1: 人間七七四年 2008/05/30(金) 02:08:10 ID:kSfgrDCr
下野スレや長野父子スレでは仲間はずれにされがちなところを中心に語ろう







8: 人間七七四年 2008/06/23(月) 21:18:36 ID:XCFA9cGK
由良成繁は東国で最初に鉄砲を手に入れた大名らしい

9: 人間七七四年 2008/06/23(月) 22:33:00 ID:hHYeh9rl
義輝からも鉄砲贈られてたよね
鉄砲が好きだったらしい。

10: 人間七七四年 2008/06/23(月) 23:00:23 ID:e5P0WgCN
>>9
上様から貰ったってのは、謙信の口利きがあったのかな?

11: 人間七七四年 2008/06/23(月) 23:16:30 ID:XCFA9cGK
横瀬泰繁の頃から御内書が下されてたから、以前から将軍家とは懇意だったんだよ

12: 人間七七四年 2008/07/02(水) 03:33:38 ID:9xMeYvov
岩松の由良による簒奪劇はもっと語られてもいいと思う

岩松 守純(いわまつ もりずみ)は、上野国の戦国大名。江戸幕府旗本。岩松氏14代当主。天文元年(1532年)、13代当主・岩松氏純の嫡男として生まれる。

父・氏純は筆頭家老である横瀬成繁(由良成繁)によって専横され、天文17年(1548年)に自害している。このため家督を継いで14代当主となるが、成繁によってなおも専横され、遂に居城・金山城を成繁によって奪われた。この時点で、大名としての岩松氏は滅亡したといえる。


14: 由良成繁ってどお? 2008/07/02(水) 15:41:14 ID:TaFvJvuZ
>>12
享禄大乱で岩松が京から下向した時点で、すでに横瀬が岩松を牛耳っていたから…ネタがないんじゃない?

15: 人間七七四年 2008/07/02(水) 15:53:15 ID:Y1WDGhH8
うーん、厳密に言うと、由良改姓までは下克上は完成してないのではないかと思います。

由良 成繁(ゆら なりしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。横瀬氏(由良氏)8代当主。

はじめ岩松氏に家老として仕えていたが、下克上を起こして主君の岩松守純から新田金山城を奪い、鎌倉時代に新田氏宗家が代々相伝していた上野新田郡由良郷の地名より名字をとり姓を由良に改めた。これは、由良氏が戦国大名として独立したことを表明するためであったといわれている。


16: 人間七七四年 2008/07/03(木) 15:15:43 ID:bh1hxG0a
詳しくない俺に横瀬から由良に改姓した理由を教えてちょ。

17: 人間七七四年 2008/07/03(木) 23:44:43 ID:MqZgfhBC
一言で言うと「家格」と「政治的立場」の問題かな。
小野姓横瀬氏のままだと、政治的地位としてはあくまで「岩松氏の執権」との認識にとどまるため岩松氏の「執権」という政治的立場から脱し、岩松氏一門やその重臣たちを被官化し家中の統制を確固たるものにするためにも改姓は必要なことだった。

そのため、室町幕府有力者と交流を密にし、それが効を奏したのか永禄7~8年
将軍義輝から直接に官位をもらい、「御供衆」に任命され正式に足利将軍家の直臣となった。
このことは岩松氏の執権という政治的立場から脱したと同時に改姓の大儀名分を得ることとなり、岩松氏と同等の立場を示す新田氏流源姓由良氏を称した。
63: 人間七七四年 2008/10/12(日) 15:21:42 ID:LjcTxaYy
他家の下剋上の例ではそんなことないんだが、横瀬の下剋上はなぜか中国の諸王朝を思い出してしまう

64: 人間七七四年 2008/10/12(日) 21:46:07 ID:y38qIg7V
やっぱり天正期後半以降の落ちっぷりがそう思わせるのかな?

69: 人間七七四年 2008/11/14(金) 11:59:09 ID:7zuIvhsS
横瀬=由良は岩松当主二代続けて殺害し、その後胤を桐生に幽閉しやがったからな。 
おまけに成繁の時代には伊勢崎の地を謙信にもらい、さらに息子を足利長尾の養子にしてもらい、ついでに館林城までもらう程、謙信の篤い信任を得ていながら足利長尾顕長が総大将で臼井城攻城に失敗すると、たちまち上杉を裏切って北条に付いた挙げ句に成田氏まで裏切りに誘う悪党。 
おかげて揚北衆の本庄の裏切りを誘発し武田に春日山城を窺われるし、沼田城まで危なくなった。 

70: 人間七七四年 2008/11/14(金) 14:41:21 ID:jtbi3qtu
昌純が殺害されたのは確かだが、氏純は自害じゃなかったっけ? 
あとは、臼井後の離反に成田氏を誘ったというのは聞いたことがないので、よかったら出典等よろしくです。

108: 人間七七四年 2009/01/27(火) 04:23:59 ID:zZR7Y3Ni
他家ではそんなことないのに、由良の簒奪が悪い簒奪に見えるのはなぜか

110: 人間七七四年 2009/01/28(水) 23:02:14 ID:vpjMJZ1a
>>108 
うーん… 
・主家の家格 
・主君殺し(享禄の変) 
・両家とも存続していること 

などが複合的に絡みあっているのかなと思いましたが… 
また改めて考察をカキコしてみますね。 

129: 人間七七四年 2009/05/07(木) 09:14:10 ID:VoQq6Hu3
岩松氏の衰退の速さは異常

130: 人間七七四年 2009/05/19(火) 00:44:34 ID:JXK84BfC
元々大したことなかった気がしたんだが

133: 人間七七四年 2009/05/24(日) 16:12:00 ID:ra4y8RBR
室町時代における新田氏の総領である岩松氏が大したことない?

136: 人間七七四年 2009/05/29(金) 23:33:57 ID:4Y8kQ9UC
新田の惣領なんて現代の我々が思っている以上に軽い軽い 
宗家からして時代の徒花を咲かせただけの弱小御家人だからな 
案の定、積極的に新田流を名乗りたがっているのは岩松・横瀬・里見・徳川といったキワモノ揃い 
岩松でさえ自称であって血統的には足利流なのか新田流なのかすら分かってない 
新田の嫡流だと認めてもらえるのは明治になってから

138: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/06/01(月) 06:33:41 ID:ZuvUimz1
新田本宗の惣領なら、系譜的に見て日本でも有数の名家なわけだが。 
頼朝に気に入られたか否かは問題ではないし、始祖新田義重は源義国の長子であり、三子の足利義康とは母の出身から見てもどちらかが嫡子とは判断できない。 

明治政府が新田のお墨付きを出したのなら、ある程度信じてやってもいいんじゃないだろうか。

19: 人間七七四年 2008/07/08(火) 13:20:00 ID:fe+NvaUt
群馬県を代表する大名ってやっぱり長野だよね?一般にはマイナーだけど

20: 人間七七四年 2008/07/08(火) 16:27:34 ID:TA6TOcRR
いや、白井長尾家だろ。。山内上杉の命運を握ってたようなもんだし。

21: 人間七七四年 2008/07/08(火) 23:30:07 ID:t3fwJ3VV
普通に山内上杉だろ
それ以降なら長野かなぁ

22: 人間七七四年 2008/07/10(木) 18:44:14 ID:pO1YtQBM
白井・総社の両長尾と長野と由良は上野代表選手だね。

23: 人間七七四年 2008/07/10(木) 23:09:04 ID:pt5d+G08
和田城を修築して高崎と改めた井伊直政だろ

25: 人間七七四年 2008/07/11(金) 03:00:26 ID:9YEPgmUQ
井伊は最初は箕輪城にいたけど高崎城へ遷った。
滝川も最初は箕輪城にいたけど厩橋城へ遷った。
山城だったのが戦国末期の時代に合わなかったのか箕輪城不憫すぎw
でも遺構はすばらしく感動する。

44: 人間七七四年 2008/08/23(土) 03:08:02 ID:2rK2IcBG
桃井讃岐守って誰ぞ
桃井一族?

45: 人間七七四年 2008/08/23(土) 11:22:19 ID:eTdmRa9R
越後上杉にいる桃井讃岐守?
あれは桃井一族でしょ。

46: 人間七七四年 2008/08/25(月) 03:25:01 ID:bSl/TPKd
桃井一族って結城合戦で綺麗さっぱり消えた思ってたんだが、上杉にも奉公衆にも一族が居るみたいだな
しかしはっきりとした子孫は聞いた事がない

47: 人間七七四年 2008/08/25(月) 13:05:08 ID:WsBDAbPA
越後の桃井氏は位置的には関東管領の与力みたいな立場だったと思う

50: 人間七七四年 2008/09/21(日) 00:49:27 ID:C3i4mO8Q
長尾氏の嫡流ってどこ?

53: 人間七七四年 2008/09/21(日) 05:56:22 ID:jThRUH7a
総社長尾信綱は関東管領と一緒に越後へ逃げて、船と結婚し直江家の養子になったんだけど論功行賞で刺殺されたんだっけ?
関東管領後継者争いで、足利長尾氏は白井長尾氏と組んで家宰の総社長尾氏を追い落とした後に、山内上杉の家宰になったよね。
その後、足利長尾氏は由良氏から養子取ったけど。
白井も総社も越後へ逃げた後も、由良氏の後援で足利長尾氏は下野で踏ん張ったよなぁ。

54: 人間七七四年 2008/09/21(日) 16:53:33 ID:C3i4mO8Q
じゃあ足利長尾氏の男系は途絶えたという事ですか

55: 人間七七四年 2008/09/21(日) 19:25:30 ID:LA9cW2Yn
うん。
政長には子どもいなかったから…
ちなみに、政長の父憲長の妻は横瀬(由良)氏なので、政長には由良の血も入ってる訳だが

56: 人間七七四年 2008/09/21(日) 22:29:20 ID:C3i4mO8Q
残念だな~
それでは白井長尾氏や総社長尾氏は男系を維持できたのでしょうか?

57: 人間七七四年 2008/09/21(日) 23:13:32 ID:w8zXpH1m
白井長尾氏は2度余所から養子とってるな。
でも鎌倉長尾と総社長尾からだから一応長尾氏としての命脈は保った…のか?

総社は普通に存続したはず。


152: 人間七七四年 2009/08/06(木) 07:16:15 ID:gp7ipyVl
なんで長尾って武将がやたら居るの?長尾憲景、長尾顕長とか。
謙信の部下?

153: 人間七七四年 2009/08/06(木) 09:49:42 ID:jUAD/wXk
上杉氏の部下。
上杉氏は関東各地を同族が支配した。

154: 人間七七四年 2009/08/08(土) 12:06:13 ID:S64ivuT4
関東管領上杉氏の家宰職が上野守護代長尾氏が代々継いでいた。
関東管領軍を率いて鎌倉公方→古河公方と戦い続けてたのが長尾景仲や長尾景信。
関東戦国史は応仁大乱よりずっと前から始まってた。

155: 人間七七四年 2009/08/09(日) 01:34:03 ID:NlTMtKLB
むしろ関東の戦乱が影響して応仁の乱が起こった。

156: 人間七七四年 2009/08/09(日) 20:45:31 ID:2yt22jPG
上杉は管領家の山内上杉を圧倒しようと狙う扇谷上杉と戦い始めるし
山内上杉に養子を出した越後上杉まで介入してくるし
さらに若い頃の足利義政はまだやる気があって
自分の弟を伊豆に派遣して堀越公方として古河公方を牽制したりして関東情勢に介入してた。
また古河公方はのちに親子が対立分裂。さらに兄弟も対立し小弓公方が成立。
関東管領も古河公方親子のそれぞれを支持して分裂。
もう関東はめちゃくちゃになった。

164: 人間七七四年 2009/10/16(金) 22:41:01 ID:dCygob3P
足利長尾氏最後の当主の長尾顕長には「関英宗鉄」という法名がついてますが、墓所はどこにあるかご存知の方いますか?
晩年はやはり兄のいる牛久あたりにいたのでしょうか?
顕長の嫡男が古河藩土井家の重臣になったとの話もありますが事実ですか?

165: 人間七七四年 2009/10/17(土) 09:22:37 ID:wsjYTZd4
>>164
由良氏から入って臼井城攻略の責任者に任じられた時にまだ10才前後の小僧だった人だっけ?

166: 人間七七四年 2009/10/29(木) 15:37:57 ID:xpd7rNOK
顕長ってどこで没したかもわからないんだ

168: 人間七七四年 2009/11/10(火) 15:00:11 ID:OEbZT7FW
息子は土井利勝に仕えたのね。

179: 人間七七四年 2010/03/27(土) 15:56:39 ID:40FdE5c3
神流川合戦の時、由良氏はやっぱり北条方だったのかな?

180: 人間七七四年 2010/06/20(日) 18:41:57 ID:R2u+0Jhx
>>179
だと思うよ。上杉の関東への影響力はもう死んでるどころか越後まで攻められてるし。


引用元: ・【岩松・由良】上野の戦国大名【長野・長尾】