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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/13(金) 17:21:36 ID:z3Bx58R40

この人も演義の被害者の一人だね








236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/05(土) 19:37:15 ID:vGW3zGy4O
俺の周りでは魏延を一番好きだという奴は三国志通、扱いされる。

249: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/23(水) 21:49:38 ID:UthtiZQK0
何かを貶めずに魏延を褒めるってのは出来ないもんなのか?

251: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/26(土) 08:51:55 ID:vKd5YpJD0
>>249
劉備に抜擢されるほど武将として見込みがあった
自信過剰で他者との折り合いが悪かった

だから「関羽に次ぐクラス」と言っとけばいいのでは

252: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/27(日) 23:18:24 ID:LYfWtpErO
関羽は部下からは人気なイメージ
魏延は部下に当たり散らしてそうな…ん?張飛?

253: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/28(月) 12:44:55 ID:Z/WT2Ter0
魏延が部下に当たり散らすような事はないだろう
王平の喝で兵が四散したのは魏延の罪に加担したくなかっただけ
でも同僚にはデカイ態度とってたみたいだけどね

でも一国の丞相に対し臆病者と罵れるってのはある意味凄いな
それで咎められた様子も無いし厚遇され続けてるし
どっか魏延ならそれくらい言っても許されるみたいな雰囲気があったんじゃないだろうか

255: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/01/02(土) 21:19:49 ID:7niiz4uK0
>>253
諸大将軍級の高官で宿将だからね
李厳失脚と車騎将軍劉エン死後なら、名前の知られる限り、蜀漢全体でも序列第二位。

257: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/01/07(木) 23:20:51 ID:CIOyPesV0
いくらなんでも武官の魏延が宰相である諸葛亮より権威があるなんて思うやつはいないだろ…
いや、魏延は思ってたかもしれないけど

魏延が軍権を得るには、少なくともあの時点での命令違反はどう考えても駄目だが
ではその後なら可能だろうか
蒋琬の胸の内にもよるだろうな
楊儀は失墜させられたが…

258: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/01/08(金) 11:26:44 ID:aNZEYj5h0
劉備存命で関張がツートップ、諸葛亮は一段下っていう時代を知ってたから
魏延はなんとなく力関係を誤解しちゃってたのかもしれんね

259: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/01/08(金) 20:29:36 ID:P28PHuHc0
実は張飛健在時から諸葛亮が丞相になってるから、地位は諸葛亮>張飛になってたけどね

260: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/01/08(金) 22:39:29 ID:9wX2tQgc0
というか漢中王推薦の上言の時既に諸葛亮>関羽>張飛
だけどね

261: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/01/08(金) 23:51:07 ID:HqsTwXEX0
そりゃそうだけど、地位や実際の権限とは別に一目おかれるような立場ってあるじゃん
関羽張飛はかなり初期から劉備に付き従ってるし「死ぬ時は一緒と誓った仲」とまで言ってる
劉備の配下という点では関羽張飛と糜竺(最も寵愛を受けたらしい)はやはり特別な感じがするね

263: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/01/09(土) 00:08:04 ID:++Cyv4HW0
>>261
その点では関張らは特別の存在だが、魏延は諸葛亮より遅く劉備に従軍して、その当初から諸葛亮よりかなり格下の人間だぞ。そのとき既に諸葛亮は軍師中郎将で、劉備軍団の序列第二グループに位置する。
諸葛亮の上には関羽・張飛・趙雲の三人の将軍と偏将軍黄忠(他にもいたかもしれないが)の数名しか存在しない。
そんな後発からのし上がった魏延もすごいが、諸葛亮との力関係は誤解しようもないよ。

282: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/07(日) 21:31:25 ID:RbiEA/4g0
でも、こうして反骨という理由付けがされただけでも、魏延はまだ救われている気がする
史実なんて目も当てられん暴走自滅だからなあ

283: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/11(木) 21:27:10 ID:/mA6It+9O
ぶっちゃけ演義の魏延に対する諸葛亮のエピソードって、諸葛亮を貶めてるよな

284: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/12(金) 20:51:36 ID:g1z0G0+c0
何でもお見通しのスーパー軍師演出したかったんだろうけど贔屓の引き倒しかもね

291: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/27(土) 16:05:51 ID:xtxUVavz0
長安強襲策の出典が魏側の資料であること
魏延の人格の危うさは陳寿や蒋エン、同じ戦場にいた王平も認めていること
孔明は実際に魏延を冷遇していたかどうか

魏延名将論者はこの牙城をどう崩すかにかかってる

293: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/27(土) 23:32:19 ID:6FgzatRF0
名将というより劣化呂布な裏切り武力馬鹿って感じだな

294: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/28(日) 00:37:18 ID:xpVl6lRK0
勇将だと思うが名将とは思わないな
郭淮 費曜破った戦いだって偶然鉢合わせて戦ったって感じだろ?
まあ注目するのはその前の行軍の速さらしいけど

295: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/28(日) 01:54:31 ID:1alwRu/y0
羌中というのは史記の注などでは隴西郡臨トウ縣の辺りとされる。
武都郡と陽平郡の境界から北上してトウ水と接触する辺りで、のちの姜維の主戦場に近い。魏の雍州刺史と後将軍という高官がこんな辺境まで進出している時点で国境争奪戦以外に考えられない。

魏延を日本語での名将とも別に思わないが。
この時代の名将というのは「敵国などにも名が知られた将」というくらいの意味のようだけど。

300: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/08(木) 01:00:11 ID:c5lWlgzRO
個人的に魏延は権力を握れなかった姜維といった印象
魏延が諸葛亮死後に生きていたら姜維のように暴走して国を疲弊させてただろう

301: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/08(木) 01:07:39 ID:uIGh50hg0
劉備一派が入ってきた時点で、益州やら荊州やらにとっては疲弊させられていく未来しかなかったと思うけどね。
誰がやってもw

302: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/08(木) 14:28:06 ID:EYH9h3Uo0
法正、孟達、張松らが早死にしちゃったからねぇ><
評判ほど蜀に人材がいなかったのも一因な気がするのだが

305: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/11(日) 13:26:02 ID:BriTn0Ii0
史実はただの自爆だけど
演義では孔明が魏延を虐げてるように描かれてるから魏延に同情が集まることも多いんだよな
昔の中国中央電視台のドラマ三国演義でも孔明が無意味に魏延に辛くあたって虐げる描写が何度かあって魏延が辛そうにしていた
陳式が魏延に全ての罪をなすりつけるセリフもあるし、少なくともそのドラマでは「薄幸の英雄」ってキャラ立ちだったな

306: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/12(月) 14:37:38 ID:i1e5n/mo0
魏延は犠牲になったのだ・・・孔明の犠牲にな・・・・
特に最後の方、どう見ても魏延への嫌がらせレベル

最後の反乱(?)も
魏延が蜀を制圧する、俺が皇帝だ!とかしてる訳でもないし
実質反乱でもないよなあれ、知らない人だと単に魏延が悪い事をして危険だから処罰されたように見えるけど・・

劉備への忠誠心も高く高評価され色々な目にあっても最後まで蜀に仕えた名将だろ
孔明、おまえチートレベルの軍師ならもう少し上手くやれよ・・・
最初から最後まで魏延警戒し過ぎな上に批判し過ぎ
最初のあの黄忠と一緒に仲間になった時
一方的な論理で殺そうとした時からもうね・・・

308: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/12(月) 21:00:56 ID:Fccv9NAu0
>>306
蜀漢の帝紀たる後主伝では「権力争い」の扱いだから
蜀漢王朝としても一方的な反乱とは思っていなかっただろうな
ただ孤立していたから自滅したのは仕方ない

肝心の劉備がとっくに死んでいたにもかかわらず劉備にしか忠誠心を見出せなかったのが失敗だろう

「云何以一人死廢天下之事邪?」なんて
本来蜀漢史上有数の名言だと思うけどねぇ
(234年以降の魏延じゃどうやっても成功できないけどね)

309: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/14(水) 01:59:57 ID:W2J5z8+a0
>>308
>云何以一人死廢天下之事邪

王平が魏延の兵に向かってした一喝と良い対比だな

311: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/26(月) 22:04:55 ID:GgBMg27S0
>>309
魏延が「状況を読めなかった」のが問題なのか
それとも「空気を読めなかった」のが問題なのか
(要するに蜀漢そのものが「諸葛亮が絶対」という価値観に支配され劉備しか見ていなかった魏延がそれに気付かなかったということだけど)

もともと蜀漢の大義はあくまでも「漢(劉氏王朝)の復興」であって決して「諸葛亮の理想」なんかではない
蜀漢が中興の祖とする劉備が死んでなお北伐を行っていた以上、一部下に過ぎない諸葛亮が死んだくらいで北伐を止める道義はあり得ない
だからそういう意味「だけで見れば」魏延は正しい
(もちろん総司令官=最高権力者が最前線で死亡するという状況でそのまま北伐継続が可能だったかと言えばそりゃ難しいだろうし、そもそも234年の戦況が蜀漢に有利だったかどうかも判らないけど)

312: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/26(月) 22:29:59 ID:MZoRrYQd0
魏延は普通に蜀漢王朝の臣としての自負で動いているだろう。
だからこそ「丞相一人が死んだくらいでなんだってんだ!」と言ったわけだから。

313: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/26(月) 22:32:10 ID:myZgQAV40
権力争いの中で死んだまでで、空気読めなかったとかじゃないだろう。

314: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/26(月) 23:16:00 ID:GgBMg27S0
>>312,>>313
いやもちろん「魏延の意識」としてはその通りだろうし
ただの権力争いだった可能性も高いだろう

ただ楊儀(は劉備時代にも抜擢されているけど)や王平、蒋琬、董允等は劉備よりもむしろ諸葛亮によって抜擢、重用された者だから彼等にとっては「漢の大義」よりも「諸葛亮の理想」の方が大事だったのではないかと疑っているのだが
(さすがに自分でも考えすぎじゃないかとは思うが)

315: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/27(火) 00:16:52 ID:An9fXEy00
はいはい諸葛亮が悪い諸葛亮が悪い
みんな魏延の味方だよ

316: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/30(金) 14:16:50 ID:mJvFgL/f0
その諸葛亮は魏延の味方なんだけどな。
態度からして、普通に不敬で首飛ばされてもおかしくないのに、他人の非難から庇ってやるぐらいだ。
その諸葛亮が死亡し、遺言(本物であれ捏造であれ)が作られて、諸将が認めた時点で、もう魏延は詰んでる。

魏延の思惑通りに言ったとしても、その後は上手くいかないだろうけどな。
楊戯に勝利したとして、魏延の思惑がどうあれ、単なる軍官に留まるわけがない。
高位の将軍として、国を切り盛りしなければならなくなる。漢中太守という実績もあるしな。

が、魏延の根回しの不足、調整能力の欠如は明らかだ。
蒋エン(事実上の失脚)、費イ(姜維らとの対立)ですら失敗したのに、魏延が継いだら空中分解しちまうだろ。

大体、魏延が劉備の忠臣扱いになってるのも胡散臭い。
劉備抜擢組の馬忠、張嶷や、劉備と縁戚関係の呉班すら、魏延に従ってないんだから、忠誠云々ではなく、権力闘争による単なる暴走と見ていいんじゃないか。

大体、魏延信者が対立軸に置く諸葛亮は、劉備の忠臣の筆頭だろ。
同じく劉禅を任されておきながら、簒奪を暗に進める李厳と比べれば一目瞭然。
その時の対応や、出師の表での劉備への追慕を無視して、
『諸葛亮の理想』を『漢の大義(というか劉備の威光)』と相反する位置づけにするのは無理だよ。

318: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/05/01(土) 09:16:07 ID:bsUHp9PL0
>>316
前半については同意
(「不敬」には該当しないだろうが)
魏延に務まるのはせいぜい一司令官までだろう

ただ魏延が劉備の忠臣であったということと諸葛亮が劉備の忠臣であったということは別に矛盾しないし、二人とも死ぬまで劉備の忠臣であったと思うよ
だって両者が対立したのは「北伐の是非」といった国策の話ではなく「北伐の戦法」という手段のことでしかないのだから

呉班だって同じ「劉備の忠臣」だからって魏延に従う理由にはならないだろう
(馬忠、張嶷は当時南中にいたから関係ない)

あと「漢の大義」と「諸葛亮の理想」を別のものとして出したのは楊儀らにはそう見えてたのではないかと言っているだけであって諸葛亮本人がそう考えていたとは一言も言ってないぞ

319: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/05/01(土) 19:28:16 ID:oGe/y7UC0
>>318
調べ直したら、馬忠、張嶷は、もう北伐に関わってる形跡がないな。
こちらの勘違いだ。北伐に参戦したのとごっちゃになってた。すまない。

魏延が忠臣だという事に関しては、それが疑う余地、とされているのに反感があるんだ。
国家の重鎮が、丞相を非難する(行動の是非ではなく、人格に対して)っていうのは、軽率と言っても仕方が無いと思うよ。魏延の行動はお世辞にも理性的とは言えないし、劉備への忠義を言い訳に出来るものでもない。

忠臣、という言い方が妙に魏延を持ち上げている気がする。
魏延が忠臣なら、他の連中だって忠臣だろう。なんだって魏延だけ忠臣扱いで持ち上げようとするんだってね。
嫌な見方をすれば、ずっと憚られているのを勘違いした猿山のボスじゃないか。
自身の能力に対する自負が、何故劉備への忠義という理由で糊塗され、美談にされるのか、理解に苦しむんだ。

正直なところ、魏延には司令官すら務まるのか疑問がある。
記述から窺える戦術レベルでの有能さに対して、戦略レベルの考えが稚拙すぎる。
長安強襲案とか、冷静に考えればギャグとしか思えん代物だ。
性格からしても、誰かに使われている間が一番才覚を発揮できるタイプだと思う。

楊儀らには諸葛亮の理想と漢の大義の二つが別物に見えていた説は、否定も肯定も出来ないな。
ただ、創成期からだんだんと国のあり方が以降してくるのは、蜀に限らずよくある事なんで、魏延の件と絡めるにはちと微妙。
とりあえず、漢の後継という大義はブレていないしね。

328: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/05/02(日) 12:38:26 ID:SZCLjsg30
>>319
驚いた。自分が前々から思っていた事とそっくりだ
同じ考えの人がいたんだな
特に「忠臣」の部分

何故いつも魏延ばかりが忠臣、忠臣と特別扱いなのか
ほんと疑問だった
正史にはとくに特別忠臣である事を示すエピソードもないのに

「劉備」と特定されてるのもよく分からない
とくにエピソードがないんだから劉備も劉禅も同じことだろう

「忠臣」「悲劇の英雄」は魏延を語る場でよく散見されるお決まりのワードだけど
だた単に史書には、有能だけど傲慢な武将が撤退命令に逆らって楊儀に政争を仕掛け返り討ちにあったって書いているだけなのになぜ「忠臣」の「悲劇」なんて話になるのか

346: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/06/06(日) 07:52:52 ID:JIkJsyNQ0
>>328
つかさ、魏延の当時の立場を見る限り事実上ナンバー2、
諸葛亮亡き後なら魏延の指揮下に入るのが当然。
それなのに勝手に退却したからもめたんだろ。

そして魏延の指揮下に入るのが嫌だったから、諸葛亮が生前退却命令を出していたことにして、命令違反とか言っているようにしかみえんのだが。

348: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/06/06(日) 09:16:48 ID:zeKMWmKi0
>>346
当然じゃないよ。
楊儀は丞相府の事務を統括しており、印綬と官属を抑えることで諸葛亮死後の執行権をそのまま引き継げる立場にあった。加えて司馬・護軍という実務責任者の支持があった。

魏延は丞相府に席は持っていたが、本来的に外にいる将軍であり、ナンバー2の高官といっても、丞相府の権限を介さなければ北伐全軍に命令する正当性を持たない。
だから費イは、魏延の意思に従う振りをして「楊長史を説得しましょう」と答えた。

楊儀と費イが魏延を欺いて彼の主張を無視したのは事実だろうが、だからと言って、魏延の側に諸葛亮の後を継ぐ正当性があったわけではない。

323: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/05/01(土) 20:26:43 ID:/WMKNyG/0

魏延が「劉備に対して」忠臣であったことを疑う理由はないでしょ
(記録上彼が問題を起こしたのは諸葛亮時代以降の話だから)
それに魏延が忠臣かどうかということがわざわざ言及されているのは彼が「反逆者」扱いされていることに対する反論だから最初から忠臣として扱われている諸葛亮らとはそもそも立場が違う

確かに魏延が諸葛亮を「怯」と公言したことは誉められることではない、でも魏延は五丈原の撤退以外に諸葛亮の命令に逆らったことはない
(これすら本当だったかどうか疑問視されている。というか魏軍から見て蜀軍の撤退が大過なく行われたことを考えれば魏略にある魏延主導の撤退が正しい可能性すらあると思う。 
だって他の説だと五丈原の蜀軍内で混乱が起きないはずがないから)

長安強襲案なんてギャグ扱いされているどころかむしろ「北伐の数少ない可能性」として扱われている
(だから王夫之のように「北伐は魏を滅ぼすためではない」という主張が出てくるのだし
逆の面で魏延が再評価されているのだろう。もちろん魏延の力で実行できるかどうかは全くの別問題だけど)

325: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/05/01(土) 21:05:36 ID:oGe/y7UC0
>>323
俺の考える忠臣、というのは、人物、国家に対する無私、もしくは忠義を窺わせるエピソードのある人物、という考え方なんだ。
そうでなければ、裏切っていない=忠臣になる。ちょいと短絡的過ぎないか。

それに、魏延は忠義というよりは、自身への自負から暴走したように見えるんだ。漢中太守任命時の抱負からも、彼の己の能力への自信が窺えるし。それが、国家を左右する作戦に口を挟める程になって、暴走していった、と見る。少なくとも、諸葛亮に対する反感を窺わせるエピソードはあっても、劉備への忠義を窺わせるエピソードは無い。

劉備を裏切らなかった事、劉備に刃向かわなかった事を理由に忠臣に位置づけるならば、魏延は間違いなく忠臣なのだろうけど、そうすると、その他大勢の忠臣が増えすぎる。

撤退に関しては、諸葛亮の遺言から楊儀らを臨時の指導者として諸将が認めて撤退。
その上、魏延が全軍の撤退に関して、橋を焼いて阻害するという妨害工作を行ったという記述があるのに、なぜ魏延主導という考えが出るのか、理解に苦しむ。
実際に、魏延の行動のお陰で混乱しているわけだしね。

魏延案の是非については、長文になるので、他人様のサイトだが、こちらを参考にしてほしい。
こっちが主張するより分かりやすく纏められてるしね。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/antoine_henri_jomini/35318621.html

魏延案については、魏略を信用しないパターンでも、潼関で合流するつもりだったというのがアウト。
長安を何とかして潼関も何とかするつもりですかと。何処に勝算があるのか分からない。

326: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/05/02(日) 08:36:46 ID:ttEBANu20
>>325
忠臣の意味は「主君に忠実な家来」だから劉備に対する忠臣がたくさんいたって何の問題もないし、後に問題を起こしたからと言って忠臣であったことまで否定することはない
魏延にそれだけの自負を持たせたのは劉備なのだから劉備に対する忠義はあったとしていいだろう

撤退に関してあなたが魏延伝(通説)を正しいとするのは結構だけど私は魏略が正しかったかもしれないと言っているだけなのに他人が他説を出すこと自体を「理解に苦しむ」というのはどうよ
(晋書宣帝紀によれば司馬懿は撤退する蜀軍を追撃した時点ではなく
その後蜀軍の陣営跡を見た時点で諸葛亮が死んだと判断しているし
蜀軍が五丈原に文書等を放置した理由を諸葛亮の死に求めている
魏軍の司令官の記事だから「魏軍から見て」といっていいだろう)

魏延案の再評価については多くの本では「議論されてきた」としかなく
管見の限りでは張大可氏くらいしか見つけられなかったけど
私は「ギャグ扱い」に対して反論しているだけだからこれで十分でしょ
(さすがにJominian氏はよく考察されているけど)

327: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/05/02(日) 10:20:27 ID:VTo7+icb0
>>326
こっちは魏延が自尊心から来る暴走でやらかしたと見るから、どうしても評価が辛くなるんだよね。
同じく自尊心が強い(と若い頃のエピソードから思われる)諸葛亮が、劉備死後の国家にも無私の忠誠を尽くしたのとは対照的。だから、どうしても忠臣という見方に不満が出る。とはいえ、そちらの見方も分かる。
魏延は不満を吐きつつも、指示には従ったわけだし(まあ、それも他の人間が普通に従っている事を考えれば、+要素にはならんが)

正直な話、撤退に関しては恣意的に魏略の件を採用したんじゃないか、と思える文だったから、少し攻撃的な文章になった。いくらなんでも言いすぎだった。すまない。

ただ、前後の状況から見るに、魏延主導の撤退とは、どうしても思えない、というのはある。蜀側の資料や、費イの行動の記録なんかを見るに、魏延主導の撤退には思えない。
というか、主導で撤退させてるのに、楊儀らにしてやられたのなら、魏延が間抜けすぎる。受け入れづらい。
やはり諸葛亮死亡による撤退に反発して、取り残されたという方がしっくり来る。

ギャグ扱いに対して反論、というのは、こちらが攻撃的過ぎた事から来るものかな。
魏延案に従っていれば北伐は成功していたと、無条件で設定する論が多いから、感情的になっていたのかもしれない。
とはいえ、正史、魏略どちらに従っても、成功の公算があまり見出せない案である以上、あまりいい評価は下せない。

329: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/05/02(日) 17:53:29 ID:vLEUsnrv0
>>327
まぁ私の書き方もあまり良くなかったからお互い様ということで

魏延は「自爆」しただけで「反逆」はしていないというだけで特筆する程の忠臣ではないとするあなたの考えは正しいと思う

撤退の件については諸葛亮の謀略説まで出てきている有様だからまぁあり得なくはないという程度に取ってもらえれば

魏延案が支持されるのは「諸葛亮は失敗した」という史実があるから魏が油断していた最初の時に奇襲したらうまくいったかもしれないという意味で支持されているのだと思う
(他には案自体ないし)

引用元: ・【反骨の】 魏延 【相】



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