51tbhD941-L



1: 日本@名無史さん 2008/01/30(水) 19:17:08
現代の和食の基礎となった江戸時代の食い物
食ってみたい料理から、コリャなんだつう料理まで全部あげて満腹しよう

関連記事
料理、菓子、酒 江戸時代の美味い物について語れ   









316: 日本@名無史さん 2008/06/07(土) 14:48:14
中御門天皇の従四位の象さんは死んだあと
お吸い物にされて結構美味しかったらしいのだが
象さんって美味しいんですかね・・・

317: 日本@名無史さん 2008/06/07(土) 15:04:48
>>316
サンコンが以前、象うまいよとマジな顔してテレビで話していた…
多分うまい。

319: 日本@名無史さん 2008/06/07(土) 22:39:11
マンモスは人に狩られて絶滅したという話もある品
象の類は旨いんだろう

329: 日本@名無史さん 2008/06/11(水) 23:01:04
699 :日本@名無史さん :2008/06/11(水) 18:23:51
近江牛の味噌漬けはガチで美味く諸侯献上の中でも圧倒的人気だったらしい


700 :日本@名無史さん :2008/06/11(水) 20:03:26
肉を公な使いものにしても無礼にならなかったんだ


701 :日本@名無史さん :2008/06/11(水) 21:33:16
>>699-700 
当時は牛乳を飲むことさえ忌み嫌われていたのに牛肉なんて食おうとする奴いたの?

330: 日本@名無史さん 2008/06/11(水) 23:43:27
>>329
肉自体は食ってんじゃん。牛だって薬食いって免罪符はあったんじゃね?

331: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 01:27:53
つか肉喰うの嫌がられてて食わないんだったら肉好きという話のある人は最初はどういうきっかけで肉が好きになんたんだ?
食い物じゃないと認識してれば味覚えないつーかまずい口にしないから好きも嫌いもないともうのだが・・・
子どもとかの中では結構みんなこっそり食ってたんじゃないの?
それで好きな奴は成人しても食う
20歳でタバコやめれない奴らとおなじで意志が弱い

332: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 02:41:11
そんなに簡単に牛の肉は手に入らないでしょ?

333: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 05:18:03
食用家畜としての牛の飼育はほとんどされてなかったから、高価だったと思うなぁ

334: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 05:55:34
福翁自伝読むと、幕末の大坂には牛鍋屋みたいなのあったみたい。
弊死牛は皮とか処理して、多分肉なんかは保存食化してたろうて。
けっこう食ってたんでねえの?

337: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 08:50:15
昔は全部天然モノだったんだから、アサリとかアナゴ、魚類はうまかったろうな。
時代がとぶが、原始人さんだって天然モノの魚、肉、ばっかりで案外量とか安定度はともかく味は良かったに違いない。

339: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 15:14:06
天然モノのフグ・・今よりもぜいたくじゃぁないかぁ。

340: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 15:24:44
江戸期は明治に伊藤がフグにはまるまで一応秀吉以来御禁制よ>ふぐ
とくに武士は「主君のために使うべき命を己の食い意地に負けて使った」と
ふぐくったら改易

349: 日本@名無史さん 2008/06/13(金) 09:01:37
>>340
落語にあるから庶民は食ってたんじゃないか?
あれたしか原作十返舎一九だったから確実に江戸期に作られた話だし

359: 日本@名無史さん 2008/06/16(月) 17:55:29
>>340
ふぐについての川柳も多く残るし、食べていたと考えた方が自然なのでは。
杉浦日向子「大江戸美味草紙」に詳しい。

芭蕉の句にもふぐが出てくる。
翌朝目が覚めて、ああ生きていた、とかそんな句だったかな。
あら何ともなきや きのふは過ぎて ふくと汁

364: 日本@名無史さん 2008/06/17(火) 17:30:57
杉浦日向子の受け売りになるが、当時はふぐのどこに毒があるのか、よく分かっていなかったらしい。ふぐを食おうと誘われて断るのは江戸っ子の名折れだが、妻帯者に限っては棄権が許される、とも。

肉についての書き込みが散見された。
よく分からんが、ぼたん、さくら、という隠語が示すように、獣肉を食べることはあったのではないか。現に、江戸期を通して最も下等な照明灯は獣脂で、これは主に臭いが嫌われたわけだが、ロウソクなどに比べればうんと安かった。

低価で供給されるほど獣脂を取って、肉だけ捨てたとはあまり思われない。

366: 日本@名無史さん 2008/06/17(火) 20:45:10
河豚食ったことないんだが
命かけるほどうまいのかなぁ?

371: 日本@名無史さん 2008/06/18(水) 16:48:24
どっかの料亭(吉兆だったかも)で河豚の白子が供されて
客の一人が「うまいうまい」と喜んで食って
「そんなにうまいなら私の分もどうぞ」ってな具合で
全員分の白子を食って死んだwというはなし

372: 日本@名無史さん 2008/06/18(水) 17:17:41
そんなの聞いた事ないけどね

373: 日本@名無史さん 2008/06/18(水) 17:19:45
白洲正子がテレビでいってた。
幸田文だったかもしれん。

374: 日本@名無史さん 2008/06/18(水) 17:58:11
大昔だが、歌舞伎役者(名前は忘れた)が京都の料亭に無理やり、フグの卵巣を出させて、あたって死んだ。
この事件じゃないの?

しかし、卵巣の味は絶品らしい。

376: 日本@名無史さん 2008/06/18(水) 19:23:27
>>374
この人だね
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/坂東三津五郎 (8代目)

ここには書いてないけど跡を継いだ蓑助とは勘当状態で金の成る木の坂東流舞踊家元を三津十郎に譲る遺言残してたんだよ
それで没後えらい騒ぎになった

377: 日本@名無史さん 2008/06/18(水) 19:53:53
坂東三津五郎か~大変なグルメだったらしいね。
襲名騒動ねえ!だからお袋たち騒いでたんだ。
ガキだった俺は、フグに当たって役者が死んだことしか記憶に無かった。

341: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 17:14:08
江戸時代、1800年の前半は、移動は徒歩?
隣の県へ行くような、ちょっとした遠出は、どうやって移動してたんだろう。
生鮮品を運ぶ時のことね。

343: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 18:39:27
水路が整備された都市以外は、担ぐか馬曳くかじゃないかな?つまり徒歩。若狭の鯖とか越中の鰤みたく長距離なら塩したりして。

344: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 23:14:19
生はあんまり運ばなかったんでしょ。
山中には川魚がいるし、今と違って回りにあるもの食べてたわけだから。
って、つい最近まで岐阜とかでは江戸と同じようなもんだったんだよね。
うちの婆ちゃんなんかは老後になるまでハマグリなんて食べたことなかったって、言ってたし。
ほんで、おもろいのが、飛騨ブリ、って言ってブリの切り身なんかは富山の方から山を越えてくるから、あれは山中で採れるものと思ってた、とかね。
寒い地方だし雪の中に詰めて持ってきたのかな、聞いておけばよかった。

345: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 23:23:44
「塩」と「たんぱく質」がセットで運ばれたと思えばいいんじゃないかな
山梨なんか煮貝が名物だろ
吉野の柿の葉寿司とか

347: 日本@名無史さん 2008/06/13(金) 01:48:11
鮫は腐らんから海辺より山奥のがうまい鮫料理があるんや
ほかの魚腐るし運べたから山奥はさめ喰うしかなかったからな
っておいしんぼでいってたな

348: 日本@名無史さん 2008/06/13(金) 04:51:56
魚は干物にして運ぶわな
蝦夷の鮭は大阪まで船で塩づけだけど大きいからな
生魚はよっぽど近くないと食えんよ

351: 日本@名無史さん 2008/06/13(金) 14:50:34
>>348
鮭は多摩川や利根川あたりでも溯上してたんでしょう。

353: 日本@名無史さん 2008/06/13(金) 23:10:55
初鰹は、江戸っ子の初物好きのために鎌倉飛脚で輸送。

360: 日本@名無史さん 2008/06/17(火) 16:41:48
関西の味覚が今のように出汁を重視するようになったのは江戸中期以降だろうね。
煮干しにするカタクチイワシの類は瀬戸内にもたくさんいたから、出汁を取るという習慣はあったのかも知れないけど、関西の味覚に欠かせない昆布も鰹節も瀬戸内ではとれない。

どちらも船が運んだ。
船便でなければ一般家庭の台所まではなかなか普及しない。

鰹節はもと紀州漁師がその漁労から加工までの高水準のノウハウを持っていた。
それが、土佐、薩摩、三浦半島、房総などに散ってノウハウを教え、各地での生産高が上がった。

昆布は松前から運ぶ。
今はおせちに欠かせないカズノコも、松前から。
ただしこの当時、カズノコはおかずとしては下手の扱いだったらしい。

こう考えて行くと、現在につながる「関西風の味付け」が成立するのはどう考えても江戸中期以降。
案外新しい。

362: 日本@名無史さん 2008/06/17(火) 17:11:54
正月の数の子は巨大な壺に山のようにつけておくもんじゃ!
・・・と今は亡き鹿児島のバーチャンが言ってました。事実おせちの中でも安物のおかずだったようです。
「黄金のダイヤ」とか言われるようになったのは昭和も後半になってからみたい。

昆布は日本海周りの航路が発達したことが大きいでしょうな。
いまでも大きな昆布問屋は東京ではなく大阪にある。
でも昆布の消費量が日本一なのは沖縄だとか。
江戸時代に薩摩経由で中国への輸出品の主力商品だった名残らすぃ。

365: 日本@名無史さん 2008/06/17(火) 20:38:22
>>362
言われて思い出した。
中国、昆布を輸入してたんだよな。
中国の海にだって、ないことはないのに。

北前船と西回り航路が主に関西の食を形成していたとは言えそうだね。
現代、年末に贈答する新巻鮭だって北でとれるわけで。


383: 日本@名無史さん 2008/06/19(木) 12:34:31
天ぷらは立って食え、という。
それくらい揚げたての熱々を食わなきゃいかん、というわけだが、それ以上に買い食いの定番商品でもあった。

下味がついていて、ごま油で香ばしく揚げてある。
つゆもつけ塩も必要ない。
竹串で刺して食った。
サクサク感を楽しんだのだろう。

ネタは、もっぱら魚介類。
それも近隣で捕れる雑魚に近いような魚が多く、小僧さんの駄賃でも買えるくらい安かった。

384: 日本@名無史さん 2008/06/19(木) 12:38:14
当時の雰囲気で食べてみたくなったw
美味しいだろうなぁ。

388: お江戸でござ 2008/06/20(金) 09:12:32
肉料理が無いし油で揚げた物は人気があった筈。
天麩羅は今でも美味しいと感じるがあの時代だとかなり美味しく感じたのでは無いかと思う。

389: 日本@名無史さん 2008/06/20(金) 09:33:28
普通に肉は食べられてたけどね
居酒屋みたいに飲んだり食べたりする所の軒先に鳥とか肉、魚を吊るしていたみたいだし。

390: 日本@名無史さん 2008/06/20(金) 13:19:33
どのくらいの流通であったかは別として、食肉の風習が皆無だったと言えば嘘になるかも。ちゃんと調べたわけじゃないが、もみじ、ぼたん、さくら、とこれは雅称のような響きだが、それだけに隠語めいた言い回しだ。

鶏は例外として、江戸期には食肉用家畜の風習がなかったのだ、と表現すると非常にすっきりする。なぜなら、米食すれば麦食地帯のように家畜を飼わなくとも人間は最低限、繁殖可能で、いったんそのような形で人口が飽和してしまえば、農地面積が増加しない限りは家畜に回すリソースがあまりない。

そこへ行くと爬虫類から少し進化しただけの鶏というのは、哺乳類ほどは食べないでも生き続ける動物なんだよね。

391: 日本@名無史さん 2008/06/20(金) 14:53:32
しかし鶏でさえも、江戸府内では飼っているところが少なく鶏卵は貴重だったそうだ。
卵売りが近在の農家から仕入れた卵は、府内のお得意様に高値で売れた。
吉原の郭内では、出陣前の男衆が、ゆで卵を頬張って精をつけた。

392: 日本@名無史さん 2008/06/20(金) 16:36:41
昭和30年代まで日本食はたんぱく質不足
そのため、脳出血が死亡することが多かった

395: 日本@名無史さん 2008/06/20(金) 22:35:54
タンパク質は玄米からとっていたと聞いたことがある。
米タンパクは良質だけど必要量にはかなり足りなかったかも。

そういえば江戸時代の人の平均身長は日本史上最も低かったと聞いたことがあるが
これも理由なのだろうか。

396: 日本@名無史さん 2008/06/20(金) 23:20:55
4つ足に関しては、一応禁忌なんだよな。
これは江戸時代からなのかね?

397: 日本@名無史さん 2008/06/20(金) 23:30:04
平安時代の宮廷料理「大饗」のメニューが『兵範記』に残っているが
いわゆる「四つ足」の物はないらしい(魚介類や鳥類のメニューはあり)。
なので、平安時代後期には四つ足獣の肉は避けるべき物と思われていたと推測は出来る。

具体的に忌むべき物と書いた史料は寡聞にして見たことがないが。

400: 日本@名無史さん 2008/06/21(土) 10:43:57
鶴食ってみてぇ

405: 日本@名無史さん 2008/06/21(土) 20:29:24
東京で食ってみたいもの。

純江戸前テンプラ

胡麻油だけで揚げ、立ってくう。
出来ればビールと。

牛鍋
関西から流れてきた「すき焼き」ではないもの。

407: 日本@名無史さん 2008/06/22(日) 00:32:48
江戸期の食用油って胡麻より、菜種とか綿実かも。当時は精製技術が発達してなくて、天麩羅なんてそんなに旨いもんじゃなかったとか聞いた事がある。
灰直しの発見も、清酒の起源とかぶるから、よくわからない感じだし。
勿論、現代の胡麻油を使った江戸前の天麩羅は旨い。太白とか、サラダ油ブレンドとか使ってるらしいが。

409: 日本@名無史さん 2008/06/22(日) 04:09:20
先日天ぷら塩で食ったら意外とうまかった
天つゆより俺好みかもしれない
やたら高かったけど

418: 日本@名無史さん 2008/06/22(日) 18:16:31
丼モノが発明されたのはいつ頃からだろう。
砂糖が高級品だったことは確かである。
しかし味醂や酒で代用できないことはない。

江戸期までの塩は、赤茶けてベトベトしていた。
あまりうまそうな印象ではない。

赤穂の塩だけは別で、これは白くてサラサラしていた。
赤穂浪士事件の遠因とも言われる。

421: 日本@名無史さん 2008/06/22(日) 19:14:38
>>418
かつ丼は戦後らしい
勝負師伝説哲也で変な食い方するって言われてたし

420: 日本@名無史さん 2008/06/22(日) 19:10:35
丼のはじまりっていうと
うな丼 天丼 鉄火丼 あたりか?
あるいは親子丼あたりが最初になるのか

422: 日本@名無史さん 2008/06/22(日) 19:14:53
wikiだとこう書いてある

最も古い丼物は鰻丼で19世紀初めに登場し、続いて江戸末期には深川丼がうまれたといわれている。

424: ぴーす ◆u0zbHIV8zs 2008/06/22(日) 19:43:45
歌舞伎の脚本家か平賀源内か誰かがよく出前のうなぎを食べたんだけど、着いた頃には冷めてておいしくないからご飯で保温してあげたのが始まり。

425: 日本@名無史さん 2008/06/22(日) 21:34:38
>>424

> 歌舞伎の脚本家か平賀源内か誰かが

っていうか平賀源内が歌舞伎の脚本家って言うか。

そうか、それどっかで聞いたが、それが始まりか。
やっぱり江戸期なんだね。
江戸の食文化って充実してるな。

427: 日本@名無史さん 2008/06/23(月) 14:51:43
鰻丼は奥が深いですね。諸説あるみたいですが牛久沼のは我田引水ぽいなぁ。
関西では鰻丼のことを「まむし」って言いますが。
これは、鰻とご飯を「まぶして」食べたからです。この辺にもルーツがありそうですね。
それから、関西の鰻丼の鰻には必ず頭がついてました。
今はどうか知りませんが。

428: 日本@名無史さん 2008/06/23(月) 17:13:26
背開きと腹開きの違いかな。
関西は薄味だとか言うが、
鰻について言えば関西の方がよほどこってりしている。
薄味のうろんをこよなく愛する一方でおたふくソースにマヨネーズ、という関西人の味覚だね。

江戸時代、江戸ではうどんと言えば具合が悪いときに食べるものの代表格。
いわゆる釜上げだったと思うのだが、
「今日はうどんでも手繰り込んで寝ちまわぁ」
と言えば、それは風邪を引いたということ。

手繰り込む、という表現が秀逸。

429: 日本@名無史さん 2008/06/23(月) 17:36:26
関西はやはり蕎麦切りよりうどんをよく食ってたな。
後、素麺をあったかい汁で食う、「にゅう麺」て呼んでた。

431: 日本@名無史さん 2008/06/23(月) 23:10:28
関西でうどんといえば「うどんや風邪薬」
・・・但し、操業は江戸時代じゃない 残念
http://www.kazeichiyakusuri.co.jp/

432: 日本@名無史さん 2008/06/24(火) 05:16:07
消えずの行灯とか蕎麦屋の怪談はあるのにうどんやの怪談ってないね

433: 日本@名無史さん 2008/06/24(火) 13:07:05
妙な話題になるが、江戸時代の照明はほとんどが食える。
獣脂、魚脂、植物油。
だから猫が舐める。

油は菜種。
魚脂は北方の鱒の仲間などからとったようだ。
獣脂は何からとったのだろう。
鯨か、もしくは牛脂だろうか。

435: 日本@名無史さん 2008/06/24(火) 19:56:33
ゲイ油

436: 日本@名無史さん 2008/06/24(火) 20:29:46
確かに鯨油はあった。
鯨漁そのものは古く、中世にも記録が残っている。

鯨油を取り、日本の場合は肉も食った。
ヒゲで楽器も作った。

アメリカは、油を取って残りを捨てることが多かった。
ムダ好きのアメリカ人といいたくなるがそうではなくて、ひとつは鯨油生産が日本よりも資本主義的だったことと、いまひとつは鯨漁そのものが遠海まで足を伸ばし過ぎていたこと。

ところが不思議なもんで、江戸以前から続く鯨料理というのが今ぱっと思いつかない。
まあ、鰹や秋刀魚のように節になれば必ず手に入る、ってな食材でもなかったのかと思う。

となると、話は獣脂に戻る。
獣脂のメインは鯨油だったのか。

437: 日本@名無史さん 2008/06/25(水) 02:23:42
油舐める妖怪さんもたくさんいるからね
ろくろ首とかは今はオリーブオイルとか購入してガブ飲みしてるのかねこっそりと
あいつら普段は人と変わらないから人の世に溶け込んでOLとかやりやすいだろうし

439: 日本@名無史さん 2008/06/25(水) 14:49:07
>ところが不思議なもんで、江戸以前から続く鯨料理というのが今ぱっと思いつかない。

「大魚(鯨)食す」って言うのをどこかで読んだ。
その時、思い出したのが「ハリハリ鍋」割り下で赤身を煮る。
それと「おばけ」、油を絞った後の皮下脂肪、パサパサのやつ、夏、酢味噌で食う。

となると、話は獣脂に戻る。
獣脂のメインは鯨油だったのか。

鯨油だけじゃ少量でしょ、なんせ小船にモリの捕鯨だから。
しかも、江戸時代、鯨は魚だと思われてた。

魚脂はたしか、鰯なんかからも搾り取ってた。
非常に臭いらしい。

440: 日本@名無史さん 2008/06/25(水) 17:27:25
鰯やニシンから油とって残りは肥料にしてたね
鱒あたりとなると蝦夷地しかも国後択捉でも油取ってたけどこれは19世紀くらいからだな
鮭は塩漬けして食べた方が多いかな

441: 日本@名無史さん 2008/06/25(水) 18:03:06
国後、択捉での魚脂生産は高田屋以降だね。
西洋でナポレオンが暴れていた頃。
絞りカスは西南日本に運ばれて綿花用の肥料になる。

新巻鮭は塩をして筵に巻くわけだが、この塩は上物ならきっと瀬戸内の塩、おそらく筵は若狭辺りから運び込んだ。考えてみりゃ蝦夷は米の適地とは言いにくいわけで、持ち込まなきゃ藁なんかそうやすやす手に入るものじゃない。
塩も現地生産したとは考えにくい。

と考えると、新巻鮭はかなりダイナミックな食べ物だ。

引用元: ・料理、菓子、酒 江戸時代の美味い物について語れ



すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ: 江戸四大名物食の誕生 (ちくま学芸文庫)
飯野 亮一
筑摩書房
売り上げランキング: 141,510