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1: 2月22日は猫の日 04/02/22 22:51
可愛い猫ちゃんの歴史を語りましょう♪








123: ピタゴラス 04/03/07 23:53
☆「ネコ」の歴史☆
広義ではネコは、哺乳綱食肉目ネコ科に属すチータ属、ヒョウ属、ネコ属の3つを動物学上ではいいます。狭義のネコとは「イエネコ」を指していいます。
このイエネコは、ネコ属のリビアヤマネコが家畜化されたものと考えられています。
リビアヤマネコとは、インドやアラビア半島、小アジア、アフリカの半砂漠地帯から熱帯雨林地帯にかけてさまざまな環境の中で暮らしているネコで、妊娠の期間はおよそ56~60日、一回の出産で1~5匹を産みます。

ネコの歴史は今から4000~5000万年前にスタートします。
他の食肉類と同じ先祖であるミアキスから進化したといいます。その進化の過程で4つのグループに分かれました。
1:ホプロポネウス亜科、
2:マカイロダス亜科、
3:ニムラブス亜科、
4:ネコ亜科
と分かれ、それが1500万年前のことです。
それ以降、ネコはほとんどその姿を変えることなく現在に至った珍しい哺乳類です。
リビアヤマネコが家畜化されイエネコになったというその根拠は、このリビアヤマネコだけがイエネコと頭がい骨の形が類似している為です。
また、イエネコの腎臓は濃縮した尿を作り出しますが、これは僅かな水分を効率よく使うのに適していて、祖先が水の乏しい乾燥した砂漠地帯にいた事を暗示しています。
現在のイエネコの中ではアビシニアがリビアヤマネコに似ているそうです。

143: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/08 23:41
>>123
広義のネコと狭義のネコといえば大体こんな感じで
欧米の「cat」>日本の「猫」

仏教の伝来以前に、日本の縄文時代の地層からネコの骨が出土しているので野生のネコはいたんでしょう。

文学・音楽史系なら、モンマルトルのキャバレー「黒猫」
サティがピアノを弾いて生計を立てていた。

ローレライの近くにあるカッツェンエルンボーゲン伯爵が築城した城。
通称(略称)はカッツ(ネコ)城という。

146: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/03/08 23:55
>>143
確か縄文時代の早期にはまだオオヤマネコがいた筈。
日本にいる野生の山猫はイリオモテヤマネコとツシマヤマネコ(ベンガルヤマネコの亜種)。
どちらも(特に前者は)原始的な種類だとか。
ただ本土の山間部と日本海や太平洋に浮かぶ島々には「山猫」に関する妖怪伝説があり、島にいない狐狸の代わりに怪異を引き起こす役目を負っている。

124: ピタゴラス 04/03/07 23:54
☆古代エジプト編☆ 
古くは紀元前5000年頃のイェリコ遺跡ですでにネコの遺体が発見されていますが、これは野生のものらしく、家畜として最初に目をつけたのが古代エジプト人でした。
第18(あるいは第19か?)のメリメリの墳墓から発掘された大理石の石碑に、女性の膝の上に乗っているネコの絵が彫られていますが、これは恐らくイエネコと思われます。
また遡って第6王朝アメンホテプ1世の一人の廷臣の母は「ネコちゃん」というニックネームがついていたそうです。

その古代エジプトでは、ネコはその瞳が太陽の東から西へと動くのに従って動くもの(瞳孔の大きさの変化の事)と考えていました。そして、夜に闇でも見れるのは、夜に太陽がネコの目を通して下界を見るためという発想になっていったのです。
こうしてネコは神格化され遂に、女神バテストが誕生しました。
時代は下り、紀元前1世紀のローマ占領下のエジプトでは、シチリア人のディオドロスの記録によると、戦車でネコをひき殺してしまった兵士が怒った民衆から石を投げられたとあります。
またヘロドトスの『歴史』では、飼い猫が死んだ場合にはエジプトの人々は、悲しみを表す為に眉を剃って、手厚く葬る為にバテスト神の信仰の総本山、ブバスティスの町まで出かけたといいます。
また、モーゼを追って紅海まで来るも失敗に終わったギリシア人のガステロスの子孫、ファーガス1世はイギリスの一部を支配下に置きました。その支配した土地を自分の曽祖父の名前であるスコタ(Scota)にちなんで、スコットランドと命名しました。更にそのスコットランドにエジプトの女神パシュト(Pascht)の象徴であるネコを伝えたといいます。スコットランドでネコの事を「pussy」と呼んでいるのはここから来ています。
 
発掘に関わる事では、1890年にイギリスの探検家がベニ・ハッサンでネコのミイラを発見しました。その数は30万体に及びます。更にアドビスでは、1921年から22年にかけて考古学者のフリンダー・ベトリが発掘した所、小さな墳墓を発見しました。 そこには17匹のネコの遺体が見つかり、一体一体の前には恐らく牛乳を入れたと思われる「ツボ」も並んでいました。

125: ピタゴラス 04/03/07 23:55
☆ヨーロッパ編☆ 
古代エジプトで神聖化されていたネコは、当然国外に持ち出すことは禁止されていました。しかし、これを破ったのがフェニキアの商人たちでした。密輸による暴利を夢見て実行に移したのです。
当時、まだ飼い猫の習慣のなかったヨーロッパでは当初、害獣を退治してくれる動物として大事にされていましたが、ヨーロッパに広く浸透するにつれて変わった習慣も生まれました。例えば、建物をより堅固にするためにネコを生きたまま埋め込むとよいといったものでした。また、疫病や災難から身を守る為に、ネコが火あぶりされたりもしましたが、いずれにおいてもまだこの段階ではネコを高く評価していたからこういう事がなされたといえます。
 
しかし、15世紀の終わりにはその立場は逆転します。
そのプロローグとして魔女狩りを当時の宗教権力者が実行し、その魔女といつもいっしょにいたであろうとされたネコが「悪魔」のレッテルを貼られて火あぶりなどの対象になったのです。この行為は18世紀頃まで続きました。
ですが、その後立場はまた逆転します。東方からやって来たドブネズミが、土着のクマネズミを駆逐しました。そのドブネズミをやっつけてくれたのが「悪魔」のネコでした。
また、近代合理主義の発達によって科学や医学も進展した中、パストゥールが病気の原因が一般的に、細菌によるものでそれが体内に入り発病すると発表してからは、これまで平気で触っていたイヌやウマなどが敬遠されて、逆に清潔を旨とするネコが愛着される対象になったのです。


126: ピタゴラス 04/03/07 23:56
☆東洋編☆ 
では、東洋ではどうでしょうか。日本にはインド⇒中国⇒日本というような経路で来たようですが、元のインドにはどうやって来たかがはっきりとしていません。
現在考えられるのは1:ナイル上流域からシリア、ペルシャ経由、2:紅海からアラビア海に出る商船航路、などです。またこういう考えとは別に、東洋で独自にジャングルキャットというイエネコの近種が、インドでイエネコの起源になったという説も出ています。
  
インドでは、マヌ法典に初めてネコの記載が見えます。これより古いヴェーダや釈迦の涅槃図には一切ネコは出ていません。因みに涅槃図でネコの絵が描かれている物は日本で後年作られたものです。
マヌ法典ではネコをあまりいいようには扱っていません。
「ネコのように振舞う者には、口頭の挨拶すら敬意を払うべからず」
「水すら与えるべからず」・・・・・・・。
そして、中国へは仏教伝来とともに入ってきたようです。理由は仏典をネズミの害から守る為というわけです。
  
日本には同様に仏教伝来と共に伝わったといいます。
日本では飼い猫の記録が初めて登場するのが宇多天皇の日記(889年2月6日)で、天皇は先の光孝天皇より唐渡来の黒猫を賜り5年に亘って大切に育てたといいます。
日記にはその事がくわしく書かれているそうです。
また、一条天皇もこよなくネコを愛した人物でした。
宮中で子猫が生まれたときなどは人と同じように育てました。貴族や皇族がするような儀式をその子猫に対して行なったり、また五位を授け「命婦のおもと」という名前を付けたといいます。【『枕草子』『小右記』】
その一方で、藤原清廉は大のネコ嫌いで知られていました。
彼は金を持っていながらちっとも年貢を納めず、困り果てた国司の藤原輔公はネコを使って清廉に年貢を出すように迫り、遂に納めるという約束を書いた証文を手にする事ができたという事です。【~猫恐の大夫~『今昔物語』より】


127: ピタゴラス 04/03/07 23:57
☆おまけ☆
最後に古代エジプト絡みで、ギザにあってその場にいる者に睨みをきかせているスフィンクスですが、このスフィンクスという名前のついたネコがいます。
1966年にカナダで生まれたこの種のネコは、毛がないのが最大の特徴です。
また、ネコにつき物のの「ノミ」にはクフ、カフラー、クレオパトラといった歴代のファラオの名前が学名になっているものもあります。

134: 世界@名無史さん 04/03/08 22:00
エジプトの新王朝だったかに、「ネコ2世」って王様がいた

136: 世界@名無史さん 04/03/08 22:38
>>134
アフリカ大陸周回航海のパトロンですね。

141: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/08 23:34
魔女との関連は、猫の行動や習性などが魔女と結びつきやすいんでしょうね。

1200年頃の『修道女戒律(Ancrene Riwle)』では、 意地悪な人の意味で使用しているから、この時代に既にそのイメージがあるんでしょう。

真っ暗な中でも行動(狩り)できる「闇に属す」生き物。

動物学的にはどうなのか詳しくないのでよく分かりませんが、こんなのも関連かな?

猫が夜に一箇所に集まる「猫の集会」テリトリーを共有する猫同士がお互いの匂いを交換し合って確認するためだともいわれる。魔女に会いに行っている様に思える。

嗅覚と味覚の中間の働きをなし、しばしば第六感と解釈される能力を猫たちに与える「ヤコブソン器官」の影響。そんなにすごいもんじゃないという話もあるのだろうけど。

142: 世界@名無史さん 04/03/08 23:37
豹に跨ったり、ライオンの戦車に乗ったりといった
猫科の猛獣と関係深い女神は、古代オリエント方面に数多く見られる

147: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/09 00:03
>>142
なるほど、オリエント弱いんで……。

北欧神話では、犬と猫が追いまわしていると暴風雨が起きるとされている。
英語のto rain cats and dogsと関連しているのだろうか?

148: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/03/09 00:11
ライオンとオリエント・・・イシュタルとか?
>>147
スレ違いですが、北欧神話の戦車(?)といえばトールが山羊に引かせたものがありましたね(ロキとの旅行にも使っていたようですが)。雷音を車輪の音とした例は珍しくない・・・というのはさておき、ドイツあたりには老人や狼を雷の精(兼穀霊)とする信仰がありました。
北欧神話とは別に害獣対策(日本の狐同様)から生まれた信仰かもしれませんが。

144: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/03/08 23:41
猫と鼠云々は十二支に動物が当て嵌められてから出来た話でしょうが、既出の通り日本の涅槃絵には猫が描かれているものがあります。
兜卒天から降りて来られた摩耶夫人が釈尊に薬を投げられたところ、木の枝にひっかかってしまったので鼠が取りに行った。ところが猫が鼠を追いまわしてしまい、その間に釈尊の入滅がなってしまったので十二支の選から漏れたというもの。
そんな訳で涅槃絵に猫が登場する場合には大抵この場面における悪役として扱われているのですが、中には可愛そうだというので普通に哀悼の意を表した猫が描かれている例もあります。 なお猫が鼠を追いまわすという事の始まりを記した民話は色々あるようですが、東欧には「昔猫が犬から預かっていた証文を鼠がかじってしまった。それ以来猫は鼠を、犬は猫を追いまわしている」というものがあります。

151: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/03/09 00:24
北欧神話と猫で思い出しましたが、「猫の足跡・女の髭・山の根っこ・魚の息」などでフェンリルを縛る縄をつくったからこれらのものが見つからないという話がありましたね。
割と早い時期に伝来していたのでしょうか。
(余談ながら、『西遊記』にも魚のためいきなどの無茶な材料でつくる薬がある。)

152: 世界@名無史さん 04/03/09 01:29
>>151
俺の聞いた話だと、逆に「どこにも見つからないもの」で作ったからフェンリルが縄を切れなかったということになってたんだけど。

153: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/09 01:43
「猫の塔」のお話
フルトの大修道院長・大司教ハットオが小麦を買い占めた。大飢饉で領民がパンを求めると、とらえて穀物倉に閉じこめて火をつけた。叫び声がきこえると「ネズミがちゅうちゅう鳴いているのかな?」とうそぶいた。ところが、突然、倉から無数のネズミが大量発生した。ハットオはマインツの町を逃れ、ビンゲンに
逃げ込んだ。
市壁を乗り越えてネズミが町に入り込んだ。ハットオはライン河の中洲に塔を建てさせ逃げ込んだ。ネズミは塔によじ登り、地下牢に逃げ込んだ大司教を食い殺した(ユゴー 『ライン河幻想紀行』)。

154: 世界@名無史さん 04/03/09 02:41
>>153
まて、それはネズミの塔じゃないのか?

160: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/10 00:25
>>154
そうです、「ネズミの塔」でしたということで今度こそ猫のお話。

「長靴をはいた猫」のお話
「グリム童話」や「ペローの童話」などに登場するお話。
粉屋が3人の息子に遺産を残した。長男は粉ひき場を、次男はロバを、三男は猫を相続した。猫が人間の言葉を喋り、長靴を一足作ってくれれば悪いことにはならないと言い出す。三男は要求を満たして長靴を作ってあげた。猫は獲物を捕らえ王に献上し、自分の主人である侯爵(伯爵)からだと伝えた。王が行幸する情報を手に入れた猫は、その途上で水浴をしているように仕向け、脱ぎすてられた衣装を隠して、盗まれた様に見せかけ王から衣装を頂いた。やがて王女に気に入られる。馬車に同乗し、猫は先回りして行く先々の農民に自分たちの領主の名を聞かれたら侯爵(三男)の名を言うように脅した。
王は大地主と勘違いした。猫は、人食い鬼の城へいき魔法の力をほめそやし、ライオンに
化けさせた後、鼠になってもらい、すかさず食べてしまう。そしてこの城を乗っ取ってしまう。
やがて、三男は王女と結婚が成立し、猫は大貴族(宰相)となった。

192: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/12 00:44
「イギリスでは、動物虐待防止協会ができたのは1824年のことだが、国立児童保護協会が創立されたのは1884年である」とどっかの旅行ガイドに書いてあった。

196: 世界@名無史さん 04/03/12 22:07
>>192
ヨーロッパで,
「子どもが発見された」のは比較的近代のことである
ということは
教育学・社会学では比較的常識の部類。

ためしに「子どもの発見」でググってみてみ。

217: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/14 21:31
>>196の内容だけど、
「人間の子供の保護の方が遅いので面白い」ということではなく、 歴史を少し勉強すると「子どもの発見」が念頭にあるから「遅い」のは当たり前と考える傾向がありがちだが、しいていえば「動物の発見」とでもいえるような概念も比較的近代に入ってからではないだろうかとして推論すると、「子どもの発見」が「人間の子供の保護の方が遅い」の答えにならなそうだ。
そう考えると単純にはいかないねといった内容が読み取れるかなと思ったんだけど。

でもよく考えると、前提である「子どもの発見」は比較的近代のことであるというのも微妙なんですが。

219: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/14 21:46
1789年のフランス革命前におこなわれた「鳴き声演奏会」
頭だけだした20匹の猫がチェンバロの上に置かれて、その楽器を弾くと、とがった刃が猫のしっぽにあたり、悲鳴で鳴く。猫はそれぞれの音の高さにあわせてあるので、演奏家はこれを利用して音楽を奏でたという。

225: あやめ 04/03/15 09:55
>>219
江戸時代に香具師が猫の後ろ足を布で包んで上体を天井から吊るす、鉄板を熱して猫の後ろ足を載せ、三味線を弾いて「猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが、猫が絞りの浴衣で来るものか」という唄を唄う。猫は熱いもんだから足を交互に上げる。このように訓練した猫は猫じゃじゃを弾くと条件反射で踊りだす。
香具師はこれを見世物に使った。という怪しげな話を読んだ記憶があります。

238: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/17 20:47
>>225
>怪しげな話を読んだ記憶があります。


最後の部分に踊りを憶えた猫は化け猫になるというのでこれが本当の怪しげな(猫の)話、というのを付け加えましょう(笑)

「聖ヨハネ祭」(夏至の祭り)では、木に吊した袋や樽に猫(ときには狐などの場合もある)を沢山入れて炎に焼かれて鳴きあばれる様子をたのしんだという。(のちの)ルイ13世は1604年に「火刑に処されようとしていた猫たちを赦免させた(エロアール『日記』)」という。17世紀中頃にはこの祭での猫の犠牲は無くなっていったらしい。

マホメットの上着の垂れ袖の上で猫がまどろんで、いかにも瞑想しているようだったので、マホメットは祈祷の時間がせまっていたが猫を起こすのには忍びなく、袖のほうを切った。
祈祷から戻ると猫は目覚め敬意を示し、マホメットはこの猫の気持ちを理解し、背を丸めたこの猫に特別扱いをしてあげたという。

241: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/03/18 00:49
>>238
ムハンマドに似た話が詩人のイエイツにもあったようです。もっともこちら
は猫が霊的に危険な状態にあるとかいう理由で切ったものだったようですが。
>>238
猿に灯火を持つように仕込んだという話は史上多いようですが、猫とは・・・。

321: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/06/01 23:14
>>238
>「聖ヨハネ祭」(夏至の祭り)では、木に吊した袋や樽に猫

現在でもこれの名残が残っていて、例えばデンマークのファステラウン(Fastelavn)と呼ばれている行事がある。
復活祭の前に、公園や広場などで切り絵を貼った木の樽を橫木に吊るし、これを仮装した子どもたちが棍棒を手にしてかわるがわる叩き、やがて、樽が壊れて中からお菓子や果物(オレンジなど)が転がり出る。
運良く叩き壊した子どもは「猫の王kattekonge(猫の女王kattedronning)」 と呼ばれ、金色の紙でできた王冠が与えられる。

230: あやめ 04/03/15 23:00
江戸時代の牢屋では火事という言葉が禁句で「赤猫」が出たと言ってたそうです。

236: あやめ 04/03/17 15:48
>>230
「赤猫」という隠語をどこで知ったか考えあぐねていましたが今おもい出しました。
安政四年に公儀の天文方役人の藤岡藤十郎と野州無宿の富蔵が共謀して、千代田城の御金蔵に忍び込み四千両の大金を盗み出し、発覚した末に小塚原で処刑されます。
この事件は幕末に「花街模様薊色縫」(さともようあざみのいろぬい) 普通には「十六夜清心」で通っている芝居に、白浪作者の河竹黙阿弥が脚色しましたが、明治になって幕府に対する禁忌が無くなって実名で上演されたのが「四千両小判梅葉」です。
この時は黙阿弥と富蔵役の五代目の菊五郎が直接に、旧幕時代に傳馬町の大牢を経験した古老を尋ねて取材したそうです。そこで犯人両名が御用弁になって入牢中の様子をリアルに再現し、一般には未知の世界なので大評判を取りました。
この初演の最中に芝居の掛かっていた千歳座の近所に失火があったので、客席が騒然としたところ、鎮火の耳打ちを受けた菊五郎が早速の機転で「赤猫は引っ込んだそうでございます」と牢名主役に言ったとのことで、取材の成果が活かされたとのことです。この話は六代目菊五郎の芸談で読んだように記憶します。

233: あやめ 04/03/17 12:28
落語に「猫の皿」という噺があります。骨董屋が掘出物を求めて田舎回りをする。
ふと腰を掛けた茶店で足元に目をやると猫が餌を食べている。空になった皿を眺めはっと商売勘が閃く。草鞋の緒を締めなおす振りをして皿をつくづくと改めると案に違わず赤絵の名物。「本物の値打ちを知らねえってのは恐ろしい、茶店の爺をごまかして皿をせしめてやろう」と腹を決めるが、ストレートに切り出すと親爺も気が付くかも知れないと考えて、「とっつぁん、いい猫だな鼠を捕りそうだ、俺は江戸で道具屋をしているが鼠が商売物を齧りゃがっていけねえ、この猫を譲っちゃくれめえか」と五百文を提示する。
下女の給金十日分と張り込み二つ返事と思いの外「いんにゃ、目の明かねえうちから育てた奴だで売るわけにゃぁなんねえ」ならばと倍増させて「一貫出すがどうだね」それでも首を縦に振らない。
骨董屋も慾と意地で吊り上げた末とうとう駄猫に一両の値を付けて成約。しかし皿は安くても三十両は堅いところ、うまく売れば五十両にはなると胸のうちはシメシメと、何食わぬ顔で金を渡して猫を受け取り、さて「ところで手に直に餌を乗せて食わせるってわけにもいかねえ、序でってのも何だが皿を貰っていくぜ」と何気なく取り上げようとすると「皿まで売ったわけじゃねえ、置いていかっせえ」「これさ意固地を張らねえもんだ、猫が舐めてた皿を取っておいてどうしなさる」「そこへ出しておくと別の猫がまた一両で売れるだよ」

234: あやめ 04/03/17 12:29
この噺の類話が唐宋の説部に屡見するということで江戸っ子学者の石田幹之助さんが「胡人採寶譚」というタイトルで2編の研究ノート風の文章を書いています。たしか「長安の春」に収録されていたと記憶します。今回その内容を紹介しようと思って叔父の書庫を探したんですが見当たりませんでした。
プロットの基本は長安の町のある商人が何の奇もないような代物を安値で売り渡した後に、胡賈が現れ「こちらにしかじかの物があると聞き及び買受に参った」との申出、「たった先刻に売り渡してしまいました」との答えに「あれは稀代の珍宝ではるばる 尋ねてきたのに実に残念だ」と地団駄を踏むので、「いかほどでお求めになる心算であったか」と問うと途方もない重価を示したので、今度は長安の商人が地団駄を踏むといった説話です。
「長安の春」は平凡社の「東洋文庫」に入ってたと思います。お持ちの方お確かめください。

235: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/03/17 13:11
>>234
朝鮮だとシナの商人、日本だとシナかオランダの商人が買いに来たという話になっていますね。買うものは皿だったり中で魚が泳いでいる石だったり酒の精だったりと色々。

239: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/17 21:00
ソロモン王は食堂で猫をろうそくを掲げて立っているように仕込んだという(どうやって?)。
マルコルフという廷臣がある晩に王の面前で居眠りをしてしまった。怒った王に叱責されたマルコルフは「自然の欲求はしつけよりの力よりも強い」と主張した。それに対して、王は立証してみろと応じた。そこでマルコルフはあらかじめ鼠を3匹懐にしのばせておいて食卓につき、食事中に1匹をはなした、猫が思わず飛びかかろうとしたが、王のいちべつで自制した。
2匹目もなんとかこらえたが、3匹目でろうそくを放りなげて鼠の飛びかかったという。
この話は、15世紀ぐらいにソロモンとマルコルフの対話に組み込まれて、他の文献に取り込まれていったという。

308: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/04/25 22:01
猫の蚤取り屋
江戸時代中期に現われた商売。猫を湯に入れて洗い、その後で狼の毛皮にくるんでしばらく揉むと、蚤やダニは習性として新しい匂いのする毛皮の方に移っていくので猫の蚤やダニがとれるのだという(科学的根拠は不明だが)。

蚤といえば、『ペスト残影』滝上正(医師、感染症の専門家)神奈川新聞社では中世におけるペストの流行は、先行するネズミの大量死がなかったという観察もあるとして、ヒトノミを介して、あるいは人から人へ直接伝播されたということと、ネズミのノミがイヌやネコなどを経由している可能性がありネズミノミ説だけではないとする。ネコネズミの天敵として、ペスト対策に役立て役立てようとしたが正しくないであろうと指摘している。

>>239
取り込まれた先(?)の一つは、
『オルトゥタイ ハンガリー民話集」オルトゥタイ編 岩波文庫の「燭台猫マターン」に登場する。
王様が白猫マターンを飼っていた。夕食時には、蝋燭を捧げ持たせていたので燭台猫マターンと呼ばれた。王様は、お供の御者に「しつけは強い」と言い、御者は「しつけは強いが、野生の方がずっと強い」と反論し賭をした。
夕食の時に、2匹の鼠を放したら飛びかかってしまい御者が賭に勝った。
王様は怒って猫が食卓につくことも蝋燭を持つことも食べることも禁止した。
猫は起こって王様が眠ると復讐した。

240: あやめ 04/03/17 21:27
それにしても化け猫がらみのお家騒動って、佐賀の鍋島家や久留米の有馬家とか九州西北部に集中してるの何でだろう?
化け猫女優というと戦前では鈴木澄子、その後がお公家さんのお嬢様出身の入江たか子。前者は今も年配者の語り草ですが勿論あやめは見たことなし、しかし入江たか子の化け猫映画はテレビで見ました。今も記憶してるのは入江さんが扮する化け猫が取り付いてる御守殿様が、お城の池の中から牙の生えてる口に鯉を咥えて出てきて、お殿様に背後から襲いかかるシーンです。ちっちゃい時だから凄く怖かったわね。

241: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/03/18 00:49
>>240
皿屋敷伝説を網羅した本ならありますが、化け猫絡みのお家騒動となると難しい。鍋島あたりから伝播したのでしょうか。(四国だと狸が出て来るし)
猫といえば西洋には「死体を猫がまたぐと吸血鬼になる」という話がありますが、ご承知の通り日本にも「猫がまたいだ死体は動き出す」という俗信があります。南方熊楠は豊後辺りから宣教師が広めたのだろうと推測していましたが、真偽は不明。
死体の寝ずの番自体は平安中期から確認出来るものの解釈が難しい。ただ逆さ屏風で囲うという習慣は室町時代にはあったようです。

273: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/26 02:49
>>241
猫と葬式・死体の関係では猫が死体の上を通ると不吉とされその猫が殺されることがあった。この場合、猫ではなく犬の場合もある。
日本の場合でも猫が死体の上を通らないようにしないと、火車となって風雨をおこし、棺を空中に巻き上げてしまうため、猫を遠ざける風習がある(これ自体は猫と風雨の関係に絡む)。
また、猫が死体(特に心臓=心=魂?)を食べてしまうとみなされることが多く。このイメージがあるためか、イギリスの作家・詩人(トマス・ハーディ)は、ウェストミンスター寺院に埋葬されたが、心臓は猫に食われてなかったという話が作られてしまう(実際は、心臓は故郷の墓地にあるそうなのですが)。

猫の墓といえば
17世紀パリを訪れた外国人は、レスディギエール邸を訪問したという。そこには夫人の飼っていた有名な牝猫メニーヌの棺と祈念碑を見るためだという。
「あらゆる牝猫のなかでもっとも愛され、もっとも愛すべきメニーヌここに眠る」

242: ピタゴラス 04/03/21 01:13
ヤマネコとイエネコの話を・・・・・・。

【ヤマネコ編】
『動物誌』を書いたアリストテレスによると、ヨーロッパ産のオオヤマネコ(lynx)を観察した所、くるぶしの骨の形が偶蹄類に似ているとしました。
偶蹄類のくるぶしの骨の形は六面体で、そのうち二面はやや曲がっているというそうです。古代ではこれを「アストラガロス(距骨)」と呼んでサイコロに利用していました。アリストテレスはヤマネコのくるぶしの骨を「半アストラガロス」と称しています。これは、多分、偶蹄類ほど形が整っていないからと思われます。
また、プリニウスの『博物誌』では、西洋では古く、オオヤマネコの尿はその内に真っ赤な色鮮やかな結晶になると言われ、琥珀(こはく)もその尿が固まってできたのだと信じられていたそうです。オオヤマネコ自身もその生成作用を知っていて、尿をした後にすぐにその上に土を被せるのは、結晶化を早めて、かつそれを他の誰にも奪われないようにする為だというのです。このことからヨーロッパでは、オオヤマネコは貪欲の象徴になりました。

因みに、古代ローマにオオヤマネコがやってきたのは紀元前55年のことといいます。ポンペイウスがガリア地方で狩りをしその獲物としてオオヤマネコを持ち帰ったからです。
   
西洋では古くからオオヤマネコは視力に優れた生き物と考えられていました。これは、あらゆるものを透視するとされたギリシャ神話のリュンコス(Lynkos)に名前が似ている為に混同されたといいます。そんなことからやがてはキリストの全能を象徴するようにもなりました。そして、優れた視力という伝説のおかげで、オオヤマネコは紋章にもなりました。1601年、ローマで設立された世界で初めての科学者組織の紋章になったのです。学会の名前はもちろん『山猫学会』。のちにガリレオも会員となったこの学会の紋章にヤマネコが選ばれたのは、その鋭い視力が何にでも疑問を持つという「科学の目」を象徴し、また、地獄を守る無知の象徴、魔犬ケルペロスに挑むヤマネコ(叡智)を表しているのです。
 

243: ピタゴラス 04/03/21 01:17
中国では『本草綱目』によると、ヤマネコの肉は痔の薬とされました。ですが、正月に食べると神を汚すとされました。また、ヤマネコの陰茎を灰にして東方へと流れる川の水で飲むと、女性は生理不順が、男性はインポテンツが治るとされました。
中国名ではヤマネコは「貍」と書きます。ですが、この字は日本では「狸」となり「タヌキ」を指すのです。『和名抄(931年・承平元年~)』でも狸の字はタヌキに当てられています。この混同は古くからあったことを示しています。
本草綱目に置ける貍の記述では、形状はネコに似ていて、大きさはキツネほど。またネコやトラ、ヒョウに似た斑紋を持つ、とあります。しかし、この記述が江戸時代の百科事典といわれた。『和漢三才図会』では、タヌキの項でそっくり登場しているのです。
話がややこしくなりますが、『國譯本草綱目』では「狢」の項の記述をタヌキに当てていますが、『和漢三才図会』では、これをムジナ(タヌキまたはアナグマの異名)と同定しています。


244: ピタゴラス 04/03/21 01:19
【イエネコ編】
古代エジプトで飼い猫の習慣が始まり、その後この習慣がローマに定着するのが4世紀頃、そしてイギリスでは10世紀頃とされています。当時のヨーロッパではネコはかわいらしい動物の代名詞にもなっていました。
ですが、18世紀にビュフォンの『一般と個別の博物誌』で、ネコほど役に立たない家畜はないと酷評しています。しかし、最近の研究では、ネコは役立たなくてカワイイ仕草をする事で、人間の赤ん坊の擬態をしていると考えられています。
例えばその鳴き声一つとってみても、『ニャ~オ』と鳴くのは一般的に飼い主に対してしか使われません。つまり、飼い猫の習慣が定着してからネコもこのような声を出すようになったのです。
もっとも、ネコは全く役立たないというわけでは当然ありません。
例えば、カンボジアでは高床式の家が新築した場合に、ネコを借りてきてこの新居に放ちます。大切な食糧を他の動物から守る為です。
 
西洋ではネコに対する思いや俗信がかなりありました。
‘A cat has nine lives’といわれるようにネコの生命力はかなり強いと信じられていました。先の言葉は文字通り〔ネコには9つの命がある〕という事です。
これは、三位一体が三組集まったことを示す古代からのラッキーナンバー「9」を福の象徴であるネコに結び付けたと思われます。 ヨーロッパではネコは子供の寝床に入って寝息を吸い取り、子供の命を奪ってしまうと広く信じられていました。
また、結婚式の朝に花嫁の傍でネコがクシャミをすると結婚生活はいいものになると占われたのです。ノルウェーではネコは結婚の女神フレイア(Freyia)の聖獣とされています。従って、結婚式もフレイアの日とされる木曜日に主に行なわれますが、花嫁が普段からネコをかわいがっているとその日は晴れるといいます。
更に、黒ネコは広く不吉の象徴とされていますが、イギリスではその逆です。黒ネコを吉、白ネコを幽霊の色として忌みきらいます。そして船乗りの妻は、黒ネコを航海安全のお守りとして大切に飼ってたのです。

245: ピタゴラス 04/03/21 01:20
一方、近世のヨーロッパではネコは魔物扱いされていました。フランスでは、謝肉祭の最終日の告解火曜日に饗宴が終わりになると男たちが1匹のネコを取り囲んで毛をむしってそのうめき声聞いて楽しんでいました。またドイツでも同じような風習があり、これを『Katzen Musik(ネコの音楽)』と 称していました。
  
シャムネコのシッポはねじれて曲がった個体が多く見られます。これはシャム王朝がそういったシッポを持つ個体のみを宮廷でかわいがっていたことによるらしいです。伝説によれば、昔シャムの王女が水浴びする時にいつもネコのシッポに宝石類をぶら下げて見張らせていたためにシッポが曲がってしまったのだといいます。

仏教世界ではネコは凶獣扱いされています。
これは伝説では釈迦が病に伏していたので、天上の麻耶夫人(まやぶにん)が薬が入っていた袋を落下させた所、木に引っかかってしまいました。
そこで夫人はネズミに命じて薬袋を取らせようとしたのですが、ネコがそのネズミを食い殺してしまった為に釈迦はそのまま死んでしまいました。それ故、ネコは仏教徒の敵になってしまったという訳です。
また、中国ではカイコをネズミの害から守る為にカイコを飼っている部屋の周囲の壁にネコの絵を飾るというような習慣もありました。
 
日本では、『和漢三才図会』によれば虫が耳に入った時はネコの尿を耳に垂らすと良いと記しています。その尿を取るにはショウガやニンニクをネコの牙か鼻に塗るか、または生のネギをネコの鼻の中に突っ込むと良いとのこしています。
佐渡島の有名な『佐渡おけさ』は若い娘に化けたネコの歌っていた歌だとする伝説があります。
江戸時代にはヨーロッパ産のネコが多数入ってきたようですが評判はあまり良くなかったようです。例えば『中陵漫録』では「阿蘭陀の猫は、なべて虎の毛の如し。黒白及び三毛ならば更に只虎毛の一種にして、尤も(もっとも)大に尾もふっさりとして、甚だ見苦しきものなり。」 

247: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/21 17:12

>>244
>イギリスでは10世紀頃とされています。

イギリス(イングランド?)で10世紀だと、ノルマン・コンクエスト以前で、その頃はまだまれで徐々に入ってきたとする説もあるみたいです。
コンラット・ケラーの『家畜系統史』によると、ヨーロッパには紀元1世紀にはイエネコがもたらされているが、イギリスでは紀元10世紀にもいまだまれであったとしていて、また、アト・ド・フリースの『イメージシンボル事典』では、「西暦936年には、すでにネコ保護条例があったが、一般に飼いネコとして定着したのは16世紀以降といわれる。魔女のネコ(およびその基本的な象徴)が一般となったのはさらにそののちのことと思われる」としている。

>更に、黒ネコは広く不吉の象徴とされていますが、イギリスではその逆です。

同上の『イメージシンボル事典』にも、「2 ネコの色。a英国では、黒ネコは幸運を表し、白ネコは不吉を表す(白は幽霊の色)。ただしアメリカとヨーロッパ大陸ではその逆のことが多い。……c船乗りの妻は、夫の無事を祈って黒ネコを飼うのがよいとされた。」とあるわけですが、オウビー、テイタムの『英語 迷信・俗信事典』
(イギリス中心、採集場所と内容を個別表記している)では、黒猫を幸運と扱っている例が多いのですが、黒猫に朝早くあう・黒猫が道を横切る・黒猫の背を向けるなどでは不吉としている例もあり、イギリスでは黒猫は、幸運とされることが多いぐらいの意味合いだと思います。


同上の『英語 迷信・俗信事典』では、猫は忌みことばとして釣糸を設置している
最中はとくに口にしてはいけないとして、カーザー、フィッティング、ヴェングラ、フーディンなどと呼びかえる例を載せている。日本では、漁師や船乗りが海上で口にすることを忌む「沖言葉」では猫は「ヨコザ」と代用する。猫が水を嫌い、魚を好む、漁船の鼠を退治する、猫と強風の関連からきているようです。

281: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/03/31 00:00
>>247
>アト・ド・フリースの『イメージシンボル事典』では、「西暦936年には、すでにネコ保護条例があったが、

おそらく948年のHywel Ddaの法か、それに由来するVenedotian,Dimetian, Gwentianの法典などを指していると思われる。
Hywel Ddaの法では、猫を盗んだり怪我させたりすると、1匹の牝羊かその肉を支払わなければならなかった。また、猫を殺すとその猫を尻尾で吊して鼻が地面に触れる状態で、尻尾が十分隠れるぐらいの(高さに盛り上げた山盛りの)量の穀物を支払わなければならなかったらしい。

The cat is out of the bag(秘密がもれる)
猫を袋に入れて豚だといって売ろうとしたが、猫がとび出てばれてしまったという故事からきているが、猫を兎として売ろうとする話は、『ディル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』の第55話に出てくる。
オイレンシュピーゲルが生きた猫を兎の毛皮の中に縫い込んで袋にいれ、毛皮匠に生きた兎だとして売った。毛皮匠はツンフトの親方の家に行き、みんなで生きたまま放し飼いにして兎狩りを楽しもうとしたら……木の上に登って「にゃーご」と鳴きだした。
そういえば「猫をかぶる」という言葉があるけど、これだと「兎をかぶる」か。

248: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/03/22 23:08
三毛猫の雄と船の安全の話についてですが・・・
大正7年(1918)に日本郵船会社の平野丸が英国近海でドイツの潜水艦に沈められるという事件がありましたが、前日にロンドンで並んでいた丹波丸に飼っていた三毛猫に逃げ込まれた後であったそうです。
また同じ頃スエズ運河付近で外国船から神戸桟橋会社の播磨丸に逃げ込んで来た猫(三毛かどうかは不明)来た事があったそうで、この時には何度も同じ船に逃げて来るので結局預かる事になったらしい。
やがて地中海に入ったその外国船が沈没させられた事は言うまでもない。
三毛猫の雄というものは戦後まで高値で取引されていたもので昭和10年に500円、昭和29年に5万円で売ってくれという話があったという例があります。南極観測船「宗谷」にも長野の農家から三毛猫の雄が贈られていたらしい。
なお最初に三毛猫の大半が雌だと学術書に記したのはダーウィンであったようです。日本では京都大学の駒井卓という先生が研究を進めたらしい。

274: 世界@名無史さん 04/03/28 22:52
ところで、みんな猫飼ってるの?

いつか猫 飼いたい・・・

引用元: ・猫の歴史



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