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1: 日本@名無史さん 2018/06/08(金) 15:45:48.93
藤原経清は日和見してたの?






前九年の役

平安末期、陸奥の豪族安倍頼時・貞任さだとう・宗任むねとうらの反乱を源頼義・義家らが平定した戦い。1051年から62年の12年にわたる。後三年の役とともに、源氏が東国に勢力を築く契機となった。



後三年の役

平安後期、1083年から87年にかけて、奥羽の豪族清原氏が起こした戦乱。清原氏内部の相続争いが発端であったが、陸奥守として下向した源義家が清原清衡(=藤原清衡)とともに、清原家衡・武衡を金沢柵かねざわのさくに下して平定した。これにより清衡は平泉における藤原三代の基をつくり、義家は東国に源氏の勢力基盤を築いた。



2: 日本@名無史さん 2018/06/09(土) 08:11:52.40
陸奥は豊かな土地だったの?

5: 日本@名無史さん 2018/06/09(土) 22:58:22.13
>>2
都に献上していたもののリストを見ると凄い豪華なんですよ

6: 日本@名無史さん 2018/06/10(日) 11:36:35.00
今の氣仙あたりの金が産出量日本一。
奈良の大仏に使われた金はすべてそこといわれる。

でゴールドラッシュになって人がうじゃうじゃと来た模様。

12: 日本@名無史さん 2018/06/17(日) 01:52:04.16
阿久利川の変を頼義の謀略という説があるけど、頼義はそのまま帰任すれば陸奥平定の手柄になるから考えづらい
頼義に帰られて困る人間が引き起こしたんだろう

阿久利川事件

頼義の陸奥守としての任期が終わる天喜4年(1056年)2月、頼義が胆沢城(鎮守府)から多賀城(国府)に戻る為に阿久利川の河畔に野営していると、密かに頼義の元に密使が来て、「(頼義配下の在庁官人)藤原光貞と元貞が野営していたところ、夜討ちにあって人馬に損害が出た。」との情報が伝えられた。さらに光貞は「以前に安倍貞任(頼時の嫡子)が自分の妹と結婚したいと申し出て来たが、自分は安倍氏のような賤しい一族には妹はやれないと断った。だから今回のことは貞任の仕返しに違いない。」と頼義に答えた。そこで怒った頼義は貞任に出頭を命じたが、頼時は貞任の出頭を拒否し、安倍氏と朝廷の戦いが再開されることとなった。また、頼時の女婿ながら国府に属していた平永衡が陣中できらびやかな銀の兜を着けているのは敵軍への通牒であるとの讒言をうけ、これを信じた頼義は永衡を殺害した。永衡と同様の立場であった藤原経清は累が自分に及ぶと考え、偽情報を発し頼義軍が多賀城に向かう間に安倍軍に帰属した。

阿久利川事件は、頼義による謀略説の他、藤原説貞(光貞、元貞の父)など反安倍氏の在庁官人による謀略説がある。

13: 日本@名無史さん 2018/06/19(火) 00:40:45.19
>>12
当然陸奥も一枚岩ではないと
どーだろーかなー

14: 日本@名無史さん 2018/06/19(火) 01:43:51.03
阿久利川は頼義ではなく、安倍氏の勢力に脅威を感じた地元官人たちが仕組んだ説って元木泰雄説だね。
陸奥守は大過なく過ごして都に帰れば昇任なのに、わざわざ自分の任期の失点になるような反乱を誘発する意味がない
しかも敵地に少人数では乱の鎮定もままならない
現に頼義は更迭寸前になったわけで

22: 日本@名無史さん 2018/06/21(木) 21:36:31.82
当時の中央の政界はどんな状況よ?

23: 日本@名無史さん 2018/06/21(木) 22:04:37.42
藤原氏の全盛期よ

24: 日本@名無史さん 2018/06/21(木) 22:23:13.21
そっか。じゃあ辺境の珍事くらいに思われたんだろうな

26: 日本@名無史さん 2018/06/22(金) 12:45:51.29
>>24
義家「反乱した清原一族を退治したんで恩賞を頂戴」

朝廷「反乱? 何言うてはる、一族内での仲間割れやないか。ほっときゃよろしいのをなんであんさんちょっかい出したん? これは私闘やよって何も出せまへん」

27: 日本@名無史さん 2018/06/26(火) 19:41:55.26
>>26
この時の恩賞って、どんなカタチでペイしたのかな?
清衡に出させたとか?
この時代の源氏にそんな財力があったのか。

28: 日本@名無史さん 2018/06/26(火) 20:35:44.39
清衡が差し出した財産もあるけど、前九年以降源氏がため込んだ私物が山のようにあったから部下に分けることが出来たんでしょう。

29: 日本@名無史さん 2018/06/27(水) 18:41:44.53
将棋の格言になる位だから京でも心配事だったのでは?

双入玉は前九年の役ほど手間を食い

31: 日本@名無史さん 2018/06/27(水) 22:33:10.50
>>29
「双入玉」どういう意味?

33: 日本@名無史さん 2018/06/27(水) 23:46:10.30
>>31
お互い相手の陣地に「王」や「玉」が入ってしまうこと。
王の周囲に成り歩を固めれば、せめる方は異様な出血をするけど、出血してせめた結果が歩を得ただけだから、実質的に攻める方法が無い。素朴なルールだと、時間だけが過ぎていく…。

現代将棋のルールでは、「双方合意の上、持ち駒を点数換算して合計点数を競う」ことになっているが、「合意」がいかなるものか極めて曖昧だから、コンピュータと棋士の実力が伯仲していた頃には、このルールの部分の明確化が求められたが、あっという間にコンピュータが強くなり過ぎたので、ルール改正は立ち消え。

25: 日本@名無史さん 2018/06/22(金) 11:44:24.62
前九年の役 1051-62
後三年の役 1083-87

後冷泉天皇 1045-68 在位
後三条天皇 1068-73 在位
白河天皇  1073-87 在位
堀河天皇  1087-1107 在位

藤原道長  966-1028 在世
藤原頼通  992-1074 在世

30: 日本@名無史さん 2018/06/27(水) 19:24:16.64
同時代に「前九年」とは呼ばれなかったけどな

32: 日本@名無史さん 2018/06/27(水) 23:33:48.90
どういう計算違いをしたのか、前九年と言いながら12年間の戦い

34: 日本@名無史さん 2018/06/28(木) 21:04:14.13
>>32

「奥州で頼義が十二年間戦争をやってた。後にやはり奥州で義家が三年間戦った」



「奥州で十二年間戦争をやってた。後部の三年は奥州で義家が戦った」 → 後三年



「前部の九年は頼義が戦っていた」 → 前九年


こういう勘違いが今に至っても正式名称として残っている

36: 日本@名無史さん 2018/06/29(金) 23:38:26.26
厨川柵はそんなに簡単に陥落するのかね

38: 日本@名無史さん 2018/06/30(土) 22:36:43.38
古代の城柵すべてに言えることだけど戦国時代の城と比べて一つ一つの曲輪がやったら広い
平安時代末期になっても兵数に物言わす古代的な戦いをしていたのだろう

39: 日本@名無史さん 2018/07/01(日) 05:55:56.35
いまさら「前十二年の役」とは言えない。
そもそも「ぜんじゅうにねんのえき」なんて言いにくい。

40: 日本@名無史さん 2018/07/01(日) 10:28:11.33
奥州十二年戦争という名称はある

43: 日本@名無史さん 2018/07/03(火) 20:44:45.20
清原氏は先住民系の人たちが中心となっていると思う。
DNA検査をしているわけではないが、この 湯沢ー横手ー大曲ー角館 地区は縄文系が色濃く残っているからだ。

早くから縄文系が一定の領地を得たから、和人が入り込みにくかったのではないか?

44: 日本@名無史さん 2018/07/04(水) 11:29:43.52
女系でアイヌ人の血が入っているからなんじゃないの
前九年の役の絵巻では安倍氏の軍勢は目が大きくて毛深く明らかに日本人と異なる容姿で描かれているらしい

45: 日本@名無史さん 2018/07/04(水) 14:32:36.96
>>44
藤原三代は、ミイラを造っている。長谷部言人は、自然発生説を唱えてそれがなぜか学説になっている観があるが、ミイラがひとりでにできるかあ?
ちなみにミイラは樺太アイヌの風習。

元々アイヌ系でなければそうしたことをやらないだろ。婚姻をとうして混雑したとしても。

47: 日本@名無史さん 2018/07/04(水) 16:32:09.20
>>45
ミイラ文化はアイヌより日本の方が先だよ

48: 日本@名無史さん 2018/07/04(水) 20:10:15.76
>>47
有力者を内蔵を取り出してミイラ化するのは、カラフトアイヌの風習。

51: 日本@名無史さん 2018/07/05(木) 11:32:14.99
>>45
奥州藤原もミイラにされたのは清衡、基衡、秀衡だろで、清衡の母方が安倍氏
普通に母系の風習が引き継がれたでいいんじゃないの
清衡の前も代々ミイラにされてるならだが

53: 日本@名無史さん 2018/07/05(木) 15:24:38.35
>>51
なんで母系の風習を引き継ぐんだよw

60: 日本@名無史さん 2018/07/06(金) 09:54:35.14
>>53
中央官僚が下野して地方有力者のところへ入り婿するから
姓は父方を受け継ぐけどどっぷり母方親族と一緒に生活する

源頼朝が母方の熱田神宮家の財力と兵力を頼みにしていたようなもん

62: 日本@名無史さん 2018/07/06(金) 15:11:19.11
>>60
なるほど。平安期は和人も蝦夷も母系家族を中心とした通い婚だったからなあ。
一部貴族もそうだったのだろう。

武士階級が台頭してきて、血統とか、純血とかが重視されるようになったわけか。

65: 日本@名無史さん 2018/07/07(土) 22:08:34.95
>>62
平安時代どころか室町時代まで庶民は通い婚だけどね
男の子の場合は父方に女の子の場合は母方につくのが慣例だった模様

66: 日本@名無史さん 2018/07/08(日) 00:51:31.31
でも、例え通い婚だとしても、「藤原氏」がアイヌの葬送風習を受け継ぐってどういう状況だろう?

67: 日本@名無史さん 2018/07/08(日) 12:09:36.04
安倍の末裔って正統性がなきゃ奥六郡を支配できないし。

69: 日本@名無史さん 2018/07/09(月) 10:29:28.95
寺院の高僧のミイラは中国の唐代で見られたものが日本に輸入された
地中に掘った穴に籠り飲食を断って鐘を鳴らし続け鐘が聞こえなくなったら死んだことが分かる
死ぬまで何日間も飲食をせず餓死するために体内にものは残っておらずそのまま干からびたミイラとなる
そしたら掘り出して僧侶の衣服を着せて即身仏として飾っておく

奥州藤原氏のミイラは病死した遺体で間際まで飲食をとっている
脳味噌や内臓など腐りやすい臓器が取り出されてありエジプトミイラのように人の手が加わっている
男性器も切り落とされているらしい
アイヌ民族の有力酋長で行われていた埋葬方法

71: 日本@名無史さん 2018/07/09(月) 17:02:26.39
しかし、長谷部言人は裂け目にネズミの歯形が付いており、ミイラは自然発生したと主張しているんだよな。
ミイラの内蔵はネズミが食べたって事だ。

そして、現在日本考古学の重鎮、長谷部言人が言った事は定説みたいになっている訳だ。
長谷部言人は「古代日本人=アイヌ人」を否定した一人だから、そりゃ藤原3代が日本人であったとしたいわけだね。

長谷部言人は日本考古学の開拓者の一人だけど、明石原人など妙ちくりんなコト言っているからなあ。

58: 日本@名無史さん 2018/07/06(金) 01:17:24.29
前九年は最終的に勝者は清原氏、後三年は藤原氏
頼義義家は何のために行ったんじゃ

59: 日本@名無史さん 2018/07/06(金) 08:55:35.97
>頼義義家は何のために行ったんじゃ

陸奥の守としての仕事をしに行ったのだ

61: 日本@名無史さん 2018/07/06(金) 14:18:00.42
頼義義家はあわよくば奥州にも源氏の基盤を拡げたかったが叶わず

64: 日本@名無史さん 2018/07/07(土) 17:06:25.53
奥州を朝廷は結局征服できなかったな


75: 日本@名無史さん 2018/07/15(日) 14:50:58.77
奥六郡の上三郡と下三郡はそんなに石高が違ったのか?

76: 日本@名無史さん 2018/07/16(月) 17:05:39.05
この時代に石高なんていう概念ないが
東北どころか関東ですら雑公事とかが税の主体を占めていた時代だし

77: 日本@名無史さん 2018/07/18(水) 15:52:13.49
清衡と家衡の遺領分配で揉めたしね

78: 日本@名無史さん 2018/07/18(水) 18:28:02.81
概念はなくても生産量の違いってのはあったでしょ

79: 日本@名無史さん 2018/07/18(水) 23:54:24.38
それこそ、金が採れたからでしょ。
東北の山や川を探しまくって、一部は早くも北海道へ渡ったようだ。
採れなくてにっちもさっちも行かない場合には、アイヌに逆同化したという。

80: 日本@名無史さん 2018/07/19(木) 13:00:10.53
義家の裁定が清衡に不利だった説も分からないけどね。
清原氏一族を敵に回して義家にいいことはないわけだし。

84: 日本@名無史さん 2018/07/19(木) 20:42:10.77
そいや、岩明均の歴史マンガ 『雪の峠』でも、佐竹氏の祖先が八幡太郎義家ということで描かれていたなあ。

史実でも新羅三郎はDQNぽくって、八幡太郎の方が格好良い…のか?

85: 日本@名無史さん 2018/07/19(木) 23:46:31.29
後三年の役の義家のほうが頼義より悪質だと思うけどね
義光も酷い性格だけどこのころから河内源氏は殺人鬼みたいなのばっかりです

86: 日本@名無史さん 2018/07/20(金) 01:38:30.12
むしろ頼義は比較的穏やかな性格だったんじゃないかと思う
晩年は仏法に帰依して念仏三昧だったし
義家、義綱、義光この三兄弟から信じがたいほどの胸くそ悪い集団になっていく

89: 日本@名無史さん 2018/07/21(土) 17:49:58.33
>>86
朝廷が河内源氏の力が伸びすぎないように牽制していたのも見逃せない

88: 日本@名無史さん 2018/07/21(土) 17:39:07.68
三兄弟の中では義綱が一番まし
義家は金沢柵の皆殺しという蛮行がある
まったく基地外がご迷惑おかけしましたね秋田県の皆さん

90: 日本@名無史さん 2018/07/22(日) 00:11:27.68
朝廷は牽制したかな?

義家の力を恐れた説はもう否定された気が

92: 日本@名無史さん 2018/07/22(日) 12:08:50.78
院は義綱や義光を重用し義家と反目するように仕向けとるがな

96: 日本@名無史さん 2018/07/23(月) 02:55:42.20
>>92
白河院が義家を抑え込んだ説は俗説ですよ
義綱の昇進は摂関家との関係が大きく貢献してるけど
逆に師通が卒去したあとは白河院に近侍する義家が追い上げて再逆転してる

97: 日本@名無史さん 2018/07/23(月) 19:13:28.42
後世の安倍氏人気は異常。
自称安倍氏の末裔は関東平野まで広がる。それに引き換え清原氏はさっぱり。
清原氏の末裔などは聞いたことがない。
前九年時の戦いが何か侍層の琴線にふれたんではないか?
穿った見方をすれば、反源氏がその裏にあったのか?

98: 日本@名無史さん 2018/07/23(月) 19:33:06.66
>>97
今の安倍首相すらそれにあやかっているぞw

100: 日本@名無史さん 2018/07/23(月) 21:50:17.94
>>98
安倍総理は安倍文殊院御参りしたことあるんかな

101: 100 2018/07/23(月) 21:53:57.42
wiki見たら石塔を寄進してるみたいねw

103: 日本@名無史さん 2018/07/24(火) 02:14:32.32
清衡の、清原氏一族に対する当主権確立の過程で安倍氏ルーツが強調されたからかなあ

それとも前九年合戦の頼義・義家の活躍を強調するために決定打となった清原氏の功績を意図的に貶めたのか

105: 日本@名無史さん 2018/07/24(火) 14:28:05.77
安倍氏人気は、判官びいきと通じることがあるんじゃないのか?
三春藩の秋田氏は、祖先は安倍氏だという家系図を明治時代に新政府に提出しているよね。
反逆の精神つーか

八幡太郎人気は褒賞を一気にばばっとばらまいたからだろう。

106: 日本@名無史さん 2018/07/24(火) 15:16:50.22
安倍氏は反乱中貢納しなかったけど、清原氏は貢納してたようだから朝廷の義家への不満が強かったんだろうね
結局、国司は年貢をちゃんと国庫に納められるかどうかが評価の分かれ目

引用元: ・前九年の役・後三年の役



前九年・後三年合戦と兵の時代 (東北の古代史)

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