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1: 日本@名無史さん 03/07/21 21:44
伊達の本家は宇和島です。明治政府認定済








20: 日本@名無史さん 03/07/26 20:43
よく言われることだけど、
明治以降は、宇和島は侯爵、仙台は伯爵。地位は、分家>本家となった。

伊達一門の集まりがあった時なんかは、気まずかったのかな?

21: 日本@名無史さん 03/07/26 21:12
宗城って旗本の生まれのわりに、あんまり佐幕っぽくないね。

22: 日本@名無史さん 03/07/26 21:13
宇和島伊達の幕末の藩主、宗城は旗本の次男だよ。

爵位の差は戊辰戦争への功績だろ。

24: 日本@名無史さん 03/08/01 22:55
宗城の父の旗本は宇和島伊達家の子だろ。
べつに砂漠じゃなくても不自然じゃない。

32: 日本@名無史さん 03/09/03 01:18
長州藩では士分でなかった大村益次郎を発掘して日本最初の国産蒸気船を作り上げた奇妙な藩だったな。

ほぼ同時期に佐賀藩、薩摩藩でも完成させたが、宇和島は10万石の分際でやってのけたとこがすごい。
161: 日本@名無史さん 04/03/08 10:46
村田蔵六が宇和島にいたのって 
何時から何時までなんですか? 

162: 日本@名無史さん 04/03/15 23:53
村田蔵六(大村益次郎)は嘉永6年(1853)から七年間。

163: 162 04/03/16 18:50
訂正。 
宇和島に実際にいたのは嘉永6年から二年余りだって 
参勤交代の時に江戸にあがり 宇和島藩に在籍したのが七年間みたい。

19: 日本@名無史さん 03/07/26 20:29
なんで豊臣秀吉の肖像画持ってんだよ?

30: 日本@名無史さん 03/09/02 20:58
>>19
藩祖・伊達秀宗は秀吉の養子格だったから。
尤も、そのせいで伊達家後継者の座を弟に奪われるんだが。

34: 日本@名無史さん 03/09/03 01:47
秀宗は政宗の庶子です。
だから秀吉の人質に出された。

38: 日本@名無史さん 03/09/06 00:22
>>34
正確にはこのとき仙台藩二代目になる虎菊丸(忠宗)は生まれていなかった。
んで、側室の子とはいえ、唯一の男子の兵五郎(秀宗)が暫定的な跡取りとして人質に出されたわけ。
兵五郎は秀吉から可愛がられ、秀頼の側小姓になり、秀の字を貰って聚楽第で元服式。
秀吉の養子として従五位下の位も貰ってます。
が、徳川政権に移行後、苦しい立場に追い込まれる。
この時、虎菊丸は生まれており、人質は跡取りがなるのが通例(徳川では特にそのはず。何せ家康自身がその経験者なので)なので徳川への人質は彼がなり、秀宗は解放、どこかに適当な領地を貰って、というコースを辿る筈が、何故か江戸でも人質に。
つまりこの時まではまだ彼が跡取りだったのでは?
この時政宗は晩年の「保身のプロ」ではなくまだ「チャレンジャー」だったのではなかろうか。
こういった余計な期待を持たせたことで伊達親子は後に大喧嘩するんだが。

36: 日本@名無史さん 03/09/03 02:21
伊達政宗ー伊達忠宗ー伊達綱宗ー伊達宗贇ー伊達宗年ー伊達村侯ー?-山口直勝ー
伊達宗城

37: 日本@名無史さん 03/09/03 02:38
-伊達村侯-山口直清(次男)-山口直勝-


51: 日本@名無史さん 03/12/23 16:08
【仙台・伊達伯爵】
伊達政宗-伊達忠宗-伊達宗房-伊達吉村-伊達村良-田村村資-伊達斎義-伊達慶邦-伊達邦宗-伊達興宗(伊達宗家第32世当主、仙台伊達第16代)

【仙台分家・伊達男爵】
伊達政宗-伊達忠宗-伊達綱宗-伊達宗贇-伊達宗年-伊達村侯-山口直清-山口直勝-伊達宗城-伊達宗敦(仙台藩知事)

【宇和島・伊達侯爵】
伊達政宗-伊達忠宗-伊達綱宗-伊達宗贇-伊達宗年-伊達村侯-伊達村壽-伊達宗徳-伊達紀隆-伊達宗彰(宇和島伊達家11代当主)

【吉田・伊達子爵】
伊達政宗-伊達忠宗-伊達綱宗-伊達宗贇-伊達宗年-伊達村侯-山口直清-山口直勝-山口直信-伊達宗敬(吉田伊達家9代当主)
48: 日本@名無史さん 03/11/29 19:22
今の宇和島の人は伊達政宗のことどう思ってんのかな?

50: 日本@名無史さん 03/12/05 12:39
>>48 
初代城主は「ひでむね」さんやけん、「まさむね」さんは、うわじまとは関係ないんよ。 
あのひとは、せんだいのひと。 
・・・と、うわじまのひとは、考えとんなはる。

54: 日本@名無史さん 03/12/31 13:09
宇和島城って、コンパクトな感じで結構好きです。

61: 日本@名無史さん 04/01/08 22:42
伊達宗城って確か新政府の清国公使になったんじゃない?

66: 日本@名無史さん 04/01/09 13:38
幕末に小藩ながら大広間詰めというのは凄いね。
松山を差し置いて伊予の国の準国主というのにも驚き。
愛媛は廃藩置県後は宇和島県だったんだっけ?

67: 日本@名無史さん 04/01/09 14:06
>>66
今の南予地方が宇和島県と呼ばれてたような記憶があるが、記憶違いだったらスマソ。

74: 日本@名無史さん 04/01/19 23:40
宇和島城の天守閣って中入れるんですか?
以前は入れたらしいけど。

75: 日本@名無史さん 04/01/20 00:11
宇和島城の天守閣って白石城のより小さくない?

76: 日本@名無史さん 04/01/20 05:35
宇和島城は現存する12天守閣のうち7番目の高さだそうです。
再建された白石城天守閣とは高さは16m前後で同じくらいだったと思います。

79: 日本@名無史さん 04/01/20 19:33
宇和島藩の歴史には避けて通れない、吉田三万石分知について誰か語って。

伊予吉田藩(いよよしだはん)は、明暦3年(1657年)7月21日、宇和島藩の初代藩主・伊達秀宗の五男・宗純が宗藩より3万石を分知されて立藩した支藩である。三河国の吉田藩と区別するため伊予吉田藩と呼ばれた。

この3万石分知の経緯については諸説ある。秀宗は宗純を寵愛しており、父・政宗が死去するまで支出していた隠居料3万石を宗純のために分知した、と一般に言われている。一方で、2人の兄が相次いで早逝するなかで世継となった三男・宗利を妬んだ宗純が、仙台藩の伊達宗勝(政宗の十男で秀宗の異母弟)と共謀し、秀宗の遺言書を偽造した、とも言われている。

彦根藩主・井伊直孝の仲裁により3万石分知は果たされたが、吉田伊達家と宇和島宗家は領地の帰属を巡って激しく対立した。


80: 若狭守家中 04/01/20 22:50
>>79
弟のほうが可愛いいんじゃ。by秀宗
で、井伊の孫 宗実、宗時 兄弟はなんで宇和島を継がなかったのか
桑折宗臣はなぜ家臣になったのか。
とか、いってても結局、仙台の忠宗の子孫に乗っ取られるんだよね。吉田も宇和島も
まぁ、家斉の息子を押し付けられるよりはマシだったが、旗本山口氏から養子の時に

107: 日本@名無史さん 04/01/30 15:47
仙台、宇和島、吉田の現当主の血統を辿っていくと、一度も伊達以外の名字になってないのは宇和島伊達宗礼さんの血統だけ。
仙台伊達泰宗さんは6代前に一関田村村資公がいる。
吉田伊達定継さんの4~6代前は旗本山口氏。

108: 日本@名無史さん 04/01/30 20:45
>>107
とはいっても、旧藩主家当主全員が政宗の子孫なのは珍しい。宇和島が山口から養子を迎えたときや仙台が田村から養子を迎えたときなどに家斉の子や御三家御三卿から養子をもらわなかったのはなんでだろ。
財政的には養子をもらえばすごく楽になったらしいが家臣から見ても、旗本の子より将軍一族のほうが殿様に箔が付くと思うし

109: 日本@名無史さん 04/01/30 22:20
>>108
それだけ伊達政宗の血を重要視してたって事だろうね。

110: 日本@名無史さん 04/01/30 22:24
>>108
むしろ伊達政宗の子孫が他家の養子に出てる事が多いし
需要が多かった血統なのにわざわざよその血を入れることはないと言う事でしょう。

137: 宇和島人 04/02/03 20:06
宇和島名物 てんぷら 笹かまぼこが宇和島に伝わりなぜかじゃこ天になっとかいわれている。
が、そもそも米沢には海はないというのは周知の事実である。

138: 日本@名無史さん 04/02/03 21:23
笹かまぼこが揚げられてじゃこ天になったってこと?

196: 日本@名無史さん 04/06/23 21:45
宇和島には東北以来の名物とかないのですか?

197: 日本@名無史さん 04/06/23 23:37
>>196
牛鬼、てんぷら なんかは、東北から来たと聞く。宇和島は伊達以前は公家の西園寺家が治めていたのでまた~りとしていたらしい。
闘牛も伊達由来?

211: 日本@名無史さん 04/06/27 10:19
宇和島藩出身の有名人といえば大阪電燈社長で大阪商工会議所会頭もやった土居通夫と阪神電気鉄道専務で小林一三と争った今西林三郎だろ。

212: 日本@名無史さん 04/06/28 14:09
『世界の中心で愛を叫ぶ』の著者、片山恭一氏も宇和島出身。
小説の舞台も宇和島だよ。

213: 日本@名無史さん 04/06/28 23:08
二宮忠八 
飛行機を発明したといいはる発明家で飛行神社神主も宇和島領八幡浜出身
先祖は大洲藩士だけど浪人し八幡浜移住。

児島惟謙も宇和島出身

249: 日本@名無史さん 04/07/09 16:50
宇和島〔藩〕ではないが、かの地で最強なのは、木村鷹太郎でしょう。
よく日本の文明や文化の発祥は韓国なんて言ってる奴がいるが、木村も同じようなことをしていた。
(ヴェトナムの)サイゴンは西郷タカモリが語源とか、シシリー人は江戸奴とか、かなりの電波を放出している。
それでも一応、当時としては立派な人だったのか、与謝野鉄幹・晶子夫妻の媒酌人を務めている。

299: 日本@名無史さん 04/08/24 22:20
猫御前

300: 仙台も知る二股人生 04/08/25 19:59
猫御前は、伊達政宗の側室?
秀宗にくっついて、宇和島に来たんだっけ。
(大河ドラマ独眼流政宗のとき、ちょっと、記憶があるが、記憶がうすらいでるのが、くやしい。「猫、宇和島へ」というタイトルの週があった。) 
宇和島へ行った理由は?
宇和島でどこに住んでいて、何か、行動の記録は?

302: 日本@名無史さん 04/08/26 11:49
>>300
飯坂氏(猫御前)の没年は1612年で、秀宗が宇和島に行ったのが1614年だから、猫御前は宇和島には行ってません。
大河や小説を鵜呑みにしないように。

301: 日本@名無史さん 04/08/26 09:56
猫御前の血筋は3代で途絶えちゃう~

303: 日本@名無史さん 04/08/26 13:23
>>301
宇和島は3代、吉田は6代、男子血統だけなら1861年に亡くなった表高家上杉義礼までは確認できます。

340: & ◆2F1nYDgaQo 04/12/03 14:23:02
>猫御前
1569-1634
秀宗と共に宇和島にはいかず、晩年は政宗の三男の宗清を養育したようだ。

318: 日本@名無史さん 04/09/21 22:59:06
高野長英が宇和島に潜伏したのは、出身である仙台と同じく伊達家が治める土地だったことが、なにか関係していたのでしょうか?

321: 日本@名無史さん 04/09/23 23:31:28
>>318
最先端の蘭学の人材を求めていた宇和島伊達家の殿様が、高野長英を囲ったからでは。

400: 日本@名無史さん 05/03/11 16:49:13
宇和島は侯爵
仙台は伯爵

401: 日本@名無史さん 05/03/11 18:30:21
わずか十万石で侯爵って、凄すぎるな。

403: 日本@名無史さん 05/03/11 21:13:33
>>401
干拓やら埋め立てやらで実質100万石だったらしい。
あと八幡浜のトロール漁船で闇貿易やらも行ってたし養殖真珠や伊予柑も藩の専売品として上方や江戸に出荷していた。

って殖産興業、何もしてないよな。宇和島藩って

406: 日本@名無史さん 05/03/11 21:39:55
>>403
実質百万石って、どんな資料を見たらそんなことを言えるんだか。

422: 日本@名無史さん 05/03/13 04:30:44
>>410
だいたいトロール漁船とか、養殖真珠っていつの話なんだよ。

425: 日本@名無史さん 05/03/13 09:14:35
>>422
それをつっこむなら伊予柑もつっこんどけ。

420: 日本@名無史さん 05/03/12 17:54:40
宇和島伊達は「公家なり」の家柄で、かつ「国主」クラスの待遇だったから。
色々な面で大藩と同等の扱いを受けていた。
実高は20万石にはとどかない程度ではないかな?

423: 日本@名無史さん 05/03/13 08:16:30
厳しく見ても15~18万石くらい。

宗城ばかり注目されているが、歴代藩主も味わい深い人が多いね。

428: 日本@名無史さん 05/03/13 10:17:25
『旧高旧領取調』では意外にもほぼ表高と一緒。むしろ端数レベルで10万石切ってる。
吉田領を足しても12から13万石くらい。つまり江戸時代を通してほとんど増えていない。
まあ、ほとんど山と浜だからそんなものか。

429: 日本@名無史さん 05/03/13 11:02:37
じゃ、幕末に活躍できたのは、宗城の能力がよっぽど高かったのかな。

430: 日本@名無史さん 05/03/13 15:45:23
>>429
宗紀のお陰もあるんじゃない?

458: 日本@名無史さん 2005/03/27(日) 09:36:30
宗城、土居、児島以外に幕末で活躍した人っているんでしょうか?

459: 日本@名無史さん 2005/03/27(日) 10:40:35
>>458
松根図書、井関盛艮

460: 日本@名無史さん 2005/03/27(日) 11:25:45
松根図書の名をアーネストサトウの「一外交官~」で見たことある。
優秀な人だったのかな。

461: 日本@名無史さん 2005/03/27(日) 18:08:05
>>460
松根図書は、宗城・宗徳の2代にわたって仕えた宇和島藩家老。
主に財政、民政を担当し、用水路の修築や河川の改修を行なった他、海産物・紙・茶・蝋などの生産・専売を図り、藩内商人を長崎貿易に従事させ、それらの産物を取り扱わせた。
さらに、逃亡中の高野長英、村田蔵六らを招き、西洋兵学の教授や洋式砲台の建設を行わせた。英国公使パークスの来藩をも画策し実現させている。

462: 460 2005/03/30(水) 08:28:26
>>461
有難う。凄い人物だったんですね。
前、宇和島に行った時、屋敷跡の碑が病院(名前失念)にあった。
松根図書の遺品が観られる博物館って無いんですかね?

468: 日本@名無史さん 2005/03/31(木) 18:13:59
>>462
あと松根は、優秀ゆえに幕府から妬まれ、藩主宗紀は大老井伊直弼に内々に呼び出され、「貴藩の松根図書という家老は江戸に出さぬように」と言われたそうな。
また、土佐の山内容堂から宗城に宛てた手紙の中に、「いささかにても時運変革、大活眼を開かんと欲し居る者は、貴国の此の如く開け居り候儀羨望にたえず候。松根氏の力多きに居る想像すべき也」とある。

473: 462 慶長410/04/01(金) 01:31:07
>>468>>469
詳しい解説有難う御座います。勉強になりました。

宗紀といえば、確か天赦園を作った藩主ですよね?
かなり優秀な藩主だったんでしょうね。

ところで、松根家は本家(仙台)がルーツなんでしょうか。

476: 日本@名無史さん 慶長410/04/01(金) 09:05:23
>>473
そうです。宗紀は天赦園を造りました。
もともとは二代藩主宗利が寛文十二年に埋め立てて造成した浜御殿があったのですが、その南寄りの一角に文久二年隠居所造営の工事を起こし、同年十二月に潜渕館(明心楼、明治二十九年取り壊す)、記念館、春雨亭、月見亭が完成。宗紀はここに居を移し、南御殿と称した。
翌文久三年二月、時の勘定与力五郎左衛門に命じて庭造りに着工し、慶応二年に完成。ここを〔天赦園〕と名付けた。
この名は伊達政宗が詠んだ漢詩の一文、
「残躯天所赦(残躯は天の赦す所)」に由来する。

引用元: ・【伊達】宇和島藩の歴史【てんぷら】




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