1: mage 2011/12/12(月) 19:10:56.97 ID:hWQepeGC
語ろうか








4: 人間七七四年 2011/12/14(水) 01:30:00.73 ID:IlWQ+ClV
斯波氏は、朝倉孝景と織田某、
細川氏は、三好長慶に下克上されたみたいけど、
畠山氏は、誰にやられたの?

5: 人間七七四年 2011/12/27(火) 08:16:33.12 ID:aMlq7P6k
>>4 
家臣の遊佐一族と三好義継と上杉謙信。

6: 人間七七四年 2011/12/29(木) 14:56:32.85 ID:BWlJMdgZ
畠山高政が教興寺の戦いで勝っていたらなー。

7: 人間七七四年 2011/12/29(木) 19:05:46.07 ID:rRgYwoWa
遊佐は紀州も能登も謀略家なのがやだな

10: 人間七七四年 2011/12/31(土) 15:16:30.64 ID:y6Pp+Eo0
下らん内紛で自滅していった無能共という印象しかないが

11: 人間七七四年 2011/12/31(土) 23:59:45.56 ID:VckicZIK
内紛の後も結構頑張ってね?
斯波義達、細川晴元、畠山高政とか。

12: 人間七七四年 2012/01/01(日) 12:38:22.60 ID:52VBD7dX
細川京兆→三春藩家老
斯波武衛→加賀藩家老
畠山金伍→高家旗本

13: 人間七七四年 2012/01/01(日) 16:48:21.98 ID:SRDl7ham
つーか足利とほぼ同格と言われた斯波でさえ家老だろ?
1/6殿に至っては高家の低い方でしか無い。

足利一族は無能一族の見本みたいなもん 
悪いが

14: 人間七七四年 2012/01/01(日) 17:36:58.83 ID:rafzYYOh
>>13
戦国時代1世紀半を先頭争いを生き抜いた一族は、蜂須賀、黒田、山内、中村みたいな最後の数十年だけで美味しいとこ持っていった一族より、凄いと思うんだけどどうかな。

15: 人間七七四年 2012/01/01(日) 20:44:08.63 ID:52VBD7dX
>>13
幽斉「私も足利一族なんですが」

16: 人間七七四年 2012/01/02(月) 02:50:50.27 ID:cUKyykDx
>>15
幽斎はなんか細川一族とは認めたくないよね。
三淵だか長岡だかで十分だ。

25: 人間七七四年 2013/04/29(月) 16:33:25.80 ID:Y2oCQ48b
管領の河内守護畠山家は、しぶとかったほうじゃないの?
ほかの守護家が下克上でバタバタ潰れていく中、織田信長にも豊臣秀吉にも抗って。たしか三河時代の徳川家康ともよしみを通じて秀吉に対抗したはずだ。さらに紀伊に移って、地侍らの傀儡かもしれないけれど一定の存在感をしめした。江戸時代の高家になったなんて凄いじゃない(それほどでもないか・・・)。
室町の守護大名で近世大名になった家の方が奇跡だよ。
熊本の細川は、途中に戦国大名長岡氏を名乗ってたし違うし、だいたい忠興の継いだ細川は、どっかの国(和泉)の守護じゃないからね(細川は細川でも)。 鹿児島の島津も、室町の守護大名の島津じゃないし、郡代程度の勢力(家柄)の伊作氏が、島津氏に、無理やり実子を養子に送り込んで継いだものだし(その養子縁組も・・白紙にもどされているから、守護の島津氏ですらない)。
まだ、米沢の上杉のほうが、(長尾からの)正しい養子継承なくらいだ。

26: 人間七七四年 2013/04/29(月) 20:51:49.60 ID:RWWE4Uuz
京極がいるじゃないか。ほんとに京極嫡流か怪しいらしいがw
あと信濃守護小笠原家

27: 人間七七四年 2013/04/30(火) 20:55:57.23 ID:e9TCm8io
佐竹もいるぞ。常陸守護かどうか解らないが。
結城(松平)も。下野守護かどうか解らないが。
毛利も或る意味守護だしな・・。

28: 人間七七四年 2013/06/26(水) 14:03:51.69 ID:tiDB0ce0
京兆家は、政元に直系男子が居れば、かなり違う。
あそこまで、内紛に次ぐ内紛にもならなかったと思う。
京兆家が落着けば、畿内の政局もカナリ大人しくなる。

29: 人間七七四年 2013/06/26(水) 18:28:01.51 ID:uiONzrgf
それを言うなら、足利義尚に男子がいたら明応の政変すら起こらなかっただろうしなあ

30: 人間七七四年 2013/06/28(金) 13:34:37.20 ID:sKxtjVUp
やっぱり斯波家が速攻で無力化したのが痛い。
西の細川三好勢力を牽制できたのが六角だけって言うのがな。
六角定頼が将軍保護して、和睦交渉斡旋って流れだからなあ。
そこに斯波氏が東側のボスとして六角を後援して牽制してれば。
だいたい朝倉を守護同様の権威を認めてしまった為にに斯波氏は織田氏にまでナメられるようになっちまったしな。
北陸の畠山なんかも若狭武田や朝倉と一緒に上洛してた時期もあったが一向宗が猛威になってきたしな。でも三好軍もせいぜい大津くらいまでしか進出してこない事から、彼らの来援の可能性は近江での活動への抑止力になったんだろ。
土岐?吉良?役立たず過ぎてワロス

31: 人間七七四年 2013/06/28(金) 21:13:51.67 ID:JsRVqJP2
斯波は領地が遠い、しかもそれぞれが離れすぎた
山名みたいにまとまった領土だったらな

40: 人間七七四年 2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN ID:g/r/5Rgx
>>31
吉良氏、斯波氏、畠山氏は鎌倉時代の家格が高かったために足利一門底辺の細川氏のようなバイタリティがなかったのかも
特に斯波氏は南北朝時の高経の行動がへますぎた
http://ameblo.jp/8omote/entry-11243083093.html

41: 人間七七四年 2013/11/09(土) 11:50:45.16 ID:p7DVYnoZ
斯波の失敗は加賀斯波家が長く続かなくて加賀を領国化できなこったこと
細川にとっての阿波細川、畠山にとっての能登畠山のような存在があれば

32: 人間七七四年 2013/06/28(金) 21:55:34.54 ID:xlmzqz8w
山名はまとまってたせいで逆に速攻で弱体化したような

33: 人間七七四年 2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:rPMN2iz0
>>32
京兆家は、畿内にまとまった領国だったが、晴元時代の16世紀中旬まで、何とか持ったよ。

>>28が言う様に政元に跡継ぎが居れば、京兆家はモット続いたし、政元だって長生き出来たかも。

京兆家の四国の領国は、早い段階で放棄している。

34: 人間七七四年 2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:BDPVn71H
畠山氏に詳しい方、教えてください。
守護家ではなく、将軍家近習の畠山播磨守家の出自が分かりません。
畠山教元の系図上の位置が知りたいです、Wikiにも載ってませんでした。

35: 人間七七四年 2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:moLe5gm3
>>34

義純(畠山氏)━━ 泰国 ━ 時国 ━ 貞国 ━ 家国 ━ 義煕 ━ 満基 ━ 教元 ━ 政元

この系統の人であってますかね?
他はわかりません。 

36: 人間七七四年 2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:jlMwQLU8
ありがとうございます

あと、細川氏や畠山氏と縁のふかい佐々木六角氏の末裔は江戸幕府の旗本になった家が嫡流でしょうか、加賀藩士になった家が嫡流でしょうか?

教えてください。

37: 人間七七四年 2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:nPuh317M
>>36
加賀藩士となった六角義治の婿養子・定治流も、義治の弟で幕府旗本になった義定流も両方嫡流を主張していた。正直はっきりしない。

38: 人間七七四年 2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:C3nzArKq
ありがとうございます

六角定治は、どのような経緯で前田家に仕えたのでしょうか?
徳川将軍家に仕えていたならば両畠山家同様高家に選ばれるべき家柄でしょうに

39: 人間七七四年 2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:oWhbnNWM
>>38
よくわからん。元々、旧家臣筋の蒲生に仕えて、蒲生改易の時に前田に使えたとか。
あと旗本六角(佐々木)氏は曾孫の代に無嗣断絶してる。

42: 人間七七四年 2014/10/13(月) 21:37:17.99 ID:0SygBXUj
斯波氏、朝倉氏(越前)と織田氏(尾張)が台頭
細川氏、分裂(阿波と畿内)後、三好氏(阿波)が台頭
畠山氏、分裂(上河内と紀伊・下河内)後、木沢氏(上河内)と遊佐氏(下河内)が台頭

赤松氏、山名氏と争った後、浦上氏(備前)、別所氏(東播)、小寺氏(西播)が台頭
一色氏、守護(丹後)の座を若狭武田氏に狙われ、衰退。
京極氏、同族の六角氏(南近江)に佐々木家筆頭の地位を奪われた後、浅井氏(北近江)が台頭。
山名氏、赤松氏と争った後、織田氏に滅ぼされる。

三管領四職の戦国時代は、こんな感じ?

49: 人間七七四年 2015/03/27(金) 21:32:34.12 ID:nvq1MCXB
>>42
斯波氏以外は織田の家臣として3000~10000石くらいの領地もらって生き残ってるよ
但馬では山名氏政(六分一殿嫡流末裔)という人が
近江では京極高次という人が
播磨では赤松則房という人が
丹後では一色満信という人が
丹波では細川昭元(信長義弟の京兆家末裔)という人が
河内では畠山昭高という人が

51: 人間七七四年 2015/04/21(火) 14:25:12.03 ID:N4EODVJA
>>49
織田の時代は山名氏政じゃなくて兄の山名義親が当主じゃないの。
豊臣の時代が山名氏政だと思う。
秀頼の時代が山名堯政。
徳川の時代が山名煕政。

52: 人間七七四年 2015/04/24(金) 20:26:58.26 ID:iU/OzUUW
但馬の山名氏って滅んだのではなく続いてたんだね
山名氏政は信長傘下の戦国大名で、後に秀吉の家来になっていったらしい

江戸時代初期の家康の時代は山名堯政という人物が山名氏嫡流ということになるね

64: 人間七七四年 2016/06/30(木) 22:53:32.83 ID:i+dpFuGO
管領と直接関係はないかもしれませんが、斯波氏がいつから「しば、しわ」と呼称されるようになったのか、ご教示下さい。
Wikiによれば、「斯波」という記載の初出は応永29年(1422)だそうですが、斯波家長は建武4年(1337年)に志和尾張弥三郎と呼ばれています。巷間よく聞くことは、斯波氏は家格が高く特に鎌倉時代は「足利」であったため、その後も「斯波」と呼ばれることを好まなかったという話です。
確かに、北条貞時十三回忌供養では、参列者に「足利孫三郎」がいて、これは斯波高経のことです。私がお聞きしたいのは、鎌倉末期から南北朝での十数年間のうちに、「足利から志和」への変化が起こったのか?といことです。それとも、少なくとも南北朝の初期はあくまで「足利」志和尾張弥三郎であったのか?

まとまりのない文章で申し訳ありません。何かご教示下さると幸いです。

66: 人間七七四年 2016/09/02(金) 15:34:47.40 ID:R78yxsEH
たぶん当時の斯波本家(武衛家)は、自分たちを「斯波家」という家だとは思っていないと思う。
自分たちはあくまでも「武衛家」であって、「斯波」というのは武衛家や大崎・最上ら一門全体を指す呼称。むしろ嫡流じゃない連中が「斯波」を名乗っている例が多い。
武衛家の当主は安土桃山時代に至るまで武衛と呼称されるのがほとんど。

67: 人間七七四年 2016/09/06(火) 23:11:15.73 ID:VuFZINid
>>66 
ご教示、ありがとうございました。
おっしゃる通り、斯波惣領家は自分たちを「斯波」だとは思っていなかったようです。
応仁の乱後、義敏が書いたとされる斯波家譜の中で「斯波郡を知行したから(その一門の者は)斯波と言う」と書いています。
つまり、義敏は惣領家(養子ですが)の自分と、斯波郡に関係している斯波家の者とは別だと考えているようです。
「武衛」は本来官職由来で、苗字とは言えないのでしょうが、室町時代の武家では「斯波惣領家という特定の家」を指す言葉であり、苗字的な使われ方を自他ともにしていたというように理解しました。

私の疑問であった家長の呼称である「志和尾張弥三郎殿」は、家長が奥州総大将として一時期志和に拠点を置いたことを考えれば、納得できます。

69: 人間七七四年 2016/12/02(金) 02:05:10.22 ID:IapvUh5E
尊氏が将軍になったからさすがに足利を名乗るのは憚られたんじゃね?

70: 人間七七四年 2016/12/03(土) 15:27:04.96 ID:Fj20s3+q
>>69
これは斯波家が室町時代に足利を名乗れなくなったことを書かれたのでしょうか?
それなら、おっしゃる通りです。鎌倉時代は、足利であった一門も足利は名乗れなくなり、上総家は吉良氏に、尾張家は斯波氏に変わっています。
この話は、いろいろな所(本)で目にはするのですが、「いつ?」「どんな形で?」通達されたのかについては、勉強不足で知りません。

引用元: ・【細川】三管領を語れ【畠山+斯波】