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1: 日本@名無史さん 01/10/08 06:05
宿場にいた飯盛女について語りましょう。








9: 日本@名無史さん 01/10/08 06:55
飯盛女ってどういう意味なの?
基本がわかってないので説明して下さい。

10: 日本@名無史さん 01/10/08 07:01
呼んで字の如く宿で飯を盛る女。つまり雑用係。
但し遊女兼任。三味線弾いたり唄って踊ったり枕を取ったり。
当然早死にナンマンダブ。

11: 日本@名無史さん 01/10/08 07:07
>>10
なるほど飯を盛るので飯盛・・納得。

12: 日本@名無史さん 01/10/08 07:10
名前の由来ははっきりしないけど・・・。
一説では、奉公の身で食事もままならなかったから客の残した朝ごはんをいただこうとわざと客がご飯を残すように山盛りにしたからだとかいわれてるけど。

飯盛女ってのは、簡単にいえば各宿場にいる娼婦。もちろん私娼。
そのため一応は奉公人という事になっている。
ただ、私娼とはいっても時代によっては幕府から「各宿場に何人までしか飯盛女をおいてはいけない云々」と制限も受けてます。

もっと詳しい方補足して下さい・・・(w

213: 日本@名無史さん 02/03/18 20:44
飯盛女って何歳くらいの子が多かったんだろ?
夜鷹なんかは年齢高そうだけどさ。

214: 日本@名無史さん 02/03/19 15:41
平均年齢は20歳前後、25歳を越える飯盛女はあまりいません
(過労と病気のために短命なのです)

217: 日本@名無史さん 02/03/22 21:57
>>214
史料読んだことある?
身請け證文なんていくらでも残ってるんだからさぁ。
18ですでに年増だよ。

222: 214 02/03/23 13:17
>>217
飯盛女は15歳から客を取るようになり、長期の奉公(5年とか10年とか)をすることになっています
「18ですでに年増」と言われていたとしても、平均年齢は20歳前後になるはずではないでしょうか
(このことは史料からの裏付けもとれています)

225: 日本@名無史さん 02/03/24 08:15
>>217
18ですでに年増ってことは、平均年齢は15、6歳ってことになると思うんだけど・・・・
本当にそうなの?

227: 217 02/03/28 01:28
>>225
俺が見たので一番若いのは、6歳くらいで売られていったのがある。
「飯盛下女」としてだよ。確か2両くらいだった(養育費がかかるから、幼い子は安いんだよ)。
まぁ、幼いうちは宿の下働きなんだろうけど、実際に「業務」を行ったのが何歳からなのかは史料の上からは分かりません。
病気で故郷に帰る娘もいるけど、結構な人数が死んじゃっていたよ。

233: 日本@名無史さん 02/03/31 14:04
>>214
みんな25歳までに死んじゃうって事じゃないだろう
(不幸な結果になった女は少なくなかったろうが)
商品価値がなくなるから、他の仕事にまわったんだろう

238: 214 02/04/02 15:54
>>233
15歳から10年契約で奉公をしても、25歳で契約が切れるわけですから、25歳以上の飯盛女があまりいないのは、そのあたりにも理由があるのではないかと思います

しかし、史料からだけでは無事に奉公を務め上げた飯盛女が、その後どのような人生を歩んだのかがわかりません
国元に帰って幸せに過ごせた女性がどれぐらいいたのでしょうか

224: 日本@名無史さん 02/03/23 23:28
とし‐ま【年増】
娘盛りをすぎて、やや年をとった婦人。江戸時代には二○歳過ぎをいった。
(広辞苑)

231: 日本@名無史さん 02/03/28 21:21
遅ればせながら「年増」の話題。
俺が教えてもろたバージョン(江戸後期~明治初期)は

「娘」16ぐらいまで
「ご新造」17~20
「年増」20以上
「中年増」27,28辺り
「大年増」30以上

って感じだった。ソースは不明。スマソ

232: 日本@名無史さん 02/03/30 13:00
「鬼も十八、番茶も出鼻」というぐらいだから、18歳が娘盛りなんだと思ってた

235: 神崎宣武『盛り場の民俗史』参照 02/03/31 14:08
上野周辺には「陰間」(かげま)と呼ばれる男色を売る者を抱える陰間茶屋が多くあったそうです
陰間を買いに来る客は、妻帯を禁じられていた僧侶がほとんどを占めていたそうです

明和元年(1764)の『男色細見』によると、42人の陰間が上野周辺にいたと記されていますが、全盛期には230人の陰間が江戸市中にいたともいわれています

241: 日本@名無史さん 02/04/07 22:23
>>235
>陰間を買いに来る客は、妻帯を禁じられていた僧侶がほとんどを
>占めていたそうです

んじゃ、僧侶は遊女やら飯盛女なんぞは買わなかったの?

242: 日本@名無史さん 02/04/07 22:45
>>241 
確か僧侶の世界は大概が女人禁制で(例外もあったろうけど)、遊女買いなどをはじめ女性と遊ぶこと自体が禁じられていて、だからこそ稚児遊びやら陰間買い(これも医師を装ってこっそり通ったとか)が流行ったんじゃなかったっけ?

ちなみに陰間を買う客には女性も結構いたそうだよ。

243: 日本@名無史さん 02/04/08 01:34
中宿へ出家はいると医者が出る

僧侶(寛永寺・浅草寺あたり)が、船宿で医師の格好に着替えて吉原へ繰り出す様子を詠んでいます。

207: 石井良助『日本の歴史を読み解く』 02/03/02 19:28
飯盛女が馴染みの客と夫婦の約束を交し、起請文を書くということが行われていたようで、近松門左衛門の『心中天の網島』にも客と起請文を交す遊女が登場します

そこには「夫婦の約束を交した上は、命を掛けて添い遂げましょう」、「付き合いに出かけても他の女とは枕を交しません」、「それに背いたならば、神罰を受けるでしょう」、などの文言が記されていたようです

208: 日本@名無史さん 02/03/03 01:54
>207
遊女なんかがおなじみさんの名前を刺青したってのは??
「茂吉命」とか??

250: 日本@名無史さん 02/04/16 20:43
>>208
他にも小指を切り下ろしたり、腕や腿に刃物を突き立てたりとかもしていたらしい

今からステーキ焼いて食べるから、想像するのは止めとくわ

251: 日本@名無史さん 02/04/16 21:20
「この小指 さてはしんこか ええ無念」

しかしその小指も必ずしも本物とは限らないと言うこと。
で、もらう側も結構それは承知の上だったそうな。

252: 日本@名無史さん 02/04/17 12:25
吉原には「遊女の小指」を作る
しんこ細工職人が住んでたんだってさ

253: 日本@名無史さん 02/04/17 20:17
そらそうだわな。
指が何本あっても足りんわー。

その作り物の指はどんなだったんだろか?
見てみたいような。。。

254: 今戸榮一『遊女の世界』参照 02/04/20 09:05
指を切り落とす場合には、小指を堅い台に乗せて、剃刀を当てた上から鉄瓶などを叩き付けたそうです
その時には、切り落とした指が遠くに飛んでいかないように、障子を閉め切った部屋ですることになったいたそうです

それ以外にも小塚原の女の刑死人や墓から掘り起こした死体の小指を買うこともあったらしいです

255: 日本@名無史さん 02/04/20 14:26
本物でも偽物でも、そんな小指貰いたくね~

257: 藤木久志『飢餓と戦争の戦国を行く』参照 02/04/24 21:50
関西地方を襲った寛永の大飢饉(1641~43)の際に、「上方抱え下ろし者」と呼ばれる人々が、肥後国の宇土藩領で「下女」「奉公人」などとして売買されていたそうです

その際の請状には、「飢饉にあい、我等てまえまかりならず」とか「当年飢饉につき、飢えにおよび申し候間、肥後へふだいに」などという文言があり、後年の飯盛女の請状などとよく似た形式だったことがわかります

271: 日本@名無史さん 02/06/28 23:00
飯盛旅籠の屋号って、平旅籠と何か違ったのかしらん

272: 日本@名無史さん 02/06/29 01:27
ううむ、外見上違いはあったんですか?

273: 日本@名無史さん 02/07/02 22:21
外見上はどうか知らんが・・・
廊下からどの部屋の出入りも見れるような造りにはなってたみたい。
客室は、無理やり仕切って数を増やしてたらしい。
ま、当たり前か。

274: 日本@名無史さん 02/07/13 19:47
江戸時代の中期以降に飯盛旅篭の数が増えているらしい
旅篭の数そのものはあまり増えていないらしい

よって、普通の旅篭が改修されたということらしい

275: 日本@名無史さん 02/07/19 22:05
>>274
>普通の旅篭が改修されたということらしい

飯盛旅籠に押されて、普通の旅籠じゃやってけなくなったってのが多かったのかねー?

295: 日本@名無史さん 02/09/28 14:08
飯盛女と書いて何て読むの?

296: 日本@名無史さん 02/09/28 14:21
めしもりおんな

338: 日本@名無史さん 03/01/28 12:54
江戸時代の旅宿にいた制限付きのいわば半公認の私娼(ししよう)の俗称で,たんに飯盛ともいい,食売女(めしうりおんな),宿場女郎(しゆくばじよろう),〈おじゃれ〉などとも呼ぶ。
交通の要地にはすでに平安時代には売春婦がおり,交通と経済の発達に伴い,その数は増加した。江戸幕府は公娼遊郭制をとり,1659年(万治2)には道中筋の遊女を厳禁したが,その後これを〈食売女〉として認め,道中奉行の支配とし,1旅館2人以内(江戸4宿は宿内全人数制限),衣服は木綿着用と定めた。しかし,人数制限は守られず,さらに飯盛の認められない所では〈洗濯女〉などの名で雇うこともあった。
飯盛の容認は,その収益が宿駅の助成となったためで,飯盛を遊女でなく給仕女とみなしたのは幕府の自慰的手段にすぎない。飯盛が旅客以外に近郷の遊客にも接したことは,品川宿が江戸の遊所であったことでも明らかである。なお,飯盛をおく飯盛旅籠(はたご)に対し,飯盛をおかないものを平旅籠(ひらはたご)といい,箱根,石部などには1軒も飯盛旅籠がなかった

339: 日本@名無史さん 03/02/07 23:47
なんで箱根にはなかったんですかね?

376: 日本@名無史さん 03/08/03 03:10
箱根には1軒も飯盛旅籠がなかった、ってのは湯治客=病人が多かったからじゃないかなあ。病人がウロウロしてるんじゃ、その気もおきないと思われ。
ところで、品川宿(今の北品川商店街)が最大の飯盛旅籠ってのは意外。
今じゃその雰囲気、かけらも残ってないもんね。
逆に川崎は雰囲気残りすぎ。夜は、その気がないと歩けないとこ多し。

378: 日本@名無史さん 03/08/09 01:24
>>376
江戸庶民の最大の気軽な娯楽は大山参り
関所を越えないので手形の必要がなかった
大山に参った後は藤沢宿で精進落としの遊興
それから江ノ島・鎌倉・金沢などを見物し
最後に品川宿で楽しんでから江戸に戻った

383: 日本@名無史さん 03/08/20 21:06
宿屋飯盛っつー川柳作ってたおっさんが江戸時代にいたじゃない?
あのおっさんの作品は結構笑えて好き

392: 日本@名無史さん 03/11/01 00:56
>>383
石川雅望やね。
でもあれって川柳じゃなくて狂歌じゃなかったっけ?

399: 日本@名無史さん 04/01/05 01:03
>>392

家にあれば けにもる飯を 旅にあれば めしもりあげて たのしみぞする

のオッサンだから、狂歌だね。

396: マジレスきぼん 03/12/12 23:01
ちょっと飯盛女について調べてる者ですが。
飯盛女がいた宿場は潤ったとかよく言われるけど本当なの?
大抵の本にはさらっと飯盛女のいる宿場は栄えたってあるけど、具体的なソースが書いてないんだよ。
これを証明してくれる史料や本、誰か知りませんか?

398: 日本@名無史さん 04/01/02 22:43
>>396
ガイシュツですが 「宿場と飯盛女」 宇佐美ミサ子 著

宿場維持のため(公役負担である伝馬人足制度維持のため)の経費補填目的で宿場の活性化を理由とした飯盛り女許可願いが宿場側からだされています。

引用元: ・飯 盛 女 に つ い て



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