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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 19:30:47 ID:yfkLrjgU0
三国志の呉について語りましょう 







150: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/19(日) 01:40:01 ID:5YZjLQHH0
呉におけるそれぞれの都市の様子、人口などが気にかかる。

南方は開発が遅れていたけど、都市の発達状況はどんな感じだったのか。

151: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/21(火) 17:10:36 ID:XtGu1pB40
晋書の地理志が参考になるな。 三國志にはないし。

晋書の記載だと州レベルで最高が司州(洛陽周辺?)が48万 
中原は細かく州に分かれてる上に司隷単体だけで48万。
これに肥沃な華北がさらに加算される。

呉は揚州になるのかな。31万。
だが北岸以上は領土じゃないから揚州としてはもっと引いて考えるべきかも。

益州は14万。荊州35万。
蜀が200%勝てない理由は明白だな。  徐州と青洲足したのと変わらん。
交州は2万なんだけどこれは人口把握ができてないんだろう。

南北が完全に逆転するのは明あたりまで待たないといけない。
実際それ以前は、南から北伐はほとんど失敗or1時奪取 即効維持不能になっているし南側もそれが分かってる。

事実上、中原が乱れようが国力的には呉が魏なり秦なり前趙なりを打倒できる可能性は0だと言うしかない。 あと何百年も永続すれば勝てる・・・

152: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/21(火) 17:53:08 ID:BUHMRzH60
そこまで差があると、もう魏にしてみれば蜀なんて辺境軍閥って程度やね
蟻と象って比較も大袈裟じゃないのかも

155: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/23(木) 17:34:39 ID:zGyZBPOE0
つーか一時攻撃しても人さらいしても、向こうが圧倒的に強いのでトータル 損失ペイオフできんから、結局戦うだけ無駄だな。
ベトナム方面か山越を完璧に抑えたほうがいいんじゃないのかな。

捨て身の攻撃とかしなかった孫権は、攻めろって言っても俺ら無理だろって
そこら辺わかってたんだろう。

開発が華北に勝つまでは保守こそ南朝政権の最強体制。
南側は守備サイドだと、相手が強かろうが異民族だろうが大勝可能。
攻めると国内突き上げとかで結局弱体化する。

158: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/24(金) 14:38:50 ID:iLYqfTzr0
>>155
>ベトナム方面

そこで呂岱はもっと評価されていい人物と思う。

157: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/24(金) 13:22:53 ID:DrHwS8Ub0
呉に外征に長けた将軍っていなかったの?

159: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/24(金) 18:02:20 ID:6M6g9hU10
外征の成果があんまないからなぁ。

しかし攻めるにしても合肥方面にこだわった理由はなんだろう。
後の時代の北vs南でも、ほとんど、赤壁ルート、合肥ルートの2点に限定されている。なぜかは分からんが地形的に理由があるんだろう。

つまりこの2点さえ抜かれなければ、どんなに横に距離があろうと防衛線に必要な兵力は2点ピンポイントに絞る事が出来る。
がこれは守る側であって攻めあがるには、魏や呉が存在してた時代の西晋の国力差からしてここから北伐成功はほぼ無理だろう。
北へ攻めるなら、成功例のある荊州からのほうがいいと思うんだけど
(呉も攻めて失敗してるが) 

その場合襄陽を取ってそこが南側の今後の防衛拠点になるんだが守りにくい上取られたら、一気になし崩しパターンになるので避けたんだろうか。

国力差から勝つためには呉側は、多大な消耗を掛けて戦う必要がある
敗戦は滅亡につながり兼ねないし、結局 無理だな。
引きこもり戦略しかない。

161: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/13(木) 10:25:26 ID:99PnvmYP0
>>159
合肥は建業にとって喉元に突きつけられた匕首のようなモン。
長江にいたる大きな支流を付近に持つ大都市の中では最も東端に有ったから。
もし、魏側が合肥を失えば、海から建業を攻めねばならず、江南進出は事実上不可能となる。

逆に言えば合肥さえ確保すれば、呉は江南の主力を全て外征に向けることも可能だった。

162: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/13(木) 13:35:58 ID:7zS/B6Rp0
>>161
付け加えると、合肥を失うと魏は徐、豫州二州の防衛を合肥という「点」ではなく州規模の「面」での防衛を強いられるようになり負担が激増する。
一方、呉は合肥-濡須-建業とのラインが確保されより一層、防衛が厚くなり安定する。

163: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/14(金) 23:08:48 ID:MP7yDM+/0
建業(後の建康)って、後の南北朝時代を見ても思うけど、北を長江によって守られた要衝とは言え、長江の北側を制されたら、目の前まで脅威が迫ってしまうんだよね。

165: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/17(月) 22:44:30 ID:2DheI2J10
>>163
実際、建康(金陵、南京)って直接攻められると、かなり陥落しているんだよね。
侯景の乱とか、隋の陳征伐とか、太平天国の乱とか……

南宋もその辺を考慮して、杭州に都を置いたわけだし。

166: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/18(火) 15:02:36 ID:CFdq8mmK0
南京てヤバイほど隣接してるな。それだけ揚子江がでかいんだろう
が・・

合肥は揚子江~歩いて北上~巣湖~歩いて北上みたいな位置だけど、ここが大軍でも落とせなかった(合肥新城以前程度)理由はなんだろう。地形的に陸戦で敵地に入るから? 
現地着くまでに時間稼がれるからなんだろうか。孫権が下手糞というのはそうだけどさ。
孫権どういうルートで攻めたんだろ。上の巣湖へ向かっていったのか、直接健康から北上してワイ南の東から攻めたのか。
合肥つってもかなり広いな。

167: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/19(水) 23:57:51 ID:/zeWZZPi0
王城の地とか言われるわりには、防衛面で意外と脆弱なんだよね、南京。
鄭成功の軍の撃退なんかには成功したけど。

ちなみに日本軍も南京城を攻略した実績があるw

169: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/20(木) 14:08:22 ID:lB7+/Wsz0
防衛面で弱い首都ならそりゃ以北カバーしないと厳しいな。
そういえば魯粛が巣湖に勢力をもつ鄭某を、劉曄のコネで仕官勧められたが周瑜が~~てあるけどこの鄭某て何者? 
曹操に仕官せぇじゃなくて、鄭某を推薦したのが少し不思議だ。
孫権が立ったばかりの頃のあの辺てどういう勢力状況なんだろ。

172: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/23(日) 15:40:05 ID:0+gbwaSr0
>>169
鄭某 = 鄭宝

170: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/20(木) 14:52:55 ID:qYAkY5y60
一応、長江があるから、それによって必ずしも防衛面が脆弱なわけじゃないと思う。

ただ、敵軍の長江渡航を阻止するのが前提なわけで、一度渡られてしまうと、後はかなり脆い。

特に東晋建国時の金陵ってろくな城壁がなかったらしいし、呉の時代だって城壁はかなりお粗末なものだったんじゃないの?

171: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/22(土) 23:45:48 ID:ya+PITE50
蜀って盆地だから、結構小ぢんまりとまとまった感じがするんだけど、
呉は、揚州から荊州まで、領土がかなり広い範囲にまたがっている感じがするね。

173: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/23(日) 23:43:25 ID:XyPvIR/P0
長江の水軍の話はよく聞くけど、海上での水軍の活動はどうだったんだろうか?

174: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/23(日) 23:53:19 ID:CU8TJ0tf0
海戦の必要がないからほとんどないんじゃない
一応遼東に船団送ってるから全くないわけでもなさそうだけど

175: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/24(月) 22:20:26 ID:Hwaz+H6x0
呉の勇将(卑賤、寒門系)て2代目はほんと重用されないな。

甘寧(普通くらいの寒門?息子は武将らしいが特記事項なし)
周泰(卑賤、周平だっけ?特記事項なし)
黄蓋(よくわからんが寒門叩きあげだろう、2代目名前忘れたが特記なし)
程普(よくわからんが高いはずはない。筆頭武官にして2代目特記事項なし)
陳武(例外的に2代目がそれなりに)
潘璋(卑賤、寒門出自のはず。2代目は不明。兵士には親父の恨みを引き継ぎ
  さぞ恨まれただろう)
呂蒙(卑賤。息子はいるがそれだけしか不明)
蒋欽(↑に同じ)
韓当(韓綜が亡命という珍事に)

俺が彼らの息子世代の武官だったらすげー将来不安なんだが。
がんばって成り上がっても家が栄える保障0みたいじゃん。まったく
1代で功績立てれば呉の武の家柄として重用する気配なし。

寒門から家として重用されるには外戚はいるか、出自で県令出身とか
それなりでも豪族とかじゃないとダメって感じがする。

豪族抑制のために、孫呉オリジナル武家みたいなの作るってのはダメ
なんだろうか・・ 反感買うのかな・・

少なくとも↑の連中みたいなのが新世代で育つ環境とは言えないんじゃない
か・・

176: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/24(月) 22:59:49 ID:flebXDU+0
>>175
凌統が2代目じゃね?ちょっと世代がずれるけど。さほど良い家でもなさそう
その息子は孫権に育てられたのに重用されてないけど

呉に限らずほとんどの場合2代目は1代目を超えてないと思う
苦労する時代には才能があれば身分を越えて出世しやすいとか、苦労した奴は強いってことかと

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/25(火) 01:40:45 ID:ih0ESfSe0
>>175
甘寧の家は秦の丞相、甘茂の子孫で、甘寧の子である甘述が尚書。
述の子、昌が太子太傅。
と晋書の甘卓伝にある。ちなみに甘卓は甘寧の曾孫。

177: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/25(火) 01:40:00 ID:ViGH/cSO0
重用されたされてない、というより、記述が無いだけでは?
タイシジの息子のタイシキョウは呉郡を治めていたけど史書じゃ影が薄い

凌統の場合、親父の凌操も激動の時代で先鋒を務めたぐらい活躍していたから、もうちっと詳しく書かれても?と思うが息子の方が孫権がらみで活躍したからそっち重視なのかなという

ちと気になったのが、呉の二代目って罪を犯して失脚してる奴多くないか
豪族達が手をまわしたとかありそうだな
ちょっと昼ドラだが
関連記事
呉の重臣ってほとんど全員二代目で裏切ってる



180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/25(火) 13:09:39 ID:tuOkLu8y0
戦いなどがあるので、ある程度実力主義的な人材登用は仕方ないものの、
基本的に豪族の連合体政権としての基本は揺るがせない。

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/25(火) 13:39:29 ID:4YRhcJgQ0
>>175
程咨、黄柄は親父の功績で爵位与えられてる。
韓綜の無法も、孫権自身は親父の功績に免じてとがめなかった。
韓綜が勝手に疑心暗鬼で寝返り。
蒋壱は、短い期間だが、軍を率いて活躍。
周ショウも、記述はわずかだが、戦功をあげ出世してる。
陳表の記述量は父親以上。裴松之に父をしのぐと評される。
董襲は、子は不明なれど、遺族に手厚い援助。
徐蓋は爵位を継ぎ、軍を預かってる。

ほとんどが、功臣の子として優遇されてると思うけどなあ。
そっからさらに頭角をあらわすかは実力しだいじゃない。
陳表みたいな実例もあるんだし。
「家が栄える保障0」とか「武の家柄として重用する気配なし」
なんてようにはとてもみえないのだが。

武臣の子の記述がたいしてないなんて、魏書や蜀書でもざらだし。
何も呉に限ったことじゃない。

182: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/25(火) 20:43:10 ID:ZPvAYltw0
逆に呉以外でも、初代が武で頭角を現して、二代目以降も栄えた家系とかってあるかね。

186: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/26(水) 15:24:10 ID:s3CPMEny0
そもそも、呉は呂壱の一件や、二宮事件あたりから、ずっと内部での激しい政争が絶えないから、必然的に二代目世代がそれに巻き込まれてしまう。
宗室からして、その世代はかなり酷い有様だから。

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/26(水) 21:09:42 ID:5jKj0j3Z0
親父の最終職歴、潘璋(右将軍?) 周泰(奮威?) 程普(盪寇?)
韓当(虎威)、黄蓋(なんと偏将軍か?) 呂蒙(横野?呉オリジナルか?)

と見ると潘璋、呂蒙(?)>程普、周泰>韓当>黄蓋
という感じかな。死亡時期が影響するので一概には評価は出来んけど、親父の官位自体はそんなに高くないと言える(孫権自体が昔ほどショボイ官位なので)
孫権の官位と相対評価そればみなそれなりに優遇されていたと言えると思う(韓当黄蓋はちょっと・・)

ただ息子連中が優遇されたとは言えんと思うな。手当てが厚いとか優遇とは言えん。むしろ孫権が何もしないほうが問題だ。

程普、黄蓋の息子の爵位が親父を引き継いだ程度のものなら、低い爵位になる。軍を率いたのが優遇と直結するのか?具体的な記述が少ない事がすでに物語っていると思うけど。

基本的に、晋まで重きを成した顧、賀、虞、諸葛(?)、陸とかと比べるとかなり差があるね。吾粲とか見てると出る杭は打たれるつーかそういう空気がありそうw   

192: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/27(木) 03:14:33 ID:BxYGvJOF0
>>190
死亡時期が全然違う者を、最終的な官職を基準に不等号で序列しても、なんの意味も無いと思うが。むしろ誤ったイメージを植え付けるだけ。
あと、漢制の序列は、九品官人法の序列とイコールじゃないからね。
黄蓋の扱いが悪いというのなら、黄蓋死亡時の孫権の地位と他の主な武官の地位で比較すべき。

199: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/27(木) 23:15:15 ID:Gp9DIfoL0
江東あたりの辺境でも、県にそれなりの城壁はあったのかな?

201: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/28(金) 19:35:07 ID:ADpq5SxZ0
>>199
城壁ないと山越に好き放題に荒らされまくるぞ

202: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/28(金) 21:11:57 ID:ketb9J/s0
中原でも小さな県城とかの場合、城壁は石積みではなく土を盛ったものが結構あったようだし、湿気の多い江南の水郷地帯の場合、城壁よりも堀を巡らした方が効果的なのでは?

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/28(金) 21:30:02 ID:4ehSWEsS0
なんか中国の歴史映画見たとき(時代は明くらい?)、少数で篭城するぜ!
ってなってたんだけどすんごい城壁が頼りなかったなw

乾燥した土って感じで高さは3mくらいかな・・軽く登れます。
実際は小城はあんなもんなのかな~と思ってみてたw
でも篭城戦て嫌だよなぁ~・・・俺味方情報土産に即脱走するね。

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/28(金) 22:00:07 ID:4ehSWEsS0
あ・・あと蜀の剣閣見たけどあれはヤバイね!すげぇトコに作ってる。

映画の城は平地だったけど中国の城って平地のほうが防御に向いてるのかな?
視界がいいし俺みたいな脱走兵は即射殺できるし。剣閣はすごい要害のオーラ出てたけど両側の山から奇襲とかされそうだし木や岩が多くて視界が悪そうだったよ。敵兵が隠れて近づきやすいというか。

211: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/01(月) 15:02:12 ID:lIjTFCWk0
>>203-204
当時の城壁は粘土を押し固めただけの代物だしね。
また、元々村や町を囲うようにして出来ているのが向こうの城だから、当然のように防御よりも居住性を重視している。
剣閣も、三国志当時のものと現在のものでは外観も、恐らくは場所すらも違うと思う。

221: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/02(火) 03:50:03 ID:TdTwM4UZ0
>>211 
でも版築ってけっこう固くなるんだぞ。それが現代まで残ってるわけだし

223: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/02(火) 17:41:19 ID:7KK311OJ0
>>221
>>211の「当時の城壁は粘土を押し固めただけの代物」は、
>>203の「乾燥した土って感じ」に対応してる。
しかし、保存しなくとも漢やそれ以前の時代の(長城)が残ってるぐらいだから凄いもんだよね。
気候的な部分も大きいが、日本だとあってもすぐ農地や宅地で潰されるからなぁ。
市長が花見がしたいって理由だけで貴重な遺跡潰すぐらいだし。

212: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/01(月) 18:33:19 ID:yWQc5pFBO
呉って豪族の力の強い、豪族連合政権みたいな言い方をされることもあるけど、ホントなの?
そんなに力を持ってる豪族もいない気がするんだが…
私兵やら部曲を世襲させるのは呉楚の慣習としてもあったのかも知れないけど、豪族の力が君主にせまっていたとも思えない…
寒門出身者、華北出身者も権力の中枢に食い込んでるし、本当に豪族がそんなにハバをきかせていたんだろうか

216: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/01(月) 20:09:17 ID:i4/PQgtB0
実際は演義みたいにその土地を治めている人間がすべてを牛耳ってた訳じゃなくて豪族と利益を分けあって統治してたんだけど受け継いだ当時の孫権は兄や父のように勢いがあった訳でも名声があった訳でもないし地位も低かったからなんとかうまくまわせるように地元の名士などに気をつかってたんだと思う
それとひとつひとつの豪族はさすがに孫権の軍閥に敵わなかっただろうけどすべての豪族を敵に回して運営できるほど財力も軍事力もなかったしね
まあこれはどの地域でもいえることだろうけど
揚州あたりは名目上孫権のものだったけど配下は好き勝手やるし、反乱は起こるし、いろいろ腐心してる孫権の姿を想像したら泣ける

217: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/01(月) 20:56:19 ID:UkhA1O2F0
歩シツなんかは、募兵するのを警戒されたり、二宮の変では孫覇方について裴松之に貶されたり、なんか勝手に豪族あがりかと思ってたけど、徐州から疎開してきた貧民(苦学生?)なんだよね?
とすると、呉では地域地域で豪族の力が強かった…
…それは政権中枢に豪族が食い込んできていたということではない。
そういうことなのか?

221: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/02(火) 03:50:03 ID:TdTwM4UZ0
>>217 
歩隲は外戚(正確な言い方じゃないか)でもあったからな。出世に影響したと見るのが良いか

222: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/02(火) 13:41:14 ID:4/ARwN8n0
孫権期序盤以降は俺は言うほど(宋までは貴族荘園豪族がある程度力があるのは当然として)、豪族が孫の財力や軍事力を押してるとは思えないなぁ。
出世に近いという意味では出自と押し出しが異常に重要なこの時代を考えればそれ以外に比べ有利なのは当然なので人数比としてはそうなるし・・

中盤以降はむしろ孫権は自分の意思で動いてる感じだし豪族のご機嫌伺いもあまり考えてないような感じ。国政に甚大な影響力てのは無くて、案外孫権期、呉て君主権あったんじゃないの。

豪族の援助が必要だった完全開拓期堅策の時がピークって感じで。
中原の方向が貴族中心にシフトしてる中で孫呉時代って比較するとそういう空気薄そうだし・・

228: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/04(木) 16:06:13 ID:n9C+D1uv0
この時期の江南の経済力て具体的にどんなもんだったんだろ。
隋唐あたりになると華北を上回るけど。

元が江南の塩、茶の専売で多大な利益だしてたことから江南は有数の生産地だったんだろう。生活に利用目的が多いAlK(SO4)2も華南が産地らしいし。

塩は昔から重要な意味を持ってるからこれの生産力が高い呉て想像以上に経済力あったのかな。呉の経済農業政策てよくわからん。

経済力=食える人数だから人口も増えるはずだが極端には増えてない事からやはり原住民と争いつつまだ発展途上て感じなんかな。

南宋みたいに農業政策重視すれば呉の場合かなり違った結果になってた気がする。

231: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/05(金) 03:08:06 ID:fpaZpJhZ0
>>228
孫権が曹叡次代に魏と貿易してる記述を見るに、宝石はよく出たようだね。
農業に関しては、この時代ではまだ人口比率以上の効率は技術的に出せないかと。

232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/05(金) 04:10:29 ID:88wwPkUo0
>>231
でも、その呉が送ってる宝石珍品の類は、江南産というより南海交易で入手したものの可能性が高いんだよね。

233: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/05(金) 06:47:35 ID:fpaZpJhZ0
>>232
翡翠なんかはまさにそうだろうね。
何と交換したのかが確認できなくてイマイチアレだけれども。

234: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/05(金) 10:54:24 ID:nYAZtGvl0
江南っていうと各種果物が名産な印象がある。
キウイとかも揚子江が原産地だったっけな

237: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/06(土) 01:19:31 ID:CRA/j1Bu0
>>234
キウイフルーツは、長江流域に生えていたシナサルナシの実を、ニュージーランドへ持って行って品種改良したもの。

日本の山野にもサルナシは生えているけど、ほぼキウイフルーツを小さくしたような実ができるよ。

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/06(土) 00:46:26 ID:JFuVftpA0
江南は前漢の呉王劉ビの頃から経済力あるな
ローマ皇帝安敦(マルクス=アウレリウス=アントニヌス)の使者も江南経由で来たな

238: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/06(土) 01:24:03 ID:CRA/j1Bu0
>>236
海の道も、基本的には絹が目当てで中国に来ていたようだね。
その王安敦は、ローマの使者を騙った商人だったんじゃないかという説もあるけど。
ローマはこの時期、インドの港町に商館を置いたりしていたらしい。

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/06(土) 16:22:09 ID:Mq2fqsz00
呉の経済において、絹の生産はどれほどの位置を占めていたんだろうか?

240: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/08(月) 08:28:11 ID:S95eMOZr0
呉はまだまだ未開発の地域が多かったから、本来は経済の中心となるべき農業生産力はそれほどでもなかったように思う。
逆に、南海との交易などの比重が大きかったんじゃなかろうか?

241: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/08(月) 14:45:44 ID:8b56vCLI0
南海って貿易によってとても栄えてたかのように書かれてあるけど僻地で人口も少なかったのに本当にそんなにも栄えてたのかな?

242: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/08(月) 15:20:52 ID:Ov6TMPOm0
僻地にある貿易港で、その周辺だけが妙に栄えるというようなのはそれなりに例があるべ。

244: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/08(月) 16:39:49 ID:iOzGnUMi0
絹は元来中原華北が主流だったみたいだね。後になって絹のような経済農業と米等がイーブンになるような指針が作られてるし。思うにこの時代の呉にとって絹はそれほど盛んな産業ではない気がする。

どうやら、戦国、漢代の江南は焼畑的な方法だったらしくいわゆる後期発達した水田農業じゃなかったので生産力が急激に伸びるというのがなかったのかも。

中国は農業技術についてはほかの文明圏に比べて進歩が遅い。
なぜか南宋元あたりまで王朝首脳部もそれほど農業開発にほかの文化圏と比べて意欲的な気がしない・・・

江南は土地が元から肥沃なので工夫しなくても作物はできるので進歩がなかったと俺は思うんだけどw

南海は人口が少ないわけじゃないと思うぜ!晋書でたしか戸籍が2万ほどしかなかったけどこれは明らかに掌握できていないからだろう・・
実際、官戸に入っていない人間の比率がかなり高いためそれなりの人口と経済力は持ってたと思うなぁ。

245: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 10:20:36 ID:O4b7cx8H0
長江より南って、今でもかなりの少数民族が暮らしているんだし、当時は、呉の支配が及ばない異民族がかなりの数跋扈していたんじゃないかな。

自治区のような区域が点在していただろうし。

246: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 11:18:33 ID:DHA2KADT0
山越狩りの負担が無くなれば魏ともっといい勝負ができると呉の誰かが言ってたな

247: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 12:45:40 ID:pFecfrrh0
「呉越同舟」の諺通り
呉と山越は共存は無理だったのかな?

248: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 13:06:02 ID:2XTPmmO20
呉にとって山越との関係は戦国の呉越みたいなライバル関係じゃなかったはず
山越狩りは凄惨だったらしいし、人の姿した猿ぐらいにしか思ってなかったんじゃないか
共存は無理というかハナから頭に無かったのでは

250: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 14:20:49 ID:YvVnMLzZ0
春秋時代の越国人たちは、ほとんど漢族に同化し、同化せずに残った者たちが山越?

251: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 17:10:29 ID:RCjIx5Gs0
当時の山越っていうのは要するにまとまりがないゲリラ隊みたいなもの?
呉から南のほうの山岳地帯にちらばってる不服従民族たちのことを総じて呼んでただけだよね?

252: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 21:20:40 ID:/iFij6ey0
山越に限らず華北はおろか中原にも独立した山越のような民族てのは存在した。

四川、江南中原華北近い民族系統なので錯覚するがとにかく中国は広大な土地。
スラブ系民族とアングロサクソンら多様な人種が存在しててもいいくらいの広さだ。

広さという意味ではたとえれば戦国の趙と韓でまったく違う民族系統言語系統でも不思議ではない。

山越のような土着の民族から見れば、江南と呉人などは外人のような感覚だろう。その逆もそうで。"中国の中にすんでる同じ中国人"という感覚では見ないほうがいいのかもしれん。言語だって江南と華北は通じなかったしね。

民族系統という意味ではタイ系に近いのかもしれない。
そういうベースが違うので漢民族は彼らから見た異民族というのに非常に手こずるし互いに協調しにくい。

253: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 23:31:19 ID:RgkgK6gs0
山越って呉の連中と言葉通じないの?
鎮圧したあと山越の捕虜を自軍に組み込んだりしなかったんだろうか?
教えてチャンでスマソ

255: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/10(水) 01:35:06 ID:nfhFiXRg0
六朝江南についての論文で山越の話が出てて分布図も載ってた山岳地帯だけじゃなくて北は淮河のあたりまで居住地があったらしいし捕虜を呉軍に編入した事も書いてあった
そもそも山越狩りは呉が兵力や単純労働力を補う目的で始めたと書いてあったと思う

260: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/11(木) 21:03:22 ID:HrTvDrNV0
山越の活動は呉の滅亡したあとは記録に残らなくなってきているらしいね。
これは呉が長い戦いを経て山越を自国民として組み入れてしまい、山越そのものを吸収したから、ということらしい。

261: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/12(金) 13:41:55 ID:EVrfDCu90
じゃあ孫権の苦悩も未来に撒いた種として実ったって事かな

265: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/13(土) 00:57:17 ID:+XShdSmT0
>>261
孫権が血を吐き、苦労して築き上げた呉があったからこその河南の繁栄だからねぇ。

引用元: ・【三国志】呉総合スレ6



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