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1: 人間七七四年 2015/07/21(火) 09:02:57.40 ID:+PPDOJjT
今川義元(永正16年(1519年) - 永禄3年5月19日(1560年6月12日))とは、室町時代の戦国大名にして駿河の守護大名今川家の9代目当主。
足利氏一門で、今川氏親の五男
婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。
1560年、2万5千の大軍を率いて尾張へ侵攻するが、田楽狭間で休息中に織田信長による奇襲を受け戦死(桶狭間の戦い)。
享年42歳。








2: 人間七七四年 2015/07/21(火) 09:23:50.21 ID:+PPDOJjT
今川義元は世間ではバカ殿扱いされてるけど、本当は名君なのです

4: 人間七七四年 2015/07/26(日) 01:27:24.35 ID:2IpBhSn7
ただ最期だけは擁護できん・・・

5: 人間七七四年 2015/07/26(日) 01:37:02.16 ID:LzG8iayM
信長にやられたってところがまだ救いだな。
これがもっと無名なやつにだったらここまで有名にもなってないし評価も一枚落ちる

10: 人間七七四年 2015/07/29(水) 22:50:07.13 ID:C2HwSZlj
今川義元ってどうやって桶狭間の戦いで殺されたんですか?
2万5千人の兵を率いた大将が戦場で討ち取られるとか普通あり得ないんですけど。

16: 人間七七四年 2015/09/06(日) 16:33:46.44 ID:IaSA4nEm
>>10
まず二万五千というのが作り話。資料により人数がまちまちで、その差は二万~四万
実際の駿河、遠江、三河の最大動員数は石高から考えると二万五千でも多いと言われている
加えて義元が上洛途中だったというのも、創作。尾張を無視して進むわけにはいかないし、尾張は今川氏の旧領だった時代がある
そして兵隊は戦闘員ではなく、半分以上が前線に向かう輸送部隊だったと考えたら織田が奇襲して勝つ可能性は僅かにある
加えて雹混じりの暴風雨の夜で、田楽狭間は狭く視界も悪い
こういう悪条件が重なった結果、信長の旗本二千程度が夜間に突撃して義元本陣の五千程度の兵と乱戦になれば義元を討つのも不可能ではない
暴風雨と暗闇と湿地で馬もろくに走れないしね

つまり幸運が重なった結果

17: 人間七七四年 2015/09/07(月) 06:31:46.53 ID:T401pucK
最近の説だと義元は小山の上に陣取っていたことになってるんじゃないの?
奇襲って成り立つのかな?

18: 人間七七四年 2015/09/07(月) 22:01:24.25 ID:KJdT2jOH
奇襲というか、信長側が迂回しようが正面から行こうが今川側にとって桶狭間が不測の遭遇戦だったという事
大昔は義元の目的が上洛前提とされていたから奇襲か否かの論に意味があったが、戦後に有象無象の資料が整理されていく中で、桶狭間はいくつもの天候や偶然が味方した不測遭遇戦であった場合は信長側も今川本陣を特定していたわけではなかった可能性が高くなった
こうなる奇襲という呼び方自体に意味が無くなる

ものすごく単純に言うと、勝ち続きの中で天気荒れたので一先ず休憩した今川隊に決死の信長隊が突撃して、それがたまたま互いに本隊だった
こうなると攻撃体勢に入っていた信長側が有利で混乱のまま義元が戦死した
という説

22: 人間七七四年 2015/09/22(火) 18:21:22.94 ID:cvuvIEpV
おいおい、氏親の5男なんて初耳だぞ!

僧籍に入ってて兄貴と家督争いして勝ったから家督を継いだんわ分かるけど、他の兄弟どこ行った?

24: 人間七七四年 2015/09/23(水) 18:03:19.13 ID:YJSC+GfV
>>22
通説だと氏輝 彦五郎 恵探 泉奘 義元 氏豊だから五男だな
もっとも彦五郎と泉奘と氏豊は氏親の子か疑わしいから実際には三男だろうけど

26: 人間七七四年 2015/09/25(金) 07:41:29.35 ID:i9/wKrS1
>>24
彦五郎って元服してへんの?

27: 人間七七四年 2015/09/25(金) 09:36:16.17 ID:ZT+/8+9P
「彦五郎」だから元服はしてるだろう

28: 人間七七四年 2015/09/25(金) 10:50:40.12 ID:OdJxhmkA
>>27
えっ?そうなん?彦五郎って幼名かと思ったよ

29: 人間七七四年 2015/09/25(金) 11:06:55.87 ID:ZT+/8+9P
織田家の三郎とか松平家の次郎三郎とか北条家の新九郎と同じよ

30: 人間七七四年 2015/09/25(金) 11:27:37.28 ID:RrO6PhvG
>>29
あれ?織田三郎信長だよね?

31: 人間七七四年 2015/09/25(金) 11:29:07.17 ID:RrO6PhvG
>>29
松平次郎三郎元信(家康)だよね?
伊勢新九郎宗瑞しか知らんのやが、北条家は代々新九郎が幼名なん?

32: 人間七七四年 2015/09/25(金) 13:06:06.65 ID:ZT+/8+9P
>>30-31
幼名じゃなくて通称
>>29の諸家と同じで今川家の家督継承者は「彦五郎」か「五郎」を名乗るのが慣例

氏輝弟?の彦五郎は通称だけ伝わって諱は失伝したんだろう

33: 人間七七四年 2015/09/25(金) 14:51:50.56 ID:T/Mj//0+
>>32
なるぼど、通称でしたか教えて頂きありがとうございます

つか、信長は三男じゃないの?
三郎ってのも通称ですよね

34: 人間七七四年 2015/09/25(金) 15:07:34.23 ID:ZT+/8+9P
確かに信長は三男だけど、三男だから三郎を名乗ったわけじゃなく織田三郎信秀の嫡男だから三郎を名乗った
同様に松平家、北条家も代々長男が次郎三郎、新九郎を名乗っている

36: 人間七七四年 2015/09/26(土) 12:38:16.72 ID:cgVG0Sdq
>>34
ん?つか以前から気になってたんですが、嫡男と長男の違いってなんすかね?嫡男=長男なら信長は三男になりますよね?
義元も長男じゃないですよね?
無知ですいません

37: 人間七七四年 2015/09/26(土) 12:57:55.18 ID:Hqa1Ft3h
基本的に嫡男は正室の産んだ子ども
父親から見て最初に産まれたかどうかではないのですな

38: 人間七七四年 2015/09/26(土) 15:14:15.27 ID:0NvHHgjo
>>37
あぁ、なるぼど伊達政宗の子供もそうでしたね、側室の子供が先に生まれて
正室の子供が後から産まれましたよね

つか、義元には側室いなかったんすかね?

39: 人間七七四年 2015/09/26(土) 19:20:49.02 ID:33Gx231Q
一応、築山殿の母は一般には義元の妹とされているけど
史料によっては義元の元側室だとするものもあるな

49: 人間七七四年 2015/10/03(土) 05:49:11.67 ID:mee6nDyE
今川家って高家で残ったんでしょ? 

50: 人間七七四年 2015/10/03(土) 06:30:05.12 ID:8ZaC7knL
残ったね。で、幕末に断絶

最後の当主は幕府で活躍したけど、
跡取り息子に先立たれ明治維新で財産も失うというお手本のような泣ける晩年を過ごしたようでくっそ鬱になれるぞ

53: 人間七七四年 2015/12/01(火) 08:06:31.90 ID:jZ8IUOHx
毎回思うんだけど今川義元の軍勢2万5000ってどこのソースなんだ?
駿河→三河の領地で2万も軍勢集まるとは思えないんだけど
当時関東である程度名声持ってた上野下野足利連合軍6万うんちゃらの方がまだ説得力あるが
天下の殆んど手中に収めた最後の激戦大阪夏冬陣でも20万(膨張)なのに

55: 人間七七四年 2015/12/01(火) 08:30:21.76 ID:rBIHrVJM
人数なんて本当のところはわからない。
みんな妄想だっての。
誰が数えて、その数値は正確なのか、その文章は本物なのか。
どの数字もあてにならない。
義元が敗死したのは事実のみ

56: 人間七七四年 2015/12/01(火) 09:58:47.79 ID:/5QOeEK0
たしか石高で算出する兵力だろ、2万5千は100万石だととかいうやつ
三国志もそうだが攻める方は号して10倍ぐらい言うし
勝った方も大兵力に勝ったことにしたいから相手の兵力を水増し

ジンギスカン戦法で住民全部動員する気なら相当な人数集められるけどな

61: 人間七七四年 2016/01/05(火) 16:14:52.42 ID:OvhJokts
慶長あたりの検地で、駿河19万石、遠江28万石、三河35万石だった筈。
当時の織田家が20万石程度と言われているので乱暴な計算だが
残りの尾張の石高35万石も今川領として合計117万石
北条氏の援軍も2~3千いたようなので留守居の兵を引いても2万5千は可能だと思う。

63: 人間七七四年 2016/01/09(土) 22:23:49.49 ID:uNO5Goyp
>>61
桶狭間での織田軍の勝利が不期遭遇戦か、狙いが当たった奇襲かはともかくとして悪天候があったとはいえ義元本陣を蹂躙されてる点で、さほどの兵数があったとは思えないけどね。戦域は尾張南東~西三河の狭いエリアなのに。

67: 人間七七四年 2016/02/07(日) 15:18:18.65 ID:PCR73d92
今更だが、首取られて25000は無傷なのに、取り敢えず引き返し、氏真を総大将に再び尾張へ進攻出来てただろうに

69: 人間七七四年 2016/02/07(日) 20:25:45.27 ID:PCR73d92
まあその後、見限る元康、降伏した将兵数千居ても、まだ尾張は万の兵には至らなかったはず

70: 人間七七四年 2016/02/08(月) 06:14:30.25 ID:NcfFuLnG
仮に信長に勝ったとして。そのあとどうするつもりだったのだろう?

そのまま美濃に攻め込んだ?

71: 人間七七四年 2016/02/08(月) 06:35:17.05 ID:T1V43Qll
伊勢志摩じゃない?

72: 人間七七四年 2016/02/08(月) 06:47:11.74 ID:NcfFuLnG
>>71
当時の道路事情を考えると、
やっぱり

美濃→近江→京都

が無難だと思うんだが。

73: 人間七七四年 2016/02/08(月) 11:34:42.80 ID:w75Y55CG
最近は「伊勢湾経済圏の掌握が義元の狙いだった」という研究が多い。当時の海岸線だと
大高城は湊でもある。津島や熱田の交易利権を失えば、信長が生還しても織田は立ち枯れる。

尾張を併合して数年したら、史実の信長と同じように美濃・北伊勢侵攻に移るだろう。

82: 人間七七四年 2016/04/16(土) 20:29:40.22 ID:ivQYpWPw
桶狭間で動員したのは2万だろうね。

で、4万というのは、最終的に三好長慶と対峙するときの予定兵力。
義元の目的は、やはり上洛だと思う。もちろん、単独じゃなくて、六角義賢、畠山高政らと組んだ上でのね。斎藤義龍は、六角義賢と同盟中なので、普通に味方になってくれるし、上洛の敵は、三好長慶と対峙するまでは実は三好長慶の同盟者で、最初から潰す対象となっている信長だけ。浅井長政?
雑魚過ぎて話にならん。あと、氏真への早すぎる家督相続も、上洛目的なら辻褄は合う。

証拠の書状はあったのだろうが、六角は最終的に秀吉についたので、その時に証拠を抹消し、隠滅したんだろう。畠山一族は無残に滅び去ったので、証拠が消え去っても何の不思議もない。

84: 人間七七四年 2016/04/16(土) 22:21:08.76 ID:xdBwQHZv
>>82

ということは、
駿府→京都のルート上の敵は織田信長と浅井長政の二人しかいなかったということになるなあ。

85: 人間七七四年 2016/04/16(土) 22:43:29.21 ID:ivQYpWPw
>>84
そういう意味で、意外に上洛説のハードルは低い。少なくとも、美濃も近江も戦わなければいけない、というのは、当時の外交関係を無視した暴論。

あとは証拠だけだが、これも六角-今川さえ結び付ければあとは自然と結成できるので、それほど複雑な外交を要しない。

86: 人間七七四年 2016/04/19(火) 21:25:14.56 ID:2VDCGju+
浅井長政としては、別に国境を接しているわけでもない今川義元と戦わなければいけないこともなかったと思うんだが。

87: 人間七七四年 2016/04/19(火) 22:52:48.95 ID:vITQ/+5o
>>86
浅井長政は反三好連合軍では六角義賢のみならず、斎藤義龍とも敵対していた。
間違いなく、六角、斎藤が血祭りに上げたがる以上、今川も従わざるを得ない。
そして、三好方(恐らく間違いないだろう)としてぶっ潰し、三好と対決する前に気勢を上げるのに使われただろう。

89: 人間七七四年 2016/04/21(木) 17:19:48.05 ID:FnfbJ8PZ
>>87
堅城である小谷城に籠城されたらどうしようもないと思うんだが。

抑えの兵を置いたとしても、その抑えの兵がもし負けたらどうするのかという問題はあるだろ。

92: 人間七七四年 2016/06/15(水) 15:36:56.93 ID:XFoLAfGJ
>>89
桶狭間の時期、浅井はまだ六角に臣従してたんじゃないの?
それならば浅井領も素通りできるかもしれない。

94: 人間七七四年 2016/07/25(月) 12:46:22.03 ID:Fd6Av/uj
>>92
そんな時期があったの?

95: 人間七七四年 2016/07/25(月) 13:55:14.02 ID:JZ2D5XOT
>>94
久政時代は実質的に臣従していたけど、元服した長政が六角との決別を決めて自立・家督奪取に至る
それが1560年の夏ということになってる

121: 人間七七四年 2017/01/28(土) 01:51:58.54 ID:MjDgpsW+
雪斎あっての義元って感じ。雪斎亡くなってから精彩欠いてないかい?

122: 人間七七四年 2017/01/28(土) 01:55:13.67 ID:RYk+i+4v
セッサイが決め手じゃないよ
桶狭間の結果のみが義元をおとしめた
桶狭間も本来負けるようなことはなかったのに負けたので一気に落ち目イメージついた

123: 人間七七四年 2017/01/30(月) 17:42:30.38 ID:JhjY40Jg
久々に大規模軍事行動を起こしたら敗死なんだから
どうしたって戦上手ではないわな

131: 人間七七四年 2017/01/31(火) 01:28:24.47 ID:RAKAGEiw
>>123
でも特別戦が下手でもないと思う
相手が相手だし

124: 人間七七四年 2017/01/30(月) 18:43:16.55 ID:KYGBIAgI
そういえば雪斎って、桶狭間のときは生きてたっけ? 死んでたか

125: 人間七七四年 2017/01/30(月) 20:03:00.37 ID:GmUsuhy0
>>124
死んでいたのではなかったか?

127: 人間七七四年 2017/01/30(月) 20:14:48.51 ID:KYGBIAgI
>>125
そういえば、なんかの大河で、天国の雪斎、おまえも酒のめえ!って
義元が言ってた気がする! 

130: 人間七七四年 2017/01/31(火) 01:07:50.84 ID:gv3nuPHj
>>127
たぶん風林火山

義元幼少の頃から付きっきりだし雪斎、三河攻略も総指揮官は雪斎。やはり雪斎あっての義元だと思います。織田信秀と激闘を演じたのは雪斎

132: 人間七七四年 2017/01/31(火) 02:25:23.67 ID:XdZIHfcn
>>130
安城攻めて捕虜交換で竹千代奪還してきたのも雪斎だし、すごい坊さん。

126: 人間七七四年 2017/01/30(月) 20:12:26.41 ID:/UxZIkLR
久々はまあ否定しないとして桶狭間で負けてないなら基本的に評価高いから今川
負けたからもう致し方ないが。
セッサイに関してはむしろ家康を育てたって感じで評価高いよな

137: 人間七七四年 2017/01/31(火) 14:19:00.45 ID:CjHVynJN
人質交換だけど当時の織田信広と竹千代はどっちが重要人物だったか?織田と今川はどっちが得した?

138: 人間七七四年 2017/01/31(火) 17:37:23.51 ID:AP1D4XS3
>>137
織田信広は庶子だからなあ。

正嫡の家康のほうが重要人物だったと思うよ。

139: 人間七七四年 2017/01/31(火) 19:04:57.36 ID:62SVTu5Q
たしかに松平元康がいるから三河勢は織田攻めに参加するわけだからなあ

140: 人間七七四年 2017/02/01(水) 12:44:10.85 ID:LbreqNWT
織田信広は庶子だとしても三河の対今川最前線の城主なんだからそれなりに有能なんじゃない?

141: 人間七七四年 2017/02/01(水) 13:26:36.79 ID:17Ac2yBN
有能かどうかじゃなくて有用性の問題じゃないの?
極端な話し信広は跡継ぎではないので人質としておいても捨てられかねない
竹千代を抑えておけば西三河の豪族たちに言うことをきかせることができる
どちらが今川にとって得か

142: 人間七七四年 2017/02/01(水) 13:36:20.39 ID:2ZDO3E5/
竹千代は人質だから今川に殺されてもおかしくなかったという人が時々居るけど、殺しちゃ元も子もない三河支配のキーパソンだよね。

144: 人間七七四年 2017/02/02(木) 01:45:32.75 ID:dUnfD5U4
竹千代やっぱキーパーソンだね。信秀も竹千代奪取した時はかなり嬉しかったんじゃないかな。これで労せず西三河は俺のものってね

150: 人間七七四年 2017/02/09(木) 21:42:58.37 ID:35Z9OHFJ
軍事外交は雪斎、義元は内政統治
何事も雪斎と二人で決めてたって話もあるくらい他の者を信用しなかったのが義元
雪斎死んだらそりゃ崩れるわな

151: 人間七七四年 2017/02/10(金) 00:36:02.76 ID:CJn8glrS
ボロが出る前に桶狭間で死ねてよかったか

153: 人間七七四年 2017/02/20(月) 23:23:35.39 ID:jwH+utD3
息子の氏真は「蹴鞠の天才」といわれるほど蹴鞠が上手かった

154: 人間七七四年 2017/02/20(月) 23:59:04.34 ID:3BAEYdEk
小学校のクラスメートに「金魚すくいの天才」と呼ばれる奴がいたが
それくらいどうでも良い

156: 人間七七四年 2017/02/21(火) 01:26:28.09 ID:Yuqa5ua+
ウジザネは家康の偉大さに比べられて負けた、損な立ち位置

159: 人間七七四年 2017/02/27(月) 18:22:45.92 ID:VmFXSVwS
>>156
家康と信玄に挟まれて領国維持は至難の業だな。

157: 人間七七四年 2017/02/27(月) 11:57:45.94 ID:Zv7CGyfC
なんだかんだで戦国サバイバルレースを完走し今川家は幕府高官になったからな

163: 人間七七四年 2017/02/28(火) 11:57:18.03 ID:7xzZrnsE
>>157
完走はしたな

スタート時はほぼ先頭集団にいたはずが、
ビリに近い順位にまで下がってゴールした
といったところ

先頭を争っていたような武田や大友がリタイヤしたことを考えると、
それなりに評価しても良いとは思うが

引用元: ・【名君】今川義元 Part2【海道一の弓取り】



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