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1: 日本@名無史さん 2018/05/11(金) 23:39:27.84
武家政権の草創期、天下人の創業を支えた優れたナンバー2達がいた。
ナンバー2はトップとは異なる資質・能力を持って、組織作りに貢献した。
そんな異能のナンバー2を主軸に、組織論・部下の心得まで またーり語りましょう。

【盟友】
北条時政  佐々木道誉  前田利家

【ブレーン】
大江広元  夢窓疎石   天海

【外様】   
梶原景時  明智光秀   藤堂高虎

【筆頭】
和田義盛  高師直    井伊直政

【親族】
源義経   足利直義   豊臣秀長

【黒幕】
二条良基  千利休    茶屋四郎次郎

【重鎮】
三浦義村  斯波義将   土井利勝

【参謀】
黒田如水  本多正信 

※あくまで個人の主観です。 似たタイプを仕分けてみました。








2: 日本@名無史さん 2018/05/12(土) 00:31:39.29
信長とナポレオンにはナンバー2も参謀もブレーンもいなかった。
天才型独裁者は1人で決め、部下は全員横並び一列の駒だから。

3: 日本@名無史さん 2018/05/12(土) 03:12:49.69
しいて言えば光秀か秀吉かね

4: 日本@名無史さん 2018/05/12(土) 03:44:16.99
>>3
佐久間信盛が追放されたから後は光秀がナンバー2だな
信盛追放の理由を述べた信長の文章でも光秀、秀吉の順だし、
それから本能寺までは畿内の織田軍を統括していて、武田攻めでも、その後に予定されていた毛利攻めでも信長と一緒に動いているからね
そういえば正親町天皇の前で行われた馬揃え仕切ったのも光秀だったね

6: 日本@名無史さん 2018/05/12(土) 22:11:48.07
平清盛にはNO,2はいないのかね。強いて言えば倅の重盛か?
大河ドラマでは家人の平時貞だったな。

7: 日本@名無史さん 2018/05/12(土) 23:41:54.08
>>6
平時忠だろNo2は

8: 日本@名無史さん 2018/05/13(日) 00:57:09.19
時忠の雑魚感は半端ない。 ナンバー2という意味は官位や序列の意味ではない。
まだ頼盛ならわかる。

9: 日本@名無史さん 2018/05/13(日) 14:34:30.21
>>1の見方がわからない

10: 日本@名無史さん 2018/05/13(日) 15:23:58.57
>>9
組織におけるナンバー2というのは色々な定義づけが可能です。
肩書や序列が最も解り易い行けれど、実力やトップとの親疎(距離)によるもの、あるいは専門能力によってその組織では他に並ぶ者のない人材なども「ナンバー2」と考えられます。
3つの幕府や織豊政権において、そういったナンバー2を集め、似たような役割の人を集めてみました。実はこの表は私の思い付きではなく過去に読んだ本の中で挙げられた人達であります。他紙多彩な「ナンバー2」の面々を眺めると、 その武家政権の成り立ちや性格も浮かび上がり興味深いものがあります。

以前 BS-TBSで放映されてた「THEナンバー2」なども参考にしました。

11: 日本@名無史さん 2018/05/13(日) 15:42:59.99
解りづらいケースを2つ解説します

【ブレーン】
幕府創業者の文官ブレーンで特に、政権構想・国家構想に指導的役割を果たした人たちです。

大江広元・・・・・鎌倉幕府評定衆。文字通り幕閣、社会主義国で言えば政治局員ですな。 この人は守護地頭の設置を強く勧め、また承久の乱では逡巡する北条父子に対して幕府軍東上を強硬に主張した人でもあります。

夢窓礎石・・・・・当代随一の禅僧であるとともに尊氏の政治顧問。 室町幕府の憲法である建武式目制定の諮問に預かってますな。

天海・・・・・・・・・家康を東照大権現に神格化し、 徳川幕府の「神権政治」を築いた人です。風水にも詳しく、江戸を「霊的バリアー」で防御された都市計画を立案しました。

12: 日本@名無史さん 2018/05/13(日) 15:56:04.68
BS-TBS THEナンバー2
http://www.bs-tbs.co.jp/no2/backnumber.html

↑少し異論もあるんですけどね。 まあ参考まで。 番組は面白かったです。

【黒幕】
二条良基・・・・・足利義満のお師匠さんです。 同時に滅びかけてる北朝を立て直し、現在まで皇室(北朝天皇)を存続させた功績者です。 大分以前、月刊「歴史読本」のナンバー2特集でこの人を室町幕府のナンバー2に挙げてる人がいたので真似しました。

ま、こんな具合で仕分けたのが>>1ということで。

14: 日本@名無史さん 2018/05/13(日) 21:21:57.02
信長にも家康にもナンバー2はおらん
真性の独裁者だからな

秀吉には秀長というれっきとしたナンバー2がおったが
これは、秀吉は信長の部下としていくつもの戦線を掛け持ちしなきゃならなかったので、
留守居役がどうしても必要だった名残だろうね

17: 日本@名無史さん 2018/05/13(日) 23:34:45.11
斯波義将
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%E6%B3%A2%E7%BE%A9%E5%B0%86
この人、北条義時と少し似てるんよね。

義満のナンバー2としては細川頼之は外せないんだけど、幼少期の後見人ちゅうのは、ちょっと私の主旨からずれるのでパスしました。 
まだ弟の大納言満詮を入れたいけどこの人は影薄すぎ。豊臣秀長とは大違い。
弟繋がりで行くと保科正之はナンバー2の鉄板だけど幕府創業期でもないし、トップは幼君だし、これもアウトにしてみました。
組織の創業者、それに仕えるナンバー2。サラリーマンなら一家言ありましょう。

18: 日本@名無史さん 2018/05/14(月) 22:37:31.28
武田信玄のナンバー2は誰になるかね?  候補者が多くて決めかねる。

19: 日本@名無史さん 2018/05/14(月) 22:41:53.97
武田信繁というわかりやすいのがおるだろうが

21: 日本@名無史さん 2018/05/15(火) 00:40:00.70
では謙信は?

23: 日本@名無史さん 2018/05/15(火) 12:36:20.35
>>21
よう知らんけど、NHK的には直江景綱だな。

22: 日本@名無史さん 2018/05/15(火) 01:34:40.66
【ブレーン】
快川招喜 武井夕庵 大久保長安

【重鎮】
猪子兵助 稲葉良通

【親族】
織田信忠 津田信澄

【黒幕】
本田正信 同正純

23: 日本@名無史さん 2018/05/15(火) 12:36:20.35
>>22
小物臭がするんだが・・・・・・。  ま、その意気やよし。

24: 日本@名無史さん 2018/05/15(火) 15:34:22.58
>>22
武井夕庵のウィキを読むとこの人渋いね。大江広元と被るね。 
あまり解明されていない織田政権の一端が知れる。
猪子は重鎮ではなく【側近】だな。石田三成とか大岡忠光 加納久通あたり。
本多正純もこの系統じゃないかな?
ヒトラーとマルチン・ボルマン。最近では北朝鮮の刈り上げ君とその妹みたいな。

29: 日本@名無史さん 2018/05/17(木) 20:37:40.67
北条得宗専制・・・・平頼綱
足利尊氏政権・・・・高師直
細川京兆専制・・・・上原元秀
三好政権・・・・・・・・松永久秀

これら剛腕型ナンバー2というのは新興勢力を代表する時代の開拓者でもあるんよね。
こう眺めると、織田信長というのはナンバー1とナンバー2を兼任していた感じだね。
つまり、「信長にはナンバー2はいない。」 という事につながる。

30: 日本@名無史さん 2018/05/17(木) 21:01:16.75
誰かも書いているが、「家康にはナンバー2はいない。」「家康にはナンバー2が多すぎる。」
この2つは矛盾しているようで実は根っこの部分で同じこと言っているのだと思う。
家康も“右腕”はいないんだな。“指”ばっかりだ。
徳川四天王+本多正信でやっとこさ>>29クラスの面々と釣り合う。その分 家康にはブレーンやスタッフが多く、各人の能力を十分に見抜いた人材活用を行った。
人使いの名人としては日本史上 家康に勝る者はいないだろう。組織作りの天才の所以だね。

33: 日本@名無史さん 2018/05/22(火) 23:19:22.47
素浪人からナンバー2にまで抜擢した人物に謀反を起こされる信長って、トップとしてはダメダメだろ

34: 日本@名無史さん 2018/05/23(水) 14:18:39.59
急成長する新興企業のワンマン社長などがそうであるが、年齢。学歴などを問わず、徹底した能力主義・成果主義で人材を重職に抜擢する人事政策をとる者は、降格人事も情け容赦なく行う。織田信長と明智光秀の関係がその典型であろう。
 
明智光秀の前半生は詳らかではない。通説に従えば土岐氏庶流明智氏の出で、斎藤・若狭武田・朝倉氏家臣を経て、足利義昭の側近となり、義昭と信長の連絡役となった。その後光秀は才能を信長に認められて寵臣となり、織田家中で初の城持ち大名となる。(諸説あり)。
本能寺の変の一年前 光秀は家臣へ宛てた書状の中で信長に対する盲目的なまでの感謝と崇敬を吐露している。しかし、信長の気まぐれなのか、些細なことで不興を買った光秀は所領を召し上げられ、まだ征服していない土地を新領として与えられる。新領は自分の力で獲って来い、というわけである。

35: 日本@名無史さん 2018/05/23(水) 14:23:23.69
かつて歴史学者の高柳光寿は光秀を「近畿管領」と呼んだ。細川幽斎・筒井純系らを与力としてつけられ、近畿地方の治安責任者となったことをこう表現したわけだが、個人的にはこれは過大評価・誇張表現だと思う。
小和田哲夫も「近畿方面軍司令官」と呼んでいるが、羽柴秀吉・柴田勝家・滝川一益等は毛利や上杉などの大大名を正面攻撃する部隊司令官と同列に扱うのは少し違和感がある。
まあ、それはともかく、林・佐久間ら宿老追放後の織田家中において家臣団筆頭格にまで登り詰めた光秀が「近畿方面軍司令官」から「中国方面軍司令官補佐」に格下げされたことは先の所領没収と合わせて、光秀にとっては精神的に相当きつかったと思う。
新参者同士で良きライバルであった秀吉の幕下というのも複雑である。 
日大のアメフト選手ではないが、光秀の“追い詰められ感”は後世の我々にも容易に想像できる。
光秀の信長への想いは、一年前の盲目的な忠誠から自分の生存を脅かすものとなり、排除の対象となった。光秀の心の動きがこういう流れであったとすれば、上司信長の人心管理術が根本的に間違っていたのではないか?

NHK大河ドラマ「信長」では最終回のラストで疲れ切った光秀が「これでやっと眠れる」と呟いていた。 このシーンを書いた脚本家の光秀観に納得した。

37: 日本@名無史さん 2018/05/24(木) 21:08:07.87
光秀の家臣には幕府の旧奉公衆が何人かいた。光秀自身が奉公衆明智氏の出とも言われている。また、一説によると本能寺の変後、朝廷より征夷大将軍補任の口宣があったとのこと。(今はあまり聞かないが、昭和後期は定説みたいになってた)
明智幕府というのもなんかワクテカ

38: 日本@名無史さん 2018/05/24(木) 21:21:24.83
明智幕府ってさ
後継者がいない
譜代の家臣もいない
豊臣と同じで維持できないじゃないか

41: 日本@名無史さん 2018/05/25(金) 21:19:03.68
>>38
明智秀満
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%E6%BA%E7%A7%E6%BA%80

有能なナンバー2の資質として挙げておきたい点は、「場合によってはトップに異論・苦言を言えること」である。これが出来るナンバー2がいない組織はイエスマンばかりで、トップが間違った判断をした時に修正を行う装置が無い欠陥を抱え込むことになる。
上記ウィキペディアに見る逸話を読むと、明智秀満は親分にズケズケと諫言する熱血漢である。斎藤利三と並ぶ明智家の重臣であり、男子のいない光秀の後継者に成り得る立場でもある。 
琵琶湖を馬で渡る、など虚実相い交じったエピソードを持つ人物なので、次期大河ドラマ「麒麟がくる」でも出番が多そうだ。

42: 日本@名無史さん 2018/05/25(金) 23:02:22.78
>>1の中で北条時政は【盟友】ではなく【親族】だな。兄弟と違うけど。
というか、時政をナンバー2になったのは頼朝時代ではなく実朝時代。
実朝は傀儡将軍なので実質ナンバー1とも言える。

45: 日本@名無史さん 2018/05/26(土) 23:07:16.44
日本史上最強のナンバー2は豊臣時代の徳川家康

46: 日本@名無史さん 2018/05/27(日) 11:04:28.29
秀吉は家康を牽制する対抗馬として弟秀長を抜擢し、官位や石高で家康に並ばせた。
秀長没後は竹馬の友である利家を重用、これまた秀長の代わりに持ってきた。
豊臣政権の不幸は、将来の家康台頭を予見して 抜擢した2人が予想より早く没したことである。
これは蒲生氏郷にも言える。
野心家のナンバー2を掣肘する役目を負っていたナンバー3の不在が家康の幸運。

48: 日本@名無史さん 2018/05/27(日) 18:56:52.29
>>46
利家も秀長も家康より年上だ
家康よりも先に死ぬことが予見できなかったわけではないだろ

秀吉の失策は徳川を善人に見すぎたことにある
秀頼の叔母である江を自分の養女にして徳川秀忠に嫁がせ徳川秀忠に秀頼の後見人になってもらおうとした
利家や秀長に期待していたなら自分の養女はそっちへ嫁がせなければならなかった

結局、秀頼の叔母が徳川に嫁いでいようが秀頼は叔母の夫であり正室の父である徳川に殺されてしまったが

51: 日本@名無史さん 2018/05/27(日) 21:14:56.30
>>48
秀吉が晩年に設けた五大老は幼君を支えるための集団指導体制であるが、この中でも徳川家康がダントツの実力者であるので、秀吉没後そう遠くない時期に崩れることは、秀吉は予見していたんだと思う。制度論としての五大老は家康VS四大老という構造を本質的に有している。
前田利家亡き後、その跡を継いだ利長が家康の最初の標的となり敢え無く陥落、次の標的は会津の上杉景勝となった。このあと、五大老は徳川・前田VS毛利・上杉・宇喜多と分裂するわけだが、「四大老は家康の押さえ役」という秀吉の裏構想はまあ機能したと言える。
従来、毛利輝元は安国寺恵瓊や石田三成に説得され西軍総大将に祭り上げられた凡将の見方が多い。しかし近年では「毛利輝元は意外に積極的だった」という見方がなされている。小田原征伐時、輝元は秀吉より聚楽第留守居役を仰せつかり、「この城を輝元に預け、皆は輝元を天下殿と思え」という秀吉の言葉も残っている。 
小早川隆景在世中の話だが、秀吉は「東国は徳川、西国は毛利の仕置に任せる」と言ったことがあり、輝元はその時の感激を書状にして隆景に送っている。
三成の決起後、家康の留守居を追い出して大坂城西の丸に収まった毛利輝元が浅野長政を除く四奉行を従えて秀頼を奉戴する姿は、秀吉の描いた未来予想図どおりではなかったか。

54: 日本@名無史さん 2018/05/28(月) 19:12:38.02
>>51
秀吉が家康に天下を取られることを生前から見越していたなら朝鮮出兵で投入した全兵力と全財産を掛け全大名に命じて徳川を潰したらよかったじゃん
秀吉存命中ならできたと思うぞ

違うだろ
家康は秀吉の妹旭姫を娶り秀吉の生前は
「私こそは太閤様の義弟」「私がいる限りは義兄上さまに甲冑を着させません。私になんでもお命じください」と豊臣家一門のような顔をしていたんだよ
秀吉はすっかり騙された

61: 日本@名無史さん 2018/05/30(水) 03:05:59.12
立花道雪

62: 日本@名無史さん 2018/05/30(水) 20:04:15.45
立花道雪は大友宗麟の家臣にしておくのはもったいない人物だ。 主君と家臣が逆だったらよかったのに。
宗麟は凡将ではなかったが、晩年の凋落がすさまじい。

65: 日本@名無史さん 2018/05/30(水) 21:49:02.50
大友宗麟も名将の部類に入ると思うが、道雪や高橋紹運などの優秀な家臣団に恵まれれたところが大きい。
最盛期には8カ国の太守となり、天下をも射程圏に入れる立場になった。 しかし、結果はご覧のとおり。
息子に家督を譲ったとはいえ、家運がダダ下がりの中でキリスト教にのめり込む宗麟の姿を立花道雪はどう見てたんだろうか? 

66: 日本@名無史さん 2018/05/30(水) 21:49:43.28
道雪って宗茂時代よりも小さい領主だったよな

67: 日本@名無史さん 2018/05/30(水) 23:44:58.49
>>66
領地の多寡にかかわらず、家臣がどんどん離反していく主家に留まり、老体に鞭打って最後まで忠義を尽くす道雪の人生哲学がいいんだよ。
「武士は二君にまみえず」というのは平和な江戸時代の「あるべき武士像」であって、源平合戦の頃より、武士は主君をころころ替えるのが当たり前だった。
道雪の同僚 高橋鑑種は毛利元就のヘッドハンティングを受けて大友家を離れようとした。
別に俺は宗茂オタではないが、立花道雪の薫陶と名将高橋紹運のDNAが、戦国武将の“完成形”である立花宗茂(ちょっと盛ってみましたw)を生み出したと思う。

立花道雪は知略・実戦に優れ、文化面にも心得がある。 戦国武将としては最高クラスの武将だよ。


81: 日本@名無史さん 2018/06/08(金) 21:05:35.88
<ウィキペディアから一部引用>
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは、その直前に徳川家康から法外な恩賞を約束に東軍に付くように誘われたが、宗茂は「秀吉公の恩義を忘れて東軍側に付くのなら、命を絶った方が良い」と言い拒絶した。
家中でも重臣・薦野増時は西軍に勝ち目なしと東軍への味方を進言したが、「勝敗に拘らず」と増時を留守に残し西軍に参加した。
そして石田三成率いる西軍に属し、伊勢方面に進出する。

・・・・・・・関ヶ原から大坂城に逃げ帰った宗茂は籠城・徹底抗戦を毛利輝元に進言したが、吉川広家の「家康は毛利家を不問に付す」という話を信じてこれを却下してる。
んで、柳川に逐電した宗茂は改易と。じゃが、「勝ち組」広家と「負け組」宗茂はしばらくして立場が逆転する。  
人生何が起こるか、わからんね。


88: 日本@名無史さん 2018/06/09(土) 16:36:21.46
立花が徳川政権のナンバー2はあり得ないだろ
築城家で大坂の陣の先鋒で和子入内に汗をかいた藤堂にはまったく及ばない
本拠地の場所や石高の差がそれを証明している

89: 日本@名無史さん 2018/06/09(土) 17:42:57.93
順当に秀忠は土井利勝、家光は松平信綱だろうな

91: 日本@名無史さん 2018/06/09(土) 21:12:58.92
>>89
家光は酒井忠勝じゃないかな
家綱なら知恵伊豆か保科正之か

92: 日本@名無史さん 2018/06/09(土) 22:32:55.05
通のおススメは松平忠明

93: 日本@名無史さん 2018/06/10(日) 20:35:47.67
松平忠昭は家康の外孫であると同時に養子になっている。
家格は譜代大名だが、実質的には親藩大名であり、“弟”である御三家の藩祖たちより20歳程の年齢差を考えれば、家康死後の秀忠体制下での松平忠昭は徳川一族の最長老ということになろうか。
大坂夏の陣後、家康の特命で忠明は大坂藩主となり、戦災で灰塵に帰した大坂の再建にあたることになった。 家康がこの大役に忠明を抜擢したのは単に自分の孫だからという理由ではあるまい。実際に忠明は大坂の復興と市街地拡大に手腕を発揮し、後世に「水都大阪」と呼ばれる基礎を作った。
 松平忠明は豊臣秀吉・五代友厚と並ぶ大阪建設の偉人として再評価されつつある。また二代将軍秀忠は死の間際に忠明を井伊直孝と共に大政参与(家光の後見人)に任じた。
松平忠明は石高・官位において御三家の下風に立つが、年齢・経綸に加えて幕政においても事実上の徳川一門筆頭となった。

95: 日本@名無史さん 2018/06/10(日) 22:08:00.92
松平忠明は大坂の陣に参加した親族衆で、忠直・忠輝が改易された結果、唯一の存在になったからな

121: 日本@名無史さん 2018/06/12(火) 21:12:20.71
頼朝のナンバー2って北条時政?義時?大江広元?

122: 日本@名無史さん 2018/06/12(火) 21:46:54.83
強いて言うなら梶原景時

124: 日本@名無史さん 2018/06/12(火) 22:03:51.85
>>122
一の郎党、と称されたようだからいいと思う

125: 日本@名無史さん 2018/06/12(火) 22:40:37.32
しかし総スカンな状況はいかがなものかね
もっと上手く立ち回れなかったのか

127: 日本@名無史さん 2018/06/13(水) 15:32:01.61
中途入社組が出世するにはプロパーとは違う方法でトップに認めてもらうしかない。
同僚の欠点や不正を社長に報告する梶原は頼朝にとっては貴重な目であり耳だった。
こういう人物をナンバー2に抜擢するのもけだし当然であり、梶原もそこを見越しての行動だろう。

128: 日本@名無史さん 2018/06/14(木) 01:22:17.28
狡兎死して走狗良狗烹らるの典型に思えてならん

129: 日本@名無史さん 2018/06/14(木) 11:01:03.48
木曽義仲政権のナンバー2は樋口兼光になるかな?

130: 日本@名無史さん 2018/06/15(金) 04:12:08.79
巴御前

131: 日本@名無史さん 2018/06/15(金) 12:25:52.93
樋口今井はニコイチ
72: 日本@名無史さん 2018/06/02(土) 21:11:53.42
豊臣秀吉ーー黒田如水コンビが最強でしょ

73: 日本@名無史さん 2018/06/02(土) 22:04:51.42
軍事だけじゃ治まらない

74: 日本@名無史さん 2018/06/03(日) 01:06:25.06
なら、徳川家康ーー天海コンビが最強

141: 日本@名無史さん 2018/07/03(火) 22:27:53.86
城普請で大活躍した高虎
駿府城大手門前に屋敷を構えた高虎
大坂の陣で先鋒をつとめた高虎
和子入内に奔走した高虎

147: 日本@名無史さん 2018/07/05(木) 22:58:07.61
>>141
歴史学者の桑田忠親の評価では大した武功はなかったとのこと。
軍人ではなく、政治家・テクノクラートとして出世した武士なのかな。

142: 日本@名無史さん 2018/07/04(水) 11:13:59.01
高虎はもとは豊臣秀長の家老だろ
外様で32万石って特別多いわけではない
関ケ原で家康に恩を売った豊臣恩顧の外様でもっともらったのはいくらでもいるから

143: 日本@名無史さん 2018/07/04(水) 22:47:21.56
関ヶ原の論功行賞で8万石→20万石になった。 単純に考えると20→32万石への増加分は徳川幕府への忠勤に対するご褒美ということになる。しかも、他の大名は増封の代わりに遠隔地へ飛ばされている。
これに対し高虎は関西の要地を与えられているので幕府の信任の度合いが違う。家格も「願譜代」だし。井伊家が表の譜代筆頭なら、藤堂は裏の譜代筆頭と言えるかも。

144: 日本@名無史さん 2018/07/05(木) 14:49:58.13
譜代筆頭は酒井氏

徳川家と姻戚なら一代に限り譜代格の家はたくさんあるし高虎の特別待遇ではない
「願譜代」筆頭は前田家で、次いで池田家

145: 日本@名無史さん 2018/07/05(木) 20:30:59.65
それは家レベルの話だな
高虎は人レベルで特別待遇されたよ

148: 日本@名無史さん 2018/07/06(金) 12:02:11.37
>>145
藤堂高虎は大老にも老中にもなれていないのだし
天下人のナンバー2というには役不足、過大評価

149: 日本@名無史さん 2018/07/06(金) 12:25:15.70
本多正信も老中にはなってない
土井利勝も大老にはなってない

150: 日本@名無史さん 2018/07/06(金) 15:43:07.60
>>149
そのあたりもナンバー2じゃないだろ

初期は崇伝だの天海だの家康側近の怪僧が牛耳ってて大老も老中も置かれていないし

156: 日本@名無史さん 2018/07/07(土) 23:44:23.27
関ヶ原関係のドラマや映画では、本多正信が家康のナンバー2として描かれることが多い。

引用元: ・天下人のナンバー2を語ろう



日本史 THE ナンバー2  歴史を動かした陰の主役たち
BS‐TBS『THE ナンバー2』制作チーム
河出書房新社
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