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1: |-`) 冷静 ◆XTPTb/6XNc 2012/07/21(土) 05:59:32.51 ID:i1p0Qujh0
名将の子で、幼い頃から兵法を学び、議論すれば父をも論破する。
そんな天才児がどうしてこうなった……
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趙括

趙括(ちょう かつ、? - 紀元前260年)は、中国戦国時代の趙の武将。名将といわれた趙奢の子だが、長平の戦いで秦の白起将軍に敗れ、戦死した。

幼少時より兵学に通じており、時には名将といわれた父を論破したこともあった趙括だが、父の趙奢からは決して評価されなかった。「あれの兵法は口先だけのものだ。戦争とは生死のかかったものであるのに無造作に論じている。任用されずに済めばよいが、もし趙括を将軍にすれば必ず負けるだろう」と妻の問いに趙奢は返答したという。だが、趙括自身は名将の息子という名声のもとに兵法の大家を自認し、軍事にかけては自分の右に出る者はいない、と自惚れていた。

長平の戦いにおいて、当初の趙軍は名将・廉頗の指揮でよく防戦していた。これに対し、戦局打開のために遠征軍の秦では宰相・范雎が一計を案じ「秦軍は老人の廉頗よりも、兵法の名家たる趙括が指揮を執ることを恐れている」という流言を広めると、趙の孝成王はこれを信じて廉頗から趙括へ総大将を交代させてしまう。これを知った趙の重臣の藺相如は死期の迫った病の身を厭わず参内し「趙括は兵法書を丸暗記しているだけの未熟者、戦場での臨機応変の重要さを理解していません」と諌めたばかりか、趙括の母までもが亡夫の遺言をもとに、趙括の将軍起用を取り下げるように王へ直訴したが容れられなかった。代わりにどんな結果でも一族などに罪を及ばせぬように、との趙括の母の願いだけは、孝成王も認めている。

前線に到着した趙括は廉頗の持久戦法から一転、秦軍に対し攻勢を仕掛けたが、歴戦の勇将である白起将軍の囮作戦にかかり、軍を分断され大敗を喫する。
趙括は僅かに残った健常な兵を率いて秦軍への突撃を敢行したが、趙括はあえなく矢で射殺された。統率を失った趙軍は降伏し捕虜となったが、40万人もの投降兵を養うだけの食料は秦軍にも無かった事で、白起の判断によって僅かの少年兵を残し投降の趙兵すべてが生き埋めにされた。このため趙は国力を大幅に低下させ、その滅亡を早めることになる。




429: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/06/09(土) 11:34:27.36 ID:WlOzqBEi0
ふと妄想してみると。

趙王をだまして無能な趙活を将軍にさせるはずが、だまされたのは白起や昭襄王のほうではなかったのか?
わざわざ藺相如や母親まで出した工作に乗せられたような気がしてならない。

長平の戦いは前260年、秦軍は勝つには勝ったが、結果としてその後10年以上にわたり中原進出できなかったから、負ったダメージは深刻でないはずがない、つまり趙活は有能だった。

戦後処理が過酷だったのは、秦軍が深手を負ったからだと容易に想像できる。
ちっとも大勝利じゃない。
昭襄王は秦の中原進出を見ることなく前242年に没している、
秦が再び中原を攻略にかかるのは前249年に韓の?陽と成皋を取った所から、ところが2年後には、信陵君の軍に、函谷関までまたまた押し戻されてしまう。
ようやく韓が滅亡するのが、前230年、長平の戦いから30年もかかっている。

431: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/06/10(日) 15:34:50.64 ID:FAPLjMnY0
>>429
記録でも国家総動員したらしいし長平は戦国時代最大の合戦と言われている
楚を滅ぼす時の60万の兵を出した時は言われていないのに
怪しいウィキペディアの記述で65万とか勝っても国力のダメージは大きいでしょう
和議になったけど秦側もこれ以上の戦争は無理だったっぽい

432: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/06/10(日) 15:39:08.92 ID:FAPLjMnY0
不止50萬/約65萬(全國軍隊及後勤)
全程包括初期攻防戰共近20-25萬人陣亡

とあるから怪しいけど事実なら20~25万の兵を失って秦もこの後軍事力がかなり低下したんじゃないかな

433: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/06/10(日) 15:41:20.26 ID:FAPLjMnY0
英語版だと55万の兵で15万失ったことになっている
ドイツ語版だと50万の兵で25万を失ったことになっている
いずれにしろ勝ったけど大きな被害を受けたってことかな

435: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/06/18(月) 11:20:37.46 ID:IE7l8pdz0
趙の人口は200~250万だと推定されている
これが男だけなのか女も含むのかは不明だけど趙の総兵力がいくらかは数十万と曖昧だが45万の兵を失ったらもうまともに機能しないだろうなあ
秦が後に60万が全軍に近いなら趙に60万や70万いたとは思えない
残る兵力は多く見積もっても10万もいないだろう
燕とかに攻められることもあるし全軍を秦に向かえない

ああ過去の真実を知りたい

436: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/06/19(火) 02:49:24.37 ID:1JssXlNm0
統一間近の全盛期戦国秦で60万ならば趙(最盛期)は全力動員で30万いたらええ方でしょう

つか200~250万ぽっちしか養えない生産力じゃ野戦軍はせいぜい10万…

440: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/06/28(木) 21:41:47.13 ID:xbvWYxE40
無能な奴ほど評価される

443: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/07/29(日) 16:57:20.78 ID:AuD0MxCt0
バショクもチョウカツも逸話を見ると優秀だと感じさせらる
両者ともリュウビやチョウシャには評価されていなかったが

444: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/07/29(日) 20:51:48.33 ID:z7Sw04lG0
徳川家康や劉邦でも愚かな行動をして失敗したことはある
両者は運良くそれが致命的な結果にはならなかったけど、趙括は歴史に残るレベルで致命的な結果になってしまったわけだ

445: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/07/29(日) 21:11:11.46 ID:r5itlVX20
>>444
劉邦は割と致命的な大敗を何回かやってるよ
それで滅びずに立ち直れたのが劉邦と劉邦家臣団の凄いとこだと思う

447: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/07/30(月) 11:53:25.36 ID:bjD0tEuj0
劉邦は命こそ失ってないが匈奴戦の完敗はある意味長平をはるかに凌ぐ歴史的な敗北ですね
その後の中華帝国と漢民族の基となった大漢が長期間草原の民の履を舐め続けていたという事実は重い

450: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/07/30(月) 20:37:27.67 ID:wF3KkAb20
馬服君は彼を教育することができなかった

453: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/07/31(火) 12:39:41.95 ID:qdlj1lJ80
>>450
趙括が駄目なやつだと分かってるなら別の息子を跡継ぎにしろって話だよな

462: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/12(日) 16:15:02.60 ID:+wgR/2HQ0
>>453
名将の息子で口先だけ優秀な奴は廃嫡しても君主が勝手に重宝するから無理

似たような例で三国時代の呉の諸葛瑾の息子の諸葛恪も趙括と似たタイプ
こちらは諸葛瑾健在の頃に諸葛恪は既に卿になっているから
諸葛瑾の跡継ぎは諸葛恪ではなく弟の諸葛融
しかし諸葛融は諸葛恪より人望あるが無能で遊び好きという凡将
諸葛恪が滅ぼされた時に諸葛融も一緒にも誅殺されている
まあ名将の息子で親と同じレベルのケースは少ないので求めるのが間違い

454: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/07/31(火) 13:03:47.60 ID:a0DIxiUA0
相手が超悪すぎただけでそこそこやれたかもってのは無いの?

455: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/07/31(火) 21:50:05.87 ID:XzX1qubU0
趙の国運をかけた戦争の司令官に抜擢されるんだから、史料が残っていないだけでかなりの実績があったんじゃないだろうか

456: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/04(土) 21:45:41.64 ID:PhQKj3jz0
失敗したが英雄です

458: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/09(木) 10:45:51.69 ID:I3HeMG2x0
>>456
長平の戦いの後、韓が滅亡するまでに30年かかっとるがな。
これ、何気に時間稼ぎとしては成功じゃね?

464: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/21(火) 15:31:34.30 ID:cqvzD6na0
>>458
韓って南北に分断されて最終的には新鄭だけになったのか
韓非子が言うに秦に労役と納税を提供して郡県と変わらないとか実質滅びていたんじゃね
衛も名目上は続いていても魏が滅んだ時に一緒にだしモナコみたいなものかねえ
フランスに納税しているしフランス人がモナコは国じゃないと言ってた

465: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/22(水) 00:59:28.51 ID:jb6lFHgJ0
韓は秦が恵文王の時代、早くも西部の大都市だった宜陽を奪われて洛水北岸を殆ど失ってしまい、長平の戦いの時期に成皋ら黄河南岸の主要都市を奪われて黄河以北の上党が孤立して後にほぼほぼ秦に奪われたって感じ
韓の首都である新鄭って韓の領土のかなり東端にあるんで、どれだけ領土を奪われても不幸中の幸いか首都が最後まで残れたのかな
そこに至るまでにもあちらこちらを奪われたり奪い返したり、割譲したり返還されたりでいろいろあるけど最後は新鄭周辺しか残ってなかったっていうからなあ

467: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/22(水) 02:56:20.97 ID:1Q38Ozcr0
七雄というけど末期の韓って兵力どれぐらいいたんだ?
もう秦の領主程度の力しかなかったんじゃないか

476: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/24(金) 11:07:20.26 ID:UL6ycqXq0
>>467
正しく推測できる人は存在しないでしょう。末期の兵力や人口に関する資料が圧倒的に足りない、というか無い。

まだ雄国の一つと言える版図を(たぶん)有していたBC275頃なら、(たぶん)韓の権臣暴子率いる韓軍が、(たぶん)野戦で秦軍に敗れ4万人やられた紀年記事がある。(たぶん)数万人規模の野戦軍を組織できたはず。
……織豊期の有力大名とか蜀漢くらいのパワーかね?

477: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/24(金) 11:28:17.95 ID:U1L2EOkI0
韓は「戦国策」などに依るなら、蘇秦が遊説した時代ですら数十万ってくらいだから、猛威にさらされ続けた秦の昭襄王時代以降なんて韓一国で秦と真っ向から戦争できる軍事力なんてなかったんだろうな
韓は兵器だけは優秀だった様だけど

478: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/24(金) 15:02:24.93 ID:UL6ycqXq0
ざっと史記で韓の最盛期とされる時代を確認しても、10万未満っぽい魏軍に連敗している。
当時でも攻勢に使える兵はせいぜい5万、首都や宜陽クラスの都市に立て籠もり根こそぎ動員かけてやっと防衛戦力10万ってイメージ。

482: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/26(日) 00:06:23.78 ID:GhoGUEfT0
趙括君は以前何やってたかわからないんだよね?
いきなり無経験の人間を国家の存亡掛けた戦いに引っ張り出すとは思えないし副将はやってたのかな

483: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/26(日) 01:07:00.65 ID:b/vwGToC0
初めての経験で無理だっていさめられていなかったっけ
実戦経験があったら良くも悪くも実力がばれていたような

484: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/26(日) 02:01:17.08 ID:A5RDgSQN0
「王族?」って言ってる人は最近どこかで見たような。
私も恵文王代の後半から孝成王代の政権構造(特に公子層の動向)について考えた際に想定した覚えがある。もちろん史料の裏付けはない。

485: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/26(日) 15:50:49.76 ID:ZVSGy2yA0
同じ趙氏でも王族と何の関係も確認できない人物はけっこういるけどね

486: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/26(日) 17:19:04.99 ID:A5RDgSQN0
そもそも確認のしようがない。
誰も答えられないのがわかりきってるから誰も言わないのだろう。

489: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/26(日) 23:17:11.96 ID:b/vwGToC0
馬氏の祖先らしいから馬超の先祖なのかね

491: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/27(月) 14:32:55.06 ID:465GcmEa0
>>489
趙奢の馬服君の称号に由来する

490: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/27(月) 04:33:34.77 ID:mkcFo/mf0
趙括の官職は将軍なのだろうか

493: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/08/28(火) 07:35:57.96 ID:cQn2i5nh0
元々は親父みたいに税の仕事をやってたりして

501: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/10/10(水) 05:10:38.60 ID:5pZkPAvc0
趙括さんは最期をみても覚悟はあったんだろうし親父や廉頗の副将として実戦積ませれば良かったのにね

502: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/10/11(木) 23:46:32.81 ID:KT9VZdJm0
おそらく秦軍に半ば包囲された状況で将軍に就任したんだし副将格の一人として戦場に居た可能性もあんじゃね?

503: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/10/19(金) 17:35:34.77 ID:+EjcwKJu0
作戦参謀官が適任で、将軍適正じゃなかったんだろうね。そういう人少なくない。

504: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/10/21(日) 02:57:45.66 ID:+wjSxT/G0
>>503
そこんとこも馬謖と一緒だな

506: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/10/31(水) 16:43:59.25 ID:I29Evj4t0
趙括は武帝に寵愛されず衛青という師も居なかった 霍去病や(暴論

511: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/12(月) 13:19:26.54 ID:iQ7JENTR0
まぁその後も李牧が出て来て粘るんだから趙の国力はこの時代としてはかなり強大だったのは確か
まぁ国王とその取り巻きが馬鹿だとどんな優れた将軍がいても誅殺されて終わるよね

燕の楽毅ですら誅殺されそうになったし

512: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/12(月) 19:33:53.94 ID:S2xgkBMK0
白起「国王と取り巻きが中華戦国時代屈指の君主と名臣でも将軍を〆る事はよくあるゾ」


何度もフルボッコにされてる上に趙と違って地の利となる険阻な地形が乏しい
秦の圧力を真正面から受けながら存続している魏とかいう国を趙よりも評価すべき

525: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/01(土) 18:07:45.26 ID:1hA/F9gh0
廉頗は勝つ必要がなく、維持で長引かせれば良かった。
趙括は堂々と戦った。
基本どおりの事は出来ても、臨機応変は知らなかった。
兵法は読んでも学者でしかなかったんだろう。

526: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/01(土) 18:58:10.25 ID:/RH3eB4A0
白起は「兵法に通じているとうぬぼれているからこそ趙括を打ち破るのはたやすい」
と言ったんだっけか
親父のチョウシャが「あいつにだけは軍を任せてはいけない」って言ってたらしいし

527: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/02(日) 00:42:16.80 ID:fGLsfQKA0
>>525
勝つ必要はあったのでは?
趙国の意思が「長引かせれば良い」、であったならば廉頗は非難されんだろう

529: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/02(日) 12:10:43.99 ID:LuqlozXa0
>>527
1戦での勝ち負けではなく、長い目で見ての勝ちを狙ったんだと思うよ。
廉頗は前半で負けた結果、持久戦に持ちこんで守っていたからでは?
趙本国では戦って短期間で勝つことを望んでいたから非難したんでしょ。
秦はどんなに戦力つぎ込んでも、長くは滞在出来ないんだから。
趙兵を殺したのも兵糧の問題もあるから。

530: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/02(日) 17:06:21.60 ID:fGLsfQKA0
>>529
いや、そういうことではなく
本国が短期決戦を想定していたのなら作戦を遂行する将軍のタスクは決戦になる
仮に体力で上回る超大国に勝つべく大戦力を動員し短期決着を狙う計画であったならば
一将軍の勝手な戦術変更は許されないだろう

531: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/02(日) 17:31:27.03 ID:LuqlozXa0
途中で戦術変更することは有り得ると思うけど。
臨機応変な将軍なら状況で変える事はおかしくない。
最初に作戦が決まったら何があっても作戦通りとは限らない。
状況も考えなければいけないのに。

忠実に任務をこなすだけの無能な司令官ならそうだろうけど

名将と言われる将軍が何も考えもなしにああいう戦法をとるかね?
結局守るだけで戦わなかったから批判されてるだけでしょ。
本国と廉頗とで違うだけの事。

趙括に代えて致命的な大敗したのは、廉頗が正しかったという証明。
秦は廉頗が守りに入ってからは攻めあぐねていたからね。

最初に短期決戦で出陣して、負けが続いても決戦に拘る?
名将と言われる人が、そんな事考えるのかね?
本国との考えの違いから叩かれて代えられたんでしょ。

533: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/02(日) 19:18:44.84 ID:fGLsfQKA0
>>531
証明なんて出来ないと思うよ、絶対的情報不足の時代なので俺にしろ貴方にしろ憶測しかできん
実際の兵力はどれだけか、双方の兵站はどうなっていたか、両軍の位置関係、当時の地形・・・
ほとんど分からないのだから

あと名のある将軍だから状況を正しく捉えている、とは限らないよ
調子が悪かったりすると目先の失敗を懼れて展望のないまま引きこもって自滅するパターンもありえる
結果論で言えば廉頗は長平の10年前に状況判断を誤っている(廉頗の発言が事実であればの話だが)

534: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/02(日) 19:33:13.47 ID:LuqlozXa0
状況しか知らないからね。
廉頗は失敗した経験を生かしてるんじゃない?
失敗したらそれで終わりじゃない。
失敗することも有れば成功することもある。
リスクはあって当然だろうし。

でも代えたのが失敗だったとは考えられるよ。
廉頗は状況判断できているよ。
趙括は勇んで出て行って大敗。
出てくる敵と守る敵。
秦にとってどちらが難しいか。
将の差だと思うけどね。

536: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/02(日) 21:59:34.22 ID:g1+4mdpx0
秦には大規模な増援を送る余裕があり、やろうと思えば更に遠方の邯鄲を攻囲することも可能。

この差がある限り、「廉頗ならいけてた!」にはならないのよな。
趙括は負けた、という事実が残るのみ……。

537: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/03(月) 00:15:54.38 ID:NGQ9Ol310
勝てば官軍って本当だよね。
織田信長とかも桶狭間ところか家督争いで敗れてたら無能扱いだっただろうし。

引用元: ・なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?



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