1: 世界@名無史さん 2017/12/15(金) 21:38:12.80 0
ここがすごいよイタリア戦争

1、世界初の大規模な騎士同士の戦争参加した国は 今のイタリア、ドイツ、イギリス、スペイン、フランス、オーストリア、ギリシャ、トルコ、と世界規模の戦争となる

2、騎士の時代の終焉、この戦争により騎馬兵や騎士の華々しい軍功は消え歩兵や大砲による近代戦が幕を開ける

3、イタリア統一400年の悲劇の始まり

戦争の形態は中世的な騎士を主体とした戦闘ではなく、火砲(鉄砲)を持った歩兵の集団戦の形態に変化した。また、大砲が実用化され、戦闘規模が拡大し、火砲の優劣が勝敗を分ける要素として重要になってきた。このような武器の変化にともなう、戦術、戦争形態の変化は軍事革命といわれており、騎士階級を没落させた
そして。







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イタリア戦争

イタリア戦争、またはイタリア大戦争、ハプスブルク・ヴァロワ戦争、ルネサンス戦争は、16世紀に主にハプスブルク家(神聖ローマ帝国・スペイン)とヴァロワ家(フランス)がイタリアを巡って繰り広げた戦争である。

教皇領、イタリアの都市国家、ヴェネツィア共和国、西ヨーロッパのほとんどの国(イングランド、スコットランド、前出のフランス、スペイン、神聖ローマ帝国)も参戦した。

ミラノ公国とナポリ王国の継承争いから始めたこの戦争は、やがて諸国を巻き込み、権力と領土を争うための戦争となり、数々の同盟、対抗同盟、裏切りが行われた。




18: 世界@名無史さん 2017/12/17(日) 17:41:08.24 0
>>1
イタリア戦争の結果、西ヨーロッパ諸国間で互いに大使を常駐させる外交慣例が定着し、また、一国が突出して力を持つ状況になると関係国が介入してそれを抑制し、力の均衡を保つという、勢力均衡の原則が国際政治の論理として姿を現した

も付け加えて。

3: 世界@名無史さん 2017/12/15(金) 21:50:48.00 0
イギリスに王座を奪われるスペイン・・・・この戦争で近代ヨーロッパ史の勢力図が出来上がったよな

4: 世界@名無史さん 2017/12/16(土) 12:26:55.42 0
あんまり話題に挙がらんよね中世ヨーロッパ史でも

かなり大規模な戦役なんだがな

5: 世界@名無史さん 2017/12/16(土) 15:27:41.44 0
英語版WIKIは充実してる
30年戦争と同じくらい重要な戦役だけどな

6: 世界@名無史さん 2017/12/16(土) 15:33:57.44 0
基本この戦争はスペインの勝ちフランスの負けだが
神聖ローマが相変わらずばらばらなおかげでフランスは助かってる
スペインはヨーロッパで覇を唱えるには端すぎる
あとスペインとフランスはピレネーがあってあまり大規模な戦闘が起きにくい
主戦場は北イタリアとフランス・ベルギーの国境戦

7: 世界@名無史さん 2017/12/16(土) 15:35:28.38 0
ベルギーは当時はネーデルラントで国境線はもっと南のアルトワだけどね
わかりやすくベルギーとした

10: 世界@名無史さん 2017/12/16(土) 22:18:28.13 0
>神聖ローマが相変わらずばらばらなおかげでフランスは助かってる

神聖ローマ帝国がばらばらなままだったのは、リシュリュー枢機卿をはじめとするフランスの指導者たちが故意にあの国を分裂したままにしておこうと努力したせいだと思うが。

11: 世界@名無史さん 2017/12/17(日) 00:50:21.29 0
>>10
フランスが宗教内乱やってる間に全くドイツ側から有効な手をとれなかったのがね

15: 世界@名無史さん 2017/12/17(日) 11:43:54.59 0
>>6>>11
ヘンリー・キッシンジャーが『外交』で、近世初頭のフランスのことを、神聖ローマ帝国の再生により「フィンランド化」される国と書いていた。

ヨーロッパの地図を一目見れば、フランスが周りをハプスブルクの領地に囲まれていたことがわかる。南にはスペインがあり、南東部にはスペイン支配下にあるイタリア北部の都市国家群、東部ではフランシュ・コンテもスペインの支配下にあり、さらに北方はスペイン領ネーデルラントだった。

一般に考えられている以上に、この時期のふらんすは危機的な状況にあったわけだ。ハプスブルク家が、フランスよりもプロテスタントを敵視する古い考え方に凝り固まっていたおかげでフランスは助かったけど。

8: 世界@名無史さん 2017/12/16(土) 19:34:37.74 0
イタリア戦争ってイタリアからして見れば無駄に戦火が広がって死人わんさか出した挙げ句統一までの道のりを長引かせたってもんだからイタリアじゃ負の歴史なんだろうな

12: 世界@名無史さん 2017/12/17(日) 00:54:41.51 0
>>8
それ以前から統一なんて全然無理な感じだったけど
真ん中に教皇領があるから強力な世俗政権作れない構造になってる

13: 世界@名無史さん 2017/12/17(日) 07:58:30.47 0
フランスはシャルル・ダンジュ―の時代から地中海世界に対する野心を抱いていたからな 
もしフランスが南イタリアを手に入れていたらヨーロッパの歴史もかなり変わっていたんだろうな

14: 世界@名無史さん 2017/12/17(日) 10:50:09.84 0
フランスが産業革命を成した、、、とそうなればイギリスはいずれ来るフランス海軍にほろぼされてたな

イタリアという国そのものがなかっただろうな
北はローマかヴェネチアという国南はナポリという国に

19: 世界@名無史さん 2017/12/18(月) 14:38:13.30 0
>>14
イギリスが先んじたのは地政学要因だから無理
フランスは中国と立ち位置が似ていて国内で資源もあり市場がでかいから
イギリスほど海外進出は積極的になれなかったとウォーラステインが書いてる
広大な海外領土があるのに海外に植民する気運がイギリスに比べて全く低かった

20: 世界@名無史さん 2017/12/18(月) 14:50:13.40 0
例えばイギリスはバルト海貿易や北米貿易で資源を依存していた
東欧や北米からは木材、スウェーデンからは鉄、良質な木材が海軍を維持にする重要だし、冶金のために熱をおこすこにも木材は重要
イギリスは木材資源に困っていて他の国より先んじて石炭を使うようになる
あと国内市場も小さいから競争が激しい欧州よりも比較的ゆるい植民地との貿易が盛んになりその結果移民も増える
こうやって貿易網を経済縮小期の17世紀の段階でフランスより拡大させていった
これが1世紀後の産業革命の経済拡大期でいっきに有利に働く要因になるというのがおおまかな要約

21: 世界@名無史さん 2017/12/18(月) 14:58:23.49 0
付け加えると
フランスは鉄も木材もスウェーデンやバルト海ほど良質でないにしても国内に充分あったのでイギリスほど海外進出する動機がうすい
それと国内の陸路の貿易網もうるおっていた
けれども海路による貿易の方が初期投資は高いが陸路より長期でみればコストは安くなり相対的にイギリスが有利になる
時代がイタリア戦争とずれるけど
イタリア戦争の頃は経済拡大期だからね
この頃は経済的に北イタリア→南ドイツ(フッガー、ヴェルザー)→ケルン→ネーデルラントのルートが経済の中心

25: 世界@名無史さん 2017/12/19(火) 09:40:06.94 0
スペインではカトリック両王期に、アラゴンが勢力を伸ばしていたイタリアの覇権をめぐって、フランスとの対立が本格化した。1494年、アラゴン家傍流が治めるナポリ王国がフランス軍に制圧されると、フェルナンド2世は教皇やヴェネツィアと結んで対抗し、フランス軍をイタリアから敗走させる。
1男4女に恵まれた両王は積極的な婚姻戦略を進め、フランスとの対抗上、イングランドには末娘カタリーナを嫁がせ、ハプスブルク家とは、嫡男フアンの妃を迎えるだけでなく、次女フアナを同家の次期当主フィリップ美公に嫁がせて、二重の婚姻を結んだ。
こうしてスペインはフランスに対抗しながらヨーロッパ国際政治の中心に躍り出ることになった。

26: 世界@名無史さん 2017/12/19(火) 14:59:35.82 0
イタリア戦争といえばサッコ・ディ・ローマが有名だけど。

もともとランツクネヒト(ドイツ人傭兵)は、貧しい農村出身者で大半が占められていた。
彼らは常日頃から、聖職者の貪欲な搾取や目に余る腐敗や、教会に支払う十分の一税の重さなどに憤懣を抱いていたが、それがイタリアにきて一気にあふれ出し、教会や僧院ときくと逆上した。

故国でプロテスタントの反教皇庁宣伝を聞きかじり、怒りを募らせていたランツクネヒトらは、当然のことながら悪の巣窟とみえたヴェティカーノ宮へも押しかけ、宮殿の壁にカール5世に対する賛美、V.K.IMP(カール皇帝万歳)や、マルティヌス・ルテルス(マルティン・ルターのラテン名)を槍で引っ掻いて刻み付けたりした。

ローマ劫掠 Sacco di Roma

イタリア戦争中の1527年に起こったローマの略奪。ゲオルク・フォン・フルンスベルク指揮下のドイツ人傭兵は飢えた集団となって,1526年11月アルプスを越え,当時ミラノを支配していた神聖ローマ皇帝軍のブルボン公がこれに合して,2万2000におよぶ暴徒となり各地で略奪を重ねながら,27年5月6日,ローマの城壁内に侵入した。教皇クレメンス7世はサンタンジェロ城に避難し,ローマ全市は暴徒の略奪,暴行殺人,破壊にゆだねられた。


28: 世界@名無史さん 2017/12/19(火) 21:23:40.55 0
まあプチ氷河期の1500年代初頭ってのもドイツ人傭兵を生み出し戦争を集団戦へといざなった要因だろうね

そこんとこは日本の戦国時代と似てるなまあ欧州の場合は騎士は没落したが

30: 世界@名無史さん 2017/12/19(火) 23:09:02.50 0
ドイツはその後も傭兵だらけになるからな
他国の兵もドイツ人だらけ
カール5世がドイツ語は馬の言葉と表現したが
あれはドイツ語が馬のいななきに聞こえるわけではなく
軍隊の言葉という意味だろう

31: 世界@名無史さん 2017/12/19(火) 23:21:30.12 0
こまかいツッコみだけどランツクネヒトが生まれたのは1500年代初頭よりちょっと前
マクシミリアン1世がブルゴーニュの継承問題で対フランス戦でスイス傭兵をモデルに編成したのが最初だったと思う
歩兵戦術に関してはスイスの影響がでかいな
ブルゴーニュ公シャルルを1477年にナンシーの戦いで反ブルゴーニュー連合がスイス歩兵の突撃戦術で打ち破ってシャルルが戦死
ブルゴーニュの継承問題の発端になったのもスイスが原因の一端になっている
32: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 00:16:09.27 0
そのスイスも1515年にマリニャーノの戦いで敗れて単なる傭兵輸出国になる

36: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 19:00:06.56 0
>>30
世界史と話ずれるが戦国時代の甲斐国の武田とよく似てるね

ドイツも甲斐もろくに作物が実らない常に飢餓状態で飯を食うには不毛な土地を耕すより戦争したほうが早い

だからドイツも甲斐も人口が他国より少なかろうが必ず一定数以上の兵隊を維持できた

37: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 20:38:45.64 0
農場領主制って知ってる?
ドイツは食糧輸出国だったことがあだになって近代に入っても大土地所有が残ってたりした国なんだけど

42: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 22:46:38.14 0
>>37
グーツヘルシャフト(Gutsherrschaft)いわゆる再版農奴制といわれるやつでしょ?

38: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 21:02:07.75 0
ドイツは人口多かったぞ
少ないのはポーランドとかバルカンあたりの東欧地域


no title

39: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 21:36:47.46 0
ドイツは南国みたいに野菜は取れないけど小麦はかなりとれたみたいだな
あと鉱物資源も取れたし都市部の産業も栄えてた
イタリア戦争時代の南ドイツは好調でフッガー家が象徴するように欧州経済の核の1つになってたし
ドイツでも貧しい地域や貧しい階層の人間が傭兵業に参加したのは確かだけどドイツ全体が貧しかったというのはちょっと違う
領邦が分立してて戦闘する機会が多いから需要も増えて傭兵業が盛んだったと考えられる

40: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 22:23:36.99 0
>>38
スペインが意外に少ないな

41: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 22:41:14.26 0
スペインはフランスのように国土のほとんどが農地に向いた国ではないからな。
ガリシアからピレネー山脈にかけての北部地帯以外は乾燥しており、年間を通じて雨が少なく、夏冬の温度差が激しい。

さらにメセータという巨大な台地が国土の中央部を占めていて、沿岸部と内陸部の標高差が大きく、河川交通がほとんど発展せず、経済統合には不利な条件だった。

43: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 23:18:19.06 0
スペインは海岸沿いはいいけど内陸の気候はアラブ圏と大して変わらんもんね

45: 世界@名無史さん 2017/12/22(金) 09:43:53.99 0
サッコ・ディ・ローマが起きたときの皇帝軍の編成は、スペイン、イタリア、スイスの兵士たちと、大部分がルター派に属していた1万8千人のドイツ兵からなる混成部隊だった。そして全員が、金品だけが目当ての傭兵だったのである。
ところがブルボン元帥の手元には、彼らに支払う給料がなかった。そこで彼は、ローマに行きさえすれば戦利品を得ることができるといって、兵士たちをまとめるしかなかったのである。

46: 世界@名無史さん 2017/12/22(金) 09:50:00.25 0
1527年5月5日にローマの城門に達した皇帝軍は、翌6日に攻撃を開始した。攻撃の初日にブルボン元帥は戦死し、指揮官を失った兵士たちは略奪を始めた。
彼らは教会に乱入し、聖遺物を破壊し、聖人たちの頭をボールのように蹴って遊び、修道女たちに乱暴した。また民家に侵入しては、住民たちから金品や貴金属類を巻き上げたのである。

彼らはようやく9か月後の1528年2月16日に、莫大な戦利品を携えてローマを去った。命からがら逃げだした教皇クレメンス7世が自分の宮殿に戻ることができたのは、同じ年の10月になってからのことである。

50: 世界@名無史さん 2017/12/26(火) 11:13:28.29 0
ランツクネヒトの傍若無人なふるまいは、粗暴さで知られるフランス兵以上だったという。

33: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 10:39:14.23 0
昔はスペイン支配によりイタリアは衰退したとされてきたが、ぶっちゃけスペイン支配が
なくてもイタリアの衰退は避けられなかったのではないかと思う。

独立を保ったヴェネツィア共和国も16世紀には凋落が始まり、17世紀にはすべてが衰退していった。

34: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 12:43:19.33 0
ナポレオンみたい1000年に1度の化け物レベルの軍人が居なきゃあと1世紀は繁栄できたろうな

つーかイタリア戦争は何十万と死人出した割りに知名度低いよか

35: 世界@名無史さん 2017/12/20(水) 13:36:51.90 0
イタリア戦争時代の君主は有名どころがそろってるし人文主義者の有名人も多いのになぜか戦争自体はあまりふれられないよね
塩野とか無視してるし
やっぱりイタリア没落の歴史は描きたくないのか
戦争自体はおもしろいんだけどな

44: 世界@名無史さん 2017/12/21(木) 08:02:46.01 0
この時代のイタリアはすべてが詰んでる感じだな。

統一もできない、大航海時代には乗り遅れる、東地中海にはオスマン帝国が進出してくる。
それまで海外投資に奔走していた商人たちは、土地からの収入に頼るようになる。
新時代にうまく適応できるような材料が何一つない。

54: 世界@名無史さん 2017/12/27(水) 18:23:42.02 0
フランスとオスマン帝国は1536年に同盟を結び、両国の艦隊は地中海で合同作戦をとるようになった。この同盟は、異教徒を撃退するための軍事遠征という考えが、すでに過去のものとなりつつあることをあらわすものでもあった。

それに対してカール5世は、フランス王フランソワ1世に決闘を申し込むという中世的な行動をとったりしている。

やはり神聖ローマ帝国はフランスに比べて遅れていたのか?

55: 世界@名無史さん 2017/12/28(木) 12:34:15.18 0
>>54
遅れてたというか日和見主義なとこがあるな

軍事行動も常に後手に回ってたし、、、単純な戦闘力や作戦行動でいえば少し先の時代だが、三十年戦争で当時北欧最強のスウェーデン相手に善戦してたしな

56: 世界@名無史さん 2017/12/28(木) 14:18:17.29 0
神聖ローマは連合体だから
ただ皇帝の政策よりフランスの方が現実的だったのは確か

57: 世界@名無史さん 2017/12/28(木) 22:34:46.28 0
ハプスブルク家はフェルディナント2世の時代になっても、
「私は、問題が宗教に関することになったときは、異端派に対するどんな妥協を認めるよりも、むしろ死ぬことを選ぶ」
といっていたからな。

同時代のフランスは国家理性を追求していたのに。

58: 世界@名無史さん 2017/12/30(土) 01:09:44.82 0
初期の頃はフランスVSイタリア諸国って感じだったけど
後期になるとフランスVSハプスブルクになる

60: 世界@名無史さん 2017/12/30(土) 10:39:45.29 0
そいやなんでハプスブルク家ってイタリア戦争辺りから崩壊するwwⅠ前までの数百年間見境なく他国を併合して奪っていったんだろ

スラブ民族すらも組み入れてたしそのせいでなんつーかきちんとした盤石な国家として成し得なかったし・・・

大人しくイタリアをとることに専念すればよかったんじゃないかなと

62: 世界@名無史さん 2017/12/30(土) 17:23:09.29 0
>>60
イタリアはスペイン=ハプスブルクの持分だから、オーストリア=ハプスブルクは東欧方面に勢力拡大した
それだけの話

スペインとオーストリアは別の家だったからな

63: 世界@名無史さん 2017/12/30(土) 18:32:32.49 0
>>60
カール5世は1556年に引退する際、中欧の諸領邦と神聖ローマ皇帝位は自らの弟 フェルディナント1世に譲ったため、ハプスブルク家はスペイン系とオーストリア系に分かれることになった。

息子のフェリペ2世が継承したのは、スペインと新大陸の植民地、イタリア諸邦、 ネーデルラント諸州、フランシュ・コンテ。

64: 世界@名無史さん 2017/12/30(土) 20:49:08.65 0
フェリペってなんか中途半端だよな
ユグノー戦争への介入も全然うまくいかないし
フランスをぶっ潰すチャンスだったのにな

65: 世界@名無史さん 2017/12/30(土) 22:47:51.58 0
フェリペ2世は3番目の妃にフランス王アンリ2世の娘エリザベート・ド・ヴァロワを迎えているからな。

66: 世界@名無史さん 2017/12/30(土) 22:59:40.50 0
それとの間に男が生まれればブルボンのアンリ追い出してフランス王につけられたかもな
ただフランスって男系絶対主義だからね
まぁローマ教皇のお墨付きがあればなんとかなるか

69: 世界@名無史さん 2017/12/31(日) 22:37:46.07 0
教皇ユリウス2世は、まずカンブレー同盟を結成してヴェネツィアをアニャデッロの戦いで破り、次いで神聖同盟を結成してフランスをラヴェンナで破り、イタリアから外国勢を追い出すことに成功した。

彼がもう少し長生きしていたら、イタリアの歴史も変わっていたのだろうか?

引用元: ・中世ヨーロッパの世界大戦イタリア戦争を語ろうぜ?