51kSfXWdiTL



1: 人間七七四年 2007/02/14(水) 20:30:02 ID:I4uQSyJa
松平信康(享年21)
織田信忠(享年26)

そして
島津豊久(享年31)
ってどうよ、血筋的にも問題無し
同属島津久保も享年21でもったいないことをした

もしも生きていたら・・・








2: 人間七七四年 2007/02/14(水) 20:31:42 ID:KGDKNqjK
蒲生氏郷

3: 人間七七四年 2007/02/14(水) 20:33:38 ID:L7oVh7V2
真田兵部とかどうよ。当時にしてはそこまで若い死でもないけど

5: 人間七七四年 2007/02/14(水) 20:37:02 ID://qPtLTD
木村なんたらっていうやつ

14: 人間七七四年 2007/02/14(水) 21:04:28 ID:I4uQSyJa
>>5
大坂の陣だったら木村重成
享年23か

みんな若くてもったいないねえ

6: 人間七七四年 2007/02/14(水) 20:37:31 ID:I4uQSyJa
>>1に名前を書いてはみたが、
松平信康・織田信忠の2人はまあしかたないなって感じでも島津豊久の死に方は本当にもったいない
例の散り際の話を読むたびに泣きそうになる
親子二代にわたって無念だろうなあ

9: 人間七七四年 2007/02/14(水) 20:40:29 ID:BD/gKp7c
北条氏直
真田大助

10: 人間七七四年 2007/02/14(水) 20:45:42 ID:I4uQSyJa
>>9
大助若すぎ(´・ω・`)

11: 人間七七四年 2007/02/14(水) 20:49:10 ID:VfEKKU13
18歳で戦死した臼杵統景
かなり優秀だったらしい。

13: 人間七七四年 2007/02/14(水) 21:01:26 ID:I4uQSyJa
>>11
名前初めて見たからぐぐったら、wikiになかった・・・
違うサイトより

臼杵 統景(うすき むねかげ)
臼杵鑑速の子。父の死後、家督を継ぐ。若年ながら文武に優れ、宗麟にその才を愛された。
日向高城攻撃に出陣し戦死。その死は敵将 島津家久も嘆息したという。

もっと詳しく~

15: 人間七七四年 2007/02/14(水) 21:07:15 ID:KGDKNqjK
川上久朗

久朗は島津氏の庶流の一族であるということもあったが、久朗は若い頃から智勇兼備の誉れが高く、その才能は島津忠良や島津義久にも高く評価され、弱冠18歳にて、当主の義久から島津氏の家老職、並びに守護代にまで任命されるという異例の抜擢を受けている。

肝付氏との戦いなどで、その才能を遺憾なく発揮して武功を挙げたが、1568年、相良氏との戦いである大口城攻めのとき、島津義弘を守るために孤軍奮闘して討ち死にした。もし、彼が長生きしていたら、島津氏の九州制覇は10年は早まっていたのかもしれない。

17: 人間七七四年 2007/02/14(水) 21:23:11 ID:I4uQSyJa
>>15
ゲームでも寿命が短かったなー、思い出した

16: 前田 ◆MAEDAxMYTY 2007/02/14(水) 21:07:23 ID:MbvBOLmY
斉藤龍興はどうか。

19: 人間七七四年 2007/02/14(水) 21:55:51 ID:Zwk27a6W
斎藤義龍が長生きしていたら歴史が変わった可能性が高い

18: 人間七七四年 2007/02/14(水) 21:26:25 ID:y8jMmvWY
金吾……いや、なんでもない

22: 人間七七四年 2007/02/14(水) 22:13:02 ID:nL7Qi/4V
塙直政。大和守護までなったのに。

32: 人間七七四年 2007/02/15(木) 04:18:22 ID:XIfP+ycP
羽柴秀保 1579~1595
能力的には未知数だったけど、若死にしなければ後見役の藤堂高虎が家康につくことは無かったと思う。

33: 人間七七四年 2007/02/15(木) 04:21:20 ID:0Vfpxlco
>>32
豊臣本家から粛正くらってたかもしくは高虎ともども家康になびいただろ

41: 人間七七四年 2007/02/15(木) 07:27:50 ID:WSkMQnkT
秀吉の実子説が強い羽柴秀勝。
生きていれば秀吉が死んだ頃には三十の男盛りで家康も手が出せなかったと思われる。

48: 人間七七四年 2007/02/15(木) 16:26:32 ID:0XeC+YeJ
>>41
そうかもしれんが、秀勝が生きていたら於次秀勝の存在はなかったかもしれないんだよね?
そしたらそもそも秀吉は天下をとれてないかもしれないよ?
信長の息子が養子ってのは地味に大きいから

それにしても三人の秀勝、皆早世ですね

42: 人間七七四年 2007/02/15(木) 07:39:37 ID:Eihtfo+O
堀秀政

119: 人間七七四年 2007/02/24(土) 15:29:46 ID:fiTuNt5y
>>42 に同意。秀吉も嘆くほどの名人久太郎。小田原攻めののち、秀吉は久太郎に関東を与えようとしていたそうだ。

43: 人間七七四年 2007/02/15(木) 07:48:29 ID:SFNPKHkZ
佐竹義昭
彼があと10年生きていれば常陸を統一し
更に版図を広げ北条と関東の覇権を争ったかも

45: 人間七七四年 2007/02/15(木) 12:22:31 ID:arDtG/d+
三好義興
彼が死ななければ長慶も鬱病にならず三好の勢力を維持して信長も史実通り上洛できなかったかも

46: 人間七七四年 2007/02/15(木) 16:14:06 ID:mEL6/7T4
毛利隆元
あまりに有名な親父や弟達に比べて影が薄いがかなりの名君。
元就が亡くなったとき壮年の隆元がいれば毛利家もあそこまで守旧的にならなかったかも。

49: 人間七七四年 2007/02/15(木) 17:03:53 ID:DO/e9e6o
>>46に同意
弟達に隠れて目立たないが、隆元もかなり優秀。

72: 人間七七四年 2007/02/16(金) 18:50:50 ID:gmjLiuOW
>>49
人望に関してはかなりあったという話は残ってるね

76: 人間七七四年 2007/02/16(金) 20:21:25 ID:tmhrbQQX
隆元は能力は優秀だけど残ってる逸話をみると神経が細いというか、あまり組織のトップには向かない感じだな。
経済の手腕は隆景以上にあったみたいだから誰かの下について働く方が向いてそうだ。
個人的なイメージだが治世の名君、乱世の能臣って感じ。

53: 人間七七四年 2007/02/16(金) 02:26:17 ID:Kkxp489R
立花次郎兵衛統春(1564~1590)
立花道雪の弟戸次親行の子で父の死後道雪に育てられた武将
高鳥居城攻めで星野吉実を討った功を十時伝右衛門と譲りあう等『沈勇かつ剛毅で、礼節を重んじる高義の人』 だったと伝わる。
加藤家から逃れてきた罪人を匿ったことから切腹することになる。

立花三太夫統次(1576?~1600)
立花家臣森下釣雲の三男。統春の死後、宗茂の命で統春の家を継ぐ。八院合戦で奮戦するが今泉軍助に鉄砲で撃たれ戦死した。

57: 人間七七四年 2007/02/16(金) 06:48:15 ID:Y+8kFQjB
やっぱ戸沢盛安だな
政宗と奥羽で火花を散らして欲しかった
91: 人間七七四年 2007/02/18(日) 13:32:35 ID:XetGHOHg
戸沢盛安の短命はいろんな意味で痛い。 
ゲームで当主が盛安で突然逝かれると本当に顔面蒼白になる。 
なんせ無能な隠居大名をまた当主に据えないといけないんだからorz

68: 人間七七四年 2007/02/16(金) 13:38:37 ID:wh+yS7vW
既出だが、斎藤義龍(1527年~1561年)
父・道三が乗っ取った旧主家である土岐家の血を引いているとも噂され、それを利用して謀反し長良川合戦にて道三を討ち取る。
その結果、それまでの美濃-尾張の同盟関係は崩れたが、その代わりに南近江の六角氏と結ぶ。
存命中は信長の侵攻から美濃を守り通しただけでなく、北近江浅井と敵対し、浅井方の佐和山城を攻略しているがその2ヵ月後の急死。

もし彼が長生きしていれば、信長が美濃侵攻に手間取り、その後の戦国終息にも大いに影響したかもしれない。

73: 人間七七四年 2007/02/16(金) 19:04:21 ID:gmjLiuOW
あらためて調べるまで気にしてなかったが、この人も若死にだなー

浅井長政(享年29)
生誕 天文14年(1545年9月1日)
死没 天正元年9月1日(1573年9月26日)

ちょっとだけ行動が違ってれば、もしかすると信長軍団の中枢になり得た人材じゃない?
なんせ義弟だし
徳川家康と共に、家臣ではなく、信長の強固な同盟国としてね
北陸方面制圧とか、更に進軍して上杉と真っ向勝負とか、やってたら面白いねえ
一説では親父とかに強引に押されて朝倉についたとか言うけど、そこで動かなかったり、信長についてたら・・・
しかし、その後に本能寺が起こらなかったとは断言できず、その後も秀吉に遅れをとったかも知れず・・・「もしも」は難しいね

83: 人間七七四年 2007/02/17(土) 01:11:02 ID:8gpuMdFa
武将じゃないが、長生きさせてみたかった人物

足利義輝(享年30)
生誕 天文5年3月10日(1536年3月31日)
死没 永禄8年5月19日(1565年6月17日)

蹴鞠しかやってそうもない将軍職なのに剣術の達人ていうのがかっこよすぎ
死に際の話は事実なんだろうか?
それにしても松永三好はろくなことしねえな

84: 人間七七四年 2007/02/17(土) 07:12:16 ID:6XdcXr5N
>>83
>松永三好はろくなことしねえな

二度も主君が暗殺されかけて、細川や畠山や六角を裏で操り、三好家を滅ぼそうとした陰謀将軍だぞ?自分が殺される前に殺ってしまおうというのは当然と思うが。


93: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/19(月) 06:26:49 ID:Wi/4h5WR
後、荒木村重の息子達。死に際立派だったという。
生きのびて、一人で逃げた裏切りパパを殺して欲しかった。

94: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/19(月) 06:29:35 ID:Wi/4h5WR
それからたぶん誰も知らないだろうけど尼子勝久。
有名な山中鹿之助の大名です。
強大な毛利に僅かな手勢で立ち向かった勇気はすごい。

97: 人間七七四年 2007/02/20(火) 12:42:35 ID:T1KVEqQs
>>94
確か新宮党だっけ?
尼子家最強の戦闘集団。

その生き残りだな。

某野望じゃ低評価だけど…(能力的に…)

103: 人間七七四年 2007/02/23(金) 13:05:59 ID:iOe2eYtN
松平清康
15歳頃から武将として合戦を指揮。
松平家を三河の最大勢力に成長させる。
酒井家、石川家などの豪族を傘下に加え、隣国・遠江の井伊家まで名声を轟かせて井伊家とも友誼を結ぶ。尾張の斯波家、というよりその有力家臣の織田家を圧迫し続ける。
24歳にして凶刃に斃れる。

110: 人間七七四年 2007/02/23(金) 21:49:53 ID:Jnm5BJ3z
>>103
子供がいてよかったなっていう

112: 人間七七四年 2007/02/24(土) 00:36:00 ID:cpahkZF3
北条氏直(享年29)。北条五代記とかだと、名将の片鱗のエピソードがちらほら。

神流川では積極的な作戦展開で滝川一益を撃破、甲斐侵攻戦では一時的にせよ家康の心胆寒からしめたという……対秀吉では氏規と共に融和策を主張したのは有名な話。

結局そんな彼が芽が出ずにA級戦犯で死んだのは、カリスマ不要の熟成された北条統治体制の弊害か……

116: 人間七七四年 2007/02/24(土) 13:59:49 ID:o48tL6f4
>>112
某野望じゃ余り能力に恵まれていないが、氏康と武田信玄の血を引いてる訳だから大化けしたかも知れませんな。

時代が彼を受け入れなかった…とも言えるかな?

114: 人間七七四年 2007/02/24(土) 04:35:56 ID:uL+Q/R5v
結城秀康

頴娃久虎

117: 人間七七四年 2007/02/24(土) 14:29:11 ID:nOzp15+z
>>114
ゲームでよく名前はみたが早死にだったのか・・・ってみんな享年書いてくれー
落馬?戦士じゃないの?

頴娃 久虎(えい ひさとら、1558年(永禄元年) - 1587年(天正15年))は、島津氏の家臣。頴娃兼堅の子。

頴娃氏の第7代当主で、武勇に優れた勇将であった。耳川の戦い、肥後国攻め、龍造寺隆信との戦いで活躍し、武功を挙げた。島津義弘に大いに信頼され、その武功を賞賛された。

1587年、落馬して死去した。

123: 人間七七四年 2007/02/26(月) 15:01:18 ID:cNheckjE
若死にとは言えないが、羽柴秀長。
少なくとも兄貴よりは数年後まで生きているべきだった。
先に死んじゃったから、あんなことやこんなことが・・・

引用元: ・若死にして残念だった戦国武将



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