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478: 日本@名無史さん 慶長410/04/01(金) 22:25:38
真冬に天赦園に行った事があるけど、庭園から見える鬼ヶ城山がうっすら雪化粧して美しかった。
サトウの「一外交官の見た明治維新」に「鬼ヶ城山」が出てくるね。
確か、サトウは「悪魔の城」と書いていたような・・・
なぜ「悪魔の城」なんだろうね。

480: 日本@名無史さん 慶長410/04/02(土) 10:22:26
系図見てると伊達宗紀の弟に松根侯知って名前が見えるけど、松根図書のお父さん?

485: 日本@名無史さん 2005/04/14(木) 01:08:28
松根家の生首旗の由来は、松根家の祖が幽霊から仇討ちを頼まれ、手伝いをしてやったらそのお礼にカタキの首をもらったからだったと思う。、
参考松根の生首


487: 日本@名無史さん 2005/04/17(日) 04:39:11
>>485
あの旗、見たことあるよ。
インパクト大!ちゅーか、漫画みたいだった。
松根家って、ユーモアセンスあったのかな。

493: 日本@名無史さん 2005/04/21(木) 06:22:14
司馬遼太郎が贔屓にしていたという宿「木屋」は、まだ営業してるのかな?
一回、泊まってみたい。

494: 日本@名無史さん 2005/04/21(木) 06:29:04
>>493
もう相当の昔に廃業しましたよ。建物は残ってますが。


2012年に再オープン

496: 日本@名無史さん 2005/04/21(木) 11:30:51
蔦屋旅館も廃業したし、宇和島には老舗旅館が皆無になった。
寂しい事だ。
歴史ある城下町なのに。

500: 日本@名無史さん 2005/04/21(木) 19:59:28
宇和島も乱開発が無かったら、小京都くらいの風情はあったのかな。
大洲とか内子、宇和の町並みが羨ましいなぁ。

513: 日本@名無史さん 2005/04/26(火) 18:31:02
吉田にある安藤神社が出来た経緯を教えて下さい。

514: 日本@名無史さん 2005/04/26(火) 20:27:08
安藤神社は、家老の安藤某が武左衛門一揆と呼ばれる百姓一揆の時に、百姓のために腹を斬ったことから。
今は出先だが、家に帰れば史料があるから、詳細はまた後で。

516: 513 2005/04/27(水) 01:16:09
>>514
有難うございます。
家老が百姓の為に腹を斬ったなんて、凄いですね。
大昔、安藤神社の前を通学途中に通っていたのですが、そんな経緯で出来た神社だとは知りませんでした。
大変勉強になりました。
安藤繼明の遺品が残っていたら、是非見てみたいものです。

515: 安藤儀太夫繼明 2005/04/26(火) 23:42:40
安藤繼明は吉田藩主第五代村賢に事へ老職として忠勸を怠らず、
寛政二年二月村賢逝去の後は嫡村高贏弱、二男文三郎十三歳にして相續し江戸南八丁堀の屋敷にあり、
一家中の命令総て老中役人の任意に出で巧言令色甚しく賄賂盛に行はれ、
米豆を納むるにも隣藩に比し四斗に付四五升の餘力なかるべからず、
又納付の爲通行の際刻限を定め之に遅滯せしものは通さしめず、
土地濕ひたる時は背負ひたる儘下さしめず五石三石の納付額僅少なるにも拘はらず、
之を三度五度に納めざるべからざる等、
是等農民一般の不平とする處、
且つ山奥の特産物と稱

518: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 08:53:35
する紙の販賣方に至りては、
吉田の富豪と稱せらるゝ法華津屋両家仕入銀を積み、
其貸付夥敷又漉出す紙は直段を引下けらるヽと甚しく、
農民はかく如何に窮すと雖、
制禁嚴しきが爲脇賣等をなす能はず、
之に反し両家より借入たる銀子には高利を取立てられ負債は益々嵩み假令寝食を廢して勞働をなす共元銀を減ずるの期なからんことを患ひたり、
然るに新に紙役所を設け植付たる楮の株數を檢せしめ抜賣の吟味嚴しく、
裏屋長屋に至る迄夜間不意に入り込みて探索し、
或は長持に至る迄あらためしむる等一々數ふるに遑あらず、遂に寛政五年癸丑

519: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 08:59:46
二月吉田領中村浦八十三ヶ所の農民宇和島藩に出訴せんとして一揆なるものを起すに至れり、
事漸く煩はしく藩の面目を損すること甚だしきを見るに及び儀太夫自ら全責任を負ふと稱し一揆の屯せる八幡碩に赴きて割腹す、
時に年四十七、事は巻末附録に詳なり

520: 附録 2005/04/27(水) 09:33:54
寛政四年冬、吉田藩中村浦八十三ヶ所の農民徒黨して、吉田御用商人高月両家(三引、叶)
を捲崩さんとするに至れり、是より先藩は紙楮仕入を此高月両家に命じたるに、両家は其貸
金に高利を附し、紙は下直に買ひ取りしかば、製紙に從事する者の負債は愈々嵩み己むを得
ずして援荷をなす者を生ずるに至れり、茲に於て藩は紙座を設け援荷押を勵行す、援荷押に
從事するものゝ中には無頼漢も交り居りて、三間郷中川筋山奥等を密行し、甚だしきは家宅
捜索を行ひ數枚の鼻紙に至るまで之を押收するに至れり、農民大に困みこれ高月両家の爲す

521: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 09:53:52
所なりと認め、屡々訴状を出すと雖も、中間に抑留せられ下情更に上に通ぜず、十二月十五
日に至り、山奥地方の農民吉田に迫らんとするの形跡あり、藩乃ち役人を出張せしめて願書を受取り、願意は來春評議すべしと説諭して一先づ鎮定せり、
翌寛政五年正月、藩廳に於て、農民沸騰に關する協議行はれしも決する所なし、二月に至る
も何等の沙汰なかりしかば農民大に激昂し高月両家を捲き懷さんとて麻苧にて大綱を作り、
諸寺諸山の守札を捻入れ、長さ四五尋とし片端を輪にして大木巨石を引倒し、氏神の社を破

522: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 10:13:26
壞し、願望を達っせば再建すべし、との祈誓をなし、二月九日、高野子より延川まで八ヶ村の
農民夜延川村尖の森に屯集し、翌十日、晝頃より鐵砲を放ち螺貝を吹き閧の聲を上げ小倉村
に押寄せ、此所にて近郷五六ヶ村の人數を合せ、近永口にでてこれより陽路陰路の両道に分
れ、思ひ々々の荷物を背負ひ、我勢に加はらざるものは其家を焼かんと恐喝せしかば、沿道
の農民等其事由を知ると知らざるとを問はず、有合の食物を携へ之に加はれり、此報吉田に
達するや、郡代横田茂右衛門等をして出張鎮撫せしむ、一行岩谷村に至りし頃一揆の先登に逢

523: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 10:26:39
ひ、百方説諭を加ふれども更に應ぜず、却て乱暴に及びければ、郡代等は間道より出て迫目
に逃れたり、一揆は奥之川に屯集し、下筋勢の來るを待ち進行を始めたるに、郡代等吉田大
乘寺を始め三間郷中の僧侶と共に、出目に出張し共に説諭する所ありしも、却つて暴擧に及
びければ、郡大僧侶等引上げたり、一揆の近永に至りしとき宇和島藩吟味役鹿村覺右衛門等
出張し諭して曰く、吉田に至り高月を壞したりとて、何の得る所があらん、若かず宇和島に
出て公明なる栽許を受けんには、と衆之に從ひ宇城に出づるに決す、三間郷へ出でし先登隊

524: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 10:56:24
は路次の酒店に乱入して暴飲し、用意の綱は宮の下に積み置き務田迫目に屯集して不參の村
を待てリ、暫くして吉田口浦立間、喜佐方、法華津、上灘、二十余村の衆來り會し、夥しき
人數となれり、近村の僧侶等再び説諭を加ふれども更に用ゐず、十三日一同宇和島城北の八
幡河原に進みて屯集し、下三ヶ浦の農民亦之に加はり、總員九千六百余に及べり、宇和島よ
りは役人伊藤五郎代官二宮和右衛門等出張し、徒黨強訴は公儀の禁制なれば一村一両名宛居
殘り他は歸村すべし、と諭しければ一同之に承服し、上納一切宇和島にて取立てられんこと

525: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 11:13:57
を請ひ、尚書面を以て出願すべしと答へたり、然れども願書容易く出でざりき、吉田よりは
家老尾田隼人來りて百方説諭すれども耳を傾くる者さへあらざりき、翌十四日吉田の家老安
藤儀太夫繼明、八幡河原に出張し若黨をして農民數人(大野村の者なりしといふ)を呼ばし
め之に謂て曰く、「去歳の嘆願今に栽許なきは己むを得ざるの事情ありしなり、我老職にあ
りて政其當を得ず斯る騒擾を起さしむるに至りしは、我不徳のいたす所にして上下に對して
一言の辞なし、汝等決して上を恨む勿れ、聞く願書は未だ出でずと、速に提出して栽許を受

526: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 11:27:24
け早く歸りて農事に勵むべし、」と乃ち自殺す、翌十五日宇和島の家老櫻田數馬、目附渡邊平
兵衛吉田へ出張し藩の重要書類(或は御朱印ならんといふ)を持歸らんとす、吉田の若年寄
郷六惠左衛門頑として之に應ぜず、二人要領を得ずして歸る、宇城の役人鹿村覺右衛門衆を
諭して曰く、「汝等多數屯集數日に亘る事容易ならず、両藩の苦慮殊に安藤の自殺の如きは
汝等の了する所ならん、君公憂慮一日も早く裁斷せんと欲し給ふと雖も、願書出でざれば以
て如何ともする事能はず、屯集久しきに及ばゝ、他邦の批評を受け當地の威嚴を失するのみ

527: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 11:52:48
ならず、公儀に對して恐懼に堪へざるなり、宜しく願書を提出して速に解散すべし、」と衆
其意を了し議を重ねて左の願書を提出せり。(時十五日夕刻)
 一、上納米豆計り方の事    一、紙楮の事       一、御用紙の事
 一、江戸へ進物の事      一、江戸夫地夫の事    一、井川夫食の事    
 一、庄屋野役の事       一、材木出夫の事     一、炭出夫の事
 一、家中頼母志無盡の事    一、酒禁盃の事
  〆十一箇條  何れも口傳あり

528: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 12:14:48
翌十六日早朝宇和島大目付須藤段右衛門裁許書を携へて出張す、郡代代官以下之に從ふ、吉
田よりは若年寄郷六惠左衛門、郡代以下を從へて之に臨み、吉田領の庄屋召に應じて悉く集
る、茲に於て衆を集め宇和島藩鹿村覺右衛門高聲にて裁許書を讀み、吉田藩吏亦諭告する所
あり夫より順序を立て午の刻より申の刻までに河原に引拂ひたり、
仝月二十六日吉田藩郡所より各村へ左の觸出をなし、一先づ局を結べり
   申渡之事
 一、紙方仝役所被相止以前之通御郡所引受楮元銀は當春漉出紙賣拂代銀を以返上申付候事

530: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 12:27:30
 一、大豆銀上直段之事
  是は只今迄、夏大豆爲登大坂賣直段を以て被相定候、以后は宇和島引合を以相定り候事
 一、大豆干欠差入之事
  是は以後箇様義無之やう申達候間大豆乾方入念津出可仕事
 一、小物成納物升目掛目の事
  是は以後被遂吟味筈之事
 一、青引納物掛目之事
  是は只今迄受取方之仕來不宜様相聞候ゆ江以後先規之通急度申付筈之事
 一、津出之節逗留之事
  是は雨天之節も納方相成候様小屋掛出來可申事

531: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 12:42:42
 一、爲登米計方之事
  是は先年より一俵に付一升五合差米御定有之に付以後は四斗計切にして御定之差米
 一、夫食米之事
  是は宇和島方御定は一人に付六合七勺三才之御定にて、老若並働之様子見計を以て渡方
  多少有之由、
   右見計と申事躰により見苦敷世話も出來之程難計に付以後は只今迄の御定に貳合増一
   人に付四合五勺つゝと相定候之事
    但他村へ割付候加勢夫は一人に付六合七勺三才づゞと相定候事
 一、紙方古借年賦銀之事
  是は當年より五ヶ年の間取立方延引其後可相對事

534: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 14:11:58
 一、楮賣買前々の通申付候事
  是は先年?他所へ賣候時は、運上銀御定有之に付以後といふ其他所賣分は運上銀可差出事
 一、山奥川筋禁酒願之事
  是は當分禁酒聞届置候事
 右十一廉之分は、於宇和島御双方様御役人中立逢申渡候分、當方夫々掛合御役人へ引合之
 上譯立方如此
 一、地拂米計方之事
  是は先年より四斗入に相極候義、四斗の計切に而受取方は欠不相立やう可有吟味事
 一、御船具材木出夫食米之事
 是は八幡丸御船之外、御船具之分は先年一人に付夫食米五合宛と御定有之、其後中絶いた

535: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 14:26:28
 し、近年より又々被下候得ば此義は其儘被差置候事
 但御作事方御用材木は、日傭に而差出申事に付、村方搆之無若格別之御普請有之、村夫差
 出候時は又格別之夫食米被下方可有之事
 一、井川方定夫食米之事
  是は年久敷相止居候處、以後は先規の通、定夫有來候所々は二合五勺宛の積を以被下候事
 一、永出入改方之事
  是は紙方役所被相止候上は御郡所一圓の改方前の通申付候事
 一、浦方雜穀入相薪他所賣の事
  是は年々模様次第願出候へば其時々吟味之上差支無之よう可申付事

536: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 14:44:11
 一、義倉米之事
  是は元來被下捨に取遣ひ候義自由にて仕間敷御定に候處、去る未年難澁之節は村浦之者
  不殘江割渡申渡付候而、其後追々掛戻し格別出精之所方は、前度被下候元米よりも餘分
  出來の所方も有之候得共、多分は元米の半高にして不戻り合候、其員數は村浦庄屋所に
  而明白相分事に候、然者百姓共心得違之村方も有之上誠に御仁惠一向不辨候様相聞候、
  前以委申聞候上も右躰今以心得違候様村方も有之に付此上強く申聞候而も却而邪に承受

537: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 14:57:52
  可申哉、之依村浦庄屋役百姓共存心に相任候間前々申聞候趣、得心之所々は追々掛添後
  年飢饉相凌候様、可心掛候、又此義不呑込に候はゞ、只今迄掛集候分不殘取遣ひ候共勝
  手次第可仕候、以後は改方之役人も不申付、村浦へ相任せ候間、可成は御主意相立候様
  可相心得候事
 一、社倉元麥五百俵拜借之分、御引除き被下候之事
  但右之外被下麥並五俵の利麥、年々被下分共只今迄所庄屋役人令世話居候、是義倉米同
  様に相心得可成は御主意相立候様可相心得事

538: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 15:15:45
 一、大工木挽の事
  是は在浦普請之節、差支不相成様大工頭へ被仰付候間、若御所方之大工木挽指支候節は、
  其處より大工頭へ申達尤他所より雇入可申事
 一、在浦賄仕出之事
  是は在浦掛合之役人並御野方御用に罷越面々之外は前度の通賄代差出候様被仰付候尤御
  野方御用罷出候節は其印相成物可致持參筈之事
 一、男柱之事
  是は近年年増に大きに相成、令迷惑候趣相聞候に付、先規之通被仰付候、尤御家中より
  も右に相准候之事
 一、炭駄賃之事
  是は賃銀は増方被仰付炭出方は相減候様御吟味有之筈之事

539: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 15:28:38
 一、在浦より進物の事
  是は家督繼目、目見江節持參物は格別其外一切進物仕間敷候菜大根之類輕品たりとも以
  後進物堅差止候事
 右十二廉の内には願申不出分有之候得共、及聞候義も有之候に付、今度序を以相改伺之上
 申付候分如此
右二十三廉之通百姓共具に呑込候様可申付事
  丑二月

540: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 15:34:35
翌年二月に至り右一揆の主領は下大野の武左衛門、是房の善六にして其他頭取と目すべきも
のは皆山奥の某々なることを探知して、之を捕へて主魁武左衛門を躑躅坂にて斬罪に處し、
善六以下を永牢に處せしが、後大赦を行ひこれを放免せり。


以上、昭和四十七年七月二十二日、愛媛教育協会北宇和部会から発行された『宇和島吉田両藩誌』より、全文抜粋した。

541: 日本@名無史さん 2005/04/27(水) 21:32:37
ちなみに一揆の首魁である武左衛門は、吉田藩を潰そうとする宇和島藩が送り込んだテロリストではないかという説を唱える人もいる。

544: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 07:59:33
連休に内子・大洲・宇和島に行こうと思います。
内子と大洲は行くところ決まったんですけど、宇和島のお薦めのマニアックな史跡はありますか?


552: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 20:56:14
>>544
たしか、武左衛門一揆のときに家老が切腹した場所に碑が建ってたような。
八幡神社のすぐ傍ですが。ただし、かなり新しい。
八幡神社といえば、義経が植えさせたといわれる伊吹の木もあったんじゃなかった?
そのあたり、タイムリー&マニアックかも…。

553: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 21:19:46
>>552
義経は社殿を造営し、また家臣鈴木三郎重家にイブキ二本を植樹させたそうな。

545: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 10:21:41
マニアックな史跡……う~ん、宇和島自体がマニアックだからなぁ。
一番は、何にも展示をせず、史料は建物だけの歴史資料館かなぁ。
市民でも知っている人は少ないし(笑)

547: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 11:19:16
メジャーなところに行くんだったら、宇和島城、伊達博物館、天赦園ですな。
鯛飯の他に、さつま汁もお食いなせぇ。

548: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 11:44:27
樺崎砲台跡はどう?
大村益次郎が設計したらしい。
あと、大超寺奥は雰囲気あるけど・・・何も無いかw

549: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 13:15:17
大村益次郎住居跡はマニヤにはこたえられないね。
イマジネーションが拡がる(w

555: 544 2005/04/29(金) 01:17:18
皆様、どうも御丁寧に有難う御座います。
これで訪れる楽しみが増えました。

それにしても、武左衛門一揆の家老は凄まじいですね。
義経所縁の神社があるとは・・・意外です。
行ってみたいと思います。

556: 日本@名無史さん 2005/04/30(土) 20:34:32
昔、市内に凱旋門があった。
その画像、持ってるよ。

557: 日本@名無史さん 2005/04/30(土) 22:06:35
>>556
本当??
貼ってくれ!

564: 日本@名無史さん 2005/05/04(水) 21:56:19
>>559
ttp://f9.aaa.livedoor.jp/~jobtv/file/html/gaisenmon.html
※リンク切れ


参考ジャパンアーカイブス 愛媛県(明治38年)松山・日露戦争の凱旋門

569: 559 2005/05/05(木) 20:28:53
>>564
サンクス!!
凄い光景だ・・・
何のイベント(?)なんだろう?

570: 564 2005/05/05(木) 20:56:51
>>569
日露戦争凱旋記念です。
それ以上はわかりかねます。

571: 559 2005/05/05(木) 22:38:18
>>564
貴重な写真をどうも。
感動しました。

572: & ◆CoK8Ra.1FQ 2005/05/06(金) 13:02:16
>>571
ちなみにそこは船大工町という場所で、現在は恵美須町1~2丁目、御幸町1~2丁目、鶴島町となっております。
まぁ、現住者じゃないとわかりにくいとは思いますが。

562: 日本@名無史さん 2005/05/04(水) 18:21:00
先日、宇和島城に行きました。
天守閣から見た鬼ヶ城山が雄大でびっくり。
上にも書き込みがあるけど、アーネストサトウが日記に書いてますね。

櫓が無いのは残念だけど、良いお城でした。

・・・あと、鯛めしと、ジャコ天も美味しかったです。

450px-Mt.Onigajo


563: & ◆R7PNoCmXUc 2005/05/04(水) 19:28:13
>>562
佐妻汁はお召し上がりにならなかったんですか?

565: 日本@名無史さん 2005/05/04(水) 22:35:56
>>563
さつま汁は食べませんでした。
次回、挑戦してみます。
鯛めし、最高に美味しかったです。

566: 日本@名無史さん 2005/05/04(水) 23:43:56
>>565
おお、それはぜひとも挑戦してみてくだされ。
ちなみに、佐妻汁の〔佐妻〕は、「妻を佐(たす)ける」という意味があります。
もともと〔さつま汁〕というものはあったのですが、その漢字を当てたのは昭和天皇です。

583: 日本@名無史さん 2005/05/22(日) 11:24:12
質問です。
伊達博物館以外で、お薦めの歴史資料館はありますでしょうか?

584: 日本@名無史さん 2005/05/22(日) 12:16:05
>>583
多賀神社の凸凹神堂

宇和島にはGWに行って来たけど、ここが一番印象に残っている。

586: 日本@名無史さん 2005/05/22(日) 12:45:22
>>583
いちおう、宇和島市立歴史資料館というものがある。
中に展示物はないが、建物自体が資料となっている。
というのも、もともとその建物は明治17年建築の宇和島警察署を移築したものだからである。  

それ以外だと、城山に郷土資料館とかそんな感じの名前の建物がある。

参考宇和島市 宇和島市立歴史資料館
1024px-Uwajima_city_historical_museum

587: 日本@名無史さん 2005/05/22(日) 13:28:02
>>586
こんな立派な建物の中に展示物が無いなんて勿体無いですね・・
近くに砲台もあるんですね。
村田蔵六(?)の設計したやつでしょうか。
宇和島城の資料館も気になるので訪れてみます。

有難う御座いました。

588: 日本@名無史さん 2005/05/22(日) 16:29:13
>>587
そう、村田蔵六設計。
昔は館長が熱心な人だったから、色々と展示してたんだけど、館長が変わってからダメになったね。
城山にある資料館は無料なので、ぜひとも。頂上(城がある場所)から少し降りたところにあるから。

追伸:あなたがいくつか知らないけど、多賀神社は18歳未満禁止だから、お気をつけて。

604: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 18:06:58
あのー質問ですが、宇和島って何県に有るんですか?

608: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 23:28:45
>>604
廃藩置県直後は宇和島県。
吉田県・新谷県・大洲県と合併しても宇和島県。すぐに改称して神山県。
石鐵県と合併して愛媛県になった。



606: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 21:57:06
江戸時代、宇和島では一揆とか打ち壊しは無かったのかな?
藩の財政は潤っていたのだろうか。

608: 日本@名無史さん 2005/05/26(木) 23:28:45
>>606
一揆の数は、全国屈指です。
そもそも、現在の愛媛県を8つに分割統治というところに無理があった。
それに増して、宇和島藩はあまり裕福ではなかった。
借金返済について藩主と家老が揉め、その家老一家、親戚だからという理由で勘定奉行とその家族らが殺害されている。

613: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 15:06:56
>>608
勉強になりました。サンクス。

つーか、ひどいなぁ・・・親戚まで皆殺しか。

616: 日本@名無史さん 2005/05/28(土) 01:46:41
>>613
まぁ、山家の方は2、3歳の子どもでも井戸に放り込んだりしてるからなぁ。
それらの殺しもすごいが、一番すごいのは、そこまでやっておいて〔乱心〕としてお取り潰しにならないほうがすごいと思ったよ。
614: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 18:35:54
私個人、幕末の宇和島藩は兎に角地味という印象しか無い。
人材不足といえばそれまでだが、伊達侯の血統と新物好きな嗜好癖が突出して目立つくらいで、不気味に思えるくらいに肝心な所属藩士の動向が皆目不明。
宇和島藩士分に、他藩藩士や草莽の志士に見られるような御一新に掛ける使命感、内から溢れ出る熱い情熱、士分個人の人間味などが感じられないのは何故であろうか・・・。

616: 日本@名無史さん 2005/05/28(土) 01:46:41
>>614
そんなことはないと思うけどねぇ。
土居通夫(通天閣を作った人)なんかは、坂本竜馬と親交があり、行動を共にしたぐらいの人だし。
まぁ、確かに他藩に比べて少ないわなぁ。
でも、大村益次郎や高野長英、西郷隆盛などを迎え、さらにイギリス海軍も招待したけどねぇ。
あと林玖十郎は西郷隆盛と共に、新政府軍の参謀を務めております。

615: 日本@名無史さん 2005/05/27(金) 18:51:28
確かに藩士の動向は不明だが・・・・
でも、わずか7万石の小藩が幕末の舞台に出ただけでも凄いと思う。

スレ違いだが、名匠・伊藤大介を生んだ土地なんだね>宇和島

616: 日本@名無史さん 2005/05/28(土) 01:46:41
>>615
伊藤大介ではなく、伊藤大輔ですな。
というか、それを言うなら、他にも色々いますがな。
「民法の父」として名高い穂積陳重と、その弟八束。ジャーナリストや政治小説家として有名な末広鉄腸。
大津事件をもとに、三権分立を訴えた大審院院長・児島惟謙
別府温泉に地獄めぐりや、日本初のバスガイドを作り、また亀の井旅館の創業者でもある、油屋熊八。
日本初の日刊新聞紙〔横浜毎日新聞〕を創刊した井関盛艮。
奇抜な歴史観を持ってい、なおかつ与謝野鉄幹・晶子夫妻の仲人を務めた木村鷹太郎。
挿絵画家として著名な高畠華宵(兄は宇和島市長・高畠亀太郎)。
最近で言えば、『世界の中心で、愛をさけぶ』の片山恭一。
その他大勢。

618: 日本@名無史さん 2005/05/28(土) 23:13:54
田中秀央(ひでなか)という、日本で初めてラテン語の辞典をつくった人も、宇和島出身。辞典は今も現役らしい。
京都大学出版会から最近本が出ていて穂積陳重の名もみえる。読んでみたけど、明治期の宇和島の風俗、穂積をはじめ渋沢敬三などとの書簡もあり結構面白かった。

HPよりコピー(http://www.kyoto-up.gr.jp/) ※リンク切れ
「田中秀央 近代西洋学の黎明―『憶い出の記』を中心に―」
菅原憲二・飯塚一幸・西山 伸 編 京都大学学術出版会

我が国初の日羅辞典を編纂した田中秀央。その自伝と膨大な書簡類には、明治-大正-昭和の知識人の知のうねりとネットワークが、克明に刻まれている。市河三喜、土居光知、その師ケーベルやローレンス、そして穂積陳重、高津春繁.....西洋学の礎を創った人々の暈気を生き生きと伝える史料は、単なる歴史でなく高等教育の在り方をも示す。

620: 日本@名無史さん 2005/05/28(土) 23:42:03
>>618
ほうほう。その方はまだ知りませんでした。感謝です。
あと忘れちゃいけないのが、〔日本城郭協会〕創立者の井上宗和さんも、宇和島市出身。

621: 日本@名無史さん 2005/05/29(日) 18:58:20
広義の宇和島領ということで良ければ、唯一日本語詞が本家の賛美歌である「山路越えて」の詞が作られたのが領内の法華津峠だと言われている。
作者の西村清雄は松山出身で松山のキリスト教界の長老だったそうな。
余談かつ私事だが漏れの祖父は旧宇和島領内出身だったので葬儀ではこの歌が歌われた。

622: 日本@名無史さん 2005/05/30(月) 15:04:40
♪汽笛一声新橋を~

の曲を作った人も宇和島だっけ?

624: 水沢英介 ◆AGH7Yi7pDA 2005/05/30(月) 20:08:09
>>622
そう。大和田建樹。
ちなみに、正式タイトルは『地理敎育鐵道唱歌』です。

引用元: ・【伊達】宇和島藩の歴史【てんぷら】



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