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1: 世界@名無史さん 04/09/13 16:27:53
無かったので立てました。
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582: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 19:35:32 0
唐以降の時代はユニークな人物が出てこないね

586: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 04:23:16 0
>>582
唐時代を含んで?
武則天と配下の酷吏、李林甫、安禄山、楊国忠はユニークだと思うが
ただ、それ以降は中国史からユニークが人物がいなくなるに同意。
国家の官僚化が進んだせいだと思うが

587: 世界@名無史さん 2006/11/13(月) 03:39:04 0
>>586
その面子だとユニークというよりブラックユーモアだと思うが。
特に拷問手段に仙人献花とか名前付けていた酷吏連中。

583: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 21:39:59 0
武則天がいなかったら唐は長孫無忌に簒奪されてたかもしれない。

584: 世界@名無史さん 2006/11/09(木) 17:12:03 0
傀儡にぴったりな高宗を皇帝にした時点で太宗の負け。
おそらく晩年、病床で功臣の粛清をしなかった事を後悔していたでしょう。

585: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 00:12:09 0
唐代の女性は纏足してなかったし、馬にも乗ったりしてたし
後の時代よりはかなり自由に行動できたはず。

589: 世界@名無史さん 2006/11/30(木) 20:18:18 0
李世民の息子達って問題のある奴ばかりだな。


620: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 01:24:18 0
最近宋を扱った本を読んだりしているのですが、色々疑問が出てきました。
皆様のご意見をいただけたらと思います。

1.現在に残っている建築物は、金、南宋時代のものは結構多く、北宋、五代では、石造の塔ばかり、唐代となると、石造の塔そのもの少なくなり、史跡建造物自体、殆どなくなってしまいます。これはやはり、元、明、清の混乱期には破壊が少なく、唐末五代の騒乱が激しかったということなのでしょうか?
それとも、木造建造物の耐久年限という理由に尽きるのでしょうか?
(山西省に、唐代の木造建築物が残っているそうですが)

2.宋代、特に南宋以降、様々な文献史料が飛躍的に増大しているように思えます。
(清明上河図、東京夢華録、夢梁録、武林旧事など)。宋代以降であれば、アナール派的社会史分析も容易に行えるのではないかとおもえるほどです。紙はそれ以前から普及していたと思いますが、唐代は繁栄していたはずなのに、宋代と比べて宗教以外の民間文献史料が極端に少ないように思えます。
これはなぜなのでしょうか。唐と宋は、時間的間隔の割りには、ずいぶん差があるように思えます。

3.唐太宗は功臣の粛清をしないで済んだのはなぜなのでしょうか?
企業でも、創業時の社員は、会社が大きくなると、組織に馴染めず、やめてゆくケースが
多いのです。今仕事上で、似たような状況になっていて、できれば辞めてほしくないので、唐事例など、有益な事例があれば参考にしたいと思っています。

ご意見などいただけますと助かります。

621: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 02:10:20 0
>>620
1.騒乱と木造建築の耐久限度の両方だと思います。

2.五代~宋代にかけて木版印刷が一般化したせいで出版物が大量に刊行できるようになって、その分文献も残りやすくなったかと。

622: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 03:16:44 0
なるほどありがとうございます。
ということは、残って無くても、唐代には、清明上河図、東京夢華録、夢梁録、武林旧事などに匹敵するような社会を描いた書籍があった、ということなのでしょうか。
どうも唐代の史料となると、文学作品と歴史書くらいしか目につかないのですが、このあたりはいかがでしょうか。

623: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 03:23:09 0
唐までは庶民が文化に参与することは少なかったんだから庶民文化を知る文献史料が乏しいのは仕方がない。
宋代からは庶民文化が盛んになったから庶民文化を知ることのできる史料も豊富になった。

624: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 04:51:57 0
ご回答ありがとうございます。
となると、なぜ唐と宋で急にそんなに変わってしまったのでしょうか?
西欧ルネッサンスに匹敵するくらいの急激な変化であるように思えます。

625: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 17:55:40 0
>>624
唐と宋は、置かれた国際環境からして全く違うからな。唐は絶対的な世界帝国だけど、宋は大きくても数ある国の一つでしかない。

まあ、庶民文化が盛んになったのは、商工業が発展して民間にも金が回ってきたから、ってのが一番の理由だとは思うけど。

626: 世界@名無史さん 2007/09/10(月) 00:25:42 0
ご回答ありがとうございます。更に追求いたしますと、なぜ商工業がこの時期に急激に発展したのでしょうか。

ヨーロッパですと、議会運動が起こったり、13世紀頃から遠隔地貿易が盛んになり、都市が勃興したり、大学ができて、古代知識を復興したりと、商工業発展の道筋が比較的把握しやすくなっています。
また、イスラム勢力の影響を受けて、12~13世紀、シチリア、イベリア経由で、北イタリアやネーデルラントの都市へと知識が波及してゆくなど、この点でも、商工業発展の背景が説明できます。

宋の急激な商工業発展は、何が原因で生じたものなのでしょうか?

627: 世界@名無史さん 2007/09/10(月) 00:30:44 0
>>626
唐末期からの混乱がようやく集束したのと、イスラム教徒による海洋交易が発達して貿易が過去に無いほど発展したから、って言うのが教科書的な答えかなあ?

628: 世界@名無史さん 2007/09/11(火) 10:22:57 0
>>627さん
ご回答ありがとうございます。
質問ばかりでも恥ずかしいので、概説書を少しひっくり返して読んでみました。
自分が思うには、萌芽は唐代からあったのですが、宋代に

1.二期作・二毛作の発達(2つ目は徴税しないという政策)
2.占城米の移植による飛躍的な収穫増(真宗の政策)
3.営利印刷出版の発生(五代の宰相フウ道の事業)
4.商店営業規制の緩和(政策)
5.経済浮上により、鉄・銅銭の物理的不便さによる紙幣・手形発生(政策)
6.これらを抑圧しない政策(唐代では、結果的に規制する政策となっていた)
7.こうした政策が取れたのも、科挙のおかげ。科挙でエリートのためのエリートではなく、民間のための政策ができる人材が集まったのは、受験図書出版を確立した印刷のおかげ。

と理解しました。つまり、もともと発展の目はあったのに、唐代は政策的に対応できていなかった、ということです。井上進さんの「中国出版文化史」も参照したのですが、ここには、写本中心の唐代から、「ほしければ本屋に買いにいける」状況に、一気に変貌した
宋代書物事情が記載されていて非常に興味深いです。
イスラムと西欧の発展が、紙の導入による要因も大きかったことを考えると、印刷術が成立し、かつ*書籍販売*が普及したことも大きいように思えます。
では、唐代既に発展しつつあったのはなぜか、ということについては、内的発展と、イスラムとの交易などが要因なのではないかと思いました。市民革命を生まず、農民反乱しか生まなかった中国ですが、上からの改革もなかなかやるのではないか、と思いました。

631: 世界@名無史さん 2007/09/14(金) 01:43:31 0
>>628
技術的な条件として石炭の利用が普及したことも大きい。

文化の中心が当時すでに貧しい地域になってしまった中原から豊かな江南に移ったことも。

629: 世界@名無史さん 2007/09/11(火) 11:06:40 0
大運河による流通が商業を発達させた。
つまり唐の時代から商業は発達し始まっていたけど、それによって経済の中心地が政治の中心たる長安と分離してしまった。

五代~宋になって開封が都になったことで政治と経済の中心が一致し、商業発展の後押しとなった。

632: 世界@名無史さん 2007/09/15(土) 04:12:14 0
既にありふれた内容かもしれないけど、前後の時代を含む漢唐の共通点って、結構あるね。
中国史は、統一-民衆反乱による滅亡、と金太郎飴みたいな歴史の繰り返しといわれるけど、この期間も、ほぼ似たようなことが繰り返されているね。他にも共通点がないか、探してみると面白いかも。

黄巾の乱から、96年後、再統一、黄巣の乱から、95年後、再統一
漢も唐も、ともに前王朝は、強引な政策で統一期間は短命
漢も唐も、最盛期は、ともにパミール以西に遠征
漢も唐も、ともに途中王朝簒奪にあっているが、もとの王家に戻った王朝(ちょっと苦しいか)
漢も唐も、途中で王朝史を前後に区切る真ん中たりで大乱(赤眉の乱、安史の乱)発生。
再統一後の王朝(晋と宋)は、北部を北方民族に侵略され、南半分の王朝となる。
再統一後の南北分裂時代、最終的に北部を支配したのは、ともに東北部の民族(鮮卑と女真)
再統一後、それぞれ、309年、300年で、南部王朝滅亡
再統一後、300年後に統一した王朝は、ともに、朝鮮半島の王朝とともに、日本と交戦(隋と唐の違いがあるので相当苦しいが)

638: 世界@名無史さん 2007/11/09(金) 00:03:12 0
睿宗は自分の力量を悟って潔く玄宗に皇位を譲ったあたり、かなり聡明な皇帝だと思う。
睿宗(えいそう)は、唐朝の第5代・第8代皇帝。高宗の末子として寵愛を受けた。

684年、兄の中宗が母の武則天によって廃位されたことにより即位した。その即位は武則天の傀儡であり、政治的な実権は皆無であった。690年、武則天が自ら皇帝に即位すると廃位された。705年、武則天の死の直前に中宗が復位し、李旦は安国相王に封じられる。710年にはその中宗が韋皇后により毒殺された後、韋后一派を三男の李隆基(玄宗)と協力して排除し、甥の李重茂(殤帝)を廃して再び帝位についた。712年、玄宗に譲位し太上皇帝を称した。

639: 世界@名無史さん 2007/11/09(金) 00:21:39 0
良い意味での「明哲保身」を実践した皇帝だよね。

640: 世界@名無史さん 2007/11/12(月) 20:15:52 0
武則天の子の中で唯一、天寿を全うできたというだけでも賞賛に値する。

644: 世界@名無史さん 2007/11/18(日) 02:26:39 0
武則天か則天武后かですが、Wikiに変なこと書いてある。
どういうことだか判らない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%89%87%E5%A4%A9
「最近の中国では即位した事実を重視して武則天と一般的に称されるようになってきている。」

皇帝として認めるなら、則天皇帝とか、則天武帝とか呼ぶべきだろう。
何で、武則天で、皇帝と認めることになるんだ。IMEで変換も出来ないし。
唐時代の他の皇帝は、玄宗とかのように廟号で呼ばれてるのに、則天武后には、廟号もないし。

646: 世界@名無史さん 2007/12/06(木) 21:37:26 0
則天武后だと、皇后という意味。高宗が生きていた時代の呼び名だよね。
武則天は、ひょっとしたら、即位後の名称だったんじゃないの?
因みに、中国では、、「武則天」と呼ぶのが普通。始皇帝を、秦始皇 というのと同じ。

647: 世界@名無史さん 2007/12/06(木) 23:39:39 0
武って国だったのか

648: 世界@名無史さん 2007/12/07(金) 00:02:13 0
則天ってのは、おくり名「則天順聖皇后」の最初の二文字。
武は、彼女の姓。

これを合わせて、「武則天」てのは、よく意味が分からないよな。

李世民の場合は、姓は李。おくり名が「文武大聖大広孝皇帝」だから、
李世民を、李文武と呼ぶが如し。

650: 世界@名無史さん 2007/12/14(金) 17:31:12 0
単純に「武さんところの則天皇后」くらいの意味だろ。

652: 世界@名無史さん 2008/01/19(土) 04:25:37 0
中国で正式に女帝になったのって、この人だけなんだっけ?
すごいね。

654: 世界@名無史さん 2008/01/19(土) 08:34:51 0
中国は現在、皇帝をおくり名や廟号では呼ばず生前の氏名で呼んでる。
どの王朝でも似たようなおくり名や廟号が多いから、その方が慣れたら便利らしい。

ただ、一世一元の清朝はそのままでわかりやすいので元号で呼んでいる。

656: 世界@名無史さん 2008/01/19(土) 16:29:36 0
それにしても武則天はなぜ皇帝になる必要があったんだ?
皇太后のままでも十分権力を持っていたのに。

657: 世界@名無史さん 2008/01/19(土) 17:30:54 0
>>656
そのほうが武氏の権勢が永続化すると思ったんだろ。

680: 世界@名無史さん 2008/02/27(水) 22:46:14 O

唐朝は鮮卑タクバツ部がおこしたんですよね?
だったら唐は征服王朝ではないのですか?
唐朝初期の支配層は多分に北族的要素を持っていたと、昔のエライ学者さんも言ってましたし
よくわからないので、博雅の士がいらっしゃいましたら教えてください><

682: 世界@名無史さん 2008/02/27(水) 23:28:21 0
>>680
唐が北族的要素を持っているのは確かだが、ふつう征服王朝というのは、関外で建国し、その後に中華本土を征圧し移ってきた王朝のことをいうのだお
唐の場合は、関内(といっても内蒙古近辺だが)で建国した鮮卑拓跋系勢力である代国の長い変転の結果によるものだから、征服王朝には当たらないお
まぁ、代国の時点では、征服王朝への道もあったかもしれないがお

683: 世界@名無史さん 2008/02/28(木) 00:02:30 O
>>682
えーでも長いスパンであろうとも北方の騎馬民族が中国の貴族制利用して、統治したのだから征服王朝ではないの?
南面北面の二重統治ではないから征服王朝とは言えないとか?
キッタンや金や元と何が違うの、わかりません

685: 世界@名無史さん 2008/02/28(木) 00:52:15 0
>>683
契丹や金や元は我々は漢民族にあらずと主張した。
唐は我々は漢民族なりと主張した。

686: 世界@名無史さん 2008/02/28(木) 00:54:56 0
>>685
> 唐は我々は漢民族なりと主張した。

この当時の「漢族」って、「北部中華地域の住民」くらいの意味じゃ無いの?

693: 世界@名無史さん 2008/03/01(土) 23:11:50 0
>>686
太宗(李世民)は先祖は老子であり西涼の李氏の血筋だと主張し、それに対し法琳は太宗の先祖は拓跋達闍(って誰?)だと主張したと言う話が残ってます。当時でも漢人と鮮卑などとの区別はあったようです。
そして唐の帝室が漢か鮮卑かといった論争は李世民の時代まで遡るようです。

唐王朝やそれ以降の漢人にどの程度鮮卑とかの影響があったかは色々論じられてますが、なにぶん唐自身が己は古くからの漢人也と主張してるのだから漢人では無いと自称し支配層の漢化を防ごうとした契丹やら金やら元やら清やらと同列には扱えないと思う。

それにしても北魏は拓跋部・拓跋氏だけどそれ以降、唐に至る諸王朝は色々なわけですから北魏から唐初期に至る諸政権を拓跋国家と纏めて呼ぶのも微妙な気がする。北魏の影響力が強い、北魏っぽい諸政権とは言えるかもですが。

唐拓跋説と言えば森安孝夫は第4回全国高等学校歴史教育研究会で
>唐の王族・李氏が拓跋出身であることを認めない者は、もはや世界中のどこにもいません。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/toyosi/main/seminar/2006/
http://www.let.osaka-u.ac.jp/toyosi/main/seminar/2006/moriyasu_qa.pdf
と述べたそうですが、さて現実の学会ではどんな具合なのやら。

687: 世界@名無史さん 2008/02/28(木) 00:55:52 0
>>683
征服王朝ではなくて浸透王朝って言葉がある。五胡諸国~北朝諸国を指す言葉
この辺は、外部の勢力として中国王朝と戦ってきたんじゃなくて、内部で挙兵、もしくは権力の空白状態になった中原・関中にそのまま流れ込んで形成された
確かに征服王朝と似ている部分、通ずる部分はあるけど、制度上に細かい違いみたいなのがあったり、宋以前の民族と国家の関係の違いとかもありまして。
そういう辺りで同一のものとしてはくくれない部分がある

681: 世界@名無史さん 2008/02/27(水) 23:24:50 0
拓跋国家論ってたしかにあるけどさ。
鮮卑拓跋部が起こしたってまで言ったら明らかに言い過ぎじゃないの?

684: 世界@名無史さん 2008/02/28(木) 00:31:37 0
>>681
実際草原から西方世界じゃ、中華国家を「タウガチュ」って呼び続け、唐もそれを直そうともしていなかったわけだが。

697: 世界@名無史さん 2008/03/02(日) 01:24:20 0
北魏孝文帝の時代に鮮卑としてのアイデンティティーは終わってるでしょ。
あとは血統がどうであれ実質漢人政権。

698: 世界@名無史さん 2008/03/02(日) 01:30:41 0
>>697
孝文帝は漢化政策の反発食らってクーデター起こされている訳だが?

703: 世界@名無史さん 2008/03/02(日) 14:38:52 0
>>698
そのクーデターはすぐに鎮圧されてるんだが

704: 世界@名無史さん 2008/03/02(日) 15:56:41 0
>>703
クーデターには皇太子まで参加してて、のちのちまで「民族問題」を引きずり続ける訳だが?

705: 世界@名無史さん 2008/03/02(日) 15:59:49 0
つーか、六鎮の乱のあとこそ、鮮卑の軍人集団の力が強まる訳だが。

711: 世界@名無史さん 2008/04/25(金) 13:35:52 0
高祖、太宗の息子で天寿を全うできた者は殆どいない。
高宗の息子に至っては睿宗のみ。

712: 世界@名無史さん 2008/05/27(火) 10:29:43 0
李世民は息子の教育に関してはほとんど失敗してる

713: 世界@名無史さん 2008/05/29(木) 20:58:28 0
法琳という高僧が唐の道教優遇を批判して
「李氏は老子の末裔だと言ってるけど本当は鮮卑だろ」とのたまったら
李世民が激怒して、法琳は殺されかかったらしい。

720: 世界@名無史さん 2008/08/16(土) 11:08:50 0
李世民は外交はイマイチなような
それに中国側では勝ったことになってる戦いも
相手側では違ってるから唐書だけ信じるわけにはいかないな

767: 世界@名無史さん 2008/11/17(月) 23:39:07 O
日本で隋唐が三国志並の人気を得るにはどうしたらいいんだろう
というのを考えた時に、勘違いしまくりでも見識が狭くてもいいからとにかく物語として面白い歴史小説を田中芳樹みたいな有名どころが死ぬ気で書けばいいと思った

768: 世界@名無史さん 2008/11/18(火) 11:44:37 0
koeiにシミュレーションと無双を出してもらうのが一番手っ取り早い気がする

769: 世界@名無史さん 2008/11/18(火) 22:01:23 O
だなあ
信長の野望とか三國志みたいな感じで隋唐ゲーム出てくれたらなあ…壊滅的に売れないだろうなあ…
小説ならまだ望みがあるかもしれないから小説→ゲーム→映画化とステップアップして欲しい

770: 世界@名無史さん 2008/11/18(火) 22:26:00 0
登場人物は質・量ともに問題ないから、SLGとしては作りやすいかもね。
やはり一般人に知名度がないのが致命的か。

774: 世界@名無史さん 2008/11/20(木) 21:54:00 O
花木蘭のやつは面白かったけど、隋唐の知名度を上げるにはボリューム不足だな
演義は訳だしなあ。何よりあんまり面白くない
もっとこうスペクタクルハードボイルドワールドワイドな大河小説的な何かを求めてるわけよ
…って言うのは簡単だよなw書けりゃ書いてるよな

780: 世界@名無史さん 2009/02/15(日) 22:03:01 0
今まで西洋かぶれしててアジアの歴史とか興味なかったんだが、最近ドラマ見て興味を持ち始めた
んで、唐はなぜ何度も高句麗に負け続けたんだ?
資源・人員ともに日本とアメリカくらい差があったんしょ?

783: 世界@名無史さん 2009/02/16(月) 10:19:50 0
>>780
遼河下流の無人の荒涼とした湿地帯を通過中に兵隊がくたびれ果ててしまうから。
その同じところが兵站ルートでもあるわけで。

781: 世界@名無史さん 2009/02/15(日) 22:10:18 0
西方で突厥という強大な遊牧勢力の存在があって
東方に大きな戦力を割けなかったとか。

784: 世界@名無史さん 2009/02/16(月) 10:30:12 0
そんなところ、入植もできないしね。そもそも誰も住みたがらないだろうし。
軍隊が人の足が主である以上、その距離や地形の壁は、想像より大きい。

786: 世界@名無史さん 2009/02/19(木) 19:14:33 0
>>784
でもそれなら何で何度も何度も攻めたのかという理由が分からんね

787: 世界@名無史さん 2009/02/19(木) 20:08:07 0
>>786
李世民が「おれならやれる」と思ったとか?
とにかく、中世のころの軍隊にはハードルが高いのは間違いない。
可能にするのは、国力のバックボーンと運営力と、相手に隙があるかどうかかな。
李世民は無理だったけど、唐だけでいえば、後には勝利しているわけだから…

789: 世界@名無史さん 2009/02/20(金) 02:33:56 0
丁度、武后時代あたりなんだよな>高句麗滅亡

791: 世界@名無史さん 2009/02/22(日) 11:07:19 0
高句麗遠征では遼東半島を接収してるし一応成功とも言えるか?
内乱もないのにいきなり滅亡させるのは流石に無理だわ

引用元: ・【李氏】☆☆唐帝国の歴史総合スレッド☆☆【天命】



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