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1: 日本@名無史さん 2012/01/11(水) 21:37:58.36
どっちがすごいのか日本史的な意義を語るスレッドです。








3: 日本@名無史さん 2012/01/12(木) 03:22:08.80
相国様と右大将では格が違いすぎるだろ

4: 日本@名無史さん 2012/01/12(木) 03:37:27.61
清盛に決まっとるがな

6: 日本@名無史さん 2012/01/12(木) 04:39:33.03
すべてにおいて清盛が上だな

10: 日本@名無史さん 2012/01/13(金) 00:06:22.09
海外に視野を広げて、断絶していた中国との貿易を始めるとか、スケールが違うよな。

坂東に篭って武家だけ相手にしていたのとは。

7: 日本@名無史さん 2012/01/12(木) 07:17:42.90
実績や知名度において断然頼朝だろう。

8: 日本@名無史さん 2012/01/12(木) 10:21:35.64
幕府機構を作り上げたパイオニアとして日本史の偉人五指に入るよね、頼朝は。

11: 日本@名無史さん 2012/01/13(金) 00:38:03.15
頼朝って結局「北条家の御輿」に過ぎなかったのかも…


義経含む弟達への粛正は兎も角
息子一族達も北条家の策略にハマったようなもんだし

12: 日本@名無史さん 2012/01/13(金) 01:47:47.53
>>11
北条氏というより坂東武士団の神輿だね。
罪人の身であった頼朝には、経済力もなかったしね。

13: 日本@名無史さん 2012/01/13(金) 02:09:26.22
清盛の日本国全体からみた業績
+神戸建設
+日宋貿易
+律令に近い政権
-平家専横
-東大寺焼きなど

頼朝
++最初の東国政権
++最初の武家政権
++東北征服
+鎌倉建設
-令外の二重政権

頼朝のように見えるが実は清盛

18: 日本@名無史さん 2012/01/14(土) 01:57:44.48
そりゃ頼朝のほうが上だよ
親父からの財があった清盛に比べて頼朝にあったのは貴種という生まれそれだけだもの

19: 日本@名無史さん 2012/01/14(土) 01:57:44.83
子孫を残せなかった頼朝は負け組。

20: 日本@名無史さん 2012/01/14(土) 04:26:06.55
源氏は3代で 終わったからな

25: 日本@名無史さん 2012/01/14(土) 17:52:57.71
武士の大きな可能性を示した清盛、のちの世に幕府という武士の活きる道を拓いた頼朝社長

どっちが上かと聞かれたら、頼朝社長かな。

31: 日本@名無史さん 2012/01/15(日) 03:40:27.54
清盛は貴族制に乗っかっただけ
頼朝は関東の武士に担がれただけ

後白河こそ貴族から武士への権力移譲を全部仕掛けたすごい人物

32: 日本@名無史さん 2012/01/17(火) 09:00:14.52
>>31
それは後白河法皇を過剰評価し過ぎているのでは…

33: 日本@名無史さん 2012/01/17(火) 16:22:49.44
後白河法皇は武士の台頭という事態にただ流されてるだけのように見えて実は日本を破綻させないように清盛、義仲、義経、頼朝を誘導しつつ軟着陸させたんだよ。
俺はそう思ってる。

34: 日本@名無史さん 2012/01/18(水) 02:22:16.75
清盛の功績って良く考えたら自分たちのことだけだよな
貿易は私的利益のみだし、官職を独占して貴族と武士の両方から総すかんを食らったし、
武家政権を制度化した頼朝はその点ではまだまし

58: 日本@名無史さん 2012/02/06(月) 17:20:36.25
>>34
頼朝だって自分のことしか考えてない。
兄弟皆殺しは、頼家という貴種を残す為の間引きでしょ。
息子可愛さ第一で、源家弱体化を計算できなかったもよう。
武家政権は鎌倉武士の為の政権にすぎないし、だから奥州を侵略した。
奥州には奥州の武家政権があったし、中央からの独立と自治を最初に具現化させたのは彼らなのにね。
本音は粗暴な武士が嫌いで、京の雅に憧れてて最期は天皇の外戚を夢見て馬落ちした・・武士の鏡とはいえない人よ。

35: 日本@名無史さん 2012/01/18(水) 03:45:07.82
>>34
不完全ながらも、公武一元の政治であったことは間違いないと思うが。
日本史上明治維新まで、公家と武家は大体においてはっきり区別されてきたしな。

37: 日本@名無史さん 2012/01/25(水) 09:49:54.09
>>35
清盛までは公家と武家の分離がまだなかったということだよ
文官と武官の違いがあっただけで命令系統は朝廷に統一されていた
清盛は朝廷という組織の中で下級貴族から上流貴族にまで出世したというだけ
朝廷とは別の命令系統で武士を把握したのは頼朝の鎌倉幕府が最初

36: 日本@名無史さん 2012/01/25(水) 01:44:33.62
清盛は武士でありながら貴族の地位を極めた点が凄い。
頼朝は後に幕府と呼ばれる統治機構を初めて作った点が凄い。

41: 日本@名無史さん 2012/01/30(月) 00:12:27.24
しかし海外に対する視線は頼朝がわからんだけに清盛に分があるしなぁ

42: 日本@名無史さん 2012/01/30(月) 05:52:57.32
頼朝の作った幕府という公武分離した命令系統がうまくいきすぎて後々まで基本同じ制度になったのはマイナスも大きい
どうやったって正統性に瑕疵があるわけだし、基本的には武士のための政権

そういう意味で清盛-秀吉ラインの方が頼朝-家康ラインよりも好きだ
海外にも積極的だし

49: 日本@名無史さん 2012/02/01(水) 09:28:53.09
>>42
それは思い込み
鎌倉は明らかに海上の支援を期待した都市
家康は海外交易に秀吉以上に積極的

53: 日本@名無史さん 2012/02/01(水) 16:52:02.83
>>49
だって実際に海外交易したのは
清盛≫頼朝
神戸≫鎌倉
じゃん

54: 日本@名無史さん 2012/02/02(木) 19:02:28.17
>>53
鎌倉も六浦の湊に船を入れてるよ。もともと三浦氏や房総水軍の協力がないと海が危なかった都市だから
太平洋岸だから瀬戸内海より航路的に難しかったのは確かだが

48: 日本@名無史さん 2012/02/01(水) 09:08:48.61
どう考えても頼朝だろう。
日本史上、頼朝まで東国の反乱軍が官軍になった例はないんだから
それ以前でも「関東」を経由して都を攻め落としたのは壬申の乱の大海人くらいじゃないか
(厳密には木曽義仲が最初の東国の官軍だけど)

50: 日本@名無史さん 2012/02/01(水) 12:35:49.36
>>48
頼朝は後白河法皇から平家追討の院宣を受けてただろ
反乱軍ではない

日本史上初めて朝廷の勅や院宣に逆う軍事行動によって朝廷に東国反乱軍が勝利したのは、頼朝死後、執権北条義時が率いた承久の乱だよ

54: 日本@名無史さん 2012/02/02(木) 19:02:28.17
>>50
寿永2年宣旨までは、あくまで位置づけは反乱軍。だから頼朝が早く上洛したがったの
それに「頼朝まで」日本史上で反乱軍が官軍になりあがって内戦に勝利したことはないと指摘したんだが
もちろん承久の乱は独自の意義がある。官軍との大規模な戦闘で勝利するまで反乱軍だった事例はないし、
地下人が天皇上皇以下を流罪に処するという前代未聞の事態が発生している。

55: 今川氏真 2012/02/03(金) 00:02:31.60
以仁王の令旨って、やっぱ無効かね?

56: 日本@名無史さん 2012/02/04(土) 20:54:50.15
以仁王は親王を勝手に名乗って出してるから、正当性がはなはだあやしい
ないよりはあるほうがいいという程度

57: 日本@名無史さん 2012/02/05(日) 09:05:47.83
討幕の密勅みたいなもん

74: 日本@名無史さん 2012/02/18(土) 21:46:24.58
「よくよく謹みて、いみじく計らいて、彼方此方しける」清盛と
「威勢厳粛、その性強烈、成敗文明、理非断決」な頼朝とでは凄さのベクトルが違うように思うが

79: 日本@名無史さん 2012/02/22(水) 07:55:32.37
>「よくよく謹みて、いみじく計らいて、彼方此方しける」清盛と
>「威勢厳粛、その性強烈、成敗文明、理非断決」な頼朝とでは凄さのベクトルが違うように思うが


清盛の武断的なイメージは、意外と重盛のそれが反映してるんじゃないかと思われる。
重盛は戦闘では必ず前線に出たがるタイプだし、殿下乗合事件みたいな狼藉も平気で起こすしね…

96: 日本@名無史さん 2012/05/21(月) 13:22:55.65
>>79
殿下乗合事件でムチャをしたのは清盛。それを聞いて「当家の滅亡は近い」と嘆いたのが重盛。重盛は「わが命を縮めて一門の繁栄を永らえさせたまえ」と神に祈ってそのとおりに早世した義人。法王を幽閉しようとした清盛を「忠ならんと欲すれば孝ならず孝ならんと欲すれば忠ならず」と泣いて諌めたのが重盛の真骨頂。
重盛死去の後に清盛は、重盛生存中にはできなかった法王幽閉を強行してしまう。

97: 日本@名無史さん 2012/05/21(月) 14:00:46.71
>>96
殿下乗合事件で基盛に報復をした人物は
「平家物語」では清盛だとし「愚管抄」では重盛としている。
平家が軍記物語で清盛悪で一貫していることを考えれば殿下乗合事件の首謀者は重盛だろう。


80: 日本@名無史さん 2012/02/29(水) 19:10:42.57
一門の結束を保った点では清盛。
頼朝は息子も兄弟もバラバラな印象。
平家は一門が一辺に没落した感じだが、源氏は同族のつぶしあいで衰えた。

84: 日本@名無史さん 2012/03/03(土) 04:28:57.24
>>80
頼朝は源氏の代表ではない。
関東武士の代表だ。

90: 日本@名無史さん 2012/05/19(土) 01:38:25.79
>>84
頼朝より身分が上の人がいたということですか?

91: 日本@名無史さん 2012/05/19(土) 23:44:44.54
>>90
オレは>>84じゃないけど、頼朝の頃の源氏長者(源氏の代表者、源姓で一番位の上の人)は、村上源氏の源通親でしょ。

100: 日本@名無史さん 2012/07/25(水) 12:49:07.93
朝廷とは別の「幕府」を作ったのは、古今東西例はなく、見事というほかない

107: 日本@名無史さん 2012/07/26(木) 07:21:56.39
>>100
幕府を作ったのがみごとなことだとすれば、それは北條氏の功績だろ。
頼朝はただ担がれていただけの御輿。

258: 日本@名無史さん 2013/12/17(火) 03:46:02.54
>>100
平将門も似たようなことをやろうとしたけど時代が早すぎて無理だった
頼朝も成功するかわからんけど清盛は摂関家のマネをして武家をないがしろにして失敗したし
武士の力も朝廷をしのぐほどになったし一か八かやってみただけだろ
成功する確信があったわけじゃないだろ
清盛がいなければ頼朝も清盛と同じ轍を踏んでいた可能性は高い

101: 日本@名無史さん 2012/07/25(水) 17:41:30.17
皇帝の下の王が実権を握る程度のものだけどね。
みかどが持つべき実権を臣下が世襲で持つのも前例があるし。

102: 日本@名無史さん 2012/07/25(水) 19:24:21.61
>>101
NHK清盛の頼朝談じゃないが、清盛の時代がなければ、頼朝の活躍はなかったと思う
従って優劣をつける意味がない

103: 日本@名無史さん 2012/07/25(水) 21:30:09.55
清盛のどうしようもなかった点は、門閥貴族化し、武士から離れたこと。
つまり、武士(荘官)の領有の概念への要求に答えず、武士から離脱したこと。ある意味、平将門よりも失格。

もちろん、頼朝公と比較するのは、頼朝公に失礼。

128: 日本@名無史さん 2012/07/28(土) 04:30:47.97
当時の大陸は宋の時代で
石炭を使用したプレ産業革命の時代が始まっていた
アジアの経済はプレ近代の様相を呈していた
これを理解していたのは清盛
彼は交易による富で日本を支配しようとした
頼朝は農村経済の代弁者
当時の日本は農村経済だった
農民の土地所有権と裁判権を勝ち取ることで
農民貴族による階級革命ともいえることをなしとげたのが頼朝の鎌倉幕府
世界が見えていたのは清盛
しかし日本の現実に立脚したのは頼朝
どちらが上かは簡単には言えない

129: 日本@名無史さん 2012/07/28(土) 22:31:07.09
別に頼朝は交易を否定してないし
清盛は500か所の荘園領主でした

130: 日本@名無史さん 2012/07/28(土) 23:37:08.99
確かに貿易を否定してはいないが、貿易の利益を取り込まなかったから鎌倉時代を通してずっと辛かった。「質素倹約」は貧乏暮らしの裏返し。

133: 日本@名無史さん 2012/07/30(月) 21:35:14.02
鎌倉の和賀江島にも大陸の貿易船は来てたけどな

134: 日本@名無史さん 2012/07/31(火) 20:59:21.48
でも元寇のせいで交易が減ったのは間違いなかろう

138: 日本@名無史さん 2012/08/13(月) 21:23:14.36
そもそも鎌倉幕府を考え付いたのは頼朝?、坂東武士?
流人の頼朝は御輿に乗っただけという説もあるし

139: 日本@名無史さん 2012/08/14(火) 00:28:14.12
奥州藤原氏の体制を参考にしたという説もある

140: 日本@名無史さん 2012/08/14(火) 17:35:37.50
守護地頭を提案した大江広元・三善康信を招いたのは頼朝だから、頼朝サイドの幕府案だろ

141: 日本@名無史さん 2012/08/15(水) 13:43:18.26
中央志向の頼朝と、土着志向の周囲とが綱引きしてたのがちょうどいいバランスの時にたまたま頼朝が死んで以後その体制が定着したというのが実状だと思う

頼朝が長生きしてたらもっと朝廷に近づいていって平氏政権と似たような形になってたんじゃないの
しかしそういう頼朝がトップでなければ、諸々の制度が朝廷お墨付きにならなかったかも

鎌倉幕府と呼ばれる体制は実のところ状況の産物で、始祖=発明者ではなく、むしろ幕府体制の利を生かして長期政権を築いた後の世の武士達の方が偉いと思う

144: 日本@名無史さん 2012/08/16(木) 04:34:22.88
>>141
頼朝がちょうどいいバランスからはみだそうとしたとき亡きモノにされたのかも

162: 日本@名無史さん 2012/08/18(土) 15:11:19.00
ヘソで茶を沸かした清盛と、嫁の尻に敷かれた頼朝。優劣つけがたい。

引用元: ・清盛と頼朝はどっちがすごいの?




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