。
その後はどうなったんでしょう。本国との交易を通して接触は保たれていたのかな。
その後はどうなったんでしょう。本国との交易を通して接触は保たれていたのかな。
367: 世界@名無史さん 2006/12/10(日) 21:43:24 0
>>365
3万人の男女と食糧を載せた50人漕ぎガレー船60艘ってのは本当?
ざっと1艘500人乗ったのか。
探険と植民を兼ねた開拓船団だったのかも知れん。
3万人の男女と食糧を載せた50人漕ぎガレー船60艘ってのは本当?
ざっと1艘500人乗ったのか。
探険と植民を兼ねた開拓船団だったのかも知れん。
369: 世界@名無史さん 2006/12/15(金) 23:46:09 0
>>367
人数に誇張が無かったとすると60艘にさらにいくつかの輸送船が食料や生活必需品を積んで同行したらしい。
さらにハンノが残した冒険談の冒頭はまず植民地建設に関する事から始まってる事から植民も目的なのは明らかなのだとか。
あと、この探検はライバル諸都市(ギリシア等)には絶対極秘裏に進められたらしい。
人数に誇張が無かったとすると60艘にさらにいくつかの輸送船が食料や生活必需品を積んで同行したらしい。
さらにハンノが残した冒険談の冒頭はまず植民地建設に関する事から始まってる事から植民も目的なのは明らかなのだとか。
あと、この探検はライバル諸都市(ギリシア等)には絶対極秘裏に進められたらしい。
427: 世界@名無史さん 2007/03/26(月) 01:39:53 0
>>365
大西洋岸の各入植地どうしの交易は、カルタゴ滅亡まで継続していたそうです。
ハンニバルが率いたゾウも西アフリカから輸入したものなんでしょうか?
カルタゴ滅亡間もない頃に、ポリュビオスがアフリカ大西洋岸の各入植地を訪れて地理誌を残しているようですが、何が目的だったんでしょうね。カルタゴが秘密にしてきた交易網や特産物を調べるためかな。
大西洋岸の各入植地どうしの交易は、カルタゴ滅亡まで継続していたそうです。
ハンニバルが率いたゾウも西アフリカから輸入したものなんでしょうか?
カルタゴ滅亡間もない頃に、ポリュビオスがアフリカ大西洋岸の各入植地を訪れて地理誌を残しているようですが、何が目的だったんでしょうね。カルタゴが秘密にしてきた交易網や特産物を調べるためかな。
368: 世界@名無史さん 2006/12/15(金) 19:20:40 0
歴史的に見て通説としてモテュア陥落はどんな風にとらえられているのかってのが知りたいんだけど、なんかいい参考図書ないっすか?
369: 世界@名無史さん 2006/12/15(金) 23:46:09 0
>>364一行目の本によると
「大軍隊の先頭に立って、ディオニシオスは陸路まっしぐらにモティアへと進んだ。彼らはかつてのハンニバルの残虐行為を想いおこし、行く先々でカルタゴ人を探し出しては暴力をふるい、虐殺した。モティアでは、急を知った守備隊が決死の抵抗をする覚悟をかため、市につづく土手道を破壊したてこもった。いま、あわてて傭兵集めに奔走しているカルタゴが援軍を派遣してくれるまで一ヶ月かかるだろう。
ディオニシオスは、カルタゴの傭兵隊がととのう前に決着をつけてしまおうとした。破壊された土手のかわりに提を築いた。城壁の上にいる守備隊を射落とすためには矢倉の上から投石隊が攻撃し、地上では穴掘り部隊や破城ツチ隊が工作した。こうして、ついに城壁を突破し、城内で市街戦が展開されたが、これについてディオドロスは「生きながらえる希望を捨てた」フェニキア人が獅子奮迅の戦いをくり広げた、と記述している。市は全滅した。モティアの陥落は、カルタゴに対するディオニシオスの圧倒的な勝利の証だった」
...とあります。
ただこれまでの流れを見るに他の本と書き方に違いが多く見られるようだし別の本も読んでみた方がいいかもorz
自分もまだこれぐらいしか読めてないので自分も皆のおすすめ参考図書すごいワクテカ
「大軍隊の先頭に立って、ディオニシオスは陸路まっしぐらにモティアへと進んだ。彼らはかつてのハンニバルの残虐行為を想いおこし、行く先々でカルタゴ人を探し出しては暴力をふるい、虐殺した。モティアでは、急を知った守備隊が決死の抵抗をする覚悟をかため、市につづく土手道を破壊したてこもった。いま、あわてて傭兵集めに奔走しているカルタゴが援軍を派遣してくれるまで一ヶ月かかるだろう。
ディオニシオスは、カルタゴの傭兵隊がととのう前に決着をつけてしまおうとした。破壊された土手のかわりに提を築いた。城壁の上にいる守備隊を射落とすためには矢倉の上から投石隊が攻撃し、地上では穴掘り部隊や破城ツチ隊が工作した。こうして、ついに城壁を突破し、城内で市街戦が展開されたが、これについてディオドロスは「生きながらえる希望を捨てた」フェニキア人が獅子奮迅の戦いをくり広げた、と記述している。市は全滅した。モティアの陥落は、カルタゴに対するディオニシオスの圧倒的な勝利の証だった」
...とあります。
ただこれまでの流れを見るに他の本と書き方に違いが多く見られるようだし別の本も読んでみた方がいいかもorz
自分もまだこれぐらいしか読めてないので自分も皆のおすすめ参考図書すごいワクテカ
372: 世界@名無史さん 2006/12/18(月) 02:48:42 0
フェニキアとフェ〇〇オって似てね?
375: 世界@名無史さん 2006/12/22(金) 06:51:30 0
マジレス古典古代で「フェ」ニキアなんて呼ばれても無いしな
po-ni-ki(ミケーネ時代末)かPonnim(前10Cフェニキア)か
Φοιν?κη?(古典期)かpunicus(共和政期)だ
po-ni-ki(ミケーネ時代末)かPonnim(前10Cフェニキア)か
Φοιν?κη?(古典期)かpunicus(共和政期)だ
376: 世界@名無史さん 2006/12/22(金) 06:52:39 0
文字化けたけどポイニケスね
377: 世界@名無史さん 2006/12/23(土) 01:01:42 0
「カナニ(Chanani)」という自称があったそうだが、実際はいかに?
378: 世界@名無史さん 2006/12/23(土) 01:14:24 0
お隣さんであるヘブライでの呼び方がKN'N(カナン)
スレの最初のほうで「自称した」と書かれてるがフェニキア人自身が自称したことはないはず
Ponnimは特にティルス、シドンに限定して使用されていた自称で
語源はレバント沿岸部を指すPTからといわれる
スレの最初のほうで「自称した」と書かれてるがフェニキア人自身が自称したことはないはず
Ponnimは特にティルス、シドンに限定して使用されていた自称で
語源はレバント沿岸部を指すPTからといわれる
379: 世界@名無史さん 2006/12/23(土) 01:29:27 0
ちょっと補足するとウガリット文書ではkn'nyと記されているので「カナニ」の語がまったくフェニキア起源ではないわけではない
前14Cのアッカド語文書ではkinahhuと呼ばれているしアマルナ文書でもkinahhiとされるので歴史的には「カナニ」という用法のほうが古い(Ponnimという語の初出は前9世紀ころ)が通常「フェニキア」と呼ばれるアラム・フェニキア時代(前9C)以降のフェニキアに「カナニ」の自称を適用させるのはどうかと思う
実際前9世紀以降のフェニキア語碑文でフェニキア人自身が刻む場合はPonnimとだけ出てくる
日本語だとどこググってもCanaaniと出てくるしPonnimの記述はないけど多分Aubetの著作が元になってて(あるいはヘルム本かもしれないが)碑文研究の成果が十分反映されていないことが原因
言語研究の面からいえば歴史時代の東方フェニキア(シドン、ティルス)はPonnimと呼ぶことを推す
前14Cのアッカド語文書ではkinahhuと呼ばれているしアマルナ文書でもkinahhiとされるので歴史的には「カナニ」という用法のほうが古い(Ponnimという語の初出は前9世紀ころ)が通常「フェニキア」と呼ばれるアラム・フェニキア時代(前9C)以降のフェニキアに「カナニ」の自称を適用させるのはどうかと思う
実際前9世紀以降のフェニキア語碑文でフェニキア人自身が刻む場合はPonnimとだけ出てくる
日本語だとどこググってもCanaaniと出てくるしPonnimの記述はないけど多分Aubetの著作が元になってて(あるいはヘルム本かもしれないが)碑文研究の成果が十分反映されていないことが原因
言語研究の面からいえば歴史時代の東方フェニキア(シドン、ティルス)はPonnimと呼ぶことを推す
383: 世界@名無史さん 2006/12/27(水) 01:26:58 0
詳説ありがとうございます。
カルタゴなど西方の植民都市では、出身を聞かれたら都市名を名乗っていたんですかね。
フェニキア人と名乗っていたのか、あるいは単に「ウティカ人」「リクスス人」という風に、かな。
カルタゴなど西方の植民都市では、出身を聞かれたら都市名を名乗っていたんですかね。
フェニキア人と名乗っていたのか、あるいは単に「ウティカ人」「リクスス人」という風に、かな。
384: 世界@名無史さん 2006/12/27(水) 22:25:38 0
カルタゴ人の場合カルトハダスティ(カルタゴ人)って書かれるからそのまんまだね
リクソスやウティカの例は見たことないけど調べてみるわ
まあ東方でも民族的な呼称としての「Ponnim」だけ使用してたわけじゃなくてシドンの何とか、ビブロスの何とか、っていう呼び方こそ普通だったから西方都市でも基本は「どこそこの都市の人」、って感じだったんだろうけど
リクソスやウティカの例は見たことないけど調べてみるわ
まあ東方でも民族的な呼称としての「Ponnim」だけ使用してたわけじゃなくてシドンの何とか、ビブロスの何とか、っていう呼び方こそ普通だったから西方都市でも基本は「どこそこの都市の人」、って感じだったんだろうけど
381: 世界@名無史さん 2006/12/24(日) 13:30:10 0
タニト神もフェニキア起源だったのか?
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/ouken/newsletter/news7.html
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/ouken/newsletter/news7.html
382: 世界@名無史さん 2006/12/26(火) 22:05:07 0
レバントからどの程度タニト神の護符が出ているのか分かんないけど
古典時代のカルタゴと東方世界は結構緊密な関係を保っていたと目されているし
前5世紀にしか遡らないなら単純にカルタゴからの搬入品ってことも考えられなくはなさそうだけどなあ・・・
古典時代のカルタゴと東方世界は結構緊密な関係を保っていたと目されているし
前5世紀にしか遡らないなら単純にカルタゴからの搬入品ってことも考えられなくはなさそうだけどなあ・・・
387: 世界@名無史さん 2007/01/03(水) 21:12:03 0
いまNHKの「北アフリカ世界遺産紀行」でカルタゴ遺跡が登場中!
コトンのCGも出てきましたよ。
コトンのCGも出てきましたよ。
389: 世界@名無史さん 2007/01/07(日) 17:03:00 0
今もコトンの輪郭がおおまかながら残存しているのには驚いた。
現地の住人は先祖代々、普通の入り江と思っていたんだろうなw
現地の住人は先祖代々、普通の入り江と思っていたんだろうなw
390: 世界@名無史さん 2007/01/07(日) 17:15:58 0
モテュアのコトンってフェニキア都市の中では一番よく保存されてて今も50m×35mの港湾まるごとと埠頭、係留索を結ぶ穴なんかが見れるぞ
モティアはシケリア(シチリア島)西部のマルサーラ沖の島にあった古代都市国家であり、現在はモツイィア島と呼ばれている。フェニキア人の殖民都市であり、紀元前398年にシュラクサイのディオニュシオス1世に破壊されるまで、400年間にわたって繁栄した。
391: 世界@名無史さん 2007/01/07(日) 17:24:16 0
392: 世界@名無史さん 2007/01/07(日) 17:26:43 0
おおー、すごい!コトンって軍港だよね?
こんな綺麗に残ってるのか
行ってみたいなあ
こんな綺麗に残ってるのか
行ってみたいなあ
397: 世界@名無史さん 2007/02/04(日) 15:03:58 O
フェニキアはレバノン杉や紫ものを交易売買してた…ていうのはよく聞くけど
じゃあカルタゴやガディス、ウティカとかの地方の売りって何?
じゃあカルタゴやガディス、ウティカとかの地方の売りって何?
398: 世界@名無史さん 2007/02/04(日) 23:02:07 O
農作物と貴金属
399: 世界@名無史さん 2007/02/05(月) 00:09:00 0
ガラス製品はどこだっけ
400: 世界@名無史さん 2007/02/05(月) 06:02:11 O
カルタゴかティルス
406: 世界@名無史さん 2007/02/28(水) 16:47:11 0
ローマはカルタゴ滅ぼしたあと、塩をまいて農耕できないようにしたんだろ?
しかし後にカルタゴのあとにローマ都市が出来た。
その都市や周辺の住民は、土壌汚染に悩んでいたの?
しかし後にカルタゴのあとにローマ都市が出来た。
その都市や周辺の住民は、土壌汚染に悩んでいたの?
407: 世界@名無史さん 2007/02/28(水) 17:20:24 0
雨がきちんと降るような環境なら、塩なんて流れちゃうでそ。
408: 世界@名無史さん 2007/02/28(水) 17:36:14 0
あれってただの願掛けじゃなかったのか
それともマジで塩まくと農耕出来なくなるの?
たかたが20年で再建計画が持ち上がるくらいの土地だしそんなに物騒なモンまかねーだろと思っていたがw
それともマジで塩まくと農耕出来なくなるの?
たかたが20年で再建計画が持ち上がるくらいの土地だしそんなに物騒なモンまかねーだろと思っていたがw
413: 世界@名無史さん 2007/03/03(土) 20:44:31 0
つか塩害を人工的に起こすほど膨大な量の塩を人力でまくなんて当時可能なのか?
418: 世界@名無史さん 2007/03/05(月) 16:47:14 0
降水量>蒸発量である限り、そうそう塩類は土壌に蓄積しないので、かなり塩をまいたところで、すぐに水に流されちゃう。
>>417
水道橋とか使って海から引いてくるのか?
人力で海水運ぶとしたら、よほど組織的に大量動員して長期間行わない限りたかがしれている。
>>417
水道橋とか使って海から引いてくるのか?
人力で海水運ぶとしたら、よほど組織的に大量動員して長期間行わない限りたかがしれている。
414: 世界@名無史さん 2007/03/03(土) 20:59:41 0
ローマが塩をまいた土地なんだよ、ここは。ってだけでも意味があるな
426: 世界@名無史さん 2007/03/24(土) 12:13:45 0
カルタゴ陥落の紀元前146年、同じ年にコリントも滅ぼされた。
古代地中海に繁栄したフェニキアとギリシアが、奇しくも同じ年にローマに滅ぼされたのは何か運命のようなものを感じる。
古代地中海に繁栄したフェニキアとギリシアが、奇しくも同じ年にローマに滅ぼされたのは何か運命のようなものを感じる。
430: 世界@名無史さん 2007/03/26(月) 23:57:50 0
バルカって雷光って意味じゃなかった?船乗りと関係あるん?
431: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 00:37:33 0
そう。フェニキア語barqa=「雷」。
ちなみに、イスラエルのバラク元首相の名も同系のヘブライ語baraq「雷」が語源。
ちなみに、イスラエルのバラク元首相の名も同系のヘブライ語baraq「雷」が語源。
432: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 00:51:07 0
雨や嵐とかを担当してる神のバールって名前が絡んでそうな以上船乗りっていう意味合いも言いようによってはあるかもしれんだろうけど、
>海戦での活躍
↑これをアピールしたかったがためのなんちゃって表現でしょ
っていうかハミルカルって海戦でそんなに活躍したことあったのか?
>海戦での活躍
↑これをアピールしたかったがためのなんちゃって表現でしょ
っていうかハミルカルって海戦でそんなに活躍したことあったのか?
433: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 01:11:14 0
語源はともかく「バルカ」が家名じゃなくて異称であるってのはマジだよね?
あの一家の他に親の名前以外で二つ名付いてるカルタゴ人出てこないし
英訳本とか読んでねーからよく知らんけど
あの一家の他に親の名前以外で二つ名付いてるカルタゴ人出てこないし
英訳本とか読んでねーからよく知らんけど
435: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 01:25:42 0
家名か称号かははっきりしないが二つ名を持つフェニキア人はバルカ以外にもいくつかあるよ
例えばサルディニア系のフェニキア人の中には
~~~・シャルデンという部族名だか家名だかを名乗りにしていた連中がいた
例えばサルディニア系のフェニキア人の中には
~~~・シャルデンという部族名だか家名だかを名乗りにしていた連中がいた
436: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 01:41:43 0
>>435
そうなのか、知らんかった㌧
っていうかもうちょっと名前にバリエーション付けようぜフェニキア人
そうなのか、知らんかった㌧
っていうかもうちょっと名前にバリエーション付けようぜフェニキア人
437: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 01:44:37 0
名前も一般に知られてるのが少ないだけで結構な数ある
439: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 01:52:31 0
>>437
例えばどんなのがあるの?
例えばどんなのがあるの?
441: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 02:05:05 0
アビバアル、アビハリル、アビナドブ、アビコム、アビセアン、アビサロム、アドム、アドナイバアル、アドナイセメス、アデル、アデルバアル、アヒナドブ、アヒロム、アムエシュムン、アムアシュタルト、オシリガン、ボドメルカルト、ビトエシュムン
etc...
現在知られてるフェニキア人名全部挙げたら100はゆうに越えるよ
etc...
現在知られてるフェニキア人名全部挙げたら100はゆうに越えるよ
442: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 02:09:57 0
うぇwwwwwこんなにあるのかwww全く知らなかった
オシリガンて凄い名前だなw
オシリガンて凄い名前だなw
443: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 02:15:29 0
オシリガンのオシリは尻ではなくエジプト神話のオシリスのこと
「オシリス神は我を護りたもう」みたいな意味の名前
オシリ何とかって名前はカルタゴ人に多い(らしい)
やっぱエジプトと少なからず交流あったせいだろうな
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オシリ何とかって名前はカルタゴ人に多い(らしい)
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