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1: 世界@名無史さん 2010/12/31(金) 21:23:19 0
匈奴やスキタイから始まり、柔然、鮮卑、突厥、エフタル、フン、アヴァール、ハザール、ウイグル、契丹、ブルガール、マジャール、モンゴル、ティムール。
その他、世界史に名を馳せた遊牧民たちの輝かしい歴史を大いに語るスレです。
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世界史上の遊牧民たち









94: 世界@名無史さん 2011/01/06(木) 23:46:18 0
フン人さんは匈奴だったけ?漢にに追われて遥々ヨーロッパに来たのわさ

96: 世界@名無史さん 2011/01/07(金) 02:40:35 0
>>94
メルカトル図でイメージするからえれえ遠く感じるけれど、北緯50度ら辺では経度1度あたりの東西距離が北緯35度ら辺のと比べると3分の2くらいしかないよ。
真四角のメルカトル図では殆ど同じ距離に見えるウランバートル~キエフは、西安~イスタンブールよりも3割も短い。これは、経線を直角に横切って同じ緯度で移動した場合の話で、実際のルートだと、蛇行する
低緯度のルートと、草原を大圏コースで近道する北回りのルートでは、2倍以上の差になる。

仮にフンと匈奴が同じ集団だとして、漢に追われてではなかっだろう。単に、遊牧政権がなるように従って膨張しただけで、遊牧民からすると、大した距離ではない。その後にも、突厥やモンゴルのように渤海湾から黒海にまたがる政権は繰り返し出てきている。
和蕃公主にしたって後漢の遅い時期まで続いているだろ。支配層の人員の交換、力関係で下位の側が女を差し出すという形の、遊牧民族の流儀に則った和睦・盟約の確認のやり方が続いていた以上、追われたというのは後の中華思想に基づく曲解釈で、実際には、漢と匈奴の関係は、後の遼・金と宋のような関で、遊牧民族間の勢力争いの結果、契丹が金に、金や西夏がモンゴルに取って代わられたようなものだろう。

105: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/08(土) 08:29:15 0
>>94
フンは多くの民族を抱えた部族連合みたいなものだったらしく、匈奴と完全に同じ集団とは言えない気がする。匈奴とフンが、どれくらい関連性があるかはまだ意見が分かれてて良く分からないね。

98: 世界@名無史さん 2011/01/07(金) 08:23:26 0
フン族にチベット系が参加していた可能性はあるかな

102: 世界@名無史さん 2011/01/07(金) 21:17:22 0
>>98
フン族は3~4世紀と遅い時期だからねー
もう遊牧チベットが青海に入ってきちゃって陣取り完了だろうな
吐蕃建国がそろそろスタート、東欧へ行ってるヒマはないだろう

106: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 11:24:37 0
DNA調べるための、遺骨とかないんだろうか?>>フンと匈奴

ただ、匈奴が漢音で「フヌ」って話、なかったっけ?

107: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 12:47:58 0
>>106
匈奴は昔の発音ではフンヌと言ったらしいが
それだけでは匈奴=フン族の証拠にはならない

108: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/08(土) 12:59:45 0
推測の根拠の1つにはなるけど、>>107の言うように、それだけじゃ完全な証拠とは言えないね。もっと史料が、出て来れば、詳しい結論が導き出せるんだろうけど。

109: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 13:20:51 0
遺伝子で民族の系統なんてわかりませんよ

111: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 14:00:35 0
匈奴の支配氏族である攣鞮氏とフンのアッティラの一族はテュルク系だろうと言われてるけどね

112: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/08(土) 14:49:56 0
>>111
匈奴は良く知らないけど、フンがトルコ系かどうかは、確かまだはっきりしてないんじゃなかったっけ?フンの、言語がトルコ語かどうかの議論はまだ続いてたと思うし。

116: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 17:45:14 0
>>112
匈奴もそうだよ、トルコ説が有力だけど。
フンは同時代の欧州の記録からすると、モンゴル高原の遊牧民を彷彿とさせるものはあるが、遺跡・人骨等の出土がないと確定的なことは言えないだろうね。

118: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 18:14:48 0
>>116
匈奴のほうは墳墓があるから、人骨が出ているよ。
日本人にも多いmt-D4, mt-M10。
カザフ民族や西北中国人、チベット民族などに多いタイプ。

ハルハ・モンゴルになると、mt-A1なんかが増える。
日本はこのmt-A1と近いといわれるmt-A5がいるけど、全く同じタイプは少ない。

119: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 19:24:02 0
ハカス(クルグズ、イェニセイ・キルギス)人の祖先はコーカソイドだったらしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/タシュティク文化

「テュルク」「モンゴル」ってのは言語・文化的なくくりや国名であって、特定の人種でも単一民族でもないしなぁ
今のトルコ共和国に住む人々の先祖のどれだけがアルタイ周辺から来たのやら

120: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/08(土) 19:31:21 0
>>119
そうなんだよね。だからフンや匈奴がトルコ系という事を証明するには、遺伝子云々よりも、何の言語が使われてたかを調べたほうが早いね。実際、フンがトルコ系か否かの根拠のほとんどは言語に関するものだし。
その点は否定派も肯定派も同じだ。文化的特徴で論じても良いんだけど、言語のほうがよりはっきりと白黒つけやすいからね。まだ結論に達してないけど。

126: 世界@名無史さん 2011/01/09(日) 08:03:27 0
>>123
遊牧をやっているのは、クルドの民でしょう。

129: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/09(日) 08:25:34 0
>>126
いや、トルコ人で遊牧生活を続けてる人もいるらしい。
少数派の上、最近は彼らの定住化が進んでるけど。

130: 世界@名無史さん 2011/01/09(日) 08:38:58 0
>>129
そのとおりです。
そしてそういう集団にはモンゴロイドとの混血の特徴があるとのこと。

131: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/09(日) 08:48:53 0
>>130
という事は、やはり彼らはトルコ系遊牧民の子孫とみていいのかな。
まぁ、アナトリアという場所を考えると他の民族とも混血してるだろうけど。

132: 世界@名無史さん 2011/01/09(日) 08:59:11 0
>>131
彼らというのが遊牧民を指すのなら、そのとおりでしようね。
言葉や習慣も中央アジアに近いものがあるようです(訪問者の話)。
トルコ国民からみれば、ほんの数%でしょうけど。

134: 世界@名無史さん 2011/01/09(日) 11:16:32 0
>>119
バルカンへは、突厥、ブルガール、ハザール、クマン、ポロヴェツ、ガガウズ、キプチャク・タタール
アナトリアへは、トルクメン、セルチュク、イル・ハーン国、ティムール、マムルーク
と、1000年以上前から波状的に中央アジア出自の勢力が侵攻してきている。
契丹人が西に遷って最終的に落ち着いたのがイラン南部のケルマーンで、そのケルマーンから興ったカージャール王朝ペルシャとオスマン帝国は激しく領土の取り合いをしている。カージャール王朝は遊牧部族連合政権の性格強い王朝で、オスマン帝国もこれまた遊牧的慣習を色濃く残していて、戦争になればも構成員が部族まるごと寝返ったり、講和の際には支配層の人員の交換をするし、領土の異動があればそこに住む人も一緒に帰属が変わる。
18世紀までクリミアにはジンギスカン裔の王を頂くキプチャク・タタール系の国があり、実質的にはオスマン帝国の一属領で深い関係にあった。
露土戦争でクリミア王国が滅亡すると数十万の難民がオスマン帝国に流入する。

ざっくりみるとこういう状況で、アナトリアやイスタンブールの住民で、極東・中央アジアの血をひかない者を探し出す方が困難なのではないのか?
バルカン側のスラブ人やギリシャ人やルーマニア人やマジャール人の間にすら相当にチュルク人やモンゴル人の血が浸透しているだろう。
アメリカ大統領のジョージ・ブッシュとかイギリスの現王室にだって、帰順したタタール土候を期限とするロシア貴族を介してジンギスカンの血を引いてるんだし。

136: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/09(日) 11:37:48 0
>>134
全く血を引いてない者は少ないだろうね。ただ、割合的には、 数派だと思うよ。アナトリアやバルカンは古くから色々な民族が混血しまくってるからね。元々、遊牧民は人口少ないし。

138: 世界@名無史さん 2011/01/09(日) 12:01:55 0
>>134
そもそもアナトリア侵入の時点でトルコ系はかなり混血している。むしろイランの血の方が濃いくらいだ。それでトルコ国民のせいぜい1~2割だから、遺伝子の割合でみるとほんの数%にしかならない。
ただ、ブルガリア人と比べるとI遺伝子の割合がかなり低いから、ブロンドは多くない。

まあ、ギリシャ人+レバノン・シリア人+イラン人+コーカサス民族の混合体にモンゴロイドとスラブ人とを少々ふりかけたという感じかな。
実際に行ってみた感想。

135: 世界@名無史さん 2011/01/09(日) 11:19:35 0
先進国で遊牧民族的な生活を送ろうとしたら、ジプシー的な生活か、テキヤか旅回りの芸人にでもなるしかないのかねぇ

136: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/09(日) 11:37:48 0
>>135
先進国かどうかというより地理的条件のほうが大きいと思う。
それなりに広い平地がないと遊牧生活は不可能だと思うし。

139: 世界@名無史さん 2011/01/09(日) 13:17:52 0
ラップランドやシベリアにも遊牧民はいるな、トナカイの

190: 世界@名無史さん 2011/01/10(月) 14:47:28 0
https://ja.wikipedia.org/wiki/康居

wikipediaの康居の項目もだいぶ充実してきたなあ
南北朝から唐あたりになるとソグディアナ諸国を旧康居と記してたりするけど遊牧からオアシス定住へ変化していったんだろか。後のウイグルやチャガタイやウズベクとかと比べると昔過ぎて内部事情がわかんね。遺跡とか発掘してんのかな

285: 世界@名無史さん 2011/01/21(金) 22:21:45 0
ギッミーラーヤ以前のフルリ人やカシュカも遊牧民なの?

286: 世界@名無史さん 2011/01/22(土) 00:07:26 0
騎馬ではない徒歩の遊牧民、あるいは半農半牧&商業の民か。
フルリ人はミタンニ時代からチャリオットは使ったが、馬に直接またがってはいない。
アーリア人もケルト人も周の貴族もチャリオット乗りで、騎馬遊牧民ではない。

「騎馬」「騎射」という高等技術が確立し、部族単位で遊牧や戦闘に活用する、いわゆる騎馬遊牧民が誕生したのは、南シベリアを起源とするスキタイからのようだ。キンメリオイがスキタイ以前から騎馬遊牧をやっていたかどうかは定かでない。
前4000年に黒海北岸で馬の飼育と騎馬遊牧が始まった、という説はかなり怪しい。

287: 世界@名無史さん 2011/01/30(日) 10:07:40 0
遊牧民がほぼ絶滅してしまい
古代から続いた遊牧民と農耕民族の対立が終焉
近代からは大陸国家と海洋国家の時代になった

288: 世界@名無史さん 2011/01/30(日) 10:45:56 0
急にはやめられないので、牧畜民になっておるよ。
ウランバートルのあたりでは、牧草地の確保の努力をしていて砂漠化防止の総量規制までやっいる。

定住化すると、方言ではなくハルハ標準語を使わざるを得ないので職にあぶれて、マンホール暮らしになりかねない。

289: 世界@名無史さん 2011/01/30(日) 23:33:25 0
遊牧カザフ人はロシア語も操って、ロシア人を手玉にとるようになるであろう。

291: 世界@名無史さん 2011/01/31(月) 22:50:41 0
最初の遊牧民はアーリア系か。

292: 世界@名無史さん 2011/02/01(火) 01:01:43 0
みたいだね。
8000年前のクルド地域が遊牧発祥らしく、イラン系という説がある。

293: 世界@名無史さん 2011/02/01(火) 01:13:52 0
素人だけど、文字すら無い時代になんでイラン系と検討がつくの?
素人なりに考えると、墳墓や社会形態から検討つけているの?

300: 世界@名無史さん 2011/02/03(木) 08:59:17 0
>>293
戦争をしたときの相手方の記録した集団名や有力者の人名等から推測。
けどあんまりアテにならん。

294: 世界@名無史さん 2011/02/01(火) 03:57:07 0
牧畜民族のアーリア系を騎馬民族のスキタイ系がステップからどつき回して
スキタイ系に蹴散らされたアーリア系民族がギリシャやインドを征服した
騎馬のスキタイに牧畜のアーリア人は歯が立たなかったらしいが、
それでも定住民のギリシャやインド相手には圧倒的に強力だった。


295: 世界@名無史さん 2011/02/01(火) 04:26:43 0
アーリア系の遊牧民諸族がインド・イラン方面へ南下を始めるのは4000~3500年前で、3000年前以後に形成されたっぽい騎馬遊牧民よりはるかに古いが。
メディア人やペルシア人はスキタイの一派を取り込んで騎馬戦闘を行えるようになった。

296: 世界@名無史さん 2011/02/01(火) 06:09:21 0
デレイフカ遺跡の年代測定に誤りが無ければ騎馬は5000~6000年以上前に成立してる。

299: 世界@名無史さん 2011/02/01(火) 15:09:24 0
その「デレイフカ遺跡で騎馬遊牧民が誕生した」説に誤りがあるんだよ。

年代測定は6000年前頃で馬の骨は出たが、集落としては規模が小さく、数家族しか住んだ形跡がない。
出土した馬の年齢は5歳以上8歳未満が半数で、しかも牡馬が9割という偏りがある。
馬を群れで飼うには種牡馬を中心にハーレムを作る必要があるので、牝馬の方が多くなくては家畜化の証拠にならない。
それも騎乗用馬や車の牽引馬にするには、最も体力のある5~8歳で死ぬのは早すぎ、せめて15歳頃まで使役しないともったいなくて殺せない。
食肉用に飼育するなら2~3歳の若馬で大きさも充分になり、肉質ももっとも柔らかいのだが、5~8歳では成長しすぎてやや肉が硬い。
おそらく季節的にやってくる野生馬の群れを数家族の狩人が待ち伏せて襲い、牝馬を逃がして狩人に立ち向かったハーレムの中心牡馬ばかりが殺されたのだろう。

また、出土した馬の歯には「銜(はみ)」を使った跡のような磨耗痕があり、一緒に見つかった鹿の角に穴を開けたものが「銜留め具である」ともいうが、銜そのものは見つかっていない。縄を銜がわりにしたとしても、「銜留め具」とやらの穴が縄を通すにも小さすぎるうえに一つしかない。どうも印欧語族の起源に関わるクルガン仮説のために年代を合わせたい研究者の捏造らしい。

301: 世界@名無史さん 2011/03/13(日) 20:13:01.38 0
スキタイもイラン系だけど、アーリア系とは言わないの?

302: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/03/16(水) 08:33:05.54 0
>>301
アーリア人がインドやイランに移動し始めた時期はスキタイ人が歴史上の記録に、現れ始めた時期よりも古いからね。
まぁ同時代の人で>>294のように考えた人は、いたかも知れないけど。スキタイ人が移動せずに残ったアーリア人の子孫という、可能性もなくはないのかな。スキタイの起源は結構なぞだからね。

304: 世界@名無史さん 2011/03/17(木) 04:35:25.86 O
何故スキタイと言う名前を見るとモンゴル系が思い浮かぶんだろ

305: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/03/17(木) 19:28:20.06 0
>>304
単に「遊牧民=モンゴル系」というイメージが染み付いてるだけじゃないかな。
スキタイはヘロドトスとかに記述されてるかせいか僕自身はイラン系のほうが、イメージ的にぴったりだと思うけど。まぁ、あくまで個人の主観の問題だけど。

306: 世界@名無史さん 2011/03/17(木) 20:06:21.13 0
ギリシャの北あたり、っていうイメージが

307: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/03/17(木) 20:11:14.24 0
>>306
なるほど、スキタイのいた地域には現在モンゴル系がいくつか、いるからね。まぁ、スキタイのいた時期とは全然時代が違うけど。

310: 世界@名無史さん 2011/03/27(日) 04:35:20.26 0
『乙嫁語り』(おとよめがたり)

311: 世界@名無史さん 2011/03/28(月) 22:27:30.36 0
乙嫁語りは19世紀だそうだが、あの頃の中央アジアって丁度ロシアが本格的に侵攻してくる時代だから描き方によっては相当血腥くもできるんだろうな。
トルクメンのヨムート部族なんかはコサックに女子供に至るまで虐殺されてる。

313: 世界@名無史さん 2011/03/29(火) 19:37:26.25 0
乙嫁語りは、綺麗な民族衣装を着て、豪華な絨毯を家に敷き詰めているが、本当にあんな生活をしていたのかな。
実際には、汚れてドロドロの服だったんだろうか。

318: 世界@名無史さん 2011/03/31(木) 01:12:37.62 0
>>313
遊牧系つながりで、麗江ナシ族のように泥だらけなんじゃね?
着脱式のエプロンや前掛けに装飾がついている形式にしてある。

315: 世界@名無史さん 2011/03/29(火) 20:04:05.74 0
現在写真で見られるような、女性の綺麗な民族衣装は婚礼の時だけでしょ?

316: 世界@名無史さん 2011/03/29(火) 20:05:30.43 0
いちおう嫁入り先は定住民の跡取り息子(末子相続で)
婿は12、嫁は20

317: 世界@名無史さん 2011/03/30(水) 09:35:57.18 0
あの辺だと遊牧民で縄張り争いに勝つ武力も家畜もない連中は本当に悲惨な暮らしをしてたらしい

321: 世界@名無史さん 2011/04/03(日) 11:14:40.08 0
ローマ帝国にも壊滅的打撃を与えヨーロッパで圧倒的な軍事力を誇っていた
ゴード族とアラン族、しかし、突然現れた遥か東から遠征してきた
見たこと無い未知の軍団によって簡単に滅ぼされた。
その名はフン族

322: 世界@名無史さん 2011/04/04(月) 00:58:54.78 0
何でウクライナ・カザフスタンあたりの遊牧民は東から新たな遊牧民の波が来るとたいてい撃退できずに吸収されたりハンガリーやバルカン半島に追い出されたりするの?

その東から来た連中もモンゴルあたりから追い出された負け組だったりするし

326: 世界@名無史さん 2011/04/04(月) 02:33:30.33 O
北ユーラシア遊牧民の原産地は東で西に来る過程で多くの遊牧民を吸収して大きくなってるのが普通だからじゃないか?

328: 世界@名無史さん 2011/04/04(月) 20:57:13.02 0
ユーラシア大陸の幅が東のほうが広いっつうのと関係あるかな?

341: 世界@名無史さん 2011/04/07(木) 21:02:26.69 0
東に逝けば行くほど敵の軍隊が強くなってくる
アレキサンダーがアジアを落とせなかったのもそれ
モンゴルも西に勝てても東は苦戦し完全に落とせなかった。

342: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/04/07(木) 21:07:22.34 0
>>341
モンゴル帝国って西のアッバース朝やロシアは割りと簡単に、征服できたのに東の南宋は征服するの手間取ってたからね。
南宋だって衰退期に入ってたはずなのに。確かに東のほうが苦戦してる。

343: 世界@名無史さん 2011/04/07(木) 22:05:04.69 0
おそらく都市の城壁の材質が大きな原因だろうね。
華北からイランやイラクは版築や日干し煉瓦、ロシア東欧は木、華南や西欧、地中海沿岸は石や焼き煉瓦で城壁が作られていた。モンゴル軍に対して、日干し煉瓦や木の城壁は全く無力だった。後に明王朝は焼き煉瓦による城壁建設に邁進する事となった。

345: 世界@名無史さん 2011/04/07(木) 22:25:27.84 0
高麗もけっこう手間取っていたな。
山だらけで人口がかなり多い相手は相性が悪いのかな?
あと石はよく使う。

346: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/04/07(木) 22:35:11.72 0
>>345
モンゴルは高麗を完全征服しないであくまで属国の地位に留めてたしね。

347: 世界@名無史さん 2011/04/07(木) 22:36:27.69 0
朝鮮半島も雨量に恵まれた土地だから、日干し煉瓦建築が困難な土地だね。

348: 世界@名無史さん 2011/04/07(木) 22:52:17.25 0
アレキサンダーは中央アジアとインドまで行って引き返したが、騎馬遊牧民の軍でもないのに出発点から遠ざかりすぎて疲労の極にあったし、旧アケメネス朝の支配もパミールやインダスの彼方までは及ばなかったから、無理して進む理由もなかったローマは西のイタリアを拠点としてギリシャやオリエントを征服したが、それ以上アジアの奥地へ進んでも維持防衛が難しいので、パルティアを温存して防壁にしている

モンゴルの東というと華北と満洲の金(女真)、江南の南宋、それに高麗と日本だが、最後まで征服できなかったのは海の向こうの日本だけで、南宋や高麗も島に逃げ込み海を防壁として抵抗している
高原地帯のチベットや雲南はわりと楽に攻略できたが、南宋・東南アジアは暑熱と湿気と密林のため遊牧民には向かない
草原と沙漠が延々と続く内陸ユーラシアはどこまでも遊牧民の天下で、モンゴルの進撃を食い止めたシリア・エジプト・北インドにはモンゴルと同類のマムルーク政権がいた

349: 世界@名無史さん 2011/04/07(木) 23:09:21.63 0
版築や日干し煉瓦は、やはり風雨で劣化するので、こまめに修築し続けなければならないとされる。アッバース朝初期に建設されたされるバグダッドの円城も、フラグの遠征時には、すでに風化して跡形もなかったとされる。

334: 世界@名無史さん 2011/04/07(木) 08:56:17.56 0
最後の遊牧帝国はアフガン人のドゥラニー朝 インド・ペルシャまで一時支配したものの行政能力が無かったのですぐに撤退した。

335: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/04/07(木) 09:28:07.95 0
>>334
杉山正明氏がそんなこと言ってたね。これ以降は、もはや遊牧民が積極的に征服活動できなくったしね。

引用元: ・世界史上の遊牧民たち




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