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1: 日本@名無史さん 05/03/20 13:23:47
普通に考えたら幕府が勝ちそうなもんだけど









6: 日本@名無史さん 05/03/20 14:57:55
錦の御旗に負けましたね。あれさえ無ければ…

8: 日本@名無史さん 05/03/20 15:14:24
>>6
既に錦旗の無い初日で幕府はボロ負けしている。

9: 日本@名無史さん 05/03/20 15:15:37
錦の御旗
慶喜の逃亡
幕軍は指揮系統がぜんぜんなってなかった
薩長は西郷が最前線に立って指揮していた
士気のちがい

14: 日本@名無史さん 05/03/20 16:59:16
たかだか旗一枚で挫かれるショボイ戦意で戦いに望んだために負けたということでいいじゃない。

16: 日本@名無史さん 05/03/20 18:39:24
長州側に高杉晋作がいなれば第二次長州征伐で幕府勝利で戊辰戦争なんてなかったろうに

17: 日本@名無史さん 05/03/20 18:51:58
>>16
第二次長州征伐で、高杉晋作はたいした事してないよ。
大島で幕府海軍を奇襲したが一隻も潰していないし、小倉でも病気でほとんど指揮できず、なんとか指揮できた赤坂では熊本に散々やられて負けてますが?。
第二次長州征伐(小倉戦争)は幕府軍の戦意が乏しく、小笠原が小倉から逃げた事をきっかけに幕府軍が勝手に解兵したんだけど。

37: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 15:26:51
>>17
大島・・圧倒的戦力差のある幕府海軍を夜襲で逃走させ、大島奪回に貢献。
小倉・・富士山丸駆逐で制海権奪取。情報戦で総攻撃前日に渡航奇襲。

あれほど圧倒的戦力差のある相手に甚大な被害を与えられる人物は稀有

19: 日本@名無史さん 05/03/20 20:59:12
幕軍が戦争中解兵したので、長州は幕軍本営小倉城を戦わずに占領した。
長州の山県は幕軍が消えた事にビックリして、幕軍の罠に違いないとほざく程だった。
情けないぞ幕軍。

31: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 03:07:06
いずれにせよ幕府軍が敗北したのは先鋒の滝川播磨守が逃亡したこと、藤堂和泉守、井伊掃部頭が揃って寝返ったこと。稲葉美濃守が会津藩に対して淀城入城を拒否したこと、これである。

32: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 03:14:55
>藤堂和泉守、井伊掃部頭が揃って寝返ったこと。稲葉美濃守が会津藩に対して淀城入城を拒否したこと

薩摩の政治工作は巧みだな

34: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 12:41:15
いくら薩摩の政治工作が巧でも、そんなに簡単に徳川幕府を裏切るもんかなあ
なんといっても天下を治めている徳川幕府だぞ
藤堂、井伊、稲葉は、何と天秤をかけたんだろう?

39: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 17:37:35
藤堂にしろ井伊にしろ幕府が頼みとしていた連中があっさり寝返ったってことは鳥羽伏見の時点で既に幕府の求心力が殆どなくなってた証拠だね。
幕府は260年くらい保ってるわけだが、いつ崩壊してもおかしくないほどに矛盾が蓄積していたんだろうな。

41: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 20:42:08
単に慶喜に戦う意志が無かっただけ
それ以上でもなければそれ以下でもない

42: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 20:56:35
参加した藩の藩主達や藩士も戦意はなかった。みんながいやいやながらの出兵。長州や方々で参加した脱藩浪士は基地外並にやる気があった。

44: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 21:57:05
でも何で2次長征のときの幕府は、圧倒的な海軍力にモノを言わせて、艦砲射撃主体で行かなかったんだろう?
4カ国連合艦隊に軍艦をほとんど沈められた長州には、けっこう有効な攻撃手段だと思うんだけど。

下関は日本全体の経済をダメにしちゃう恐れがあるから除外するとしても、萩城とか、海から攻められたらホントどうしようもないと思うんだが。

45: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 22:06:34
>>44
長州軍が最も恐れたのがそれでした。軍議でも激論しており、小倉戦争の最初の時も高杉晋作が警戒して渡海の決断を渋っていた時期もあった。結局の所、下関に上陸されると困るので渡海作戦を行ってます。幕軍の渡海用舟艇を焼き討ちしたら、さっさと下関に帰ったのは幕府海軍を警戒してのこと。
幕府方の小倉藩も幕府海軍が動いていないと苦情を出しています。
でも、なぜ積極的に動かなかったのかは私も知らないです。
芸州口では、ボッコボコに艦砲射撃やってます。

55: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 23:42:37
>>44
萩城は海にも城壁がある。それに当時の艦砲射撃はそれほど効果はない。
とくに幕府の艦船ではね。
四ヶ国艦隊、総勢17隻、260門に耐えた長州には威圧の効果すらない。

47: 日本@名無史さん 2005/03/22(火) 22:14:27
幕府海軍の操船技術がダメダメだったんすよ。
江戸から函館までの戦争で失った艦船のうち、実際の海戦で失ったのはたったの二隻。
残りはだいたいが座礁だとか漂流だとか、戦争以外のことで失ってる。

58: 日本@名無史さん 2005/03/31(木) 01:33:41
戦意とかも当然あるだろうがやはり指揮官の差でしょ。
高杉晋作と大村益次郎相手では荷が重すぎた・・・。

あとは軽装備と銃装備が主戦でそれを使いこなしたってのが大きい。


62: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 22:56:18
何といっても”玉”を取られたのが大きいかな。
んで、当時の近代戦争を経験していたのが薩長だけで、戦意も装備も戦略も違いすぎていた。数の上では徳川連合軍が上だったけど、烏合の衆だったみたいだし。
それを理解していた徳川慶喜が大政奉還をし、天皇に恭順の意を示した時点で戦いは終わり。あとは長岡・函館を除けば維新のセレモニーみたいなもの。
会津は、ホント割に合わない役割を薩長に押し付けられたと思うよ。

63: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 00:24:47
元は越前の松平君が必死になって京都守護職を押しつけたんじゃなかったっけか

64: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 10:48:30
ウン。最初は家臣の反対もあって逃げてたようだったけど。
それにしても、所司代は家格的にダメだってんで、守護職という新しい役職をつくったんでしょ。
いくら将軍直属っても、この幕府側の感覚じゃ最初から勝ち目なし。

66: 日本@名無史さん 2005/05/01(日) 23:27:09
四国連合艦隊にやられたとき、英軍に、村人が何人も虐殺された村が、山口辺りにあるという話を知っている人は、教えて下さい。

67: 日本@名無史さん 2005/05/02(月) 06:17:31
数カ所の村を諸外国連合軍に占領されているけど虐殺はなかった。
村人達は全員避難済み。

68: 日本@名無史さん 2005/05/02(月) 09:27:41
というか、いくら英軍でも山口市の辺りまで攻め込むのはちょっと無理っぽい。

71: 日本@名無史さん 2005/05/03(火) 02:24:48
幕府海軍が活躍してないのは・・・下関が要塞化してあって射程距離内に入りたくなかっただけ。諸藩の軍艦も同じ。軍艦は、ものすっごく高価だったので被害を受けそうな場所に置きたくなかったわけ。大島で高杉に奇襲された幕府艦隊がさっさと逃げたのもそういうこと。

あと長州海軍の実数を把握してなかったってのもあったらしい。5隻+坂本なんだけどもっといると思われていた。連合国戦でやられた軍艦も引き上げて復帰してるし。幕府側は、基本的に操鑑技術の問題もあって それほど活躍していない。船員の育成や砲撃訓練すら・・・。

というかもってる軍艦をフルに実戦に使ったのは長州ぐらいだよ。出し惜しみしないだけでこうも違う。

73: 日本@名無史さん 2005/05/08(日) 16:31:10
実際は、資金不足でどこも兵を送りたくなかったらしい。
行ってるけど戦闘してないってのは、戦闘で被害が出たら
さらに金がかかるから・・・

74: 日本@名無史さん 2005/05/16(月) 01:19:44
人員の輸送コスト、輜重兵站のコストなど負担、ロジスティックの不備などが幕府の弱点となった。なまじ人数をかけたために出費が増加。新撰組で有名な浪士隊はただ警備名目なのに博徒などまでが参入してたという。京に残留した新撰組が、活躍したのはたまたまであって幕府は、諸事大仰になって人的資源も集中できなかった。

77: 日本@名無史さん 2005/06/05(日) 19:25:50
戦犯になりたくないから誰も戦わなかった

78: 大野道犬 2005/06/05(日) 20:07:19
先般というか朝敵ね

81: 日本@名無史さん 2005/06/06(月) 11:25:36
大村益次郎は今で言う心理学に精通してたから、要塞籠城しても勝てた。屁垂れは会津。あんな山や峠だらけの立地条件を生かしたら、楠木流兵法でも使えば会津は勝てた筈。会津は大村並みの軍師がいなかったんだな

83: 日本@名無史さん 2005/06/06(月) 13:20:00
会津側の戦略は、そう間違ってはいない。自領ではなく他領へ進出し、戦禍を拡大することで他を巻き込んで遅延戦闘を行い自陣営へ荷担させる。北陸などでは、それがうまくいったようだ。だがそれは戦線の拡大であり、補給線の長大化を招き防衛線が異常に薄くなってはいた。だが戦線を縮小することは、敗北主義に取られ事実、(補給的に無謀な)宇都宮後詰めを断念した指揮官は更迭されたという。
この戦略は、戦線を維持できず突破された時点で破綻するのだが・・・官軍の一翼を担っていた土佐軍の急進撃で一気に本拠地の防衛ラインが崩壊。補給線を分断された会津軍は、組織的な戦闘が出来ず自領の民家を敵に使われないように焼き討ちしたり、各地で接収行為を行って評判を落とした。

85: 日本@名無史さん 2005/06/13(月) 20:37:15
金がないと戦争は、できないんだよ。
幕府は、金がなかった。実際にはあったんだが、幕臣の給与を払う方に使ってしまった。だから金を最初から貰えない連中ばかりが脱走してずるずると負け続けることになる。補給がないから。(宇都宮城を幕府側の脱走兵が陥とした時は、真っ先に銭倉を襲撃し、その分捕り金で乱痴気騒ぎを起こして顰蹙を買ってる。)

もっとも幕臣への支払いに使わなかった小栗は、結局讒言で殺される羽目になったので幕臣にとっては、巨大な兵器や造船所よりも目先の支払いが重要だった。なにも幕府に限らず巨大化、官僚化した組織では、組織の肥大化でかえってなにもできなくなる弊害が発生する。

86: 日本@名無史さん 2005/06/13(月) 20:43:25
まてーい!。幕臣の給料を払ったから金がないというのは納得いかん。
幕府歩兵隊を作るとき、幕臣の給料を絞りまくっているし、扶持や禄を減らすといった事を行って幕府の財政建て直しをやっていたはずだぞ。

88: 日本@名無史さん 2005/06/13(月) 21:28:10
それやったから小栗は、殺されることになる。無謀なことに6割カット(すでに実質5割カットしてる状態で)やって幕臣の怒りを買いまくった。財政健全化目的(人件費がやはり異様に高いから)だが、一方で巨大プロジェクトや艦隊(高価で技術者しか役職に就けない)で財政出費を行いバランスシートは結局のところ回復していない。小栗の後任者は、そんな路線について行けず、人件費を戻している。予備費は枯渇し、歩兵隊増員で人件費はさらに増大。禄ではなく給金方式で現金払いだったためにさらに現金保有率が低下。最後は、幕臣優先で給与の前払い(実際は遅滞分)を行って不平を抑えてるが焼け石に水。
非効率な官僚組織は、リストラもできず(したら小栗の二の舞)、財政健全化どころか出費増大で財政破綻。

91: 日本@名無史さん 2005/06/14(火) 22:47:06
あんな財政状況でも大奥の経費削減できなかったんだって・・・
慶喜でも無理だった

93: 日本@名無史さん 2005/06/15(水) 21:06:36
>>91
つーか、慶喜は大奥へ2回ぐらいしか行ってないんじゃねーっけ。
将軍就任した時と鳥羽伏見で負けて恭順工作を和宮に依頼するとき。
父の烈公さんが「大奥潰せ~」宣言してたから、ペリー来る以前から大奥では嫌われ者だし。

102: 尊王 2005/07/03(日) 13:59:17
幕府が敗北した最大の理由は錦の御旗!! 徳川慶喜は水戸家の出身。水戸家は尊王攘夷。幕府と朝廷に争いが起きた時は朝廷の味方をすると教えられてきた。
徳川慶喜も朝廷には逆らえなかった。

141: 日本@名無史さん 2005/08/02(火) 20:54:25
榎本艦隊で鹿児島と山口を火の海に

142: 日本@名無史さん 2005/08/07(日) 15:35:11
操艦能力が低いから無理だろう。北海道でも戦う前に座礁で数隻沈んだ。

143: 日本@名無史さん 2005/08/07(日) 18:24:36
旗艦でさえ座礁で沈めているしな
いずれにせよ、あの時期の艦船は近代戦艦への過渡期な代物ばかりか

144: 日本@名無史さん 2005/08/11(木) 21:33:29
五稜郭見てきたが、ありゃ脆杉。
当時の西洋式最新築城技術らしいが、新しいものが全て良いという訳ではない好例。
熊本城のほうがよっぽど堅いな。

149: 日本@名無史さん 2005/08/28(日) 22:25:35
>>144
近代戦においては大砲の標的にならないよう要塞の建物全体を低くする必要がある。
天守閣なんてもっての他では。

153: 日本@名無史さん 2005/08/29(月) 06:13:32
>>149
天守閣除いた土台、縄張りでも熊本城のほうが上。
五稜郭は予算不足で工事未了のため防御に致命的な欠陥があった。それに対して熊本城は薩摩軍の総攻撃の直前に原因不明の出火で消失しているがその後の包囲攻撃に良く耐え、遂に陥落しなかった。

154: 日本@名無史さん 2005/08/30(火) 01:24:42
五稜郭は当初築城されたときの想定されていた砲の威力が小さすぎた。
いざ戦闘になるとすでに飛躍的に射程が発達していたから海上から砲艦で直接砲撃されてなすすべが無かった。
技術があっても要塞としては失敗作だろう。
せめて配置がもう少し内陸にあれば立て篭もれたと思う。

引用元: ・~戊辰戦争で幕府軍は何故あっさり負けた? 2~




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