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1: 日本@名無史さん 02/03/18 15:07
鎌足の祀られている談山神社は神仏分離の前は寺だったらしい。だとすると、寺に祀られていた鎌足って何者なんだろう?中臣は神道の家系のはずだか。








2: 日本@名無史さん 02/03/18 15:10
神仏分離の前は神仏が一緒に祭られてたんじゃないの?
だから鎌足も寺に祭られてたんじゃ?

3: 日本@名無史さん 02/03/18 15:19
神仏習合は神道を仏教で説明するための考え方。
談山神社の前身が何系の寺だったか知らんがどっちにしても神道とは縁遠い。

4: 日本@名無史さん 02/03/18 15:37
>>3
あ、本地垂迹か?

11: 日本@名無史さん 02/03/19 19:27
奈良の春日大社は藤原家の神社ではなかったの?

12: 日本@名無史さん 02/03/20 03:23
そうだよ。興福寺とセット。

37: 日本@名無史さん 02/06/18 01:35
藤原氏の氏神を祀っている春日大社って、もし藤原氏が中臣氏の直接の子孫なら、第一殿に、中臣氏の祖先神である天児屋根命を祀るはずなのに第三殿に祀り、第一殿には茨城県の鹿島神宮から武甕槌大神を、第二殿は千葉県の香取神宮の経津主大神を御祭神としてを祀っているんでしょ。
藤原氏が本当に中臣氏の子孫なら第一殿に祖先神の天児屋根命を祀るんじゃないかなあ。


38: 日本@名無史さん 02/06/26 03:01
>>37 
タケミカヅチを祭ったのは大化の改新という背景からだと思われます。
鎌足は中大兄皇子とともに政界から蘇我氏を追討しましたよね。タケミカヅチも国譲りの時、同様に大国主の子供を追討しています。(ただ古事記は後世になって書かれているから前後するけどもね)経津主大神も同様ですね。
これは実際の祖先というよりも、政治的に、かつて同じような事件があった際の英霊の姿を仮り、自己の正統性を表現したかったという意図があったのではないでしょうか?
仏教が浸透し始めた不比等の時代には、神々は物語の中のものになりつつあった訳で、既に祖先神という概念は薄らいでいたものと思われます。神も仏も、鎌足親子にとっては政治的に利用できる道具の一つに過ぎなかったという所でしょう。

15: 日本@名無史さん 02/03/22 00:33
藤原頼通は平等院を建立してるけど何か?

16: 日本@名無史さん 02/03/22 07:20
てゆうか、歴代、建立してる人多いしね。
興福寺(鎌足の山科精舎、不比等の厩坂寺)
栄山寺(武智麻呂)、極楽寺(基経)、法性寺(忠平)、世尊寺(行成)、法興院(兼家)、積善寺(道隆)、法成寺(道長)、法界寺(家宗)。
中臣が問題って? 神祇を継承した大中臣氏の話をしろってことか?

17: 日本@名無史さん 02/03/22 23:02
藤原氏は聖武のきげんとって仏教にヨイショして出世していってそれでいいんだけど、鎌足は少なくとも鎌足自身の時代には仏教の関係者ではないだろう。なぜ、死んだ瞬間は中臣鎌足だったのになぜ亡骸が多武峰に葬られたなんで伝承があり、かつ、寺に祀られたのかってことよ。
多武峰には本当に百済の分国があったってことか?

18: 日本@名無史さん 02/03/23 05:48
はあ?
鎌足は山階寺でのちの興福寺維摩会を始めた張本人だぞ。
彼が家業の神祇祭祀を継がなかったのなんて常識だろ
多武峯に移したのは定恵だよ。 

41: 宗八 02/07/04 18:58
>>18
定恵は665年12月死去。 鎌足は669年10月没ですね。 私も以前何かで定恵が建立した・・と読んだ事がありましたがこれは有り得ません。
定恵

定恵(じょうえ、皇極天皇2年(643年)- 天智天皇4年12月23日(666年2月2日))は、飛鳥時代の学僧。定慧、貞恵とも書かれる。父は中臣鎌足(藤原鎌足)。

653年(白雉4年)5月、遣唐使とともに唐へ渡る。 長安懐徳坊にある慧日道場に住し、玄奘の弟子の神泰法師に師事した。遊学して内経外典に通じたという。665年(天智天皇4年)9月、朝鮮半島の百済を経て日本に帰国したが、同年12月に大原(現在の奈良県高市郡明日香村小原)で亡くなった。

『元亨釈書』では没年を和銅7年(714年)とする。


42: 日本@名無史さん 02/07/15 15:33
戦前書かれた本を読んだら、
定恵は714年に亡くなったと書いてあって驚いたが、典拠がはっきりせん。普通は665年没と書いてあるはずだが。
>>41と関係あるか不明。

45: 42 02/07/29 02:48
>>42
>定恵は714年に亡くなったと書いてあって驚いたが

改めて見たら、716年でした。スマソ

47: 日本@名無史さん 02/08/03 01:54
>>45
「本朝高僧伝」に定恵は714年6月12日寂とありますが?

53: 日本@名無史さん 02/08/18 02:07
定恵は孝徳天皇の皇子って説があるの?

54: 日本@名無史さん 02/08/21 16:03
っていうか、孝徳のご落胤説ね。それから不比等には天智ご落胤説。
ガイシュツだけど。

22: 日本@名無史さん 02/04/20 10:43
神教系の有力者を排除し、中臣氏が権力を得る為に仏教が利用されたんでしょ?
当時の先進国である中国や朝鮮と、交流を持つ意味もあるし。
ちがったっけ?

31: 日本@名無史さん 02/05/06 11:05
中臣鎌足は、常陸の鹿島神宮関係者だという説もありますよね。
神道に嫌気がさして、仏教を擁護したのでしょうか?

158: 日本@名無史さん 03/08/14 19:20
>>31 
>中臣鎌足は、常陸の鹿島神宮関係者だという説もありますよね。

中臣(ナカ ツ オミ)のナカは、常陸の那珂(ナカ)の事ではなかでつか?
…ってゆう事を考えた事がありますが、どうなの?

39: 天皇共産会 02/07/03 13:04
明治天皇の父親の代までは天皇の葬式も仏式であったよな。

46: 日本@名無史さん 02/07/30 00:45
>>39
神道での「死」は不浄のものだしね。
今現在でも、神職の人が葬儀は仏式でという事はある。
神式での葬儀が一般的になったのは廃仏毀釈(明治)以降に必要に駆られて。

55: 日本@名無史さん 02/08/28 10:49
>>1さん、このスレを立てて、結局自分の納得のいくまとまった結論に至ったのでしょうか。そこを聞きたいところですね。

私の意見としては定恵を僧として遣唐使に随行させていたりするところから、鎌足自身が仏教と無縁だったとは言えないと思う。しかし、鎌足の埋葬に関する仏教との関連の記述は後の人間が粉飾した疑いが濃厚ではないか。
こんなところが結論のように思うのだけど。

61: 日本@名無史さん 02/09/02 19:48
>>55
鎌足の墓は別に存在するだろ?古墳あるじゃんよ。
祭られてるのがなぜかって話でしょ?
この時期既に仏教が国教になってるからじゃん。
定恵とかまったく関係ないよ。

62: 日本@名無史さん 02/09/04 13:37
>>61
おいおい、古墳の中の骨折した死体が鎌足だとするなら、そこには全身欠けたところなく残っているわけだから、「寺で火葬した」という記述は嘘になるだろう。

まあ、阿武山古墳が鎌足の墓かどうかはまだ諸説あるので なんともいえんが。

「この時期」というのはいったい何年のことを指しているのかな?
それから中臣氏という一氏族の中の鎌足が仏教に対してどのようなスタンスだったのかを議論してきたのだから、国教だからでおしまいじゃ、話がかみ合わない気がするが。

阿武山古墳(あぶやまこふん)は、大阪府高槻市奈佐原・茨木市安威にある古墳。国の史跡に指定されている。阿武山(標高281.1メートル)の山腹に位置する。昭和初期に地下から古代の貴人の埋葬遺体が発掘され、被葬者を藤原鎌足(中臣鎌足)に比定する説が知られる。


68: 日本@名無史さん 02/09/05 02:06
ズレるが阿武山古墳の候補者って他に誰がいるんだ?
もし鎌足だったら寺の意味は何だったんだろうか。
このスレの存在意味にも関係してくるけど。

69: 日本@名無史さん 02/09/11 11:36
>>68
右大臣蘇我倉山田石川麻呂の墓という説もあるね。彼は負傷して死亡しているから、怪我をした遺体と符号はする。阿武山自体、中臣-藤原よりも蘇我氏に縁のある地域だと思うし。
副葬されていた布製の冠が「大職冠」ではないかというのが、鎌足説のひとつの論拠だろうが、この時代の冠のデザイン自体がはっきり伝わっていない以上紫冠を得ている石川麻呂の可能性は否定できない。

むしろ、藤原氏に縁の深い山科にある天智天皇稜こそが鎌足の墓であるというぶっとんだ説もある。

以上こういう説もあるよということで、信憑性の方は「?}でしょうか。

87: 日本@名無史さん 02/10/10 11:06
たとえば、じいさんがこてこての仏教徒だったら自分もこちこちの仏教徒かって言うと、そんなことはない、ってことで、中臣氏だからどうってこともないのでは。まして鎌足は神職でなく政治家。あとは、鎌足の葬式は鎌足本人の死後ってことで、誰がその葬式を実際に挙行したか、ってことだな。
天皇が盛大に国葬っぽく音頭取ったかもしれんし、それとは別に妻が内輪で葬式したかもしれんし、はたまた、あとで不比等や子孫あたりが祀りなおしたかもしれんし、史料があてにならん以上、なんとでも解釈はできる。

89: 日本@名無史さん 02/10/17 14:39
>>87
まず仏式の葬儀というものをだれが最初に行ったかということ自体が定説が固まってないだろう。>>1の「なぜ寺に」という問い自体ナンセンス。
「後代に」という意味なら、後の藤原氏の都合以外の何者でもない。 

126: 日本@名無史さん 03/04/14 05:42
大阪府高槻市の阿武山古墳が発掘調査され、織冠が確認されたことから、鎌足の墓とみなされるようになったが、なんとその人骨から、砒素が検出されている。

127: 日本@名無史さん 03/04/16 22:12
>>126
高校の図書室の歴史読本かなにかで読んだよ。びっくりしたねー。
薬として飲んでた可能性があるかも。「水銀飲んで不老不死」は西洋にもあった。
毒殺かどうかは量で判断できるのかな。

あの墓自体はずっと前に発掘されてたそうだけど、全然知らなかった。
なんで教科書に載らないんだろう。

128: 日本@名無史さん 03/04/17 20:48
砒素が検出されたのは事実であるうえ、砒素が不老不死の薬と思えないので、藤原鎌足の毒殺は決定的として当時の情勢を組み立て直す必要あると思われ。

207: 日本@名無史さん 05/01/11 01:51:27
>>128
>砒素が検出された...

当時、植物系毒物だけでなく、鉱物系毒物も知られていたってこと?

243: 日本@名無史さん 2006/02/07(火) 00:11:27
>>128
砒素化合物は毒性は強いですが、中国では仙薬として調合されていた事実がありますよ。
詳細は「酉陽雑狙」にて

152: 不動みょ王 03/07/29 22:21
鎌足の墓を1987年くらいに発掘調査して雑誌で売り出されたよね。
買っておくべきだった。確か、馬から落馬して骨折したのが致命傷だったそうだが。
藤原氏の祖というべき人物だからね。

192: 日本@名無史さん 04/06/24 09:18
結局、蘇我 vs. 物部&中臣による神仏論争って、宗教的というより、政治的抗争の、象徴の1つだったんでしょう。

それとは別に、結局、仏さまも八百万の神の1つとして、日本人はどれかを特別視することなく拝んだりしてきたのよね。

194: 日本@名無史さん 04/08/11 00:38
神仏論争の頃と、寺に祀った頃では時代が違いすぎない?
寺が0の時と、寺がいっぱいあちこちの時代。

198: 日本@名無史さん 04/10/26 09:14:18
物部も寺を建立してたから、一瞬だけだったんだろうね。>神仏論争

229: 日本@名無史さん 2005/09/20(火) 21:34:02
http://www2.plala.or.jp/cygnus/s7.html

棺の中から出現したものは、ミイラ化した白骨遺体であった。半分骨になりながら肉片や毛髪、それに衣装も残るといった信じられない保存状態であった。一説によれば、男性器や陰毛までもが確認できたらしい。

そんなバカな・・・
もし戦後に発掘されていればもっと詳しい結果が出たかも・・・・

278: 日本@名無史さん 2007/07/16(月) 22:55:58
多武峰ってかなり山奥ですね。
どこかに歴史の真相が伝わってないのかな。

引用元: ・藤原鎌足って何故寺に祀られてたの?




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