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1: 世界@名無史さん 2008/09/03(水) 11:27:45 0
学校の教師は賛美してたが、よく調べると最悪じゃねえか
日教組は腹を切って死ね!








260: 世界@名無史さん 2008/12/25(木) 21:00:54 0
そもそもなぜ革命を起きた?
民衆はなぜ王室を憎悪したの。

264: 世界@名無史さん 2008/12/25(木) 23:15:04 0
>>260
ルイ14世以降の財政破綻の漬け
アメリカ独立戦争の支援
財政改革が、保守派貴族の反対で挫折
王妃の度重なるスキャンダルとスパイ行為

抽象論・観念論だけじゃ、流血の革命は起きんよ 
266: 世界@名無史さん 2008/12/26(金) 08:35:30 0
>>264
政府財政の悪化なんて古今東西普遍的な現象。
しかしフランス革命のような大流血の内紛に至ることは滅多にない。
下手に理想を掲げたばかりに、歯止めがかからなくなった。

265: 世界@名無史さん 2008/12/26(金) 02:03:58 0
王妃のスキャンダルたってな
当時の貴族はそんなもんだろw

273: 世界@名無史さん 2008/12/26(金) 21:43:26 0
この革命の特徴は、民衆・知識人の王室への極度の憎しみである。
中国的族滅の兆候すらあった。
なぜ民衆は、王室の大量の血を要求したのか。

279: 世界@名無史さん 2008/12/26(金) 22:36:16 0
>>273
王族で殺されたのは、国王夫婦とオルレアン公、コンデ大公以外いたっけ? 

282: 世界@名無史さん 2008/12/26(金) 23:15:49 0
>>279
王の妹エリザベート

274: 世界@名無史さん 2008/12/26(金) 21:46:57 0
なぜラファイエットら軍部は、王室を守護しなかった?
王党派の将軍も多かったはずだが、国王夫妻を救出せずに惨殺まで見てみふりかよ。


277: 世界@名無史さん 2008/12/26(金) 22:23:12 0
>>274
国王の実弟二人にしてからがさっさと国外逃亡してるくらいだから、王党派といってもルイ十六世一家を命がけで救おうという人間はごく一部だったってことじゃやっぱり国王一家は孤立していたんだよ

283: 世界@名無史さん 2008/12/27(土) 04:45:42 O
東方でフリードリヒ大王やマリア・テレジアが覇を競ってる間に国力を養っておくべきだったね。
七年戦争の後からでもさ

284: 世界@名無史さん 2008/12/27(土) 09:38:10 0
海軍については強化されている。
フランス海軍がイギリス海軍に「勝てたこともある」のは、ルイ16世の時代ぐらいかな。その海軍も革命騒ぎでボロボロに。

292: 世界@名無史さん 2009/01/03(土) 23:16:07 O
ロベスピエールとナポレオンって思想の上でお互い理解共鳴していたのか?
それとも各々の権力と軍事力を利用し合っていただけか?
熱月派の革命がなければいずれ、どちらかが争い消える運命だったかな?

293: 世界@名無史さん 2009/01/03(土) 23:24:16 0
そもそも利用しあってたのか?
ナポレオンが勝手に超大物のロベスピエールに取り入ろうとしてただけだろ
それもあんまり相手にされてなかったように思えるが
ロベスピエールがナポレオンを利用した事って何よ?

294: 世界@名無史さん 2009/01/03(土) 23:38:54 0
ロベスピエールが存命中のナポレオンって少尉とか大尉とかの下っ端じゃないの?

296: 世界@名無史さん 2009/01/04(日) 15:37:54 0
ナポレオンがロベスピエールの弟と仲良しだったので、ロベスピエールを支持してたt書いてあったな。
その後ロベスピエールが処刑されるとナポレオンも逮捕されと書いてあった。

297: 世界@名無史さん 2009/01/04(日) 23:43:15 O
まあ、ナポレオンが軍功を更に重ね、ロベスピエールが失脚せずに地位を保っていれば自分の子飼いにしようとしたかもな。

いずれ両雄並び立たずでお互い失脚を狙ってギロチン送りの運命かも知れんが

302: 世界@名無史さん 2009/01/08(木) 08:49:00 0
ナポレオンはロベスピエールに対して一定の評価と尊敬の念を持っていた。断固とした決断力や清廉な人柄などロベスピエールの方ではナポレオンの事を認知していたか怪しい
ロベスピエールが4,5年永らえていれば2人の絡みが見れたろうな

298: 世界@名無史さん 2009/01/06(火) 17:15:11 0
元総裁バラスは「王殺し」の国民公会議員なのに、帰国して死ねた。
どうして?

300: 世界@名無史さん 2009/01/07(水) 12:33:23 0
悪魔の化身みたいな扱いのロベスピエールを排除した人だしそもそもナポレオン期に赦免されて隠遁生活に入ってたか復古王政期に入ってもわざわざ追放するまでもなかったんじゃ?
帰国って言うけど国外追放されたっけ?

311: 世界@名無史さん 2009/01/22(木) 10:51:06 0
バラスは、構造汚職の権化で貴族出身でもあり、総裁政府末期にはアルトワ伯と連絡を開始して王政復古の相談をしている。
総裁政府は右左のクーデターばっかりになり、後半は事実上の軍部依存の先軍政治。

バラスとしても、左のネオジャコバンやバブーフみたいな共産主義とは妥協できないから、もう王党派でもいいやって感じ。

そうこうしているうちにナポレオンがエジプトから帰ってきて軍事クーデター起こすけど。

301: 世界@名無史さん 2009/01/08(木) 02:16:39 0
ロベスピエールは悪魔の化身じゃないよ
ヒトラーと同じで、ちょっと潔癖症だっただけさ

303: 世界@名無史さん 2009/01/08(木) 10:48:42 0
意外とヒトラーは妥協する。
彼だったらギロチン祭りなんてなかったんじゃないかな。

308: 世界@名無史さん 2009/01/11(日) 19:49:59 0
監獄が足りないし、看守も足りない。
監獄に入れられるのはほとんど金持ちぐらいだろ。
食費は自払い、経費自払い。看守の給料も囚人から。
よって、効率よい処刑法(ギロチン)が求められたという時代背景があるのだろう。

ヒトラーなら監獄(強制収容所)を作って、自然消滅を望むんじゃないの。
経費は財産没収で。

309: 世界@名無史さん 2009/01/18(日) 21:17:55 0
フランス領ギニア流刑が、革命政府後期以降第二次大戦前まで、用いられた手法
3年以内に大半の囚人が死んだという

152: 世界@名無史さん 2008/11/12(水) 03:35:19 0
フランス革命は国民の経済格差是正にはほとんど役に立たず、かえって格差を助長した。

フランス革命期の貴族の土地保有の増大もその一例で、実はブルジョアジーだけでなく貴族もフランス革命期の国有資産購入者だった。

フランスブルジョアジーと貴族の対立は、後も続きますが、プロレタリアートや社会主義の出現で後に両者は結託します。

314: 世界@名無史さん 2009/01/30(金) 01:51:40 0
>>152
>フランス革命期の貴族の土地保有の増大もその一例で
実はブルジョアジーだけでなく貴族もフランス革命期の国有資産購入者だった。

国有資産購入者ってジャコバン派に近いブルジョワジーって感じだけど、実はフイヤン派も多いんだな、地方の隠れ王党派も実は購入しているだろ。ヴァンデの反乱やふくろう党があれほど拡大したのは、イギリスと王党派の資金援助があったからだし。

フイヤン派とジャコバン派の対立は、イデオロギーや政治路線の対立だけではなく、支持基盤やスポンサーの対立もあったと言う事になる。ジャコバン派にしてみれば貴族の土地所有が増加するのは嫌だろう、
政敵の資金源が肥えるの事は、政治家は嫌がるはず。

8月10日事件ではチェイルリー宮殿に聖ルイ騎士団に所属する貴族300名が集結したらしいが、殺される可能性があるのに集まったのはサンキュロットの経済的要求に反発した貴族の国有財産購入者も居たかも。
フランス革命には階級間の銭ゲバの色彩もあった。

ブルジョアジーと貴族はフランス革命期の国有資産購入を巡り対立していたのかも知れない。案外両者の売却物件の取り合いが激しかった可能性も。

都市部の物件ならブルジョアジーだけど、地方の農村部は貴族という色分けが出来ていたら良いのだろうけど、価格次第でアッチコッチの物件を購入していたブルジョアジーは地方の農耕地の物件では地元貴族とかち合うだろう。

316: 世界@名無史さん 2009/01/30(金) 17:01:42 0
社会革命の陰で貴族とブルジョワジーが不動産物件をめぐり対立なんて・・・・
地方では膨大な教会・修道院保有地を地元貴族が捨て値で買い取ったって話もあるし。

317: 世界@名無史さん 2009/01/30(金) 23:56:29 0
人間社会、実益絡まない紛争で、派手に血を流すほうがよほど馬鹿げている

319: 世界@名無史さん 2009/01/31(土) 04:52:55 0
>>317
自由 平等 博愛
旨い 安い 早い

318: 世界@名無史さん 2009/01/31(土) 00:03:16 0
七月革命の後、政党王朝派の地主貴族は公職追われて地所に帰ったんだっけ?

319: 世界@名無史さん 2009/01/31(土) 04:52:55 0
>>318
正統王朝派にはエミグレも居るけど、革命期にドサクサにまぎれて土地保有を拡大した貴族も多かったみたいだな。エミグレも亡命してるのに土地資産はそれほど減少していたなかった。

シャルル10世が逆コース始めちゃうからな~ユルトラも居るし。

320: 世界@名無史さん 2009/02/01(日) 05:52:12 0
>>318
ルイ フィリップの7月王政は、ブルジョワ政権だからね、
地主貴族(大地方貴族)は払い箱、元々アンシャンレジーム主流の連中だし。
大地方貴族は、フランス革命期の国有資産購入者が多く、ドサクサまぎれに土地所有を増やした為、パリのサンキュロット(労働者階級)からは嫌われていた。

2月革命では大地方貴族とブルジョアジーは結託しプロレタリアート弾圧に乗り出す。
第3共和制ではこの同盟が意外と長く続く、王政復古もあと少しだったのに・・・

322: 世界@名無史さん 2009/02/04(水) 21:10:36 O
タレイラン以外で革命時から帝政期、王政復古以後までフランス政界で生き残った政治家や貴族はいますか?

323: 世界@名無史さん 2009/02/04(水) 23:57:58 0
ラファイエット侯爵とか

無名の人ならいっぱいいると思う
ナポレオン時代に帰国した亡命貴族も多い

324: 世界@名無史さん 2009/02/05(木) 00:03:16 0
グレゴワール司教
憲法制定国民議会の議長になって、聖職者民事基本法に宣誓して立憲派教会をまとめた人
復古王政後にも議員に選出されてる

325: 世界@名無史さん 2009/02/05(木) 00:32:20 O
バラス
シエイエス

326: 世界@名無史さん 2009/02/05(木) 00:57:56 0
バラスもシエイエスも復古王政では政治に参加してないだろ
革命に貢献した=国王処刑に賛成した政治家はほとんど追放されてるからなあ

327: 世界@名無史さん 2009/02/05(木) 18:10:52 O
では、ナポレオン1世以前からナポレオン3世の帝政まで活動した政治家はいますか?

328: 世界@名無史さん 2009/02/05(木) 18:46:09 0
それは流石に寿命的に無理があるだろw50年近く空いてる
革命期に20代で官僚とか立憲教会の聖職者やってたような小物ならそれなりにいそうだけど知らないわ

329: 世界@名無史さん 2009/02/05(木) 19:25:11 0
政治家と言えるか微妙だが、ナポレオン1世の末弟ウェストファーレン王ジェロームは
甥のナポレオン3世の代まで生きてるな。

345: 世界@名無史さん 2009/02/11(水) 18:01:37 O
貴族がキュロットパンツにハイソックスというスタイルは19世紀のいつ頃まで続いたのでしょうか?

346: 世界@名無史さん 2009/02/11(水) 19:57:52 0
宮廷の式典でなら、第二帝政でも

347: 世界@名無史さん 2009/02/11(水) 22:01:26 0
19世紀になっても宮廷の従僕(ボーイなどの召使)とかは巻き毛の鬘に半ズボンという、18世紀そのままの格好をしていた。

349: 世界@名無史さん 2009/02/13(金) 04:03:43 0
8月10日事件にはまっています。


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8月10日事件

8月10日事件は、フランス革命期の1792年8月10日、パリで民衆と軍隊がテュイルリー宮殿を襲撃してルイ16世やマリー・アントワネットら国王一家を捕らえ、タンプル塔に幽閉した事件である。

この事件によりフランスでは王権が停止されたが、サン・キュロットを中心とする武装蜂起は、事実上の革命であったために8月10日の革命とも呼ばれ、フランス革命は新段階に入った。また事件は武力衝突の流血沙汰となって多くの死傷者を出したため、その責任を一方的にルイ16世に問う世論は日増しに高まっていき、それが国王裁判にもつながった。

350: 世界@名無史さん 2009/02/14(土) 03:55:14 0
6月29日のマリー・アントワネットの内通工作を妨害してラファイエットのクーデターを成功させればそのフラグは回避できる。
あるいは国民衛兵を援護して、7月30日にマルセイユ連盟兵をボコボコにして南仏に送り返すこと。ただしこちらは失敗すれば事件が早まる危険がある。

352: 世界@名無史さん 2009/02/15(日) 04:47:00 0
8月10日事件でルイ16世は、徹底抗戦を宮殿防衛側に命令しなかった。
むしろ戦いの途中で戦闘停止命令を出す始末。
一体どうするつもりだったんだろう?

それとチェイルリー宮殿防衛の為の兵力に資料によって差がある。
昔の本だとスイス人衛兵隊600人+貴族200人+パリ国民衛兵隊2000人とある。
最近だとスイス人衛兵隊900人+貴族300人+パリ国民衛兵隊2000人となり、他には、スイス人衛兵隊1000人+貴族300人+パリ国民衛兵隊2000人+近衛隊1000人と言う記録がある。つまり宮殿防衛サイドの数が増えている。

宮殿防衛側の完全武装の正規部隊の数は、資料により600人~2000人の間がある。
パリ国民衛兵隊は、当てにならないので無視!

おまけに聖ルイ騎士団加盟の貴族からは2000名の応募があったけど、その中から300名を選抜したとある。

一体どれが本当の王室サイドの動員数なのか?

358: 世界@名無史さん 2009/02/16(月) 00:00:28 0
8月10日事件では、国王側の正規軍は、スイス人衛兵隊900~1000人だけかと思いきや、近衛隊1000人も居たんですね。正規軍2000人近く居たのなら、チェイルリー宮殿に攻めて来た連盟兵とサンキュロット2万人位なら撃退出来たようにも思えます。

サンキュロットがほとんどで、彼らはおそらく完全武装はしておらず、所持している武器は、自宅や勤め先から持って来たナタや刃物だけかと思います。連盟兵の数は、数千人しか居ないでしょう。

>>352
しかしチェイルリー宮殿防衛に正規軍がスイス人衛兵隊1000人だけでなく近衛隊が1000人も配備されていたと言う情報は本当ですかね?
大体のフランス革命の本には、正規軍としてはスイス人衛兵隊のみが宮殿防衛にあたったとありますが・・・・・

革命開始後でも近衛隊は、存在したんですかね?とっくに亡命してそうでけどね。

360: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2009/02/16(月) 00:21:01 O
>>358
これを第三者として目撃していたボナパルトは民衆の下郎さと、国王の勇気の無さを軽蔑したといわれ、後にナポレオンやルイ14世だったから暴徒どもを撃退したと言われていますが、それをしちゃったらますます騒ぎが大きくなって結局は首を槍に突き刺されていましたよ。
第一、襲撃側はサン-キュロットばかりじゃなく国民衛兵や義勇兵もいましたから。

私ならば1789年の段階で徹底的に武力鎮圧したか、それとも革命後、もっと簡素に国外脱出したかと思いますが、前者のやり方でもパリでは一時的に抑えられても後に現実となる農村での大暴動(大恐怖)が発生し、それがパリにも波及したでしょうし、後者は私が王族じゃないから言えるのであって、昔の王族は簡素な馬車に少ない荷物とお供で、なんて無理でしょう。

361: 世界@名無史さん 2009/02/16(月) 03:15:18 0
>>360
>これを第三者として目撃していたボナパルトは民衆の下郎さと、国王の勇気の無さを軽蔑したといわれ、

この話しは有名で、ナポレオン以外の大抵のパリの普通の市民もそう思ったらしい。

>ナポレオンやルイ14世だったら暴徒どもを撃退したと言われていますが、それをちゃったらますます騒ぎが大きくなって結局は首を槍に突き刺されていましたよ。
第一、襲撃側はサン-キュロットばかりじゃなく国民衛兵や義勇兵もいましたから。

チェイルリー宮殿防衛にスイス人衛兵隊1000人だけでなく近衛隊1000人も配備されていたら、組織的な一斉射撃の繰り返しででサン-キュロットは大打撃を受けていたでしょう。宮殿には大砲12門も装備していた訳ですし。

ジャコバン側は、正規軍と同じ装備をしている戦闘部隊は、サンテール率いる国民衛兵隊の脱走兵部隊1500名とコルドリエクラブの指導者のアレクサンドル率いるブレストとマルセイユの連盟兵部隊1100名だけで、他はサン-タントワーヌ街やサン-マルセル街の住民サン-キュロットで実質2万人の暴徒であった。
だからチェイルリー宮殿防衛側がまともに相手にしなければいけないのは、サンテールとアレクサンドルの部隊2600人だけで、これならば宮殿防衛側の2000人の部隊で撃退可能。重火器(大砲12門)も駆使して防衛すれば2万人のサン-キュロットなどは簡単に撃退できた。

結局、ルイ16世が議会に逃げ込んで宮殿防衛側の士気が低下したのが8月10日事件で国王側が敗北した大きな理由でしょう。

363: 360 ◆.5DV4fMpf6 2009/02/16(月) 14:19:53 O
>>361
なるほど、それなら撃退可能でしたね。
第一、徹底的に叩けば民衆は怯えて当分動きませんし。
1795年に暴徒たちが国民公会に流れ込んで議員2人を殺害しましたが、テルミドール政府は民衆暴動にけりをつける覚悟を決め、暴動中心地の貧民街に軍を送って脅したら、7月革命まで民衆は動きませんでした。
ただし、1792年にはマラー、ロベスピエール、ダントン、エベール、ジャック・ルーら指導者がいて、1795年の時には彼らは皆死に絶え、ろくな指導者がいなかったことも見逃せませんが。あとは、戦局がまるっきし違って、対外危機感と高揚が1792年と1795年とでは違ったことも。
それにしても、総大将が隠れてしまうのは将兵の戦意を喪失させますよ>ルイ16世

359: 世界@名無史さん 2009/02/16(月) 00:05:33 0
貴族の竜騎兵の制服がスイス衛兵と似てるから間違われて殺されたって話もあるから、スイス衛兵以外も居たんだろう
死者は国王側が600人でコミューン側が400人とか

362: 世界@名無史さん 2009/02/16(月) 06:12:08 0
そういえば、なんでボナパルトみたいにブドウ弾とか使わなかったんだろうね
やっぱやる気無かったのか、建物を傷つけるのがいやだったのか

364: 360 ◆.5DV4fMpf6 2009/02/16(月) 14:25:02 O
>>362
ヴェルサイユから強制移住させられるまで廃墟同然だったテュイルリー宮殿にはルイ16世はあまり執着はなかったかと思えます。
やはり、危機拡大を危惧したように私には思えます。

365: 世界@名無史さん 2009/02/16(月) 21:06:46 0
8月10日事件での国王側の最大の敗因は、戦闘中の国王発砲停止命令でしょう。これでスイス人衛兵隊の一斉射撃が止まり、暴徒が宮殿内部に乱入しサン-キュロットによる大量殺戮となったわけで、このルイ16世の発砲停止命令が無ければもしかしたら、スイス人衛兵隊が発砲が続きサン-キュロットに死者が続出し撤退したかもしれない。
逆にスイス人衛兵隊が押し出して貧民街まで追撃できたかもしれない。

それともう一つ変動因子なのがスイス人衛兵隊1000人だけでなく近衛隊1000人がテュイルリー宮殿に配置されていたかと言う事です。もし近衛隊1000人が居れば、国王側の戦力が倍増となるわけで、かなり戦闘結果に相違が出ます。サン-キュロットを宮殿周辺から追い払った後に追激戦に移れるかどうかの差が出ます。
ジャコバン側にはブレストとマルセイユの連盟兵部隊1100名が居た訳ですが、この連盟兵は、とても正規軍とは言えない部隊で、パリに来る途中で盗賊・強盗・殺人犯のような連中が加わり犯罪者集団とも言えるような連中です。旧王朝時代から職業軍人をしている人材は国境地帯で戦闘中な訳で、正規軍がパリに居ないから、ジャコバン派とサン-キュロットは国王打倒に動き出したともいえます。
ブラウンシュヴァイク公爵の宣言が、パリ市民を刺激したという面もあるでしょうが、ジャコバン派などは、その割にはあまり外敵への防衛処置に賛成していない感もあります。
ルイ16世が、ベルギー国境で敗戦の報を聞くとイギリスに8万丁の銃を注文したり、北東部の自治体から武器を徴収し軍隊に補給しようとしますがジャコバン派はそれに反発したりします。

366: 世界@名無史さん 2009/02/17(火) 03:16:59 0
フランス革命中に近衛隊なんてあるのか?

367: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2009/02/17(火) 13:35:51 O
近衛隊があったとしても規模は革命前より大縮小していたのでは?
国王がスイス人衛兵隊に発砲を停止させたのは大失敗ですが、貧民街まで反抗する力はなかったはず。
まして、外人部隊にそれをさせてはジロンド派や一般市民の怒りも買います。
ちなみに対外戦を推進しておいて、勝利する努力を怠ったのはジロンド派とフイヤン派。

368: 世界@名無史さん 2009/02/17(火) 17:15:26 0
旧体制下の近衛隊の兵力は不明ですが、ベルサイユ行進の後に国王が近衛隊を一度解散・解雇しています。その後憲法が施行される時に王室費から近衛隊費用が認められ、近衛歩兵1200人と近衛騎兵600騎が認められます。

その他にテュイルリー宮殿の儀仗兵を交代でパリ国民衛兵隊が務める事になります。また、近衛隊は、議会の近くに駐留してはいけ無い事になっており、通常はパリから離れた処にで居るはずです。

別の資料だと近衛歩兵が200人という数字もありますが、これでは数が少なすぎるので、1200人の間違いかと思います。

>>367
>近衛隊があったとしても規模は革命前より大縮小していたのでは?


フランス革命の最中でも確かに近衛隊は縮小して存続しています。しかし、議会を攻撃しかねないとして、テュイルリー宮殿には常に配置されている訳では無い様です。
その為1792年6月には王室立憲衛兵隊という部隊を国王が設置します。
別の資料では、単純に国王親衛隊とあるが、近衛隊とは別にテュイルリー宮殿防衛用の部隊を結成します。
この“国王親衛隊”は将校はもちろん下士官も主に地方貴族で固め、兵は全国の国民衛兵隊から選抜します。約6000人の部隊で宮殿防衛だけでなくスイス人衛兵隊と合流して対ジャコバンクラブ・対議会のクーデターも視野に入れていたようです。

370: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2009/02/17(火) 19:59:04 0
>>368
それならば撃退さらには反攻・討伐も不可能ではなかったですね。
俺ならやるぜw>ルイ16世

369: 世界@名無史さん 2009/02/17(火) 17:47:24 0
1792年6月には王室立憲衛兵隊(国王親衛隊)という部隊を国王が設置する背景には、単純に国王の軍事力を高めようとしただけではないようです。深刻な経済的理由もあるようです。
革命開始時には、宮廷貴族と違い、領主権の有償廃止で多額の現金が手元に入る可能性がある地方貴族は革命を歓迎しました。その資金で更に国有地を 買収し地方貴族は直営地を増やして地主貴族化しようとします。しかし革命が進むと過激なジャコバン派やサン-キュロットが出現し、経済的な平等を求め始めます。特に領主権の無償廃止をジャコバン派は掲げ始めたため当初革命に賛成した地方貴族も反革命に転じます。
また、上級ブルジョアもジャコバン派の反革命派や亡命貴族に対する財産没収や累進課税政策に危機感を強めます。ここに反革命に転じた地方貴族と反ジャコバンに転じた上級ブルジョアによる同盟が形成され王室立憲衛兵隊(国王親衛隊)の設置の運びとなった経緯があるようです。
既にこの時期にも上級ブルジョアは、国王や地方貴族と手を組み、プチブルや事実上のプロレタリアートであるサン-キュロットを押さえ込もうと言う政治姿勢が垣間見えます。

370: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2009/02/17(火) 19:59:04 0
>>369
なるほど。ただし、工業ブルジョワジーは山岳派とくに山岳派の
右派との結びつきが強かったようですね。

375: 世界@名無史さん 2009/02/18(水) 21:44:07 0
>>369
>1792年6月には王室立憲衛兵隊(国王親衛隊)という部隊を国王が設置する

1792年3月ですね王室衛兵隊(国王親衛隊)を設置するのは、5月27日には解散させられますが。

引用元: ・フランス革命は最悪



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