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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 17:21:50 ID:ItJwvL2z
秀吉の天下取りを補佐した超名軍師、黒田官兵衛を語りましょう!(*・ヮ・*)
その知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在、変幻自在であり、彼がいなければ秀吉も天下は統一できなかったとも言われます。秀吉死後、関が原のどさくさに紛れて九州を支配し、天下を狙おうとしたのも実は野心家である彼のみが成せる所業です。
官兵衛自身はもちろん、その功績、周りの人物、事象などでもおkです!









137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/01(金) 19:01:48 ID:IeWRC6QP
関ヶ原の時の九州でちょっと暴れてみましたという一件がなければ、如水はいまのような人気はなかった気はする。実際のところ天下取るつもりはなかっただろうし、現実的にも無理だし、黒田家にとっても如水にとっても何にもならなかったわけなんだけどさ。
ずっと韜晦しつづけた「二流の人」が最後に狂い咲きした感じで、また、あっけなく息子の活躍で終ってしまった幕切れも含めて、ロマンだなと思わせるんじゃないか。
関ヶ原を、一番楽しんで戦った人だと思う。

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/02(土) 08:28:22 ID:vf73w2c/
>関ヶ原を、一番楽しんで戦った人だと思う。

まあ、如水は太閤の死後、関ヶ原のずっと前に、これから起る天下大乱を予感してわくわくして待ってるという意味の短歌を詠んでたりするからなw
最後の最後に夢のある戦さができて、いい晩年だな・・・

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/02(土) 22:20:02 ID:FoZgZeZl
なんて迷惑な徘徊老人だw

141: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/04(月) 12:36:35 ID:5j8/O32N
【お国自慢】47都道府県のお札【有名人】
福岡 :2006/09/01(金) 13:20:24 ID:dYjOUIcN
一万円:菅原道真
五千円:広田弘毅
一千円:母里(黒田親子はビジュアルに難がある)


お膝元の住民に、顔が悪いっていわれるよ!www
しかし黒田親子の肖像画は、なんであんなにリアルに書かせたんだろうな
他の大名の絵とか、変に紙芝居タッチで嘘くさいのも多いのに

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142: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/04(月) 18:55:21 ID:Of3oprq1
ゲームではわりと悪くない顔だけどね。
長政の肖像画とか逆にインパクトあっていいじゃんw
息子の忠之(3代目)も、似たような顔だからああいう顔の血筋なんだよ。

144: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/04(月) 22:34:23 ID:t+f8JIjz
あれだけ眉を寄せて八の字に下げて、しかも口を極端にへの字にするのって物理的にすごく難しくない??
長政の肖像画の真似をやってみたけど、全然できないぞ・・・
への字にして眉を寄せると、ふつう眉が上に上がらないか?

是非、やってみてくれ。謎だ・・・

146: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/05(火) 21:49:59 ID:p+erPneA
あの頭巾の魅力が分からない奴はすっこんでろい!!

151: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/09(土) 14:06:33 ID:baTkC3Xl
自分が好きになった理由の一つが、あれだけ腹黒のイメージ有るのに、晩年、城下で町人の子供達とかと仲良くしてたとか、遠山の金さんや黄門様みたいに、町人の話を政治に生かしたって読んだ事で好きになりました。

168: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 06:31:20 ID:cKuAT223
文禄・慶長の役と出兵させられ、戦争のないときにも上方にいる期間の長かった西国大名は、どこも領国経営が大変だった
長政はその点恵まれてた
凄腕の隠居が国許にいてくれたんだから

169: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 08:50:30 ID:lkHjDQgh
>>168
戦争に凄腕の人間が領国経営でも凄腕と思うなかれ。

170: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 09:02:05 ID:tsMKjeCL
>>169
検地では石高を実高よりかなり低く申告し、名より実を取ったし関ヶ原では、長政が5000人ほど動員した上で、まだ傭兵を9000人ほど即座に雇える黄金を中津城に溜め込んでたんだから、財政的には十分有能に切り盛りしていると思うが?

171: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 09:13:09 ID:FifCsxSX
>>170
そりゃ、長政が溜め込んでたんだろ。
実際、関が原前の黒田家の方針はほとんど長政が立案しているんだから、内政指示も長政から出ていたと考える方が普通だわな。
如水は、息子が溜めた貯金を勝手に引き出して、道楽に使ったのさ。

173: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 09:26:54 ID:n71Tdf/g
領国での大名の親族のサポートは結構重要なんだがな。
近距離に領国がある石田三成でさえ、領国経営は実質的に父と親族に任せていたわけで。
黒田は当主の長政が唐入りで長期に渡って不在だし、別に親父に任せてても不思議ではない。

174: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 09:34:09 ID:n71Tdf/g
それから長政は筑前入封後の検地で、如水が豊前貰った時とは逆に、実高よりかなり多めに表高を申告して実より名を取ったんだよ。
江戸時代の黒田家の、実高と表高の差が他の大名家よりあまり離れていないのはそのせい。

175: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 09:58:57 ID:/NBakZYA
如水が倹約家というか、ぶっちゃけケチで蓄財上手だった逸話は多い
むしろ、こんなに経済感覚のある藩祖から、なんで後年の財政音痴な福岡藩が誕生するのか謎なくらい

176: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 11:07:28 ID:QwqcZbgc
福岡藩の経済感覚は、だめだめ。如水の興した家だとは到底思えん。
お隣の毛利を見習え。

・長政が実際の石高より多めに表高を申告したので、もともと財政が困窮しやすい体質。軍役でも、参勤交代でも、お手伝い普請でも過重な負担に苦しむ。
・長崎警備や島原の乱もあって、3代目の忠之の末期からいきなり財政難に。
・藩札を発行する時2回連続して騙したので、最後には領民に信用がなくなり、3回目に発行した時には藩札が流通しなかった。
・当然財政は借金まみれだが、その借金を踏み倒すのさえ下手くそ…何の考えもなく大坂商人の借金を踏み倒し、報復として大坂の米市場で筑前米を取引から締め出される。現金収入の道を絶たれてさらに困窮。あわてて殿さま自ら手をついて、謝ってなんとか許してもらう破目に。
・バブルな開発計画ばかりたて、他藩から財政再建のエキスパートを雇っても、まったく倹約できない放漫財政を続ける。
・維新のときは財政難で大変困る。そこで藩ぐるみで偽の太政官札を刷ってみた。藩士がそれを使って、必要物資を購入する末期状態。

それが新政府にばれて、倒幕藩なのに廃藩置県の前に取り潰された唯一の藩になった…

177: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 14:12:53 ID:Szh3rPFl
本当に駄目駄目だなwww
根本的に経済における<信用>の意味が分かってないものと思われ
如水の名誉のためにせめて、黒田家直系は7代目で絶えてしまい、福岡藩は以降関係のない他家の養子がずっと藩主だから、と言っておく

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 19:59:45 ID:PnhC3czB
黒田は如水と長政以降、急速にダメになってゆく感じ
4代目がややましで、そのあとはすぐ血筋が絶えてしまった
池田や細川は、初代藩主以降むしろ人間ができて名君が多くなってゆくのに・・・

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/17(日) 01:49:02 ID:FNqKgXCN
やはり黒田の直系が絶えたのは伝承のとおり、城井鎮房とその一族の呪いだろうか


ありゃ黒田親子のやり口が酷すぎるだろ
城井 鎮房

城井 鎮房(きい しげふさ)は戦国時代から安土桃山時代の豊前国の戦国大名。城井氏の第16代当主。怪力無双の人物で強弓の使い手であったとも伝わる。
1587年10月、城井谷城を急襲して奪回。籠城して豊臣軍を迎え撃つこととなった。

地の利のある鎮房はゲリラ作戦により、攻撃してきた黒田孝高・長政親子が率いる豊臣軍を撃退。天険の要塞である城井谷城攻略に苦戦した孝高から、本領安堵と鎮房の13歳になる娘・鶴姫を長政に嫁がせる事を条件に和議を受け入れた。

天正16年(1588年)、長政の招きにより中津城へ向かったが、孝高が長政に授けた謀略により、庶子の空誉が住持している合元寺に家来は留め置かれ、鎮房は城内にて暗殺され、黒田家に人質となっていた鶴姫も侍女ともども磔とされた。

180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/17(日) 05:31:25 ID:/6R5L1kO
まあ殺る気満々で、端から騙して政略結婚して、舅とその家臣を騙し討ちでヌッ殺し
14歳の嫁を磔にした長政はかなりな鬼畜ではある。

201: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/20(水) 06:38:33 ID:yC7Z5fMu

いろいろ企むわりに、どこかうっかりしている
ここぞというところで、思わず余計な決め台詞を喋ってしまう

そこが黒田孝高の魅力です

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/20(水) 10:34:12 ID:GUNlzQdz
>>201
確かに蛇足の天才という感じではある。

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/20(水) 12:34:55 ID:wqQX/Xf2
>>201
ついでに長政の魅力も考えてやれ。
変わり兜以外で。

216: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 21:38:37 ID:rKYv3a0z
>>204
関ヶ原前哨戦で増水した合渡川を渡るとき、乗馬が足を滑らせ長政が川に転落し流されてる
んでとっぱいの兜の尖った先が柳の枝に引っかかって、何とか家臣に救出され命拾いした
ここで長政死んでたら大変なことになってたから、変わり兜がすきでよかったなw

219: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/22(金) 06:00:33 ID:MXB4eB5b
>>216
長政、結構間抜けだな・・・
朝鮮出兵でも敵将と組打ちして川に落ちてなかったか?
ここで死んでればただの端武者扱いだっただろう

205: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/20(水) 22:29:59 ID:FmxJ+mrN
蛇足はないが、兜以外に派手さがないのが親父と対照的

206: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/20(水) 23:10:08 ID:d3reW4R1
関ヶ原直後に、家康から直筆の感状をゲットしておく手堅さは地味ながら大金星。あの感状一本で、黒田騒動も乗り切って、幕末まで家名を保ったようなもの。

207: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 01:15:24 ID:6KDjZNcb
うん、地味にものすごく堅実で有能なんだよ(戦場以外では)
しかしそういうところが俺らや如水の癇に障るんだよ
ギャンブル狂いで借金も辞さない人のまえで
車を一括で買ったら小学生以来の貯金が半分になっちゃったーとか言ってごらんよ

208: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 02:31:44 ID:hVU3hKt7
むしろ関ヶ原こそ長政の大賭博だと思うおれは、もしかして少数派か?
しかも、天下分け目の戦でものすごく綺麗に大勝してみせた。
如水が秀吉見込んで天下取らせたように、長政は家康に元金全部賭けて 関ヶ原でいわば中国大返しをやった見せたわけで。
調略といい槍働きといい、関ヶ原の時の長政は別人のようにかっこいいと思うんだけどなあw

210: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 04:08:18 ID:jaxwILz8
>>208
息子の方が実は贔屓なおれも同意
調略も見事だけど、合渡川から合戦当日の槍働きが張り切りすぎ

関ヶ原の乱戦の最中、小早川秀秋がなかなか裏切らずに焦れた家康が、長政の許に使者を送って「お前の調略は一体どうなってるんだ?!」
と詰問した時、
「馬鹿を言うな! 調略は戦の前にすべきこと。戦いが一旦始まれば、槍働き以外はおれの知ったことか。金吾が裏切れば討ち果たしてやるから、うろたえるな!」
と、怒りにまかせて怒鳴り返した逸話が好きだ
武断派の本領とか戦場で血が滾ってる感じが思わず出てて、すごくイイ!

211: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 05:52:27 ID:G6/IqThj
まぁ黒田家はやっぱり合戦がないと見せ場がないからなw
しかし長政も家康に思い切った啖呵切ったもんだ・・

212: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 12:34:16 ID:S0ta3Uvy
その割りにはお膝元の福岡県民の間でもいまいちマイナーで
地元の兵庫県民からは完全にスルーされてる如水&長政親子orz

213: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 13:09:59 ID:cTpTmjWm
>>212
福岡がどうなのかは知らないけど、兵庫県の場合、何か象徴となる足跡(兵庫県内での実績とか、今に残る城とか)がいまいち残ってないからなぁ。

214: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 18:54:55 ID:GAI8fii8
御着城や姫路城は?

215: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 19:31:02 ID:7ysCvlSh
いまの姫路城は池田輝政が築城したので、黒田父子は忘却の彼方へ。
姫路宰相時代に城下町が整い、いちばん華やかだったので地元は輝政びいき。
御着城はお城残ってなくて城址公園になってる。如水の祖父祖母のお墓があるだけ。

でも今年の夏は、姫路お城まつりで初めて黒田家イベントやってたよ。
如水と長政+黒田24騎の武者行列を、福岡から甲冑とか借りて再現してた。
今年が初めてだからわかんないけど、来年もやるといいと思う。

217: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 21:42:43 ID:0mraRwdX
名将言行録で誰だったかが、自分の具足姿を見て怖がる奥さんに
「黒田殿を見たらショック死するぞ」みたいな事言ってなかったっけ。

当時(少なくとも言行録が編集された頃)から見てもやっぱりあれは
ショッキングだったんだと笑った記憶があるんだが。

218: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 22:52:40 ID:xwWN/slS
むしろ如水の赤合子が、ショックというか笑い死に系な気がする
大阪城では、あのおわん兜の模型が小学生に爆笑されてる
自分も初めて見たとき、やっぱり噴いた
mig (1)

220: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/22(金) 18:06:00 ID:xhdlGIlR
長政は鉄砲を自慢して、もはや弓など不要とか言ってたら立花宗茂に、使い方次第では弓のほうが役に立つこともあるって言われて口論になり
鉄砲と弓で競うことになって見事に負けて、自慢の名銃墨縄を宗茂に譲り渡す羽目になったっていう逸話もあったな。

221: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/22(金) 18:18:11 ID:ig7uQFa4
いるよなー。最新技術にテンションあがっちゃってそんなこと放言するやつw

もう携帯買ったから家の電話は要らない、みたいな。

222: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/22(金) 18:46:21 ID:/nwXJNUC
親子揃っていらんこと言う家系だよなw

223: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/22(金) 19:06:03 ID:1gFMb7FU
文禄の役で、長政は初めて外国の軍隊との戦闘を経験して、日本の鉄砲の集中的な使用が、戦術的な優位をつくりだすのを見てる。その経験から鉄砲の有効性を再確認して、そう言っただけでは?
ごく普通のことを言ってるだけで、放言でも何でもないと思うけどな。

224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/22(金) 19:12:21 ID:1gFMb7FU
上の逸話は、文禄の役の碧蹄館の戦いの直後の話だし。

225: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/22(金) 19:52:30 ID:r9aopDd6
長政は、鉄砲に関しては自分自身が稲富流砲術の免許皆伝の腕前だったから、ぶっちゃけ勝負しても宗茂に負ける気しなかったんだろう
立花宗茂はひとつだけ年上なだけだし、戦勝後の宴の席だったからつい勝負したんだろう

ここでうっかり負けるのがなぁ・・・いいから勝っとけよ!wとは思うが

こいつに恨まれたら面倒だと思ったのか、あとで宇喜多秀家が立花宗茂に巻き上げた鉄砲の代わりに長政に弓を贈るように勧めたんで、交換した形になったけどね 

226: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/22(金) 20:12:04 ID:R5dO9M7Z
なかなか良い逸話じゃないか。
両者の人間性も垣間見えるし

228: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/22(金) 20:14:29 ID:/nwXJNUC
というかそこで秀家がフォローに入ってるのが結構意外だ。
単なるボンボンかと思ってたがそれなりに空気読めるタイプだったのか。

233: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 00:36:54 ID:DTjs/5dj
>>228
この宴会の主催者が宇喜多秀家だったからフォローした
秀家ということにあまり深い意味はない

229: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/22(金) 20:26:57 ID:r9aopDd6
まぁ関ヶ原では、序盤で島左近を迂回させた伏兵の鉄砲隊で仕留めてるから結果オーライw GJ!
やっぱり鉄砲隊の使い方は、長政はかなり上手かったんだろう

234: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 00:43:40 ID:fhzdwc0e
黒田って
俺的には城井鎮房一族虐殺の件で拒絶反応を起こすのでダメだわ

237: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 01:15:01 ID:zZNsrGZm
殺された城井のお姫様の名前は資料に残ってる?

238: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 01:19:12 ID:DTjs/5dj
城井の姫さまは確か鶴姫だったと思う。
年齢は諸説あって6歳とか14歳とか19歳とかバラバラだけど。

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 01:46:27 ID:DTjs/5dj
皆殺しにしたんじゃなく傍系は見逃したし、宗家の城井朝房の奥方も逃げきれた。
その息子奥房は後に越前藩に仕えたので、城井宇都宮家は絶えてない。
事件後、中津城内の城井神社を立てて城井一族と殺した家臣を祀ってる。
というか、長政が怨霊に祟られて情緒的に不安定になってしまったんで、如水が立てざるをえなかった。殺った黒田家にもかなりのトラウマになった事件。

240: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 04:55:04 ID:edOrWYF3
これさあ、でも普通に城井一族が秀吉をなめすぎじゃね?
城井の豊前を孝高に与えるかわりに、城井は伊予12万石へ移封するっていう朱印状与えたのに、豊前にこだわって突っぱねたんだから。そこの時点で終ってるよ。秀吉に朱印状突っ返して無事にすむわけないだろうが。
肥後出陣で孝高が不在なのを見計らって兵を挙げたのも、あっちが先なんだし。鎌倉以来の田舎豪族が、単に時代情勢読み間違って滅んだだけ。
なんでこの話だけ、ごっつい悪行のように言われなきゃならんのか正直よく理解できない。切取りの時は、どこでも似たようなことやってんのに。

241: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 12:26:44 ID:fpgDqvA9
この時代の城主・豪族は地元の利権の代弁者だからなぁ……。
色々と事情があったのだろう。

どう考えても城井の判断は失敗だが。

242: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 15:02:26 ID:W4JB5UQ6
そういや筑後の蒲池鎮漣も肥前のクマーにだまし討ちされて一族皆殺しにされてたな
宇都宮一族は本家も秀吉政権下で改易されたし
名流だけど時勢の変化を乗り切る力はもうなかった宇都宮軍団w

243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 16:25:39 ID:XKqwrOmW
中央から遠いから、九州や奥州は中世以来の名流が残ってたりする。
宇都宮一族は名流だから、秀吉や黒田は成り上がりにしか見えなくてつい余計な意地を張りすぎたんだろう。黒田家はもともと目薬屋あがりだし。そういえば「目薬大名」って島津にも馬鹿にされたことがあったしさ。中世以来の名族の名流意識って、戦国でもかなり濃厚に残ってたんだろう。

246: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 19:08:59 ID:0k/wVnQF
城井攻めは序盤から中盤まで、長政で負けっぱなし。
孝高は持久戦を予定してたのに、長政が焦って攻めて大負けした。
親父に鼻血が出るほど(比喩)怒られて、おれは武士に向いてないと落ち込んで頭丸めて寺に謹慎したのもこのとき。まあまだ10代だから仕方ない。
後半戦は孝高が落とした城井の小城を要塞化して、そこを足場に篭城する城井勢の支城をひとつひとつ攻略して追い詰め、停戦に追い込んだ。
こういう城攻めさせたら、孝高はやっぱり戦上手だよ。
逆に文禄・慶長の役で、長政は国内と勝手の違う戦い方の経験を集めて、武将として成長したんだと思う。

247: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/23(土) 20:04:30 ID:wCE/mnPO
文禄・慶長では長政も如水もいろいろな活動してるし、作戦面の対立で三奉行と黒田親子が加速度的に仲が悪くなってくのがよくわかって面白いよ
というか初っ端から、一旦決まった軍議の決定を、戦下手の三成の横槍で無理に覆されて、如水がキレてる 黒田親子と石田・増田は、日本にいたときから仲悪いしな
そのあと如水が浅野長政と碁を打って、三成を怒らせた話ばっかりが有名になってるが

248: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 03:05:37 ID:0sUZy55u
文禄・慶長の役はドラマでも小説でも飛ばされるからなあ
どうしても黒歴史扱いつーか・・

249: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 03:28:51 ID:Ef5rhoEo
黒歴史つか黒田親子は腹まで真っ黒だろうが 
とくに息子の長政


朝鮮で氏んどけばよかったのに

250: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 03:52:55 ID:hTLfYp5j
>>249は文治派


あるいは意外な線で、隣国の細川越中守忠興の仕業
豊前の年貢問題でもめたので仕返し

252: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 04:19:47 ID:iNilnl1G
>>249
長政の友人福島正則(泥酔中)説

黒田家に日本号を取られたことを急に思い出して、つい・・
朝になればすべて忘れているので気にしなくていい。

251: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 04:07:10 ID:vqvB3+cm
>>249
小西行長説を押したく思います。

253: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 04:28:09 ID:iNilnl1G
>>251
小西と黒田ってそんなに揉めたっけ?
朝鮮役では、長政がたびたび救援して小西を助けてやったのに。
如水は、小西との対立が原因で三成に失脚させられたようなもんだが。

254: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 18:39:40 ID:0IVnt/4T
そこそこ悪いとは思うが、清正と行長ほどの因縁や対立はないと思う
関ヶ原後、何人か小西の旧臣も黒田家に仕えてるし、行長の末子は長政に仕えてたらしい  

255: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 18:55:38 ID:6hDHWBjS
もめてたかどうかは知らんが、長政は棄教して迫害者に転じてるからじゃね?
小西は高山右近庇ったり私財から寄付したりとまっとうなキリシタンだったから。

256: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 19:19:07 ID:0IVnt/4T
如水と長政は棄教令で棄教してるけど、黒田家は領内のキリシタンは保護してるから、どうだろうね。如水は表向き棄教してるけど、葬儀もイエズス会が行ったように信仰は捨ててない。
長政はキリシタンだった時期が、ものすごく短いので本人の信仰はよくわからないけど、筑前に移ってからも政策としてはキリシタンに寛容だった。
叔父・黒田ミゲル直之(このひとは棄教しなかった)が城主の筑前秋月領は、教会があり2000人以上のキリシタンがいた。というか叔父が布教した。
長政自身、禁教令(1614年)がでるまで、領内のキリシタンを弾圧していないし。

257: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/24(日) 19:53:48 ID:VCif4UcQ
高山君に唆されてキリシタンになった如水は、まず黒田家内で布教を始めるんだけど、家族にも領民にも信仰を強制したりはしなかった。
「お前も修道士の話を聴いてくれたら嬉しいが、信仰を強制するつもりはない」
と、如水が息子に言った場にイエズス会士が居合わせて、記録してる。
長政もなんとなく付き合いでキリシタンになった感じ。
如水の妻は浄土宗の信者のままだった。如水も仏教徒とキリシタンを両立させてる。
思いつめたところがないっていうか、なあなあというか、常識的。

引用元: ・【智・勇魚の如き】黒田孝高総合スレ【縦横無尽】



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