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1: 曹氏 ◆FFuF8qXBFw 2012/08/02(木) 22:01:59.16
論じてみたい








525: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/08(木) 11:26:00.97
二袁抗争時代の劉備は明らかに袁術閥なんだが、どうも旗幟鮮明じゃないんだよなあ。
この時期には既に風見鶏の劉備の本質が表れてる

526: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/08(木) 14:30:44.87
劉備が風見鶏ってどういう理論だ

528: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/09(金) 13:18:31.62
>>526
悉く風を読み間違いながら一応皇帝に上り詰めた風見鶏。
逆風を向く風見鶏。

529: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/09(金) 15:50:29.42
>>528
なんかカッコええ

531: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/09(金) 19:37:36.11
別に劉備は風見鶏でふらふらしてたわけじゃなく常に誰かに追い回されて仕方なく逃げてただけだと思うんですけど…

534: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/09(金) 23:15:13.74
>>531
そんな根無し草が皇帝にまで上り詰めたのが凄いって話。それでいて中途半端な出世な訳よ。

533: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/09(金) 21:45:30.77
劉備は自立して州規模の争いを勝ち抜けるような手勢など持ち合わせてないのに死の床の陶謙に見込まれてボロボロになった徐州の生存戦略を無茶振りされたわけよ
袁術はすぐに攻めて来たしその上呂布も曹操も寡兵で撥ね付けるなんて不可能な中やがて献帝を迎えた曹操の客将になるまで柔軟に立ち回ってみせた
徐州の攻防を通じて糜竺が財産を差し出すことで手勢もそれなりには強化されたしな

常人なら一巻の終わりだと諦める状況からじゃあこうするかと次の行動に移れるのが劉備が一方の英雄として頼られた所以だろうよ

535: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/10(土) 06:01:30.79
天運に愛されて天下を獲った英雄はたくさんいるが劉備はむしろ天運からは見放されてた人物だと思うよ
そんな中己の才覚と野心で小国ながら皇帝にまで登り詰めた稀代の英雄と言ってもいい

善玉として書かれた三国志演義のおかげで人気は出たけど、彼の人となりからすればあの扱いはむしろ侮辱かもしれない

538: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/10(土) 10:13:19.18
>>535
順序は逆でない?
正史から民間伝承まで官民通じて人気があったから
後代演義の成立を通じて儒教的理想の仁君に加工されてしまった

541: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/10(土) 17:00:13.65
東晋や南宋などの南朝や、南から天下を取った明が禅譲否定や北伐などのイデオロギーから蜀漢正統論をうち出したのが大元でしょ
関羽の神格化や、諸葛亮が臣下の鑑として後世扱われた影響も大きいだろうけど劉備自身の人気は後世になるまでそれほど大きく持ち上げられてはいなかったはず

550: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/11(日) 00:01:25.24
北宋の頃成立した講談「説三分」で既に善玉劉備が応援されていたようだ
巷間での一番人気はなんと言っても暴れん坊の張飛で元代に講談の種本を繋げ挿絵を入れて作られた「三国志平話」の主役も張っている
一方で関羽はあまり活躍しないし諸葛亮も一応見せ場はあるが雑に扱われていた

「三国演義」は平話まで庶民が馴染んだ勧善懲悪の物語に初めて知識人側のメスが入り関羽と実は曹操を千里行を架け橋に魅力的に描き諸葛亮を天才軍師として再構築した
一方で張飛は活躍よりもトラブルメーカーとして悪目立ちする方が多い損な役回りになり劉備は「水滸伝」の宋江や「西遊記」の三蔵法師同様の空虚な中心 読む側をイラ立たせる程荒事に消極的な聖人に収めてしまった
関羽信仰の本格化も演義刊行後の明代から清代にかけてらしい

551: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/11(日) 06:18:25.82
あの劉関張の三人の中で、最初に神格化されたのが文献ではっきりしてるのは劉備だった(南北朝の道士陶弘景による真霊位業図)。
尤も始皇帝や曹操らと共に一番下の位になる冥界の判官ではあるけど。
次に唐代には中国天台宗に布教に利用される位の地方信仰があったらしい関羽。それ以降の信仰の高まりは説明不要。
張飛だけは蜀以外の歴代王朝の加号を受ける事無く、現代までずっと墓廟祭祀に止まり
正統道蔵内の一経典(宋代成立らしい)でやっと雷神諸葛亮配下の神将になる。
平話や元劇での人気は張飛の方が高いのに、神格としては二人に見劣りするのは庶民にとり身近な感性の人物に見られたせいなのかもしれない。
現実の本人は庶民より士大夫層に憧れ、親しみたがってたらしいけど。

552: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/11(日) 11:04:29.52
劉備を神格化したのが陶弘景(呉末期の大将軍陶濬の子孫)ってのはなんか因果だなぁ

554: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/11(日) 11:51:09.05
神格化された当初の劉備に儒教的な善玉観や庶民的人気はあったのだろうか?
単に地下人から皇帝に成り上がった英雄と言うだけの評価ではなかろうか。

557: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/11(日) 20:59:51.03
>>554
成り上がったから神になった、というより陶弘景の頃はまだ「王や皇帝に常人にはない特別な神性」があると認識されてたせいかと。
いわゆる占いによる神政政治を行う事で神性を認められていたらしい商王や、天地祭祀の独占で天子と称した周王の様な古代王の遺風がまだあり
死して尚、王は王として庶民を支配する特別な存在と見做されたからこそ、既に当時儒家の筆誅を受けていて有徳と思われてない始皇帝も冥官に列していたと考えられる。
ただ陶弘景の生きた時代はあの五胡南北朝の最中だから、その遺風も廃れゆく過程にあり古代のような王や皇帝の神性は逆に落ちていく趨勢にある。
明清になると皇帝の聖性は極端に向上するけど、これは古代に遡る物というより洪武帝による皇帝絶対化の施策がもたらした物で後世のものと言った方がいい。

583: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/22(木) 23:38:09.98
「髀肉の嘆」エピソードは劉備の人物像を的確に描写している。

戦争が出来ないことを嘆いている。
戦争無しには生きていけない。
平和だと泣いちゃう。

それに同調する連中が劉備の下に集まった訳で。諸葛亮の無謀な北伐なんてその象徴。
勝てる負けるは二の次。泰平の世を作る理想なんて無縁。

584: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/23(金) 02:56:29.66
東奔西走馬を駆って引き締まった肉体を保つ若さも失った私が未だに何も成し遂げてないのが悲しいとしか言ってないものを、戦争狂の極悪人と決めた脳内設定に合わせてよくもまあ曲解したもんだな

588: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/23(金) 20:18:25.74
劉備は負ける戦いは夷陵ぐらいでしかしてないから勝ち負けは二の次ってのはない
他の負け戦は全て情勢的に詰んでる状況での敗戦

589: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/23(金) 21:43:31.46
本当に詰まないように勝つ算段の立たない大軍とはまともに当たらず次の手を打ってたよね
出発点の不利から自軍が壊滅してもすぐに再編できる豊かな拠点なんて赤壁後の荊州攻略までは縁がなかったから

590: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/24(土) 19:23:24.32
カリスマがあったんではなくて
ソコソコ有能だっただけ

陸遜クラスには勝てない

596: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/25(日) 01:41:23.23
筵を織る生活から挙兵に及び幾万の人間を束ねて国を興した劉備カリスマなんかないと主張する理由付けが全くない
それで陸遜に負けたからそれ以下でソコソコ有能だっただけとするのは無茶な話だ

618: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/29(木) 10:07:25.42
>>596
「筵を織る生活」って事実なのかな
劉備って若い頃に軍事学問一通り修めてるでしょ
筵なんか織ってたらそんな暇はないと思う
侠的なものとか、塩商人関羽とか、劉備は商人人脈との繋がりが強いから
劉備の家は筵含めて何か商業に関わってたのかなと思ったりもする

619: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/29(木) 13:17:39.74
>>618
母子で筵や草履を織って糊口を凌いでたのは官吏の父親が早世した幼少期の話
元から商業に関わる家なら何もそんな効率の悪い仕事で食い繋がんだろ
15の時に叔父が見所のある奴だと盧植の学舎に入る学費を叔父の子と同額出してくれた
しかし劉備は儒学を嫌い侠を見せる派手な交友で豪傑や豪商との人脈を築いたという
まあそこで素直に学究に勤しむ人間ならどこぞの官吏で終わったろうな

621: 無名武将@お腹せっぷく 2016/12/30(金) 01:15:47.61
>>618
曹操の遺言に
「お付きの侍女や宮女には、草鞋や筵を織らして生活の足しにさせろ」という史実なのか疑わしい程の史実がありまして。

つまり没落した傍系なんて王族でもそんなものだったんですよ。漢王朝もそうですが、司馬炎なんて庶子が何人居てもおかしくないですから。

633: 無名武将@お腹せっぷく 2017/02/26(日) 17:23:05.19
教養もないのに、人望はあった立派な人だと思う。
漢の高祖も似たようなもんだし。

634: 無名武将@お腹せっぷく 2017/02/26(日) 19:04:25.32
一応学問は習ってたんじゃなかったっけ

635: 無名武将@お腹せっぷく 2017/02/26(日) 20:36:11.01
一応じゃなく当時でも最高レベルの学者(盧植)の下で学んではいるんだけどな
あまり真剣に取り組んではいなかったようだけど

637: 無名武将@お腹せっぷく 2017/02/27(月) 12:24:36.58
>>635
確か楽(当時の音楽も学問の一つ)以外の学問は余りしたがらなかった、って奴な。
でも平原相とか行政業務をそれなりにこなしてるので、基本教養は身につけていたと思う。
ただ当代一流の師に就いていても、学問面として本人はそこまで行かず軍事の爪牙として能力を開花させていった人とは言える。軍の規模に大小の差こそあれ、人間的魅力が無いと兵隊は従いて来ないし働かない。

638: 無名武将@お腹せっぷく 2017/03/16(木) 23:19:29.37
後の劉備の発言を見てると後でちゃんと学問に打ち込んだように思えるんだよな

639: 無名武将@お腹せっぷく 2017/03/17(金) 00:44:10.04
単純に学問を嫌ったというより書に親しんで儒学を修めて尋常に仕官したところで既に売官横行で相当ヤバい雲行きだった時代を乗り切れるもんか疑問だったんでね?
折角日々の糧のためにあくせくしなくていい時間ができたからには今の内に世がどこまで荒んでも大陸を駆け回って身を立てる素地を養っとこうと

640: 無名武将@お腹せっぷく 2017/03/17(金) 02:15:15.92
出世も早いし経済にも明るいし戦争も強いし
学問はそれでもきっちりやってたんだろうな好きか嫌いかは別として

まずは派手な振る舞いで人を集め、豪傑と仲良くなり、次に各地の群雄と結び、その後は名士連中と交流を持つようになったのだから劉備はその時々で自分に必要な物を的確に見抜いて選んでいたのだろう

641: 無名武将@お腹せっぷく 2017/03/17(金) 03:15:22.36
演義で劉備を善玉にして仁義の人として持ち上げてるけど最近は逆にそれが本来の劉備という人物の魅力をスポイトしてる結果になってるのではないかと思うようになった
一般の三国志ファンが思ってるより実際の劉備は文武にも優れしたたかな人物だよね
演義でいえばそれこそ曹操や呂布の方に近いのでは

642: 無名武将@お腹せっぷく 2017/03/17(金) 05:49:23.77
基本的に中国古典は主人公を徳の高い無能者として描く傾向があるからな
西遊記しかり水滸伝しかり

643: 無名武将@お腹せっぷく 2017/03/17(金) 14:06:33.31
実際相当現実的に己の境遇からサバイブする術を見通して行動したリーダーだわな
いくら学のある人間自体が貴重な古代でも売官の蔓延る時代に金もコネもなく純粋に貧乏書生から下級官吏を経て地道に出世なんてまず望めない

曹操はその売官で親の代から躍進してて持ってる人間として変革を進めた英雄だけど色々足りなくても手を尽くして補っていく劉備の方により魅力を感じてヒーロー化するのも分かる

673: 無名武将@お腹せっぷく 2017/05/20(土) 01:41:15.98
孔明は忠義を尽くしたから歴史に残ったが逆に尽くさずに、皇帝になればチャンスはあった
劉家は趙匡胤みたいに、宗家としてきちんと保護する姿勢を見せれば下の者は付いてきただろう
兄貴と通じて呉で革命を起こせば荊州どころか江南も手に入り天下を取ることは可能だったはずだ

674: 無名武将@お腹せっぷく 2017/05/20(土) 02:10:59.34
無いな
蜀の丞相としての人望はあったが彼に劉家から皇位を簒奪しても家臣が付いてくるほどの人望があったとは思えん
旧臣や荊州閥は劉備に心酔して付いてきた者が多数だろうし
益州閥にとっては国を乗っ取った劉備に付いてきた人物を持ち上げる理由がない
そもそも劉備の即位の建前が漢復興である以上諸葛亮が国を奪えば大義名分が無くなる

675: 無名武将@お腹せっぷく 2017/05/20(土) 02:24:53.80
そもそも諸葛謹が呉でクーデター起こしても成功できるとは思えん
彼は処刑され呉と蜀の関係は最悪になり
天下三分の計は二度と成り立たなくなるだろうな

677: 無名武将@お腹せっぷく 2017/05/22(月) 00:52:17.25
荊州閥益州閥とかいう実態の見えない派閥ネタきらい

679: 無名武将@お腹せっぷく 2017/05/22(月) 02:20:01.99
劉璋の配下だった者とそれ以外と言えばいいか?
劉備は征服者であり主君が降伏したのでやむなく彼に従ってる者たちがいる
ていうかその数は決して少なくない
そんな奴らにとって孔明は臣従できるような相手じゃない
そして孔明にとっても彼らとそうでない者の扱いは一苦労
どちらかを優遇すれば内紛に発展しかねない

698: 無名武将@お腹せっぷく 2017/05/22(月) 12:48:18.17
>>679
つーても劉璋→劉備な経歴で名の通ってる奴らって劉備より一足先に益州に流れて来たってレベルの他州者とか鼻つまみ者とかすぐまた余所に行ったとかで誰が益州閥とやらを形成して荊州閥とやらと対立したのか分かりにくいんだよね
劉備の益州攻めにおいて少なくとも(すぐいなくなったが)黄権ぐらいには粘ってないと益州出身者としての代弁者とは認めてもらえないと思うが…

680: 無名武将@お腹せっぷく 2017/05/22(月) 02:47:12.48
涼州閥のこともたまには思い出してあげてください

荊州失陥~夷陵の戦いで荊州閥は大分少なくなったけど劉備没後の最高権力者が諸葛亮~蒋?と荊州出身者だったから折り合いには苦労してそうだよな

743: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/02(金) 18:46:28.41
公孫賛配下だったのにその宿敵の袁紹と蜜月
献帝を死んだことにして即位

結構エグいことしてるな

747: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/03(土) 02:01:59.20
>>743
そして袁紹の宿敵である曹操と蜜月
さらにその曹操をも裏切って逃亡
すげえなあ

744: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/02(金) 18:48:28.95
まだ生きてる献帝に対する謚もひどい

746: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/02(金) 22:39:36.43
>>744
献帝在位中に漢中王称しちゃう時点で最早忠臣だなんて…何に対する忠臣なんだか。
幾ら献帝が董卓・曹操らの傀儡状態であったとはいえ、将軍号は形式上は献帝の授与だし、特に傀儡な献帝が気に入らなくて霊帝や少帝弁らに忠節を捧げてた訳でも無い。
せめて漢中王名乗らないまま、曹丕が禅譲を受けた時に始めて「それは認めん!」と漢帝を称したならば、まだそれなりに筋は通ったろうけど。
あの諡といい、恐らくは生存情報を掴みながら素知らぬ振りで即位ではね。
忠臣というカテゴリーではお世辞にも評価に値しないが、梟雄・乱世の英傑としてならばまさに英傑の名に相応しい。
780: 無名武将@お腹せっぷく 2017/07/10(月) 18:56:59.33
劉備の献帝にたいする謚号ひどいよね 
どう思ってたかはっきりわかる

781: 無名武将@お腹せっぷく 2017/07/11(火) 13:14:00.18
孝愍皇帝だろう? 
祭祀は絶やさなかったが国は滅びるに任せたという事績をそのまま表しただけの 

劉備はそもそも後漢を興した劉秀と同じ前漢景帝の末裔を名乗って漢の存続を掲げた男で劉氏による漢という国を再び立て直すのが良きことだと信じてはいても董卓の力で挿げ替えられ曹操の傀儡に収まった劉協個人に絶対の忠誠を誓う道理もない 

魏は劉協が禅譲に従った対価としての安楽な余生と当たり障りのない諡号を贈りはしたがその前に近臣を退け皇后とその皇子や宗族を処刑し完全に孤立させて禅譲を強要している 

むしろ諡号に気を使えば後世まで悪辣の謗りを免れるといった考え方こそ浅墓だと示す好例だろう

788: 無名武将@お腹せっぷく 2017/07/31(月) 03:31:03.50
後漢は霊帝の代には既に人心を失い献帝も直臣を次々と排除されて実態は解体済みで劉備に忠臣か逆臣か問う前に王朝が健在じゃなかったわな 
曹操は王莽の二の舞を避けて形式的にはソフトランディングで二代掛かりの簒奪を進め対抗して割拠した劉備はアンチテーゼとして簒奪を認めない理屈で建国を進めたってだけやね
748: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/03(土) 02:54:25.20
公孫サンについてはいつまでも味方でいる理由全然無くないか?
劉虞処刑してから袁術共々周りを見ようともせず破滅の道をひた走ってたし、それでも味方するべき忠誠を誓った主でも理想を等しくする同志でも別になくて190年代初頭の情勢と同門の誼でたまたまそっちの陣営に拠ってたに過ぎないんだしさ

ただ変節漢と言われたくないだけで思考停止して帰属する陣営変えず一緒に死ぬ奴なんてのは真剣に生きる意志の無い小心者の馬鹿でしかないし、それが一つの陣営を率いるリーダーであれば配下の命運について無責任過ぎるだろう

755: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/05(月) 18:58:07.17
>>748
劉備についていけなくて節義を全うしたうえに天寿もまっとうした田豫みたいな人もいるけどな

756: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/05(月) 22:03:36.22
>>755
そっちも別に公孫賛配下に拘って殉死したわけじゃないけどね
猜疑心の塊で有能であればあるほど用いない公孫賛に疎んじられたんで
袁紹と共に公孫賛を滅ぼした旧知の鮮于輔と図って結局曹操に帰服しようと決めた

758: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/06(火) 19:08:37.37
>>756
袁紹に従わないという点では筋を通したでしょ

761: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/18(日) 01:35:07.20
>>748
公孫賛や袁術は官職を経験し数万の軍勢を率いて立派に一地方を治めていたのだ
その上で漢から離脱する英雄の器があった
問題は劉備のほうで光武帝の知名度を利用してやってることはただの傭兵隊長でしかなかった

749: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/03(土) 18:00:43.37
公孫瓚や劉備の盟主だった袁術が呂布を使って劉備を排除しようとしたのが劉備があちこち放浪する羽目になる発端なんだけどな

751: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/03(土) 18:26:09.75
>>749
袁術が徐州から劉備を排除したがったのは、徐州を直接自分の隷下に置きたかった方なのか、それとも劉備がどうも自分から独立したがり、大人しく言う事聞きそうに無いと判断したかのいずれなんだろか。
もし単に劉備の意向はどうでもよくて、徐州を直接支配したいだけなら劉備もたまったもんじゃなかったろう。
とはいえ曹操の大虐殺から間が無いから、徐州を直ぐ支配しても旨味は少ないんでやっぱり劉備の行動が目障りになりつつあったんかねぇ。

752: 無名武将@お腹せっぷく 2017/06/03(土) 19:15:47.31
直接劉備に原因があるというより陶謙が生前に袁術に反抗する兆しを見せていたんで跡を継いだ劉備がとばっちり受けたように見える



引用元: ・【漢の忠臣】劉備という人をどう思う?【逆臣】




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