5154OPs6HZL







11: 世界@名無史さん 2010/09/22(水) 01:51:35 0
「ハンガリー」という名前の由来は?
自称は「マジャール」なのに、西欧ではウンガルンとかハンガリアとか呼ばれるのはなぜ?

12: 世界@名無史さん 2010/09/22(水) 02:30:39 0
ラテン語の国名フンガリアHungaria、英語のハンガリーHungaryは、かつてのフン族の地に建国されたことからHunを加えたもので、本来の国号はUngarであった。
これはテュルク語のOnogurに由来し、「十本(on)の矢(gur)」すなわち「十の部族の連合」を意味する。
かつての西突厥の国号がまさに「オン・オク(十本の矢)」。
西突厥崩壊後に自立したテュルク系ブルガール人が、黒海北岸に建てた部族連合も「大オノグリア」といった。
マジャルとは諸部族のうち有力なものに過ぎず、マジャルを含むフィン・ウゴル系諸部族が7つ、ハザール系の諸部族が3つ集まって「ハンガリー王国」が形成されたという。

139: 世界@名無史さん 2011/12/09(金) 18:24:57.48 0
マジャールってハンガリー平原に来た時点で既にスラブなどと混血化してるんかな。
フンは文献に「目が細くて顔が扁平で」という、いかにもモンゴロイドな描写が残ってるが。

142: 世界@名無史さん 2011/12/09(金) 20:57:06.08 0
>>139
ハンガリーでは11~13世紀の人骨が2100体ほど見つかってるがそのうち95~97パーセントはユーロポイドの形質だそうだ。

でも12世紀のフライジングのオットー司教は、ハンガリー人は背が低くて醜いとか書いていて「神はなぜこのような美しい国を人間と呼ぶのもおこがましい怪物どもに与えたもうたのか」だそうである。

145: 世界@名無史さん 2011/12/09(金) 22:50:46.83 0
>>142
11~13世紀だとすでにパンノニアのスラヴ人と混血しはじめて何百年も経ってるからじゃないの?
12世紀だとまだ混血が進んでいない

リンだったかの研究ではスラヴ人は14世紀ごろまで長頭の典型的な北欧人種だった
アラビア人の旅行家の記述ではスラヴの人々は明るい金髪だったという
かれらはアジアからやってきて自分たちを支配した諸人種と混血したり、逆に自分たちが東方へ積極的に進出して支配を広げ自ら混血していった

140: 世界@名無史さん 2011/12/09(金) 20:17:36.88 0
ハンガリーの原住地は現在のバシコルトスタンあたりと中世の歴史に伝わるが、ドン川のむこうはアジアという中世風の考えならアジアから来たことになろう。
ウラル山脈までがヨーロッパだという考えならぎりぎりヨーロッパ。
ヘロドトスのように北側全てヨーロッパとするならいくら東にいてもヨーロッパ。

141: 世界@名無史さん 2011/12/09(金) 20:20:04.62 O
一番詳しく書いてあるのがそのものズバリ、「フン族」と言う本。
この説が正しいがどうかは分からないが研究は深い。どうも混合部族部隊っぽい。

144: 世界@名無史さん 2011/12/09(金) 22:35:01.83 0
ハンガリーの弓は遊牧民風なんだよね
フン族やマジャールの伝統かららしいが一旦途絶えたんだよね
184: 世界@名無史さん 2012/07/17(火) 16:05:13.68 0
ハンガリー弓ってモンゴル弓となにが違うの?

185: 世界@名無史さん 2012/07/17(火) 16:20:46.51 0
モンゴル弓はトルコ弓に比べると「耳」の部分が長くて全体的に長大。 
ハンガリーのはトルコ弓に近いんじゃないかな?

149: 世界@名無史さん 2011/12/10(土) 20:27:00.10 0
ハンガリー王国が成立して定住化した後も、主力は遊牧時代みたいな軽騎兵だったの?

150: 世界@名無史さん 2011/12/11(日) 00:57:11.95 0
>>149
アールパード朝時代初期は各地の城を中心にヨッバージュと呼ばれる自由民(のちに農民一般を指す言葉になる)の騎兵部隊が組織されていたが、軽装備でレザーアーマーぐらいしか着てなかったらしい。

モンゴル侵攻後に軍制改革が行われるんだけど、そのときの課題のひとつが西欧式の重装騎兵の数を増やすことだった。
アールパード朝(ハンガリー語: Árpádok)は、ハンガリー王国の最初の王朝。9世紀末にマジャル人を率いてパンノニア平原に定住させた大首長(ジュラ)アールパードを祖とする。11世紀初めにハンガリー王国を成立させ、14世紀初頭に断絶するまで約300年続いた。


151: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 23:51:53.39 0
>モンゴル侵攻後に軍制改革が行われるんだけど、そのときの課題のひとつが西欧式の重装騎兵の数を増やすことだった。

動機が疑問だな
脚の鈍い中世式のあの重装騎兵こそが対モンゴル戦の足手纏いだったのに

反対に西のドイツ諸国からの脅威への対応が動機だとしたら辻褄が合うが・・・

153: 世界@名無史さん 2011/12/18(日) 10:19:13.80 0
>>151
その辺は使い方次第じゃなかろうか。
遊牧騎兵時代のマジャール軍もレヒフェルドの戦いでは逃げ場のない川岸でドイツ騎兵に突撃くらって壊滅してるし。

165: 世界@名無史さん 2012/02/29(水) 20:47:46.50 0
ブルガールも元々はトルコ系だったのだがスラヴ化してしまった。
マジャールはなぜかスラヴ化しなかった。

166: 世界@名無史さん 2012/03/01(木) 16:51:38.87 0
それはハプスブルクが隣に来て連合したから
そうでなければ間違いなくポーランド化していた(ヤギェウォ王朝連合)
ハンガリーはポーランドに莫大な借金をしていたからな(ルボフラ条約)

167: 世界@名無史さん 2012/03/01(木) 16:53:12.29 0
ポーランドは神聖ローマ皇帝に膨大な額を融資していた(ルボフラ条約)

168: 世界@名無史さん 2012/03/03(土) 17:05:52.00 0
現在のハンガリー人はほとんどの人が完全な白人に見えるので、ハンガリー語を話す人がここにやってきて統治を始めたけど、 もともといた現地人と混血してしまったんじゃないかな。


215: 世界@名無史さん 2013/01/21(月) 14:27:19.53 0
マーチャーシュ王があと十年長生きしてたらどうなったかなあ
300px-Matthias-corvinus-hoesegter-budapest


マーチャーシュ1世

マーチャーシュ1世(ハンガリー語: I. Mátyás, 1443年2月23日 - 1490年4月6日)は、ハンガリー王(在位:1458年 - 1490年)。ボヘミア王(対立王)でもあった(在位:1469年 - 1490年)。「正義王」の異名がある。王軍を常備軍として設置し、中央集権化を進めて、中世ハンガリーの最盛期を築いた。ルネサンス文化を奨励したことでも知られる。


217: 世界@名無史さん 2013/01/30(水) 19:43:30.49 0
マーチャーシュは致命的に国内に敵を作りすぎていたから
没後は遅かれ早かれ貴族たちの反撃食らって史実通りな予感

218: 世界@名無史さん 2013/01/30(水) 22:33:30.70 0
国内じゃなくて国内外だな
ハプスブルク家にも喧嘩売ったしボヘミア貴族の反感も買ってる


224: 世界@名無史さん 2013/03/24(日) 13:43:19.51 0
伝統的にハンガリー人が一番好きな国は実はポーランド

226: 世界@名無史さん 2013/03/25(月) 02:12:05.29 0
意外とポーランドとは連合したりしてるんだよな
ラヨシュ王の頃は同君連合だし、ステファン・バートリ王は東ハンガリーのトランシルヴァニア公だった
それと一つ歴史の歯車狂えばポーランドもオーストリアに組み込まれてても不思議はなかった

228: 世界@名無史さん 2013/03/25(月) 22:18:08.93 0
ハンガリーのことわざに、「ポーランド人と我々ハンガリー人は永遠の兄弟」というのがある
もちろんどっちが兄でどっちが弟かという意識はない

ポーランドでも同じく「ハンガリー人と我々ポーランド人は永遠の兄弟」と言ってるはず

231: 世界@名無史さん 2013/03/26(火) 19:45:03.39 0
ハンガリー人の誇りはオーストリア=ハンガリー帝国だよ。
特にエルジェーベト、つまりエリザベート。
ポーランドなんて田舎者ぐらいにしか思ってない。

232: 世界@名無史さん 2013/03/27(水) 07:35:42.53 0
聞いたことあるなこの話
ところがハンガリー人が最も尊敬するのはポーランド人
オーストリア=ハンガリー帝国ではハンガリーの議会はあったがお題目だけで自治がなかったのでハンガリー人はオーストリア支配時代と呼んで嫌う
そろそろ知られてもよい頃

234: 世界@名無史さん 2013/03/27(水) 18:12:15.57 0
関係がいい時も悪い時もあるだろ
1848年革命の時はユゼフ・ベムやデンビンスキがハンガリーの独立戦争に協力したから良好だった
1867年のアウスグライヒ以降は、ハンガリーの特権的な地位を守るために、ポーランド人地域(ガリツィア)がオーストリアに気に入られて自治権を得ようとするのを邪魔しまくったので、二重帝国崩壊まで両者の仲は基本的に険悪だった

249: 世界@名無史さん 2013/09/11(水) 07:06:30.43 0
>>231-232
実際、19世紀の3月革命のときとか、第一次大戦後のカールへの扱いを見てれば、ハンガリー人の多くが反オーストリア、反ハプスブルクなのは否定できない。
マリア・テレジアとかエリザベートは個人的に人気あっただけ。
エリザベート人気の名残で、ヴィッテルスバッハ家から王を迎えようという動きも、第一次大戦後あったらしい。

251: 世界@名無史さん 2013/09/11(水) 13:03:58.88 O
>>249
でも王政復古で王に担ぎ出されたのはヨージェフ=アゴスト大公だよ。
前にも書いたけど、茨城県水戸市で水戸徳川家は人気だけど徳川宗家はそうでもないのと同じかな。

252: 世界@名無史さん 2013/09/15(日) 13:53:36.12 0
アヴァール・ブルガール・ペチェネグといったヨーロッパに移住したウラル系・アルタイ系民族の中で、何でマジャール人だけが独自の言語を維持できたのだろうか。

アヴァールとマジャールのパンノニア進出にそれほど差があったようには思わないのだけれど。

253: 世界@名無史さん 2013/09/16(月) 07:33:36.00 0
>>252
キリスト教に帰依したのが大きい。

254: 世界@名無史さん 2013/09/16(月) 11:43:30.32 0
そうするとキリスト教世界入りしたマジャル人・マジャル語の最大の危機って、モハーチ以降の時代なんかな
あの時ばかりはいつ国を持たない民族になってもおかしくなかったよね

255: 世界@名無史さん 2013/09/16(月) 19:07:11.76 0
自前の司教を持っていないと一人前の国と認められなかった
そのためスラブ人国家モラヴィア王国はビザンツからスラブ語ができる司教を送ってもらった
その司教(メトデウスとコンスタンティヌス)がスラブ式表記法を作ったと言われる

256: 世界@名無史さん 2013/09/17(火) 09:40:24.40 0
誰にとっての独自言語なのかと言う疑問が、、、
とっけつ文字使っていたんだよね?

257: 世界@名無史さん 2013/09/17(火) 12:36:07.52 0
>>256
それはカルパチア山脈のセーケイ人。ペチェネグ遊牧民の子孫とか言われている。

274: 世界@名無史さん 2013/11/02(土) 19:06:03.76 0
ハンガリーのエリザベート人気マジわからん
エリザベートの墓にハンガリー国旗のロウソクやリース置いてあってびっくり

333: 世界@名無史さん 2014/10/29(水) 09:12:23.77 0
>>274
ブリギッテ・ハマン「オーストリア皇女 エリザベート」TASCHENによると、

皇帝と子供たちはウィーンにいたけど、エリザベートは、ハンガリーで大半を過ごす、このためウィーンでは顰蹙を買っていた。
チェコ語をスルーして、ハンガリー語を勉強。
ハンガリーの文化=乗馬を好み、ハンガリー風の民族衣装を着たりもしている
ハンガリー人の侍女を重用
ハンガリーの病院などを視察して慈善事業に参加
娘マリー・ヴァレリーはハンガリー生まれと目される
読書係のハンガリー人フェレンツィがアンドラーシの信奉者で、66年にアンドラーシと謁見し「友情」を深める。
アウスグライヒについても、戦争でハンガリーに避難していた時に、夫にハンガリーの要求を受け入れるように手紙を書いている。
ボヘミア人は失望したが、ハンガリー人にとっては好印象。

276: 世界@名無史さん 2013/11/09(土) 20:39:52.87 0
ハンガリーの命運はドナウ川水系を基準すると解りやすい
オスマンはウィーンまで川遡っていけば真っ直ぐ攻めていけるしモロ通り道だし
もっと前のドイツのオットーなんとかとの激突も同じルートだし
スロバキアの支配も支流を遡っての侵攻だし、

278: 世界@名無史さん 2013/11/10(日) 02:04:08.95 0
マジャール族も川上ってオーストリアまで侵入した

281: 世界@名無史さん 2013/11/22(金) 08:17:03.41 0
ハンガリーって「ハンガリー共和国」から「ハンガリー」に国名変更してたのか
思い切って王政になればいいのに

282: 世界@名無史さん 2013/11/22(金) 20:50:02.60 0
王様誰にすんのw

283: 世界@名無史さん 2013/11/22(金) 21:35:15.41 0
ヨーゼフ・アウグスト大公の一族かハンガリーで人気のエリザベート皇后の実家ヴィッテルスバッハ家の人

284: 世界@名無史さん 2013/11/22(金) 22:15:25.96 0
普通にオーストリア家の当主招聘すりゃええんちゃうか?

王様と言っても名誉職で元首は総理にするっていうシステムなら問題ないやろ

285: 世界@名無史さん 2013/11/22(金) 23:18:17.34 0
エステルハージ家って今何やってるんだろう

287: 世界@名無史さん 2013/11/24(日) 13:04:03.06 0
エステルハージ家の一人はアメリカで作家やってるよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B8

293: 世界@名無史さん 2014/01/21(火) 20:43:35.83 0
海外在住の日本人妻の番組、今週はハンガリーだ
ハンガリーに住んでみたいと思ってたけど油料理ばっかで無理だな(脂身の油揚げとかw)
ホルティの墓参り程度の小旅行にしとこう

294: 世界@名無史さん 2014/01/21(火) 21:18:41.26 0
脂料理にも脂を抜く気になれば抜くことができる脂料理と、脂がないと成立しない油料理があるが、その境界線はスロバキアとハンガリーの国境

295: 世界@名無史さん 2014/01/21(火) 23:57:04.55 0
チェコの歴史っていう本持ってるのでむしろチェコに興味がある
スロバキアはチェック民族なのにマジャール人に支配されてるとか

296: 世界@名無史さん 2014/01/23(木) 08:54:10.83 0
民族主義の解釈くだらねぇ
チェック人が成立したのは19世紀
それ以前のボヘミア農民(後のチェック人は当時農民階級だけだった)は民族意識などなかった

297: 世界@名無史さん 2014/01/23(木) 12:25:27.87 0
スロバキアやスロベニアはちょっと面白そうだよね。
確かに近代以前は民族意識はなく、民族創世叙事詩・国民文学などがなかったらしい。だから近代近くになってから民族名を、スラブ由来の名前にしてしまった。スロバキアは長いことハンガリーに支配されていたから、民族主義が芽生えた時もしばらくは民族主義を指導する知識階層は ハンガリー語で著作していたという。

これに対して、チェコは、民族創世叙事詩やチェコ人の歴史書は12世紀には成立していた。後世の民族意識につながる何がしかのものは成立していたから、民族主義的なフスの運動などの中心地となった。

298: 世界@名無史さん 2014/01/23(木) 22:26:51.72 0
当のハンガリーがヨーロッパではかなり遅くまでラテン語使ってんだから
言語を元に民族意識云々を言うのはほんと19c20c以前はあてに出来ない

引用元: ・ハンガリーの歴史を語ろう




図説 ハンガリーの歴史 (ふくろうの本/世界の歴史)
南塚 信吾
河出書房新社
売り上げランキング: 73,120