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1: 世界@名無史さん 2010/09/11(土) 11:35:12 O
世界地図の空白を埋めていった先人たちを語れ








507: 世界@名無史さん 2015/11/22(日) 18:10:37.68 0
南極探検のスコットは馬橇を使ったのが最大の敗因か
Scott_of_the_Antarctic_crop


ロバート・スコット

ロバート・ファルコン・スコット(1868年6月6日 - 1912年3月29日)は イギリス海軍の軍人。南極探検家としても知られ、1912年に南極点到達を果たすが、帰途遭難し、死亡した。

1910 年から1912年にかけて、南極探検(テラ・ノヴァ号の探検)が行われた。学術調査だけでなく、ノルウェーと人類史上初の南極点到達を競うことになるが、 2着に終わり、さらに帰路1912年3月29日、死去した。43歳没。同年10月に救援隊により遺体が確認され、遺品の一部が回収されたが、遺体は現在も 回収されていない。

ロンドンのウォータールー・プレイスには、北極探検の半ばに死亡した、ジョン・フランクリンの銅像と並び立つように、スコットの像が建てられている。


508: 世界@名無史さん 2015/11/22(日) 19:42:23.69 0
>>507
馬橇は原因のひとつだが、最大ではない。
あの年の南極の天気が異常だった事も原因だし、服装も問題だし、燃料缶の漏れも そうだし、ルートも問題だし、そもそも探検費用が不足してたし、南極行きに使った”テラ・ノバ号”も極地探検船じゃなかったし、言い出せばきりがない。

最大の敗因があるとすれば、スコットの目的が人類初の南極点到達ではなかった事じゃないかな。

510: 世界@名無史さん 2015/11/23(月) 17:19:46.23 0
>>508
なるほどいろいろと面白いな。
ただし南極の気象に関していえばアムンゼンも同様の条件だから除外したい。

200px-Nlc_amundsen


ロアール・アムンセン

ロアール・アムンセン(1872年7月16日 - 1928年6月18日?)は、ノルウェーの探検家。

主に極地に挑んだ探検家として知られる。イギリス海軍大佐のロバート・スコットと人類初の南極点到達を競い、1911年12月14日には探検隊を率いて人類史上初めて南極点への到達に成功。また、1926年には飛行船で北極点へ到達し、同行者のオスカー・ウィスチングと共に人類史上初めて両極点への到達を果たした人物となった。


511: 世界@名無史さん 2015/11/26(木) 18:52:59.29 0
>>510
南極は、局地的に気象が違う場合もあるからね。

スコット隊とアムンセン隊のルートは、ロス氷棚を挟んだあっちとこっちなんだが、それだけでもかなり条件が変わると思う。

512: 世界@名無史さん 2015/11/26(木) 21:13:20.72 0
アムンゼンの基地は快適な環境にあったらしいな。
そこはアムンゼンとスコットの事前調査の差が出たから、運というよりも実力の差だろう。

513: 世界@名無史さん 2015/11/27(金) 16:38:18.46 0
>>512
>そこはアムンゼンとスコットの事前調査の差が出たから、

スコット隊のルートは、過去に何度か使ってるルート。
アムンセン隊のルートは、今まで誰も使った事がない人跡未踏なルート。

実際、スコット隊の越冬基地は陸上だったから今でも見る事が出来るが、アムンセン隊の越冬基地は氷上だった為に数年後には氷に飲み込まれていて、今は見る事すら出来ない。

これは個人的な妄想だが、アムンセンが越冬中に足元の氷が砕ける可能性がなかったわけじゃない。

かつて日本の越冬隊であったんだが、真冬に氷上に置いておいた雪上車なんだが、足元の氷が突然砕けて沈んだとか言う事があったそうだ。

515: 世界@名無史さん 2016/01/10(日) 03:17:11.36 0
オーストラリア探検の「バーク・ウィルズ探検隊」

8名のうち7名が死亡。悲惨な探検だった。だが、助かる道はいくらでもあった。
アボリジニが近くにいたのだから、彼らから生きる知識を得れば良かったのだ。

文明人が雑草のスベリヒユや、ネズミをアボリジニのように食えるかという意識が先行してしまったのだろう。ナルドゥーというアボリジニが食べている植物はそのまま食べると毒があるのに、アボリジニから知識を得ずにそのまま食べてしまってもいる。

最後に生き延びた男は、アボリジニに助けられて生きていた。

Robert_O'Hara_Burke


バーク・ウィルズ探検隊
とは、1860年から1861年にかけてロバート・オハラ・バークとウィリアム・ジョン・ウィルズが率いた総勢19名の探検隊のこと。

彼らはオーストラリア大陸縦断を目指し、南のメルボルンから2,800キロ離れたカーペンタリア湾まで到達した。当時、オーストラリア内陸部を探険した者は先住民以外になく、ヨーロッパ系移民たちにとって未知の世界だった。南から北へ向かった往路は成功に終わった(ただし、北部の海岸線から5キロ内陸の沼地で引き返している)が、指導者の力量不足と不運が重なり、復路で隊長のバーク、副隊長のウィルズはどちらも死亡した。往路・復路で合計7名が命を失い、ことにクーパーズ・クリークの補給所から北進した隊では最も若いジョン・キングのみが生き残り、探険を終えてメルボルンへ生還した。

516: 世界@名無史さん 2016/01/10(日) 21:46:51.47 0
>>515
探検には、やはり現地人の協力は不可欠だよね。
間宮林蔵もアイヌから生きるすべを学んで成功した。

517: 世界@名無史さん 2016/01/10(日) 22:13:36.37 0
間宮林蔵はNinjaだからな。

518: 世界@名無史さん 2016/01/10(日) 23:40:08.84 0
忍者かどうか知らんが恐るべき行動力は常人ではないな

519: 世界@名無史さん 2016/01/11(月) 19:38:55.30 0
まあ、世界地図でみると大した距離を調査したわけではないが。

520: 世界@名無史さん 2016/01/11(月) 22:38:29.99 0
そこだな。
西洋人よりも先に海峡を世界地図的な意味で発見したとはいえ、地球の反対側から調査に来るヨーロッパ人と、すぐ隣の島から行った林蔵では規模が違いすぎる。
もちろん俺は間宮林蔵好きなんだが。

シーボルトから樺太の地図を見せられたクルーゼンシュテルンは、ロシアから大西洋・太平洋を航海して日本に来たんだが、その船に日本人も乗っていたことを知った時は驚いた。

521: 世界@名無史さん 2016/01/11(月) 23:17:55.73 0
探検は段階踏まないと駄目だから、当時の日本人には長距離は無理だって。
特に寒冷地は。

大体、当時の日本人には宗教的な理由で、動物を殺すことが一応禁忌だった。

樺太南部なら何とか日本人的生活でなんとかなるが、中部以北だとギリヤークやアイヌの知識を得て、動物を殺し毛皮をまとい、家も地下に半分埋めるなど対策しないと死んでしまう。

間宮林蔵はそんな倫理とかはそっちのけの忍者だから、OKだった訳だが…。
(実際後に、シーボルト事件で師を売るから、江戸時代当時から既に忍者扱い)

525: 世界@名無史さん 2016/01/12(火) 00:12:20.47 0
>>521
林蔵が師を売ったなんてただの俗説だろ

527: 世界@名無史さん 2016/01/12(火) 00:22:45.96 0
>>525
幕府の隠密をしていたのは事実だし、樺太探検で禁忌を簡単に犯すような人間だから当時としては噂されても仕方ないレベルなのでは?

528: 世界@名無史さん 2016/01/12(火) 21:13:45.93 0
シーボルトや高橋景保は林蔵の師匠でもないし、林蔵がシーボルトの手紙を幕府に見せたのも、裏切り行為っていう意味合いは感じないけどな。
ただ外人から手紙来たけど法律に反するからってだけ。

林蔵が悪者にされたのは明治以降の西洋マンセー主義が原因だろうね。
だから鎖国派の林蔵は西洋人や維新ヲタにしてみたら悪そのもの。
隠密が蔑視されていたという事実は確認できず、まして林蔵が蔑視されたという話の裏はとれていないのが現実。
林蔵を調査した洞やキーンが隠密を蔑視していたようだ。

529: 世界@名無史さん 2016/01/13(水) 01:32:01.68 0
そうなの?

でも、間宮林蔵は明確に伊賀忍者の子孫である平山行蔵とか、平山行蔵の別格の弟子であった相馬大作との繋がりがあるんだろ?

相馬大作が捕縛された際に、間宮林蔵は津軽藩の用人であった笠原八郎兵衛(これがまた、津軽藩の中川流忍者部隊「早道の者」の統率者)に接触したりしている。

530: 世界@名無史さん 2016/01/13(水) 22:18:09.46 0
隠密であったとしても白眼視された事実はない、という意味だよ。

531: 世界@名無史さん 2016/01/13(水) 23:57:17.96 0
そりゃ,実体はわからんよな。
小関三英の手紙の件を見ると、当時噂ぐらいはあったと判断しても仕方ないんじゃないの?

532: 世界@名無史さん 2016/01/14(木) 21:44:45.59 0
小関三英の書簡も、林蔵が来たら西洋の本や地図を隠すという程度しか書いてないんだよね。
本当に嫌われていたら訪問すらありえないと思うんだ。
訪問された側は隠す以前にお断りだろうし。

547: 世界@名無史さん 2016/02/20(土) 11:40:01.27 0
古代エジプトにときたま交易船団を来航させていた謎のプント国。
ウィキペディアの該当項目によればエジプトはその国へ向け探検隊を派遣。
「当時のエジプト人にとって、プントへの航海は今日の月旅行に匹敵するほどの難事業だった」

プント国は、古代エジプトの貿易相手国の一つ。金、香料、アフリカン・ブラックウッド、コクタン、象牙、奴隷、野生動物などをエジプトに輸出していた。当時、プントは「神の国 」と呼ばれていた。プント国の正確な位置は不明である。エジプトの南東にあったとする学者が大勢であり、ソマリア、ジブチ、エリトリア、スーダンなどに比定されている。アラビアにあったと主張する学者もいる。


549: 世界@名無史さん 2016/02/21(日) 10:31:15.31 0
エジプト人って、ナイル川を上ったり下ったりは出来るけど外洋航海って苦手だったんじゃない?
べつに根拠は無いけどそういうイメージ。
552: 世界@名無史さん 2016/02/21(日) 15:44:58.43 0
大航海時代幕開けの頃だと、今みたいに世界地図があるわけでもない。
この先に何があるかわからない未知の世界に行くから、考えようによっちゃ現代の月世界よりも大変なことだったのかもしれないぞ。
アポロ計画であれば数日中に月に到達していたが、この時代の冒険は数ヶ月、下手すりゃ数年もの歳月を必要としていたから。

553: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2016/02/21(日) 15:56:17.82 0
おいら調べによると
うっかりした世界地図に引っかかって大航海時代が幕開けしたらしいですよ

554: 世界@名無史さん 2016/02/21(日) 16:34:58.19 0
>>553
うっかりした世界地図とは

557: 世界@名無史さん 2016/02/21(日) 18:43:41.43 0
トスカネッリとベハイムのでしょうな
北イタリア人の前者はともかく、ドイツ人の後者には多少の意外感を持つ人もいるかもしれない
ポイエルバッハ→レギオモンタヌス→ベハイム という師弟系譜でドイツ天文学が興隆していた

1280px-Toscanelli_map



パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ(1397年 - 1482年5月10日)は、イタリア・フィレンツェの地理学者・数学者・天文学者。トスカネリとも表記される。

1474年にポルトガルの友人フェルナン・マルティンス(リスボン大聖堂の司教)へ送った手紙と地図では、西回りで香料諸島やアジアに行く計画が詳細に述べられていた。マルティンスは国王アフォンソ5世の元にその手紙を持っていった。

現物は失われたが、後に筆写版を入手したクリストファー・コロンブスは、航海にこれを携えていったという。トスカネッリが地球の直径を小さく見積もる誤りを犯したことは、コロンブスがアメリカ大陸をアジアと誤解する原因となった。


Behaims_Erdapfel (1)


マルティン・ベハイム
(1459年10月6日 - 1507年7月29日)は、ポルトガル王に仕えたドイツ人の天地学者、天文学者、地理学者、探検家である。

1491年から1493年まで故郷ニュルンベルクに戻っていたとき、画家 Georg Albrecht Glockenthon と共同で地球儀を製作し、Erdapfel(文字通りの意味は「大地のリンゴ」)と名付けた。1475年にローマ教皇シクストゥス4世が思い描いた地球儀に沿ったものだが、子午線と赤道の線を書き加えるという改良がなされている。

アレクサンドリアのクラウディオス・プトレマイオスの影響が見られるが、その後の中世における発見の数々(例えば、マルコ・ポーロの旅行記の情報など)を随所に取り入れようとしている。初の地球儀として有名ではあるものの、当時の発見の数々と比較しても地理的に間違っているところが多い。


560: 世界@名無史さん 2016/02/21(日) 19:12:58.06 0
>>557
確か地球のサイズ計測を間違えてヨーロッパとアジアの間の海域が狭く描かれてた地図を作った人だっけ?

561: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2016/02/21(日) 22:25:48.07 0
基本的にプトレマイオスの世界地図がベースにあるんだけど
それぞれの作者が未確認地域にアクセントとして
伝説の島や黄金の産出する宝島を書き入れちゃったらしい

ベースとなる部分が結構正しかったもんだから
そのせいでアクセントに引っかかる人達が続出ww

562: 世界@名無史さん 2016/02/21(日) 22:56:17.32 0
想像で空白部分を埋めた地図作成者に対して
探検家たちはやり場のない怒りを自身の航海記にぶつけるのであった。

564: 世界@名無史さん 2016/02/22(月) 00:36:07.62 0
>>562
そのおかげで探検は進むだろう
地図に何もないとすると誰も探検しない。

597: 世界@名無史さん 2016/05/24(火) 21:18:21.71 0
>>564
なにもない海なのか未探検なのか何も書かれてない地図だと判断しづらそう

569: 世界@名無史さん 2016/03/18(金) 12:34:55.29 0
混一疆理歴代国都之図


no title

1402年の地図ですでにアフリカ全体が描かれているのはイスラム船団によるものなのか?
イスラム世界じゃ喜望峰発見とかの記録はしなかったのか?

570: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2016/03/20(日) 08:47:31.29 0
>>569

アフリカにある大きな湖とその中の島はなんか名前がついてるのだろうか、、、、

なんの伝承かすっごく気になる

577: 世界@名無史さん 2016/03/20(日) 22:33:15.97 0
>>570
ヴィクトリア湖でしょうね

571: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2016/03/20(日) 09:02:33.33 0
>>569

12世紀のイドリースィーの世界地図では既に喜望峰が記載されてるのだが「世界横断を望むものの慰みの書」的には繋がってなくちゃ不味かったのじゃなかろうか、、、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%BC
800px-Al-Idrisi's_world_map


574: 世界@名無史さん 2016/03/20(日) 15:05:32.65 0
>>571
喜望峰てかまるい…
東端には朝鮮、倭国て書いてあるとかいうし…

576: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2016/03/20(日) 20:46:43.06 0
>>574

丸いのはムスリムの世界観ですかね
わーくわーくしてきました?

580: 世界@名無史さん 2016/03/21(月) 10:27:57.24 0
>>576
世界観てか知らなかったんじゃ?インド洋の南下すらしてなかったんでインド洋南方をふさぐように書いてるんじゃ?

585: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 04:22:22.40 0
テラ・アウストラリス(未知の南方大陸)はもっと多くの探検家が探してもよさそうなものだった。
地図に書いてあるけどまあ9割ぐらい眉唾だというのが、当時の標準的な理解だったのだろうか。

586: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 21:00:06.46 0
昔の地図に南極が書いてあって古代文明はすでに南極を知っていたとかいうオカルト話もあるな
南極がアトランティスだとかか
420px-Piri_reis_harita


ピーリー・レイースの地図
(ピーリー・レイースのちず)は、オスマン帝国の海軍軍人ピーリー・レイース(1465? - 1554年)が作成した現存する2つの世界地図のうち、1513年に描かれた地図のことを指す。ピリ・レイスの地図とも。

オーパーツ説

この地図には、南アメリカの南から伸びた陸地がさらに東に伸び、大西洋の南へアフリカ大陸の下に回り込むように地図中に書き込まれているという不可解な点がある。この陸地は、地図が描かれた時代よりもかなり後の19世紀に発見された南極大陸の北岸とも思われることから、歴史史料としてよりも、むしろオーパーツとして世界的に有名になっている。オーパーツ説を採る人々は、ピーリー・レイースがイスカンダル王の時代から伝わる資料を基に地図を作成したため、古代から伝わる南極に関する正しい知識を利用することができた傍証であると考えている。


589: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 23:22:29.31 0
http://www.sankei.com/economy/news/140408/ecn1404080010-n1.html
オーストラリアを発見した日本人として山田長政が

591: 世界@名無史さん 2016/03/29(火) 00:53:50.87 0
クックはオーストラリアを発見した人ではなく「オーストラリアが独立大陸であること」を発見した人
それまでは南極とつながった巨大大陸という想定を否定できていなかった

594: 世界@名無史さん 2016/05/03(火) 21:53:22.54 0
クック船長の「エンデバー号」、米東海岸沖で発見か 米調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160503-00000009-jij_afp-sctch
> クック船長は1768~1771年の航海で、太平洋南西部の地図の作成に貢献し、またオーストラリアに上陸した初めての欧州人となった。

相変わらず160年以上早くウィレム・ヤンスが北岸に上陸してるのがスルーされてんな
AFP通信ならそのくらいは押さえて記事かけよ、こういう積み重ねで虚説が拡まっていく

601: 世界@名無史さん 2016/06/19(日) 22:24:39.56 0
江戸時代にベーリングの部下が日本に到達した時は「日本発見」だったが、逆に日本人がロシアにいったケースは「ロシア発見」と言われていない。

603: 世界@名無史さん 2016/06/20(月) 07:02:01.77 0
>>601
日本発見はポルトガルでは1541年だろうに…

605: 世界@名無史さん 2016/06/26(日) 10:29:03.52 0
>>603
カムチャツカから日本への航路が発見されたのが元文年間だったってことなんだろうな。

606: 世界@名無史さん 2016/07/01(金) 20:52:13.11 0
コロンブスの後、イスラムはなぜアメリカ探検に参加しなかったのか?

607: 世界@名無史さん 2016/07/01(金) 21:17:33.12 0
僻地のヨーロッパと違って中東はなまじ地の利が良かったせいで新天地や新航路の需要がなかったからかもなあ

616: 世界@名無史さん 2016/09/05(月) 19:23:26.98 0
イスラムも、大航海時代が始まるころにはフィリピンまで達していた。
もうしばらく時間があれば太平洋を越えて、反対方向からアメリカを発見したかもな。

617: 世界@名無史さん 2016/09/06(火) 01:06:55.54 0
鄭和自身がイスラム教徒で、アメリカまで行っていたというトンデモもあるじゃないか

619: 世界@名無史さん 2016/09/08(木) 08:11:59.53 0
イスラム教徒の航海者がオーストラリアに到達しなかったのが不思議

621: 世界@名無史さん 2016/09/08(木) 21:22:08.01 0
イギリス人以前の人々が(少なくとも文書等に残る範囲で)オーストラリアをスルーしてきたのって風や海流の問題かな?

622: 世界@名無史さん 2016/09/08(木) 21:38:08.07 0
中国人がオーストラリア行ってたとか。
白人が発見して初めて発見だからそれはスルーか

626: 世界@名無史さん 2016/09/08(木) 23:49:05.26 0
>>622
でも一定数以上が定住し続けたりとか到達した事が後の歴史に影響を与えた訳でもないしなあ
確認できる範囲で一番古くに新大陸到達したレイフ・エリクソンがスルーされてコロンブスがクローズアップされてるようなモンかな

引用元: ・探検の歴史



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