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1: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)20:58:10 ID:i1a
ワイが正史三国志の孫乾伝、簡雍伝、馬良伝を解説するのでよかったら見ていってください








349: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:11:36 ID:DDh

孫乾、字公祐、北海人也。先主領徐州、辟為従事。後、随従周旋。

孫乾は、字を公祐といい、北海の人である。先主(劉備)は徐州を領有すると、招聘して従事とした。後に、(劉備に)従って巡り回った。

353: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:12:27 ID:DDh

先主之背曹公、遣乾自結袁紹。将適荊州、乾又與麋竺俱使劉表、皆如意指。

先主は曹公に背くと、孫乾を遣わして袁紹と結んだ。荊州に行こうとすると、孫乾はまた麋竺とともに劉表への使者となり、すべて(劉備の)意にかなった。

357: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:14:12 ID:DDh

後、表與袁尚書、説其兄弟分争之変、曰「毎與劉左将軍、孫公祐、共論此事、未嘗不痛心入骨、相為悲傷也」其見重如此。

後に、劉表は袁尚に手紙を届け、兄弟が分かれて争ったこと(※)について、述べた
「劉左将軍(劉備)、孫公祐(孫乾)と、ともにこの事を議論するたびに、骨に徹するまで心を痛ませなかったことはなく、君たちのために悲しまないことはなかった」(劉備が孫乾を)重んじることはこの通りであった。

※袁紹の長男譚と三男尚が後継者争いをしたこと
初め袁尚が有利であったが、袁譚が曹操と結んで反攻に転じると袁尚は敗北、最後は遼東の公孫康の所に落ち延びるが公孫康に殺された
しかし袁譚もまた曹操に攻められて敗死、共倒れの結果である
袁紹伝参照

359: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:15:14 ID:DDh

先主定益州、乾自従事中郎為秉忠将軍。見礼、次麋竺、與簡雍同等。頃之、卒。

先主が益州を平定すると、孫乾は従事中郎から秉忠将軍となった。礼遇は、麋竺に次ぎ、簡雍と同等であった。しばらくして、亡くなった。

362: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:16:39 ID:DDh
次は簡雍伝やるで
孫乾伝の評も後で

363: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:16:52 ID:DDh

簡雍、字憲和、涿郡人也。少與先主有旧、随従周旋。

簡雍は、字を憲和といい、?郡の人である。若いころから先主(劉備)と旧交があり、従って巡り回った。

364: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:17:56 ID:DDh

先主至荊州、雍與麋竺孫乾、同為従事中郎。常為談客、往来使命。

先主が荊州に行くと、簡雍と麋竺孫乾は、ともに従事中郎となった。常に(先主の)話し相手となり、往来して使者となった。

365: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:18:41 ID:znQ
従事中郎ってどんな官職なんやろ

368: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:20:23 ID:DDh
>>365
三国志全人物事典によると参謀副官らしい
この本三国志の官職網羅してるからかなり便利

366: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:18:55 ID:DDh

先主入益州、劉璋見雍、甚愛之。後、先主囲成都、遣雍往説璋。璋、遂與雍同輿而載、出城帰命。先主拝雍為昭徳将軍。

先主が益州に入り、劉璋は簡雍に会うと、とても彼を愛した。後に、先主は成都を包囲すると、簡雍を行かせて劉璋を説得させた。劉璋は、こうして簡雍を同じ輿に乗せ、城を出て降伏した。先主は簡雍を昭徳将軍にした。

369: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:20:40 ID:DDh

優遊風議(※)性簡傲跌宕。在先主坐席、猶箕踞傾倚、威儀不粛、自縦適。諸葛亮已下、則独擅一榻、項枕臥語、無所為屈。

のびやかで気ままな議論をし、性格は傲慢で細かいことにこだわらなかった。先主が座にいても、両足を出して座りもたれかかって、威儀を正さず、思いのままに振舞っていた。
諸葛亮以下に対しては、ひとりで長椅子を独占し、首を枕にのせ寝たまま話し、へりくだろうとしなかった。

※「風議」には「気ままな議論」と「風刺の議論」の両方の意味がある
簡雍伝を見れば後者の方が相応しいが、この巻の評に「麋竺、孫乾、簡雍、伊籍、皆雍容『風議』、見礼於世。」とあり、「優遊」の語もあるので今回は前者で訳した
もちろん後者でも意味が通じる

372: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:22:43 ID:FVP
>>369
こういう人だから劉璋を説得できたんかなぁ

374: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:23:43 ID:znQ
>>372
劉璋さん意外と意固地やもんね

383: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:27:21 ID:FVP
>>374
劉備のやり方もちょっとアレやったしな……

388: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:28:47 ID:znQ
>>383
それ以前の張魯とか趙韙とかの件をみると
なんだかんだちゃんと群雄気質よな

371: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:22:29 ID:DDh

時、天旱禁酒、醸者有刑。吏於人家索、得醸具。論者欲、令與作酒者、同罰。

あるとき、干ばつがあって(先主は)酒を禁じ、醸した者に刑罰を科した。吏が人家を捜索すると、酒を醸造する道具が見つかった。これを論じた者は、酒を造った者と、同じ刑罰を科そうとした。

375: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:23:57 ID:DDh

雍、與先主遊観、見一男女行道、謂先主曰「彼人欲行淫、何以不縛?」先主曰「卿何以知之?」

簡雍は、先主と遊覧に行き、男女一組が道で歩いているのを見かけると、先主に言った「彼らは淫行しようとしているのに、どうして捕縛なさらないのですか?」先主は言った「卿はどうしてそれがわかるのだ?」

378: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:25:28 ID:DDh

雍対曰「彼有其具。與欲醸者同」先主大笑、而原欲醸者。雍之滑稽、皆此類也。

簡雍は答えた「彼らにはそのための道具があります。醸造しようとした者と同じです」先主は大いに笑い、醸造しようとした者を許した。簡雍の滑稽(巧みな弁舌)は、みなこの通りであった。

※道具を持っているだけで処罰しようとした者を簡雍は弁舌で救った
この巻には弁舌によって相手をやり込めた者として伊籍や秦宓の逸話も残っている
伊籍は以前に訳しているのでそちらを参照、秦宓の逸話は『三国演義』にそのまま引用されている(第八十六回)

379: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:25:52 ID:7zU
>>378
簡雍さん渾身の下ネタ

373: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:22:43 ID:znQ
もともは耿(あきらか)っていう姓やったんやろ
それが簡(おろそか)とはこれ如何に

377: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:25:14 ID:DDh
>>373
それ確か注釈にあったぞ
発音が近いから変化したとかだった気がする

380: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:25:53 ID:znQ
>>377
知ってる
漢字の意義で追うと簡雍の性質もあいまっておもろいなってだけ

382: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:27:00 ID:DDh
>>380
名は体を表すというが「簡」と「雍」ってのは面白いな

384: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:27:40 ID:znQ
>>382
簡雍→おろそかに、なごむ

そのまんま簡雍さんやんけ!

381: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:26:32 ID:DDh

評曰。(中略)麋竺、孫乾、簡雍、伊籍、皆雍容風議、見礼於世。(後略)

評にいう。(中略)麋竺、孫乾、簡雍、伊籍は、みな寛容で気ままな議論をし、世間で礼遇された。(後略)

385: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:28:11 ID:DDh
次は馬良伝やるで

386: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:28:13 ID:7zU
初めて三国志読んだとき三国志中でも数少ない武芸に関する記述が麋竺にあるのは意外やったな

389: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:29:43 ID:DDh
>>386
士大夫の教養やからそれっぽいといえばそうやけど弓と馬は演義の印象とまるで違う

393: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:31:19 ID:7zU
>>389
いやたしなみなんやろうけど、わざわざ記述してる人物って少ないから
余程うまかったやろうなと

398: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:34:33 ID:DDh
>>393
三代にわたってやってたのが珍しかったのかもしれん
または名スナイパー麋竺説

387: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:28:23 ID:DDh

馬良、字季常、襄陽宜城人也。兄弟五人、並有才名。郷里為之諺曰「馬氏五常、白眉最良」良、眉中有白毛、故以称之。

馬良は、字を季常といい、襄陽郡宜城県の人である。兄弟五人は、みな秀才との名声があった。郷里ではそのため諺があった「馬氏の五常、白眉最も良し」馬良は、眉の中に白い毛があったので、こう称賛されたのである。

390: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:29:52 ID:DDh

先主領荊州、辟為従事。及先主入蜀、諸葛亮亦従後往。良、留荊州、與亮書曰「聞、城已抜、此天祚也。

先主(劉備)は荊州を領有すると、招聘して従事とした。先主が蜀に入ると、諸葛亮もまた後から続いた。馬良は、荊州に止まり、諸葛亮に手紙を届けた「聞けば、城はすでに攻略したそうですが、これは天の幸いです。
395: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:31:56 ID:DDh

尊兄、応期賛世、配業光国、魄兆見矣。夫、変用雅慮、審貴垂明。

尊兄は、時期に応じて世を救い、興業に加わって国を輝かせましたが、(その)予兆は見えております。そもそも、変には優れた思慮を用い、つまびらかにするには明察を貴びます。それゆえ才を選んで、その時に適うべきなのです。

397: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:33:30 ID:DDh

於以簡才、宜適其時。若乃、和光悦遠、邁徳天壌、使時閑於聴、世服於道、斉高妙之音、正鄭衛之声、並利於事、無相奪倫、此乃管絃之至、牙曠之調也。雖非鍾期、敢不撃節」

もし、光に和し(=才徳を隠し)遠くを喜ばせ、徳を天地に及ぼし、時(の人)に命を聞かせ、世人を道に服させ、(以下、音楽に例えている)絶妙な音を並べ、鄭衛の(淫らな)音を正し、事に利し(良い音を出し)、倫を奪わなければ(音を邪魔し合わせなければ)、これこそ管絃の至妙、伯牙・師曠(琴の名手)の調べです。鍾期でなくとも、拍子を取らずにはいられないでしょう」

399: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:34:57 ID:DDh

先主辟良、為左将軍掾。

先主は馬良を招聘して、左将軍掾にした。

391: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:30:14 ID:7zU
馬氏五常さん上の三人は何してたんやろな

394: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:31:41 ID:DDh
説明不足やったけど「五常」は五兄弟の字にすべて常がついてるからだと思われる
弟謖の字は幼常

>>391
記録にないから本当にわからんな

396: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:33:07 ID:7zU
>>394
多分字は伯常・仲常・叔常で間違いないとは思うけど、それ以外は推測すらできんからな

401: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:36:30 ID:znQ
馬順伯常 
馬統仲常
馬安仁叔常
馬良李常
馬謖季常

やぞ
なお出典

404: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:37:58 ID:DDh
>>401
新唐書あたりか?

407: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:39:44 ID:znQ
>>404
隋代の地方人物記やで

なお
馬玄 伯常
馬康 仲常
馬津 叔常
馬良 李常
馬謖 幼常
の説もある模様

410: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:42:09 ID:DDh
>>407 
はえ~ 
隋代なら捏造の可能性もあるけど子孫が残ってる可能性も否めんしな

415: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:42:57 ID:qks
>>410
捏造の可能性じゃなくてほぼ適当やろ
ソースとしての信憑性は皆無やな

422: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:48:02 ID:DDh
>>415 
だろうなぁ


400: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:35:37 ID:DDh

後、遣使呉。良謂亮曰「今銜国命、協穆二家。幸為良介於孫将軍」亮曰「君、試自為文」

後に、呉に使者として行かせた。馬良は諸葛亮に行った「今国家の命を受け、二つの家(劉・孫)を睦まじくさせます。良(馬良の自称)のために孫将軍に仲介していただきたく存じます」諸葛亮は言った「君は、試しに自分で文を書いてみてくれ」


402: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:36:45 ID:DDh

良即為草曰「寡君遣掾馬良、通聘継好、以紹昆吾豕韋之勲。

馬良はすぐさま草稿を作った(以下、馬良が諸葛亮の立場で草稿を書いていることに注意)
「寡君(劉備のこと、謙遜の表現)は掾の馬良を遣わし、訪問させ誼を続かせ、昆吾、豕韋(どちらも夏の諸侯)の勲功を受け継ぐつもりです。

405: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:38:08 ID:DDh

其人吉士、荊楚之令、鮮於造次之華、而有克終之美。願降心存納、以慰将命」権敬待之。

この人(馬良のこと)はよき士、荊楚の令で、見た目の華やかさはあまりないものの、有終の美を飾れます。どうか御心に留め置かれ、ご命令を果たさせてください」孫権は彼を礼遇した。

406: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:38:11 ID:znQ
馬良さんは文章だけはめっぽう華美だよな

410: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:42:09 ID:DDh
>>406
漢文だからよくわからんけどいい感じなのは伝わる

409: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:40:06 ID:DDh

先主称尊号、以良為侍中。及東征呉、遣良入武陵招納五溪蛮夷。蛮夷渠帥皆受印号、咸如意指。會先主敗績於夷陵、良亦遇害。先主拝良子秉、為騎都尉。

先主は帝号を称すと、馬良を侍中とした。呉を東征するに及んで、馬良を武陵に送って五溪の蛮族を招かせた。蛮族の首領はみな印と称号を受け、すべて思い通りになった。たまたま先主が夷陵で敗北し、馬良もまた殺害された。先主は馬良の子の馬秉を、騎都尉にした。

411: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:42:23 ID:DDh

このあと弟の馬謖の事績があるが以前訳しているのでそちらを参照
馬良は死んだ時三十六歳、馬謖は三十九歳であったとされる

412: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:42:30 ID:DDh

評曰。(中略)馬良、貞実、称為令士。(中略)董允、匡主、義形於色。(中略)皆、蜀臣之良矣。(後略)

評にいう。(中略)馬良は、篤実で、よき士と称賛された。(中略)董允は、主を正し、義が顔色に表れていた。(中略)みな(董和・劉巴・馬良、陳震・董允)、蜀臣のよき人物であった。(後略)

416: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:43:15 ID:quu
夷陵で死んじまったのが残念すぎる

422: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:48:02 ID:DDh
>>416
馬謖の代わりに良を使えればと思うと

419: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:45:49 ID:7zU
なんか武将プレイの三国志だとついつい馬謖を使ってしまう
蜀の大戦犯なのになんか嫌いになれん

422: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)21:48:02 ID:DDh
>>419
わかる
猛威を振るってた11では相棒やった

601: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)23:43:35 ID:DDh
それじゃあワイは明日も仕事あるんで落ちるわ
今後も何かしらやるかもしれないからその時はどうぞよろしく
ほな、また

603: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)23:44:15 ID:pUv
>>601
乙やで

604: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)23:44:36 ID:7zU
>>601
乙です

605: 名無しさん@おーぷん 2018/11/23(金)23:45:15 ID:znQ
>>601
おっつおっつ

引用元: ・正史三国志・?統伝の全文(意)訳と解説をするで



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