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1: ホノリウス 2009/01/31(土) 22:18:36 0
千年続いた東ローマ帝国とくらべ、蛮族に蹂躙され、かつての大ローマのみる影もなく、百年に満たず、消えていった西ローマ帝国。そんな西ローマ帝国を語り合いましょう。








4: 世界@名無史さん 2009/01/31(土) 22:45:26 0
スティリコって日本人が好きそうなタイプの人物だよね

スティリコ

フラウィウス・スティリコ(365年 - 408年8月22日)は、西ローマ帝国の軍人。半蛮族出身の司令官として斜陽の西ローマ帝国を支えた。

394年に主君テオドシウス1世が東西ローマを統一すると、テオドシウスによってローマ軍の総司令官(マギステル・ウトリウスクァエ・ミリタエ)に任命される。翌395年にテオドシウス1世が死去すると帝国の東半分は長男アルカディウス、西半分は次男ホノリウスに移譲され、彼は西ローマ帝国の皇帝となったホノリウスの後見人を務めた。

ホノリウスが幼かった頃は彼の後見人として軍、政治を動かせたが、やがて成人すると彼とは疎遠になり、皇帝側近のオリンピウスがその対抗勢力の筆頭となる。そしてアラリックを捕らえる事ができなかったのも実は彼と内通しているためという噂がついてまわった。最後は西ゴート族との内通を疑われ、ホノリウスへの弁明のためにラヴェンナへ行く。しかしホノリウスの命令で処刑、彼は抵抗せずに従容として刑を受けた。それが内通の罪の意識によるものか、それとも不安定きわまりなかった西ローマ帝国の将来を案じた事によるものかは分からない。


8: 世界@名無史さん 2009/02/01(日) 12:49:52 O
>>4
そうだね。国家最大の危機だった対蛮族戦で、あれだけの活躍をしながら、処刑されちゃうんだものね。日本人の判官ビイキにあってるかも。

6: ホノリウス 2009/02/01(日) 00:00:38 O
西ローマ帝国歴代皇帝 (在位年)

ホノリウス(395~423)
コンスタンティウス(421)
ペトロニウス・マクシムス(455)
アウィトゥス(455~456)
マヨリアヌス(457~461)
リウィウス・セウェルス(461~465) アンティミウス(465~472)
オリブリオス(472)
グリケリウス(473~474)
ユリウス・ネポス(474~475)
形式的には(474~480)ロムルス・アウグストウルス(475~476)

7: ホノリウス 2009/02/01(日) 00:09:52 O
>6に追加と訂正
コンスタンティウス→コンスタンテウス3世 ウァレンティアヌス3世(423~455)

24: 世界@名無史さん 2009/02/02(月) 12:16:15 0
>>6
面白いほど天寿を全うした皇帝がいないなw
ホノたんとオリブリオスとグリケリウスくらいか。

313: 世界@名無史さん 2009/04/16(木) 01:46:49 0
西ローマって地味だよな。

314: 世界@名無史さん 2009/04/16(木) 07:46:26 0
地味っていうより、何にも出来なかった感じ、南ベトナムみたい。

316: 世界@名無史さん 2009/04/23(木) 01:15:05 0
東帝国「むしろ西がいないほうが楽」

317: 世界@名無史さん 2009/04/23(木) 23:02:24 O
>>316
それが実感だよな、たぶん

318: 世界@名無史さん 2009/04/23(木) 23:25:45 0
地中海貿易を維持するなら、イタリア半島とダルマチアと北アフリカは東帝国が持っていたほうがいいぞ

319: 世界@名無史さん 2009/04/24(金) 17:22:13 O
>>318
だから実際にユスティニアヌスの再征服後、7世紀半ばまでカルタゴは維持したし、シチリアも10世紀まで、南イタリアも11世紀半ばまでは東帝国が持っていた。
ダルマチア沿岸にも拠点を置いていた。

320: 世界@名無史さん 2009/04/25(土) 00:16:40 0
ランゴバルト族を東帝国が何で撃破出来なかったのか不思議ですね。
最終的にローマ元老院を滅亡に追いやったのは彼らですし。

321: 世界@名無史さん 2009/04/25(土) 00:48:06 0
だって当時東が相手してたのはあのホスロー率いる最盛期のササン朝ペルシアだもん

322: 世界@名無史さん 2009/04/25(土) 02:31:21 0
ボニファティウスがアフリカにヴァンダルなんか呼び寄せなかったらイタリアとアフリカだけでもけっこう持ちこたえただろうに

325: 世界@名無史さん 2009/04/25(土) 20:02:48 0
そもそも西に構ってもいいことない。
古代末期からかなりガタガタだった上に、蛮族の占領時にかなり衰退した。
ユスティニアヌスの再征服した地域も、維持コスト>利益だったし。

326: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 00:42:47 O
西はスティリコを謀殺した時点で命運が尽きた
410年(ローマ陥落)が事実上の西の滅亡だよ
後は形骸化した亡霊国家が残ったのみ

330: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 13:14:35 0
>>326
410年(ローマ陥落)以降の西ローマ帝国ってイタリア半島とダルマチアとガリア北西部(ソワソン管区)のみが領土。

335: 世界@名無史さん 2009/07/04(土) 21:25:59 0
スティリコとアエティウスを殺すバカ皇帝が君臨していては勝ち目なし。
375px-Diptych_Aetius


アエティウス


フラウィウス・アエティウス( 391年頃 - 454年9月21日)は、西ローマ帝国末期の将軍。幼少期はフン族の人質として過ごし、アッティラとも親交があったといわれる。

425年にガリアでの軍指揮権を獲得すると蛮族との戦いで徐々に頭角を現して西ローマ帝国の実権を握るようになり、434年にはパトリキの称号と西ローマ帝国全軍司令官の地位を得た。451年にカタラウヌムの戦いにおいてアッティラ率いるフン族を撃退した。454年、アエティウスの功績に危機感を持った皇帝ウァレンティニアヌス3世によって暗殺された。

翌年、皇帝自身もアエティウスの元部下によって暗殺されている。彼のライバルだったボニファティウス とともに、アエティウスは「最後のローマ人  」としばしば呼ばれている。

340: 世界@名無史さん 2009/07/05(日) 13:07:17 0
>>335
アエティウスの配下に仇討ちされたってのはどうなん
強固な主従関係とか一番希薄な時代な気がするんだが

357: 世界@名無史さん 2009/07/23(木) 18:45:23 0
>>340
古代ローマ末期の部隊の主力は各将軍が自前で養ってた私兵

337: 世界@名無史さん 2009/07/04(土) 22:46:52 0
西ローマ帝国は兵士が傭兵だった為、そのコストを払う為に重税を掛けて、住民が逃げ出して経済が衰退するという悪循環に陥ってた

そしてインフレも酷かった

343: 世界@名無史さん 2009/07/11(土) 23:54:21 0
西ローマ帝国崩壊時にゼノン帝が何にもしないのもおかしな話。

オドアケルくらい滅ぼせよ!
オドアケル

オドアケル(433年 - 493年3月15日)は、西ローマ帝国の軍人にして帝国を滅ぼした人物。

476年、西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位し、東ローマ帝国の皇帝ゼノンへ西ローマ皇帝位を返上、自らはゼノンの代理としてラヴェンナを中心としてイタリア統治を開始し、イタリア王に即位した。
しかし、488年に東ローマ帝国への内政干渉に失敗する。それを口実に、ゼノンは東ゴート王テオドリックにオドアケル討伐を命じた。翌年テオドリックはイタリアに侵攻を開始する。しだいにオドアケルは首都ラヴェンナへと追い込まれ、493年に降伏したが、その直後に暗殺された。

344: 世界@名無史さん 2009/07/12(日) 01:01:45 0
テオドリックを送り込んだじゃないか

351: 世界@名無史さん 2009/07/14(火) 17:48:36 0
ハプスブルク関係かなんかの本で国の崩壊の原因を語るなら、崩壊が不可避になった時点を機軸にして考えるべきっていう風に書いてあった。

この考えでいくと やっぱスティリコ殺しが機軸か

354: 世界@名無史さん 2009/07/23(木) 02:17:09 0
もうホノリウス帝の頃からしてアチコチの属州にもう自分のことは自分達で守ってね!っていう手紙出しまくっているよ。

西帝国ははじめからダメじゃね?

仮に統一したままゲルマン民族の大移動を迎えたらどうなっていただろうと思う。
ガリア、ブリタニア、イスパニアは放棄するからイタリアと北アフリカは見逃してっていう交渉になりそうだけど。

流石に北イタリアと北アフリカではゲルマン人と戦うだろう。
Honorius_steel_engraving


ホノリウス

フラウィウス・アウグストゥス・ホノリウス(384年9月9日 - 423年8月15日)は、西ローマ帝国の最初の皇帝。テオドシウス1世の次男(在位:395年 - 423年)。西ローマ帝国の実質的な滅亡の一因を作った暗君として知られる。

ホノリウス自身も暗愚であったため、政務はヴァンダル族出身の将軍スティリコが行なった。ホノリウスはスティリコの娘と結婚したが、408年にホノリウスは実権を取り戻すために、スティリコを陰謀罪で処刑した。

ス ティリコの死により、西ローマ帝国の勢力は衰退する。ブリタンニアを維持できずに放棄し、ガリアには蛮族が侵入した。そして410年、イタリアへ西ゴート 王国のアラリック1世が侵攻してくる。西ローマでただ一人、アラリック1世と互角に渡り合えたスティリコがいなくなった西ローマ軍に対抗できるような力は 無く、ローマ市は西ゴート軍に占領されて略奪された。


355: 世界@名無史さん 2009/07/23(木) 17:28:25 0
最近西ローマ帝国の滅亡を480年にしてる資料も有るらしいけどそれってどうなの?

356: 世界@名無史さん 2009/07/23(木) 18:19:40 0
>>355
根拠が不明だな。
その年に廃位或いは殺害された皇帝もいないし。

357: 世界@名無史さん 2009/07/23(木) 18:45:23 0
>>356
つ ネポス

358: 世界@名無史さん 2009/07/23(木) 18:52:57 0
うん480年にしてる資料はネポスが死んだ年だからだそうな
まぁその辺はどう解釈するかだろうけどな

359: 世界@名無史さん 2009/07/25(土) 04:53:41 0
ネポスが死んだ時の西ローマ帝国の領土なんて
今のクロアチアのアドリア海沿岸部やボスニアあたりだけしか領土が無い状態。

361: 世界@名無史さん 2009/08/23(日) 15:03:09 0
西と東の軍事制度ってどう違うんだっけ?

362: 世界@名無史さん 2009/08/27(木) 15:11:00 0
東は騎兵と歩兵の指揮が分離してる

366: 世界@名無史さん 2010/01/02(土) 01:28:13 0
西ローマ帝国の遺民が作った国とかってあるんかな?

367: 世界@名無史さん 2010/01/02(土) 02:17:26 0
「俺はローマ人だ」という意識と誇りのある人は東に移住したんじゃないか?

だいたい、当時の人々にとっては「西ローマが滅亡した」という意識は無く、後世から歴史を振り返ってみると、「オドアケルによって西ローマが滅ぼされた」と結論づけられるだけ。
元老院だって存続してたんだから、当時のローマ人は「ローマが衰退したなあ」と嘆く事はあっても「ローマが滅亡した」なんて夢にも思わなかった。
「滅亡した」という意識が無いのだから「復興しよう」という機運もあるわけがない。

つまり当時の西ローマって、
「まだ気付いてないのか。おまえはすでに死んでいる」
という状態だったわけだ。

368: 世界@名無史さん 2010/01/02(土) 09:58:42 0
ローマ帝国分裂…という事象自体が後世の歴史家による認定に過ぎないわけだしな。
当時の当事者による認識は(過去にも何回かあった)分割統治→オドアケル・東ゴート諸王による委任統治→ユスティニアヌスによる直接統治みたいなもんだろう。
ヴァンダルによって初めてローマ帝国は名実ともにローマ市を失陥した、とでも言えばいいのか。
言い出したらきりが無いけど…

369: 世界@名無史さん 2010/01/02(土) 17:19:57 0
委任統治ってわけじゃないけど感覚的にはゼノビアにパルミラ取られてた時のような状態だったわけか
「また後で取り返せばいいか」的な

372: 世界@名無史さん 2010/02/13(土) 18:35:47 0
カルタゴ公会議なんてのもある。これを見るにキリスト教は西ローマ帝国とは不可分だったのか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%B9

374: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 07:02:32 0
>>372
不可分だったとは考えられんなあ。
ホノリウスと続くウァレンティニアヌス3世で60年間統治していたけれど
この二人は教皇の居るローマをおっぽり出して逃げ回っていたんだし。

373: 世界@名無史さん 2010/02/14(日) 21:15:52 0
そもそも西と東に分裂して犬猿の仲になった理由が政治対立とキリスト教内の解釈対立でそれが東・西ローマが滅んだ後も延々と現在まで続いてるんだから 可分とも言えるけど、現実的には不可分なんじゃない。

375: 世界@名無史さん 2010/02/23(火) 12:24:00 0
そもそも、ホノたんの出身地はコンスタンティノープル。
ローマなんぞに思い入れがあるハズが無いんだ。
東西分裂→西崩壊はどう見てもテオドシウスのミス。

381: 世界@名無史さん 2010/04/21(水) 17:58:46 O
ホノリアって今でいうメンヘラみたいな感じだったのだろうか。
彼女は最期どうなったの?

382: 世界@名無史さん 2010/04/22(木) 01:22:16 0
>>381
http://en.wikipedia.org/wiki/Justa_Grata_Honoria

Nothing of her latter life is recorded.
だそうですよ。

383: 世界@名無史さん 2010/04/22(木) 21:52:21 O
>>382
ありがとう。
「彼女の後の人生については何も記録されていません」でいいのかな。
上のページによると元老院議員に嫁がされたそうだが、その後軟禁されてひっそり亡き者に…というのを想像。
アッティラに蹂躙されたローマ臣民にとってはそれだけでは納得できないかもしれないが…。

384: 世界@名無史さん 2010/04/27(火) 06:57:59 0
オドアケルって結局何がやりたかったんだ・・・・

385: 世界@名無史さん 2010/04/27(火) 12:18:23 0
最終的には東の帝位を簒奪しゲルマン人のローマ皇帝になりたかったらしい。

386: 世界@名無史さん 2010/04/27(火) 13:11:37 0
>>385
なら西でなればいいのに

387: 世界@名無史さん 2010/04/27(火) 21:06:49 O
>>386
西でなってももうあまり旨みがなかったのでは?

388: 世界@名無史さん 2010/04/28(水) 01:04:02 0
>>387
東は実力的に無理じゃん

389: 世界@名無史さん 2010/04/28(水) 12:25:53 0
オレステスを殺した時点ではネポスが健在だし
あの時点で帝位を宣言すると東が潰しに掛かってくる可能性がある。
とは言っても、レオですら結局西を救済出来なかったんだから
勝手に帝位を宣言しても多分何とも無かったろうね。

390: 世界@名無史さん 2010/04/28(水) 18:54:00 O
しずみゆく泥船みたいなものだからな>西

395: 世界@名無史さん 2010/05/06(木) 12:30:22 0
剣闘士試合の中止が404年(ホノたんの治世)
カラカラ浴場の閉鎖が410年(やっぱりホノたんの治世)
何の楽しみも無くなった西ローマ市民は悲惨やな。

つーか、浴場廃止の理由がアラリックに水道管壊されたからって西ローマにはインフラを維持する技術もカネも無くなってたのか?

396: 世界@名無史さん 2010/05/08(土) 21:32:44 0
インフラ整備と維持って国費から出てなかったような

397: 世界@名無史さん 2010/05/10(月) 16:54:24 0
かつてインフラを支えていた金持ちはこの時代には東に移ってるだろうしなあ。

398: 世界@名無史さん 2010/05/11(火) 12:19:49 0
何でゲルマン人共は建築技術やインフラには興味が無かったんだ?
あいつら元々不潔だったから耐性があったのか?

400: 世界@名無史さん 2010/05/11(火) 23:10:55 0
そりゃゲルマン人はインフラに関する能力が全くないからな
ただ不潔かどうかはわからん
近世以前の都市はいくら下水道があるといっても不衛生で森に住んでる蛮族の方が衛生的な生活してるからな

401: 世界@名無史さん 2010/05/11(火) 23:48:34 0
>>400
そうは言うがローマ人は風呂好きだし都市だからと言っても不衛生と断言は難しいのでは?

402: 世界@名無史さん 2010/05/12(水) 10:44:33 0
不衛生といっても田舎に比べて不衛生ってことだよ
人が集まりゃどうしても汚くなるって

403: 世界@名無史さん 2010/05/12(水) 12:18:37 0
そのローマの清潔具合って近世並と言われてるんだけどな。

405: 世界@名無史さん 2010/05/12(水) 12:29:16 0
だいたいいくらローマの下水道が発達したといっても
消毒してない水を飲み消毒してない下水を河川に大量に流しこんでるんだから
ローマでも疫病が大流行してたそうじゃん

406: 世界@名無史さん 2010/05/12(水) 13:54:15 0
中世近世の汚さと象徴みたいに言われる「窓からウンコ投げ捨て」も、ローマ時代からやってたからな。インスラなんか下水道ないし。

407: 世界@名無史さん 2010/05/13(木) 12:17:07 0
いや、インスラは下水道を備えてた。
住人の民度が低かっただけで。

408: 世界@名無史さん 2010/05/16(日) 12:56:27 0
皇帝伝にもウェスパシアヌスの時代に犬が三叉路から死体の腕を咥えてきたとか書かれてるし
綺麗なのは本当に一部の高級住宅街だけだろう、人口密度も半端ないし
マルティアリスも夜間に窓の下を通ることの危険さをその詩の中で皮肉ってる

415: 世界@名無史さん 2010/06/18(金) 20:40:07 O
崩壊の美学・西ローマ帝国

引用元: ・西ローマ帝国(395~476)