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1: 日本@名無史さん 04/11/17 18:25:26
平安時代400年はちょっと長すぎじゃねぇの?
マジで長えよ








9: 日本@名無史さん 04/11/29 03:19:42
明治から400年だと2268年?
ながいね~

14: 日本@名無史さん 04/11/29 18:12:33
江戸時代から今までと同じくらいの長さだね

11: 日本@名無史さん 04/11/29 07:49:02
一括りに平安400年といっても「律令国家期」「王朝国家期」「院政期」3つに分けられる。
さらに院政期は事実上鳥羽や白河といった京郊外の上皇法皇の別荘が政治の中心地だから、院政期は「鳥羽・白河時代」と言ってもいいんじゃない?

13: 日本@名無史さん 04/11/29 08:41:50
平安貴族は芋を食いながら仏教と和歌三昧で毎日を過ごし、平民は文盲無知で畑を耕しながらその日暮らし。

その400年の間に荒くれ者の集団である武士達が着々と領地を確保して地盤を固めて行った。

15: 日本@名無史さん 04/11/29 20:58:06
>>13
そんなに和歌いっぱい作ってよく飽きなかったもんだ

16: 日本@名無史さん 04/11/29 22:54:07
「和歌を歌うこと自体が当時の政治」だったって逆説日本史の井沢君が言ってました。

和歌のコトダマで物事を動かせると平安貴族達は本気で信じていたそうな。マジか?

18: 日本@名無史さん 04/11/29 23:49:41
井沢はデムパだからあまり信じない方がいい。
和歌を詠むことは当時の上流階級では基本的な教養だからね。政治は畿内は結構真面目に
やったが、幾外は決められた租税が収めさえされれば無関心。
各地の国司はノルマの租税を納めると残りは皆懐に入れていた。国司の搾取を逃れたい農
民は有力寺社や豪族などの庇護を受け、彼らの土地を耕す。国司は豪族や寺社に圧力をか
け、逃亡農民を土地に戻したり税をかけようとする。豪族、寺社は中央の有力貴族に土地
を寄進して荘園として立荘して貰う。
と言う流れなんだよね。

平安貴族は儀式と先例を重視したし、何かにつけて陰陽道のまじないをしていたよ。
儀式の時、右足を先に出すか左足を先に出すかをど忘れして、数時間固まってしまった貴

族もいるそうだからな。子孫が儀式で困らないように貴族は日記を着けたんだよ。貴族の
日記は殆どは儀式関係の記述。何の時は何をきて何を用意してというような。

日記の家(にっきのいえ/にきのいえ・日記之家)とは、先祖代々の手による家の日記(家記)を伝蔵した公家の呼称。 「日記の家」の代表格は小野宮流藤原氏及び高棟王流桓武平氏である。他にも勧修寺流藤原氏が同様の家柄であったとされ、皇室や摂関家などにも同様の機能が存在していた。

10世紀に外記局や弁官局などが持っていた律令制における公文書管理組織が解体していくと、儀式や公事の作法・判断の典拠として日記に記された先例故実の校勘に求めるようになり、そうした日記を多く所持していた家系がそれを理由として先例故実の家柄として公家社会において重要視されるようになった。こうした家々は院政期の頃から音楽の家柄である「楽の家」や武門の家柄である「弓馬の家」に倣って「日記の家」と呼ばれるようになった。


37: 日本@名無史さん 04/12/02 11:35:39
>>18
明月記をざーっと流し読みした感じだと、、、儀式関係というか、あまり現代の日記とかわらない気がした
だれそれと会ったとか、参内したとか、こいつはたいした事ないとか、でっかい流れ星を見たとか、歯の治療であごに蛭を飼ったとか、、、

って、こいつはほとんど鎌倉だが

41: 日本@名無史さん 04/12/07 21:46:28
>>37
明月記に書かれる彗星出現や月食の記事は、歴史天文学の計算に合致しないことが多い。
陰陽五行の影響からか、大事件の前後にそういった記事をまとめて記してあるとも言う。

19: 日本@名無史さん 04/11/30 00:09:06
あと儀式は結構公開されていて、下々の者も庭の隅から見学できたそうだ。

21: 日本@名無史さん 04/11/30 14:36:27
最初は「古代」だったが,9世紀末ころから10世紀にかけて、「中世期」に突入する。

律令制度の形骸化、摂関政治、国風文化(王朝文化)、私権の跋扈と武士の誕生。
必ずしも、「平安時代」とひと括りにするのはおかしい。

26: 日本@名無史さん 04/12/01 19:11:09
平安400年といっても初期は殆ど奈良時代の延長。末期は鎌倉時代の序章。いかにも平安というのは中期。
しかし、あれだね。日本の貴族の家柄は平安中期でほぼ固まってしまったんだよね。この後明治まで変化なしって言うのもすごい。

27: 日本@名無史さん 04/12/01 19:25:09
日本の系図って室町で固まるじゃなかったっけ?
違った?

32: 日本@名無史さん 04/12/01 21:49:08
>>27
貴族の家格は室町で決まる。
貴族の家系は平安で決まる。平安以降、まったく新しい家が貴族になるのは豊臣家だけ。

33: 日本@名無史さん 04/12/01 21:58:00
将門の乱以前が平安時代で、それ以後は騒乱時代でどうよ?

46: 日本@名無史さん 04/12/26 01:06:28
>>33
それだと、道長や紫式部の時代は平安時代でなくなるが

51: 日本@名無史さん 05/01/07 20:19:43
律令時代 王朝時代 院政時代 に3つに分けるほうがいいだろうね。

55: 日本@名無史さん 05/01/23 01:33:19
平安時代を3期に分けるとしたらターニングポイントとなる事件は?

56: 日本@名無史さん 05/01/23 11:45:27
白河院政開始・・・・摂関政治の終演
平治の乱・・・・・・武士が政権を握る

96: 2005/07/11(月) 06:19:43
>>55-56

忠平の摂政任官(930)も追加.
#良房とか基経のあたりは,まだ摂関政治期とはいへないからな.

97: 日本@名無史さん 2005/07/16(土) 20:29:10
名前ほど、平安な時代ではない。
願望が含まれている。

101: 日本@名無史さん 2005/08/07(日) 15:36:37
実際には、在地官人に任せるという仕組みが支配層、被支配層にも都合が良かった。

105: 日本@名無史さん 2005/09/19(月) 10:04:59
>>101
まさに現在の「地方へ権限を」ってゆうやつでんな

109: 日本@名無史さん 2005/09/21(水) 23:27:09
貴族だけいい生活してなんでこんなに続いたの?

111: 日本@名無史さん 2005/09/25(日) 11:39:57
400年の間に東国で平将門みたいに反乱をおこす奴がもっと出てもいいだろ。
あんなへなちょこ貴族に搾取されるのはバカバカしいって。
将門だって確信をもって反乱おこしたわけじゃなくて成行きだし。
天皇の権威ってそんなに下々まで伝わっていたのかね。

112: 日本@名無史さん 2005/09/25(日) 11:50:49
天皇の権威と言うか京都政権の権威だろ

132: 日本@名無史さん 2006/01/19(木) 10:52:47
>>1
俺もすこし思うところがある。
そもそも王朝国家というものが、そんなに長く続くとは思えない。
400年も続いたとなると律令制というものが、よほど出来たものだったんだなと思うしかないのだが・・・。

149: 日本@名無史さん 2006/04/12(水) 14:46:31
天皇親政期

藤原摂関期

上皇院政期

に分かれます。

152: 日本@名無史さん 2006/05/21(日) 11:00:37
平安時代の最初の約100年は大化の改新から続く中央集権(仮に律令制)の時代。
そして財政が破綻して荘園制の時代に。ついに中央政府が直接統治出来るのは、都だけになってしまう。
そして最後の50年ぐらいは院政に移行する。
政治体系で時代区分するなら、この方がいいかも

170: 日本@名無史さん 2006/08/13(日) 21:18:04
平安400年は長すぎる
よって、

長岡京時代
天皇親政時代(桓武・嵯峨天皇時代)
前摂関家時代
延喜・天暦の治(律令体制終末期→王朝国家へ)
後摂関家時代
院政時代(白河・鳥羽上皇時代、武士勢力拡大期にもあたる)
平氏政権時代(福原京時代)
源平合戦時代(治承・寿永の乱)

→ 鎌倉時代(封建時代)

171: 日本@名無史さん 2006/08/13(日) 22:05:04
確に、平安時代とひとくくりにするのも変だ。

178: 日本@名無史さん 2006/11/21(火) 12:17:30
政治の中心がどこにあるかって事でしょ?
平安京にあるから平安時代
鎌倉にあるから鎌倉時代
京室町にあるから室町時代(後平安時代と呼ばないのは都城の形なんて
もう残ってなかたのか゚∀゚)
安土桃山時代は安土大坂時代がより適切。
その後の江戸・東京時代はもう400年近くないか?

186: 日本@名無史さん 2007/01/04(木) 12:30:03
不死身のエイリアンにも勝つ検非違使がステキだ。
落とし穴掘って埋めちゃうのかよΣ(゚ロ゚)スゲェ

引用元: ・平安時代400年はちょっと長すぎじゃねぇの?



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