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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/02(火) 15:52:22 ID:y8EJIbV70
エリート教育








114: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/15(土) 23:39:32 ID:9Fgy7TrD0
陸士と海兵では一般的な人気にも差があったらしい。海兵は全国的に人気があったが陸士は都市の中産階級の間では余り人気がなく敬遠する者もいたらしい。
ところが地方では封建的気風がつよいため「軍人になるのは名誉だ」というので成績の良い者が陸士に行くという例がかなりあったらしい。いわば田舎中学の秀才が行くのが陸士(平時の場合)。

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/18(火) 13:42:24 ID:ILNetLa20
陸大出にも一流のコースと二流のコースがあった。二・二六事件から終戦までの陸軍中枢部の人事を見るとこの間に陸軍次官に就任した8名中7名、軍務局長11名中10名、軍務局軍事課長及び高級課員の全員、人事局長及び補任課長の全員、参謀次長10名中7名、作戦課長の全員が幼年学校出身。
この世代では幼年学校出身者は陸士卒業生の三分の一程度で陸大出に限っても中学校出身者が半分近くいたことを考えれば異常。
陸軍幼年学校(りくぐんようねんがっこう)は、大日本帝国陸軍において、選抜した満13歳以上・満15歳未満の男子(主に旧制中学校2年生)を、将来の将校候補者として教育するために設けられた全寮制の教育機関(軍学校)。


178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/25(金) 22:11:06.24 ID:bNyPXDUV0
>>129
中学出身で出世した人って誰がいるのかね?
ぱっと思いつくのが今村均とか小畑とかくらいで。
小畑もクビにならなきゃ山下みたいに方面軍司令官まではいけたんだろうか。。。

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/25(金) 22:52:37.94 ID:iQR/iGfP0
>>178
3長官を歴任して元帥になった杉山元が中学出身。

196: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/01(金) 14:57:10.14 ID:u4kQoP5c0
>>179
杉山については彼は陸士12期でまだ幼年学校が未整備な世代に属するという事が指摘されている。二・二六事件後の陸軍次官八名中七名が幼年学校出身。
同じく軍務局長十一名中一〇名、軍務局軍事課長の全員、軍事課高級課員全員、人事局長及び補任課長の全員、作戦課長の全員が幼年学校出身。

199: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/03(日) 02:18:02.00 ID:IYPk0ppA0
>>196
ということは昭和に入ってから人事の硬直化が進んでいたという事か

201: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/03(日) 08:09:16.50 ID:NSWtpDhW0
>>199
硬直化というより日清戦争後に確立した幼年学校を出た連中が年齢的にいよいよ陸軍の首脳部を形成するような時期になったということだろう。
幼年学校出身者を将校団の中核にするという事はすでに日清戦争後新制度の幼年学校が発足した時点で陸軍の首脳部が明言していた。旧軍人で中学校から陸士に入って陸大を出て軍務局に勤務したこともある人が「我々は外様だった」と憤慨していた。

206: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/12(火) 05:20:22.07 ID:+iC17gCe0
>>196
俺の持ってる資料では陸軍大将(西郷隆盛から牛島満(特進した4人を除く))の内、幼年学校出は130人中40人
永田の属する陸士16期以降は21人中16人

確かに昭和に入ってから幼年学校閥はあるな
180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/25(金) 23:34:58.39 ID:ylr0Hm800
やたらと幼年学校出を優遇してるようだけど、そんなに違うもんなのかな 

今村均といえば、ウチの父親が学生時代、今村大将の家の近所に住んでてよく見かけたっていってたな

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/26(土) 00:59:47.30 ID:0v04DfHM0
幼年学校出身者が優遇されたというよりも、情実人事が行われたってのが近いんじゃないか。 

中学出は卒業後に高校や帝大に進む道も選択できるけど、幼年学校に入ったらその後は陸軍軍人になる以外の進路選択は難しいという事情があるから、どうしたって仲間意識や身内感覚が強くなるだろう。

189: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/03(木) 14:58:06.18 ID:LUHvqQx/0
幼年学校は中二で受験だから、幼年学校生にも出身中学があるとも言える。 

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/03(木) 15:24:50.82 ID:PPL7NXV10
>>189 
なぜ尋常小学校卒で受験という完全中学校仕様にしなかったんだろね。 
中学受験というフィルターである程度の社会階層から採りたかったのだろうか?

191: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/04(金) 18:54:25.65 ID:3gOmO+vT0
小学校卒業時点だとまだ12~3才でしょ。 
親も本人も、よっぽど陸軍を明確に指向していない限りはそこまで踏み切るのは容易じゃなかったんじゃないかな。 

まぁ、1~2年入るのがずれるだけって考えもあるけど、十代前半での1~2年は他の年代の1~2年よりも遙かに重みがある、ってのも事実だし。 

幼年学校を受けて試験に合格するだけの知力と体力があれば、多少の親の資力があれば中学校に行かせて他の選択肢も視野に入れながら勉強していって欲しい思うのが親心だろう。 

出世できればともかく、陸軍の給料は他の省庁や大企業と比べればそれほど高いわけではないし、全寮制で親元から引き離されて親子がお互いの顔を見ることすら難しくなるくらいに行動に自由を制限される生活の中に息子を放り込むのは、やっぱりためらわれるものがあったんじゃないかと思う。

192: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/04(金) 20:57:45.52 ID:zMzx89p60
最初から陸軍内での栄達を考えてる人は中二で幼年学校へ進学しそこら辺がイマイチ無頓着なヒトは、中学全課程を履修してから予科士官学校へ進んだのかも。 

194: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/10(木) 10:29:19.05 ID:TH3HVBVW0
>>189-192 
高等小学校が2年制で、それが念頭にあると思う。

193: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/08(火) 10:15:13.21 ID:tjWzf4fGO
幼年学校は軍人の子息を入学させる為に出来たようなものなので 
一般枠からの入学は枠が少なく熾烈を極めた 
栗林忠通の弟も陸士を目指していたが、中学出身は傍流なので海兵受験を勧めていた(結果的には陸士に入ったが)

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/04(月) 14:17:08.07 ID:ZeWlqhW70
そういえば永田鉄山は「中学校出身者は堅い操守がないから危険だ」と言っていたそうだ.幼年学校出身者の中学校出身者を見る目がわかる。

202: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/04(月) 04:05:12.04 ID:tG/xnR/20
杉山といえば秦真次(後に憲兵司令官、第二師団長にて予備役)と同郷同窓で両者とも幼年学校を受験、秦は合格、杉山は落第

士官学校の合格者は幼年学校出身者が圧倒的に多い
比率を考えればそれほど中学出身者が冷遇されたわけでは無い

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/04(月) 10:03:08.68 ID:vsFQUg5l0
日清戦争後に発足した新制幼年学校の第一期生は陸士15期。

陸士15期から24期の陸大卒業者の出身校別

幼年学校
陸士卒業者2200、陸大卒業者 185

中学校     
陸士卒業者4292、陸大卒業者171 

こうしてみると幼年学校出身者の陸大進学率は高いが絶対数では大差はない。それにもかかわらず>>196のような現実があったのだから「幼年学校閥」の存在を考えざるを得ない。

130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/18(火) 15:56:42 ID:XZcX5VSJ0
海兵53期みたいに採用数50人の時は超選鋭だったんだろうね。

131: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/19(水) 20:19:40 ID:hkFy7G7B0
>>130 
逆に終戦時の在校生は1万5129名で、77年間の卒業生累計より4000名も多くなった。

132: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/20(木) 17:23:22 ID:EXEm2Jkh0
同じ海兵っていっても、何期かで全然違うんだね
全入時代の今の大学も似たようなもんだけど

133: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/20(木) 22:46:30 ID:BmvshUeU0
>>132
昭和17年ごろまでは多少の変動があっても一貫して難関だったことは事実。
激変したのは昭和18年10月入校(本来なら19年4月入校だが戦時のため六か月繰り上げ入校した)した75期生から。この期は一挙に前年度の3倍以上も採用した。その前年度の74期(昭和17年12月入校)までは戦時のため採用人員が増えた反面志願者も増えているのでやはりかなりの難関だったらしい。
ちなみに終戦前に海兵を卒業したのはこの74期(昭和20年4月卒業)が最後だから戦争中すでに士官に任官していた者は一応秀才だったんだろうが終戦時海兵に在学していた連中は玉石混淆だったんだろう。旧海軍士官だった人の中には75期生以降の者について「あんな連中は本来の海兵生徒ではない」という人もいるそうだ。

134: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/20(木) 23:03:18 ID:BmvshUeU0
>>133の続き
しかも75期生の次はさらにその二倍も採用したので海兵の校舎に収容できないというので合格者を年齢別に二分して年上の者を19年10月に入校させて76期とし年下の者を20年4月に入校させて77期ということにした。
さらに海兵予科というのを作って20年4月の四千人を入校させて78期とした。滅茶苦茶だったんだね。たしかに戦争中既に任官していたような人たちには「本来の海兵生徒」とは思えなかったかも。

136: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/21(金) 11:46:33 ID:axM5LpU30
私が新入社員だったころ('80年代初め)には部長や役員に海兵出は普通にいた。
また「海軍式経営」がもてはやされコンサルタント/講演ゴロツキが社外にも沸いていた。

「貴様ら五分前の精神でやれ!!」と威張るオヤジに「もしかして部長は78期ですか?」
と聞いたら沈黙した。我々若いものも親族や教師から聞いていたので事情をしっていたのだ。
反面、うんと年配の海兵出の人は紳士だった。むしろ舞鶴の海機出に尊敬できる上司は多かった。

150: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/12(土) 09:09:31 ID:oseSaG+P0
>>136
30年くらい前、雑誌プレジデントの表紙には旧陸海軍の将官の肖像がよく載っていたね

その頃の読者には、アイキャッチ効果があったんだろうな

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/21(金) 14:38:19 ID:cRVGW9Pz0
ある東大出の人から「海兵は難関だった」「俺の成績では無理だった」と聞かされたことがある。その人は昭和18年に地方のあまり有名でない旧制高校に進学した。ということは海兵74期と中学校が同期だということだ(海兵進学者は戦時なので四か月繰り上げて昭和17年12月に入校した)。
このエピソードからみても74期生までとその後とでは劇的な変化があったことが想像できる。 

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/21(金) 19:36:41 ID:3EcpF7d50
東北大卒の人が、海兵は本当のエリートしか受からない難関だったと言ってたけどその人が受験する5年前に、既に海兵は終戦でなくなっていたとも言っていた
だから自分には受験機会がなかったらしいが、この本当のエリートってのは、74期までのことを言ってたのかな

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/21(金) 22:34:28 ID:Ar7idFdy0
海兵75期だった人の手記を読んだことがあるが入校当初、上級生から「ゴキブリクラス」と罵倒されたそうだ。
罵倒する奴にも感心できないけどね。

142: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/23(日) 01:37:31 ID:2qV942df0
秦郁彦が言ってたな。「軍というのは人材を集め過ぎるとかえって危険になる」。
将官クラスや参謀には秀才が必要だが艦長や大隊長が大秀才である必要はないね。
むしろ責任感とか実行力の方が大事かも。

152: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/12(土) 13:45:19 ID:srLdnYGD0
戦前の文武官逆転は、武官が文官を上回る学識を持っていた事にも一因があるのでは
みたいなことを秦郁彦が書いてたな

当時の軍人は、大佐までの経歴の半分を学校で過ごしていたような例も珍しくなかったようで正規の養成学校を卒業した後も折に触れて勉強をさせていたらしい。結果、中堅クラスになる頃には、当然に文官との教育量の格差が大きくなっていたということだ。

谷垣禎一の祖父影佐禎昭のように、中佐になるでの19年間のうち10年以上を東大、海外留学、その他の教育機関の学生生活に費やしていた例もある。

153: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/12(土) 15:27:02 ID:om2SyfJU0
>>152
> 武官が文官を上回る学識を持っていた

文官を上回る学識を持っていた武官もいたてんなら、そういう例もそりゃあるだろう、
で、平均とりゃどうなんだ、って気がするなあ。

「天皇機関説」「統帥権干犯」
無理筋だと自覚はしつつ、勢力拡張の戦術として主張した連中もいただろうが、226将校みたいな「天然さん」が多数派だったんじゃないの?

海兵陸士の教育ってそのあたり、どうなってたんだろうね。
法学関係の授業が全くないわけじゃなかったろう、とは思うんだけど。

154: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/12(土) 18:09:19 ID:srLdnYGD0
その辺はなんともだが、結局知識の多寡に偏重して、真に知性ある人間を育てられなかったということではあるんだろう。
「学校教育の重視は、優秀な指揮官を育てようとする努力の反映であろうが、所詮、机上の点数と実践指揮の巧拙は別物である事を太平洋線は改めて立証した」
とも秦郁彦は書いてる。

昭和の軍人の発言のなかには、とても高等教育を受けてきたとは思えなような非知性的なものもある。教育の過程で思考の柔軟性を失った石頭を造って、そこに大量の知識が詰め込まれた始末の悪い人間を生み出していたということかもしれない。

もっとも、その点で文官は文官でどうだったか、というのもあるけど

155: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/13(日) 17:36:53 ID:6HGHJ2jc0
恩賜の軍刀組は作戦課に行くのが通例だったように、戦術重視の教育が主流。
戦略を重視していれば国際政治の流れを見誤ることはなかったと思う。
石原の主張の是非はともかく、あのクラスの軍人がもう少しいればと思うが。

156: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/14(月) 11:16:33 ID:2IlHxYu60
>戦略を重視していれば国際政治の流れを見誤ることはなかったと思う。

判るんだが、組織の評価ってのは日々の勤怠や、個々の事案の処理能力(戦術)だからね
長期的な視野で、どてーっとすわって床屋政談している輩を評価するってのは難しいと思う

石原だって、事変成功させなければ、そういう評価は付きまとったんじゃね
やっぱ東條タイプのほうが評価しやすい

158: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/15(火) 10:15:30 ID:3iPQdA/30
>>156
その辺は人事システムを柔軟にすることで、ある程度解決されるんじゃないかな

米軍なんかは、平時では士官学校の学年と席次で順々にキャリアアップさせて行くが戦時になると能力重視に切り替えて抜擢人事を積極的にやるそうだ。(ただし、戦時が終わると階級をいくらか戻す)

25年勤務で中佐にしかなれなかったアイゼンハワーが、WWIIに入るや5年ほどで元帥にまでなったり、海兵で成績不良だったため出世が望めない位置にいたハルゼーが太平洋戦争を経て元帥にまでなっていたりする。

その点で旧軍は、人材の配置がイマイチだね。辻あたりは使い方を間違えなければ結構実績を残せたんじゃないかと思うし、牟田口にしても師団長レベルであれば決して無能ではなかったという人もいる。軍司令にふさわしい人材がどこかに埋もれてたんじゃないかな

159: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/19(土) 03:05:06 ID:K/zPMf+k0
>>158
確かアイゼンハウアーはww1の時准将になってなかったか?
平時編成に切り替えられ中佐からやり直しになったけど(将官の定員の関係か?)

旧軍はそういう思想が無く人事が硬直化してたのは事実だけど・・・

160: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/19(土) 09:19:35 ID:2K6JT70o0
ちょっと調べてみた

1890年 生誕
1911年 陸軍士官学校入学
1915年 陸軍士官学校卒業
1917年 大尉
1920年 少佐
1936年 中佐
1941年 3月 大佐
     9月 准将
     12月 少将
1942年 1月 中将、同時に太平洋方面軍司令官
1944年 大将
     11月 元帥、同時に極東総司令長官
1950年 国連軍最高司令官
1956年 アメリカ合衆国大統領

※第1次大戦で大佐に戦時特進しているが、戦後は大尉に戻っている。
※少佐時代には、マッカーサー陸軍参謀総長の主任補佐官を務めている。

戦時特進は、人材の抜擢という側面もあるが、戦時に軍の規模が急拡大するため、中隊長クラスの士官に連隊を指揮させる必要が生じるなども理由のひとつ

463: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/21(木) 14:54:23.27 ID:2NENcSZD0
>>160
ドワイト・D・アイゼンハワー1890年~1969年。

1890年 生誕
1911年 陸軍士官学校入学
1915年 陸軍士官学校卒業
1917年 大尉
1920年 少佐
1936年 中佐
1939年 9月 第2次世界大戦勃発
1940年 11月 第3師団参謀長
1941年 3月 大佐 第9軍団参謀長
    6月 第3軍参謀長
    9月 准将
    12月 真珠湾攻撃
1942年 3月 少将 参謀本部情報部初代部長
    6月 欧州派遣米軍最高司令官
    11月 中将
1943年 12月「オーバーロード作戦」計画、実行の連合軍最高司令官   
1944年 大将
    6月6日 Dデイ連合軍最高司令官
    12月 陸軍元帥
1945年 11月 陸軍参謀総長
1950年 12月 NATO軍最高司令官
1953年 アメリカ合衆国第34代大統領
1969年 3月28日 コロラド州デンバーで死去

163: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/20(日) 23:37:45.10 ID:kh7wPQyy0
アメリカの平時に戻ったら階級を下げるって発想は、日本じゃ考えられない。

168: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/22(火) 20:07:07.35 ID:JayR5quk0
テレビで海軍兵学校とか、本当に流さないよね
少し関係するのは坂の上の雲ぐらいか

NHK大河番組も民放も、いつまでも竜馬ばかりやってないで、第二次大戦の将校とか軍神などを取り上げて欲しい

170: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/23(水) 16:23:17.06 ID:uVqTTfcI0
>>168
第二次大戦の場合、真珠湾攻撃をはじめとした初期の作戦を除いて、かなりの部分が「負け戦が延々と続く」という展開にならざるをえないから、TVで放送してもあんまり血湧き肉躍るみたいにはならないんじゃないかな。

まぁ、艦と共に沈む将兵の姿を見てその勇壮さを描くのも手なんだろうけど、そのときの太平洋の島々では食糧補給が途絶えて疫病や餓死でバタバタと死んでいく陸軍兵士の白骨の群れがあるわけで・・・

171: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/23(水) 17:52:46.69 ID:6tA12Tt80
明治~大正の兵学校、士官学校を舞台にした青春ドラマならやれるかも
さりげなく後の昭和の有名軍人を登場させたりして

どうせジャニタレ総出演で茶髪、ロン毛の兵学校生徒になっちゃうんだろうけど

172: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/23(水) 22:57:24.47 ID:8TM+uTMX0
>>171
山本権兵衛が築地の兵学校生徒だったときカッターを指揮して遊郭を襲撃しお女郎さんを拉致した話とか面白いかも。のちに山本首相夫人となった。

江田島のストイックな昭和の海軍ではありえない話だ。

176: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/24(木) 20:15:30.47 ID:XkyG6lYv0
海軍兵学校や将校のことなんて歴史の教科書でも取り上げない、テレビでもやらない
タブーになっているのか、大衆受けが悪いのか

その割には、第二次大戦関連や軍事ものの本は多い
ごく一部のマニア向け


207: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/15(金) 14:24:34.43 ID:08Djoydw0
なんで海軍士官学校って言わずに、兵学校っていうんだよ?

208: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/15(金) 20:49:14.13 ID:0vdAHgjZ0
>>207
「兵学」を教える学校という意味。
明治の初期には陸軍の将校を養成する学校を「兵学寮」といっていた時期もある。

209: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/15(金) 21:01:54.56 ID:0vdAHgjZ0
もう少し付け加えると明治元年に京都に兵学寮というのが出来てその後いろいろあったんだが「陸軍兵学寮」と「海軍兵学寮」が作られその後陸軍兵学寮は士官学校と改称され(制度改革もあったが)海軍兵学寮は海軍兵学校と改称したのさ。

210: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/15(金) 22:59:04.92 ID:4rvsnRlg0
兵科→海軍兵学校

機関科→海軍機関学校

主計科→海軍主計学校

各科ごとにそれぞれ学校があります。

211: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/15(金) 23:01:59.62 ID:4rvsnRlg0
小訂正

海軍主計学校→海軍経理学校


212: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/16(土) 00:26:41.67 ID:HsUIvHOe0
しかし一般的な「兵学」を教えるのはやはり海兵で、艦長になれるのは海兵出身者だけ、大将になれるのも海兵出だけだった。機関科や主計科はそもそも大将という階級がなく中将が最高位だった。
昭和19年に機関学校は海兵の分校ということになったけど、とにかく正統派の「兵学」を教育するのは海軍兵学校という建前だった。

220: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/28(木) 18:48:22.03 ID:2LR5w8ty0
古い時代の兵法書を真面目に研究したり講義しいたりしたらしいな。
孫子とかならともかく、闘戦経とかの中国・孫子コンプレックスと神国史観丸出しの偽書臭いのまで真面目に教えてたのはどうかと思うが。

224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/28(木) 20:12:03.06 ID:dlAtlsh/0
江田島の海軍兵学校はイギリスを模範として・・・
ってよく聞くけれど、よく考えたらダートマス海軍兵学校って1905年設立

どっから出てきた話なんだろう

225: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/28(木) 20:20:25.63 ID:MCRxofAb0
>>224
ダーマストってもっと前から出来てたはずだが。
東郷平八郎がイギリス留学時に入学希望して、年齢のために受け入れられなかった話もあるし。

226: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/28(木) 20:58:05.43 ID:dlAtlsh/0
>>225
1857年:練習艦による仕官教育開始
1903年:オズボーン校設立
1905年:ダートマス校設立
1907年:統合

1857年以前は少数精鋭の徒弟制時代

227: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/28(木) 21:24:22.49 ID:MCRxofAb0
>>226
王立海軍学校の成立で士官教育が始まったのは1694年から。
ダートマスだけみても書類上の開講は遅いが、実際には1863年に施設が移設されて教育が行われている。
ここからいろいろと真似た。
(ただし貴族と平民の関係から発生した、兵科と機関科の差別的待遇まで真似してしまったり)

228: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/29(金) 00:04:10.34 ID:AjUDiNpV0
>>227

そう言えば旧海軍では士官と下士官兵との待遇の差が激しかったらしいね。

当時の英国海軍は士官は貴族、下士官兵は平民というのが当たり前の社会だったけど、その枠組みをそのまま日本の海軍にも当てはめたため、後に禍根を残したようだ。

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/30(土) 16:26:36.75 ID:yJ4RXU7C0
井上成美が海軍兵学校校長の時、学生の提出物を上級生が検閲して書き換えさせるのをやめさせたことがある。
理由は「詐欺の訓練をさせているようなものだから」。
こういう悪癖が全盛だった時代の卒業生が、軍内はもちろん天皇や政府を文章上だけのつじつまあわせで騙して当たり前の士官になったんだろうか。

237: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/03(火) 08:32:55.75 ID:v5aYPvnm0
井上は海兵の生徒が陸士の生徒と交流するのも禁止したな。共に次代の日本軍を担う者同士、生徒時代から信頼関係を築いておかないと下らない縄張りが続いて国防が危うくなるのに。

238: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/05(木) 17:50:00.12 ID:RxwdybZg0
井上か、井上と同程度の見識を持った軍人がもっと早く海兵の校長になっていれば、もう少しマシな海軍士官が育って、もう少しマシな戦争ができたのではと思う。
井上が江田島に赴任したとき、上級生が下級生を監視(指導でなく抑圧)したり殴り殴られの校風を見て、水兵や下士官なら兎も角も将来の海軍士官がやることではないと情けなく思ったと云う話しを、会社のリーダー研修か何かで聞いたことがある。

引用元: ・海軍兵学校と陸軍士官学校について



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