51gu1v-LuiL



1: 日本@名無史さん 2011/01/02(日) 11:43:40
信長以降の織田家の実質的地位と形式的地位や織田家の面々(女も含む)の動き
豊臣政権や徳川政権下でどのように落ちぶれていったか語りませんか

ひとつの疑問があります

関ヶ原以後、織田家はなぜか秀頼側に肩入れしていきます
世の中の流れ的には徳川側についたほうが有利であるにも関わらずです
豊臣秀頼は織田家の血をひいてますがそれを言うなら徳川家光も織田家の血をひいています
秀頼側なら主導権を握れるのは確かですが沈没船の船長になってどうするのでしょう

この話題でなくても構いません。信雄のアホ過ぎる処世術でもいいですし
生き残った織田信勝の血統や他大名に受け継がれた織田の血筋でもいいですし
語りませんか?








167: 日本@名無史さん 2011/02/24(木) 21:22:58.39
信忠まで本能寺のドサクサで消えたから、大名家としての織田家が瓦解したのよ

秀吉の台頭から賤ヶ岳、小牧長久手のゴタゴタは信長の定めた後継者で家臣全ての了承を得てる信忠の死によるもの。家臣全てを納得させる後継者が不在だから勝家が信孝を担げば、それに対抗する秀吉が三法師を担いだりする。

当主が後継者を定める前に死んだり、後継者を定めてもそれが若年過ぎて指示をつなぎ止めれずに家中分裂して滅んだ家も多いね

174: 日本@名無史さん 2011/02/25(金) 01:33:20.74
>>167
ドサクサで消えたというか、光秀の目的は織田政権を瓦解させ自分が権力を握ることなので会長は消したのに、社長が残っていてはことは成就しない
両者を同時に消せ、他の重役(軍団長)は留守(敵と対峙中)という絶妙の機会が訪れたので下克上したわけで
そういう偶然の機会が訪れなければ、いままで通り第一の功臣(佐久間折檻状)だったろう。


178: 日本@名無史さん 2011/02/25(金) 15:22:34.55
>>174
信長さえ死ねば織田政権は瓦解していた可能性は?
織田家当主とはいえ信忠の能力では中国・四国征討は無理で、信長とは同盟者であった家康の動向も注目されるところ。結局能力の傑出した家臣に乗っ取られる運命にあったとか。

信忠は死んだからこそ織田政権崩壊の責任を取らずに済んだけど、もし生きていれば弟たち以上に当主のくせにボケ糞言われる羽目だったかも・・・

179: 日本@名無史さん 2011/02/25(金) 16:01:43.41
>>178
ところが最近は信忠を高く評価してそのまま統一してたろうとはよく見かける。
信長個人のカリスマ性と同一視してるようで賛同はしないが。
実際は四国九州はなかなか落ちないだろうし
もし秀吉あたりが本気を出したら逆に織田家自体がどうなってたことか。
結局秀吉ー家康あたりが突出してくるようには思うだよね。

180: 日本@名無史さん 2011/02/25(金) 19:32:01.13
>>179
とはいえ武田を滅ぼした後の信忠は既に領地は家中No.1で
実績も重臣たちには劣るがそこそこ積んでいるので
秀吉や家康が単独で何か行動を起こしたところでどうにかなるとは思えない

181: 日本@名無史さん 2011/02/25(金) 19:43:31.14
でも家康の力が大きくなったのは豊臣政権からだよね。
秀吉が懐柔の為かかなり領地や地位を与えた(そのせいで家康に野望と機会を与える事になった)。
でも本能寺の変直後の徳川家は突出しているわけではない。
そうなると秀吉の存在だけど仮に彼が天下取る事になっても相当時間かかるだろう。
曲がりなのにも信忠は家督はついでいるから余程の失態がないと追い落としにくい。

182: 日本@名無史さん 2011/02/25(金) 23:46:18.53
>>181
家康が勢力を拡大したのは本能寺の直後でしょ
織田の領地だった信濃と甲斐を平定
一揆が起こり無法地帯だったとはいえ強奪だからね
ただこの信濃と甲斐の平定がないと家康は秀吉政権下では史実のような影響力はないような

172: 日本@名無史さん 2011/02/25(金) 00:08:27.91
津田信澄も悲惨だな。たまたま四国出兵の為集結した時に本能寺起きて、光秀の娘婿なんで信孝らに疑われて襲撃されて殺されてしまった。本能寺の時、同じような立場の細川忠興みたいに国許にいたら、妻と別居して光秀に組しない宣言したりと、色々と手は打てただろうし、あんな悲劇は起きなかっただろう。

でも信澄は織田家一門の中でも武将としての器量はあるから、本能寺後を上手く立ち回って、秀吉に付いたとしても、後々警戒されて因縁つけられて所領没収か削封、下手すりゃ粛清されたかもしれんが。

173: 日本@名無史さん 2011/02/25(金) 00:35:18.32
>>172
信長は次世代を担う織田一族の躍進の場に四国を考えたんだろね
信孝と信澄が四国方面軍にいるわけだから

186: 日本@名無史さん 2011/02/26(土) 00:56:44.80
ループな話題だけどつくづく信忠まで死んだのが残念だな。
後で笑いモンになろうが生き延びる確率がわずかでもあれば逃げるド根性を教えてあげるべきだった。
ただ謀反に関しては信長も信忠も光秀を買いかぶり過ぎた。
計画性の無い謀反だったのに光秀なら完璧で手抜かりないと思っちまった。
それだけ光秀は優秀だったんだろうけど。

190: 日本@名無史さん 2011/02/26(土) 13:21:35.69
本能寺の変の後、家臣達が織田家を大事にしていない感じがするのは信長に人望がなかったせいなのかな?
恐怖政治のせいで。

191: 日本@名無史さん 2011/02/26(土) 15:10:10.73
>>190
恐怖政治って感じもしないけどな
林、佐久間の重臣追放は徳川とて同じことするし

194: 日本@名無史さん 2011/02/26(土) 20:47:10.26
そもそも、忠誠心なんかないんだろ。

195: 日本@名無史さん 2011/02/26(土) 23:38:56.95
宣教師達の信長評で家臣達(身辺お世話係)が異常な位に信長に恐怖して仕えているのが幾つかある。


198: 日本@名無史さん 2011/02/27(日) 13:33:04.12
天下取った後の秀吉が信長は怖がられていたけど愛されていなかったと評していたけど
天狗になっている秀吉の評という事で割り引いても中々興味深いコメント。

201: 日本@名無史さん 2011/02/27(日) 20:54:22.79
信長は強過ぎる個性のせいで人に抱かれる感情は真っ二つに別れるわな。
嫌悪、憎悪されるか、心酔、敬服されるか。
ねねへの手紙や黒人ヤスケのエピソードなんか知ると細やかな心配りの出来る「柔」の部分もあるけどね。
秀吉と仲の良い前田利家は死ぬまで信長を尊敬していたから好対照だな。

204: 日本@名無史さん 2011/02/27(日) 23:56:14.57
柴田、前田、丹羽、池田、滝川と信長亡き後も信長に対する畏敬の念は抱いていたと思うが丹羽と池田は晩年は秀吉に加担したことを悔いたかもな
何度も同じ議論になるが信忠が生きてれば瓦解しなかったろうに

206: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 00:33:52.08
>>204
秀吉の信長への思いは相当複雑だと思う。天下人になってからの信長評は相当鬱憤溜まっていたんだろうなと思う位辛辣なものもあるし。後信長の遺児や側室にひどい事もしているし。でも出自の低い自分を取り立ててくれた恩義を微塵も感じていないわけでもないだろうけどさ。

私等は当然歴史を知っているから例えば丹波さん辺りはなんで秀吉の支援をしたかと思うけどまさか彼も秀吉が関白になるなんて想像もしていなかったろ。
秀吉は出世頭だったけど本能寺の変直前は織田家では№5位だったみたいだし。
ホント本能寺の変の後の秀吉はスーパーサイヤ人。

213: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 09:33:17.07
そういえば、蒲生氏郷が秀吉の前で、六角の太刀持ちをしたとかいう話あったよな。
自分はかつては臣下だったからとか言って。
秀吉に、以前の主筋を大事にしてくれって言いたかったのか。
それとも、別にそんなに信長信者じゃないよとアピールしたかったのか。

218: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 17:45:29.70
>>213
六角は秀吉政権下で豊臣一門に準ずる待遇だったとの指摘がある
その指摘だと秀信も六角氏と関係があるようだ
だから蒲生氏郷が尚更適任者だったんだろうね

226: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 21:07:35.24
元信長の側近で秀吉に重用された堀秀政は織田家没落を憂れいたらしいね。
蒲生同様に変後はすぐに秀吉に従いかなり秀吉のお気に入りだったらしいけど。

228: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 21:43:03.51
織田も豊臣も天下は失ったけど、しばらくの間、当主は健在だよな。
450年も後から見たら、あれ?此奴ら忠誠心ないじゃんとか思うけど、当時としては跡取りが必要以上に冷遇されてなれば良しとしたんじゃないの?


230: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 22:43:21.71
信長ファンとしては彼亡き後の織田家のあっけない崩壊がちと寂しく思いますた。
まあ、残された人間がそれなりの思いで信長を畏怖していたんだろうなあとは思うのですが。

235: 日本@名無史さん 2011/03/01(火) 00:13:21.60
>>230
ミニ信長と評される細川忠興は33回忌に信長の菩提を弔う為に創建した泰巖寺に梵鐘を寄進したりしているから、信長が秀吉が評したように愛されない人物ではなかったと思うけどね。
当時はお家第一だったから時流の流れの中の止むを得ない言動はあるから今の現代人の価値観では計れんのだろう。

237: 日本@名無史さん 2011/03/01(火) 08:51:11.84
>>235
忠興は信長の小姓やってたから愛着はあるだろうね

231: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 22:51:16.62
>>230
「織田家」は崩壊してないけどね

232: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 23:00:36.06
織田家の没落でした

233: 日本@名無史さん 2011/02/28(月) 23:18:46.70
しかし豊臣政権末期には岐阜に宗家があったし
名誉的な面では言う程没落してないかも

249: 日本@名無史さん 2011/03/05(土) 02:26:19.73
>>233
官位は五大老とほぼ同格だけど、政権の中枢からは遠ざけられてた感じだね。

250: 日本@名無史さん 2011/03/05(土) 02:39:20.94
信長の元家臣で秀吉に与した家臣達は関が原の戦いでは面白い位に東軍についているね。
世渡り上手だな。

251: 日本@名無史さん 2011/03/05(土) 03:28:52.63
>>250
東軍というか流れであって、世渡りとか、そんなモノじゃない
会津征伐は天皇や天下人秀頼からも軍資金が出た、オーソライズされた戦い
たまたま先陣で、家康にくっついていった連中が、西軍蜂起で石田憎さもあって家康の元に結集してほとんど脱落(例外は真田、田丸など)しなかっただけ

252: 日本@名無史さん 2011/03/05(土) 15:39:10.76
>>251
すまん、もう少し噛み砕いて教えてもらえばありがたい。
関が原の戦いは東西どちらにつくかという事でどの大名家も苦心したというのは真実ではなく単なる定説なの?

253: 日本@名無史さん 2011/03/05(土) 15:54:18.90
>>251じゃないが、そら西軍は機内で蜂起した訳で大名としては対応に苦慮したのは間違いない、なんせ見た目勝っても変じゃない規模だしだが法的には東軍の方が正式な豊臣政権軍と言える可能性が極めて高い
西軍は言わば君側の奸を除くと、蜂起した青年将校団のような物
一方で東軍側はクーデター討伐の名目
どちらも豊臣政権の為と主張して戦ったのよ


そう考えるとあそこまで事をデカくして見せた三成の優秀さが逆に証明されてるw
次いでになんで関ヶ原の時点で家康は豊臣を滅ぼしてないの?って疑問がそもそも根本的に間違ってる事もわかる

255: 日本@名無史さん 2011/03/06(日) 00:34:10.34
むしろ、何で関ヶ原の時点で豊臣家は家康に大義名分与えちゃったんだ?って話だよな。
まあ、家康に対抗できる政治力と、将来を見る眼をもった人がいなかったんだろうが。

260: 日本@名無史さん 2011/03/06(日) 20:14:06.73
関ヶ原から大坂の陣までの織田家はどうだったんだろな?

261: 日本@名無史さん 2011/03/06(日) 21:18:03.47
信長の子供はほとんど西軍についたから改易じゃなかったっけ。

274: 日本@名無史さん 2011/03/07(月) 20:53:04.08
>>261
でも信長の一族だから結構甘い処遇だよね。改易されても数年したらすぐ復帰してるし。信雄とか。
あと信包は西軍ついて田辺城攻撃参加もしたけど罪問われず本領安堵だし。
秀信ももう少し長生きしてたら小大名ながら復帰できただろうね。

275: 日本@名無史さん 2011/03/07(月) 21:25:20.42
>>274
秀信ももう少し長生きしてたら小大名ながら復帰できただろうね。

それはそう思う。早世(一説には自害らしいが)が残念。

311: 日本@名無史さん 2011/04/14(木) 03:02:36.07
信雄って頭はポカなのが有名だが顔は美男子だったの?

314: 日本@名無史さん 2011/04/16(土) 12:38:41.09
>>311
信孝は信長に1番似ているみたいな記録があったような
一方のカス雄の方はそんな記録もないね

315: 日本@名無史さん 2011/04/19(火) 16:29:20.01
織田信雄の肖像画
no title

織田信長に似てるっちゃ似てるが

316: 日本@名無史さん 2011/04/23(土) 12:03:37.03
織田秀信は高野山から追放後に野たれ死にしているみたいだけど
誰一人彼を助けようとしなかったのはなんでだろう。
再就職に成功している旧家臣もたくさんいたし、織田縁者もいたのに。

317: 日本@名無史さん 2011/04/25(月) 00:03:04.12
秀信ももうちょっと長生きしてれば大名復帰になったんじゃね?
信雄も関ヶ原で西軍について一時は所領没収されたけど大名復帰したし、信包も本領安堵だったし、徳川政権は織田家には基本的に甘いだろ。

318: 日本@名無史さん 2011/04/25(月) 10:36:39.88
秀信さんは信長の正統後継者だから誰かに担がれる恐れもあって 
秀頼さんみたいに生きてもらわれては困るよ

320: 日本@名無史さん 2011/04/25(月) 21:49:22.57
>>318 
その時期の秀信にどれ程の価値があったかね。

334: 日本@名無史さん 2011/08/04(木) 21:12:06.08
むしろ西軍が勝った場合に秀信はどういう処遇だったんだろう? 

335: 日本@名無史さん 2011/08/05(金) 07:02:05.92
美濃一国くらい与えられてたかも

320: 日本@名無史さん 2011/04/25(月) 21:49:22.57
>>317
何故信包は本領安堵だったんだろう?
日和っていた信雄は改易、他の日和組みも改易。
西軍について織田一族も改易。関が原の処置はきっちりしてるのに(島津は別だけど
そこも長期戦で粘った結果だし)。
なのに西軍として戦った信包は無事なんだよな。

321: 日本@名無史さん 2011/04/27(水) 09:44:18.69
>>320
織田信包は関ヶ原当時、五大老のひとり前田玄以配下だったからだと聞いた。
前田玄以は西軍に与しながら、石田三成の挙兵をいち早く徳川家康に伝えるなど、家康に内通。
その功績から、西軍でありながら関ヶ原後は家康から所領安堵された。
その下で働いていた織田信包も当然、所領は安堵された。

559: 日本@名無史さん 2012/05/02(水) 00:17:49.10
信長の下の息子もそろって豊臣方についてんな

秀信とか下の世代は秀吉の織田家簒奪をどう感じてたんだろう

561: 日本@名無史さん 2012/05/03(木) 08:00:47.12
秀信の立場からしたら大名にしてもらっただけでも御の字だろ

秀吉が明智光秀を討たなかったら一族根絶やしにされてたかもしれないし
秀吉が秀信を担がなかったら信孝の系統が宗家を継いでいって秀信は出家か殺されてたかもしれないし

563: 日本@名無史さん 2012/05/03(木) 15:43:39.88
まあ、物心ついた時には、羽柴様様のご時世なれば

564: 日本@名無史さん 2012/05/03(木) 19:28:26.05
秀信にしたら織田家家臣時代の秀吉なんて知らんし恩人ですらあるな
秀吉も相当だが領地全没収のうえに高野山送りとか家康もひでぇことしやがるな
信長もまさか秀吉に羽柴の姓を押し付けられ家康に織田家嫡流滅亡させられるとは思ってもなかったろうな
信長信忠どちらもまとめて葬られるようなことをした信長がいけない
本当の忠誠度なんてゼロなのに

565: 日本@名無史さん 2012/05/03(木) 23:08:50.55
信雄も豊臣に怨み持っても良いはずなのに
関ヶ原では西軍について人が良いやら

567: 日本@名無史さん 2012/05/06(日) 16:14:10.90
信雄も転封を拒否しなきゃ100万石の大名だったものを
しかも内大臣という高位

568: 日本@名無史さん 2012/05/06(日) 20:17:38.38
信雄にもっと求心力がありゃ
小牧長久手で池田恒興に見限られ、妹婿の蒲生氏郷にはボコられ可愛そうになってくるな。

569: 日本@名無史さん 2012/05/06(日) 22:00:24.05
池田恒興は恩義と褒賞を天秤にかけて褒賞が重かっただけじゃない?
信雄じゃなくても、織田を見限って羽柴に鞍替えしているだろう・・・。

581: 日本@名無史さん 2012/05/19(土) 00:05:30.35
>>569

あの時代は家ではなくて個人へ忠誠を誓うのだから信雄じゃなあ。。。
天下統一した豊臣家でさえ大阪の陣の時に現役大名は誰も味方しなかった位だから仕方ないのかも。

家康は何だかんだありながらも大阪の陣の後に何の役に立ったのかわからない信雄に5万石をやって大名にしてあげてるからいい狸親父だと思うけどね。
兵を出してお金使って命がけで戦ったのに褒美が名器の茶碗だけという大名もいる位なのに。

584: 日本@名無史さん 2012/06/16(土) 10:58:47.03
>>581
織田信長のまぎれもない実子である織田信雄が大坂の役の豊臣方総大将では家康もやりづらかっただろう
織田・豊臣に恩恵を受けた大名がほとんどなのに豊臣を滅ぼすだけでなく織田の公子まで害することになる
信雄が家康に寝返ってくれたことはそれなりにありがたかった
その効果は茶器を与えられた大名と同程度であるはずがない

585: 日本@名無史さん 2012/06/16(土) 15:33:16.42
>>584
織田家の当主の秀信は西軍だし、容赦なく落城させられてるし、戦後は高野山に追いやられてるんだが。、
もはや、織田も豊臣も関係ないと思ったから仕掛けたんだろ

587: 日本@名無史さん 2012/06/16(土) 22:40:00.08
>>585
秀信は西軍総大将ではなくそれほど重い処分が下ると思ってなかったのに家康がかこつけて処分したのだろう
豊臣家総大将が織田信雄なら話は別だ
家康はかつて織田信雄を担いで秀吉と戦ったこともあるのだしなんともやりづらいだろう

570: 日本@名無史さん 2012/05/06(日) 22:26:09.19
恒興はその報いか信雄相手に戦死してるんでまだ許せるが
そのほか旧織田家家臣団、誰か殉じろよ

引用元: ・【豊臣政権】本能寺以降の織田家【近世大名】



織田家の人びと
織田家の人びと
posted with amazlet at 18.10.04
小和田 哲男
河出書房新社
売り上げランキング: 1,115,787