410ERHV6BEL



1: 日本@名無史さん 2005/05/13(金) 18:41:08
大名、大身旗本といった妻妾や姫君、そして高級女中について、語りませう。











3: 日本@名無史さん 2005/05/13(金) 21:11:29
江戸時代の姫様は影薄いね。

6: 日本@名無史さん 2005/05/14(土) 21:56:52
女乗物は世界で一番美しい類かも。
女性はともかく。

8: 日本@名無史さん 2005/05/17(火) 10:58:34
お歯黒は苦手だけど、盛装の美しさは世界最高九打。

10: 日本@名無史さん 2005/05/17(火) 14:56:44
徳川美術館で見た姫様の道具類は豪華だった。
実家から持参したものだから、結婚の費用とかすごくかかっただろうね。

11: 日本@名無史さん 2005/05/19(木) 09:45:15
女乗物は豪勢。
でも乗り心地はどうだろうか。

12: 日本@名無史さん 2005/05/25(水) 20:40:04
そもそもほとんど外出しないらしいね

13: 日本@名無史さん 2005/05/28(土) 18:45:30
>>12
戦国時代と違って健康的な生活イメージはないね。

14: 日本@名無史さん 2005/06/05(日) 20:58:14
慶喜の母親は釣りが趣味だったらしい。
乗馬もできたそうだ。

25: 日本@名無史さん 2005/10/03(月) 18:33:56
江戸時代の大名は側室の子が多い

26: 日本@名無史さん 2005/10/03(月) 18:54:03
池田家や浅野家の殿さまは正室の子が多いな。
側室腹でも公家や神社、名門武家の血を引くこともあるから側室でもいろいろ。

27: 日本@名無史さん 2005/10/03(月) 23:44:51
公家から大名家に嫁いだより、大名家から公家に嫁いだほうが子供を残している気がする。

28: 日本@名無史さん 2005/10/04(火) 17:58:25
大名家は正室も側室も30過ぎたらお褥御免になるからだろう。
さらにセッ〇スは監視つきらしく若いころは恥ずかしくてようやく慣れてきたら30になってたという。
公家にはお褥御免が無いらしく30過ぎても普通に出産している。

31: 日本@名無史さん 2005/10/04(火) 18:18:16
>>28
慶喜の母親はかなり珍しいケースだな。
結婚したのが28歳だし。28までなにやってたのか不思議だ

33: 31 2005/10/04(火) 18:30:59
慶喜の母親はまさにレアケースだね。正確に言うと27歳で婚約らしい。
それまで本を出したり内職っぽいことをやってたらしいが記憶があやふやでよくわからん

34: 31 2005/10/04(火) 19:50:20
>本を出したり

同人?

35: 30,33 2005/10/05(水) 17:52:26
>>34
『好文詠藻』という名の歌集(?)です

46: 日本@名無史さん 2005/10/17(月) 18:12:28
歴史小説でもドラマでも、「~の方」って付くだけで、盛装姿も艶やかなイメージを想起し、萌えるものがあるんだけど、同感の士いませんか。

もちろん美人とは限らないわけだけど。


47: 日本@名無史さん 2005/10/17(月) 19:14:06
「~の方」より「~姫」に萌える。
庶民出の側室には萌えん

55: 日本@名無史さん 2005/11/04(金) 16:39:23
>>47
姫には不作があっても、庶民出の側室って如何にも美人ならではってイメージが。

もちろん当時の基準は今と違うけど。

48: 日本@名無史さん 2005/10/17(月) 19:21:45
結婚したら眉なしお歯黒か。
人妻との不倫は無理だな。

49: 日本@名無史さん 2005/10/18(火) 01:04:24
>>48
男のやる気をそぐ、そういう目的もあったんだろ。

51: 日本@名無史さん 2005/10/24(月) 15:52:26
>>49
逆に燃えた人も多かったのでは?
美意識は時代によって推移する。

52: 日本@名無史さん 2005/10/25(火) 04:25:05
その時代はお歯黒つけた顔が美人とされてたんだしねぇ

53: 日本@名無史さん 2005/10/25(火) 23:39:01
>>52
お歯黒してたら美人、そういう事ではない。

54: 日本@名無史さん 2005/10/26(水) 06:38:38
ではないけど、今の茶髪や細眉やアイラインみたいなもんで、お歯黒は綺麗っていう美的感覚だったんでしょ

58: 日本@名無史さん 2005/11/14(月) 17:43:35
お歯黒や眉剃りなんかは実用的な意味以外にも、声をかけられても「眉を落しているのだから…」と断りやすいってメリットもあるみたい。


110: 日本@名無史さん 2007/03/30(金) 15:32:12
「必殺シリーズ」に出てくるような庶民を苦しめる悪女とか存在していたのかな?
贅沢で権力欲旺盛、もしくは残酷趣味の大名奥方とか、李氏朝鮮だと思いつく人もいるけど。

114: 日本@名無史さん 2007/05/16(水) 23:39:54
>>110
武家貴婦人は、普通に庶民と話すことすらなかったし、そういうイビリとかは、武家婦女としてあるまじきことだったから、生まれも育ちも武家っていう婦女には、通常はないと思うが。

まあ、明治以降に士族の商法で勝ち組になった家とかだと、つりあう嫁がいないから、庶民の名士の娘とかと縁組したりしたけど、いびるってのと違って、教育的指導がかなり厳しかったらしい。

うちのひいばあちゃんが、そういう状態だったらしい。

ちなみに、使ってる言葉も全然違うから、苗字帯刀の代々続く超豪商の令嬢育ちでも、通訳必要なくらい最初は大変だったらしい。

117: 日本@名無史さん 2007/08/19(日) 19:30:40
大名家の場合、側室も常に江戸屋敷に居なきゃいけなかったんでしょうか?

118: 日本@名無史さん 2007/08/25(土) 06:18:10
国には国用の側室がいたのではなかった?
御国御前とかいう名称だったっけ

119: 日本@名無史さん 2007/09/06(木) 11:38:54
>>118
御国御前と呼ばれることが多かったようね>国元筆頭側室
江戸屋敷にいた側室から選抜されて御国御前にされることもあったが(島津久光の母・お由羅の方もそう)
正室出生の嫡男がいない場合、御国御前出生男子を中心とした国元常駐藩士と江戸生まれの男子を擁立しようとする江戸常駐藩士で対立しお家騒動の原因になったことが多い。

ちなみに上記で例に挙げた島津家の場合だが江戸屋敷の側室を御国御前にしようとして拒絶されたことがあるという本当に役に立たないトリビア
(その女性は島津家から放逐の上産んだ子と絶縁、生涯連絡を取ることを許されなかった)
当時の江戸生まれの人間にとっては鹿児島行きは現代で言うとシベリアのラーゲリ行きを言われるにも等しくw
どうしても耐え難かったらしい・・・

120: 日本@名無史さん 2007/09/06(木) 12:47:15
もともと、結婚までの行儀見習いの感が強かった武家屋敷奉公で、親親戚と離れて薩摩行きはつらかっただろうね。
江戸生まれ、江戸育ちのお由羅は、よく薩摩へ下る決心をしたと思うよ・・・

122: 日本@名無史さん 2007/12/19(水) 21:57:38
よくドラマで武家のお姫様がしてる髪型って何て言うの?

123: 日本@名無史さん 2007/12/21(金) 17:14:28
>>122
吹輪(ふきわ)。
ただし、実際の吹輪の髪飾りは時代劇や歌舞伎の場合ほど豪華ではなかったそうだ。

余談だがまだ第一子を懐妊していない(か、養子を取っていない)大名の正室もこの髪形をしていたらしい。

124: 日本@名無史さん 2007/12/23(日) 23:05:38
>>123
飾りが派手過ぎて吹輪に見えなかった!

子供産むまで振袖着る決まりがどっかにあったような…

128: 日本@名無史さん 2008/03/20(木) 16:45:44
>>124
皇室じゃ今でもそうだけど、さすがに30越えるぐらいになると振袖をやめるらしい。

126: 日本@名無史さん 2007/12/25(火) 12:32:15
幕末の島津の殿様が自分の息女三姉妹を写した写真を見ると髪も着物もほんとにこじんまりしている。
(大藩なれど質実な薩摩藩だから?または他藩でもそんなものか?)
歌舞伎の「赤姫」の扮装が派手に創作してたもんだとわかるよな、

130: 日本@名無史さん 2008/08/05(火) 11:36:39
現代の和装花嫁の白無垢は元々武家の風習だっけ?

131: age 2008/08/17(日) 23:11:43
そうそう。
白無垢は本来武家娘の婚礼の装束。

フト疑問なのだが対する婿殿が町人の正装でキメてしまっていいのかい?
今はこれが普通だから、で済まされる問題じゃないような・・・。

136: 日本@名無史さん 2009/01/31(土) 19:48:04
>>131
男子の正装は束帯姿。
女子の正装は十二単。

歴代徳川将軍は肖像画を描かせるとき武家でありながら束帯姿で書かせたし。
武家の女子はなかなか十二単を着ることはなかっただろうが、それでも宮中に参内し、従三位を受けた春日局は武家の出でありながら白い単衣に真紅の袴をつけた公家の装束姿で肖像画が描かれてある。

157: 日本@名無史さん 2010/03/16(火) 16:37:16
椎茸髱ができたのは江戸初期くらいでしょうか、中期でしょうか、後期でしょうか。
すいません教えてください。

160: 日本@名無史さん 2010/03/24(水) 19:07:42
>>157
いろいろな資料を見てみたが、椎茸髱(正式な名前は葵髱)が出来たのは、大体江戸後期頃、現在の「おすべらかし」が出来て以降の感じ。

広まった流れは、
宮中→公家女性→将軍・大名家に嫁ぐか奥入りした公家女性から上流の武家女性・奥女中へ伝播
という感じかな。

159: 日本@名無史さん 2010/03/24(水) 02:51:12
江戸時代って結った日本髪のイメージだけど、垂髪の伝統を汲む髪型(御台所とか)が意外と長く残っているんだよね。

160: 日本@名無史さん 2010/03/24(水) 19:07:42
>>159
宮中・公家・将軍家・大名家とかの成人上流女性だと、大体礼装の髪型である垂髪とそのアレンジ
(基本的に自室にいる時とかに垂髪を仮にまとめておいた形が元になっている。いわゆる「お局様」の髪型として有名な「片外し」もその系統の一つ)が主体になっている傾向があるね。

161: 160 2010/03/24(水) 22:56:01
追記というか訂正

押さえ髱(公家方の呼び名)
葵髱  (京風の呼び名、一般名称?)
椎茸髱 (江戸方の呼び名)

162: 日本@名無史さん 2010/03/24(水) 23:23:55
椎茸髱って最初は馬鹿にした言い方だったんでしょ。
使い方
町人「おい向こうから椎茸が歩いてくるぞww」
みたいな。
最初読んだときワロタ

165: 日本@名無史さん 2010/04/07(水) 23:26:11
江戸初期の風俗ってまんま安土桃山時代だよね。

167: 日本@名無史さん 2010/04/14(水) 11:52:19
江戸城大奥は家光時代はまだまだ垂れ髪の時代だけど、もう髷を結い上げてるのが時代劇の普通になっちゃってるからな。

170: 日本@名無史さん 2010/04/17(土) 08:13:37
大坂の陣が終わって家康が逝った直後あたりで、いきなり日本髪の時代劇スタイルになったんじゃないのか?

171: 日本@名無史さん 2010/04/17(土) 13:23:23
>>170
それは大河ドラマの「春日局」の話では?

172: 日本@名無史さん 2010/04/19(月) 03:28:15
「春日局」では、大原麗子が垂れ髪を嫌っていた模様。
ソースは時代考証の二木何とかサンの書いた新書より(たぶん)。

引用元: ・★江戸時代の武家貴婦人について★



江戸の女の底力
江戸の女の底力
posted with amazlet at 19.02.03
氏家 幹人
世界文化社
売り上げランキング: 880,329