1: 水星虫 ★ 2018/09/07(金) 18:27:51.34 ID:CAP_USER9
唐津「副葬品でたどる末盧国」

弥生時代のクニ「末盧国」を当時の遺跡から出土した副葬品で紹介する展示会が、唐津市で開かれています。

末盧国は、3世紀の中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された弥生時代のクニで、現在の唐津市にあったとされています。唐津市末盧館で開かれている展示会では、末盧国があった弥生時代の3つの遺跡から出土した墓の副葬品など、およそ140点が紹介されています。

このうち、140基を超える「かめ棺墓」が見つかった宇木汲田遺跡から出土した「ヒスイ製勾玉」は、現在の新潟県で作られたことがわかっていて、当時、広い範囲で交易が行われていたことを伝えています。

また、桜馬場遺跡から出土した、末盧国の王のものとされる「かめ棺墓」から見つかった副葬品の
「巴形銅器」は、手裏剣のような独特の形に、ほかの地域では見られない突起がついています。 


(以下略)

全文は
http://www3.nhk.or.jp/lnews/saga/20180907/5080001530.html 








3: 名無しさん@1周年 2018/09/07(金) 18:31:46.01 ID:XIgzmr8u0
なんでカタカナなんだろ?クニって普通に書くものなんかな。

4: 名無しさん@1周年 2018/09/07(金) 18:34:29.31 ID:1iETofaq0
>>3
ムラと読んだことがある
現代からはかけ離れているからでしょ

7: 名無しさん@1周年 2018/09/07(金) 18:53:53.15 ID:tA45OPVS0
邪馬台国は海の中にある。

12: 名無しさん@1周年 2018/09/07(金) 19:13:01.10 ID:ooJFfGol0
翡翠と鉄の利ザヤが倭人の飯の種や
この交易ルート以外に首都あったはずないな?

13: 名無しさん@1周年 2018/09/07(金) 19:13:24.58 ID:uqEfystR0
インドおよび東南アジアに点在するかめ棺墓の歴史がわかると
邪馬台国の成り立ちがわかる
種族別に死者埋葬のやり方も違ったものになる
卑弥呼時代の埋葬方式と大和時代の埋葬方式が
決定的に違うことから別物と判明する。

引用元: ・「副葬品でたどる末盧国」・唐津