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1: シャルル=アンリ=サンソン 2001/07/03(火) 06:23
何でもいいから、『死刑』の話をしようよ。








481: megupy 01/10/04 00:23
妙な刑罰の話。
古代ペルシャの時代、ある兵士が戦闘中に逃亡しました。
軍律違反ですから、当然厳罰に処せられるはずですが、時の皇帝が下した宣告は、「裸の売春婦を背負って、市の立っている広場を歩き回れ」とのこと。
全くわけのわからない刑罰です。

このスレの趣旨に合わないのでsage

488: 今日さ、 01/10/05 01:41
ひさしぶりにアーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫)再読したんですよ。そしたら腹切りの場面がでてきてさ。検死官として各国駐在官と一緒に、サトウもつらって見たんだと。で、
「こんな厳粛な儀式みたことない」
というんですよ。
もうアホかと。バカかと。
(以下略)

489: 世界@名無史さん 01/10/05 01:48
火刑は窒息のほかにも「燻す」役割があったそうです
織田信長が一向宗信徒を処刑する際、炎がでないようわざと生木をつかったとのこと
意識は保たれながら、体がハムになってゆく・・・

490: おサル 01/10/05 08:22
煙が出たなら、一酸化炭素中毒で逝くのでは?
火事の時に多い死因「煙に巻かれて」意識をすぐ失うと思う。
そういえば幕府のキリシタン迫害の時の火あぶりは惨たらしい。
潜伏していた宣教師の処刑は、すぐに死なないように、わざと遠巻きで火を燃やしたという。信者の女子供は最期の食事も許されず、着替えさえさせてもらえなかった
幕府は政治的目的だけでなく、生理的にキリシタンに強い嫌悪感を抱いていたのではないか・・と思わせます。

492: 世界@名無史さん 01/10/05 10:05
>>489

通常の火あぶりはそれなりに煙が出る様にして刑囚の意識を早急に奪い苦痛をすくない様にした(首にロープを掛けて絞め殺すのもあり)
逆に煙が出ない様にすると、意識を失う事も出来ずに長い間苦しんで焼き殺される事になる。

496: 世界@名無史さん 01/10/05 19:37
>>492
魔女裁判においてはそれが被告への誘惑になった。
罪を認め他の魔女の名を告白するなら絞首刑の後火あぶりにしてやろう、罪を認めぬなら改心の意思なしとして火であぶり殺すぞ、と。
魔女として告発されれば殆ど助かる見込みがなかったわけで、その言葉の誘惑に負けて無実の人間を(本人も無実ですが)告発することも少なくなかった。
また、最後まで口を割らなかった魔女のおかげでついに魔女が絶滅した、という話もあったはず。

497: megupy 01/10/05 22:39
魔女裁判では、「魔女は悪魔の応援を受けており、普通の拷問では効き目がない」として、自白を得るため特別に残虐な拷問が行われたといいます。

魔女への拷問は、原則3段階に分かれていました。
第1段階は、拷問道具を見せつけて威嚇することから始まって、鞭打ち、親指締め(指に枠をあてがい、ねじをまわして締め上げる)、拷問台に被告を寝かせ四肢をロープで引っ張るなどなど・・・。

上記の拷問でも、被告の苦痛は相当なものだと思いますが、この段階で自白しても裁判記録には「拷問によらず自白(尋問で自白したという意味)」と記録されるのでした。 
501: 大スキピオ 01/10/07 09:59
魔女を見分ける方法として、
・体を縛り上げて浴槽に放りこむ。
・体中に針をさしてみる
などがあり、これを実行して死ななかったら魔女であるとしたそうです。

510: 日本@名無史さん 01/10/08 05:08
>>501
むしろ生きてた方が魔女だがな・・・

511: 世界@名無史さん 01/10/08 10:57
>>510
それが魔女の選別官は魔女が見つかると報酬がもらえるので、色々あくどい事をしました。
例えば肌に刺そうとすると柄に針が引っ込む仕組み針などです。
魔女と疑われる人物の体にあざなどがあると、それを悪魔の契約のしるしだとして、そこに針を刺すのですが、魔女であれば痛みもなく血も出ないというのです。
当然針を刺しても針が引っ込むのですから当然痛みもなく血も出ない。

513: アマノウヅメ 01/10/08 13:19
死刑は公開が原則で密室の方が例外なんですよね。
日本も明治初期まで公開でしたが、公開を止めたのは随分早い方じゃないでしょうか?

最後に斬首刑になったのは高橋伝という女性の殺人犯ですが、大変な美人でした。
死刑執行のとき首斬朝右衛門を流し目で見たので、うっかり手元が狂うところだったと語り草になっています。
このときは見物人が大勢押しかけたそうで「高橋お伝夜叉物語」という伝記小説が新聞に連載されたほど評判になりました。この本は今でも読めます。

514: あやめ 01/10/09 13:59
お傳は虚言癖のある女で殺人の犯行動機について姉の仇を討ったなど拵え話を申立て、却って情状を悪くしてしまったそうです。処刑の際も「申上げたいことがございます」と暴れ出したため名人の八代目浅右衛門も手元が定まらなかったのだそうです。
この斬罪は市谷監獄内で実施されたもので、果たして見物が許可されたものでしょうか。
この浅右衛門の首切り失敗談というのは色々伝えられていて、彼が維新後にお役召し放しとなり勝海舟に身の振り方を相談しに行ったとき、海舟から従容として就刑した者を問われ、吉原の花鳥という源氏名の花魁を島抜けの罪で斬った折に凄い流し目で「綺麗に斬ってくんなまし」と言ったので、ぞっとして手元が狂ってしまったと述懐したという話を、講談で聞いたことがありますが真偽のほどは怪しいです。
なお高橋傳の陰部は異常な発達を示していて医学標本として切取られ、戦後まで東大に保管されていたと仄聞しています。

515: アマノウヅメ 01/10/10 10:31
前回、高橋お伝について記憶任せに書いたので随分間違いがあったようです。
あやめさん、ご指摘ありがとうございました。

で、探してみると結構信用できる目撃者の証言がありました。
見物人が殺到したというのは私の記憶違いで、皆見たかったのに公開されなかったから新聞の連載読物や芝居になって評判をとったのが真相です。
読物には仮名垣魯文の『高橋阿伝夜叉譚』芝居に河竹黙阿弥の『綴合於伝仮名書』をはじめ数種あり、特に芝居の初演は五代目菊五郎がお伝を演じ、裁判長は団十郎という熱の入れ方です。

首斬浅右衛門の直話と伝えられるものによると、お伝を刑場に引き出し、押役の仙吉・定吉とともに支度中、お伝が「情夫に人目逢いたいと」言い出して暴れだしたとか。
検視役の安村囚獄署長のほうをみると、逢わせるに及ばずと首を振っているので、エイと切りつけたが初太刀は斬り損なったとのことで「報知新聞」にも記録されているそうです。

あとは熊本県人高田露の目撃談ですが
「阿伝は、ヒーという、ソレは聞くに堪えぬ不快の声を出して、いっそう狂いまわる。そして男の名をしきりに呼んで、身をもがき、血はだらだら顔中に流れて、おまけに目隠しは外れてしまったから、まるで夜叉のようだった。が、二度三度と押し倒された阿伝は、もう駄目と観念したものであろう。大きな声で南無阿弥陀仏と二、三度呼ばった。ソレでも身をもがいていた。がとうとう押倒されて捩切りにされてしまった」
とのことです。

お伝の死体は警視第五病院で解剖されましたが、立ち会った医師のひとりである高田忠良氏は昭和11年、取材に応じて、局部解剖は学術上の資料といった意義のあることではなく、多情の女ゆえホップ(?)があるかどうかとついでにやったに過ぎないと語っています。執刀医は小山内健氏(小山内薫の父)だったので、このあたりから話が漏れたのかもしれません。

525: 通りすがり 01/10/21 14:20
ガイシュツかもしれないけど「牛裂き」「車裂き」の刑。
コワイ。

529: 世界@名無史さん 01/10/24 01:16
>>525
フランク王国の王妃ブルンヒルデが「馬裂きの刑」で処刑されていますね。
婆さんをこんな刑で処刑しなくてもいいのに。

526: 世界@名無史さん 01/10/21 16:10
カンボジアのポルポト政権は死刑執行直前に死刑囚の写真を撮っていた。
その写真集を見たが、なんともいえない気持ちになった。

528: 自転車小僧 01/10/24 00:40
>>526
ポルポト派の処刑
最初は銃殺が多かったらしいが、処刑すべき人間が多すぎるのと弾の補給が少なくなったため、後ろ手に縛り膝まづかせて後頭部を硬い木の棒、農具、鉄の棒などで殴ったそうだ。
後頭部を砕かれたり、頚椎をへし折られたりしてまだ意識の有る人間をあらかじめ掘った穴に突き落とし、次の処刑、穴がいっぱいになったら処刑終了。
初めは旧体制の政府関係者、知識人が中心だったが、ポルポトが組織を命じた少年兵が気分次第で処刑を行うようになり、ポルポト派内部でも分裂、闘争が起こり収拾がつかなくなったそうだ。

531: 01/10/24 10:39
>>526
執行直前だけではなく、執行直後のも撮っていたような・・・。
確実に処刑が行われたことを確認する為なんだとか。
処刑場と化した学校に積まれているガイコツの写真がとても印象深い。

530: 大スキピオ 01/10/24 08:52
ポル・ポト派って字が書ける人はもちろん、メガネの人まで処刑したそうですね。
しかも、死体をバナナ園の肥料にしたとか…

540: 世界@名無史さん 01/11/14 20:34
十六世紀のハンガリー。
馬の死体から内臓を取り出し、その中に罪人を入れてぬいぐるみみたいに縫い合わせ、首だけ出して森の中に放置する。
ほどなく血の匂いをかぎつけて野獣たちが集まり、罪人はそのまま野獣たちの餌食に・・・

553: 01/12/08 21:10
このスレの>>1ことシャルル=アンリ=サンソンとその先祖から子孫にいたる一族の華麗な活躍を描いた「パリの断頭台」(バーバラ・レヴィ著 喜多迅鷹、元子共訳)法政大学出版局を読んでおります。
ざっと目を通した感じではシャルル=アンリはドキュソっぽいがその親父やじい様曽祖父には自分の職に悩みながらヒューマニストであろうとする真摯さが好感を持てます。
少なくとも処刑人は大多数はいい加減な映像、小説に出てくるような変質者、サディストではないと感じました。
長文の上もし既出だったらまさにギロチンものだな(汗

シャルル=アンリ・サンソン(1739年2月15日 - 1806年7月4日)は、フランス革命期の死刑執行人で、パリの死刑執行人(ムッシュ・ド・パリ)を勤めたサンソン家の4代目当主。ルイ16世やマリー・アントワネット、エベール、デムーラン、ダントン、ラヴォアジエ、ロベスピエール、サン=ジュスト、クートンといった著名人の処刑のほとんどに関わった。


567: 世界@名無史さん 01/12/25 02:26
サンソンさんでてこないな。
サンソンさんの家にはパリではやっぱりなかなか嫁の来てがなくて遠くまで嫁取りに行ったらしいですね。
何かで読んだけど。

やはり処刑人に対しては一種の蔑視があったんですかね。

571: 世界@名無史さん 01/12/25 13:42
モンゴル軍は絨毯に処刑者を縫い閉じ込め、馬のひづめで踏み殺すそうだ。
高貴な敵専用のほうほう

573: 世界@名無史さん 01/12/25 17:44
>>571
トルコ人は高貴な人を絹のリボンで締め殺したとか。

577: 世界@名無史さん 01/12/25 23:13
モンゴルといえば、オトラル太守のイナルチュクの処刑方法も貴人に対する場合の処刑だと聞いた記憶があります。

耳とか目とかから、溶かした銀を注ぎ込むってやつ。注ぎ込むと銀が頭蓋骨の中を焼いていって銀が固まる頃に頭を振ると、カランカランと音がなるだったかな。

本屋での立ち読みなので、出典は自信ありませんが。

574: 世界@名無史さん 01/12/25 19:04
中国史になりますが、殷の紂王が銅の柱を灼熱し、油を塗り、罪人をこの柱に抱きつかせると、皮膚と肉はただれ、骨は砕けて灰となったとか、深さ五丈の穴を掘り、蛇・ムカデ・蜂を蓄え、女を捕らえて投げいれたとか、妊娠した女性の腹を裂き、胎児の男女の別を確かめ、人肉を醤につけて食べたとか。
でもこれらの話がどこまでホントかわかりません。
中国の史書はたいてい前王朝のことを悪く書いているので。

575: 世界@名無史さん 01/12/25 21:40
殷の人々にとって処刑は祭祀でもあったから他の民族からすると残酷でも本人たちにとっては神様のための当然の行為だったかも。

576: 世界@名無史さん 01/12/25 22:22
殷の紂王考案の「ほうらくの刑」は「中が空洞の銅柱内で火を焚き、全体が熱された所で罪人を抱かせる」もしくは
「火の上に油を塗った銅柱を渡し、罪人を渡らせる。
滑って火中に落ちる」の二つの解釈がある。
真相はどちら?

578: 世界@名無史さん 01/12/26 23:33
>>576
たぶん後者だと思います。
塗った油を少なくして苦しむ時間を増やしたとかいう話も聞きましたし・・・・
この処刑法って妲妃(己)が考えたんじゃないんですか?

588: 世界@名無史さん 02/01/06 14:50
1857年のインド大反乱(シパーヒーの反乱)のときのイギリス軍の処刑法。
牛牽き(反乱分子の手足に縄を巻き、笞をいれて八つ裂きにする)
大砲の口に火薬と弾を詰め、体をくくりつけて発砲と同時にその胴体をバラバラに吹き飛ばす。
あるいは杭にしばりつけ、とろ火で焼いて殺す。

589: 世界@名無史さん 02/01/06 16:12
公開処刑について質問します。日本の場合、明治になってさらし首とかは禁止されましたが、他の国々はいつごろ廃止されたのですが?(まだやってる国もあるけど・・・)

590: 世界@名無しさん 02/01/11 04:25
>公開処刑

イングランドでは確か19C中頃までに監獄での非公開処刑になったような…
ロンドンでのタイバーンでの公開処刑の際のお祭り騒ぎが顰蹙を買って議会で問題になり中止されたとか。記憶違いだったらごめん。

「路地裏の大英帝国―イギリス都市生活史」角山 栄:川北 稔:’01/02:平凡社

アメリカだと州によっては、被告の家族はもとより被害者の親族、被告が許可すればマスコミの立会いも可能だったようです。最近もラジオで中継されたという報道があったようですけれども。

フランスは19C末まで公開だったのは確実です。写真を見たことがあります。

「図説 死刑物語―起源と歴史と犠牲者」西村 克彦,保倉 和彦訳:’89/10:原書房

アラブ諸国は今でも公開処刑やっているみたいですね。隠し撮り(?)映像も漏れて来ていますし。

597: 世界@名無史さん 02/01/13 19:48
>>590
ありがとうございます。
以外に欧州諸国も公開処刑を廃止した時期は遅いんですねえ。
デンマークの童話作家アンデルセンは子供のとき校長先生が生徒たちを公開処刑の見物に連れて行ってくれたと書いていますが。

600: 山野野衾 02/01/13 22:45
>597
万博(確か19世紀のもの)でも公開処刑に一番人が集まったとか。

609: 世界@名無しさん 02/02/02 00:57
リュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」さっき観ました。
ラストの火刑シーンはかなりのリアリティがありました。

本を読むと「諸元素(灰)に還元し四散せよ」なーんて書いてありましたがあーいう野焼き状態だと無理そうですね。薪を追加して無理やり炭化させてたんでしょう。あー夢に出てきそうだわ。

611: 世界@名無史さん 02/02/12 15:50
>>609
昔よんだとある文献(多分中公新書の「魔女裁判」だったような)に火刑にするときは処刑される人間が隠れてしまうぐらいの薪が必要でジャンヌのときもこれが彼女だ、て、大衆に示すために丁度スカートが焼けて下半身丸出しになった頃合いに薪を払いのけた、て、書いてあったような。
て、こう書きながらスカートが焼けきったのをどうやって見張っていたのかなあ?て、不思議になった。高いところから見張っていたのかなあ?

612: 世界@名無史さん 02/02/12 19:57
以前ヴァイキングの英雄の映画見たことあるけど、その中に「はらわたの刑」がありましたね。罪人の腹をほんの少しだけ裂き、聖なる石柱の周りを廻らせる。
腸が柱に巻き付き、罪人は・・・・
嗚呼!

621: 世界@名無史さん 02/03/07 00:24
えぇ~と、人の内臓には薬効があると信じられており、浅右衛門は薬として売ってたとか...
ある藩では切腹があると藩士が争って肝を喰らってたとか... (ガイシュツ?

まぁ出典が山田風太郎だから... きっと本当だろう...(笑

624: 世界@名無しさん 02/03/10 13:13
鈴ヶ森刑場跡に、火炙りと磔に使った台座の礎石が残っているね。
日本の火炙りは釜戸状に罪人をつつみこんで焼いてたらしいけど明治期の聞き書きの絵図によると、炭化するだけみたい。
そのままの状態でしばらくさらしておいたんだって。ゲロゲロ。

627: 世界@名無史さん 02/03/14 20:17
第二次世界大戦直後のノルウェーでの話。
当時、ノルウェーの刑法は死刑を廃止していたが、「必要の前に法はない」ということで、対独協力者に対する死刑が大量に執行された。
ヨーロッパ人は原理原則に忠実な人々というイメージがあるが、実際は違うようだ。

635: 世界@名無史さん 02/03/19 17:46
がいしゅつっぽいけど
おフランスでは1970代までギロチンで死刑が行われていた
最後の死刑者はスパイとか

636: 世界@名無史さん 02/03/19 17:52
>>635
そーなんですか!コワ…それって公開ギロチン?
でもフランスって今は死刑ないんですよね?たしか。

646: 世界@名無史さん 02/04/20 17:13
アラン・ドロンとジャン・ギャバンの出た映画で最期にドロンがギャング役でギロチンで死刑になる映画あったね、「暗黒街の二人」だったかな、もう一つは名前知らない俳優だけど自動車工場で働いていた移民の男がやはり恋人を殺してだったかな、やはり断頭台に消える映画。
どちらも昭和40年代の現代劇だった
A・ドロンのシャツの首の部分を執行役人が引き裂くのが印象に残っている

662: ジーモン三等兵@バルムべック 02/05/20 10:38
ギロチンと言うとフランスが有名だけども、ナチス・ドイツもギロチンをフル活用したね。

667: 世界@名無史さん 02/06/08 00:41
うちの地方の郷土史を読んでいたら、8世紀の記録として
「この地に国分寺が建てられたが、あまりに光輝くため魚が獲れなくなった。漁民の訴えを聞いた若い尼は、嵐の夜に国分寺に火をつけた。尼はその罪を問われ、首から下を埋められ、鋸引きの刑に処せられた」
との記述あり。そんな昔からあったのか、鋸引き。

668: 世界@名無史さん 02/06/21 22:03
相模国国分寺があった海老名市の話だね。

673: 世界@名無史さん 02/06/21 23:29
しかしこの伝説には疑問点がある。
国分寺が作られた奈良時代には「鋸」という道具が発達していなかった。
したがって丸太や材木を断ち切る際は斧やノミを使い、丸太から材木や板を作るときには楔を入れて割り、表面をチョウナや鑓鉋で削って整えていた。
鎌倉時代に材木を横に断つ横挽きの鋸が完成し、さらに室町時代に材木を縦に挽き割る縦挽きの鋸、「大鋸」が完成した。これによって「板」がコストダウンし、庶民の住宅に広く使われるようになったのである。

奈良時代に「鋸挽き」なる処刑法が存在したのだろうか?

680: 世界@名無史さん 02/07/11 22:56
朝鮮の王 英祖(ヨンヂョ)はDQN息子を処刑した。
その方法は息子を米びつに閉じ込めるというもの。
息子が息を引き取ったのは8日目。

684: 世界@名無史さん 02/07/27 02:33
死刑ではなく暗殺だけど、朝鮮を近代化しようとした金玉均も死体を凌遅されている。
彼が生き延びていれば、少しは歴史も変わったろうに。

694: 自転車小僧 ◆mI/K76EY 02/07/28 04:05
昨日の康熙帝国と言う時代劇では糞尿を入れた甕の中で溺れさせると言う実に情けない処刑法をやってた。
ドラマの中では年貢が払えなくて村から脱走した農民を役人が捕らえてきて後ろ手に縛ったまま甕に放り込むといったものだったが、実際はどうだったんだろう?しかし、情けない死に方だ。

699: 世界@名無史さん 02/07/30 18:52
バーブ教の祖サイイド=アリー=ムハンマドは公開銃殺刑に処せられたんだってね。
銃殺は西欧近代の産物と思ってたので前近代のペルシアでやってたとは驚き。

704: 世界@名無史さん 02/08/26 22:00
あるサイトに「エカテリーナ2世は死刑を廃止し…」とあった。
ちょっと意外。

705: 世界@名無史さん 02/08/26 22:04
>>704
まあ、比較的寛大だった方とは言えるかも。
でも、イヴァン6世担ぎ出しを謀った男は処刑されたし、プガチョフも当然処刑されてる。

744: 世界@名無史さん 02/09/30 21:56
ソクラテスは毒ニンジンを飲まされたそうだが、そんなものがあるのだろうか?

747: 世界@名無史さん 02/09/30 22:23
毒人参はギリシアの沼地に生える毒草で、服用すると下半身から次第に麻痺し、ついには死に至るという。

死に苦痛が少ないので、自殺、死刑用に使われた。

話は変わるが、ギリシアの偉大な思想家は「空豆アレルギー」だったそうだ。
空豆の食用はもちろん、花粉を吸い込んだだけでも発作を起こす。
空豆畑の近くで追っ手に見つかり、逃げるには畑を突っ切るしかない、と悟ると自ら敵に下ったという。

757: 世界@名無史さん 02/10/01 22:37
カラバル豆による裁き

西アフリカ・カラバル海岸近くのエフィクの住民は、有毒なカラバル豆を使って被告を裁いた豆のエキス、あるいは豆数十粒を飲ませ、被告が毒を吐き出せば無罪、吐き出さなければ有罪

無実の者は身の潔白を証明しようと一気に飲みこむ、そのために胃が急激に刺激され吐き出す
後ろ暗いところがある者は、恐る恐る少しずつ胃に入れるために、吸収されて死に至る

引用元: ・死刑の歴史