51q1+1L26qL (7)






4: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 16:07:23 0
世界への影響力

漢>>>唐>>>>>宋>>>>>>>>>>明>>>>>清

5: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 16:11:02 0
>>4
その理由を述べよ。

6: 4 2010/12/17(金) 16:12:38 0
一言で言えば、時代が下る毎に中国王朝の影響力は落ちていると言う事だ。

10: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/17(金) 16:36:40 0
ところで、前スレで話題になったのは唐や漢や宋とか統一王朝ばかりだけど、魏晋南北朝時代や春秋戦国時代なんかの王朝の影響力はどうだったんだろう?
やはり統一王朝よりは影響力下がるだろうけど、南北朝時代なんかは、結構、世界史的にも影響力があったと思う。

11: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 16:38:54 0
>>10
春秋戦国時代だと、ペルシャ帝国(アケメネス朝)・マケドニア王国が強すぎるんじゃないかなーと。

13: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/17(金) 16:48:17 0
>>11
まぁ、確かに中国が分裂状態の時にオリエントのほうは統一されてる訳だからね。
三国時代や南北朝時代のほうがまだ他の地域と張り合えるか。

32: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 18:48:14 0
>>13
でも、春秋戦国時代は軍事・文化において、かなり進歩が見られる。
進歩の幅が一番大きいのは、この時代じゃないかな。

14: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 17:04:58 0
南北朝時代と言えば、六朝文化か
三国時代は微妙な気がするが

15: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 17:10:57 0
五胡十六国とか、五代十国とかはどうよ?

31: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 18:40:38 0
>>15
五胡十六国時代だと、鳩摩羅什がいるな。
鳩摩羅什(くまらじゅう、344年 - 413年、一説に350年 - 409年とも)、亀茲国出身の西域僧、後秦の時代に長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧である。最初の三蔵法師。のちに玄奘など、多くの三蔵法師が現れたが、鳩摩羅什は玄奘と共に二大訳聖と言われる。

17: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 17:27:36 0
ただ、五胡十六国~南北朝って、異民族に侵略されてる訳だよね?
隋・唐になると、既に漢化してるけど。

18: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/17(金) 17:35:35 0
>>17
確かに、北朝は異民族だったけど孝文帝の頃辺りから漢化政策行なってるし、六朝文化の担い手である南朝のほうは普通に漢人王朝だから別にいいんじゃない?

24: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 17:52:48 0
>>18
確か、それが原因で「六鎮の乱」が起きたんだっけ。
そして、東魏と西魏に分裂。

26: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/17(金) 18:02:37 0
>>24
そうだと思うよ。
北魏の漢化政策に不満を持った鮮卑貴族が、反乱を起こしたのが六鎮の乱だからね。その結果、国内で軍人が台頭し、のちに北魏が東魏と西魏に分裂する伏線となったね。

19: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 17:43:32 0
中華地域が崩壊分裂する戦乱時代には「王朝」の影響力自体は落ちるが、漢人系の難民が客家・華僑・華人となって各地に文化を広めている

21: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 17:45:48 0
>>19
軍事の影響力は落ちるが、文化の影響力は落ちない訳だ。

22: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 17:46:03 0
明末、清末、民国末にも中国人は難民移民で生存域を広げているからいつものことだよね。

34: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 19:09:03 0
吐谷渾って、中華とチベットの境目に存在した国だけど、中国王朝なの?
確か、出自は鮮卑慕容部だっけ。
吐谷渾(とよくこん)は、中国の西晋時代に遼西の鮮卑慕容部から分かれた部族。4世紀から7世紀まで(329年 - 663年)、青海一帯を支配して栄えたが、チベット民族の吐蕃に滅ぼされた。

35: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 19:13:18 0
こまけぇことはいいんだよ。
吐谷渾の王も吐番の王も唐と同じ鮮卑なんだよ。

36: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 19:17:44 0
鮮卑は部族が多すぎて訳分からんからな
しかし、吐蕃が鮮卑っちゅーのは果たしてどうかな
インドの王族という説も有るが

39: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 19:35:07 0
鮮卑って、匈奴が名前を変えただけでしょ。

40: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 19:39:27 0
宇文部なんかはモロに匈奴だろうね。
族長の家柄は匈奴を自称。

44: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 20:46:50 0
鮮卑は慕容部が契丹との関わりで、一番早く『晋書』に現れる。
『三国志』あたりから、匈奴に攻められて鮮卑山に逃げ込んだ勢力について記述があり
『晋書』から、内部抗争の歴史、外部と関わりが詳細に書かれ始める。
その他の部族は、同盟で増えてきたもと匈奴や突厥っぽい。

45: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 20:58:10 0
まぁ、匈奴にしても、鮮卑にしても、突厥にしても、血筋は似たようなもんだろうな。
別勢力というだけで。

47: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 21:12:21 0
鮮卑は元々「東胡」という名称で、匈奴よりも東に勢力を構えていたそうだ。

48: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 21:13:56 0
べつに東胡が全部鮮卑になったわけじゃないよ
鮮卑は全部東胡出身じゃないよ

49: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 21:15:42 0
そりゃ当然だけど、それが鮮卑の始まりだよ。

51: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/17(金) 21:34:42 0
>>47-49
まぁ、鮮卑は>>36の言うように色々な部族がその下に属してるから、あくまで東胡系が主流とはいえ、匈奴と同じで部族連合に近いんじゃないかな。

53: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 22:32:43 0
>>51
北方民族は長距離移動が楽だからね。
匈奴の一部が、フンの一部に混ざってるというのは、間違いでは無いと思う。

52: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 21:38:14 0
「学歴」
「試験」
「筆記重視の教育」
「国家資格」
これみんな中国の科挙の影響。

56: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 22:52:22 0
>>52
学歴は欧州じゃね?
他はそうだけど

61: 世界@名無史さん 2010/12/17(金) 23:32:36 0
唐はイスラム台頭で滅亡したササン朝の王族まで受け入れたらしいが
これが事実なら、ちょっと他の中国王朝とは世界史的な影響が違う罠
極東の大国って地位じゃなくて極東にある一つの帝政システムって言っても良いくらいだ

94: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 01:58:43 0
空気読まずにいうが、なぜ日本は明治維新になるまで科挙を導入しなかったのだろう。
江戸末期みても幕府はアホばかりで結局寒門にあたる下級武士クラスが活躍していて世襲制の連中役にたってないじゃん。

唐ぐらいなら大陸文化取り入れまくりの天武朝だからとりいれてもよかったんじゃね。
うぜえ豪族なんかきりはなして寒門出身を派遣して地方は郡県制とりいれてたらよかったろ。

95: 94 2010/12/18(土) 02:00:53 0
上の文 一部訂正明治に導入したのは科挙導入じゃなくて、高文試験ね。 

96: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 02:03:32 0
>>94
導入する。

有名無実になる。

中国と近代以外ではほぼこうなった。
日本は続けなかっただけマシかな。
名目と実体との一致という意味で。

97: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 02:05:30 0
>>94
日本でも平安時代に導入してるんだが、導入後も大きな変化は見られなかったんだよな。

119: 1 2010/12/18(土) 05:43:15 0
>>94
一応、江戸時代は松平定信の時代だったと思ったが、旗本・御家人の部で試験やってるな。
御家人の部のトップ合格だった大田蜀山人は大して出世しなかったけど、旗本の部のトッ
プで遠山の金さんの父親の遠山景晋は長崎奉行にもなってる。

100: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 02:13:04 0
でも明治期は諸侯にすげ替えた官選知事でうまくいっていたぞ。
初期はたしかに藩主がそのまま知事になっていたが、帝大で培養した学生が高文試験に合格し、1900年ぐらいになると誰も薩摩、長州、会津といわずに日本国民としての自意識になっていた。

話を戻すと、
天智・天武・持統から大宝律令等々まで日本各地の地名から官職制度まで一斉に漢化政策が日本でも進められたのになぜか官僚育成システムだけは取り入れなかった。
天皇親政を標榜していたのに、宦官や寒門出身などを手下に使おうとせず徐々に藤原氏などの外戚に権力をとられていったのが不思議。
その辺もうちょっと研究していればまだ天皇親政時代つづいていたのにな。


104: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 02:33:13 0
科挙が始まったのは隋代からか。

105: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 02:36:31 0
>>104
そういや、宦官制度はいつから始まったんだろうか。
秦代には、すでに趙高とかがいたしな。

119: 1 2010/12/18(土) 05:43:15 0
>>105
春秋時代には既に宦官はいるな。斉の桓公の佞臣の一人は宦官だし、晋の文公を暗殺しようとした勃鞮も宦官だ。肉刑なのに春秋時代にはもう支配層に食い込んでるってことは、もっと前史があるはず。多分、辿っていくと馬の去勢技術と関連してくると思うが。

123: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 07:11:58 0
薩長って、英仏独のみならず結構中国の諸制度を研究しているよな。
秦や漢の郡県制度を導入してなぜか県郡制にしたりアレンジはしているけどね。
高等文官試験も科挙を研究して取り入れたのだろうし、モデルは秦の法治主義が明治政府の青写真としてあったんだろうか。

残念ながら秦自体は統一後短期間で瓦解して法治主義(というより厳罰を恐れての朝散、賊軍化が原因か)の目は詰まれて、共産党支配の今でも人治主義の面が非常に強いが、賽の目次第では法治主義が発展した中国の姿もあったんだろうかな。

125: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 10:57:04 0
>>123
まぁ、むしろ高等文官試験を見た時、漢籍の教養の深い彼らの脳裏には科挙がよぎったことは事実でしょうね。
だから、官僚制としてアジアの日本に定着させることを考えたときに、ある程度テストケースとして念頭にあったんでしょう。

秦は、法家という意味では法治主義ですが、戦国の法家は現代的、西欧的な基準で言えばガチの人治主義です。
君主を法律の下に置いてしまうのは、私の知る限りですと漢の『淮南子』の思想だけですし。
どちらかと言えば、漢帝国になってから、『淮南子』の思想が出てからの方が法治主義でしょう。
ようは、皇帝を何かの下に規定し、法の支配を皇帝に及ぼすか否かです。

漢帝国、特に後漢あたりですと皇帝は天の下の天子として規定されていますし、法の支配が皇帝に及んでいます。
後漢になると法律以上には民を裁けなくなってるんですね。
また、「必要以上に裁きすぎた」官吏に歯止めをかけるような形で法律の規定があったようですから、(『董宣伝』)現代的な意味での法治主義により近いのはこちらでしょう。
もちろん、君主権が弱まっているのは事実ですが、そもそも近代法と強い君主権とは相反する物なのです。
絶対君主制国家を解体していく中で生まれた物ですから。
法家と近代の法治主義とは全然違うのです。

実は、法を犯した息子を法通りに裁いた王莽が最も近代の法治主義に近いかもです。

126: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 13:53:27 0
秦代の法治主義は、皇帝に都合の良い法治主義だからな。
しかも、善人まで裁いちゃう。

128: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 14:15:28 0
やっぱり、影響力が一番強いのは漢。
中国の基礎が出来たのは漢代だしな。

129: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 14:33:54 0
中国15年王朝

秦(紀元前221年 - 紀元前206年)
新(8年 - 23年)
周(690年 - 705年)

この中だと、秦が一番か。

130: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 14:36:12 0
そりゃあもうね。
秦は初の統一を成し遂げた点を評価出来るが。
新・周は中華を混乱させただけじゃん。

131: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 15:11:44 0
そういや、漢は一度新に帝位簒奪されてるから、「前漢」「後漢」に分かれてるよね。
でも、唐は周に帝位簒奪されてるけど、「前唐」「後唐」とは言わない。
これは何故?

134: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 15:32:43 0
>>131
前漢・後漢は間に動乱挟んでたり同じ劉氏でも宗室に過ぎない劉秀に帝位が移ってるからな。制度的には前漢をかなり継承してるし、連続した王朝と見る場合もあるが、支配階級の変化や一つの断絶とも見れる所があるしな。

対して武周の場合は中身がそれ以前と以後も唐とほとんど連続してる。
玄宗期の政治家も武則天時代の登用だし、帝位の継承も結局高宗の子の中宗だ。王莽のような全国的混乱もないし、あまり無理に分ける必然性がないって所かね。

132: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 15:27:44 0
武周に政権を奪われた後、再び政権を奪回して即位した中宗は、武周に奪われる前にも即位してます。
つまり、武周に乗っ取られる前も、武周に乗っ取られた後も、同じ人が皇帝に即位したりしてる(中宗・睿宗)から、同じ王朝として扱われるのでしょう。

一方、後漢の光武帝は、前漢の帝とは血が遠すぎて普通なら皇帝にはなれない。
だから、別王朝として扱われるのでしょう。

137: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 16:09:34 0
劉秀は宗室に過ぎない上に宗室の中でもかなりの末流だったしな。
当時の劉氏系軍閥指導者層で劉秀よりも皇室の血が薄いとみられるのは劉盆子くらいのものだという。

武周はむしろ中華に利益をもたらしたな。
開元の治の原動力となったのは武則天の登用した連中だし。
あの時代に女性政治家が好かれるわけもないが。

139: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 17:01:20 0
武周の時だったかな、新羅と戦って敗れて半島から追い出されたのは。

140: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 17:27:22 0
清は欧州どころか、オスマンにも負けてる。

141: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 17:51:56 0
清は半植民地だもんなー
仕方ない

142: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 17:59:33 0
まぁ、その植民地にされたのが悪い訳で。

177: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 00:19:26 0
S:漢 唐
A:秦 隋 宋 元
B:新 晋 明
C:順 清

178: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 00:26:38 0
>>177
いや、こうだろ。

S:漢 唐
A:宋 元
B:秦 隋 明
C:新 晋 清
D:順(?)

182: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 00:40:30 0
>>177
S:漢
A:唐 宋
B:秦 隋 元
C:新 晋 周 明
D:順 清

185: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 01:07:30 0
順は流石に短すぎるだろ・・・。
他の王朝だと、少なくとも15年以上は続いているんだが、順は1年。

186: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 01:11:12 0
というか、清は存在するだけで漢族と女真族の間で極めて強い影響を与え合ってるけど順はただの反乱だろ。
流石にワンクッション置くべきだと思うぞ。

187: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 01:14:13 0
明を滅ぼしたのは順だが、統一王朝とは言い難いな。

191: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 02:23:32 0
統一王朝に限定するなら・・・

S:漢
A:唐 宋
B:秦 隋 元
C:新 晋 周 明
D:清

こうか。

192: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 02:28:34 0
元を除けば清が一番版図でかくしてるのに…

193: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 02:31:57 0
清代になるとヨーロッパに対して、完全に負けてるからなー

195: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 02:37:06 0
>>194
いや、絶対的に考えれば清はもっと上だろうけど、当時の影響力(相対的)に考えればこんなもんでしょ。
清の時代になると、ヨーロッパでは産業革命起きてるし。

196: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 02:45:13 0
シナが世界を圧倒していたのは、絹と陶磁器。
陶磁器が限界に来たところで、影響力的には終り。

206: 1 2010/12/19(日) 06:08:29 0
>>196
つ茶葉

まあ、陶磁器は西欧のマイセンなんかへの影響も面白いかもなあ。
極東からアフリカ・ヨーロッパまで、一番世界を席巻した貿易品かもしれん。
オスマンなんかは輸入した陶磁器にさらに金銀細工を加えてイスラム風にアレンジしてたし、それはそれで中々面白いものだった。

208: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 12:12:58 O
日本に対する影響は

S:宋
A:唐 元
B:明 清
C:巍 晋 漢

かな。
宋は前近代では一番交流深いと。
漢語や仏教が浸透し始めた時期だし。

209: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 13:30:25 0
>>208
唐もSで良いんじゃない?

S:唐 宋
A:隋 元
B:明 清
C:漢 晋
ランク外:巍 宋(南朝) 梁(南朝)

210: 世界@名無史さん 2010/12/19(日) 13:56:34 0
>>208
中世の主要輸出産業にもなってた紙を開発した漢が一番下ってことはないんじゃない?
あと官制、歴史書も唐の影響。首都設計も唐。
あと、仏教への影響も基本的には唐かと。
明は医学や講談、南蛮交流の仲介などで結構な影響があったかと。

引用元: ・世界史における中国王朝の影響



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