300px-Gaozong_Of_Song



1: 世界@名無史さん 2013/10/11(金) 21:29:58.14 0
亡国の王族、権力者の最後、その後、子孫等について語りあおう。








3: 世界@名無史さん 2013/10/11(金) 21:55:30.23 0
>>1です。いい忘れてましたが一応国家滅亡だけでなく革命、クーデターで追放された王族も含めたいです。

4: 世界@名無史さん 2013/10/11(金) 22:13:13.45 0
イランのシャアことパーレビ国王
御自らジェット機を操縦して亡命ってカッコいいよな!

300px-Mohammad_Reza_Pahlavi


モハンマド・レザー・パフラヴィー


モハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー(1919年10月26日 - 1980年7月27日)はパフラヴィー朝イランの第2代にして最後の皇帝(シャーハンシャー、在位:1941年9月26日 - 1979年2月11日)である。父である先代の皇帝レザー・シャーの退位により即位し、「白色革命」を推進してイランの近代化を進めたが、イラン革命により失脚した。

1979年1月16日に休暇のためにイランを一時的に去ると称して皇帝専用機のボーイング727を自ら操縦し、最初の妻の出身地でもあるエジプトに皇后や側近とともに亡命した。


5: 世界@名無史さん 2013/10/11(金) 22:18:10.12 0
歴史上地位を終われた王族ってそのあとどうやって生計たててたの?
普通に就職したんだろうか?

56: 3年後の遅レスだが 2016/11/10(木) 11:08:04.60 0
>>5
ニコライ2世のいとこ、ドミトリー大公は亡命先のフランスでセールスマンやってたって

6: 世界@名無史さん 2013/10/12(土) 01:19:35.51 0
他所の王族の食客とか、勤めても御伽衆みたいな扱いなんじゃないかな?
受け入れて度量のあるとこ見せた後で鉱山でキリキリ働けよっとはならんでしょ。

10: 世界@名無史さん 2013/10/14(月) 23:42:32.96 0
百済王家かなあ

19: 世界@名無史さん 2013/10/20(日) 05:24:02.78 0
>>10
今調べたんだけど百済王家の子孫って日本に結構いるんだね
国が滅んでも血統の命脈がそこそこ広範囲で残ってるとなんだか安心してしまう

13: 世界@名無史さん 2013/10/17(木) 11:48:50.66 0
元王族で一番存在感あるのはやはりハプスブルク家だな。
オーストリアの皇帝を追われた後も、
オットーみたいにヨーロッパの政治に大きな影響を与えた人物を輩出している。

250px-Otto_Habsburg_001


オットー・フォン・ハプスブルク

オットー・フォン・ハプスブルク(1912年11月20日 - 2011年7月4日)は、最後のオーストリア皇帝カール1世と皇后ツィタの長子で、オーストリア=ハンガリー帝国(1918年に帝政廃止)の皇太子。1930年代のオーストリアにおける君主制復活運動を指導し、ナチス・ドイツのオーストリア侵略計画に対抗しようとした。

ドイツ、オーストリア、ハンガリー、クロアチアの市民権を持ち、国際汎ヨーロッパ連合の国際会長や欧州議会議員を務めるなど、汎ヨーロッパ主義的に活動した政治家でもある。第二次世界大戦中には「ドナウ連邦」の樹立を、戦後には欧州統合を提唱した


14: 世界@名無史さん 2013/10/17(木) 12:27:50.54 0
財産があれば存在感もあるだろう。

15: 世界@名無史さん 2013/10/17(木) 14:04:04.30 0
ダヴィッド・バグラチオン・ムフラニ 



David_de_Bagration


ダヴィッド・バグラチオン・ムフラニ(1976年6月24日 - )は、ジョージアの旧王室の当主・王位継承者(王位請求者)。父ホルヘ・デ・バグラチオンの死により2008年1月16日に名目上の王位を継承した。ダヴィッドは、欧州王侯家において最も歴史が古いと言われるバグラチオン王家(ムフラニ家)の次男である。

17: 世界@名無史さん 2013/10/17(木) 18:01:24.05 0
他国で活躍する例(ルパート王子など)やら王朝を打ち立てる例(バーブルなど)やら、
亡国の王族でも存在感の強い人は多いね
その反対に消息を絶っちゃう例も多いけど

18: 世界@名無史さん 2013/10/18(金) 03:15:18.55 0
愛新覚羅烏拉煕春さんって、下の名前の方は中国時代の戸籍でも登録されてた本名なの?
お父さんの名前が啓孮って中国っぽい名前だから不思議
満州族の名前ってもう康熙帝の世代くらいから、満洲語名も漢字の名前を満洲風に読んでるだけっぽい感じなんだけど
まあ乾隆帝の時代でも阿爾泰や喀爾吉善っていかにもな異民族風な名前の人もいるけど。
言語はすたれても満州語での名付けの風習って、家によっては遅くまで残ったのかな

20: 世界@名無史さん 2013/10/21(月) 01:29:17.28 0
李王家の子孫も日本に帰化してるのね

桃山虔一
http://ja.wikipedia.org/wiki/桃山虔一
>桃山 虔一(ももやま けんいち、1909年(隆熙3年)10月28日 - 1990年(平成2年)12月21日)は、日本の元公族。李王家の出身で、元の名は李鍵。弟に広島の原爆で被爆死した李鍝、異母妹に李海瑗がいる。
21: 世界@名無史さん 2013/11/05(火) 08:57:20.07 0
>>20
元やんごとなき身分の人がこういうwikiにかいてある通り苦労してるとなんともいたたまれない。
日本政府は恩給なり年金なり出さなかったのだろうか?
やっぱり王公族籍を離れた以上は一般人として扱うしかなかったのかなあ

桃山虔一

父・李堈の散財によりもともと資産が乏しく、終戦時の東京邸には5万円の現金しかなかった上、新憲法発布によって日本政府からの歳費が途絶えたため、宮内省(新憲法下で宮内府、宮内庁に改組)から内密で毎月1万円を贈られていたが、間もなくGHQに知れて送金を停止された。「陸軍将校」のため公職追放にも遭っている。このため、渋谷駅のバラック建ての一廓に3坪余のお汁粉屋「桃屋」を開業した。このほか、陸軍大学校でドイツ語の兵学教官を務めた経歴を生かしてドイツ語の翻訳業に転じたものの注文は少なく、その後は農園経営や謄写版のガリ版書き、書籍取次の栗田書店勤務など、転々と職を変えた。


24: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2014/10/12(日) 10:51:30.31 0
朱慈煥(1633-1708)
明朝最後の皇帝であった崇禎帝の五男。
天寿を全うするかと思われたが、康熙帝に「謀反はしていないが、謀反の心がこれまでなかったとは言えない」と言われて一族もろとも刑死。晩年の康熙帝は、この件に限らずおかしかったと思います。
息子がまた輪をかけて名君かつ暴君ではないが酷君でしたし。

31: 世界@名無史さん 2015/07/10(金) 20:53:26.51 0
>>24
なんか先祖のやったことが全部帰った感じしかしない
明は暗いんだよな

32: 世界@名無史さん 2015/07/10(金) 22:59:12.39 O
>>24
康煕帝には処刑後に報告されたんじゃ?

33: 世界@名無史さん 2015/07/10(金) 23:06:39.80 O
>>24
源頼朝に掛けた温情が仇になった平清盛の例もあるからな。
この例が中国でも知られてたなら…多分知られていたろう…「清盛の轍は踏むまい」と考えたほうが合理的だよ。

35: 世界@名無史さん 2015/07/10(金) 23:31:25.16 0
>>33
アホか、普通に夫差の例とかあるだろうが

36: 世界@名無史さん 2015/07/10(金) 23:44:05.89 0
>>33
夏も商も一族皆殺しじゃなかったの?戦国時代の宋は商の貴族か 
しかし、清盛は中国で言えば五代の後の宋代の人だろ 
五代以前からどこに敵の一族に温情かける大陸人がいたのか 
漢代から功労者まで粛清しまくってるし

38: 世界@名無史さん 2015/07/11(土) 00:56:27.60 0
>>36
戦国時代まで存続した杞は夏の王族の後裔
宋は商の最後の王の兄の後裔。

漢の劉氏の後裔は山陽公として西晋まで
魏の曹氏の後裔は陳留王として宋代(南朝)まで
存続していたりするな。
西晋期の宮廷では劉氏と曹氏の席次をどちらを上位に置くべきか相当悩んだとも。

大陸でも前王朝の皇族皆殺しなんてそんなに無いだろ。

26: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2014/10/13(月) 12:41:10.88 0
ふと思うこと。孫皓が降伏した相手が魏の文帝であった場合、無事に済んだでしょうか。
文帝も言い負かされて口をつぐんだりもしていますが。
意地悪はするが、みっともない報復はしないか。

29: 世界@名無史さん 2014/12/18(木) 12:59:37.46 O
ネパール…

30: 世界@名無史さん 2014/12/18(木) 13:51:32.12 0
王太子が王室メンバーを射殺してまわって自殺とか、無理がある展開w
ボウリング・フォー・コロンバインみたいな安っぽさやで

ネパール王族殺害事件

ネパール王族殺害事件は、2001年6月1日にネパールの首都カトマンズ、ナラヤンヒティ王宮で発生した事件。ディペンドラ王太子(事件直後、危篤状態のまま名目上は国王に即位し、その3日後に死亡)が父・ビレンドラ国王ら多数の王族を殺害したとされる事件である。

ただし、後述の事件に関する不自然さ、矛盾などからディペンドラが真犯人かどうかは疑問視されている。また、事件後に即位したビレンドラの弟ギャネンドラの動向などから、彼が行ったクーデターとする説もある。だが、いずれの説も決定的な証拠がなく、その真相は現在に至るまで不明なままである。


34: 世界@名無史さん 2015/07/10(金) 23:09:08.82 O
>>30
名誉ある海軍士官が「妻が見送りに出てこなかった」という意味不明な理由で自宅に油撒いて我が子を四人も焼き殺した事件があるくらいで「まさかあり得ない」と安易には決めてかかれない。

48: 世界@名無史さん 2015/10/26(月) 00:21:09.18 0
ドイツのリッペとかホルシュタインのような領邦国家の王室みたいなのも亡国の王族?

50: 世界@名無史さん 2015/12/02(水) 17:00:46.38 0
断絶した王公諸家と
女系で残存している名門と、
いづれであれ、存分に語られよ。

51: 世界@名無史さん 2016/02/24(水) 22:26:42.38 O
亡国っていうのと単に王朝が滅びてるのは違うよな。亡国は最後のグラナダ王ボアブディルのイメージだな、ドラマチック。

300px-El_rey_chico_de_Granada


ボアブディル


ボアブディル(アブー・アブドゥッラーの訛り)(1460年? - 1527年)は、ナスル朝(グラナダ王国)の最後の君主(在位:1482年 - 1483年、1487年 - 1492年)。

カトリック両王によるレコンキスタが進められる中、ボアブディルは二度もカスティーリャ軍の捕虜となり、最終的に1491年にカトリック両王にグラナダを引き渡す協定に調印した。そして翌1492年1月2日、ボアブディルはカトリック両王にアルハンブラの鍵を引き渡し、ナスル朝は滅亡した。


53: 世界@名無史さん 2016/08/07(日) 17:40:00.79 0
ローマ帝国の皇帝の末裔とかいるんだろうか
ビザンツはいるっぽいが

54: 世界@名無史さん 2016/08/07(日) 19:05:36.23 0
>>53
パライオロゴス家が現存してる

60: 世界@名無史さん 2016/11/10(木) 23:42:22.64 0
>>54 
古い家柄だけに名前の意味も「古い言葉」ってかw
初代のしゃべり方がその当時ですら古臭かったのかなw
ほかのギリシャ人はとっくに使わなくなったh音を発音してたり

55: 世界@名無史さん 2016/08/09(火) 00:41:07.02 O
ローマ貴族の末裔を称するイタリア貴族がいるから(本当かどうか知らんが)、皇帝の血もひいてるんじゃね?

ヴァンダルだかゴートだかの系図にもローマ皇帝につながってるのがあったな。これも本当かどうか知らんが。

引用元: ・亡国の王族



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