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1: 日本@名無史さん 2008/12/08(月) 23:53:37
最初の幕府、鎌倉幕府を開き、武家主導の社会700年の始まりの人
その源頼朝を語りましょう。








12: 藤原泰衡 2008/12/10(水) 00:07:14
平泉を滅ぼした罪は未来永劫消える事はなかろうて・・・

16: 日本@名無史さん 2008/12/15(月) 11:40:42
北条と手を組まない方がよかったかな。

19: 日本@名無史さん 2009/01/05(月) 07:16:36
武士が政権を握ったという点では平清盛も同様だが、平氏は公家化してしまったので新鮮味が無い。
源頼朝は実質的に武家政治を始めたという点でパイオニアであった。
画期的な業績を残したといえましょう。

20: 日本@名無史さん 2009/01/06(火) 02:00:49
頼朝好きだよ。ちなみに義経と清盛も好きだ。
時代を動かした才と、人間くささの両方があるから。

北条はやり手一族なのは認めるが、成り上がりの権力欲としか見られなくて好きにはなれん。ただ、義時のやり方を見ると頼朝のそれをそのまま踏襲していて、ある意味正当な後継者ではあるんだよな・・。

我が子に甘い頼朝は、坂東の覇者として生き残る厳しさを教えていなかった。頼家の後見にもっとやり手を付けておけば・・。

21: 平家万歳 2009/01/07(水) 16:28:26
はっきり言って頼朝より清盛の方が優れていると思うな。
源頼朝は貴族から実権を奪い、武士の時代を築いた。確かに貴族主体から武士主体の時代に変えた時点で相当凄い。でも国を富ませたわけではない。清盛と違い、朝廷から距離を置いて、政治を行ったのも優れた点だろう。
対する平清盛は、日宋貿易を盛んに行い、国を富ませた。今の貿易立国・日本の原型を作ったと言えるだろう。経が島築造などの公共事業をおこなったり時代の矛盾に行き詰まりつつあった貴族政治に新生面を切り開いた優れた政治家でもあった。正し娘・徳子を天皇の妃として実権を握るなど貴族と同じ手法をし、貴族化してしまい地方武士達からの信頼を失ったのは減点か。

22: 日本@名無史さん 2009/01/07(水) 20:40:26
まあ、清盛は父親の代から引き継いだ莫大な経済基盤があった訳で、無一文の逆賊の子からからはい上がった流人頼朝とは単純には比べられないかと。

何も持たなかった頼朝は、同族争いに血道を上げる坂東武者達に秩序を与えてまとめ上げた。一歩間違えれば自分が殺されるあやうい立場で、源氏嫡流(実際はライバルが色々いたが)という出自のみを武器に武士・朝廷と渡り合ってた訳で、文化や貿易まで手を広げる余裕はなかっただろう。

平重衡とか都出身の教養ある優雅な人が来ると喜んで優遇してるあたり、日頃些細なことで刃傷沙汰になったり裁判中に暴れたりする脳みそ筋肉坂東武士達を相手にしてて疲れてるのかなあとホロリとするw

25: 平家万歳 2009/01/09(金) 21:57:06
源頼朝は誰よりも情を欲していたんではないだろうか?源氏の棟梁という立場から私情を挟んで勝手に官位に着いた義経を許すわけにはいかなかったというのもあるだろう。範頼に関してはせい疑心が強かったとしか思えないが。だから息子の頼家を義経や範頼の代わりに愛したのではないだろうか?

28: 日本@名無史さん 2009/01/10(土) 23:21:20
人が信じられないから実の子以外は排斥するんですよ。
まあ、父親の惨殺のされ方、一族壊滅を幼い頃に経験したら、そうなるのもしかたないと思いますけどね。そこを超えて多少度量を持たなきゃ、人の上に立つなら。
だから源氏は滅びたんですよ。

33: 日本@名無史さん 2009/01/17(土) 20:40:06
頼朝は長い間、政子のヒモみたいなもんで、北条に取ってはただの無駄飯食いの肩身の狭い状況が続いていたから、内実は、政子や北条には生涯頭が上がらなかった。

側室を持つだけでも戦々恐々しているのは、この時代、特殊な事情がない限り
あり得ない。

42: 日本@名無史さん 2009/02/01(日) 00:33:13
みんな吾妻鏡は読んだの?

45: 日本@名無史さん 2009/02/04(水) 17:56:30
吾妻鏡も、箇所によっては筆者の虚構や思い込みがあったりするし、肝心な箇所が抜けてたり散逸してたりするからなぁ…

特に、頼朝の死ぬ前後は。

44: 日本@名無史さん 2009/02/03(火) 22:38:30
頼朝の死因って何?

55: 日本@名無史さん 2009/02/11(水) 13:33:22
>>44
落馬

46: 日本@名無史さん 2009/02/04(水) 18:01:17
…てか、そもそもの所から変だけどね。

清和源氏の人々の事跡の殆どが、確固とした裏付けに乏しい…吾妻鏡や玉葉も決定的な記録ではないしなぁ…

61: 日本@名無史さん 2009/02/21(土) 00:26:21
平家物語の頼朝身体描写ってむしろ褒めてるニュアンスなんだよね…
顔が大きい=豊頬ってこと?

63: 日本@名無史さん 2009/02/21(土) 01:52:24
顔大キニ背低キカリケリ 容貌優美ニシテ言語文明ナリ
99: 日本@名無史さん 2009/03/18(水) 12:20:47
吾妻鏡は、あてにならない箇所が多いのですか?

100: 日本@名無史さん 2009/03/18(水) 18:43:48
鎌倉時代後期の編纂ですし、『平家物語』と五十歩百歩といったところでは? 
全面的に信頼するのはどうかと。

101: 日本@名無史さん 2009/03/18(水) 23:34:54
全面的に信頼できないと言っても、反証できなきゃ信頼するしかない

102: 日本@名無史さん 2009/03/19(木) 00:40:06
詳しそうな方がいるので伺いますが 
頼朝の死因については落馬で本当にいいんですか?

103: 日本@名無史さん 2009/03/19(木) 15:03:44
>>102 
落馬ということになっている。 
そのほかにも説が無いことはないが、落馬説をしのぐ論拠があるものは無い。

105: 日本@名無史さん 2009/03/20(金) 07:59:06
俺が「落馬ということになっている」と書いたわけだが・・・・・ 

「~ということになっている」というのは、「落馬で決まり」とはニュアンスが違うのだよ。 

落馬だと断定しているわけじゃあないのさ。 

歴史においては、どうしても分からない部分はあるのさ。 
分からない部分は、無理に断定してしまうのではなく「わからない」としておくのが正しい態度だと俺は思う。

107: 日本@名無史さん 2009/03/20(金) 16:11:20
吾妻鏡の記述がないことは、北条氏の関与を疑わせる記述がされていたってことだろう。 
読む人が読めば感付くような記述が。

108: 日本@名無史さん 2009/03/20(金) 16:17:46
やっぱりお義父さんの仕業っすか

109: 日本@名無史さん 2009/03/21(土) 03:17:58
>>108 
北条氏だけじゃなくて三浦和田といった功臣たちの総意じゃない?

71: 日本@名無史さん 2009/03/06(金) 23:54:14
なぜに征夷大将軍という官職にこだわったの?

72: 日本@名無史さん 2009/03/07(土) 00:16:24
奥州征伐のためだろ。

73: 日本@名無史さん 2009/03/07(土) 16:46:07
違う。
頼朝は「征夷大将軍」なんて官職を切望したわけではなかった。
「大将軍」みたいな、鎮守府将軍とかよりも上位の官職に任じて欲しいんだけど、と要求したら、じゃあ征夷大将軍にしてあげよう、と朝廷の側が言ったのだな。
『明月記研究』に載った櫻井陽子さんの論文読め。

74: 日本@名無史さん 2009/03/07(土) 17:57:03
五月の連休に俺は神護寺に肖像画を見に行ったんだ。
普通の座敷に掛けてあるから目の前で見ることができた。
カッコよかったぜ。

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75: 日本@名無史さん 2009/03/07(土) 18:30:09
いや、それは足利直義だろ、と突っ込みがはいると思うが、ぼくは頼朝で良いような気がするんだがなあ。少なくともどっちが尊氏でどっちが直義か、簡単に決めらんないだろ。

76: 日本@名無史さん 2009/03/07(土) 20:30:18
等持院の木造は参考にならんのか?尊氏

77: 日本@名無史さん 2009/03/08(日) 12:45:55
あの木像と伝重盛の絵ってそっくりだもんね。
アレ見たら神護寺も足利兄弟だろと思う。
ただ頼朝の絵もあったはずなんだよね。どっかから出てくるとかありえないんだろうな・・。

85: 日本@名無史さん 2009/03/14(土) 18:58:11
神護寺のタレ目肖像画が、平重盛とされていたのが不思議。
『天子摂関御影』の重盛とは似ても似つかない。

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115: 日本@名無史さん 2009/04/30(木) 20:55:29
頼朝は、俺は、北条家の傀儡政権にさせられた気がしている。
寄生虫の様な人たちが、巣を造り寄生していく。

鎌倉幕府の奇跡は、朝廷を存続させた奇跡だと思う。武力で取った権利だけを認めさせて、朝廷は存続させた。
日本だけに残る、世界史では何処にも存在し得ない。

頼朝は、何を望んだのでしょうか?
私は、頼朝が一族を崩壊させたとは思えない。黒幕はいるわけで。

ただ、頼朝がした事は、日本天皇家の万世一系という世界で唯一の歴史を作ったと思う。
日本は、天皇家の為にあるとは誰しも思わない事でしょう。ただ、日本の歴史の中で、常に日本史の中には存在する天皇は、私は大きな敬意と畏敬を感じてやまない。

源頼朝は偉大な日本人の一人だと、心から思う。

133: 日本@名無史さん 2009/06/02(火) 19:04:51
>>115
>頼朝は、何を望んだのでしょうか?

やっきになって娘達を入内させようとしたとこに集約されてるんじゃ。
表向きは地方武士の棟梁だけど、この人の資質は武士よりも公家だと思う。
むさ苦しい猛者達に囲まれながら心の底で京の雅さに焦がれてたというか、今は田舎者になりさがったが、都育ちの自分は粗野なだけの武士とは違うぞ、みたいなコンプレックスとプライドが常に混在してたと。

もしも娘の入内が成功してたら・・・
公家的ライフを大いに謳歌してたような気がするよ。

117: 日本@名無史さん 2009/05/02(土) 18:21:58
清盛が南都焼き討ちを敢行したり、義仲が天台座主を殺害したことに比べれば頼朝は、宗教勢力に弱腰な印象がぬぐえない。建久2年(1191年)に延暦寺が起こした強訴では、佐々木定綱を守りきれなかった。

120: 日本@名無史さん 2009/05/09(土) 22:36:46
>南都焼き討ち
>天台座主を殺害

これはやっちゃいけなかった事

121: 日本@名無史さん 2009/05/17(日) 15:41:53
悪僧は神仏の名を騙って何をしても許されるが、武士はひたすら耐え忍べと?
実際、内裏を守護していた安田義定の配下は、無抵抗にも関わらず延暦寺の衆徒に殺害されていますね(『吾妻鏡』建久2年5月3日条)。

142: 日本@名無史さん 2009/06/09(火) 01:38:51
政治家が結果として評価されるならば日本史上有数の政治家だと思う(個人的見解だが)
理由
1.院政が行き詰まった後の社会的混乱を取り敢えず収拾した(治安の回復)
2.経済を担う開拓領主の利害を国政レベルに反映させた

彼個人の指向(多分貴族の末裔との意識)と別に考えた方がいいのでは?

169: 日本@名無史さん 2009/06/21(日) 23:52:09
>>142だが
後付け加えると
3.王朝時代から治外法権的になっていた奥州をともかくも中央権力の支配下においた

本当の中央権力が確定するのは承久の乱(?)以降だけど

235: 日本@名無史さん 2009/12/30(水) 11:32:06
頼朝が土佐に、希義が伊豆に流されていてもたいした違いは無かったのかな?
頼朝自身の人格にいみはないということで。

242: 日本@名無史さん 2010/01/09(土) 09:15:11
>>235
伊豆の北条氏に出会わなければ、関東の武士団の後押しがなければ、頼朝が蜂起することは不可能だった。また、頼朝ほどの知性と人徳がなければ、関東武士団をまとめあげることはできなかった。
せいぜい、紀貫之のように、日記くらいしか残せなかったろう。

引用元: ・源頼朝とは



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