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1: 人間七七四年 2007/09/03(月) 13:27:05 ID:58NCKI6S
当時の公家としてはめざましい活躍をしている近衛前久について熱く語りましょう!






近衛前久

戦国末期の公卿。稙家(たねいえ)の子。初め晴嗣,前嗣,1561年以後前久と称する。1554年関白となる。1559年長尾景虎(上杉謙信)と盟約を結び,翌年景虎の関東経略を支援するため関白現職のまま越後へ下り,さらに関東に入った。しかし1562年志を果たせず帰京。

1568年織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると出奔したが,1575年に許されて帰京,その後は信長に協力的であった。本能寺で信長が横死すると,徳川家康を頼って遠江浜松に下向,まもなく帰京するが,帰京後も立場に窮することがあり,失意のうちに余生を送った。




3: 人間七七四年 2007/09/03(月) 13:49:13 ID:58NCKI6S
徳川の天下が定まっても信長の命日に追悼句会を開き信長を慕っている彼の信長への思い入れはかなりのものだったようですね。

しかし鷹狩が趣味の家康とはうまくいかなかったのかな?

4: 人間七七四年 2007/09/03(月) 14:10:19 ID:PacSkPui
>>3
家康から見ればもはや前時代の人間でしかないからなあ。秀吉の時代に既に引退したようなものだし。
しかし安部龍太郎の小説ではこの人スーパーマンですな。

234: 人間七七四年 2009/03/31(火) 13:32:11 ID:WgVnYoTE
>>3
いや、近衛前久は公家だけど狩りよくやり、腕よかったらしいよ。
家康は狩のコツを教えてくれ、といっているぐらい。
答えて前久は和歌に狩りのことを折りこんだものを百贈った。

6: 人間七七四年 2007/09/03(月) 15:42:31 ID:1YQPOHso
のぶりんと仲良かったのか?
変の黒幕扱いもされたりするのに

17: 人間七七四年 2007/09/04(火) 20:22:59 ID:QsUHhDrJ
>>6
良かった。ただし、黒幕論者は前久が信長の武田攻めについて行こうとした時に、「お前なんか木曾から行け」と言われた話を出して、不仲だったとしているが、この話は甲陽軍鑑のもので傍証はない。
実際には、馬揃えには馬選びの段階から非常に張り切って参加しているし、石山本願寺攻めでは自ら軍を率いて織田の陣城を警備している。
さらに本願寺に出向いて和平交渉を行った。顕如が開城を決意した後も子の教如は徹底抗戦を主張していたが、 前久の説得によって和平に同意した。教如はそれ以前に前久の養子になっており、その後も真宗大谷派(東本願寺)門首の家と近衛家はずっと仲が良い。
信長はこのことを非常に高く評価して、天下統一の後には一国を献上するとまで言ったという。

10: 人間七七四年 2007/09/03(月) 21:17:04 ID:rKh6PhAb
島津ゆかりの人だったっけ?

17: 人間七七四年 2007/09/04(火) 20:22:59 ID:QsUHhDrJ
>>10
元々島津は藤原摂関家の家来の惟宗氏で、近衛家の薩摩・大隈・日向にまたがる 日本最大の荘園・島津荘に下司職として下向して武士となった。
近衛前久は島津の所へ下向したこともあったし、息子の近衛信尹が薩摩に流されたときには島津義久がちゃんと面倒を見ていた。関が原の戦いでは逃げてきた島津の家臣を匿って家康に島津の本領を安堵するよう交渉している。
このため、近衛と島津の仲は20世紀まで(笑)非常に良かったようだ。

32: 人間七七四年 2007/09/23(日) 20:42:52 ID:4w9/vyHo
19才で関白かあ。
余生?が長いな。

59: 人間七七四年 2007/11/07(水) 20:42:11 ID:pfGXhwy3
>>32
文麿が45歳で総理になったとき、記者から若すぎるのではと言われて自分の祖先はもう10代で大臣だったと答えたそうな。

36: 人間七七四年 2007/10/09(火) 03:35:07 ID:qv1HpEoV
昭和の近衛に繋がるの?

37: 人間七七四年 2007/10/09(火) 10:22:40 ID:d1TqnDX8
つながるよ
女系だけど

41: 人間七七四年 2007/10/12(金) 21:41:39 ID:aU+vNQib
公家目線描く大河ドラマの主人公に最適。

42: 人間七七四年 2007/10/13(土) 14:38:51 ID:UrvVbhdJ
>>41
おっ、いいねえ
敵役も超大物だし

43: 人間七七四年 2007/10/13(土) 22:16:40 ID:hhh91BbU
越後から薩摩まで日本各地の観光誘致にももってこい。
大河ドラマ化に一票でおじゃる。

59: 人間七七四年 2007/11/07(水) 20:42:11 ID:pfGXhwy3
>>43
その気になれば津軽も登場させられる。
薩摩も津軽もというのは凄いなぁ。

44: 人間七七四年 2007/10/15(月) 15:50:19 ID:HwGuQyBu
よく考えるとすごい事だね
信長より行動範囲が広いし

46: 人間七七四年 2007/10/23(火) 01:33:20 ID:0mDgTOV7
前久の好き嫌いランキング
◎島津義久(兄弟ともに仲良し。息子も世話になっている)
○織田信長(いわずもがな)
△徳川家康(本能寺の変後、しばらく厄介になった)・上杉謙信(最初に夢を託した)
×豊臣秀吉(コイツにいろんなものを奪われた)

149: 人間七七四年 2008/07/07(月) 13:11:20 ID:+8xvwxJf
>>46
家康△じゃなくて○
松平から徳川へ改姓したとき朝廷への根回しをしたのが前久。
この縁で、本能寺の変後、※信孝が兵を送り捕らえようとしたのを逃れ家康のもとに行き、信長の追善供養を行った。
(※光秀が二条御所を攻撃した時、隣接している前久の屋敷を使ったため、謀反に関わったのではないかとの疑惑から)

それから信長とは◎か☆
1575年信長は公家・門跡に対し一斉に知行を与えた。(最高で300石)
前久には破格の1500石。
この年、信長の意向を受けて九州へ、相良、島津の和睦斡旋目的。
コレが縁で家久上洛のおり光秀の手厚い歓迎を受ける。

47: 人間七七四年 2007/10/23(火) 13:33:49 ID:TmON2Sxk
某スレでも島津とは仲良しだしな

48: 人間七七四年 2007/10/23(火) 15:18:18 ID:Fw5fqlov
某スレってどこだよw

島津とは「若衆宿(今のゲイバー)に一緒に行ったよね」という手紙を取り交わすくらい仲いいよな
その手紙は不幸にして?国宝になってしまったがw
最も島津との仲はご先祖様からのご縁あったればこそだけど
心底男の友情(誤解を招く表現か?)で結ばれたのは信長だろうな

もっとも謙信にも若衆を世話したこともあり、前久と「アッー」は切れない縁なのか?

53: 人間七七四年 2007/10/30(火) 04:02:06 ID:EqTKf6Rk
晩年なにやってたんだろ?
義久と文通とかならワロスだが

54: 人間七七四年 2007/10/30(火) 23:14:42 ID:kNYRQWH2
それがそのまさかだw

もちろんそればかりではなくて
関ヶ原の後は家康と喧嘩しかかってたらしい
(公家の権限にまでちょっかい出してきたから)

55: 人間七七四年 2007/11/02(金) 12:46:29 ID:KWz2sAs7
将軍の偏諱を受けておきながら後に改名しちゃってもいいのか?

56: 人間七七四年 2007/11/03(土) 11:32:40 ID:mM3eFmAG
仮にも関白さまだぞ。
それ以前に摂家が大納言クラスから偏諱を貰うのもどうかと思うが。
って 教基 政家 尚通 稙家 とみんなそうか。。

57: 人間七七四年 2007/11/03(土) 21:46:49 ID:9OxoaDfB
前久の倅と孫の「信」は信長の「信」?
孫の方は天皇の息子だよなあ。

58: 人間七七四年 2007/11/04(日) 17:10:12 ID:0OQi5X4C
>>57
せがれはともかく、孫まで行くと関係ないだろ。

63: 人間七七四年 2007/11/09(金) 01:18:16 ID:gOCzEVsY
こういう奴ってなんか珍しい希ガス

64: 人間七七四年 2007/11/09(金) 01:59:57 ID:6sGMEDH+
謙信に惚れ込んで下向とか貴族にしては熱い血を持ってたんだよ。

67: 人間七七四年 2007/11/09(金) 22:56:06 ID:rlDDak8j
>>64
でも、結局逃げちゃったし…
しかし、謙信は前久を一体何にしようとしたのか?
関東公方、関東管領?記述まちまちで、いまいちわからない。
朝廷そのものの東国支配の役職といえば、鎮守府将軍か?

79: 人間七七四年 2007/11/27(火) 00:10:53 ID:CIzBMJ1s
ところで、前久の妻妾関係って判明してないのか
この辺の研究で一番詳しい橋本義宣の論文集でも詳しくなかったような・・・

81: 人間七七四年 2007/12/18(火) 17:31:08 ID:d1K8VeVj
>>79
前子も信尹も母は家女房なんだね

82: 人間七七四年 2007/12/18(火) 18:55:24 ID:0BWl94I8
つまり出自不詳か・・・
信尹の唯一の子「太郎君」の母「宣司殿」も出自不詳らしいな
といっても宣司殿は残っている史料から見ると実質正室同然の扱いだったようだが

83: 人間七七四年 2007/12/24(月) 11:39:42 ID:HV8iXfZu
信尹も前子も母親は若狭武田氏のむすめで宝樹院というらしい。
若狭武田といえば秀吉の側室松の丸殿の前夫の武田元明って若狭武田氏じゃなかったっけ?

84: 人間七七四年 2007/12/24(月) 12:12:51 ID:0rZeqZtZ
>>83
yes

近衛前久の姉(か妹)が朝倉義景の正室(但し離婚)だったので
そいうところからの縁かね

86: 人間七七四年 2007/12/28(金) 12:46:04 ID:j9nB/AnQ
>>84
朝倉の縁というよりも、足利将軍家と近衛家との縁によるでは?
近衛前久の父は近衛殖家だが、殖家の妹慶寿院(前久の叔母に当たる)は将軍足利義晴の正室であった。足利義晴と正室慶寿院(近衛氏)との間に生まれた娘は、若狭武田氏当主、武田義統の正室となり、武田元明を産んでいる。
つまり、近衛前久と武田義統夫人はいとこ同士という近い血縁関係にあり、若狭武田氏の娘が前久のもとへ嫁いだのもこの縁によると思われる。

87: 人間七七四年 2007/12/28(金) 13:12:05 ID:m89uREP5
なるほど御教示感謝

つまり
前久の叔母が将軍足利義晴と結婚

そこで産まれた姫が若狭守護武田義統と結婚

若狭武田氏の娘が前久のところへ 但しこの娘の母が足利義晴の娘かどうかは未詳?
という流れがあって
朝倉と前久の姉妹の縁は、>>84とは逆の考えで
若狭武田家と近衛家の関係に、若狭武田家を下克上した朝倉が割って入ったと言うことか



慶寿院って息子と一緒に松永久秀と闘って戦死したんだっけ。。。

108: 人間七七四年 2008/01/29(火) 02:28:34 ID:ai+4iTU0
近衛前久について書かれた小説ではない本を知りたいのですが
何かありますか?

109: 人間七七四年 2008/01/29(火) 04:05:22 ID:xHd9ozBV
>>108
谷口研語『流浪の戦国貴族 近衛前久 天下一統に翻弄された生涯』(中公新書、1994年)
橋本政宣『近世公家社会の研究』(吉川弘文館、2002年)

119: 人間七七四年 2008/03/22(土) 16:06:24 ID:xicWn5Ai
馬術に優れていたんだっけ?

120: 人間七七四年 2008/03/22(土) 19:19:07 ID:c5pVCWRS
馬術と鷹狩り

143: 人間七七四年 2008/07/05(土) 00:45:32 ID:lFpDSelz
若い頃の近衛は熱しやすく醒めやすいね。
晩年は関ヶ原から逃げ延びた島津兵を匿ったりしていてカッコイイ。

144: 人間七七四年 2008/07/06(日) 15:27:25 ID:rNjrMVQu
>>143
だいたい島津は近衛の家来なんだから
島津の罪は近衛の責任
島津の手柄は近衛の手柄
島津の領地は近衛の領地

145: 人間七七四年 2008/07/06(日) 15:45:25 ID:4wvlDsnT
逆に言うと家礼だから突き放して見殺しも出来た

190: 人間七七四年 2008/11/18(火) 13:14:20 ID:rSEDC+ye
北は越後から南は薩摩までって、同時代にこれだけ移動した人いないよね
商人ぐらいか

199: 人間七七四年 2008/12/27(土) 14:58:32 ID:ypSW9B7X
現職の関白で前久ほど長く京都にいなかったひともいないんだろうね。

216: 人間七七四年 2009/02/06(金) 09:56:27 ID:31PYDRD3
前久が諸国漫遊していたから、
二代後は親王を迎えるハメになったのだろうか?

217: 人間七七四年 2009/02/06(金) 10:06:56 ID:qkBXnkng
前久は諸国奔走してお忙氏のわりには子供は4,5人いたんじゃなかったかな。
男子も後を嗣いだ信尹の他、上に興福寺一条院の門主となった長男がいたはず。

つまり信尹が頑張らなかったから・・・w

218: 人間七七四年 2009/02/17(火) 15:14:35 ID:VlZpSISR
血は断絶してんだよね。

219: 人間七七四年 2009/02/17(火) 15:30:57 ID:e/bOhjXf
女系では今までつながってるけどね

前久の子孫で一番有名人なのは今の天皇ご一家
前久→前子→後水尾天皇-(以下略)-今上天皇

220: 人間七七四年 2009/02/18(水) 11:22:27 ID:1sN0HQHo
女系で子孫とか言い出したら
天皇の子孫は数限りなくいることになるな。

235: 人間七七四年 2009/03/31(火) 14:28:32 ID:zYeTYuVu
お歯黒しておじゃるおじゃると馬に乗る関白って想像できないね。

236: 人間七七四年 2009/03/31(火) 20:28:45 ID:c3kdr99g
>>235
馬術が好きだった関白というのもいたらしい。
二条良基が父・道平の乗馬好きについて書いている(「嵯峨野物語」)。


268: 人間七七四年 2009/06/13(土) 11:27:47 ID:QjYTnCzF
調べれば調べるほど、唸らされる
前久は凄まじく能吏で教養に溢れ
一方で豪胆で行動力のあった男なんだな
余裕で大河の主人公になれるわ、後は優秀な原作か…

269: 人間七七四年 2009/06/17(水) 00:03:31 ID:Zn7CQX8a
平気で足利家から貰った名を捨てるようなやつが?
二条家により朝廷を追われたやつが?
お調子者は大河の主人公はむりだよ。

270: 人間七七四年 2009/06/17(水) 00:06:29 ID:KYiR+I7T
足利の名は捨てた方が良いだろw

271: 人間七七四年 2009/06/18(木) 22:48:43 ID:GXyihcKT
前久が元服した足利義晴期は京都で将軍が少しは権威があった最後の時代だから
もっとも、義輝あたりになると武家では未だに「輝」の字をあり難がる奴がいたが、公家では日野輝資しか貰っていない筈。

273: 人間七七四年 2009/06/27(土) 15:46:00 ID:WpWwXdsN
公家が足利から貰うという発想が面白い

275: 人間七七四年 2009/06/30(火) 22:58:29 ID:Pet58mRT
持明院統の皇室にとって足利家は近臣中の近臣だったんじゃないだろうか
官位の昇進は清華っぽいが
摂家よりむしろ
家に対する天皇家の恩情を感じる
近衛の替えはあっても足利の替えはない
みたいな。

277: 人間七七四年 2009/07/06(月) 00:02:12 ID:RR65cdVJ
将軍家からの偏諱には領地の安堵・承認の意味があるから
貰った名を捨てるということは非礼極まりないな

278: 人間七七四年 2009/07/06(月) 00:07:24 ID:j4LnAQPE
将軍の権威にあやからねばならないのにその将軍様の権威が地の底奈落まで失墜してるからそれこそ無意味

279: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/06(月) 08:13:10 ID:stgG7IUw
失墜というのは下剋上の過分な宣伝でもある。

280: 人間七七四年 2009/07/06(月) 18:37:52 ID:f64YCn8L
将軍の権威はそれこそギリギリまで存続している。特に京都では。

294: 人間七七四年 2009/08/01(土) 17:24:19 ID:vsXyI7yI
近衛前久って足利義輝や足利義昭と仲が悪かったんだね。
義惟、義栄派だったんだろうな。
きっと

295: 人間七七四年 2009/08/01(土) 17:34:54 ID:g9fnneno
義昭はともかく、義輝とは別に仲悪くは無いわな。
前久が越後に行ったのも義輝の代理という側面がある。

296: 人間七七四年 2009/08/01(土) 20:49:51 ID:kM50WMjT
親戚だし、個人的にも二人で一緒に酒飲んで騒いでるのに仲が悪いはずがないでしょ。

298: 人間七七四年 2009/08/02(日) 08:31:20 ID:5vD6a4Ve
義輝とは既に書かれてあるように緊密な関係だった。義兄弟であり、同志であり、友人だった。

義栄との関係は不明。
彼を将軍にするよう動いたのが関白殿下。

義昭とは険悪だった。
「兄の仇に従って義栄を擁立するとは何事だ!」と追放されている。

299: 人間七七四年 2009/08/03(月) 10:10:19 ID:CFcwz+2d
>>298
義栄を近衛前久は擁立したんだね。
織田派じゃなくて三好派だったんだね最初は。

302: 人間七七四年 2009/08/04(火) 04:38:58 ID:XuqmcL/q
>>299
義栄擁立には関わっていないとの異説もあるけどね。

331: 人間七七四年 2009/12/08(火) 22:27:32 ID:ZIl75+oN
マジレスだが、戦国語るには、前久視点とか、義昭視点、と言う方が明確だと思う。
そういうのってあんまり、小説や造り話でもなかったんじゃないかな。
記録も明解に残ってるしね。

332: 人間七七四年 2009/12/11(金) 23:21:26 ID:Rbg6BxC4
>>331
関白太政大臣に将軍様か
当事者は公平に歴史を語れないんじゃない?
平公家の冷泉・山科くらいに語らせないと。

333: 人間七七四年 2009/12/12(土) 02:27:50 ID:CnJK+X9d
>>332
まぁ公平かどうかはともかく、事実とか記録しては価値があるだろうしね。
当時の日記でも、個人の肉声として貴重、と言う意見や、代々伝えられるもので人の目に触れる前提だった、とかいろんな言い方があるし。
だから、特定の武将に偏った研究というのよりは当時の記録がはっきりしてる身分のある人の視点で「この時点ではこうだった」
見たいなほうがかえって公平で明解じゃないかなってね。

特に前久なんてあの頃のオールスター全部にからんでるようなもんだし。

340: 人間七七四年 2010/08/21(土) 23:23:57 ID:GC3AT2PY
長男は寺に入れて
次男に家を継がせたのはなぜだ?

342: 人間七七四年 2010/10/05(火) 23:23:05 ID:dS6Xp7vh
>>340
近衛家縁の興福寺の座主が空席になり、摂関家筆頭を辞任する近衛家の当主としてはやむを得ずその当時唯一いた男子を僧侶にせざるを得なかった
『流浪の戦国貴族・近衛前久』(中公新書)にその辺の説明があったような記憶

ちなみに足利義昭もこの興福寺の座主だったが、形式的に近衛家の養子になっていたと思う
最も義昭の母は近衛家の出身なんですけどね

344: 人間七七四年 2010/11/29(月) 09:37:47 ID:mhILaY/f
肖像画はないのかしらん?

346: 人間七七四年 2011/01/31(月) 21:31:22 ID:kNf7zI8/
>>344
あったら見てみたいね。
想像ではでっぷりとした体躯の持ち主。

347: 人間七七四年 2011/02/01(火) 18:06:48 ID:/rb2JhDJ
全国にげまわって苦労してるから甘えん坊の世渡り上手ってとこか。
でっぷりというイメージじゃないな。

350: 人間七七四年 2011/03/03(木) 11:06:06.82 ID:qEUN/czC
>>347
節操なくあっちこっちしているが、逃げ回ってはいないぞ。
鷹狩が好きだったから太っているとも思えない。

348: 人間七七四年 2011/02/02(水) 18:21:15 ID:bCW33IgX
謙信と組んで関東平定に関わったり、馬術や鷹狩りに秀でていたり、個人的にはけっこう精悍なイメージがある

349: 人間七七四年 2011/02/03(木) 14:17:34 ID:3LEQfAy8
公家にしては武将みたいなことができたって感じでちょっと無理してるイメージがあるんだよな。
あれだけ動き回ってるからヘタな武将以上に精悍だったかもしれないが。

引用元: ・戦国公家!近衛前久



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