1: 日本@名無史さん 2006/08/20(日) 04:12:36
南北朝時代にはブイブイ言わせてたのに、戦国時代ではひっそりとしか生き延びられなかった武家などを語ろう。








188: 日本@名無史さん 2007/07/25(水) 11:46:45
楠は?
両朝合一の前に足利に降伏して細川の庇護下に入るから
滅亡していないと思うが、実際の所どうなのよ?

190: 日本@名無史さん 2007/08/04(土) 19:07:16
>>188
子孫は大阪府堺市に和田氏としておわれます。

191: 日本@名無史さん 2007/08/22(水) 21:31:47
なんか戦国時代に松永久秀の配下で楠木正虎とかいたような

192: 日本@名無史さん 2007/08/22(水) 23:55:39
南部を忘れんな

193: 日本@名無史さん 2007/08/22(水) 23:57:09
南部は戦国時代に落ちぶれた部類にはいるのかな

194: 日本@名無史さん 2007/08/23(木) 00:39:01
そもそも南部って南北朝時代有名か?
北畠配下の有力武将の一人くらいの位置づけじゃね?

195: 日本@名無史さん 2007/08/23(木) 06:42:49
>>194
失礼な!北奥で三指に入るわ!

197: 日本@名無史さん 2007/08/23(木) 10:06:45
>>195
いや、北奥で斯波相手にちまちま押し合いしていても
目立っていないのではないかと

199: 日本@名無史さん 2007/08/23(木) 17:28:33
>>197
南部の馬は有名だい!もう来ねぇよ!ウワアアアン

209: 日本@名無史さん 2007/09/23(日) 17:29:01
吉良家だろ。分家した今川はともかく。
東条と吉良は源氏でも事務方だからな。
江戸になったらネチネチの本領発揮したがW

211: 日本@名無史さん 2007/09/23(日) 20:03:47

北畠

桃井

斯波

新田

名和

楠木
 :
 :



南北朝→戦国だと、むしろ大勢力で生き残ってるほうが珍しくないか?

213: 日本@名無史さん 2007/09/24(月) 02:43:04
>>211
北畠は没落する処か勢力を拡大している。

214: 日本@名無史さん 2007/09/24(月) 03:26:50
だよな。
北畠って応仁の乱以前は実質伊勢国のうち2郡だけだけど、戦国期には伊勢1国をほぼ手中に収めたし。

215: 日本@名無史さん 2007/09/24(月) 14:37:21
北畠親房の北畠家って、何姓なの?源氏?藤原氏?

明治に受爵した北畠家って2家あるけど(ともに男爵)、
ひとつは久我家別家の北畠通城(公家)、
もうじとつは奈良県出身の北畠治房(新華族)

この家は、北畠親房の北畠家と同一の血統なの?

216: 日本@名無史さん 2007/09/24(月) 18:27:48
北畠は村上源氏。
近代の華族としての北畠は、村上源氏一族から北畠の家名を再興させたもの。

なお北畠については、「北畠氏」というべきか「北畠家」というべきか、いつも悩むな。

217: 日本@名無史さん 2007/09/24(月) 18:41:08
>>216
>なお北畠については、「北畠氏」というべきか「北畠家」というべきか、いつも悩むな。

「北畠」って天皇から賜った姓なのか?

218: 日本@名無史さん 2007/09/24(月) 19:11:47
公家の家系を指す場合は「○○家」、武家の氏族を指す場合は「○○氏」とするのが、日本史学界では一般的な了解事項。

日本史の論文中とかで使う場合なら、公家に関しては
○ 近衛家
× 近衛氏
となるが、武家に関しては
○ 徳川氏
× 徳川家
となる。

但し武家に関しても、明らかに氏族ではなく特定の家系を指した言い方(例えば「徳川将軍家」のようなもの)の場合は、「○○家」という言い方が許容される。

220: 日本@名無史さん 2007/09/25(火) 02:15:06
北畠治房は親房の子孫を名乗ったらしい。
しかし商人の息子だし、前名は平岡鳩平…

自称だな

225: 日本@名無史さん 2007/09/25(火) 14:49:51
>>220
調査した上で正統性が無ければ、受爵は無理でしょ。
江戸時代を通して、地元の藩には例えば
「伊勢の一族の生き残り」とかいう風に認知されてたんじゃないの?
どの系統に属するのかわからないけれど。

そういえば戦国時代の伊勢って北畠支配だけれど、分家や一族や家臣や諸豪族国人の寄り合い所帯から脱却できてないよね。そんな諸勢力の中に、楠木氏がいたと思う。
北畠の地元だから、ありえない話じゃないと思うけど。

226: 日本@名無史さん 2007/09/25(火) 16:13:09
北畠って公家でしょ?
伊勢とかきいたことあるけど、どんな関係なの?
他の公家の家と比べて、平均的なことなの?

あと、同時期の千種忠顕って、明治期に子爵受爵した堂上の千種家と同じなの?

また、北畠顕房とか、護良親王とか、急に公家が軍事貴族になるのは、歴史学的に見て
どういうことが言えるんだろ?

あと、二人とも「顕」の字ついてるけど、誰の偏諱なの?

271: 日本@名無史さん 2008/02/18(月) 01:35:47
>>226
半年越しの遅いレスだが、
室町初期までの貴族は、軍事に手を出す軍事貴族も含まれていた。
そういう実務系の貴族は、文官も含めて下級貴族だったが。

伊勢は、顕家の父:北畠親房が建武政権から国司に任じられて以後、長く伊勢に根を下ろしていた。幕府方の守護と争ったりして一時は衰えたが(特に6代将軍義教の頃に逆境だった模様)戦国時代には復権、最盛期には伊勢の過半を制圧した。
織田に破れて滅んだけど。

応仁以後には、土佐の一条家(摂関家支流。前関白一条教房に始まる)や、伊予の西園寺、それに短期間ながら、和泉で摂関家の九条氏が大名化したぞ。
九条はわずか11年で京都に戻って、摂関家のままで存続したが。
政元公旅引付だっけ。泉州にいた間の記録が残ってる。

273: 日本@名無史さん 2008/03/09(日) 00:06:06
>>271
× 政元公旅引付
○ 政基公旅引付

九条政基と同時代に細川政元という紛らわしい人物がいるから、要注意。
ただ九条政基は政治的な理由で京都にいられなくなって下国しただけだし、戦国大名化どころか在地領主化したといえるのかどうかすら疑問。
当人も和泉に根を下ろすつもりじゃなかったようだし。

275: 日本@名無史さん 2008/03/13(木) 00:19:03
>>273
スマン、誤変換を見落としてた。
紛らわしい名前ってか、両者とも義政から一文字もらってるからなあ。
細川本家の「元」と摂関家(の一部)の「基」が同時に存在するのはしかたがない。

在村の期間、10年前後の期間だけ限定ではあるが、いちおう領主としての職務をきっちりとこなしてたはず...
根を下ろすつもりはなくても、サボることはできなかったと思う。

ところで。
鎌倉時代後半から建武初年までの期間だけは、「征夷大将軍は親王/皇族がなるもの」って時代だったよな。
「宮将軍」の延長上に、護良親王を位置づけるという見解に新鮮な驚きを感じた。

276: 日本@名無史さん 2008/03/14(金) 23:21:24
>>275
しかも政基の子澄之が政元の養子なんだっけ。
全くアカの他人でもないところがまた何ともね。

282: 日本@名無史さん 2008/03/17(月) 11:41:51
>>276
澄之の生母は、将軍義澄の生母と姉妹。
つまり澄之と義澄は実際の血縁上従兄弟になる。
だから細川政元は澄之を自分の養子に望んだという。

247: 日本@名無史さん 2007/10/10(水) 18:38:29
この時期の北畠って公家なのか?武家なのか?

249: 日本@名無史さん 2007/10/11(木) 13:48:41
公家でどうやってそこまで武力化できるんだ?その構造を知りたい。

266: 日本@名無史さん 2008/01/14(月) 10:38:17
>>249
地方に下って在地領主化すれば、そのへんの国人領主と何も変わらないだろ。

251: 日本@名無史さん 2007/10/12(金) 00:26:50
そもそも武力を全く持たない公家も珍しいんだが。

255: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 17:43:03
北畠の場合、南朝方の武士や悪党を率いて戦っているうちに武士化していったんでしょ?

土佐の一条家の場合は、土佐に下向したら、高貴な人が来たと武士達に祭り上げられて武士化?

257: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 21:48:18
紀伊・湯浅氏
鎌倉では紀伊有数の党首
南北朝では各地を転戦

戦国期は・・・

259: 日本@名無史さん 2007/10/13(土) 22:54:33
>>257
戦国期は三好配下の淡路の水軍じゃなかったっけ?



310: 日本@名無史さん 2008/08/05(火) 21:57:23
大仏氏や、名越、城とかの鎌倉幕府側の北条の支族は?

323: 日本@名無史さん 2008/09/17(水) 00:49:37
>>310
北条氏の支流のうちでも有力者の大半は、幕府と命運を共にしたはず。
六波羅から鎌倉に向かう途中で死んだ面々と鎌倉陥落時に死んだ面々を合わせて400人以上が切腹したと言うし。
そこで生き延びても、中先代の乱で死んだのもいるだろ? たぶん。

324: 日本@名無史さん 2008/09/17(水) 01:01:26
まあ生き延びても人知れず落ちていって帰農したり隠棲したんだろうね。

315: 日本@名無史さん 2008/08/13(水) 02:12:55
城は北条支流じゃなくて安達氏の別名ね。
大仏や極楽寺は全滅だろうけど、飛騨江間氏は佐介系ね。あと横井也有の尾張横井氏は名越の子孫て聞いたが真偽不明

329: 日本@名無史さん 2008/09/23(火) 03:27:39
結城宗広って地味だよな?

341: 日本@名無史さん 2008/10/02(木) 20:38:15
>>329
結城宗廣の子孫は、奥羽仕置で秀吉に改易されるまでは南奥の有力者だったはず。
たしかその子孫は、伊達家と佐竹家の家臣となったような・・・

330: 日本@名無史さん 2008/09/24(水) 17:28:13
南朝の忠臣なのにな

331: 日本@名無史さん 2008/09/26(金) 09:41:02
南北朝じたい地味だしね

332: 日本@名無史さん 2008/09/26(金) 13:34:36
没落したのでは、伊勢の北畠家が代表格でしょ。
あと千種家もそうだね。
後醍醐天皇の側近だったのに、共に信長の軍門に下る。

334: 日本@名無史さん 2008/09/27(土) 13:20:22
北畠は信長に滅ぼされちゃったけど、それ以前は落ちぶれたとまでは言えないと思う
まぁ別にどっちでもいいけど

343: 日本@名無史さん 2008/10/03(金) 10:01:48
北畠や結城はなぜ爵位を貰えなかっただろう?
同じ南朝の忠臣の菊地家や名和家は貰ったのに。

357: 日本@名無史さん 2009/03/27(金) 13:39:15
>>343
結城に関して言うと小山(結城本家)、結城(白河結城)共に水戸藩士。
水戸藩党争で書生派に属し会津戦争にも参加していたため賊徒として扱われていた。
明治中頃に士籍回復される。

352: 日本@名無史さん 2009/02/03(火) 22:38:06
たぶん既出と思うけど…上杉氏(本流)かな…

山内・扇谷・犬懸・宅間・深谷・越後・他…血が残ってるのは、ドコ…?
米沢は名跡だけだし…

353: 日本@名無史さん 2009/02/04(水) 19:18:18 BE:1103139465-2BP(0)
戦国時代になって没落し、昭和になって復活した、松田聖子率いる柳川蒲池氏

361: 日本@名無史さん 2009/05/08(金) 18:45:22
肥後の豪族の名和って長年の子孫?
千種はいずこへ??

364: 日本@名無史さん 2009/05/10(日) 09:33:34
>>361

北畠氏の客将となったらしいですね

詳しくは次のサイトを

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tigusa_k.html

365: 361 2009/05/13(水) 20:26:41
>>364
わざわざどうも。
まあ、村上源氏(?)だからね。
にしても、いっつも思うんだがこのサイト、すごく便利だよな。
情報こんだけ集めてんのはスゲェな。

366: 361 2009/05/13(水) 20:39:02
あと、肥後の名和は本当に長年の子孫なのか?
すごく怪しいような気がするのだが。

375: 日本@名無史さん 2009/07/17(金) 17:46:48
肥後の名和は長年の息子が地頭になってたのは確かだし
あのあたりは南朝の巣屈だから、わりと由緒?正しいハズ

384: 日本@名無史さん 2009/07/18(土) 20:41:56
山形県で言うと・・・

北朝は山形の斯波氏
南朝は寒河江の大江氏

その他のいるけど
288: 日本@名無史さん 2008/03/19(水) 21:42:48
加賀国の守護富樫氏もあてはまるのかな?ちょい疑問だけど

293: 日本@名無史さん 2008/04/24(木) 03:12:50
細川家は未だに続く超ロングラン名家ですねえ 

ウラヤマシス

引用元: ・南北朝時代に有名で、戦国時代は落ちぶれてた家系