51HDA2ZKWDL (1)



1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/24(火) 16:51:45 ID:2y8jgwmy0
楊大眼とか








498: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/08(火) 16:52:40 ID:8e3xp53J0
石勒も好きだけど慕容恪はもっと好き。

499: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/08(火) 20:03:10 ID:CUtbS2d80
苻堅は人気ないのかな
あの人徳ぶりは大好きなんだが
もし仮に苻堅が中国を統一してたら漢民族も異民族も融和した帝国を4世紀の中国に誕生したかもと考えると興奮する

苻 堅

苻 堅(ふ けん)は、五胡十六国時代の前秦の第3代皇帝(大秦天王)。

氐族である苻堅は、宰相の王猛を重用して前燕や前涼等を滅ぼし、五胡十六国時代において唯一の例である華北統一に成功した上に東晋の益州を征服して前秦の最盛期を築いた。中国統一を目指して383年に大軍を南下させたが、諸因により淝水の戦いで東晋に大敗した。以後統治下の諸部族が反乱・自立すると前秦は衰退し、苻堅は385年に独立した羌族の部下姚萇に殺害された。

苻堅は王猛のおかげで五胡十六国時代の中で唯一華北を統一する王にまでなったが、それは苻堅自身の才覚というよりは王猛の補佐によるところが非常に大きく[要出典]、王猛没後に苻堅は没落して殺害されている。これは王猛の生前に苻堅が極端に異民族を優遇したためであり、また滅ぼした旧皇族をそれぞれ重用するなど余りに苻堅は諸民族を糾合するという理想に駆られていた感があった。苻融などはこの施策を危険と見て諌めたが、苻堅は当時としては信じられないほど極端な理想を述べて聞き入れなかった。


502: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/08(火) 21:45:26 ID:YSbjSPe2O
>>499
ヒ水で転けたのが痛いよね・・・苻堅
個人的には苻堅より王猛がスキー

505: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/08(火) 22:22:08 ID:929ZSSmf0
>>502
王猛が生きていればヒ水も違った展開になっていたのだろうか。
…そもそも南征させないか。

506: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/08(火) 22:46:15 ID:YSbjSPe2O
>>505
そうだね。王猛は東晋を討ってはダメだって言ってたもんね。

500: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/08(火) 21:36:27 ID:GJx+g/cl0
理想は実現しないから理想なんだぜ

503: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/08(火) 21:48:29 ID:zkebu+PJO
>>499

苻堅はこの時代ではやはり異質な存在ということになってしまうのだろうね
ただ慕容垂が苻堅とは戦えないというようなことを言っていたことや、彼の死後姚萇の将士が泣いたということからして人物的な魅力が大きかったことに異論はないね

507: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/08(火) 23:03:47 ID:3hcZoXfu0
姚萇って経歴みるとすごい面白いよな。才能は慕容垂には及ばないけど凄い人間っぽいヤツだ。小説の主役向き
姚 萇(よう ちょう)は、五胡十六国時代の後秦の創建者で、羌の出身。父の姚弋仲は羌の勢力を率いる後趙の将であった。兄の姚襄が羌の勢力を受け継いで独立を試みたが、前秦の苻堅と戦って敗死した。姚萇はこの後に苻堅に降ったが、苻堅が淝水の戦いで大敗を喫すると独立して苻堅を弑し、後秦を建国した。


514: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 22:00:13 ID:HykB29B2O
>>507
姚萇はヒ水の敗北後に反乱軍の鎮圧に成功して、苻堅の子が敗死してから恐れて逃亡してるんだよね
慕容垂と比べるとやはり格下になるんだろうかな…

515: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 22:07:20 ID:EEhBsHIg0
姚萇の不幸は、親父や兄貴には及ばない器なのに、それでも強敵たちにぶつかっていかなければならない境遇そのものにあると思うんだが
あれで、王猛や慕容兄弟、苻堅、桓温と比べられるのはかわいそうだよ

508: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/08(火) 23:22:06 ID:jp2qZD3k0
王猛も燕征伐前は賛成してたんだけどな、東晋攻め
慕容垂の粛清にした以上は危険と判断したのか

510: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 13:23:51 ID:3H5SEvvAO
というか王猛ゲット以前に苻堅の王猛や石勒の張賓的有能なブレーンはいないの?・・・桓温
彼の人材発掘能力は高いんだし。

511: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 16:26:14 ID:txH2Cky90
>>510
>桓温のブレーン
〔希卩〕超がいる。北府軍創設者の〔希卩〕鑒の孫。

513: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 17:20:18 ID:3H5SEvvAO
>>511-512 
その〔希卩〕超ってかなりの知恵者なの?

桓温自身結構マルチな人物って印象を俺は持ってる。

あと他に両晋・南北朝にはどんな名参謀・名軍師がいるのか誰か教えてくれませんか?

516: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 22:21:44 ID:pbojnKUC0
>>513
劉宋なら劉穆之とあと徐羨之てとこかな。

しかし劉裕も人気無いな・・・

517: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 22:26:37 ID:HykB29B2O
>>513
五胡しかわからないけど…
かなりマイナーどころもアリとすると
前趙の游子遠、後趙の張賓、前涼の謝艾、前燕の慕容恪、前秦の王猛、後秦の尹緯、姚紹、後燕の慕容隆、南燕の韓綽、夏の王買徳といった人々は参謀・軍師(・政治家)として功績を残したと思う

518: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 22:33:05 ID:4sPoLGpk0
>>513
北魏の華北統一に大きく貢献した崔浩とかどうでしょう
仏教弾圧や国史事件を起こすなど、トラブルメーカーでもありますけど…

519: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 23:01:52 ID:3H5SEvvAO
>>516ー518 
謝艾、慕容恪、王猛は名将としても名高いよね。

崔浩って小便かけられた人?

521: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/10(木) 22:33:57 ID:hRWttntpO
冉閔って強いのか?最終的には負けてるとは云えなんってたってあの慕容恪を10回も撃破してるんだし。
まあ相性も関係あるんだろけどね。
冉 閔(ぜん びん、? - 352年)は、五胡十六国時代冉魏の君主。石虎死後の後継争いの中で次第に台頭し、6代皇帝石鑑の時代に国号を衛と改めて政権を掌握した。さらに、後趙の皇室を始めとした胡人を大量に虐殺すると、自立して漢人政権である冉魏を打ち立てた。その後、後趙の残党である石祗らを滅ぼして中原に覇を唱えたが、前燕の慕容恪に敗北して処刑された。


524: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/10(木) 23:30:11 ID:T8qCu7cRO
>>521
冉閔は闘いには強かったと思うけど、将に将たる人物になれなかったという印象があるね…

522: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/10(木) 23:05:57 ID:YQLwmg+60
冉閔は、自ら苦境を作って壮絶に炎上する投手タイプ
延々と一人相撲をとっていたようなもんだからなぁ
もうちょっと、何とかならなかったものか……

慕容恪は弟の垂よりも戦上手だろうね
寡兵で大軍を迎え撃ち、奇襲し、撃滅するのがこいつほど似合う武将もほかにはおらんだろ
王猛とのガチ対決(最強の王佐の才決定戦)が見たかった

527: こんな名無しでは、どうしようもないよ。 2007/05/12(土) 18:20:50 ID:pPuxrPeI0
晩年の劉裕の豹変ぶりは秀吉に共通するものがあるような気がするね。

劉 裕(りゅう ゆう)は、南朝の宋の初代皇帝。418年、劉裕は安帝を殺害、東晋最後の皇帝となる恭帝を擁立する。禅譲を計画した劉裕は、420年に恭帝から禅譲を受けて皇帝に即位し宋を建国、後顧の憂いを断つため恭帝を殺害した。また、東晋の皇室一族を殺戮した。禅譲後に旧皇帝を殺すようになったのは、劉裕からである。


528: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/12(土) 20:37:50 ID:yRHJ8rz20
桓温、桓玄親子の失敗を見ているから、禅譲へもっていくまでに慎重に行動した結果だろ。

529: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/12(土) 20:56:21 ID:eJyId9Gz0
同じ野心家でも桓温はなんか愛嬌があるけど、劉裕は親しみがわかないな

531: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/14(月) 21:36:50 ID:OtWFfeJ+0
何か余り面白みのない用意周到な野心家って感じですよね。>劉裕

吉川忠夫氏の伝記(中公文庫?)しか読んだことないけど。

532: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/14(月) 22:16:48 ID:/JXZk9+SO
一兵卒からはい上がってきて北府軍を解体された後に劉穆之と反乱を起こす辺りまでは好きだけどな>劉裕

534: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/15(火) 13:15:11 ID:2fqql4d00
劉裕は南朝の皇帝の中じゃ最も質素な皇帝だったと聞いたことがある

535: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/15(火) 22:16:22 ID:Ahw9Lf140
劉裕は字の逸話が好き

536: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/16(水) 14:53:19 ID:8YkyqCp80
>>535
「大きく書けば上手に見えます」って言われて、でっかく書きすぎた話か
質素な皇帝の、ささやかな紙の浪費とも解釈して笑ったよ

537: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/16(水) 23:23:14 ID:18j2zep+0
「寒門の成り上がり者」に対する「上品の勢族たち」のなま暖かい視線がよく分かるエピですねw

543: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/22(火) 20:09:05 ID:pXFQgU2kO
劉裕は赫連勃勃が長安を攻めるとは全くの予想外だったのかな

544: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/22(火) 22:44:01 ID:IFXE5nnmO
高を括ってた様な印象を受けるな俺は

545: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/22(火) 23:37:21 ID:GvT5fMKQ0
劉裕に仕えた連中はロクな死に方をした奴がいないな

547: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/25(金) 09:34:20 ID:KxC9N2PO0
劉宋なんてすぐ滅んだしね

549: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/25(金) 11:15:41 ID:v/3Vaq8e0
三国時代を含む魏晋南北朝期の王朝は東晋と北魏を除いては殆んど短命王朝だからね

550: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/25(金) 15:38:13 ID:hzPasuv+0
劉裕に関するエピソードでは字をでかでかと書いたってやつも好きだけど、傷に効くという琥珀の枕を献上されたときに、喜んで受け取ったかと思うと、それを砕いて諸将に分け与えたっていうエピソードも好きだな。

574: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/14(木) 22:57:10 ID:cBvQOGXeO
北方系異民族がそれなりに力を持てたのに南方系がダメだったのは何故かな?

もともとあまり侵入意欲がなかったのかな?

575: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/14(木) 23:27:15 ID:bZRdNqg+0
>>574
要因を挙げるといろいろあるんだけど、そのうちの一部として
河南・徐州一帯、長江・淮水流域と四川盆地、あとは一部の海岸地帯以外を除くと点と線のような支配しかできていなかった。
安定さえすれば国力の回復できた北朝と比べてそもそもの地力が低かった。

ただでさえ、そうなのに宋文帝期の敗北から梁の成立まで国内は常に不安定で内戦・粛正が相継ぎ、北魏の侵攻に対処できず
生産性の高い漢中一帯や淮水以北を完全に失うことになった。

とか?

578: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/14(木) 23:57:48 ID:Pdy/V31I0
>>574
この場合、南方系異民族のことを指しているのか?

577: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/14(木) 23:34:50 ID:bZRdNqg+0
>>侵入意欲
士気の問題で言うと、無いと言うより、「できない」状態が長かった。
軍事力を統一指揮下に置いて、なおかつ政治的な安定を確保できる政権が無かった。
宋文帝と梁武帝期には可能だったが、宋文帝は不運にも北魏の軍事力絶頂の時代に直面し、梁武帝期は結構締め上げたものの安定した国力のぶつかり合いになりトータルで互角以上にはなれなかった上、浮山堰の不首尾と蕭綜の反逆以後は武帝が軍事的な意欲を明らかに失った。

584: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/17(日) 21:11:50 ID:2WueXlhF0
>>577 
結局北から亡命してきた皇族や成り上がり軍人を在地の豪族がおしたてて作った連合政権なのでそんなに強力で安定した国は作れない、ってことでOK?

585: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/18(月) 18:54:34 ID:tbVOZ6XX0
>>584
上ばっかり盛り上がってて、実際に戦う人間がやる気がなかったらうまくいかないような

579: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/15(金) 01:55:57 ID:Q5K633G60
よくいわれるのが南は温順な気候で作物もおいしいものがたくさん取れて北方は寒くて食料も少ないから南方から本気で北伐する奴がいないといわれるな

588: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/25(月) 09:17:15 ID:BpYJfS3z0

北朝に異民族王朝が多いのは地勢から?

589: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/25(月) 20:51:02 ID:5CPAA38WO
>>588
寒くなってきたので異民族が暖かい方に移動して来た
曹操が安い労働力や軍事力になると思って拉致して来たら、何代か後にそいつらが蜂起した

590: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/30(土) 21:44:19 ID:6j9Zt43F0
石氏って今で言う何人なん

現在の中東の方の人種だって説があるけど本当かな

591: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/30(土) 21:57:37 ID:BkSNO45/0
民族が枝分かれしたり滅びたりしてるから、今でいう何人かという考え方は難しいと思う
魏晋の漢民族と今の漢民族もほとんど別種の様な気がする

592: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/30(土) 22:52:35 ID:6j9Zt43F0
なるほど今の漢民族も他の民族との混血って事か

匈奴と羯人の違いもよく分からんが、羯人はペルシャ系の移民って説を聞いたことがある
実は絶滅してないってのも聞いたことがあるし

中国人=漢民族ってイメージがあるけど五胡の時代は明らかに違う人種が存在してたのかな イメージが沸かんw

三国時代の劉備とか孔明とか五虎将や蜀・呉の人間はみんな漢民族だったのかな
馬超あたりは違う部族のような匂いがするんだけどどうなんだろ

593: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/01(日) 01:16:25 ID:OzqRj9+x0
石氏は今はほとんどいないけど、学会の流行で言えばゾグド人。
五胡~北朝では、人口の半分近くが非漢族だったという説まである。
とりあえず「興亡の世界史」シリーズの森安氏の本を読むといろいろ印象変わるかもね

595: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/02(月) 15:27:45 ID:RGeZGu460
>>593 
漢人からおまいの顔は彫りか深いので(眼病の治療に)尿を眼にガボガボ流し込んでも大丈夫。
って皮肉を言われた羯人が激怒して石虎(?)にチクって漢人皆殺し。
ってエピソードがあったな。


598: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/05(木) 21:47:50 ID:80aYMyltO
拓跋トウなんかは漢人と鮮卑の混血だろ?
鮮卑の血は64分の1ぐらいしか入ってないという話を読んだことがある。

599: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/05(木) 23:21:46 ID:pieeYVidO
沮渠氏の北涼は牧【牛建】で滅んで無諱と安周は高昌国として扱われるのは何故だろう?

牧【牛建】が囚われの身になって残党がこれを受け継いだのは夏の赫連昌から定のケースとあまり違わないように思うんだが…

602: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/06(金) 05:25:18 ID:W67ZLbWo0
>>599
無諱は一度、北魏に降伏してから再反逆してるから(北涼との非連続性)。
高昌を占拠してから、しばらくの間、高昌の主だったから(支配の実態)。
宋が安周の高昌王位(河西王位)を承認してるから(第三者からの承認)。
などなど。
特に一番上は赫連定との相違点。
でも、二人とも沮渠蒙遜伝に付随されてるから、実際は北涼残党として見なされてたのは確かだと思いますよ

604: 599 2007/07/07(土) 00:57:59 ID:y8uSBFDxO
>>602
ありがとうございました
宋書はほとんど手つかずなので高昌王承認は知りませんでした

何年か前に仏教美術展を見に行ったら涼王大沮渠安周という名が刻まれた像があったので、涼王を称していたのかと思ってましたよ

605: 602 2007/07/07(土) 02:28:08 ID:YCfY60CP0
>>599
あくまで南北正統王朝側の記録だけ抜き出したので、自称や沮渠無諱・安周側の視点についてまでは何とも。彼らが涼王を称していたか、現地では涼王と見なされていたとも思われます。

後、こちらの書き方が悪かったようで、宋は河西王(従来の宋側から見た北涼沮渠一族に認めた王位)を承認しただけです。ただし、拠点が姑臧から高昌に移っていることは把握・承認しているというところです。
中国側から見た高昌国王という名称は、その後の柔然を後ろ盾とした[門+敢]氏政権に始まっていますので。

606: 604 2007/07/09(月) 23:21:43 ID:Q9xRBLjZO
>>605
重ねてありがとうございます

他国から称号を受けていた勢力は自称との違いがちょっと面倒ですね

南朝だけでなく北朝との両属状態だったりすると、双方で違った称号を受けたりして更に複雑になりそうですね

608: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/17(火) 09:23:54 ID:vLoTLdHr0
三国志の人物の子孫があまり見えなくて残念

610: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/17(火) 22:30:16 ID:m26V+ApgO
>>608
三国志が好きなら…

諸葛氏の一族は東晋にいるよ
諸葛誕の孫だったかな

611: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/18(水) 22:10:47 ID:WLMVCEUD0
諸葛亮の孫は江州刺史まで昇ってる。
その後はどうかは自分は知らない。

612: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/18(水) 22:46:49 ID:eSBuW71WO
>>611
>諸葛亮の孫は江州刺史まで昇ってる。
諸葛京だね。
俺もその後はどうかは知らない。

613: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/20(金) 13:18:04 ID:vezti0VA0
築2000年の城壁が倒壊―湖北省襄陽市【写真】
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g9711.html

2007年7月12日、湖北省襄陽市の城壁が倒壊した。

倒壊した城壁は襄陽公園に位置する。倒壊部分は長さ20m、高さ20mにわたる広大なもの。当日、現地には大雨が降っており、城壁がゆるんだものとみられる。付近の娯楽施設が倒壊した城壁の下敷きとなった。周囲にいた市民の助けで、下敷きになった被害者はすぐに救出されたもよう。

襄陽市の城壁は漢代に築かれ、宋代に改築された長い歴史を誇る。「鉄作りの襄陽」と言われたほどの強力な城壁として知られていた。しかし1993年以来、城壁は6度にわたり倒壊。2005年から補修工事が始まっていた。(翻訳・編集/KT)


102 世界@名無史さん 2007/07/14(土) 22:51:48 0

614: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/20(金) 14:58:31 ID:4gQez1fg0
赫連勃勃が現場監督やればよかったのに

615: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/20(金) 16:32:28 ID:Bfrz7hbNO
そんなことさせたら土の中が人だらけになるぞ

引用元: ・【六朝】魏晋南北朝【五胡十六国】



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