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1: サイコメトリー 2008/02/07(木) 08:04:16 ID:z8+EGYiR

戦国武将と茶器は切っても切り離せない。戦国マニアならご存知だとと思います。武将と茶器と茶人について語るスレです。 







249: 人間七七四年 2008/07/02(水) 12:50:14 ID:wtIfRaSX
「世界遺産」(寺尾聡ナレーション)でイタリア北部(だと思う)の千年以上の歴史を持つ修道院をやった時、礼拝堂の最深部、マリアと子キリスト像の前にあった修道院開設以来の銀製の水差し。まさにいぶし銀。それがステンドグラスからもれた明かりにぼんやりと浮かぶ。
こういうものに日ごろ接し、遺産を守ろうとしている南ヨーロッパの人たちなら、「侘び」は理解できるんじゃないかと。

250: 人間七七四年 2008/07/02(水) 13:59:56 ID:uVTa5ISr
でも、その南欧からの宣教師が
「目利きがこれは良いものだというだけで雑器に高値がつく。日本人はよくわからん」
って当時コメントしてるよ

251: 人間七七四年 2008/07/03(木) 13:17:24 ID:NrVxmQhJ
当時の目利き、例えば利休は信長や秀吉から鑑定を委任された状況、茶器に関してはいわば信長や秀吉の言葉であることを理解していなかったからだろ?
茶器の本質はコレクションじゃなくて政治だということも。

259: サイコメトリー 2008/07/08(火) 10:35:52 ID:HQCc0Z4Y
荒木村重・・・。
数寄者なのだろうが、どうしても好きになれない。
まぁ好きだと言う人も、あまり居ないだろうがね。

謀反の本意、光秀以上に謎。

260: 人間七七四年 2008/07/08(火) 12:26:24 ID:O52vvvqu
実像が歪められた武将の最たるものだと思う。
摂津一国支配を狙っていた中川清秀にはめたれた。
篭城前に、光秀の娘(嫡男の嫁)や、高山右近の妹と子を解放している。
小寺政職からの黒田官兵衛殺害依頼も幽閉にとどめる。
茶会許可は秀吉よりも村重のほうが先。
しかし織田の組織では秀吉の副将扱い。このことも一因という考え方もある。

262: サイコメトリー 2008/07/08(火) 20:30:42 ID:HQCc0Z4Y
>>260
確かに単純に愚将とは言えないが、秀吉の副将扱いは、織田家に仕えた時期からみても仕方がないと思うよ。

261: 人間七七四年 2008/07/08(火) 15:25:38 ID:9/sG7Gdt
待遇不満+寄力衆の裏切りで信長に叛旗を翻したの?
あの状況下で何事もなく、織田軍相手に乗り切れると本当に考えてたのかな?

どうやって茶道具持ち出そうかって事にほとんど頭いってた感じ。

295: 人間七七四年 2008/07/31(木) 13:42:25 ID:m0av0pDI
ノ貫と利休のエピソードを一つ。

ノ貫が利休を自宅に招いた際、あらかじめ道に落とし穴を掘っておき、落ちて汚れた利休を風呂に招じ、それから茶席に招いた。
利休は後に
「落とし穴は分かっていた。主にへつらうではないが、応ぜざれば茶の道にあらず」
と語った。

296: 人間七七四年 2008/07/31(木) 14:49:53 ID:m0av0pDI
ノ貫って検索してもあまり出ていないんだなぁ。
一渓故道三(大徳寺主)の姪婿。
号の変遷:如夢観→別観→ノ貫(ノは林道晋が作り「へち」と読ませた)

他にWEB上に無いことで知っていることがあったら教えてください。

301: サイコメトリー 2008/08/04(月) 17:51:51 ID:syZLpI8n
>>296
元のノ貫は京の老舗の庄屋だったらしく、羽振りがよく名物収集三昧の日々を送っていた中から脱し、心からのもてなしと侘びの境地を会得したとの事。


297: 人間七七四年 2008/08/02(土) 13:42:08 ID:8+4he+Ff
ageついでにノ貫のエピソード。
彼は出かける時はいつも馬に乗っていた。
この馬が死ぬと皮で袋を作り、道具を中に入れて常に身に着けていた。
「生前は俺の為によく奉公してくれた、これからもずっといっしょだ」

北野茶会の、一間半(2.7m)の朱の傘、秀吉に茶を出さずに麦焦しをだしたこと、落とし穴、イメージは前田慶次だ。
きっとすごいカブキ者だったに違いない。


298: 人間七七四年 2008/08/02(土) 20:43:47 ID:qkrQhn4g
山上宗二かノ貫が、1番数寄者を貫いていたと思う。
山上 宗二

山上 宗二(やまのうえ そうじ、天文13年(1544年) - 天正18年4月11日(1590年5月19日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の豪商(町衆)、茶人。千利休に20年間茶の湯を学んだ高弟であり、利休に同行して茶会に出席している様子が当時の茶会記から確認される。

茶匠としては豊臣秀吉に仕えていたが(織田信長にも仕えたという説もある)、天正12年(1584年)に理非曲直の発言で秀吉の怒りを買い、浪人する。この時に前田利家に仕えるようになるが天正14年(1586年)にも再び秀吉を怒らせて高野山へ逃れ、天正16年(1588年)頃から自筆の秘伝書『山上宗二記』の写本を諸方に授けている。その後は小田原に下って北条氏に仕えた。

天正18年(1590年)の秀吉の小田原征伐の際には、利休を介して秀吉との面会が叶い、秀吉が再登用しようとしたが、仕えていた北条幻庵に義理立てしたため秀吉の怒りを買い、耳と鼻を削がれた上で打ち首にされた。享年46。

299: 人間七七四年 2008/08/04(月) 10:56:21 ID:pq2YVWOp
やっぱ宗二でしょ。
ちょっと前にも話題に上ってたが、宗二が処刑される前に秀吉に何を言ったかが非常に気になる。

303: 人間七七四年 2008/08/05(火) 15:12:14 ID:89/LiZMu
宗二も利休もそうだけど、茶の世界で侘びの境地を追及するためには、バックに何不自由ない生活が送れるだけの資金(資産)が必要みたいだね。外国でたまにある、贅沢を尽くした大富豪が、財産のかなりの部分を慈善事業に寄付する、後はひっそりと後世に伝えるための教訓なんかを死ぬまで書き続ける、というのに似ていないか?

その対極のものを極めないと反対側にはなかなか行けないということか。
貧乏から抜け出そうともがく自分のヤッカミだけどね。

304: 人間七七四年 2008/08/05(火) 15:27:43 ID:TOtk97RR
コジモ、ロレンツォ、レオ10世らがパトロンとなってルネサンスを支えたようなものか。
芸術には金がかかるでFA。

305: 人間七七四年 2008/08/07(木) 01:25:09 ID:hWZmnnHa
「あばら屋に千金の馬がつながれている」が、詫びの初期の形態だからなあ。


328: 人間七七四年 2008/09/18(木) 15:00:05 ID:ZPWiWsvR
天下人を演じる場と自分に帰る場。
2つの造り分けを秀吉から激賛され、朝廷から「利休居士」の称号を得て以降、利休と名乗る。
「山里丸茶屋」が秀吉の本質だと知っていたから、通説の、キンキラ成金趣味を嫌った・・云々というのは間違いかな?

329: 人間七七四年 2008/09/21(日) 14:54:51 ID:FC79iJZD
成金とは良く言ったもので、秀吉が日本で初めての成金じゃないかな?
錬金術師と言われたのも、利休が日本で初めて。

やっぱり良きにせよ、悪きにせよ、初めては目立つね。

330: 人間七七四年 2008/09/23(火) 17:26:10 ID:kGgzD4Cv
錬金術。誰が作った言葉だろうか?
まぁ一ツの茶器が国一国と対価とは、計りしれない価値。恐ろしい

333: 人間七七四年 2008/09/29(月) 11:34:23 ID:bOYNXRpN
平蜘蛛茶釜が現存したら現在価値で10億円くらいしたのかな?

334: 人間七七四年 2008/09/29(月) 23:17:32 ID:RgIZrBC0
10億じゃきかないね。利休の茶杓ですら、2億するからね。
371: 人間七七四年 2008/11/15(土) 18:20:46 ID:JUL2/4z8
【もう一つの京都】派手好き秀吉とわびさびの利休 美意識の対立が切腹の原因か 
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081115/acd0811151656005-n1.htm
※リンク切れ

372: 人間七七四年 2008/11/15(土) 18:37:51 ID:RV/I+JLR
>>371 
それ昔から言われているけど、秀吉が利休に対して様々な意味で脅威を感じていた事は間違いないね。

374: サイコメトリー 2008/11/19(水) 17:57:01 ID:EyYoKDp5
>>371 
『利休の切腹が秀吉との美意識の対立からなるもの』左記に付いて。 

確かに利休と秀吉の間に茶事の趣向の上で意見の相違は存在したと思います。 
しかしながら、その事自体で美意識の違い、芸術的思想の違いなどと説明するのは、あまりにも現代的解釈だと思います。 
秀吉の趣向に対する固定観念が強すぎます。確かに秀吉は黄金の茶室や大書院の台子飾りなど成金派手好み的、豪奢なイメージが有りますが、実際はその2例のみです。信憑性が高い文献で見返してみても、簡素な侘び好みで、いわゆる利休侘び茶の影響が著しかった事がうかがえます。 

利休が処罰された直接的な要因は 
① 大徳寺山門上に利休像を安置させた件 
② 茶道具の目利き売買にあたって利休が不正を働いた件 

上記2点が直接的要因と考えられますが、実は本質的な事は別にあると思います。 
利休の専横やら茶器売買等は以前から何度もあったもので、何故急に2案件を取り沙汰される様になったか? 
一つは利休の絶大な支持者であった秀長の死去及びそれによる反利休派の台頭。 
もう一つは天正18年小田原征伐完了後の秀吉の『身分法令』によるものと考えられます。身分法令そのものは利休に限定したものではなく、利休を中心とする堺商人や有力茶人。彼らは秀吉の天下平定と時を同じくして次々と没落して行く、堺衆では今井宗久・津田宗及、商人だけでなく、町人の自治都市自体が没落して行く。それは戦国乱世的な堺町人の持つ気骨、気慨、言動の自由闊達さが、一斉に禁圧された。 

つまり、利休が処罰された原因と動機は、秀吉の側近達(反利休派)との対立。+ 
秀吉の天下平定により国内に封建的な社会秩序を建設するにあたって最も目ざわりである不敵な堺町人であり、天下の大名・武士・僧侶・公家達をことごとくその門下に集め、関白秀吉公の御前でどの大名よりも剛気に直言し失言など少しも恐れない頭の高い知行三千石取りの天下一の茶の湯名人千利休。
その天下一の宗匠にはこの世から消えて頂く必要があった。幸い秀長も大政所も死に足枷も一切なくなり、いざ利休のアラを探したら沢山あった。その中で世人を納得させるに一番もっともらしい上記2案件を取り上げま売僧と決定付けた。いやしくも三千石取りの天下の御茶頭の筆頭だから、町人並の討ち首ではまずいと考え、武士並みに切腹を命じた。 

375: 人間七七四年 2008/11/20(木) 03:52:39 ID:uUJ+sXDV
>>374 
> 秀吉の天下平定により国内に封建的な社会秩序を建設するにあたって 

秀吉の政権に、そんな明確な社会像があったとは思えない。 

個人的には、大陸への出兵が迫る中、それに係わって台頭してきた博多の商人層と旧来の堺商人層との、豊臣政権内での権力闘争があったのでは、と考えますが。

376: サイコメトリー 2008/11/20(木) 12:46:38 ID:5x9Ax8Hz
>>375 
確かにご指摘通り秀吉に壮大な社会構想があったと自分も思わないですね。 
誇張過ぎましたスイマセン。 

ただ、室町前から続く堺衆は都市の自治活動指導を行い特権的商人層とされ、博多商人達とは別物と考えてます。秀長が死去した事により豊臣政権内で反利休派が台頭してきた事は前記した通りですが、博多商人層との確執となると少し違う様な気がします。 

373: 人間七七四年 2008/11/16(日) 18:17:01 ID:SAQydx/3
戦国の錬金術師も所詮人間で天狗になり、反支持者から疎ましがられていたとする話もあるね。

379: 人間七七四年 2008/11/23(日) 22:21:26 ID:5uef5SD9
利休の個別事象というより、最終的に豊臣家の滅亡を招いた武功派と文治派の権力闘争の一端としてとらえるべきだろ。 

この対立は秀吉の死の直前ぐらいに後者が決定的勝利を治めて五大老・五奉行という政治体制で具現化する。永年、豊臣家の中核戦力であった連中はほぼ完全に排除されて失脚同然。どの道、利休は五大老・五奉行体制の中には居場所はないね。
粛正されるか隠棲を余儀なくされるかのいずれか。 

この対立軸の中で、家康ってのは文治派と結託して豊臣政権内の中枢に居座った存在。 
秀長が死んで、秀次以下の養子群が粛正された段階で旗印を失った武巧派はすでに壊滅しており、関ケ原の戦ってのは文治派内の内部抗争と捕らえるべきだと思う。

380: 人間七七四年 2008/11/25(火) 21:03:12 ID:S/ZzL5mi
結果的に武断派と文治派の争いに巻き込まれって事?そうじゃないでしょ、利休自体の権威の拡張及び影響力を秀吉側近達はずっと警戒していて、秀長・大御所が死んだ事により、行動に出れた。どちらか一方でも存命なら、あの時点で行動に出れないと思う。

382: サイコメトリー 2008/11/26(水) 09:06:33 ID:WvffYefV
>>380 
『細川三斎茶書』の中に秀吉の側近で御伽衆の木下祐慶や京都奉行の前田玄以が利休の娘の件や茶事での出来事で利休に面目を潰され、大徳寺やら茶器売買の件を持ち出し、秀吉の怒りを煽ったとの件が有るね。 

335: サイコメトリー 2008/09/30(火) 08:24:06 ID:NmQ90msj
戦国時代の茶器ベスト10を勝手に決めましょうか。

まずは天下の三茶入、初花・新田・楢柴は確実かと思う。
それ以外の茶器となると、

○ 九十九茄子
○ 三日月の茶壷
○ 松花の茶壷
○ 四十石の茶壷
○ 古天明平蜘蛛
○ 己御前釜
○ 黒楽大黒
○ 青磁馬蝗絆
○ 細川井戸
○ 加賀井戸
○ 曜変稲葉天目
○ 園城寺の花入
○ 大内筒の花入
○ 芋頭の水指


ちょっと候補上げただけで、10枠を超えてしまった・・・。
ベスト10に絞る事は困難かな?? 皆さんのご意見をお願いします。


336: 人間七七四年 2008/09/30(火) 14:50:10 ID:6yuUir9L
いや~名器揃いですな!
確かに十枠に絞るのは、きつそうですね、でも、削るべき茶器もない。しいて言うなら、三井戸の喜左衛門を追加しても良いかも。また枠増やしてしまったゴメン。(自爆)

337: サイコメトリー 2008/10/01(水) 09:07:28 ID:TEqN1qyN
>>336
天下の三井戸のひとつ喜左衛門も列記すべきでしたね。
呪話の類が付きまとう村正の様な名器だったので、外してました。スイマセン。

338: 人間七七四年 2008/10/01(水) 17:37:31 ID:1/RAhXT8
確かに、どの茶器も外す事出来ないですね。
俺的には、このサイトでも取り上げられた、現国宝の志野茶碗・花墻もベスト10内に推したい。

340: サイコメトリー 2008/10/03(金) 07:57:16 ID:YbFduc4l
志野茶碗も良いですね~。やっぱ、あげだしたらキリがないかな・・。

341: 人間七七四年 2008/10/04(土) 21:45:30 ID:5c9Fy9pr
茶器の価値は歴史上高名な人物の手にあったかにより決まるね。

344: 人間七七四年 2008/10/15(水) 22:24:33 ID:rIFJmOXi
茶器‥‥単体ではどうでも良い物なのだが、彼の武将が手にしたかと思うだけで、鳥肌。

348: 駿河朝比奈氏 2008/10/20(月) 16:10:02 ID:zcjKwJEg
(´・ω・`)y ̄~黒楽茶碗なんかツルツルしててコーヒーとか飲むのに使ってる。

349: サイコメトリー 2008/10/20(月) 17:46:09 ID:FEWeiFqU
>>348
良い感じですな~。自分もご飯の器に抹茶茶碗使ってる。
利休に怒られそうだけど・・・。

350: 人間七七四年 2008/10/21(火) 05:43:08 ID:sFifWCMf
>>349
(´・ω・`)y ̄~良い物で飲み食いすると美味く感じるよね。
冬はコーヒーや紅茶
夏はアイスやヨーグルト食べるのに使ってるよ。


確かに怒られそうですが。

351: サイコメトリー 2008/10/21(火) 14:28:35 ID:fc4ZhbFd
確かに器が変わるだけで、美味しく感じますね~。
特に黒楽系の茶碗に緑物、白物の食飲物は映えますね~。

352: 人間七七四年 2008/10/22(水) 02:03:46 ID:ETHHXY9Q
茶器の使い方なんかをいったら、丿貫なんてフルボッコされてるだろw
形式とかそういう概念に囚われない感性こそがひとつの何かなんでしょ

357: 人間七七四年 2008/10/25(土) 12:54:06 ID:DnILHM3u
陶芸やりたいが初期投資すごそおだし
なんか気恥ずかしくってなぁ・・・

358: 人間七七四年 2008/10/25(土) 20:47:44 ID:CLx78j8B
>>357
この前、2000円で陶芸セットなるものが売っていた。
2000円ではむさい茶碗しか作れぬと思うのは私だけか?

359: 人間七七四年 2008/10/25(土) 22:19:39 ID:oLg0v1ZN
>>358
2000円で陶芸?
その値段で窯もついてるの?

でも、実際の話原価2000円でも数百万円の茶碗は作れるよ。
実際に現在の樂吉左衛門が作る楽茶碗も材料費は1000円いってなかったはず。

360: 人間七七四年 2008/10/26(日) 01:31:34 ID:rbXUw7Io
レンジでチンして完成、ってのもあるよ。
それはそれで何か新しいものが出来る……かも。

362: 人間七七四年 2008/10/26(日) 18:53:49 ID:6QAigJ6a
確かに経費を掛ければ、ある程度の物を作れるだろうけど、侘びた物は、お金を掛けずに作れるよ。どれだけの創意工夫をしたかが大事であり、そもそも現代の茶器の価値基準などは、あってないようなものだと思う。

364: 人間七七四年 2008/10/27(月) 22:24:56 ID:Vpm0DSaX
窯処の名所で体験する。十分イメトレし、粘土などで練習してから逝くと良し。
割と近くに住んでると持込みで焼いてもらう事が出来る処も。
体験は定額だが持込みは交渉で。

365: 駿河朝比奈氏 2008/10/28(火) 07:32:34 ID:ibFoUoRU
>>364
岐阜県の土岐市とか有るんじゃないかな?

前に何度か行ったけど関は刃物の町で刃物会館なんか徳川家に献上した刀が展示してあって眼福でした。

買う分なら静岡もお茶所だから陶器屋さんが結構有るよ。岐阜の東濃から業者さんが来るらしい。
伊豆の旅館でも焼き物を体験出来る所も有るよ。(´・ω・`)旦~

366: 人間七七四年 2008/10/28(火) 13:27:11 ID:q9Xgup6P
東海地方ってそういった文化がいたる処に残ってそうでうらやましいな。

今では全国何処の窯も流行りのスタイルで似たようなナリだけど信楽、萩、唐津、備前・・・とその土地独特の手法が凝らされた器があるとつい手を伸ばしてしまう。

値段問わず、自分にとって掛替えの無いものも有る。でも嫁からすりゃガラクタ。所詮俺の価値観なんてそんな程度だろう。
当時の数奇に通った人でもハズス事があるのかしら。


386: 人間七七四年 2008/12/03(水) 12:09:26 ID:fdMwx8Bp
茶器所持のステータスとはいかほどのものだったのかね?

387: 人間七七四年 2008/12/03(水) 13:59:33 ID:tP31AB+K
>>386
いろんな話があるけど・・・

関ヶ原の合戦の時、大坂で人質になっていた島津義弘の妻・宰相殿は着の身着のままで脱出したため、豊臣秀吉から拝領した「楢芝肩衡」1個しか持ち出せなかった。
しかし、それを後でわびられた義弘は
「さすがわが妻!大坂屋敷で一番の宝物を持ち出した!」
とほめたという。これは茶器にどんな財宝よりもステータスを感じていた例。

その一方で、大坂夏の陣で一番乗りその他etcの大功を建てた松平忠直はその功績が名物肩衡1個だったのにギャクギレ→ご乱行→改易
茶器にステータスなんてちっとも感じてなかったいい例だろう。

所有者の気分や価値観にもよるのではないかしら

390: 人間七七四年 2008/12/07(日) 12:16:22 ID:LXG8Fmeq
>>387
やはり戦国時代も千差万別な価値観って事なんだろうけど、特に松平は茶器 のどは・・って常々思っていたんどうね。でも松平の様な話はあまり聞かないけどね。

392: 人間七七四年 2008/12/07(日) 17:10:48 ID:EU9D+PvD
>>387
滝川一益と足して2で割れば万事解決。

405: 人間七七四年 2008/12/14(日) 15:15:19 ID:7IcRIrH1
恩賞として、茶器そのままや、茶会を開く権利というのは、いい発想だ。

406: 人間七七四年 2008/12/14(日) 17:53:18 ID:TZ0FW2TZ
土地や知行には限りがあるけど、茶器は作ればどんどん出来るからな。
信長はやっぱりあたま良いよ。

410: 人間七七四年 2008/12/16(火) 23:28:24 ID:0iHLScap
一つ茶器が国一国に値する価値。
現代物では比較対象出来る物がねぇ~。

411: 人間七七四年 2008/12/19(金) 20:40:23 ID:49QKuOCQ
誰か茶会開いてほしいなぁ。万人向けで。
名人とかいらんよ。

414: 人間七七四年 2008/12/20(土) 03:53:22 ID:7xSLvvwh
>>411
離島とかでもなければ、月に一回や二回は開かれてるだろ。

415: 人間七七四年 2008/12/20(土) 19:03:37 ID:e9UVbE5L
>>414
そりゃ開かれているんだろうけど、一般の人や飛び込みの人が入れないっしょ。
それにいわゆる、茶会のもてなしとは、茶を飲む事だけじゃないしね。

416: 人間七七四年 2008/12/21(日) 10:09:10 ID:pcnAZyba
>>415
一般人や飛び込みで入れるのが月一、二回はあるって言ってるんだが・・・

417: 人間七七四年 2008/12/21(日) 21:01:19 ID:iKv9uAV6
情報ありがとう。
飛び込みで行ける茶会はどこで開かれるか教えて下され。

418: 人間七七四年 2008/12/21(日) 21:44:29 ID:onktht/r
>>417
近くの寺、神社、市民会館、博物館、美術館、公園なんかで茶室を持ってるところ回って来なよ。
大抵その月の茶会の案内が出てるから、茶会の案内が表に出てれば、それは大体が一般人参加可能。で、そのうちの半分くらいは当日券があるから、主催者に当日券があるか尋ねる。当日券があるなら飛び込みで言って当日に券を買えばいい。

この時期なら、大祓釜とか除夜釜という名前でいっぱいあるはずだぞ。
来月なら初釜でやっぱりいっぱいあるから、見つけられないなんて事無いはずだ。

419: 人間七七四年 2008/12/21(日) 22:41:53 ID:SdyhoYBp
>>417-418
城址にある復元茶室なんかでやってくれてると最高なんだがなかなかそうも上手くはいかんよなー……というわけで大徳寺の月釜オススメ。
塔頭にもよるが8月, 12月以外の毎月28日の利休忌に開かれる
普段入れない三玄院にも入れるぞ。(ただし織部や光成の墓参りはできないらしい)


なお大徳寺には信長の葬式をやった総見院もあるんだが、今は新造の茶室が3つほど建っていて「わずか数千円で!市民の方でも!茶会が開けるんですよ!!」と解説のボランティアの人に力説されたことがある

ご自宅に平蜘蛛を持っているというような御仁はぜひ茶会を開いてみてくれ

421: 人間七七四年 2008/12/22(月) 16:39:22 ID:nr+TfpV8
高台寺も季節事に茶会やってるよ。食事とコーヒーと美術館と圓徳院庭園の鑑賞付なんで
ちょっと高いけど
夜咄に行ったんだが、燭台の光だけでお茶を楽しめて、お道具もいいものが出ていたと思う

あまり茶室にゆっくりいられないので、お茶事によく行ってるって人には物足りないかも
しれないけど、お薦め

引用元: ・■■■戦国武将と茶器■■■




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